マックの文弊録

マックの文弊録

2009.07.27
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カテゴリ: 小言こうべえ
◇ 7月27日(月曜日) 旧六月六日 癸酉(みずのと とり) 大安:

What’s politics?
「一体政治とは何だろうか?」
突然そういう疑問が沸いてきた。そして、自分がそれにうまく答えられないことに気がついてしまった。

学校では、国を統治するには権威(権力)の確立が必須であり、その基本として三権、つまり「司法権、行政権、立法権」と云うのを教わり、この三権がお互いに独立(分立)すべきであると教わった。
日本は三権分立が確立した国であり、司法は裁判所が、行政(政治)は行政府が、そして立法は議会(国の場合は国会)が分担しているとも教わった。
立法府で法律が作られ、それに則って色々なことが行政(政治)によって実行され、それが適法に行われたかどうか裁判所がチェックする。Plan、Do、Seeだ。・・・なるほど。
つまり、政治は行政府が行う行為であり、政治家は行政府のスタッフと云うことだ。

我々が投票所に行って選ぶのは議員になるべき人達だ。議員は立法府に所属する。そうすると、我々は政治を行う人を選んでいるわけではなかったのだ!
しかし、普段我々はそんな風に分かっているだろうか?
「今後の日本の政治を託す事が出来る人や政党を選ぶために投票所へ行く」、そういう意識ではなかろうか?僕はそうだった。

日本は間接民主制といわれ、立法府つまり国会で行政府の大将(総理大臣)が選ばれる。
立法府で作られた法律を現実に反映するためには実行部隊が必要だ。その実行部隊の大将は立法府が信頼を置ける人間でなければならない。だから国会での多数決によって政府(内閣)の首班が指名される。(これを議院内閣制という)首班の実行過程の監視は、立法府と司法の権威である裁判所が担当する。・・・なるほど。

実際は、立法府も政党の割拠する場所だから、選挙で多数の議員を当選させた政党の人間が(実際はその政党の大将が)事実上自動的に行政府の首班に座る事になる。
そうなると、我々が投票所に行くのは、立法府の議員や政党を選ぶことを通じて、同時に行政府の大将とその主要なスタッフまで選ぶということになる。だからこういうシステムを間接民主制という。・・・なるほど。

待てよ、そうなると実際上立法権と行政権はお互いに分立している事にならないじゃないか?「政治」とは行政と立法の両方の事か?
これはスポーツで言えば、プレイヤーとルールを作る人が同じだという事だろう?
そうなると、我々は投票所でルールを作る人(チーム)とプレーする人(チーム)を一緒くたに選んでしまっていることになるのか?・・・・選挙ってそういうことだったのか?

自分でルールを作る事ができ、しかもプレーもしてしまう人やチームを選ぶとなると、余程信頼できる人間やチーム(政党)でなければならないが、そんな人間もチームも今は見当たらないじゃないか。

それに、選挙のルールも立法府で決められているのだ。中選挙区制や小選挙区制、比例代表制など色々あるけれど、今や立法府の大勢と行政府は同じ穴の狢である事は明らかだから、こういう選挙のルールだって、客観的に、つまり我々民草にとって公平に決められているとは考えにくいですねぇ・・・

この間実際にあったように、行政府の長である総理大臣は、立法府の重要機関である衆議院を解散させることができる。これは憲法にそう決めてある。
そうすると三権分立がゴールデン・ルールであり、この「分立」とは三権が相互に対等な立場で牽制し合う意味であるとすれば、(少なくともPlan、 Do、 Seeではそうだ)、立法府に対する解散権を行政府のトップが持っているのは変だ。
それなら立法府は逆に自分たちが選んだ内閣首班、つまり総理大臣を罷免、つまりクビにできるのだろうか?そうでないと如何にも拙い。
ところが、驚いた事にこの方法は無い!
問責決議というのはあるが、これは「拙いじゃない?」と意見表明するだけで、拘束力も強制力も持っていないのだ。

間接的には、国会における内閣不信任決議という方法が用意されている。
国会といっても実際には衆議院だけだ。
衆議院で内閣不信任決議案が可決された場合、或いは逆に内閣信任決議案(そういうのも有るのだ)が否決された場合には、内閣は議決から十日以内に総辞職するか、或いは衆議院を解散しなければならない。そう憲法で定められている。

現憲法下で内閣不信任決議案が可決されたのは1948年の第二次吉田内閣(馴れ合い解散)、1953年の第四次吉田内閣(バカヤロー解散)、1980年の第二次大平内閣(ハプニング解散)、1993年の宮澤内閣(嘘つき解散)だ。現行憲法の施行(1947年)以来62年間で4回。その全ての結末は衆議院の解散であって、内閣の総辞職ではない。つまり時の行政府の長は、不信任案が可決された場合、自分が辞める代わりに逆にそういう結論を出した衆議院を解散して、選挙に持ち込む事で決着をつけようとするのだ。
衆議院を解散しても総理大臣を始め内閣を構成する大臣たちは辞める必要は無い。だから現に麻生さんも他の大臣も今もそのままでいらっしゃる。
つまり立法府は自らが指名した行政府の長をクビにする事は出来ない。

衆議院の解散は、この期間内に合計21回行われている。解散によって衆議院選挙が行われ、そこで結果的に民意の審判を受ける事になるから、そこで辛うじてバランスが保たれるという見方は出来ないこともない。
しかし行政府に対抗するに、立法府が出来る手段は、内閣不信任案を可決するという間接的な方法しか無い事は事実だ。そういう意味では、立法府対行政府の戦い(或いは拮抗)は、62年間で4対17となり、圧倒的に行政府の勝ちである。
衆議院の解散は、内閣の助言と承認によって天皇が行う国事行為とされている。

立法府の一方である参議院には不信任決議の権能は無く、総理大臣とか大蔵大臣とか個別の職権に対して問責決議を行うことしかできない。しかも前に述べたように、この決議が可決されても法的拘束力は無い。
問責決議案が現憲法下で可決されたのは、1998年の額賀防衛大臣、2008年の福田総理大臣、そして先日の麻生総理大臣に対するものの3回だけだ。
その効果を言うと、額賀さんは辞職し、福田さんは3ヵ月後に内閣総辞職し(クビになったわけではない)、麻生さんはご存知の通り衆議院を解散した。

こうなると、やはり行政府と立法府は対等だとは云えない。つまりプレイヤーの方がルールを作る人より上位にあるということになってしまう。

もう一つ。
今まで余り述べてこなかった三権の中のもう一つ、司法権に付いてだ。
司法府の長は最高裁判所長官だが、最高裁長官は、総理大臣が指名し、天皇が任命する事によって決められる。そして長官の脇を固める14人の最高裁判事は、司法府トップの最高裁長官ではなく(!)内閣(行政府)によって任命され、天皇によって認証される。・・・なんだ、ここでも行政府の大将が司法府の長を事実上指名できるのだ。
おまけに司法府の長は、自分の同僚を自分で選ぶことすら出来ない。内閣総理大臣が閣僚を自分で選ぶことができ、各閣僚は国会で適格性を問われる事もない(アメリカとはこの点大違いだ)のを思えば、ずいぶんの格差である。

ついでに言えば、我々国民は最高裁判事に対しては、国民審査といって衆議院議員選挙と同じ投票日に「不信任投票」(投票用紙の判事の名前の上に×を付ける)をすることでクビ(投票総数の過半数が×だった場合)にする事が出来るが、何も書かないと自動的に「信任」とされる。これはおかしい。信任の場合は○、不信任の場合は×、決められなかったり、「この人知らない!」(殆どの場合そうだ)と云うときには空白にするようにしておかないと、判事の「信任率」は異常に高くなり、実情を全く反映しない事になる。

こうして見ると、三権の中で行政府の権力が最も大きい事は明らかだ。決して三つが相互に対等で、健全な牽制機能を発揮できるとは、とてもとても思えない。

辞書や事典、モノの本などをひっくり返せば、「政治とは、国の統治行為全体から、司法と立法の行為を除いた残りの部分」という主旨で説明してある。しかし、立法も司法も、その府の大将の実質任命権を「残りの部分」が持っているのでは、数学で云えば行政だけが独立変数で、後の2つは従属変数ばかりとなり、「三権分立」など、僕の頭では到底合理的に理解できない。

だから冒頭に書いたように、「政治とは何であるか?」が分からなくなってしまったのだ。
僕は学問の分野ではずっと理科系だったし、教員資格に余り興味を惹かれなかったので、憲法や公民といった講義は取らなかった。(今になれば、やっぱり勉強しておけばよかったかと思うけれど)だから、僕の疑問は政治学や法学の全くの素人の疑問だし、つまりは最も普通の人達の、素朴で、従って「ごく当たり前の」疑問でもあろうと思う。
専門家や「訳知り人間」は、「あんな事を云って」と馬鹿にするかもしれないけれど、しかし僕はバカではない(つもりだ)。考える力は人並みにある(と、思う)。他の普通の人達の大多数もそうだろうと思う。

そういう僕が分からない疑問を、これから8月31日まで街頭に立つ「センセイ」達の演説やマニフェストから解決できないとしたら、これは「センセイ」達が、僕を含む国民・大衆を馬鹿にしている、蔑視しているということにならないか?

それはさておき、現実問題として我々有権者はどうすればいいのだろうか?
何しろ上の話だと、今度の選挙では我々は政治を任せる人間だけでなく、法律を作る人も、更には間接的に法律の番人まで選んでしまうことになるのだ。

色々調べたり考えたりしてきて、今の時点では少なくとも以下の二点は明確に言えそうだ。

其の二: 衆議院の勢力分野は、なるべくバラケているほうが良い!

選挙が終わっても我々国民が「主権者」として、政治(といっても釈然と理解できていないが)に係り続け、間接的にそれをコントロールしていく方法は、これ以外には無いと思う。

そうなると、一党だけでなく、【自民党と公明党】、【民主党と国民新党(と社会党?)】というように、括って考えないといけなくなる。何しろ当選してしまえば、今度は国会での駆け引きや議決を有利に導くために会派の融合や連立などが、政党間の利害で勝手に行われるし、この点に関して我々が拒否できる方法は全く無いのだから。

最近までの政治や政治家、そして政党の「品格」を考えれば、とても彼らは信頼できるものではない。だからといって選挙の際に我々がそっぽを向けば、彼らの良いようにされてしまう。法治国家である以上、我々は彼らの「良いよう」に振り回されながらも従わざるをえない。
だったら、次善の策としては「信用できる」人物や政党を選ばなければならない。

「信頼」と「信用」は違う。
「信頼」は「信じて頼む」事だから、これは今の政治家に対しては危険すぎる。
「信用」は「信じて用いる」のだから、用いる側の主導権を暗示しており、未だ危険は少ない。
何しろ頼んでしまえば後は相手任せだが、用いるのであれば、常に気を抜かずに見張っているぞ、と云う事になる。つまり我々がおたなの主人になり、政治家を番頭だと考えるという事だ。
これを選挙の際に実現しようとすれば、取りあえずは上記の「其の一」と「其の二」になるのではないか?
そう思う。
以上僕の現時点での取りあえずの結論である。
皆さんはどうお考えだろうか?ご意見やご教示があれば是非承りたいと思っています。






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最終更新日  2009.07.28 17:56:59
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