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前回の日記で、わたしは次のように定義しました。 「ゴミ」とは、事実上、自治体が処理している廃棄物のことである。しかし、これはあくまで第一の定義です。現実には、 本来は「ゴミ」であるはずなのに、自治体が処理していない廃棄物というものも存在するからです。したがって、これを第二の定義とします。ここで取り上げたいのは、家庭から下水として流される、洗剤、廃油など。それから、様々な不法投棄物です。◇洗剤や廃油や糞尿などは、一般的には「ゴミ」という範疇から外されるかもしれないけど、法的にも廃棄物と定義されるものですし、やはり自然界にそのまま投棄されてはならないものです。そして、これらもやはり、「下水処理」や「汚泥処理」という形で、事実上、自治体が処理を負担していることになります。つまり、その処理のために、わたしたちの税金が投入されている。したがって、洗剤や、食用油は、容器だけでなく、中身も「ゴミ」を生むのだ、といえます。容器にも課税し、さらに中身にも課税しなければなりません。そして、このように考えてくると、行き着くところ、人間の糞尿も「ゴミ」だということになってしまいます。じっさい、人間の糞尿の処理にも税金がかかっています。結果として人間の糞尿になってしまうような商品、つまり、すべての食べ物が「ゴミ税」の対象になってくる。わたしは、前回、ソフトクリームはゴミを出さないが、お団子はゴミの出る商品である、というように書きました。しかし、人間の糞尿を「ゴミ」と定義するならば、ソフトクリームも、最終的にはゴミになるってことです。だから、お団子も、ソフトクリームも、わたしの考える「ゴミ税」の対象になってしまいます。飲食物そのものに「ゴミ税」を課すというのは、やや奇異なことに感じられなくもありません。しかし、わたしは、食べ物や飲み物にも「ゴミ税」を課すべきだと考えます。人間は食べなければ生きていけませんから、その結果として糞尿が出るのは仕方のないことです。それに対して「ゴミ税」を課すのは適当ではないとも思える。けれど、人間の糞尿であれ、工夫して処理すれば、下水処理に依存せずに活用できる可能性もあると思う。そうした努力やアイディアを促す意味でも、糞尿になる食品にさえ、一定の課税をしてもいいのではないか、そのようにわたしは考えています。わたしの考える「ゴミ税」では、排出されるゴミの種類によって税の金額が異なります。可燃ゴミか、不燃ゴミか、リサイクルゴミなのか、それぞれ別の枠組みで税を課すことになります。下水に排出されるゴミにかんしても、飲食物を含め、その処理の難しさや量に応じて、課税の金額を変えればよいのではないかと思います。◇つぎは不法投棄物です。不法投棄物は、不法に投棄されているのですから、自治体は(まだ)それを回収も、処分もしていません。場合によっては、そのような不法投棄物は、ボランティアの人々が回収することになるかもしれないし、そのまま自然界に埋もれていくかもしれない。その意味でいえば、不法投棄物は、自治体の処理にも依存せず、税金コストにも依存していません。しかし、だからといって、それが「ゴミ」の範疇に入らない、などという理屈は通りません。不法投棄物は、人間社会にも、地球環境にも悪影響を及ぼします。むしろ、そのような不法投棄に結びつきやすい商品には、大いに現状を改善する努力と工夫が必要だということです。したがって、そうした商品こそが、まさに「ゴミ税」の対象です。不法投棄は、直接的には、捨てる人間自身に非があることです。しかし、そのように言っても、問題はいつまでも解決しない。そして、事業者側に責任がないということではありません。たとえばデポジット制などのように、100%の自主回収をするための工夫や努力をすることで、そうした不法投棄が避けられるのならば、それを促すためにこそ、そうした商品は課税の対象になります。※現在、音楽惑星さんにお邪魔して、「斉藤由貴」問題について考えています。
2012.08.09
今日は、「ゴミとは何か」ということについて、一般的に考えてみたいと思います。ゴミは、たいていの場合、自治体が回収し、処分しています。つまり、わたしたちの税金で処理されています。わたしが、ゴミに課税すべきだと考える「第1の理由」は、ゴミ処理にかかる納税者の負担を減らしたいからです。残余物の処理を自治体が行なっている実態があるならば、そのようなものを排出する商品はすべて、わたしの考える「ゴミ税」の課税対象になります。◇ここで、スーパーの生鮮野菜の例を考えましょう。わたしたちが野菜を料理で使った後に、芯とかへたの部分とか葉っぱとか、使い残しが出る。いわゆる生ゴミです。しかし、人によっては、こうした部分を上手に使い切ってしまう人もいます。その場合、ほとんど生ゴミが出ないわけです。また、処理機を使ったりして肥料などにする人もいる。その場合も、生ゴミは出ません。つまり、同じ商品であっても、使う人によってゴミが出る場合と出ない場合がある。また、出るゴミの種類が違ってくることもあります。では、生鮮野菜には「ゴミ税」をかけるべきなのかどうか?結論からいえば、ゴミが出るかどうかは、結果から見るしかない。商品をどのように消費するかは、消費者の自由です。どのように使うか、どこまで使うかについて、事業者の側が決めることも、また期待することもできない。それが消費社会の現実だと思います。例えばレストランで食事をするときに、出された料理を残さず食べる人もいれば、「おいしくない」「お腹いっぱい」などの理由で、食べ物を残してしまう人もいます。残された食べ物、つまり残飯は、当然ながら生ゴミです。きわめて例外的なケースとしてならば、残さず食べることを強要するラーメン屋等もあるようですが、一般的に、消費者にそのような義務はありません。消費社会において、「ゴミとは何か」を決めるのは、原理的に消費者自身です。他人から見たらまだ使えそうな家具などを、「もう古いから」と言って捨ててしまう人がいる。まだ動く電化製品を捨ててしまう人だっています。マニアにとっては貴重な「お宝」なのに、別の人には「ただのゴミ」ということだって、珍しくはない。でも、それは仕方のないことです。それが消費社会です。それらをすべて含めて「消費行動」なのだと認識せざるをえない。購入した商品をどう使い、どこまで使うのかは、基本的には消費者の自由です。したがって、野菜の使い残しをゴミとして出すかどうかは、やはり消費者側の判断次第だと言わなければなりません。もちろん、このようなゴミについて、消費者側にも責任はあり、その処理について負担すべきです。事実、野菜の生ゴミを出してしまう人は、自治体の処理に委ねなければいけませんから、「指定のゴミ袋を買う」という時点で、すでにそれについての負担をしているといえます。野菜を上手に使いきって生ゴミを出さなければ、そのぶんだけ、指定のゴミ袋を買うコストも免れるわけです。さて、生鮮野菜に「ゴミ税」を課すべきか、ということですが、これはやはり課税しなければなりません。ゴミが出ているかどうかは、結果から見なければなりません。たしかに、野菜のゴミは、努力しだいで無くせます。その責任は消費者側にもあり、現実に消費者には負担があります。しかし、それでも、いまだ現状において、野菜の使い残しを自治体が処理している実態がありますし、そのように認められるかぎりは、生鮮野菜も、「ゴミ税」の課税対象でなければいけません。もしかりに、野菜の使い残しが、消費者側や事業者側の工夫によってうまく処理され、自治体の処理にはほとんど依存していないと認められるなら、そのときにはじめて、生鮮野菜は「ゴミ税」を免れることになります。というわけで、わたしの考える「ゴミ税」の理屈からすると、生鮮野菜も、鮮魚も、現状では課税の対象になります。もちろん、生活者の立場からすると、これはちょっとキツイけど。◇以上のことからも分かると思いますが、ここでわたしが定義する「ゴミ」というのは、事実上、自治体が処理している廃棄物のことを指します。それが第1の定義です。けれども、本当はそれだけでは済みません。次回も、「ゴミとは何か」についての続きです。
2008.07.11
これから、断続的に「ゴミ税」を考えていこうと思います。海外では、各世帯の住居面積にあわせて「ゴミ税」を課しているところもあるようです。広い家に住んでいると、高いゴミ税を払うんですね。日本では、市町村指定のゴミ袋が有料になっていますから、これが事実上の「ゴミ税」です。しかし、これらの「ゴミ税」は、いずれも消費者負担になっているわけですね。もちろん、ゴミ問題の責任は消費者側にもあると思う。だけれども、消費者側にのみ責任を負わせるだけでは、社会からゴミを減らしていく実効性ある方法にはなりません。事業者側の責任を考えること、つまり、メーカーや小売業者の負担の仕組みを考えることが、本当の意味で「ゴミを減らすための」有効な施策になるはずです。◇ゴミ税を考えるために、ここだけの特殊な概念を設定したいと思います。「良い商品」という概念と、「悪い商品」という概念です。これは、普通の意味での「良い/悪い」とは少し違います。わたしたちが商品の「良し悪し」を考える場合、「性能が良い」とか「健康に良い」とか「デザインが良い」とか、そういうことを問題にするのが普通だと思います。しかし、ここでは、そういうことは関係ありません。そういうことは、とりあえず、ちょっと横に措いてください。ここでは、ゴミの出ない商品が「良い商品」であり、ゴミの出る商品であればあるほど「悪い商品」ということです。だから、これは、ちょっと特殊な概念なのです。健康に良いかどうかとか、性能が良いかどうかとかは、とりあえず、ここでは無視してください。ひとつの例を挙げましょう。「ソフトクリーム」と「お団子」という二つの商品を比べてみます。結論からいえば、ソフトクリームは、かなり「良い商品」です。お団子は、ちょっとだけ「悪い商品」です。ソフトクリームは、アイスクリームを舐めるための食べ物ですけれど、「持つ部分」も食べられるのです。つまり、コーンの部分も食べることができる。だから、食べた後は、ほとんど何にも残らない。まったくゴミが出ない、とても工夫された「良い商品」です。お団子もなかなか工夫された食べ物ですけれど、食べた後に「串」が一本残ってしまいます。串は木でできているので、自然界で分解されますが、投棄したりすれば、転んだ子供に刺さったりする危険もあるので、やはりきちんと「回収」して、後に「処分」しなければなりません。「回収」と「処分」は、通常、自治体が行なっています。つまり、わたしたち自身の税金が使われています。だから、お団子は、ちょっとだけ「悪い商品」なのです。しかしながら、お団子は、あと一歩、あとほんの少しの工夫をするだけで、ほぼ完全に「良い商品」になれる可能性をもっています。その方法はいくつかあります。1.串を食べられるようにする。 串をポリポリ食べられるようにすれば、 お団子からはまったくゴミが出ません。 したがって、ゴミの回収や処分にかかる税金は必要ありません。 そうなれば、これ「良い商品」です。2.投棄されても問題のない串を作る。 串は自然界で分解されますけれど、体に刺さる危険がある。 そのような危険性のない串を開発し、、 自然界で容易に分解される串を作ることができれば、 その串はもう「ゴミ」と認識する必要はないと思います。 ゴミの出ない商品として認定してもかまわないと思われます。3.事業者自身が、串の回収と処分をする。 メーカーや小売店が、ほぼ100%の串を回収し、 それを自らの負担で処分、またはリサイクルできるような、 そのようなシステムを作ることができるなら、 もはや串の処理のために自治体が手間をかける必要がありません。 したがって、その場合も、 お団子は「良い商品」だとみなして構わないだろうと思います。◇もうお分かりだと思いますが、「良い商品」にはゴミ税は課されません。「悪い商品」にのみ、ゴミ税が課されるのです。そして、その「悪い商品」から出るゴミが、可燃ゴミなのか、不燃ゴミなのか、リサイクルゴミなのか、その種類によって、つまり、自治体がゴミ回収処分にかけるコストの違いによって、税の金額は異なります。その金額は、商品そのものの価格には直接比例しません。極端に言えば、100円ぐらいの商品であっても、そのゴミの処理に1000円のコストがかかるのだとすれば、その商品には1000円のゴミ税が課されるということです。そんなのは当たり前だと思います。つまり、「ゴミ税」というのは、そのゴミを処理するために、わたしたちが一体どれだけの税を負担しているのか、そのことによって課され、また、そのことに比例するのです。ゴミの処理には、「回収」と「処分」の段階がありますが、そのどちらかだけでも事業者が負担する場合は、税負担も、その分だけ半減されます。このゴミ税は、結果的に消費税の形をとります。一般的な消費税というのは、商品の価格に対して一律10%とか20%とかいう形をとる。けれども、このような税の課し方では芸がありません。大事なことは、現在のわたしたちの社会が、どのような商品であることを望むのか、企業に対してどのような努力を期待するのか、そうした社会の意思を、課税によって表現できる仕組みでなければならないのです。消費税は、文字通り、消費者が負担する税です。そして、通常の消費税においては、消費者が「買わない」という努力をしない限り、税を免れません。このような消費税は、財源を確保するために必要だとしても、課税の効果としては、景気を悪くすることにしかならない。ですが、ここでいう「ゴミ税」の場合には、企業が「ゴミを出させない」という努力をすることによって、消費者が税を免れ、事業者は安く商品を売ることができる。結果的にゴミ処理にかかる公的なコストも減らすことができる。財源を確保するだけでなく、課税じたいが色んな点で前向きな効果を促すことができます。ゴミが出ないような商品を作る努力をしている企業もあります。しかしながら、今のところ、企業がそういう努力をしても、たいしたメリットがないのです。だから、ほとんどの企業は、ゴミが出ることをほとんど考えもせずに勝手に商品を作っています。そして、売ったら売りっぱなしなのです。「ゴミの責任は消費者側にあるのだから」と高を括っているからです。しかし、これではダメなのです。企業がゴミの出ないような商品を作る努力をしたならば、そのことを、社会がその分だけ評価できるような仕組みを作らなければなりません。わたしは、これが本当のゴミ税であると同時に、本当の消費税なのではないか、と思っています。 ※現在、音楽惑星さんにお邪魔して、「斉藤由貴」問題について考えています。
2008.07.10
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