海外ロングステイ

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July 1, 2018
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□心の持ち方
慈悲とか愛つまりどういう風に心が受け止めるかで幸福になるかわかる。
いまの世の中こどもの考えのままに年を取った人が多い。教育に問題がある。
乳児の育て方を見ても
母親はいつも
だめだめだめ・・・一番多いこどもへの言葉
後で 嘘つくのが大事と思っている
今度な 何時になっても実現しない
乳児から保育園、学校へと子供を通わせているが行かなくても法律違反でない。真の教育を求めて自分で教えてもいい。
休みは心身ともに休む
日中光を浴びて仕事に励み寝る事が疲れなくなる
不足すると不機嫌になる。これは病気の第一番目である
制度が人間の自由や仕事を縛る
学校でも入学して、比べられ、順番が付く
文部科学省は答えを教えるところ
つまり教えないことにはわからないし、知っていることが全部正しいと思っている。
このことがわかっている方は気をつけてください。
今桜が満開です。重さなら100貫あるような感じです。
全体どうして重みを把握出来ますか。
幸せも同じです
シリア1日75人殺されます。
人類愛は教育によって生まれたので一人も夫婦愛につながらない
宗教は先祖の思いが私の中に生きている。心が思うことを決める
教育も決める。
何が悪いか、損か得かは心が決める
損して得取れとはうそですよ
友達に頼むと
カツ丼、後で1200円後でおごるから500円のラーメン食べさせて。
これは誰が決めたか。出来なかったら恩知らず。自分で裁かれます。
裁く心が自分に損を与えます。心が不幸を決める。
桜の根を見なさい。大地の恵みを思いなさい。土の中は暖かくて楽しいな
毎年桜が咲くね
世の中は三日見ぬ間の桜かな
意 味: 三日見ないうちに散ってしまう桜のように、世の中の移り変わりが激しいこと。 
この根っこを見て人生を学べないか
思いが結果する
つまり根っこがやっているのは心の働きと同じ
誰も認めない内容。
桜は時期が来れば咲く。自然に包まれている。
何で自然を征服できるの
神が大地を作り人を作り
なのに現世ではセメントの柱が新幹線を支える
そして自然破壊
子育ては私です。先祖の心が生きてます。
法律、学校の奴隷にいつなったら
「今日の自分にご苦労様がいえるか」
衣食住足りて礼節を知る
心が満足しない 自分の中の先祖が満足しない
人様用語で考え自分用語で考えてないため
夢希望ビジョン上ばかり見ている
平均寿命86歳。
この肉体に喜びを与え根っこが土に帰り自然が喜ぶ
□衣食住足りて礼節を知る
衣 化繊は石油で出来ている
黒板に点をつけるとおよそ3億個の原子がある。その中に電子があるが、その電子さえクォークをピンポン球にたとえると電子は月の大きさである。
御経は死んだ人の為でなく、生きる人への教え
衆教 大衆に本当のことを教えること(造語)
問題は時間が解決する 女性の見方
問題に白黒つける 男性の見方
この世は嘘と女の誘惑
出家とは出世間(社会)出世は偉くなることと考えられがちだが、本来欲を捨てること。
白陰禅士
悟りなば 坊主になるな魚食へ 地獄へ行って鬼に負けるな 
世間の苦しみを経験しろ
僧侶は麻、綿、絹しか着無かった
化繊は静電気が付くのでアースして放電しないと駄目である
医源病 医者が原因で病気をつくる
絆 血のつながりが基本であった
江戸時代は1部落平均150人。7から8所帯で構成する大家族。
村八部のうち8部が助け合いとなる
参考
地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話(死体を放置すると腐臭が漂う、また伝染病の原因となるため。また死ねば全てを許されると言う思想の現れとも)と火事の消火活動(延焼を防ぐため)という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つこと(残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行)。ウィキペディア
障子
家の中は寒くとも、冬は着込めば過ごせるので夏の高温多湿対策に障子を使う
家の中を一時的に遮る
セメントの家 
砂漠対策。寒さ対策の家
生活保護は働けばお金に不自由することはない
個室 小人環境を得て不義となす
人に対する気遣いがない
更に夜は部屋のチリやゴミが降りてきて呼吸で口から吸収する
幼老一定 年取ったから死ぬことはない
□衣食住から医飾従
医 遺伝子組み換え食品は15から20年後に身体に影響を与える
飾 優先順位が違う。夫が熱でうなされたら、まずは化粧して109番に通報する
従 朝昼晩の自然のリズムに従うこと。天候に従うこと
良寛和尚はこうおっしゃっています。
  災難にあうときは 災難にあうがよろしく
  死ぬ時節には 死ぬがよろしく候(そうろう)
  これはこれ災難を逃れる妙法にて候
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
  さからって無理をしない、風のごとく水のごとく生きた
 良寛和尚のおっしゃりそうな味わいのある言葉です。
   雨の降る 日は哀れなり 良寛坊
   炊くだけは 風が持ち来る 落ち葉かな
 自分を隠したり、飾ったりすることもなく、自然の恵みの
 なかで生かされていることをただ感謝して、風のごとく
 水のごとく生き、嬉しいときは笑い、悲しいときは泣いて
 生きた良寛和尚です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
良寛辞世の句
うらを見せ 表を見せて 散る紅葉
ボタンを押して言うことを聞くのは自然界にはない
しかし普段使っている掃除機、洗濯機はボタン一つで言うことを聞くが、子供は無理ですよ。
□居職十
居 居場所を確保しなさい
職 
十 往生十楽のこと
往生十楽とは
大文第一 厭離穢土--地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説く。
大文第二 欣求浄土--極楽浄土に生れる十楽を説く。
大文第三 極楽証拠--極楽往生の証拠を書く。
大文第四 正修念仏--浄土往生の道を明らかにする。
大文第五 助念方法--念仏修行の方法論。
大文第六 別時念仏--臨終の念仏を説く。
大文第七 念仏利益--念仏を唱えることによる功徳。
大文第八 念仏証拠--念仏を唱えることによる善業。
大文第九 往生諸行--念仏の包容性。
大文第十 問答料簡--何よりも勝れているのが念仏であると説く。

参考
1厭離穢土 (おんりえど、えんりえど)とは、浄土教の用語。欣求浄土と対句で使われることが多い
この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味。
2『維摩経』には「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」といい、また『心地観経』には「心清浄なるが故に世界清浄なり、心雑穢(ぞうえ)なるが故に世界雑穢なり」とあるように、世間の清浄であることは心による。すなわち、国土の浄不浄はそこに住む人の心によって決定づけられる。
そこで、真実の浄土は仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。この点で、浄土は仏土である。しかし浄土は仏土であるが仏土は必ず浄土ではない。仏の教化対象の世界も仏土であるから、凡夫の世界も仏国でありうる。よって、仏国とは仏の住まいし、また教化する世界のすべてをいうから、浄土は成仏を目標とする菩薩の世界である。
このような浄土について種々に説かれる。それらの中でも阿弥陀仏の西方極楽浄土は有名だが、この外に阿?仏(あしゅくぶつ)の東方妙喜世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国など知られている。その意味で、浄土という語は一般名詞であり、固有名詞ではない。
浄土は何のためにあるのかといえば、仏自らが法楽を受用するためと共に、人々をその国に引接して化益をほどこし、さとりを開かせるためである。雑穢の世界は成仏への修行の妨げである。そこで、諸仏は修行が容易であるように、人々を浄土に引接して化益する。この意味で、浄土とは仏の自利・利他の二利満足の場である。
3極楽証拠
大文第三に、極楽証拠を明かせば、二つある。一つには十方浄土に対する。二つには兜率天に対する。
・極楽証拠―対十方
初めに、十方浄土に対するとは。
問う。
十方に浄土があるのに、どうして、ただ阿弥陀浄土だけに生まれようと願うのか。
答える。
天台大師が云う。
「多くの経典、論書は、ただひとえに阿弥陀仏を念じ、西方の極楽世界を求めさせてある。《無量寿経》・《観無量寿経》・《往生論》などの数十部の経典、論書の文に、教え示し、西方浄土に往生することを勧められている。こういうわけであるから、ひたすら西方を念ずるのである。」
天台大師は、一切の経、論を、およそ十五回繰り返し読まれた。だからその述べられることは信じないわけにはいかないのである。
迦才師(かざい)の《浄土論》三巻には、十二の経と七つの論を根本にしている。一つには無量寿経、二つには観無量寿経、三つには阿弥陀経、四つには鼓音声経(くおんじょうきょう)、五つには称揚諸仏功徳経(しょうようしょぶつくどくきょう)、六つには発覚浄心経(ほっかくじょうしんきょう)、七つには大集経(だいじっきょう)、八つには十往生経、九つには薬師経、十には般舟三昧経、十一には大阿弥陀経、十二には無量清浄平等覚経である。
論では、一つには往生論、二つには起信論、三つには十住毘婆沙論、四つには一切経の中の弥陀偈、五つには宝性論、六つには龍樹の十二礼偈、七つには摂大乗論の弥陀偈である。
更に、わたくしに加えていう。法華経 の薬王品、四十華厳経 の普賢願、目連所問経、三千仏名経、無字宝篋経(むじほうきょうきょう)、千手陀羅尼経、十一面経、不空羂索神変真言経、如意輪陀羅尼経、随求陀羅尼経、尊勝陀羅尼経、無垢浄光大陀羅尼経、光明真言、阿弥陀大呪など諸々の顕教や密教の中に、極楽を勧めることは、数えきれぬほどである。それゆえ、ひとえに西方浄土を願い求めるのである。
問う。
釈迦如来、曰く。
「仏たちの浄土には、実に差別がない。」と、仰せられる。
それなのに、なぜ釈迦如来はひとえに西方浄土を讃えるのであるか。
答える。
十方随願往生経に、仏がこの疑問を解いて仰せられる。
「娑婆世界の人間は、貪りなどの心が多く、信に向かう者は少なく、邪法を習う者は多く、正法を信じない。真理へ一心になることができないから、心が乱れ、志がない。浄土に差別がないけれども、人々の心をひと筋に定めさせようとされるのである。それゆえ、かの浄土を讃嘆するのである。往生を願う人々は、すべてその願いのままに果を得ないものはない。」
また、《心地観経》に説かれている。
「仏弟子たちよ、至心に一仏および一菩薩を見たいと求めるがよい。このようなことを、迷いの世を離れる教えと名づける。」と、ある。
このゆえに、もっぱら一つの仏国のみを求めさせるのである。
問う。
その心をひと筋じにさせるためというのなら、どうして、多くの浄土の中で、ただ阿弥陀浄土を勧めるのであるか。
答える。
たとえ他の浄土を勧めても、やはりこの疑問は残るであろう。仏の想いは、測り知れない。ただ仰いで信ずべきである。
たとえば、愚かな人が炎の穴に落ち、自分の力では出ることができない場合、善知識(善き導く人)が一つの方法でこれを救おうとすれば、愚かな人は、それに力を得て、努めてすみやかに、ここを出る。何の暇(ひま)をもって、あれこれと他の方法を議論することがあろうか。行者もこれと同じで、他の思いを起こしてはならぬ。
目連所問経に説かれているとおりである。
「たとえば、長い川に漂う流木が、前のものは後のものを見ず、後のものは前のものを見ず、すべて大海に流れ込むようなものである。世間もまたそのとおりで、地位高く、財産があり、また歓楽の自由自在なものでも生老病死を免れることはできない。どのようなものでも、仏教を信じなかったならば、後の世に人間と生まれても、さらに一層、悩み、苦しむ身となり、仏の国土に生まれることが得られない。
それゆえ、我、説く。〈無量寿仏の国は往きやすいのに、人々はこれを行じず、往生することができない。反対に九十五種の邪道につかえている〉と。
こういう人を、眼のない人、耳のない人と名づける。」
《阿弥陀経》に説かれている。
「我、この利益を知るゆえに、これを説く。もし信ずるものがあるならば、まさに、願いを発して、かの浄土に生まれる。」
このように仏の教えはありがたい。ただ仰いで信ずるべきである。まして、阿弥陀仏とは縁がないわけでもない。なぜ、これを拒むことがあろうか。
天台大師の《十疑論》にいうとおりである。
「阿弥陀仏には、大慈悲の四十八願があり衆生を導きたまう。また、かの仏の光明は、遍く十方世界の念仏の衆生を照らし、摂め取って捨てることはない。十方にある諸々の仏は、妙なる舌をもってその響き、音声で三千世界を覆い、一切の衆生が、阿弥陀仏を念じ、仏の大悲の本願力に乗じて、極楽世界に生まれることを得るのである。」
また《無量寿経》に仰せられる。「{末法の後、仏法が滅した時、この経を百年、世に留めて、人々を導き、かの国土に生れさせよう}と説かれてある。ゆえに、阿弥陀仏と、この世界の極悪の衆生とは、とりわけ因縁があることが知られる。」と、ある。
慈恩大師、曰く。
「末法一万年には、ほかの経法はことごとく無く、阿弥陀仏の教えのみ、人々を利益する。時を経て末法一万年後には、すべての経は無くなるが、釈尊の御恩は重くて、この教えを留めてくれること百年なり。」
懐感禅師、曰く。
「*般舟三昧経に説いてある。跋陀和菩薩(ばつだわぼさつ)が、釈迦牟尼仏にお願いして、{未来の衆生は、どのようにして十方の諸仏を見たてまつることができましょうか}と。
そこで仏が、答える。{阿弥陀仏を念じたならば、十方一切の諸仏を見たてまつる。}と。
阿弥陀仏は、とりわけ娑婆の衆生と縁があるので、まずこの仏を専心に称念すれば、この三昧が成就しやすいのである。」
*般舟三昧(はんじゅざんまい)―常に仏が現前する。
また観音と勢至の二菩薩は、この娑婆世界で菩薩の行を修めて、かの極楽国に生まれたのである。過去からの因縁があるのだから、どうして阿弥陀仏の教えが我ら衆生に相応しくないといえるのか。
極楽証拠―対兜率(たいとそつ)
二つに、兜率天に対する、というのは、次のようである。
問う。
玄奘三蔵が云う。
「西方(インド)の出家者も在家者も、弥勒菩薩のおられる兜率天に生まれる行業を修めている。兜率天はこの世界と同じように欲界で、その行は成就し易いからである。大乗・小乗の諸師たちは、みな兜率天に往生することを認めている。阿弥陀仏の浄土は、おそらく汚れた凡夫では、行が成就し難いであろう。昔の経典、論書によれば、*七地以上の菩薩が、それぞれの程度に応じて阿弥陀仏の浄土を見るとある。新しい経、論によれば、*三地の菩薩が浄土を見ることができるとある。どうして、低い凡夫が、浄土に往生することができようか。」
天竺(てんじく、インド)でさえも、すでにこのとおりである。今、どうして阿弥陀浄土を勧めるのか。
*七地―菩薩が修行して得られる境地。七地は、全ての執着心を取り、その光で四      方を照らす。
*三地―あらゆるものは無相、空(くう)であると観じ、大慈大悲の心を起す。
答える。
どこの地であっても、顕教・密教の教えの道理は同じである。わたしが、今まで説いてきた証拠は、すでに多い。どうして仏教の明白な文に背いて、天竺の風潮(ふうちょう)に従うのか。まして、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の無常院には、病人を西方に向け、阿弥陀仏の浄土に往く想いを起こさせたというではないか。その詳細は、後の臨終の行儀のところに述べるとおりである。
明らかに知るべきである。仏の想い、ひとえに極楽を勧めることにある。西域(インド地方)の諸々の人々も、どうしてこれに背くであろうか。
また懐感禅師(えかんぜんじ)の《群疑論》(ぐんぎろん)には、極楽と兜率とについて、次のような十二の優劣を述べている。
一つには、教えの主が仏であり、兜率天は菩薩である。
二つには、浄土と穢土のちがい。
三つには、女人の有る無し。
四つには、寿命の長い短い。
五つには、内院(弥勒ぼさつの住処)・外院(天人の住処)の有る無し。兜率天の内院は退かぬが外院は退くことがある。西方浄土には内、外がなく、すべて退くことはない。
六つには、五衰の有る無し。(五衰―死ぬ前の相。天道を参照)
七つには、相好(そうごう、仏の優れた姿)の有る無し。
八つには、五神通の有る無し。
九つには、不善心の起こる起こらない。
十には、滅罪の多い少ない。たとえば、弥勒菩薩の名を称えると千二百劫の罪を除くが、阿弥陀仏の名を称えると八十億劫の罪を滅ぼす。
十一には、苦を受けることの有る無し。
十二には、生を受けるときの相違。兜率天では、男女の膝下や懐の中に生まれるが、西方浄土では、蓮華の内、宮殿の中に生まれるのである。
兜率、西方の優劣は、このようであるけれども、ともに仏が勧め、讃えているのであるから、たがいに是非を論じ、非難しあってはならない。と、懐感禅師(えかんぜんじ)は述べている。
慈恩大師は十の相違を立てている。前の八つは、懐感禅師が立てた説を出ていないから、繰り返して引用しない。
その第九にいう。
「西方浄土は、仏が行者の所に来迎(らいごう)したまうが、兜率天は、そうではない。」
しかし、懐感禅師は「来迎は同じ」という。
慈恩大師の第十にいう。
「西方浄土については、経典、論書ともに、勧めるものが極めて多いけれども、兜率天については多くない。」
また、懐感禅師は、往生の難易について、十五の同じ意見と、八つの違う意見を述べている。その八つの違う意見は次のとおりである。
「一つには、本願の異。阿弥陀仏には引接の願(いんじょうのがん、衆生を救い導く)があるけれども、弥勒菩薩にはそのような願はない。願のないのは、自分の力で泳いで水を渡るようであり、願のあるのは、舟に乗って水に遊ぶようである。
二つには、光明の異。阿弥陀仏の光明は念仏の人々を照らし、摂め取り捨てることはないが、弥勒菩薩にはない。光に照らされるのは真昼の遊びのようであり、光のないのは闇夜の散歩に似ている。
三つには、守護の異。数限りない仏の化身や観音、大勢至などの菩薩が、いつも行者の所に来ているのである。また《称讃浄土経》に、十方の無量の数ある諸仏が護ってくれる。と、あり、また《十往生経》に、仏は二十五菩薩をつかわせて、いつも行者を守護する。と、ある。が、兜率天では、それがない。守護があるのは、大勢の人と、ともに遊び、強盗が迫ってきても恐れないようなものである。守護がないのは、ただ一人で険しい道を旅して、乱暴者に犯されるのに似ている。
四つには、*舒舌(じょぜつ)の異。十方の仏がたは舌をさしのべて真理の真実を証明しているけれども、兜率には、それがない。
*舒舌―仏の妙なる舌は長く、真理を証明する。
五つには、衆聖の異。華聚菩薩(けじゅぼさつ)、山海慧菩薩(さんかいえぼさつ)が広大な願を発して、{もし一人でも西方浄土に生まれることが済まぬうちに、我は、仏の悟りを取らない。}と述べられたことである。
六つには、滅罪の多少。これは前にあげたとおりである。
七つには、重い罪悪についての異。五逆罪を犯したものも西方浄土に往生することができるけれども、兜率についてはそうではない。
八つには、経説の異。《無量寿経》に、{六道の悪処を断ち切り、悪処は自然に閉ざされ、仏道に進むこと、きわまりがない。浄土へは往生しやすいのに、往生する人は少ない}と、あるが、兜率については、そうではない。
十五の同じ意見からいっても、浄土へは往生し難いと説くべきではない。まして、異の意見には八つもある。それでも、浄土へは往生し難いと説いていいのだろうか。諸々の仏道を学ぶ者よ。道理と教えを求め、どちらの道が易しいか、難しいかをよく見分け、その迷いを取り除くべきである。」と、ある。
問う。
前の玄奘三蔵の伝える、三地以上の菩薩が往生というのは、どうなのか。
答える。
西域(インド地方)の行法は、よくわからないが、今、試みに解釈を施してみよう。
西域の行者は、小乗(自己を磨く)を学ぶ者が多い。伝えるところに依ると、「十五の地方は大乗(多くを救う)を学び、十五の地方は大乗と小乗とをあわせて学び、四十一の地方は小乗を学ぶ。」ということである。兜率天に往くことは、大乗も小乗も共にこれを認めるが、他の浄土に往生することは、大乗では認めても、小乗では認めない。兜率天は大乗も小乗も共に認めるので、兜率に生まれることを伝えているのではないか。砂漠(タクラマカン)から東の地方は、大乗仏教が盛んであり、西域の諸々の修行と同じにしてはならない。まして、多くの教えの興隆(こうりゅう)は、なにも一時代というわけではない。とりわけ、念仏の教えは、末法の時代、仏教がなくなった後でも、罪に穢れた衆生を多く利益するものである。考えてみると、玄奘三蔵の時代、西域ではまだ念仏の教えは盛んでなかったのであろうか。そうでなければ、玄奘三蔵の高弟である慈恩大師が、どうして特別に《西方要決》を著作し、十の優劣を立てて自他のために、阿弥陀浄土への往生を勧めるのか。
問う。
《心地観経》に説かれている。
「我、今、弟子を弥勒に託す。龍華会(りゅうげかい、弥勒菩薩の説法)において、解脱(悟り)を得る。」と、あり、この経から、釈迦如来は兜率天を勧めてるではないか。
答える。
この経文があっても、相違することはない。誰とて《弥勒上生経》・《心地観経》などの二、三の経文を否定はしない。けれども、極楽を勧める文が、多くの経典にあることには及ばない。
また、《大悲経》の第三巻に説かれている。
「将来の末世に法がなくなろうとするとき、修行者がいて、仏の教えにより出家した者が、子供の手をひき、一緒に遊び、酒屋から酒屋へと行き、仏の教えに入りながらも、悪行をするであろう。ただ身分は沙門(出家修行者)となりながら沙門の行を汚し、しかも、自ら沙門と言い、姿、形は沙門のよそおいをして、身に袈裟(けさ、僧の服)を着るであろう。そういうものでも、弥勒に随い最後の盧遮那仏(るしゃなぶつ)に至り、それらの沙門たちは、次第に般涅槃(はつねはん、完全な悟り)に入り、一人も残るものはないであろう。なぜなら、このようなすべての沙門の中で、わずか一度でも仏名を称え、信じたその功徳は、虚しくなることはないからである。」と、ある。
《心地観経》の意味も、この《大悲経》と同じことである。それゆえ、かの《心地観経》には、龍華会(りゅうげかい、弥勒菩薩の説法)とは言っても、兜率とは言わないのである。今、これを考えてみると、釈尊の入滅(この世から離れた)より弥勒菩薩の出世(この世に出る)まで、五十七億六千年も間隔がある。(新婆沙論による)
その間、輪廻、迷いを続ける苦しみはどれほどであろうか。どうして臨終において、すぐさま蓮台に乗り往生することを願わないのか。なぜ、悠々と生死の世界に留まり、龍華会を待つことがあろうか。まして、阿弥陀浄土に生まれれば、昼夜、思いのままに兜率天の宮殿に往き、龍華会の際には、第一の聴衆となる。まさに、富貴になって故郷に帰るようなものである。誰かこのことを願わないものがあろうか。もし、別の因縁があるならば、西方以外の浄土を願うのもよかろう。各自の望みに従うべきである。誤った執着をおこしてはならぬ。
ゆえに、懐感法師、曰く。
「兜率を求める者は西方の行者を非難してはならぬ。西方浄土に往生しようと願う者は、兜率天に生まれる修行を悪くいってはならぬ。それぞれ自分の性分に随い、気持ちに任せて修学すべきである。お互いに是非を論じてはならない。そんなことでは、優れた世界に生まれないだけではなく、さらに三界にて、迷いの海に没し、廻ることになる。」と、ある。
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Last updated  August 10, 2018 10:20:05 AM
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