[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2020.12.30
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カテゴリ: 宝塚
事の発端は、どなたかのブログで「ARIが悩んでいた」という記事を読んだためだ。
しかし、近所に【歌劇 / 10月号】を売っている本屋も無く、Amazonで注文すると配送料で600円も取られる事に二の足を踏み(笑)、11月17日の宙組観劇まで待たなければならなかった。
その後、座談会の記事は読んだものの、「【カフェブレイク】を観てからの方が良いか…」と思ったり、何をどう伝えるべきかを考えていたら、更新が今日になった。



ARIが悩んでいる…。

しかし、それは悪い事ではない。
いや、寧ろそれで良い。
ARIの演技スタイルを考えれば、いつか何処かで壁にぶつかる事は分かっていた。
(ARIなら、自分で答えを見付けられるかとも思い、黙って見守っていたが…)
悩むという事は、ARIがそこまで順当に成長して来たという証拠だ。

研10になってもその焦りや不安を感じていなかったら危険信号だったが、座談会によれば研9になる手前の時期だったようで、それなら問題は無い。
今の君のその悩みは、正しい感情なのだ。

ただし、がむしゃらに前に進めば良かった今までとは違い、これから暫くは試行錯誤の日々が続くだろう。
役者としての成長だけでなく、それを下支えするARIの人間としての成長が、今以上に求められるようになるからだ。
いつだったか、僕はARIの男役をこう評した。

「暁千星という男役は、ARIという生身の人間が子供から大人へと成長する中で、培われて行く」

今回の座談会でも、周りから指摘されていたのは殆どが「気持ち」の部分だ。
これからARIは、精神的にもっと大人にならなければならない。
そして、芝居に対してもっと貪欲にならなければならない。
ARIが『暁千星・第2章』の扉を開けられるかどうかは、恐らくそこが鍵となるだろう。

ARIは「私にしか出せないものが絶対にある」と、個性ばかりを気にしているようだが、個性とは「心・技・体」が整って初めて会得できるもの。
ただ闇雲に「自分らしさ」を求めても、答えは出ない。
それは、何の手掛かりも目印も無いまま、砂漠を歩き回る行為に等しい。
迷った時は、先ず自分の現在地をきちんと確認し、そこから進むべき目標を立てる事が肝心だ。

今のARIを分かり易く喩えるなら、全集中の呼吸を身に付けないまま鬼達と闘って来た竈門炭治郎のようなもの。
ここまでよく頑張ったと褒めてあげたい所だが、これからの道程は今の実力では厳しい。
役の心情を掘り下げる力も、それを舞台で表現する力も、まだまだ未熟だからだ。
いくら炭治郎が「鬼舞辻無惨を倒します!!」と熱弁しても、 産敷屋耀哉に「今の炭治郎にはできないから、まず十二鬼月を一人倒そうね」と窘(たしな)められてしまうのと同じだ。

自分の呼吸を見付ける前に、ARIはもう一度、役者としての基礎体力を鍛え直す必要がある。
そのためには、例えば、自分が「こういう芝居をしたい」「こんな男役になりたい」と思う歴代の男役スター達を、よく観察し真似してみる事だ。
他人と比べて何が違うかを客観的に観察・分析する事で、自分の弱点が見えて来る。

「声の調子」「イントネーション」「話すスピード」「抑揚の付け方」「間の取り方」「広角の動き」「目線の向け方」「眉毛の動き」「姿勢」「指先の使い方」「歩き方」等々…。
他人の芝居を真似してみる事で、彼らがどうやって喜怒哀楽を表現しているかが、実感として分かって来る。
特に、「台詞回し」は色々と勉強になるはずだ。

以前にも書いたが、「目より先に手が肥える事はない」。
「芝居が上手い」と思う人達の何がそう思わせるのかをよく観察し、自分とどこがどう違うかを分析する。
その違いに気付けるようになれば、自ずと道は開けて来るだろう。

まあ、これは飽くまでも一つの提案であり正解ではないが、行き詰まった時や自分の中に答えを見出せない時は、外からヒントや手掛かりを見付けて来るという手段もある。
最初は誰かのモノマネでも、それが暁千星の芝居に馴染めば、やがて立派な個性になる。
表現のバリエーションが増えれば、同じ台詞を何通りもの言い方、色々と仕草を変えて試せるようになる。
その中で、これだと思えるものを堂々と舞台で表現すれば良いのだ。
(ただし、ARIは童顔なので、あまり身振り手振りを大きくすると、余計に幼く見えてしまうので、気を付けた方が良い)

【夢現無双】の感想で「3年後のARIを楽しみにしている」と書いたように、僕は今直ぐの成長や成果を求めている訳ではない。
未来の話をしているのだ。

しかし、未来はいつまでも未来のままではない。
必ず「今日」になる時が訪れる。
その日のために、ARIが今からどれだけの努力と試行錯誤を重ねられるか…。
その本気度と真価が問われるステージが始まったのだ。

例えば、これがファンなら「私は理想の宝塚ファンになれないけど、それで良いです」で済むが、タカラジェンヌはそういう訳にはいかない。
たとえ、直ぐには自分の望む成果が出なかったとしても、理想の舞台人を目指して、絶えず努力を続けなければならない。
「歌が下手だ」「芝居が下手だ」と馬鹿にされても、悩みながら葛藤しながら、舞台に立ち続けなければならない。
「私は歌が下手だけど、これで良いです」などと開き直るジェンヌがいたら、その人はもう舞台に立つ資格は無いだろう。

だから、ARIが舞台に立ち続ける限り、僕は彼女がタカラジェンヌとしての誇りを胸に、悩みながら葛藤しながら、努力を続けているのだと信じよう。
ARIだけではない。
宝塚の舞台に立つ全てのジェンヌを信じよう、認めよう。
僕は人の努力を否定しないし、努力する人間を否定しない。

皆それぞれ、得手不得手があるのは当たり前だ。
歩幅や呼吸だって、一人ひとり違う。
一朝一夕に答えは見付からないだろう。

悩んで良い、迷って良い、泣いても良い。
それでも、タカラジェンヌである限り、その歩みを止めてはいけない。
それが106年という歳月を超えて、受け継がれて来た誇りなのだ。

集中しろ

心を燃やせ

誰が何と言おうと

君達はタカラジェンヌだ

己の弱さや不甲斐なさに

どれだけ打ちのめされようと

歯を喰いしばって前を向け

胸を張って生きろ!!

(あれ、この台詞どこかで聞いた事あるな…笑)


大丈夫だ、俺はいつでも君達の味方になる。
俺は鬼にはならない!!

よし、もっと集中してジェンヌ達を褒めるぞ!!





(こういう事しちゃうから、説得力が無くなるんだよな…笑)





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Last updated  2020.12.31 22:38:11


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