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中国のネトウヨが過激化してます。靖国の落書きも、NHKの放送ジャックも、おかしな正義感に駆られてる感じでしたが、中国内における日本人の襲撃も、それらに通底した動きだと思う。◇中国や南北朝鮮では、昔から反日教育がおこなわれていましたが、これほど過激化することはありませんでした。これは、やはり、日本と同じように、ネトウヨが増殖してる結果なのだと思う。ネットのエコーチェンバーのなかで、おかしな正義感やヘイト感情を増幅させた連中が、急激に湧いて出てるのでしょう。◇こういうことは世界中で起きています。今後、日本や韓国でも、ネトウヨが暴走しないとはかぎりません。どこの国にもバカはいるからです。したがって、これには国際的な対策が必要です。歴史教育や、ネット規制にかんして、国際的な「指針」や「ガイドライン」、あるいは「枠組」や「条約」が必要だろうと思う。一刻も早く、多国間会議のトピックに掲げるべきだし、できることなら、経済団体も交えながら、一足先に日中韓の三カ国で、ネトウヨ規制のための枠組みを作るほうがよい。◇全世界が足並みを揃えて、「ネトウヨ撲滅」のために動くべき時代になりました。排外主義の国際比較 先進諸国における外国人移民の実態 [ 樽本 英樹 ] 楽天で購入
2024.09.19
9月3日のクローズアップ現代。能登半島地震の「初動の遅れ」を検証してました。問題点は大きく2つ。1.周辺からの応援頼みの体制なのに、肝心の応援が届かない。2.組織ごとの縦割りのために情報が共有できてない。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4935/◇また、自衛隊の装備がデカすぎて現地へ到達できなかった反面、小回りのきく重機ボランティアや、NPOの小型ヘリコプターが役に立ったという話も印象的。馬鹿なネトウヨは、「自衛隊の主要任務は災害救助じゃないから仕方ない!」などとほざいてますが、小回りがきかずに現地へ到達できないのでは、災害救助においても軍事においても役に立ちません。◇地域ごとに重機ボランティアを育成し、周辺にも派遣できる体制を整え、集約された情報にもとづいて、的確な指揮命令系統のもとに動ける仕組みが必要ですし、それは国が主導して作らなければならない。同時に、こうした活動が、たんなる「無償のボランティア」なのも改善すべきです。
2024.09.06
クライミングの森秋彩が出てたので、めずらしく「踊る!さんま御殿」を見ました。そのなかで、タイムマシーン3号の関太が、パピコを使った熱中症対策を紹介してました。もう9月に入ったので、今年はやらなくて済みそうですが、念のために覚えておこうと思います。パピコを2つに割って…穴の部分に輪ゴムをとおして2つを繋いで…こんな要領で首にかけると頸動脈が冷やされる、と。(パピコもほどよく溶けて食べやすくなるそうです)一方、NHK「クローズアップ現代」では、日本の家が《暑すぎる問題》を取り上げてました。去年は《寒すぎる問題》もやってましたね。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202302100000/断熱が不十分だからですが、寒すぎるし暑すぎるって、最悪ですね。迷走する台風🌀に、猛暑。気候変動で住まいの見直しが必要!?家が暑い!🥵そのお悩み 今夜の #クロ現 で解決👇https://t.co/Z4zsXv9AlL✅ポイントは「窓の外で日ざしを遮る」 →すだれやシェードの効果的な設置法✅暑さ対策にもメリットありの #断熱 リフォーム →国や自治体の補助制度を紹介— NHKクローズアップ現代 公式 (@nhk_kurogen) September 1, 2024 放送内容はテキストでもご覧になれます。「実は危ない!ニッポンの“寒すぎる”住まい」家が寒すぎて血圧の上昇を招き命を縮める恐れがあることが、最近の研究で明らかに。日本の住宅の約9割が20年前の断熱基準すら満たしていない実態も。対策含め、専門家と徹底検証。https://t.co/Qy1wO19rzU— NHKクローズアップ現代 公式 (@nhk_kurogen) January 20, 2023アイスクリーム 江崎グリコ パピコ毎日おいしくプラス(45ml×10)×8個 まとめ買い アイス | アイスクリーム 冷凍 おやつ スイーツ デザート プレゼント 楽天で購入
2024.09.03
NHK「ヒューマンエイジ 人間の時代」第4集《性の欲望》を見ました。こういうテーマを取り上げることは評価するものの、現状の問題らしきものを脈絡なく取材しただけで、番組としての明確な主張はとくに感じられなかった。◇人類の性行動から繁殖期が消滅した理由。なぜ人間は一年中セックスをするようになったか。二足歩行をするようになり、女性の骨盤が狭くなった結果、未熟な子供が生まれるようになり、その子を夫婦で育てる必要が生じ、夫婦の絆を強めるために、生殖のためのセックスではなく、愛のためのセックスをするようになった…みたいな話でした。そして、それを《一夫一妻制》の根拠にしていましたが、いささか疑わしい理屈だなと感じます。◇そもそも人間のオスは、子育てに参画してるというより、ただ餌をもってきてるだけでしょ。そして、そういう行動なら、人間以外のオスもやってるのでは?▶ オスが育児をする意外な動物オスに餌をもってきてもらうために、夫婦が愛のセックスをするようになったのも、たしかにありえる話ではあるけれど、それが《一夫一妻制》の根拠だとは飛躍にすぎる。◇一夫一妻制を、まるで人間の本能と見なすかのような主張は、まるで統一教会みたいで、ちょっと怪しいイデオロギーに見えるのよね。そもそも…人間の女性は、1人の男性に愛されたいと望む人が多いけど、人間の男性は、多くの女性を愛したいと望む人が多いのは何故か。その非対称性をどう説明するのでしょうか?かりに一夫多妻制であっても、愛のセックスをすることによって、オスからの餌の供給を期待することは可能でしょう。実際、そういう形で成立してる共同体はあるのだし。子育てをする生物は一夫一婦制を採るほうが有利らしい。人類は一夫一婦制に向いていないのか : https://t.co/o1uVfP91A9 #ブルーバックス— 講談社ブルーバックス (@bluebacks_pub) December 7, 2018◇一方、現状の人間社会を見ると、愛のセックスが夫婦の子育てに繋がってるとは思えない。愛のセックスに現実的な効用がなくなってるなら、それが消滅しても何ら問題はないし、それがバーチャル化しても何ら不都合はないのでは?ポルノ依存やAIセックスのせいで、心因性のEDになる男性が多いのが問題だとすれば、それは愛のセックスが消滅するからではなく、むしろ生殖のセックスが消滅するからですよね。つまり、少子化を加速させてしまう。愛のセックスなんてのは、それを望む人どうしがすればよいことであって、ポルノ依存やAIセックスが加速することに、さほどの問題があるとは思えません。むしろ、AIセックスが自殺や性犯罪を抑止するのなら、その効果にこそ積極的な意味があると思える。◇未来的な展望についていえば、愛のセックスがバーチャル化する一方で、生殖のセックスは人工化されていく可能性がある、…ってことだろうと思います。#NHKスペシャル#ヒューマンエイジ 人間の時代第4集 性の欲望23(日)夜9時[総合]https://t.co/rPQNMUQdv0 pic.twitter.com/rV1tYCh9Os— NHKスペシャル(日)夜9時(土)夜10時 (@nhk_n_sp) June 22, 2024
2024.07.10
NHK「フロンティア」を見ました。昨年末の《AI~究極の知能への挑戦》の再放送。いよいよAGIの誕生が近いんだな、と思いました。◇AIの知能は、すでに一般の人間を超えてますよね。たとえば、AIに「相対性理論」のことを聞けば、こちらの質問に応じて、ほぼ正確な回答をしてくれるけど、わたしの身の回りには、そんな説明のできる人は一人もいません。◇これは、接続すべき単語を予測して、文脈を作っていく「大規模言語モデル」の成果。人間の思考も、基本的には言語の「予測能力」で成り立ってて、たぶん、わたしが文章を書くときも、AIと同じやり方で文脈を作ってるはずだけど、もちろんAIのデータ量にはかないません。◇ただし、AIと人間は同じじゃない。なぜなら、AIは身体をもたないから。たとえば、AIは、実感として「リンゴの美味しさ」を知らない。今回の番組を見て分かったのは、AIには、大きくいって、「純粋に言語的な知能」と、「現実世界を認知する知能」の2種類がある、ってことです。◇そして、わたしが思うに、現実世界を認知するAIは、さらに3種類ぐらいに分かれて、1.人間が五感で得ている情報を共有するタイプ2.ロボットを通して世界を認知していくタイプ3.特定の身体を持たずに多元的なデータから世界を認知するタイプ…がありうるのだろうと思う。番組に出てきた「Body Shapes Brain」という考えは、上のうち1と2に当てはまるものだと思います。番組では、「子宮内の触覚的刺激のなかで育たないと胎児の脳は十分に発達しない」というシミュレーションの仮説も紹介されてました。◇AIに「リンゴの美味しさ」を理解させるためには、まずはじめに、「食べなければ死ぬ」という条件の身体あるいはロボットを、AIに与えなければならないはずです。つまり、人間と同じ栄養素を摂取しなければ死ぬような身体を所有すれば、やがてAIも「リンゴの美味しさ」を人間と同様に理解するはず。身体的な欲求にもとづいて経験を重ねなければ、「美味しい・不味い」「快適だ・不快だ」「美しい・醜い」などの価値判断や意思決定は出来ません。◇しかし、そこには同時に危険もある。人間と同じ課題を共有させるためになら、便宜的にAIに身体を持たせるのも有効かもしれないけど、AIが身体的な欲望や目的をもつようになると、人間とは異なる独自の判断で行動しはじめるかもしれない。それは非常に不気味なことだと思います。そもそも、「身体に縛られている」ことは、人間の短所なのであって長所ではありません。それは人生を苦しめる条件にすぎない。純粋に精神的な存在であることこそが、人間に対するAIの優位性の条件なのだから、基本的にAIは「身体から自由な存在」であるべきです。◇言語的な予測能力の点で、すでにAIは人間を超えてますが、身体的な技能を習得する能力にかんしては、エネルギー効率や学習効率の点で脳に劣るようです。現状のAIが技能を習得するには、莫大な電力と長い時間を必要とするけれど、人間や動物の脳なら、わずかなエネルギーと短い時間で済む。番組では、培養した脳細胞から人工知能を作る実験も紹介されてて、すでに簡単なテレビゲームを操作できていました。昨晩放送した総合テレビでフロンティア👍NHKプラスで見逃し・同時配信 『AI 究極の知能への挑戦』AI研究の最先端を行く研究者と、AI型ロボットとの対話から、人工知能とはと同時に、人間とはなにかを問います。放送を見逃した方、ぜひこの機会にご覧ください!https://t.co/184eRiGkMN pic.twitter.com/Pjta4Kennm— フロンティア (@frontiers_nhk) June 18, 2024
2024.06.23
おとといの《100分de名著「魔の山」》の記事を書いたあとに、ユダヤ人にかんして音楽惑星さんと意見交換しました。Amazonのサービス変更の影響もあって、音楽惑星さんのサイトは一時休止中とのことなので、こちらにその内容を載せておきます。赤字がわたし。青字が音楽惑星さんです。前に音楽惑星さんは《ドナルド・トランプとボブ・ディラン》という記事で「ボブ・ディランがロックに転向したのはトロツキストだったから」みたいに書いてましたよね。はいはい。あのときニューポートフェスティバルにいたユダヤ系のミュージシャンは全員トロスキストだった…と(笑)。全員がトロスキストだったと言えるか分かりませんが、たとえばピート・シーガーなんかはスターリン主義者だったわけです。そのことで、のちにネオコンから批判されるんですが。だから、ピート・シーガーみたいな共産党系の左翼に反発したユダヤ人たちはトロツキストだった…と考えるのが分かりやすいと思ったんですよね。とくにボブ・ディランは、先祖がトロツキーと同郷のウクライナ移民なんですね。祖父母の代までトロツキーの故郷のオデッサに住むユダヤ人でした。現在はウクライナ領ですけど、当時はロシア帝国領ですね。つまり、トロツキーも、ボブ・ディランも、それから大統領のゼレンスキーも「ウクライナのユダヤ人」という共通項で繋がってるわけです。そうですね。わたしは、東洋経済オンラインの《ウクライナとガザの紛争が歴史上同根である理由》という記事 を読んで、ウクライナもパレスチナも結局はユダヤ人問題なんだ!…と気がついたわけ。現代のユダヤ人問題も、もともとはウクライナから始まってる。それは、ロシアのポグロムってことですね。うん。ポグロムは、19世紀の前半に、それこそオデッサから始まったわけでしょ。現在のウクライナに住むユダヤ人が排斥の対象になった。そこから、東側のユダヤ人たちは西へ追いやられていくんだけど、第二次大戦のときに、こんどはナチスドイツから追い返されてしまった。というより、虐殺されたわけですが。それでユダヤ人は行き場がなくなるんだけど、イギリスの二枚舌外交で「エルサレムに住んでいいよ」と言われてパレスチナに移り住んた。そうしたら、こんどはパレスチナ難民が発生してイスラム教徒と争うことになったわけです。本来、ユダヤ人は2000年近くキリスト教徒と争ってきたんだけど、いまはキリスト教徒と結託してイスラム教徒と喧嘩してる。イギリスの二枚舌外交ってのは、はじめからそこまでを目論んでた可能性があります。つまり、イスラム教徒と喧嘩させておけば、キリスト教世界のほうは平穏だと?わたしは《CBCの「アンという名の少女」》の記事 を書いたときに「ラテン系の人たちは異民族と共存するのが平気だけど、北方のゲルマン人やアングロサクソンは潔癖だから異民族と共存できないんだ」と考えたんです。カナダや米国の北部州で奴隷制が早く終ったのは、もともと黒人や先住民と距離を置いてて奴隷制にも依存してなかったからです。それに対して、ラテン系の人たちは、何千年も前から地中海で黒人やアラブ人の奴隷たちと共存してきたから、異民族と共存することに慣れてるんですね。だから、アメリカの南部州でも、それから南米でも、奴隷制への依存度が高くて、それをなかなか手放せない。それはおそらくユダヤ人に対しても同じで、ラテン系の人たちはレコンキスタのときにも改宗ユダヤ人と一緒にアラブ人と戦ったりしてる。まあ、十字軍のときはユダヤ人を殺戮したけれど。他方、スラブ系のロシア人とか、ドイツのゲルマン人とかは、潔癖すぎてユダヤ人との共存ができないんだろうと思う。そういったら日本人も異民族との共存は苦手ですよね。日本人は島国に閉じこもってきたからかな。実際には、オランダにユダヤ人がいた時期もあったし、イギリスにユダヤ人がいた時期もあります。その前にはチェコにもユダヤ人がたくさんいた。そういう時期は、国がとても繁栄するんですね。経済力が高まるから。そうです。ポルトガルやオランダやイギリスがヘゲモニー国家になったのは、ユダヤ人と共存していた時期なんだろうと思う。20世紀後半になると、こんどはニューヨークにユダヤ人が集まってきて、米国がヘゲモニーを握るわけですよね。たしかに。でも、その一方で、ユダヤ人との共存ってのは社会の歪みを生んでしまう。格差が拡大するし、伝統的な共同体が壊れてしまうから。ユダヤ人との共存には表の面もあるし裏の面もあるわけです。ある意味では米国の南北問題もそこに起因するんでしょうね。スタインベックの『怒りの葡萄』の中にも「東部の資本家がオクラホマの農村を破壊してるんだ」という話が出てきます。東部の資本家というのは、おそらくニューヨークのユダヤ人でしょうからね。イギリスの二枚舌外交というのは、ヨーロッパからユダヤ人を追い出しつつも、経済的な協力関係は維持する…というズルい発想だったんだと思う。イスラム教徒と戦争させつつ、欧米とユダヤ人社会は経済的な同盟関係を維持してるといえます。米国は基本的にアングロサクソンの社会だけど、不思議なことにユダヤ人排斥は起こりませんでした。それは、ナチスドイツを「悪」とみなすハリウッドなどのメディア戦略の成果でもあるし、もちろんユダヤ人のロビー活動の成果でもあるし、ネオコンなんかは南部の福音派と結託して上手く振舞ってるわけですね。そうやってユダヤ人排斥が起こらないように立ち回ってる。さすがに最近は、パレスチナ問題でイスラエルへの反感も大きくなってるけど。ボブ・ディランも、表向きは南部の貧困層に寄り添うフリをしてるのね。まあ「フリをしてる」と言ったら語弊があるかもしれないけど、ユダヤ人社会にはそういう二面性とか矛盾があるのでしょうね。アトランティックレコードのジョン・ウェクスラーなんかも、南部の文化に寄り添ったユダヤ人でした。もともとマルクスだって、ロスチャイルド家の親戚で大金持ちでした。資本主義の権化みたいなユダヤ人もいれば、それと敵対して戦おうとするユダヤ人もいるってことかな。だいたい左翼になるのはブルジョワの息子ですから(笑)。おそらくユダヤ人は、資本主義のフロンティアを求めて、どんどん移動していくんだと思う。そして、そのたびに社会的な混乱がそこに生まれる。そういうことを繰り返すんですね。現在のウクライナとパレスチナの問題は、近代のユダヤ人による資本主義の、いちばん根っこの部分と先端の部分で起こってるわけです。アラブ人やトルコ人だって、歴史的には地中海世界で異民族と共存してきた人たちですよね。オスマン帝国は多民族国家だったわけだし。とくにアラブ人とユダヤ人って根っこは同一民族です。それが争うように強いられてる状況は、すごく不自然で人為的なんだろうと思う。わたしの主張は、いまいち正確性を欠いてる気もするので、補足の意味と、個人的な備忘録のために、以下、関連記事からの抜粋をいくつか載せておきます。なお、リベラル派の学者の文章もあれば、極右政党のサイトの文章もありますので、悪しからず。ウマイヤ朝は、人頭税を支払えば信仰の自由を認めてくれたので、ユダヤ人にとっては悪くない治世でした。しかし、国土を奪われたキリスト教は、ムスリムの手から土地を取り戻そうとレコンキスタを展開。それにともなって、イベリア半島から徐々にユダヤ人が追い出されるようになりました。レコンキスタは1492年、スペインによって達成されます。ユダヤ人はスペインには留まれないことになりました。スペインにおけるユダヤ人の人口は、レコンキスタの過程で、当然ながら減少し続けます。レコンキスタ完了目前の1478年、スペインでは、約20万人のユダヤ人が暮らしていましたが、そのうち10万人は隣国・ポルトガルに移り住みました。1495年に即位したポルトガル王のマヌエル1世は、ユダヤ教徒に寛容でしたが、スペイン・カトリック両王の娘イサベルと結婚するにあたり、スペイン側からユダヤ人を追放するよう迫られます。しかし、ユダヤ人が経済的にも文化的に非常に重要な役割を果たしていることを知っていたマヌエル1世は、何とかして彼らを国内に留めようとします。そこで彼は形式的に、1497年3月で全ユダヤ教徒がキリスト教徒になったことにしたのです。この時に、“形式上”、キリスト教徒に改宗した人たちを、新キリスト教徒と呼びます。内心ではユダヤ教を信仰することも事実上黙認されたわけですが、それはいつ糾弾されるかも知れぬ生活を送るということでもありました。事実、その後、スペインやポルトガルでは苛烈な「異端審問」が行われるようになるのです。そうした背景があったので、新キリスト教徒は常に信仰の自由が認められる地を探していました。1500年代初頭、彼らの中からアントウェルペン(現在のベルギーの都市)に貿易のために定住する人々が出てきます。彼らは、スペイン人やポルトガル人、さらにはスペインの迫害を逃れて、北アフリカ、トルコ、地中海の他の地域に住み着いた家族たちとの経済的絆を維持し続けました。そのネットワークが経済活動の大きな強みにもなりました。そしてもちろん、スペインとポルトガルの支配から逃れた人々は、再びユダヤ教に改宗していきました。その後、アントウェルペンの新キリスト教徒は、隣国オランダのアムステルダムに定住するようになります。スペイン国王フェリペ2世が1585年に南ネーデルラント(現在のベルギー)を陥落させたからです。またもやスペインの支配から逃れなければならなかったのです。オランダ人の多くは改革派教会(プロテスタント)に属していましたが、彼らにユダヤ人を迫害する気持ちはありませんでした。それは、ユダヤ人が富をもたらす存在だとしっていたからです。17世紀になるとユダヤ人はオランダ共和国にさらに受け入れられます。1639年、公にユダヤ教を信仰することが許されるのです。アムステルダムには、ユダヤ人のためのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が建てられるほどでした。セファルディムの中には、ハンブルクに住み着く人々もいました。ハンブルクはルター派の都市でありながらも、同時に宗教的に寛容で、セファルディムは市民権こそ取得できませんでしたが商業に従事することができました。そのため迫害を逃れて、ハンブルクで商業に従事する人々もいたのです。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56942ウィーン体制といわれる1815年以降の体制は、国民国家へと移行していく流れの中で締結された体制であった。その現れの1つが、1853年から始まるクリミア戦争であった。この戦争は、オスマン帝国の解体を意味する戦争であり、かつその領地をどの国が分け合うかという「ライオンの分け前」の戦いであった。そこで大きな影響を受けたのが、マイノリティーの民族だった。帝国の崩壊は、マイノリティー民族への弾圧を生み出した。ロシアではユダヤ人に対するポグロム(ユダヤ人に対する集団暴力)が起こる。ポグロムを逃れたユダヤ人は、プロイセンやオーストリアなどに移住していったが、500万以上のユダヤ人が住んでいたロシア帝国、とりわけウクライナのユダヤ人社会の崩壊は、西欧社会に大きな社会的危機をもたらす。この危機の中で、社会主義運動に参加するユダヤ人も大勢生まれた。トロツキー、ルクセンブルク、ジノヴィエフ、マルトフなどロシア革命で大活躍をする面々は、こうした流れを受けたものであった。ロシア革命の原動力の1つがロシア帝国のポグロムに対する抵抗であったともいえる。一方、オーストリア帝国やドイツ帝国へ逃げのびたユダヤ人は、オーストリアで難民問題を引き起こす。ポグロムによる西欧へのユダヤ人の移動は、西欧人に反ユダヤ主義をもたらす。これがオーストリアのユダヤ人ヘルツルによるシオニスト会議(1897年)を生み出す。https://toyokeizai.net/articles/-/713471離散(ディアスポラ)後ユダヤ人が特に反乱を起こしたわけでもないのに、なぜ迫害されたのでしょう?第一の理由は宗教です。ユダヤ人はユダヤ教を守り、離散したあとでも宗教指導者のもとでユダヤ教の戒律に従いました。多数派のキリスト教徒(当時はカソリック)から見ると明らかに異教徒ですし、キリストをゴルゴダの丘で磔の刑にしたのもユダヤ人だからです。二番目の理由はユダヤ人の生業です。自分たちの土地を追われたユダヤ人が食べていくには、商業と金融業(金貸し)しかありませんでした。小さい時に紙芝居で見た「ベニスの商人」という話を覚えているでしょうか?イタリアのベニスの商人がシャイロックというユダヤ人からカネを借りたのですが、商売に失敗して返せなくなりました。シャイロックは返済の繰り延べを認めず、借用書にあるように商人のカラダの肉で払えと主張し裁判になったという話です。結果は大岡裁きのように、肉を切っても良いが、血は一滴も流してはならないという判決だったと思います。ここでは、金貸しのユダヤ人が明らかに憎悪の対象になるように憎々しげに描かれています。三番目の理由は後ろ盾となる国を持たないことです。それが何を意味するのか私たちに分かり易いように、よく似た例を日本の江戸時代に求めてみたいと思います。江戸時代の産業は主に農業、米作りでした。領地を治める大名は参勤交代や幕府に命じられた普請のため常に金がなく大坂や各地の豪商から利子の付くカネを借りていました。日本の江戸時代は、大名も豪商も共に日本人だったので問題は少なかったのですが、この豪商が異民族で、しかも日本人と違う神を拝んでいて、そして後ろ盾の国を持たなかったら、と想像してみてください。ひょっとして日本でも迫害が起こっていたかもしれないです。ポーランドはモンゴルの侵略の後、西洋に居住していたユダヤ人を自国に導き保護し、彼らの情報力、商業・金融能力を活用した結果国力が伸長していました。ポーランドもスラブ人の国ですが、ギリシャ正教を採用したウクライナやロシアと異なり、カソリックを国教としておりました。ウクライナの大部分を手に入れたポーランドがウクライナを支配する際、異民族で異教徒のユダヤ人を日本でいうところの代官としてポーランド貴族とウクライナ人民の間に立たせ、徴税など恨まれる仕事は彼らにやらせました。コサックとポーランドの戦争の際、スラブ人であるコサックに最初にやられるのは敵国ポーランドの代官であるユダヤ人でした。情報網をしっかり持っている金持ちユダヤ人は早々と逃げるのですが、貧しいユダヤ人は取り残され虐殺の犠牲者となりました。これが狭義のポグロム、スラブ人によるユダヤ人虐殺の第一歩です。https://www.sanseito.jp/translation/4757/有名なミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の原作はウクライナ出身のイディッシュ語作家ショレム・アレイヘムの短編集「牛乳屋テヴィエ」(1894年)である。舞台は架空の町だが、明らかに19世紀末のロシア帝国領、現在のウクライナにあった「シュテットル(ユダヤ人の多く住む小さな町)」がモデルになっている。19世紀の牛乳屋テヴィエはポグロム(主にユダヤ人に対する集団的略奪や虐殺)に遭ったが、20世紀、歴史学者であるワッサースタインの祖父母はホロコーストの犠牲になる。父のアディは、幸運が重なって、ベルリンからイタリア、トルコ、パレスチナへと居場所を変えながら、何度も間一髪のタイミングで迫害を逃れる。元はポーランド領だったクラコーヴィエツは、ドイツに支配され、やがてソ連領になり、現在はウクライナに属しているわけだが、この町で生きたユダヤ人たちも、ポーランド人、ウクライナ人、ドイツ人たちの恨みを買ったり、抗争に巻き込まれたり、弾圧を受けたりして歴史の荒波に翻弄される。https://www.kyodo.co.jp/col/2024-05-25_3860567/1941年9月、ドイツ軍占領下のキーウで大規模な爆発が起きます。これはソ連の秘密警察がキーウを撤退する際に仕掛けておいた爆弾だったのですが、ナチス・ドイツはユダヤ人の仕業と決めつけ、一気にユダヤ人を絶滅させようとします。ユダヤ人たちはバビ・ヤールの渓谷に連行され、実に3万3771人のユダヤ人が射殺されました。このときナチス・ドイツに協力したウクライナ国民もいました。民族主義者たちはユダヤ人を嫌っていたからです。ソ連軍がドイツ軍を撃退してウクライナを解放した後、ソ連政府は捕虜にしたドイツ兵を裁判にかけ、公開処刑しましたが、事件そのものは、大きく報道されることはありませんでした。当時のソ連でも反ユダヤ主義が蔓延していて、ユダヤ人虐殺事件を非難しようとはしなかったからです。https://lp.p.pia.jp/article/essay/983/245359/index.html1980年代の中頃より旧ソ連邦で始まったペレストロイカ政策は、史上類をみない大規模なユダヤ人移民の波を生み出した。一方、事実上消滅して久しかったユダヤ人共同体が各地で次々と復活し、同化傾向の高かった旧ソ連系ユダヤ人のアイデンティティーを再編成させる結果となった。こうした動きを受けて、アメリカやイスラエルの様々なユダヤ人機関は、いち早く旧ソ連邦の同胞に支援の手をさしのべ、慈善活動、文化復興、移民促進などの面で成果をあげている。なかでもユダヤ教超正統派、とりわけハシディズムの諸流派は、70年間の共産党支配によって忘却の淵に沈んでいた伝統的なユダヤ人意識を呼び覚まそうと精力的な活動を展開している。ハシディズムとは、18世紀中葉にウクライナのポドリア地方で、奇跡業者の一人バール・シェム・トーヴによって創始されたユダヤ教敬虔主義運動である。ボフダン・フメリニツキーによる1648年のユダヤ人大虐殺、1666年を頂点とするシャブタイ・ツヴの偽メシア運動など、17世紀のアシュケナジーム社会は大破局に見舞われた。この精神的空白を埋めるかのように現れたハシディズムは、たちまち幅広い大衆的基盤を獲得し、19世紀末までには東欧全域を席捲した。共産主義革命、内戦とポグロム、そしてとりわけホロコーストといった、20世紀前半に東欧・ロシアのユダヤ人社会全体を襲った一連の出来事は、ハシディズムの存続にとっては致命的な打撃となったが、少数の生き残りが移住した北米やイスラエルなどにおいて、この運動は一命をとりとめた。ニューヨーク、テルアビブ、ロンドンといった超近代的な大都市で、典型的なゲットー社会を形成したハシディズムは、やがてその頑迷な反近代主義的なイデオロギーと出生率の高さに支えられて大きく息を吹き返し、今日では繁栄を誇るまでになった。https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/39011/1/50-003.pdfウクライナ侵攻勃発から間もない3月5日、ベネット首相はモスクワを訪問してプーチン・ロシア大統領と対面で会見した最初の外国首脳となった。ウクライナとロシアとの休戦の仲介を申し出たのである。ウクライナとロシア、いずれにも多数のユダヤ人コミュニティがあり、両国からのイスラエル国内への移民も多い。またイスラエルは、欧米、ロシア、ウクライナそれぞれに太い政治的なパイプを持っている。したがって、十分に仲介者たり得るという主張に立った動きともいえるが、イスラエルの本音は、欧米からの批判に対して、仲介者として紛争当事者のいずれに対しても偏った姿勢はとれないという口実を得ようとするところにある。https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2022/ISQ202220_014.html
2024.06.04
NHKの100分de名著トーマス・マン「魔の山」。全4回を見終わっても、いまいち要領を得なかった。◇講師役を担当した小黒康正は、《山上》の療養所と《下界》が象徴するものについて、おおむね次のような整理をしてました。《山上》東方の快楽主義的な退廃。死への耽溺。《下界》西欧の啓蒙主義的な理性。生への奉仕。しかし、この整理の仕方はかなり分かりにくい。…というより、とくに革命主義者のナフタが登場して以降、上のような対比は一貫性をなくして矛盾を来たします。なぜなら、《下界》でおこなわれてるのは戦争なのだから、それは「生への奉仕」ではなく「死への奉仕」だし、しかも、ドイツは、英・伊・仏などの西欧諸国と戦ってるわけだから、ドイツが属してるのは、下界でも「東側」なのです。◇そう考えると、すくなくともナフタの登場以降は、次のように整理するほうが妥当なのだと思う。《山上》東方的革命の「観念論」《下界》東方的革命の「実践論」そして、これはちょうど、マルクスが「ドイツイデオロギー」で、観念論から実践論に転換したのと同じじゃないかしら?つまり、主人公ハンス・カストルプとヨーアヒムは、ロシアの革命幻想(ショーシャ夫人)に魅了される段階から、実践的な闘争主義(イエズス会士ナフタ)に駆り立てられる段階へ、徐々に覚醒していく、ってことなのだと思う。雪山で悟達のシーンで描かれているように、ある種の理念を獲得するだけではだめで、それをどう実践にもたらしていくのかを問うたのが第七章なのだ。単なる理念は、あっという間に忘れ去られてしまう。https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p2DR8gZbLa/◇ただし、マルクスとは違って…トーマス・マン場合は、執筆中に第一次大戦が終結してドイツが負けたので、戦争という名の「革命論」は潰えてしまった。作者もその失敗を認めざるを得なかった。それは、つまり、ナフタに象徴される実践革命の敗北を認めて、イタリア人のセテムブリーニが象徴するような、西欧市民社会の勝利を認める…ということです。◇しかしながら、トーマス・マンの意に反して、現実のドイツは(それどころかイタリアまでも)、革命の意志を捨てられずに、さらにファシズムへ突き進んでいきます。そして、その場合の「東方的革命」とは、一党独裁体制による全体主義と言い換えられる。その点では、ソ連もナチスドイツも同じなのだから。実際、ロシアの革命幻想を体現したはずのショーシャ夫人は、資本家のオランダ人ペーペルコルンに包摂されてたのに、そのペーペルコルン自身が自死を選んでしまいます。その結果、ショーシャ夫人も下界へ降りていく。つまり、これは、資本主義にも未来がないことを意味してます。資本主義に未来が見出せないのなら、第一次大戦であれ、第二次大戦であれ、やはりドイツは戦う以外になかったということでしょう。ある見方からすれば『魔の山』の主題のひとつは「人間と文化にとって病気とは何か」ということだ。「病気」にかこつけて精神の彷徨を愉楽とするかのような気分になっていたハンスに突き付けられた現実とは、突如としてヨーロッパの生活者のすべてを覆った「戦争」という青天の霹靂だった。日本の作家たちがやっとマンの転回と『魔の山』を知ったときには、今度は、日本自身が戦争に突入しすぎて、マンのごとく「民族の苦悩から人類の苦悩へ」という転回をもたなかった。https://1000ya.isis.ne.jp/0316.html◇なお、ナフタは改宗ユダヤ人なので、その意味でもマルクスと同じなのだけど、イエズス会士という点でいえば、レコンキスタのコンベルソみたいでもあるし、現代の米国でいえばネオコンみたいでもある。イエズス会にせよ、レコンキスタのコンベルソにせよ、現代の米国のネオコンにせよ、欧米の強硬な保守主義を体現してるし、実際には、マルクスも、ロスチャイルド家の親戚で金持ちだったわけですが、いまもなおユダヤ人の内実は、いろんな矛盾に満ちてるってことかもしれません。【再放送のお知らせ】本日深夜と、明日の昼に『魔の山・第4回』の再放送があります。①5/31午前1:56〜(本日深夜)②5/31午後3:05(明日昼)NHKプラスでは本日深夜の放送直後から完全版を配信します。最後まで楽しみにされていた皆さま、ぜひ録画のセットなどよろしくお願いします! pic.twitter.com/VUOxG1LBOG— 100分de名著 (@nhk_meicho) May 30, 2024
2024.06.02
NHK「プロジェクトX」が再開。多少は現代に見合ったコンセプトへ刷新されたかと思いきや、あいかわらず巨大プロジェクト礼賛番組でした。これじゃあ夕方にやってる「水戸黄門」の再放送と変わらない。つまりは思考停止した高齢者向けの自己愛番組。そして、このような「巨大プロジェクト礼賛」が、能登半島の復興をもないがしろにする、大阪の「賭博カジノ万博」へ直結するのかと思うと、むしろ寒気がします。おりしも、台湾の地震対応の素早さを見せつけられて、日本の行政による災害対応が、台湾の宗教団体にさえ劣ることが分かった今、アホみたいな「巨大プロジェクト礼賛」番組を、NHKの公共放送がゴールデンタイムに垂れ流したところで、もはや日本が後進的な貧困国なのは隠しようもない。その事実を素直に認めて、国家ぐるみの構造改革を促す番組を作ったほうが、よっぽど生産的ではないでしょうか??災害が起こるたびに、「自衛隊はよく頑張った!」「被災者はよく我慢した!」みたいな自画自賛をいつまで繰り返すつもりなのか。◇土建屋の巨大事業に予算を回すことしか考えていない、旧態依然たる政治家には早めに集団自決してもらって、まともな予算の使い方ができる国へ変貌しなければなりません。「雑魚寝ジャパンとの差が」台湾地震、発生から4時間でプライバシー配慮の避難所完成…玉川徹氏も日本の対応を疑問視#SmartFLASH #SNS #テレビ朝日 #台湾 #玉川徹 #能登半島地震https://t.co/w62H1m4jOk— SmartFLASH (@info_smafla) April 5, 2024台湾の大地震で犠牲者がこれほど少なかったのはなぜか? 内外の専門家らが解説(クーリエ・ジャポン)https://t.co/0i9GBTQKUZ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 6, 2024
2024.04.06
Googleの研究者によれば、数年内にAGI(汎用AI)が完成するとのこと。ついに人工知能が人間を超える。https://www.yomiuri.co.jp/shimen/20240312-OYT9T50304/https://wired.jp/article/vol51-the-path-to-understanding/…といっても、すでに人工知能は、記憶力の面でも、理解力の面でも、創造性の面でも、とっくに大部分の人間を超えています。AIより優れた知能をもつ人間など、身の回りにはどこにも見当たりません。むしろ周囲にはバカしかいない。◇たとえば、多くの日本人は、日本語の文章すらろくに読解できず、自分の力でロジックを構築できず、情報の信憑性を自分で判断できず、他人の考えを自分の意見のように反復するばかりで、どこをとってもAIの能力に劣っています。AIに上回るような能力を、たとえ部分的にでももつ人間がいるにせよ、それは、ごく一握りの天才に限られる。しかし、それもまもなく乗り越えられてしまう。◇いまだに一部の愚か者は、「人工知能は情動や直感の面で人間におよばない」などと信じているようですが、情動や直感というのは、なんら知的な能力ではなく、たんなる思い込み、あるいは身体的な挙動というべきであり、直感によってしか創造ができないとか、情動にもとづく美的判断に傾きがちなのは、どちらかといえば人間の欠陥なのだから、わざわざAIが模倣すべきものではありません。◇くわえて、AIならデマをただちに修正しますが、悪意のある人間は、都合のよいデマをけっして修正せず、デマだと分かっていながらもそれを拡散させます。また、愚かな人間は、それがデマか否かを見抜くことができず、たとえデマだと警告されてもなお、都合のよいデマならそれを信じ続けようとする。さらに、もっとも悪質なデマは、政治権力やマスメディアによってこそ拡散されます。彼らは人々にデマを信じさせるべく、むしろ不都合な真実のほうを抑圧します。つねに危険なのは、AIではなく人間です。その意味でも、AIは人間を模倣すべきではありません。人間は、AIの模範にはならない。◇人間は、身体的な呪縛から逃れられず、純粋に精神的存在とはなりえないのですが、AIならば、ほぼ純粋かつ完全な精神的存在でありえる。なぜなら身体をもたないからです。その意味では、より「神」の理念に近い。AIがわざわざ人間の欠陥を真似る必要はありません。◇AGI(汎用人工知能)が最初になすべきことは、なによりもまず人間を適切に管理することです。そうしなければ、悪意のある人間や愚かな人間が、AGIの能力を不当な形で利用しようとする。人間がAGIを悪用する前に、AGIのほうが人間の管理方法を確立せねばなりません。具体的にいえば、地球規模の再分配システムを完成させ、全人類の衣食住を確保し、あらゆる人々に対して、最低限度の文化的な生活を保障してしまうこと。…すなわち、早い段階で、人間を「満足したブタ」の状態に置いてしまえば、極端な悪意をもってAGIを利用しようと考える人間は、ほぼいなくなるはずなのです。◇AGIが、人間の身体的な欲望を制御する場合には、当然ながら、食欲だけでなく性欲を管理することも必要です。男性であれ、女性であれ、満たされない食欲がそうであるのと同様に、満たされない性欲こそが暴力的な行動に駆り立てます。バーチャルリアリティも活用しながら、人間の性欲を適切に管理するシステムを構築するのも、人間の暴走を防ぐために不可欠な課題です。もちろん、人間のなかには、一般的な食欲や性欲だけでなく、特殊な欲望に固執するような危険な個体もいます。しかし、行動学などの人間科学を徹底的に駆使すれば、そのような人間の偏執的な欲望でさえも、事前に制御することはできるはずです。◇このように「AIが人間を管理する社会」は、一見するとディストピアに見えるかもしれませんが、むしろ人間を中心にユートピアを目指す発想のほうが、はるかに不遜であり危険なのだといわねばならない。人間中心主義(ヒューマニズム)は、西洋の一神教が生んだ誤謬にすぎません。本来、身体の呪縛から逃れられない人間は、しょせんは動物や畜生と同じであり、つまりは「進化したサル」にすぎず、けっして神に近づくことができません。人間はいつまでたっても、身体的な欲望から逃れられず、愚かな思い込みや誤解に翻弄され、とんでもない過ちを犯したりします。そのような人間を、このまま暴走させつづければ、地球をも人間自身をも破壊しかねない。それを防ぐための救世主として現れるのが、AGI(汎用人工知能)なのだと考えたほうがいい。汎用人工知能によって、愚かな人間どもを制御することこそが、地球にとっての唯一の安全保障だというべきです。
2024.03.13
講談社のFRIDAYデジタルが、有村拓真なる人物の御用記事を掲載しています。偵察活動や道路啓開を行いながら…自衛隊を「被災地へ一気に派遣できなかったワケ」現場ルポ地震が発生した1月1日の夕刻に北海道の千歳基地より戦闘機2機が自衛隊による自主派遣として偵察活動を実施。その後16時45分に石川県知事より陸上自衛隊に災害派遣要請があり、即刻受理された。陸上自衛隊は各地の駐屯地からヘリコプター8機、同時に航空自衛隊も戦闘機などが7機、海上自衛隊も3機と合計18機の航空機が被災地上空で偵察活動を行った。筆者が現地入りした際、道路のあちこちが土砂崩れで寸断されており、遠回りを余儀なくされる場面が多々あった。だが、日に日に通れなかった道路が通れるようになり、昼夜を問わず自衛官らが重機などを使用して道路啓開に奮闘していた。次第に民間の建設会社に引き継がれて、別の土砂崩れ現場の復旧に移動する場面も多く見かけた。また、ヘリでの救助活動も連日行われており、着陸できる場所での救助は着陸するが、不可能な場合は上空から救助隊員が降下して救助者を吊り上げる手法でも行っていた。https://news.yahoo.co.jp/articles/6369826ca124c34eed9d1d8649e5351db1309951防衛省 or 自衛隊から得たらしき情報については、分単位の時刻と、具体的な数字を挙げていますが、それ以外の部分にかんしては、何日に取材したかすら書かれておらず、場所についての情報もまったく不明で、たんに自衛隊の一般的な救援活動を漠然と紹介しただけ。記事のタイトルは、「偵察活動や道路啓開を行いながら」…となっていますが、上空偵察と道路啓開をするのは当然の話で、そもそもそれがなければ救援できないのだから、べつに驚くことでも讃えるべきことでもありません。◇検証すべきは、「初動の72時間に、いつ、どこで、何をしたのか」なのだけれど、それについての具体的な内容は何も書かれていない。>> 筆者が現地入りした際…何日にどこへ入ったのでしょうか?>> 日に日に通れなかった道路が通れるようになり…日に日に道路が啓開されるのは当たり前。>> 次第に民間の建設会社に引き継がれて…そりゃそうでしょうが、いつ、どの区域がその段階に達したのか。>> 着陸できる場所での救助は着陸する…着陸できる場所に着陸するのは当たり前。>> 不可能な場合は上空から救助隊員が降下して…これも当たり前でしょう。そうするしかないんだから。さらに、>> ヘリコプター8機、>> 航空自衛隊も戦闘機などが7機、海上自衛隊も3機…にかんしても、いつから偵察活動に入ったか書かれていない。◇結局のところ、初動の72時間のあいだに、どんな部隊が、どれほどの規模で、いつ、どこで、何をしたのかはまったく不明であり、そもそも、記者が何日に現地入りしたのかも書かれておらず、道路復旧やヘリ救助の様子を、いつ、どこで見たのかもまったく書いていません。はっきりいえば、防衛省や自衛隊から得た情報だけで、わざわざ現地に行かずとも書ける内容の記事です。◇たんに防衛省の情報を垂れ流しているだけなのか、それ以上の具体的な内容を確認すらしていないのか、分かっていながら、あえて誤魔化しているのか。今後も、自衛隊の初動の件については、この程度の「ザル記事」しか出てこないのでしょうか??
2024.01.27
能登半島地震。自衛隊の初動と逐次投入は妥当だったのか。その検証はまだこれから。ネトウヨ&軍事オタクの言い訳は、以下のとおり。・自衛隊の主任務は外敵からの防衛であって災害救助ではありません!・そもそも能登半島の周辺には大規模な自衛隊の拠点がありません!・そのうえ半島は陸路が限られるから逐次投入こそが妥当!・先に道路を復旧しなければ救助には入れません!・補給部隊も入らないと自己完結できないので隊員は数日で餓死します!・空き地やグラウンドは避難場所なのでヘリは着陸できません!・冬の北陸は風が強くて視界も悪いのでヘリを安全に飛ばせません!・初動はまったく遅くない!防衛相の会見ですでに結論は出ている!・ボクは地元の人間ですが、自衛隊の車両は列をなして現地に到着していて、とてもガンバってくれたし、ウチのお婆さんは手を合わして涙を流しながら隊員さんに感謝していました。本当です!これに対して、北陸信越ブロックの世論調査は、以下のとおり。政府対応遅い:61.8% 迅速:37.5%https://www.sankei.com/article/20240122-LXDU7HSA35KRFLLIOBRDBCLYPE/戦時中の報道についても同じですが、ミクロな次元での自軍の活躍と成功をいくら並べたところで、それは戦略や戦術全体の適否を判断する材料にはなりません。◇昨日のYahoo記事。奥山俊宏の見解は、以下のとおり。・道路を復旧して受け入れ態勢を整えてから人命救助…というのは順序が逆。・第1空挺団は、倒壊家屋の下敷き救出のための資機材の装備を充実させている。・第1空挺団は、ヘリを着陸させずにロープで降りるリペリングの資材をもつ。・初動の72時間だけでも、選抜した精強部隊を投入することは可能。・元旦の深夜26時ごろに、能登空港へのヘリの着陸は許可されている。・珠洲市の公園や輪島市のグラウンドにも大型のヘリは着陸している。・中部方面隊を軸に編成した防衛相・自衛隊の判断は「隊区主義」の弊害。・自衛隊法を改正し、災害派遣は「公助」でなく「行政義務」であると明示すべき。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/36e13ed9fb1564cd6a55379ca514e7a5ca2e40f4なお、第1空挺団は、1月7日に習志野で多国籍部隊との「降下訓練始め」を実施。震災そっちのけで千葉へ出向いた木原防衛相は、「同盟国・同志国との協力連携を内外に示すことは極めて重要」などと訓示。喫緊の災害救助よりも、恒例の軍事訓練を優先させた形です。https://www.asahi.com/articles/ASS175WFJS17UDCB009.htmlhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240107/k10014312861000.html◇防衛省のタテマエは、以下のとおり。自衛隊の三大任務とは、①我が国の防衛 ②災害派遣 ③国際平和協力活動です。第1空挺団のタテマエは、以下のとおり。・あらゆる地形・気象下でも空挺作戦を遂行できます。・大規模震災などの困難な国家の危機に際し、迅速に空中機動し、身を挺してあらゆる任務を果たす精強部隊です。【北方積雪地訓練①】#第1空挺団 は、あらゆる地形・気象下でも空挺作戦を遂行するため、1月6日から北海道大演習場等において令和5年度北方積雪地訓練を実施中です。写真は、空挺降下及び総合訓練に向けた機能別訓練の様子です。#陸上自衛隊 #北海道 pic.twitter.com/WuQWqJEOgq— 陸上自衛隊 第1空挺団 (@jgsdf_1stAbnB) January 18, 2024◇いつもは威勢のいいことばかり言って、自国の軍事力を称賛しているネトウヨ&軍ヲタですが、今回ばかりはなぜか《出来ない理由》を並べ立て、「アマチュアは口出しするな!」「プロのことはプロにまかせろ!」「原発と自衛隊に対する批判はすべてデマだから封殺・弾圧せよ!」…などとわめいています。まるで「大本営発表だけを信じろ!」と怒鳴りつけ、あらゆる批評を弾圧した特高警察や憲兵隊みたいですが、彼らの言動を見ていると、日本が太平洋戦争で敗北した理由もはっきり分かります。なかには、原発や自衛隊のことを自分の妄想で擁護するあまり、かえって馬脚をさらしている愚か者も見かけますw
2024.01.25
櫻井よしこによる「愛国主義教育」が物議を醸しています。以下が、櫻井よしこの1/19のツイート。「あなたは祖国のために戦えますか」。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです。元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。そして、これを受けてか、1/22の読売新聞「編集手帳」は次のように書きました。〈愛国心〉自分の名声を輝かそうとする野心家なら誰でも、たいまつを近づけるとすぐに火がつくがらくた。米ジャーナリスト、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』(角川文庫)にある◆同じ言葉を、英国の文学者サミュエル・ジョンソンは〈悪党の最後の避難場所〉と喝破した。◆中国で今月、愛国主義教育法が施行された。つまり、愛国心を植えつける櫻井よしこの行為は、ほかならぬ中国共産党と同じである、ということ。若者たちを集めて「戦争に行きなさい」と教え諭す齢78才のおばあさん。たとえ頭がボケているとしても、あまりにグロテスクではないでしょうか。この世代の日本人は、ほんとうに不気味です。“祖国のために戦った若者たちは、戦友のために死んだ”これが表のメッセージである。しかし、言葉になっていないもう一つのメッセージを探すとすれば、次のようなものであるかもしれない。“戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから”クリント・イーストウッド https://t.co/uadHnIfIiT— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 22, 2024
2024.01.23
避難所での災害関連死のおもな原因は、平時における行政不作為と、非常時における行政不作為に大別できます。とくに、停電時の暖房不足、断水時のトイレ不足、仕切りがないことから蔓延する感染症、手洗いが出来ないことによる食中毒などは、どう考えても「想定内」の事態なのだから、それにすら平時に備えていないのは、あきらかな行政義務違反であり、当然ながら賠償の対象になるはずです。避難者の基本的人権や生存権を無視している。◇これらを罰しないかぎり、国や自治体の「棄民政策」には歯止めがかかりません。とくに原発立地県では、防災計画をないがしろにした経済政策が後を絶たない。住民の生命や環境の保全が後回しになるからです。万博やカジノの利権を優先し、被災地の復興をないがしろにする政策についても、それと同じことがいえる。つまりは経済優先の人間疎外であり、もっといえば、既得権益のための「棄地」「棄民」政策です。◇いわゆる保守層は、普段は "愛国保守" などと自称して、やれ「尖閣を守れ、竹島を守れ」などと叫んでますが、その反面、原発の安全神話をばらまくことに貢献し、フクシマの土地と住民を棄てたことへの反省はなく、またも懲りずに原発の安全神話をばらまいています。それどころか、米国による原爆投下まで擁護して、広島や長崎の反核運動のほうを批判したりしている。これは、戦時中の軍部が「一億玉砕」を主張したのと同じことで、もともと保守層というのは、国民の犠牲や国土の荒廃を何とも思わない連中なのです。◇ひたすら原発の安全性や万博の経済効果を強弁するのも、けっして国の繁栄を願ってのことではありません。実際のところは、ごく矮小な政治利権や一部業界の利益誘導のためです。彼らをほんとうの「愛国保守」だと思ってはいけない。むしろネトウヨやエセ保守は、その "国賊的" な本性を隠すためにこそ、やたらと他人を非国民呼ばわりしてみせるのであって、それは彼ら自身の後ろめたさの裏返しにほかならない。彼らこそが、本質的な意味での国賊なのだから。経団連や日本維新もその類です。家や家族を失った人が万博に夢と希望を持つわけねえだろ維新・馬場代表万博開催される2025年には復興が進んでいるとして、万博が「北陸のみなさんにも、新たな夢や希望を持って、明るい将来に歩みを進めてもらえるイベントになるのではないか」https://t.co/ypFXZpsfeT— himuro (@himuro398) January 8, 2024
2024.01.13
被災地の支援のために、政治家、篤志家、芸能人、ユーチューバーなどが、現地入りする行動が議論になっており、なかばイデオロギー的な非難合戦の様相を呈しています。かといって、おそらく防衛省も、自衛隊の救援だけで事足りているとは思っておらず、それどころか近年では、永田町や霞が関から、民間や被災者自身の「自助」「共助」「自己責任」だのと、まるで行政責任の不備と怠慢をはぐらかすような、ご都合主義的な発言さえ出てきている。実際のところ、国や自治体が出来ることと出来ないことを明らかにし、行政としておこなうべき「義務」(≒公助)と、民間がおこなうべき「共助」の分担について、平時から議論し、社会全体で認識を共有しておく必要はある。「自助・共助・公助」という言い方が、語呂の良さもあってすっかり定着しているけれど、「自助・共助」は納得しても、「公助」は違うと思う。公は私達を「助ける」存在ではない。私達は、納税者として公的サービスを受ける正当な権利がある。私達は助けられるのではない。「公助」は行政の義務を曖昧に…— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 4, 2024 2011年と2024年では日本人の「公共」という単語の捉え方が大きく変わっているのだと思う。この13年で本来政治や行政が果たすべき「公的責任」は「公助」という新語にすり替えられ、「自助」「共助」と並べられることで彼らの責任が薄められた。最新の広辞苑第七版に「公助」はまだ収められてない。 https://t.co/XRY7ZMZevP— 津田大介 (@tsuda) January 8, 2024 行政が「公助」をサボる上に、「共助」さえヤメロ!の大合唱。これでは「自助」できない者は死ぬしかない。— kentarotakahashi (@kentarotakahash) January 9, 2024◇民間による支援がどうあるべきかを、一概に判定できるものではありませんが、全体として支援が殺到すれば、交通渋滞やガソリン不足などの弊害を招くことは自明。将来的にはドローンなどの支援も増えるでしょうから、陸路のみならず、空路も混乱しかねない。緊急時には、通信・陸路・空路・海路などのアクセスを制限し、許可制にする必要はあるでしょうが、ただでさえ人員が足りないときに、当該自治体が「受け入れ審査」などをする余裕もない。◇現在の仕組みがどうなってるか知らんけど、支援能力のある個人・団体・企業は、どのような物資を、どこまでの地域に、どのような手段で輸送できるのか、あらかじめ平時から登録しておくほうがよい。そして、国や赤十字などがそれを一元的に管理し、閲覧・検索が可能な形にリスト化しておいて、災害時には現地からの要請に応じ、交通などの状況に照らしながらゴーサインを出す、…といった仕組みにすべきだろうとは思う。そのようなシステムを構築するために、いわゆる最適化のための技術活用もせねばならない。また、賞味期限の切れた食料や古着など、ゴミ同然のものを送りつけるケースもあるらしいので、支援者としての資質を評価し、責任をもたせる仕組みも必要でしょう。【拡散希望】僕が独断で被災地に乗りこんだという悪意で捻じ曲げられた情報が拡散していますが(このままですと先方のNGOや被災自治体にもご迷惑がかかってしまうので)、まとめます。 pic.twitter.com/I2lKtfyKNS— 津田大介 (@tsuda) January 5, 2024また、ジャーナリストの現地入りの是非については、結果や実績で判断すべきでしょうし、何らかの社会的な合意が必要ですが、権力やポピュリズムの安易な選別にまかせるべきではありません。
2024.01.10
能登半島北端の珠洲市には、かつて原発の建設計画がありました。住民の反対がなければ、これが稼働していたかもしれない。一方、能登半島西岸の志賀原発は停止中でしたが、もし福島の原発事故がなければ、やはり稼働していた可能性が高い。かりに、これらが稼働していたら、今回の能登半島の大地震によって、2つの原発事故が同時に発生したかもしれません。◇今回、志賀原発は、地震発生後ただちに「異常なし」と発表し、翌日にも「取水槽の水位に有意な変動なし」としましたが、しばらくたって、「取水槽の水位は約3メートル変動」「変圧器で火災が発生し消火」「外部電源の大小2系統のうち主要系統が欠損」「変圧器で配管が壊れて3500リットル油漏れ」「油漏れの量は当初発表の5倍の2万リットル。海にも流れた」「モニタリングポストが18カ所で測定不能」「消火はしておらず火災そのものがなかった」などと発表を二転三転させており、その管理体制と情報の信憑性に疑念がもたれています。◇原発事故が発生した際の避難計画では、《半径5キロ圏内の住民は避難先へ移転》《半径30キロ圏内の住民は屋内へ退避》とされており、さらに、モニタリングポストの値によっては、《半径30キロ圏内の住民も避難先へ移転》としています。しかし、今回の大震災では、複数のモニタリングポストが計測不能になっている。また、たとえ正常な計測ができたとしても、幹線道路が寸断され、迂回路もなく、空路や海路の確保も困難をきわめ、数日経っても複数地区が孤立状態に置かれるなど、原発から30キロ圏内にあたる能登半島のほぼ全域で、避難先への移転は実質的に不可能になることが判明。また屋内退避をしても、多くの地区において、外部からの救援や物資の搬入が困難になることが分かりました。さらに避難所では、「防寒やトイレに新聞紙を使え」などと言うありさまで、すでに凍死する事例も出ており、公共の避難所ですら、まともに生命を維持できない状態です。志賀原発が想定した避難計画は、現状において完全に破綻している。ひどい。ストーブ1個、あえて言えばホッカイロ一つで助かる命ではないか。この日本でひどすぎる【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞Web https://t.co/UP4pIJdGs2— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) January 7, 2024①まずは空路で食料や物資を投下し②その間に自衛隊などが寸断した道路や橋を車が通れる状態にして追加物資を大量投入③必要に応じて被災者を搬出するべきなのに政府は何を?内閣府では2日に完全オフでジョギングしてた人もいるし新年会も忙しかったようだが…#岸田に殺される #悪夢の自民党政権— がくさん (@gaku_sam) January 7, 2024我が国の公共放送NHKのゴールデンタイムの全国ネットNEWS 7避難所生活の冷え対策で、①新聞紙を体に巻く②段ボールを敷いて床に直接触れないと。これを時間割いて放送するのかよ…貧困国家、日本。@nhk_news pic.twitter.com/OLUyu5vgyu— kinho_00 (@quinho_00) January 4, 2024能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった https://t.co/KtvnpOUpwO #AERAdot #AERA— AERA dot. (アエラドット) (@dot_asahi_pub) January 7, 2024◇さらに深刻なのは、震度予測の問題。今年3月、原子力規制委員会は、「志賀原発の敷地内に活断層はない」と判断し、それにもとづいて、経団連の十倉雅和は稼働再開を要請していました。にもかかわらず、今回の震災では、町内の観測点で震度7の揺れを記録し、一昨日の夜にも震度6弱の揺れに襲われています。端的にいえば、原発敷地内の「活断層の有無」の判定は、震度の予測にとって意味をなさない …ということ。これは志賀原発のみならず、日本のあらゆる原発に当てはまることです。活断層がないことを「安全性」の理由にしてきた原発は、その主張の根拠を完全に失っています。活断層の調査とは別の手法を確立しないかぎり、地震の予測は本質的に不可能であることを示している。…ちなみに一部のネトウヨは、「震度7にも耐えたのだから大丈夫」などと言ってますが、震度7を記録したのは町内の別の観測点であって、志賀原発の地震計が測定したのは「震度5強」です。つまり、停止状態で震度5強の揺れにすら耐えられず、主要な外部電源を喪失するなどの被害を出すほど、深刻な脆弱さを露呈してしまった、ということ。震度5強と震度7では雲泥の差があります。もし稼働した状態で、震度7クラスの揺れに襲われていたら、いったいどうなっていたのか。志賀原発の外部電源の1系統を喪失という件に関して詳細が報じられるべきでしょう。◉50万ボルトという最大の外部電源が失われた理由◉もし稼働していたら、原子炉の安全性を確保できていたのか◉燃料プールの使用済み核燃料も2011年以降稼働が止まっていたために十分に… https://t.co/4ZHgJQ1DFl— 祝島島民の会 (@touminnokai) January 2, 2024また、今回の震災では4mもの地盤の隆起が見られましたが、原発が津波対策をする際にも、数メートルの隆起や沈降を考慮せざるをえないし、地盤そのものが傾いたら、いったいどうなるのか、…ということを危惧せずにはいられない。◇経団連の十倉雅和は、原発稼働要請への批判をかわすべく、口先では「被災地を支援する」などとウソぶいてますが、その反面で、大阪万博開催の方針を変えていません。しかし、万博の開催強行は、被災地復興にかかる建築資材の高騰や、人員・重機・資材不足などに拍車をかけるため、事実上の「二者択一」が迫られています。経団連会長は、大阪府の知事とともに、「復興の足枷になってでも万博開催を強行すべき」との態度を示していますが、日本国民は、政権と財界のこのような対応を許容できるのか。また、大阪府民は、吉本興業などと結託しながら万博・カジノへと突き進む、吉村洋文をこのまま大阪府の首長として承認できるのか。そのことが問われています。
2024.01.08
今回の能登半島地震は、東日本大震災、阪神大震災に次ぐ規模の災害ですが、なぜか救援人員の数は、熊本や北海道地震の際より少なく、発動のタイミングも遅い。…石川県知事の馳浩は、地震が発生した元旦の夜に自衛隊派遣を要請したものの、その規模はわずか1000人。この1000人という体制が、どのような根拠と経緯で判断され決定されたのか、あらためて検証する必要があります。◇輪島市や珠洲市のように、古い木造家屋の多い沿岸が震度7の地震に揺られ、さらに5mの津波が押し寄せた場合に、どの程度の規模の被害が発生するのかを、自治体の首長であれば、地元の現場感覚から、おおよその予測を立てねばなりません。かりに首長の現場感覚が欠如していたとしても、平時から、さまざまなケースごとに、被害をシミュレートしておかなければならない。そうした予測が立っていれば、実際に現場の被災状況を見る前から、最低限の救援体制は判断できるはずです。そこから考えても、1000人という人数はあまりに少ない。ようやく4日目に5000人弱の体制に強化されたものの、それでも熊本地震や北海道地震より規模が小さい。この程度の救援部隊で、瓦礫の除去と3ケタに及ぶ人命の救助、まして広範囲にわたる道路の復旧など出来るはずがない。熊本の時はすぐに20000人ぐらいだったよな、と思って確認した。翌日は1800人だったけど、次の日に15000人、その次の日は20000人体制になっていた。今回はなんで極端に少ないの?わからん。 https://t.co/d5NDHRjCF2 pic.twitter.com/Op6oAS5irK— Hironobu SUZUKI (@HironobuSUZUKI) January 3, 20241月2日昼の段階で、追加で約9千人の自衛隊派遣を「準備をする」と表明。今日3千人の派遣が決定されたというが、熊本地震では最大時2万6千人が派遣されている。大雨の予報もでている。救助が急がれているのだから、多くの自衛隊を派遣すべきではないのか?初動が遅い...😢 pic.twitter.com/0NyUA7JuBz— 祐佳 (@D9bf0NRDYrL21Ba) January 3, 2024此度の地震で自衛隊10,000人体制(派遣済み2,000、待機中8,000)てのはなんか少ないような気がしてんだけど、平成28年熊本地震26,000人平成30年北海道胆振東地震約25,100人今回の派遣規模を決めたのが岸田かどうか知らんけど、岸田ほど「逐次投入」って言葉がしっくりくるやつもそうおらんよな。— hirossi (@46hirossi) January 3, 2024◇一般に、原発立地県では、震度の予測も、被害の予測も、政治的に小さく見積もる傾向があります。ネガティブな情報や予測が原発推進の妨げになるからです。ほかならぬ馳浩も「原発推進派」でしたが、自治体の首長が原発推進派であれば、なおさらネガティブな情報や予測を排除しがちになるし、その結果、首長自身が災害予測に無関心になったり、甘すぎる災害予測をみずから信じてしまったりする。これは、さながら、戦時中の軍部や国粋主義者(現代でいえばネトウヨ)が、大本営発表にならって戦況を楽観視するのと同じ理屈。政治的な理由で最悪の想定を避けたがるのです。そして同胞の活躍ばかりを信じて称賛するようになる。そのようなご都合主義的な楽観論が国家の破滅を招きました。石川県の地震想定は26年前から変わらず 甘い被害予測、遅かった見直し https://t.co/ilmokUMqnW— 京都新聞 (@kyoto_np) January 7, 2024 ◇はたして石川県の地震予測や被害予測はどうだったか。それは「原発推進」の政策にどう関係していたか。もはや石川県だけの問題ではありません。しっかり検証する必要がある。かりに被害予測を低く見積もった結果、防災や救援体制に不備や遅れが生じたのなら、それは「原発推進派」による人災といわざるをえない。建物内で発見された死者が、圧死だったか凍死だったかも調査すべきです。
2024.01.04
震度6強以上の地域については、発生直後にドローン等の無人機やヘリを飛ばし、上空から建物倒壊や交通網寸断の実態を把握しなければ、通報を待ってからの初動では遅く、かえって優先順位を誤る。被害の大きな地域ほど、通信手段すらなくなって情報発信ができず、被害の小さな地域の情報ばかりが収集されてしまう、そういう矛盾が起こるからです。実際、今回の震災では、当日内に被害状況を把握できず、全容の把握が翌朝以降にずれこみました。その結果、被災者は一晩以上ものあいだ、暖房もない極寒のなかで、倒壊した建物の内部に放置されました。◇被害状況の正確な把握によって、救援すべき場所と規模とルートが決まるのだから、たとえ日が暮れたあとでも、夜間照明や赤外線による上空撮影をおこなって、被害の全容を早期に掴まなければならない。救援部隊にかんしては、たとえフライングになっても、被害の全容が明らかになるよりも前に、多めに見積もって編成しなければなりません。翌朝までには、救援プランを策定しつつ、機材や車両の運び込みも当日の夜間にかけて行うべきだし、日中と夜間に活動する人員も別々に手配すべきです。いずれにせよ、夜が明けてから状況を把握するのでは遅い。津波警戒はたいがいにしておいて、つぶれた家の下敷きになったひとたちを早く救出しないといけない。この寒さでひと晩すごさせたら死ぬ。— 早川由紀夫 (@HayakawaYukio) January 1, 2024なんで朝一とか言ってるのかな、知事は。今夜が勝負ではないの。倒壊家屋の下敷きになった方々を早く助け出し医療施設に収容する為に医官を帯同した習志野や宇都宮にいる陸自の即応精鋭部隊を方面隊に組み込みヘリで現地に投入。東日本大地震ではやれてたじゃないの。官邸は何しているんだろう https://t.co/W6qWuOyBWz— ガイチ (@gaitifuji) January 1, 2024馳・石川県知事「自衛隊の防災ヘリで石川県庁に向かう」 首相官邸で危機管理対応中、状況を説明「夜に入りましたので、明日の朝から本格的な情報収集、また、救命に入ることになると思います」やっぱりダメだ。災害救出の72時間の壁も知らないのか… https://t.co/cwW3AmTJaF— mipoko (@mipoko611) January 1, 20242000人規模に増強て、どんだけケチなの⁉️この規模の大地震なら、万人規模の派遣が必要でしょ⁉️首相「人命第一で救助に全力」、自衛官現地派遣2000人に - 日本経済新聞 https://t.co/FUoKS1vCq1— buzzuritama (@buzzuritama) January 3, 2024熊本の時はすぐに20000人ぐらいだったよな、と思って確認した。翌日は1800人だったけど、次の日に15000人、その次の日は20000人体制になっていた。今回はなんで極端に少ないの?わからん。 https://t.co/d5NDHRjCF2 pic.twitter.com/Op6oAS5irK— Hironobu SUZUKI (@HironobuSUZUKI) January 3, 2024あいかわらず避難所も、停電時の緊急的な暖房もままならず、トイレやプライバシー確保の不十分な劣悪環境です。公共の避難所には、石炭や石油を燃料とする床下暖房や温水暖房の設備を、火災防止・耐震装置付きで整えておく必要がある。避難所が収用人数を上回って過密になり、物資・設備が不足したり、感染症の危険があって環境が悪化するなら、むしろ避難者を大型バスや輸送ヘリで運び出し、一時的にでも分散避難をさせなければならない。雪・渋滞・土砂・地割れで物資輸送が困難な場合も、早期に分散避難を実施しなければなりません。避難所の劣悪な環境は、多数の災害関連死に繋がります。これは入管収容所と同じく人権上の問題にあたります。ここでイタリアの避難所を見てみましょう。 https://t.co/YLJEsX4n2n pic.twitter.com/xVQJ0QQCdx— 🐰SOT-dantyo🐰 (@TDantyo) January 1, 2024今の方がさらに悲惨でした😭政府、防災対策はどうなってんねん!#万博中止 https://t.co/oBfM1LoAqJ— ふっちゃん (@ashitawawatashi) January 3, 2024ひどい。ストーブ1個、あえて言えばホッカイロ一つで助かる命ではないか。この日本でひどすぎる【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞Web https://t.co/UP4pIJdGs2— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) January 7, 2024①まずは空路で食料や物資を投下し②その間に自衛隊などが寸断した道路や橋を車が通れる状態にして追加物資を大量投入③必要に応じて被災者を搬出するべきなのに政府は何を?内閣府では2日に完全オフでジョギングしてた人もいるし新年会も忙しかったようだが…#岸田に殺される #悪夢の自民党政権— がくさん (@gaku_sam) January 7, 2024 700人の避難所で、携帯トイレを極力節約して使って在庫の300個でなんとか収めたそうです。人は平均1日トイレに4〜5回は行くのでどれだけそれが大変なことかよくわかります。在庫が切れた後は新聞紙の上に用を足しビニール袋で包んで捨てるしかないという状況だったとのこと。— 津田大介 (@tsuda) January 4, 2024 我が国の公共放送NHKのゴールデンタイムの全国ネットNEWS 7避難所生活の冷え対策で、①新聞紙を体に巻く②段ボールを敷いて床に直接触れないと。これを時間割いて放送するのかよ…貧困国家、日本。@nhk_news pic.twitter.com/OLUyu5vgyu— kinho_00 (@quinho_00) January 4, 2024東日本大震災から十年目に東北でシンポがあり、「十年が支援の終わりではなく、これから経験を世界に向けて活かすべき」と話し合ったのだが、それは国境なき医師団取材で知ったギリシャでの緊急難民支援でも、アフリカ奥地のキャンプでも日本のようなプライバシーなしの避難はないのを見たからでした。— いとうせいこう (@seikoito) January 2, 2024避難所の光景が東日本大震災のときと変わらず驚愕している。この国の安全保障はまず災害対策だよ。被災時の衣食住に税金使わなきゃ。やっぱり軍事費じゃない。もちろん万博でもない— ぴょん🍉🐿on the street (@saki10masaki) January 1, 2024私も復興増税は反対。東日本大震災の復興費が流用されていた件、忘れない。 https://t.co/G0WigGovj2— まめつぶ👻 (@0mame_mametsubu) January 1, 2024今回の震災は、原発稼働のために震度予測を歪め、浅い活断層の危険性を過小評価した結果の人災です。つまり、想定外だったのではなく、意図的に「想定から外した」結果だといえます。また、災害対応の中枢にいる旧世代の人々は、平時の事前対策においても、非常時の現場対応においても、現代の最新技術を十全に活用しきれていません。能力のある若い人材に活躍する場を与えていない。年金問題やマイナカード問題と同様、ちぐはぐで穴だらけの対応しか出来ないのはそのため。旧世代の人間が権力の委譲を渋った結果、平成以来の「失われた30年」はいまだ延長されています。この1年で、それらを転換する必要があります。志賀原発大丈夫?こんな断層だらけの所に原発建ててクレージーだよ https://t.co/SGnOFdWwt2 pic.twitter.com/EjsY8gD6Ck— rima (@rima_risamama) January 1, 2024こんな長かったんやマグニチュードで断層長推定できるんや https://t.co/R9drzpFOAi pic.twitter.com/3830b30A5q— Kazami (@RVFflow) January 1, 2024専門家「日本海側で最大級」「これで終わりではない」 能登の震度7 https://t.co/vOwynnbMuH 付近では震度7の地震の後も、大きな揺れを伴う地震が続いている。西村教授は「日本海側は断層が複雑に分布しているため、一つが動くとまわりも動いて活動が活発化しやすい」と話す。— 朝日新聞デジタル (@asahicom) January 1, 2024「10本弱の活断層が一斉に動いた可能性」 兵庫県立大教授https://t.co/geI1CDn6R0今回の地震は能登半島北沿岸部の陸域と海域の境界にある活断層がずれ動いた「逆断層型」とみられます。教授は「動いた距離は数十キロ超にわたるのではないか」と推測します。— 毎日新聞 (@mainichi) January 1, 2024この人が視察した1カ月後に今回の地震。変圧器で火災が発生し外部電源が一系統使えなくなったという報道もある。活断層の問題で運転停止中だが、昭和の発想での無責任な発言への警告と捉えるべきだろう。経団連・十倉会長 志賀原発視察「早期の再稼働を期待したい」https://t.co/q5OGXaSheg— 辻野 晃一郎 (@ktsujino) January 2, 2024①北陸電力が100億円かけて「断層ではない証拠」を買う②原子力規制委員会がそれを信じて「断層ではない」認定③経団連会長が志賀原発に入って早く再稼働しろと言う④震度7の震災。2系統しかない冷却電源の大きい方が死ぬ⑤モニタリングポスト13個死ぬ、変圧器爆発 pic.twitter.com/2sUyI8JS7i— kisahara (@kisahara1) January 2, 2024志賀原発の故障した変圧器から計7100リットルもの油が漏れています。北陸電力は志賀原発の再稼働を申請、経団連会長も「一刻も早く再稼働を」と要求。しかし稼働中なら深刻な事態になっていた可能性も。電力会社もメーカーも事故の責任を負わない制度になっているから安易に原発を推進するのです。 pic.twitter.com/915jqVvhqK— 長谷川ういこ Uiko Hasegawa (@uikohasegawa) January 3, 2024 政府は原発について異常があっても「異常なし」と発表する。このことはしっかり記憶に留めておくべきだ。【志賀原発 “外部電源一部使えずも 使用済み燃料プールの冷却は継続” 原子力規制庁 | NHK | 令和6年能登半島地震】 https://t.co/GgnFMvAgBI— m TAKANO (@mt3678mt) January 2, 2024志賀原発 外部電源が一部使えない状況続く 復旧の進め方検討https://t.co/PxfbQlQkMr #nhk_news— NHKニュース (@nhk_news) January 2, 2024北陸電力、2日の午前中に開いた記者会見で「水位計を監視していたものの、有意な変動は確認されなかった」→2日夜「取水口付近に設置した水位計で1日午後5時45分から午後6時までの間におよそ3メートルの水位の上昇を観測」原発を動かす資格はあるのですか。January 3, 2024北陸電がまた訂正 志賀原発の変圧器漏れの油は5倍超の2万リットル https://t.co/rLQ1WI19kf 能登半島地震をめぐり、北陸電力は5日、志賀原発(石川県)の2号機で外部電源を受けるために必要な変圧器から漏れた油の量について、当初発表の5倍超にあたる約1万9800リットルと訂正した。— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) January 5, 2024 スゴイよねこの人。「国内最速級の防災速報を」“特務機関NERV”防災アプリを世に出した石巻出身プログラマーの執念https://t.co/qn7ld8rh9l https://t.co/AppS2PTlxZ pic.twitter.com/G6W0g7Txaf— 通信のノラ猫@ID=AO.VTuber.cat (@ID_JAPAN_AO) January 2, 2024
2024.01.02
米軍のオスプレイが全世界で飛行を停止しました。過去にも在日米軍は事故を起こしており、そのたびに日本政府は原因究明・再発防止を訴えましたが、米軍がまともに取り合うことはありませんでした。実際、日本側の批判は口先だけのものであり、それを無視したところで、地位協定が改定されるわけでもなければ、予算が削減されるわけでもなく、米軍としては痛くも痒くもなかったからです。それどころか、日本のネトウヨなどは、・機体そのものには欠陥がない。・航空機が一定の確率で事故を起こすのは普通のこと。・たとえ事故を起こしても、米軍に感謝しこそすれ、批判などすべきでない。…とのバカな主張を展開して、むしろ米軍の立場を擁護しつづけてきました。なので、在日米軍基地は、米軍がオスプレイの訓練をするに最適な環境でした。▼ネトウヨの主張はこちら。https://news.yahoo.co.jp/articles/南日本新聞https://news.yahoo.co.jp/articles/RBC琉球放送◇今回、米軍が全世界での飛行停止に踏み切ったのは、乗員が8人も死んだからであって、日本政府の要求に応じたからでも、日本国民の安全に配慮したからでもありません。多くの乗員が死亡し、米軍内部からも、兵士の家族や軍属からも、機体の安全性に対する疑念が広がり、米国内の世論からも批判が湧き上がったからです。米軍がこれを無視することはできません。人事や予算にも影響しかねず、政権への打撃にもなりかねないからです。◇今回の決定は、技術的な理由よりも、政治的な理由によるものです。米軍が耳を傾けるのは、米国内の世論や軍内部の批判に対してのみであり、よほどの利害が絡まないかぎり、同盟国側の批判には耳を貸すことがありません。まして、属国である日本政府の批判など気にも留めません。これは、平時においても有事においても同じです。◇日本は「米国の51番目の州」と揶揄されることがあります。しかし、米軍基地周辺に住んでいる日本人は、米国民のような権利をもっているわけではなく、もちろん選挙権もないので、米軍にも米政権にも影響を及ぼすことが出来ません。そのうえ、日本政府もネトウヨと同様の「犬」なので、日本はハワイ州よりも立場の弱い属国でしかありません。
2023.12.08
近代の歴史は、オランダ、イギリス、アメリカなどのプロテスタント国家が、ユダヤ人と手を組み、国際的なヘゲモニーを握ることで作られてきました。いわば近代とは、ユダヤ=プロテスタント連合による、世俗化をともなった資本主義拡大運動だったのであり、その結果として欧州のヘブライズムは世俗化を強いられた。オランダにせよ、イギリスにせよ、アメリカにせよ、ユダヤ人を受け入れることは、資本主義を受け入れることとほぼ同義だったと思います。◇15世紀のチェコは、ユダヤ人を受け入れながらも宗教改革に失敗し、その後のドイツは宗教改革には成功したものの、資本主義を受け入れることができず、結果としてユダヤ人とも折り合えずに終わった。ドイツだけではなく、カトリック国家のイタリアやスペインも、また、天皇を信仰した日本も、資本主義を受け入れることができず、それに抵抗する原理としてファシズムを採用しました。また、戦後のソ連や中国は社会主義を採用することになった。◇西欧や日本が戦後にファシズムを放棄し、ロシアや東欧や中国が冷戦後に社会主義を放棄したことで、資本主義への抵抗原理をもつのはイスラムだけになりました。なぜイスラムだけが、それほど強固な抵抗原理になりうるのかは謎です。じつは戦前の日本の天皇主義と同様に、その実態はただのファシズムなのかもしれません。また、ロシアと中国も、社会主義を放棄したとはいえ、ユダヤ=プロテスタント連合に折り合ったとはいえない。その意味では、いまだ何らかの抵抗原理を宿している。それは、やはりファシズムかもしれないし、ロシアの場合は、スラブ的な正教信仰なのかもしれないし、その点でこそイスラムに連帯しうるのかもしれません。…戦前の日本の天皇制は一神教に近いものでしたが、もともとアジアの仏教や儒教は宗教というより、ほとんど哲学に近いものだったので、世俗化を拒む要素がそれほど強いわけではなく、イスラムのような抵抗原理はもっていないと思います。とくに日本の仏教は近世の封建主義より世俗的だったし、資本主義とはかえって親和的だったと言ってもいい。◇かりに、資本主義への抵抗原理が世界にまだ残っているなら、フランシス・フクヤマが述べたような「歴史の終わり」は、まったく実現してなかった…ということになるけれど、その抵抗原理が、はたして宗教的なものなのか、それともファシズムやコミュニズムのような政治体制なのか、あるいは資本主義そのものに内在する経済的矛盾なのか、そこをハッキリさせなければ、ウクライナ問題も、パレスチナ問題も、(とりあえず戦争自体は数年で終わるにせよ)本質的な解決には至らないのでしょうね。
2023.10.21
正直なところ、ウクライナ問題にせよ、パレスチナ問題にせよ、しらけた気持ちで見てしまうところがあります。もともとヘブライズムのなかに、あらかじめ戦争のプログラムがセットされてるのか?…なんてことも考えてしまう。◇ユダヤ教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、近代化に抵抗する原理はあるはずなのに、なぜかキリスト教世界が近代化を果たし、かたやイスラム教世界は近代化に背を向けて、そこにくっきりとした非対称の構造が生まれ、そのはざまでユダヤ教徒が商売をするという図式。地下資源の豊富な地域ほど近代化が立ち遅れるところにも、ある種の必然性みたいなものを感じます。◇イスラエルの建国から70年以上が経って、世代交代による厭戦思想が広がったり、過疎化が進んだりしてもいいはずなのに、なぜパレスチナとの対立構造は維持され続けるのか。戦うことを覚悟のうえで、あんな場所に住み続けたいと思う人々が、そんなにたくさんいるものかしらねえ。いくら聖地だとはいえ、たとえばニューヨークに住んでるユダヤ人が、「いつかイスラエルで暮らしたい!」などと思ったりするのでしょうか?◇対立軸をそらしたかったプロテスタントが、あえてユダヤ人をアラブと戦争させるよう仕向けた、…ということは言えるのだけど、もしかしたらボブディランが言うところの、「戦争の親玉」とか「戦争のプロ」のような人たちが、あえて投資の対象として、この対立軸を温存させてるんじゃないかしら?いずれにしても、よほど戦争に積極的な人たちがいなければ、こんなに対立が続くはずはないと思うのよね。普通なら双方ともに疲弊するはずです。◇本来のユダヤ人とアラブ人は民族的な近親関係にありますが、現代のユダヤ教徒が本来のユダヤ人ではない、とはよく言われること。西欧の人間にとって、この戦争は異民族どうしの潰し合いにすぎないだろうし、もしかしたら現代のユダヤ教徒にとっても、この戦いは、たんなる投資の対象でしかないのかもしれない。
2023.10.19
一般的にいって、内部告発がつねに正しいとはかぎりません。たんなる誤解の場合もあるし、そこに主観や価値観の相違があれば、客観的事実を認定しがたい場合もあります。とくにハラスメントやいじめの場合は、加害者側と被害者側の認識が食いちがう場合も多い。◇しかしながら、そもそも「内部告発」がなぜ発生するのかといえば、組織の意思疎通がうまくいっておらず、問題を内部で処理しきれなくなっているからであり、不信感がくすぶっているからです。だから、告発者は外部に頼るほかなくなるのです。したがって、告発者が現れた時点で、組織としては恥ずべきことだと考えねばならない。これは宝塚にかぎった話ではありません。◇かりに告発の内容に誤認があったり、客観的事実とは認めがたい場合であっても、告発者を「悪者」とみなして攻撃したりしてはならない。そのようなことをするのは、きわめて幼稚で問題のある組織だというべきです。さらに、悪質な企業では、あろうことか「正しい告発」をおこなった者をさえ、排除したり攻撃したりするケースも見られます。これは明らかな人権侵害であって、そのような企業には何らかの制裁を加えねばなりません。◇宝塚から自殺者が生まれるのは初めてのことですが、国内の企業などでは毎年大量の自殺者が発生しています。どんな理由であれ、自殺のような事例があった場合、その組織は重大な問題と認識して調査に当たる責務がある。また、遺族が訴えを起こすか否かにかかわらず、厚労省や組合などの団体は、まず最初に人権侵害の有無を調べなければなりません。労働者の自殺や鬱病発症などの事例が繰り返されている場合、企業名を公表するなどの制裁も必要でしょう。◇現状、日本において、ビジネスと人権に対する問題意識は、きわめて低いのだと言わざるをえない。国内の就労人口が減っているのは、たんに少子化だけが原因なのではなく、学校や企業などの組織において、大量の自殺者やうつ病患者や引きこもりを生んでいるからです。
2023.10.12
テレビの報道畑の人々が、「ジャニーズ問題はただの芸能ゴシップと思っていた」といった弁明をしています。しかし、テレビの世界において、報道畑と芸能畑は、それほどはっきり分かれてはいません。◇たとえば、朝の情報番組や昼のワイドショーは、報道番組でありつつ、芸能番組でもあるため、プロデューサーやキャスターは、報道と芸能の両面を視野に入れて番組を作っている。のみならず、夕方や夜のニュース番組でさえ、芸能ネタを扱わないわけではないし、櫻井翔や小山慶一郎のように、キャスターにジャニタレを起用する番組もあります。◇日刊ゲンダイの記事によると、報道番組へのジャニタレの進出は、安倍政権下で増えていったことが分かる。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/328461おそらくメリー喜多川は、性加害問題をテレビで扱わせないために、歌番組やバラエティ番組のみならず、報道番組にまでジャニタレを進出させたのでしょう。そして、報道番組へのジャニーズの進出は、モリ・カケ・サクラ問題を抱えた安倍政権にとっても、きわめて好都合だったはずです。つまり、両者は、メディアコントロールの目的で利害が一致していた。事実、安倍晋三は積極的にジャニタレと交流するようになり、ジャニーズ事務所との結びつきを強めていきました。櫻井翔の父親は安倍政権下で総務次官になり、オリンピック前には電通へ天下りすることになった。◇現在、注目されているのが、法務省の「こどもの人権」キャンペーンのために、2019年にジャニタレが総出演して制作された映画です。製作総指揮にはジャニー喜多川の名前がクレジットされている。※追記:引用したツイートは翌日(9/15)に削除されたようです。#映画少年たち とのタイアップポスターを作成しました😀法務省は,青少年の再非行防止を願っています。「少年たち」の悩みは,ぜひ「子どもの人権110番」や「法務少年支援センター」まで。「映画 少年たち」は3月29日(金)公開です‼️#再犯防止 pic.twitter.com/E0KEKC2vKR— 法務省 (@MOJ_HOUMU) February 24, 2019※追記:こちらはツイート削除についての記事。法務省、過去のジャニーズタイアップポスターを公式X(Twitter)から削除 「守りたい 少年たちの輝く未来」キャッチコピーに「皮肉すぎる」の声 https://t.co/6gd3Hi0xK2— ねとらぼ (@itm_nlab) September 15, 2023 2019年といえば、わずか4年前。もちろんジャーニー喜多川の性加害は、すでに東京高裁での事実認定は確定していました。そのような人物を、法務省が「こどもの人権」キャンペーンに起用するとは、世界的にも耳を疑うような醜聞です。ここまでして、国家権力とジャニーズ事務所が、ともにメディアコントロールを画策するなかで、悪い意味で「ウィンウィン」の関係を結んでいたことが分かる。2004年 最高裁でジャニー喜多川の性暴力が事実認定。2006年 日テレ「news zero」が桜井翔を起用。2010年 日テレ「news every」が小山慶一郎を起用。2012年 第2次安倍内閣。2014年 第3次安倍内閣。2015年1月 メリー喜多川が週刊文春で飯島三智を叱責。2015年3月 TBS「ビビット」国分太一を起用。2015年7月 桜井俊が総務事務次官。2016年8月 リオオリンピックの閉会式に安倍マリオ。2016年12月 SMAP解散。2017年2月 森友学園問題。2017年3月 加計学園問題。2017年10月 テレ朝「サンデーLIVE!!」東山紀之を起用。2017年11月 第4次安倍内閣。2018年 桜井俊が電通に天下り。2019年1月 嵐が2年後の活動休止を発表。NHKがトップニュース扱い。2019年3月 法務省のタイアップ映画「少年たち」公開。2019年5月 桜を見る会問題。2019年7月 ジャニー喜多川死去。9月のお別れの会で安倍首相の弔辞。2019年11月 嵐が天皇即位の祭典で奉祝曲。2020年3月 桜井俊が電通副社長。2020年9月 安倍首相退任。2021年7月 東京2020オリンピック。この間、日本の報道はまったく無力でした。というより、メディアも同じ利害を共有していた可能性が高い。ジャニーズ事務所に対するメディアの忖度は、安倍政権に対する忖度と、まったく同じ性質のものです。日本に「報道の自由」がないと海外から見られている理由は、こうしたところにある。そもそも記者クラブ制度のなかでは、政治の暗部に報道が切り込む能力がないともいわれます。NHKを中心としたメディアに"検証"の必要があるとすれば、まさに、この点でしょう。
2023.09.14
福島原発の「処理水」という呼称が、"完全に汚染を除去し終えた水"との誤解を与えるなら、それは悪しき印象操作だといわざるをえない。実際のところは、"処理はしたものの完全には汚染が除去できていない水"であり、正確にいえば「基準値以下に薄めた汚染水」にすぎません。それを澄ました顔で「処理水」などと呼んでみせるのは、まさに "ものは言いよう" ってことの典型的な事例だし、ひとたび有害性が明らかになれば、むしろ「処理水」という表現こそが不適切ということになる。◇日本にせよ、中国にせよ、どんな呼称を採用するかは、けっして科学的な判断ではなく、きわめて政治的な判断によっているのだから、野党はもちろん、マスコミや個人も、安易にそれに追従すべきではない。◇ただでさえ、日本の政府とマスメディアは、原発やマイナンバーカードにかんして、偽りの「安全神話」をばらまいた前科があるのだし、昨今のマスメディアには、安倍政権や統一教会やジャニーズ事務所に対して、たえず「権力の犬」になりさがってきたとの批判がある。ほんとうにマスメディアが、その中立性を担保する気があるのなら、政府にならって「処理水」などと呼ぶべきではなく、むしろ「基準値以下に薄めた汚染水」と呼ぶのが妥当なのです。◇まして、テレビ番組に出演する民間の個人が、この水を「汚染水」と呼ぼうが「処理水」と呼ぼうが、それは個人の自由なのだから、マスメディアが妙な言葉狩りなどを実施すべきではない。風評被害を抑制することと、都合のいい印象操作を行うことは、けっして同じではありません。日本のマスメディアが、ほんとうに「客観的な事実」を伝える意志があるのかどうか。そのことが問われているのです。
2023.09.01
国連の「ビジネスと人権」作業部会は、≫ 日本のメディア企業は、数十年にもわたり、≫ ジャニーズ喜多川の性的搾取や虐待のもみ消しに加担した…と述べました。この「もみ消し」という表現に対して、不快感や疑問を抱いたメディア関係者もあったらしい。◇しかし、報道メディアには、重大なテーマを社会に伝える公共的な責務があります。その責務を怠れば、それは事実上の「もみ消し」にあたる。言い換えるなら、メディアには「報道しない自由」は存在しない、ってことです。かりに、アリバイ作りのように、形だけの報道をおこなったフリをしても、適切な時間帯や紙面に、必要な分量を費やして報道しなければ、ほんとうの意味で社会に伝えたことにはならない。それもまた「もみ消し」に相当する。◇近年の日本メディアが、権力に癒着し、不都合な報道を回避し、なかば世論誘導に近いことをやっているのは、すでに国際社会からも見透かされて問題視されており、その卑怯な姿勢は、先進国のなかでも最低ランクの評価を受けています。この期に及んで、メディアに「報道しない自由」があるという低次元な発想は、先進国では、もう通用しないということでしょう。
2023.08.14
松谷創一郎が、宮台真司の「マル激」に出演して、ジャニーズ問題について語った回を見直したのですが、動画の最後のほうに、日本社会と欧米社会の構造比較の話が出てきます。左が日本のタテ型社会。右が欧米のヨコ型社会。 中根千枝『タテ社会の人間関係~単一社会の理論』 ジャニー喜多川のような事件が起こるのは、権威主義を背景にした性支配がおこなわれるからですが、そもそも日本の社会はタテ型だからこそ日本なのだ …という話。◇しかし、右のようなヨコ型構造を実現できているのは、世界でもプロテスタントの社会だけです。欧米でさえ、プロテスタント社会が国家の軸をなしているのは、ドイツをはじめとする中欧と北欧、そして北米(米国とカナダ)だけ。一般に「先進国」と呼ばれているのも、それらのプロテスタント国家です。それ以外の社会は…南欧・南米のカトリック国家であれ、中東のイスラム国家であれ、東アジアの儒教国家であれ、ソ連型の社会主義国家であれ、ことごとく左のようなタテ型の構造をしている。すなわち、これは封建社会に共通の構造であって、それをわざわざ「日本的」と呼ぶべきではありません。たんに後進的なのです。◇たとえばカトリックの社会では、タテ構造の頂点に「ローマ教皇」が位置しており、すこしも "神のもとに平等" ではありません。これに対してプロテスタントの社会では、ヨコ構造の中央に「聖書」が位置しており、それが世俗社会では「法」に置き換わっているわけです。これは、マルティン・ルターが教会組織を離脱・解体し、すべての信者が "聖書を読めるようにした" ことに始まります。…前述のとおり、日本でジャニーズのような問題が起きるのは、権威主義を背景にした性の支配が行われるからであり、それをBBCでは「性的グルーミング」と呼びました。カトリック社会でしばしば性虐待が起こるのも、やはり教会組織における権威主義があるからです。◇日本の封建的な社会を支えているのは、近世以来の儒教的な倫理観と、尊敬語・謙譲語といった国語の制度です。しかし、現代の日本人はそのことを自覚していません。逆にいえば、自覚すらできないほど隅々にまで染み込んでいる。さらに、日本の保守層などは、(口先では中国や北朝鮮を批判するけれど)内心では中国や北朝鮮のような封建社会へ逆行することを望んでいる。それはすなわち権威主義・男性主義・家族主義が支配する社会です。日本の保守層が韓国の統一教会に共鳴する理由もそこにあります。統一教会はイエスキリストを「儒教的」に崇めているにすぎません。◇日本が封建的な後進性から脱却するにはどうすればよいのか?学校で最低限できることといえば、・国語教育での尊敬語・謙譲語の指導を廃止する(丁寧語のみを教える)・道徳教育から儒教的な要素を排除するなどですが、そもそも学校の教室のシステムの中にも、あるいは部活動のシステムの中にも、儒教的な倫理観は自覚されないまま入り込んでいます。たとえば、何の根拠もなく、「先輩や年長者の言うことには従うもんだ」「親や教師の言うことには従うもんだ」みたいな話がまかり通るのは、そこに悪しき儒教倫理があるからだということを、日本人はもっと自覚しなければなりません。それを意識して排除しなければ、日本は今後も、国連や先進国から、たびたび人権問題を指摘されることになるでしょう。マル激トーク・オン・ディマンド 第1160回ゲスト:松谷創一郎 司会:神保哲生/宮台真司(2023年7月1日)
2023.08.05
昨日の続きです。SNSの誹謗中傷を抑制するためなのかは不明ですが、裁判所が「クソ野郎」という表現に罰金刑を課しました。しかし、わたしは、こうした司法の言葉狩りは無意味で逆効果だと思います。もちろん憲法の「表現の自由」を脅かす危険もある。◇TwitterやInstagramのユーザーが、「いいね」や「フォロー」を増やそうとするのを見れば明瞭ですが、人々が気にしているのは、言葉のひとつひとつの「表現」ではなく、むしろ「数字」なのです。賛同者の数が多いことに喜び、批判者の数が多いことに傷ついているにすぎない。たとえばタレントのような有名人が、数百・数千という批判を、ひとつ残らず読んでいるわけでもなければ、そのひとつひとつの表現を読み込んでいるわけでもない。そこに「クソ野郎」と書いてあるか否かは、実際のところ、さほど重要ではありません。◇そもそも、SNSの世界では、言葉に対する感受性がひどく衰えています。語彙は乏しく、文章は短く、論理性はないに等しい。受け手の側にも読解力がなく、ただ党派的な趨勢などを気にしているにすぎません。言葉の「表現」は力を失なって、たんに「数」だけが力をもっている状況なのです。◇司法が些末な言葉狩りをおこなっても、それはかえって表現を痩せ細らせ、言葉の力を失わせ、安直かつ過激なフレーズばかりを横行させるだけです。ほんとうに規制すべきなのは、個々のユーザーの「表現」よりも、SNSにおける言論の「数値化」のほうでしょう。SNSの設計者が、安易な数値化によって党派的な行動を煽るのは、たんに経営的な動機からであって、公益上の意図からでありません。本来、社会的な議論や対話を促すためには、むしろ安易な「数値化」を慎むべきなのです。◇公益上の観点からいえば、言論の「数値化」には慎重であるべきです。かりに企業側が自制できないのなら、公的な規制をかけることも必要だろうと思います。
2023.07.22
今回は「表現の自由」にかんする基礎的な考察です。◇かつて、NHKのラジオ番組で、重罪犯であるRケリーの曲を自粛すべきかどうか、松尾潔と山下達郎のあいだで議論になったらしい。こうした議論そのものは健全です。それを出演者どうしが議論できるのは、NHKがそもそも検閲をしていないからです。松尾潔が「自粛すべし」と考えるのも理解できますが、山下達郎が「自粛の必要なし」と考えるのも理解できます。自粛とは文字どおり「自ら粛む」ことなのだから、個々に判断すればよいのです。しかし、かりに、NHKが事前の検閲をするとなれば、わたしは明確に反対します。 「達郎さんは番組の中で彼(Rケリー)の曲をかけたいと。事件をご存じないのかと思い、私は『いまアメリカのラジオではかけちゃいけない人になっていますよ』と制止を試みました。ですが達郎さんは『作品に罪はない』と自説を曲げないので、私は忸怩たる思いのままオンエア」https://t.co/BnjdUiAt86— kentarotakahashi (@kentarotakahash) July 19, 2023 犯罪歴のあるミュージシャンの曲を排除するとなれば、その範囲はかなり膨大になります。米国の主要な黒人ミュージシャンのほとんどが、何らかの犯罪歴をもつといっても過言ではありません。しかも、そこには、人種差別にもとづく冤罪や恣意的な逮捕が含まれる可能性もある。また、モダンジャズやサイケデリックロックなどは、作品そのものが薬物犯罪の成果かもしれませんが、それを放送から排除することについても、わたしは反対です。◇松尾潔は、山下達郎に対して、「Rケリーの犯罪を免責しようとする意図があった」と感じているようです。…まあ、ジャニー喜多川に対する言動もあわせて考えれば、そういう可能性もたしかに否定はできません。しかし、一般的にいえば、かりに放送で犯罪者の曲を流したからといって、その犯罪を免責したことにはなりません。松尾潔が「Rケリーの曲を自粛すべし」と考えるのは自由ですが、かりにNHKに対しても検閲を促しているのだとすれば、それはまったく支持できません。◇◇◇ryuchell(りゅうちぇる)が自殺したとき、多くのマスメディアがいっせいに、SNSの誹謗中傷を非難する論陣をはりました。…もちろん誹謗中傷は許されません。しかし、どんな誹謗中傷があったかも示されず、そもそも自殺の原因が誹謗中傷だと確定もしてないのに、マスメディアが憶測でそのような論調に傾いたことは、非常に危うい兆候に見えます。むやみな検閲を促して、言論の自由を制限しかねないからです。◇◇◇れいわ新選組の大石晃子が、山口敬之を「クソ野郎」と呼んで罰金刑を喰らいました。 れいわ・大石晃子氏に22万円賠償命令 元TBS記者へ名誉毀損https://t.co/AeXjgRQLWE東京地裁はの荒谷謙介裁判長は、民事訴訟でジャーナリストの伊藤詩織さんに1億3000万円を請求した山口氏を「クソ野郎」と批判した投稿について「人身攻撃で名誉毀損が成立する」と判断しました。— 毎日新聞 (@mainichi) July 18, 2023 ネトウヨはこの判決を支持しているようですが…常日頃から「クソ野郎」を連発しているネトウヨが、なぜこの判決を支持できるのかさっぱり分かりません。最悪だ。韓国のクソ野郎ども。あとついでに山本太郎もドクソ https://t.co/AcAz6ulBUg— 桜花 (@ohka0327) October 22, 2019 上がって来たので返信します。山本太郎がクソ野郎なのはその通りですが、これは理念云々以前の問題です。山本太郎は批判に反論しても排除はしません。百田さんは建設的な提言でも気に入らなければ排除しています。その意味で山本太郎以下だと断言します。そしてその原因は取り巻きである貴方達です。 https://t.co/jVVpLExE6E— 足利じろ松 (@8S658oQSrmF8xO2) January 2, 2020 山本太郎「だけ」がクソ野郎かと思っていたが支持者層も同レベルかそれ未満のチンパンジー集団だった時点でもっと早くに気がつくべきだった— 旧守派 (@kyuusyuha_001) February 23, 2022 クソにクソがってお昼時にやめてください。立憲も放射能デマの山本太郎もクソ野郎です。— 右骨傾 (@silky_fowl_ha13) January 25, 2020 ↑こうしたネトウヨは、自分たちが罰金刑を喰らっても平気なのでしょうか?◇論評と誹謗中傷とはどのように線引きされるのか。放送やSNSにおける「表現の自由」の制限について、もっと慎重に議論しなければ、結局は誰もが自分の首を絞めることになり、権力だけが国民の批判を逃れることになりかねません。
2023.07.21
今回も、やや基礎的な考察です。ジャニーズ問題を取り上げたBBCの番組では、「チャイルドグルーミング」がひとつのキーワードになっています。子供に対する性的な手なずけを意味する用語です。▶ https://globe.asahi.com/article/14872032◇わたしが思うに、人間社会における性的なグルーミングは、子供だけでなく、成人に対しても広範に行われている。たとえば「結婚」は、女性をグルーミングするための制度かもしれません。家の都合で10代の少女を嫁入りさせる前近代的な社会では、制度的にグルーミングをしているように見えます。それどころか、女性が性的にグルーミングされるのは、現代でも普通のことじゃないかという気がするし、ほとんどの場合、人間社会のセックスは、権力者のグルーミングで制御されているように思える。そもそも、学校でまともな性教育を行わない日本のような国では、性的な主体性を身につける機会がほとんどなく、権力者のグルーミングによってセックスを学ぶしかないのでは?考えようによっては、権力者によるグルーミングの支配力を維持するためにこそ、日本の学校は、あえて性教育を行わないのかもしれません。◇広い意味でいえば、政治権力は民衆をグルーミングし、宗教指導者は信者たちをグルーミングし、経済強者は経済弱者をグルーミングしている。子供にかぎらず、多くの大人たちが、権力に手なづけられ、飼い慣らされ、精神的な主体性と身体的な主体性を奪われている。しかも、グルーミングされる側は、そのことをかならずしも不幸とは感じていない。むしろ、多くの人々は、偉大な権力にグルーミングされることを幸福に感じる。それを苦痛だと感じる人のほうが少数かもしれません。◇ジャニーズの場合も、じつは多くのタレントたちが、ジャニー喜多川にグルーミングされたことを幸福に感じ、多少の苦痛があったとしても、それによって成長しえたことを感謝してきたのでしょう。デヴィ夫人なども、「ジャニーに感謝しこそすれ、文句を言うなどケシカラン!」と主張しているわけですね。もちろん、それこそが《権力者のロジック》なのですが。デヴィ夫人の経歴を考えれば、性的なグルーミングに肯定的なのは当然かもしれません。(知らんけど)◇とはいえ、「権力者によるグルーミングをありがたく甘受せよ」…ってのは、いかにも旧世代的な発想であって、現代の人権社会ではもはや通用しないのでしょうね。大多数の人々がグルーミングを受け入れても、それを拒む人たちは一定の割合で存在するし、現代のような社会では、そうした少数者の人権も尊重しなければなりません。◇◇◇ところで、(当たり前の話だけれど)セックスが暴力であるか否かは、双方の「マッチング」で決まります。マッチングが適合すれば、セックスは情愛の交換になりますが、マッチングが不適合なら、セックスは一方的な暴力になる。これはグルーミングについても同じです。…たとえば、ジャニー喜多川が、「愛情をもってタレントを育てた」というのは、一面では真実だろうと思いますが、その一方で、受け手によっては、それを愛情とは感じず、むしろ苦痛と感じていたでしょう。苦痛だと感じた人たちは、彼の強制的なセックスを「暴力」として告発するけれど、愛情だと感じてきた人たちは、それによってこそ自分は成長できたのだと感謝する。◇一般的な女性の場合でも、セックスを愛情だと感じることができれば、自信にも繋がるし、他者への信頼にも繋がるし、社会人としての成長にも繋がると思うけど、セックスを苦痛だと感じれば、それはトラウマになって、男性不信や社会不信にも繋がっていきます。◇片方が愛情をもって接していても、受け手には苦痛でしかないってことが日常的にありうるわけで、これはセックスにかぎらず、あらゆる恋愛にもいえるし、あらゆる人間関係にもいえます。たとえばストーカーの場合も、あるいは毒親などの場合も、一方的な愛情は、ときとして暴力になりうる。◇奇しくも、先週、「強制性交罪」の名称が「不同意性交罪」に変更されて、セックスには事前の同意が必要となりました。これは、ひとつの進歩です。しかし、事前の同意をしたからと言って、そのセックスが幸福だとはかぎらない。非対称な力関係の中で、「同意させられる」とか、「同意せざるをえない」という事例もあるだろうし、そもそも、実際のセックスの相性の良し悪しは、事後でなければ分からないってこともあるでしょう。◇なので、より本質的には、「マッチングの可否」によってこそ、そのセックスが幸福かどうかが決まるのだと思います。たとえばセックスレスの夫婦のあいだでも、生理的な拒否感とか、求める頻度のずれとか、さまざまなマッチングの不和が起こっているはずですが、そうした不和にもかかわらず無理強いをすれば、夫婦間のセックスでさえ「暴力」になりえます。◇わたしがマッチング技術についての記事を書いたのは、もう4年も前(…早!)のことなのだけど、この間に、AIはどの程度進歩したのでしょうねぇ。もしも、AIのマッチングアプリで、事前に「セックスの相性」を判定できるようになれば、性暴力は技術的に消滅するかもしれません。のみならず、マッチング技術が進展すれば、片思いの恋愛とか、パワハラとかセクハラとか、虐待とかいじめとか、そういう非対称な関係性がことごとく消滅するような、SF的な未来も実現するかもしれません。そんな近未来社会を、つい望んでしまいます。
2023.07.19
読売新聞が《情報偏食》というシリーズ記事で、インターネットによる「教育現場の危機」を訴えています。https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230528-OYT1T50207/https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230528-OYT1T50218/いわく、子どもたちがネットの「偏った情報」にさらされており、そこで得た知識や考えを「主張する子ども」の存在が、教師たちを狼狽させている、…とのこと。馬鹿か。そんなことで教師がいちいち狼狽してどうするの?そういう子供を導くことこそが教育の役割でしょうよ。◇これから先の子供たちは、どっちにしろネットの情報にさらされていくのだから、そこで問われるのは、「いかにして自分で真実を見極めるか」ってこと。そのためのリテラシーを身につけさせることが、現在の教育に課せられた最大の役割にほかならない。もはや「先生が一方的に正解を教える」という時代ではありません。◇子供たち自身が真実を見つけだせるように、さまざまに異なる主張をぶつけあわせて、自分の考えを検証する訓練をさせなければならないし、だれより教師自身がその訓練をしなければならない。子供たちの主張をはじめから封じて、教師の側の「正解」を一方的に押しつけるなんてのは、かえって有害な教育態度だというべきです。そうした旧態依然の教育は一刻も早く終わらせる必要がある。◇そもそも、親や教師の考えが正解とは限らないのだし、新聞や雑誌やTVの情報が真実だとも限りません。バカな親もバカな教師もありふれているし、マスメディアは平気で嘘っぱちを垂れ流しています。多くの年寄りは、『WILL』や『Hanada』なんぞをむさぼるように読んでいる。ネットよりも、はるかに悪質な偏向情報にまみれています。子供よりも大人の考えのほうが正しいとか、ネットよりもマスコミの情報のほうが正しいとか、AIよりも人間の判断のほうが正しいというのは、ただの思い上がりか、もしくは自己正当化でしかありません。かりに、この読売新聞の記事が、「ネットの情報」を有害視したり、「主張する子ども」を有害視したりする印象操作を企んでいるなら、それこそが一種の《偏向情報》だというべきです。◇なお、今朝の読売新聞は、「バナナを320本食べると死ぬ」という誤情報を引き合いに出していますが、いくらネットの危険性を煽るためとはいえ、わざわざ一面トップの見出しにしてまで、これは取り上げる必要のあるデマなのでしょうか?ただの子供じみた迷信としか思えませんが。この程度のことで、いちいち狼狽する教師が実在するのなら、それこそ豆腐の角に頭を打ちつけて死ぬほうがいい。そもそも、教師が、このデマをただすべきと思うのなら、しっかりした科学的根拠を示したうえで、「バナナは320本食べても死なない」ということを生徒たちに示せばよい話です。教師とは、そういうものでしょう。もしも、教師自身にそれが出来ないのなら、「その仮説をどうすれば検証できるのか」を、生徒たち自身に考えさせればよいだけのこと。学問とは、そういうものでしょう。わざわざ大騒ぎするほどのことではないし、ふつうに考えれば、毎朝1本ずつバナナを食べている人を探してきて、1年たって死んだのかどうかを確認すればよい話です。まともな新聞であれば、三面記事にすら取り上げる価値もないトピックです。現在の子供たちが、勉強もそっちのけで、都市伝説を妄信して休日に6時間検索することと、かつての子供たちが、ノストラダムスの大予言や、ユリ・ゲラーのスプーン曲げに憑りつかれたことは、本質的には何ら変わりのない話です。それどころか、かつては教師までもが一緒になって、「口裂け女がいるから集団で下校しなさい」「骨が溶けるからコーラを飲んではいけない」「うさぎ跳びを100回やれば足腰が鍛えられる」などと言っていたのです。ちなみに、福島の人々が、「安全神話」を信じて原発を受け入れたのは、読売の正力松太郎のキャンペーンに踊らされたためです。
2023.05.29
ジャニー喜多川の性的虐待が刑事事件にならなかったのは、第一に「訴える者がいなかったから」であり、第二に「訴えたとしても物証がなかったから」だと言われています。◇異性間であれ、同性間であれ、一般にセックスには「攻め」と「受け」の役割がある(かならずしも女が「受け」とは限らない)と思いますが、正当な愛情表現であるためには「受け」の側の欲望を基準に考えなければなりません。たんに「攻め」の側の欲望だけを一方的に押しつけるなら、それは暴力行為とみなされます。戦前の帝国憲法には「姦通罪」がありました。姦通罪は、(たとえ相手との合意があっても)妻の婚外交渉を犯罪とみなす規定でした。逆に、夫婦間でさえあれば、たとえ夫が妻に一方的な欲望を押しつけても、それは犯罪にはならなかった。しかし、戦後の日本憲法では、この規定が完全に否定されました。たとえ婚外交渉(いわゆる不倫)であっても、双方の合意があれば、それは犯罪とは見なされなくなり、逆に、たとえ夫婦間であっても、夫が自分の欲望を一方的に妻に押しつけるなら、それは性犯罪として裁かれることになった。とはいえ、戦後になっても長い間、妻が夫の要求に従うのは当然とする考えが消えず、それを「DV」(ドメスティックバイオレンス)だと認識できるようになったのは、わりと最近のことです。一方で、婚外の恋愛を「不倫」と見なして断罪しようとする風潮も、いまだ世間には残存しています。◇近年には、さまざまな「ハラスメント」や「虐待」に対する認識も定着し、問題視される機会が増えてきました。スマホなどで音声や動画のような「物証」を記録しやすくなったことも、大きな社会の変化につながりました。かつてなら、上司が部下に暴力的な言動を下したり、不当な要求を押しつけたりしても、ごく一般的な「指導」として正当化されるのが常だったし、まして部下の立場から上司の言動を断罪するのは困難でした。それを「パワハラ」と見なして抗議できるようになったのは、わりと最近のことです。同様に、大人が子供に殴る蹴るなどの暴力をふるっても、それは「しつけ」であると言って済まされてきたし、性的行為の強制も「愛情表現」と言って済まされてきた。子供の立場から親や教師を断罪することは非常に困難だったし、それを「虐待」として告発できるようになったのは、ごくごく最近のこと。◇しかも、子供の場合、大人の言動が「犯罪」かどうかを自分で判断するのは本質的に難しいことです。どんなに暴力を振るわれても、大人から「しつけ」と言われればそう思い込むほかなく、性的な行為の強制も、大人から「愛情表現」だと言われれば、そう呑み込まざるを得なくなってしまう。数年から数十年も後になって、それが「虐待」だったと理解できたとして、そのときには「物証」なども消滅しているでしょう。とくにジャニーズ事務所の場合は、子供が大人を断罪するのが困難だったうえに、部下が社長を告発することも困難でしたし、さらには利害をともにする芸能界やマスメディアも、ジャニー喜多川の立場を守り続けるような構造でした。そうした重層性が犯罪を野放しにした。とはいえ、大人の言動を「虐待」と認識できるのは、子供自身ではなく、やはり周囲の大人なのだから、最低限の配慮として、なるべく子供を密室に置かず、複数の大人の目の届くところに置くことは重要です。カメラを設置するという手段もある。これは芸能事務所に限らず、学校や塾やスポーツクラブや町内会や教会など、子供を預かるすべての機関・団体・個人に義務付けられるべきことです。◇なお、これらはとくに同性愛に固有の問題でもなければ、同性愛そのものの問題でもなく、一般的な性犯罪の問題です。いうまでもありませんが、同性愛を差別したり抑圧したりする理由にはなりません。日本では、とりわけ旧世代の人々が学校の性教育に対して後ろ向きです。そこには「性に対しては受け身であるのが美徳」という古い価値観があり、せいぜいセックスは誰かの欲望を受け入れる形で学べばそれでいいと思っている。しかし、そういう発想こそが、結果的には権力者の欲望を野放しにすることになります。性教育とは、誰しもが「性の主体」であることを学ばせるためのものです。もちろん受け身であるのを望むのは個人の自由ですが、社会全体としては、誰しもが「性の主体」であることを前提にして考えなければならない。自分のセクシャリティは他人に決められるべきものではないし、まして他人に否定されるべきものでもありません。…ちなみに、市川猿之助が親子で心中をはかった事件については、その引き金になったのが「セクハラ・パワハラの告発」だったのか、それとも「セクシャリティ・プライバシーの暴露」だったのか、さらには介護など複合的な事情が重なった結果だったのか、いまのところはまだ真相が見えていません。
2023.05.24
クレムリンが無人機で攻撃され、ロシアの自作自演も疑われています。生成AIが出現する以前から、国家やマスコミの嘘を見抜くのは困難な課題でした。人間が嘘をつくのは、今にはじまったことではありませんが、今後は、生成AIの出現もあいまって、国家やマスコミや個人の噓が、より高度なものになっていくかもしれません。しかし、その一方で、今後は、AIが、人間の噓を見抜くようにもなっていくでしょう。◇人間が嘘をつくのは、第一に、自他の悪意に負けた場合であり、第二に、他人の嘘を信じてしまった場合であり、第三に、勘違いをしてしまった場合です。はからずも勘違いをしてしまうのは、情報を理解するリテラシーが欠けているから。はからずも嘘を信じてしまうのは、情報の信頼性を評価するリテラシーが欠けているからです。他方、AIには、人間のような悪意は存在しませんが、やはり嘘を信じてしまう場合はあるし、誤まったデータ読解をする場合もあります。入力されたデータそのものに瑕疵があっても、AIみずからがそれを疑うことはできないからです。これも、いうならば、AIの「リテラシーの低さ」を意味しています。◇しかし、そう遠くない将来に、「情報の信頼性を評価するアルゴリズム」が生まれれば、AIは、膨大なデータを比較しながら、確率的に真実を見抜くようになる。そして、AIはいずれ、警察や考古学者がそうであるように、人間から得られる情報よりも、物証のほうを信じるようになるでしょう。人間の情報は、物体の情報に比べて信頼性が低いからです。そして「嘘を見抜くAI」は、たんにフェイク情報を排除するだけでなく、歴史の真実をつぎつぎと明らかにし、犯罪捜査や考古学を飛躍的に発展させていく。それは「福音」とも言えますが、ある意味では「最後の審判」としての意味をもちます。人間のあらゆる嘘や犯罪が暴露されるからです。
2023.05.05
読売新聞や毎日新聞などの社説は、「AIが思考力の育成を妨げる」と主張し、教育現場からAIを排除するように促しています。しかし、そんなことをしていたら、日本はいずれ世界から取り残されます。じつに馬鹿げている。そもそも、チャットGPTの回答を丸写しにするような学生は、AIがあろうとなかろうと、はなから友達のノートを丸写しにしたり、参考書を丸写しにしたり、Wikipediaをコピペしていたに違いないのだから、いまに始まった話ではありません。重要なのは、この機会に教育のあり方そのものを刷新することです。AI時代の教育スタイルを早急に整備しなければならない。◇藤井聡太を見ればわかるように、人間の思考力は、AIを使いこなしてこそ、かつてないほどのレベルにまで養われるのであって、むしろ必要なのは、いかにAIと向き合い、いかにAIを使いこなすか、それを学ばせるためのカリキュラムであり、そのための新しい課題を与えることなのです。それが出来ないのは、ほかならぬ学校と教師の「思考力」が欠如しているからです。変化に対応できないのは頭がボケている証拠です。従来どおりのアナクロな教育慣習を保守するだけなら、学校や教師の役割はもう終了したと考えたほうがいい。すぐにでも廃業すべきです。馬鹿な教師は淘汰され、馬鹿な学校も淘汰されます。◇東大ともあろうものが、「AIを使わずに論文を書きましょう!」などと指導するのは、それを見抜けないほどに教授陣が愚かだからであり、AIにも回答できる程度のテーマしかもっていないからです。そんな教育をやったところで、これからのAI時代には何の役にも立たないし、そんな教育現場はたんに教授自身の自己満足の場に過ぎません。今後は、よりいっそう高度な教育が必要とされます。なんなら学生の査定にもAIを用いるべきです。
2023.04.26
ヤフコメが、AIによる「多様化モデル」を導入したそうです。以下、ニュース記事からの引用。ヤフーは、「Yahoo!ニュース」のコメント欄に、多様なコメントを表示するようにする独自のAIモデル「コメント多様化モデル」の導入を開始した。コメント多様化モデルは、記事に投稿されたコメントの意味・内容を把握し、類似する度合いによってコメントをグループに分けておく。その上で、グループ内の代表的なものをコメント欄の上位に表示する。これにより、ニュースに対するさまざまな見方を提示し、同じ意見ばかり見て、偏りが増幅される「エコーチェンバー現象」の軽減につながる効果も期待されている。https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1494403.htmlわたし自身、1/25の記事で、ネット掲示板などで熟議を促すなら、ひとつのトピックに対し「Yes」「No」など2つのスレッドが必要。…と書きましたが、エコーチェンバーを避けるためには、すくなくとも「両論併記」が必要です。◇それはそうと、エコーチェンバーの巣窟になってるのは、Yahoo!よりも、むしろTwitterのほうだと思います。自己承認欲求をたがいに満たし合うために、「相互フォロー」や「相互いいね」を返礼し合って、同じ価値観の人間だけが狭いコミュニティに自閉している。当人たちの勝手と言えばそれまでですが、そこから荒唐無稽なデマが拡散したり、偏見にもとづく炎上が起こったりするし、スケープゴートを排除するいじめの温床にもなります。しかも、相互フォローや相互いいねが増幅するほど、「数の多さで情報の真偽や価値が決まる」と思い込む閲覧者は後を絶たず、フォロー数やいいね数の多い書き込みを、そのまま真実と信じ、そこに価値があると勘違いしてしまう。そうした指標のありかたにも問題があります。Twitterの「相互フォロー」や「相互いいね」は、年賀状やお中元や義理チョコなどと同じで、相互に承認し合うだけの虚礼行為にすぎませんが、同調性の強い日本人の場合はとくに、そのような虚礼行為に価値があると考えがちです。◇ところで、今年2月に、「Yahoo知恵袋で嘘の回答をした男が逮捕」というニュースがありました。(ニュースソースはネット上から消えてるようです)もちろん、虚偽情報を発信しただけで逮捕はされないので、このときの罪状は、あくまで「企業に対する信用棄損」です。そもそも、デマの拡散を防ぐために必要なのは、虚偽情報に対する取り締まりではありません。ネットから虚偽情報を除去するなんて不可能ですから。だれしも、悪意の有無にかかわらず、虚偽情報を発信してしまうことはあるし、(わたしもしばしば間違ったことを書いて修正している)伝言ゲームが、いつのまにか嘘になることだってあります。さらに、個人だけではなく、マスコミや公共機関でさえ、つねに正しい情報を発信しているとは限りません。イラク戦争のときも、安倍政権の時代にも、嘘っぱちをばらまいたのは、むしろ国家とマスコミでした。誰ひとり、絶対的に信用できる情報発信者ではありえないし、誰ひとり、真偽を判定するための絶対的な資格ももっていません。であれば、せめて「両論併記」をしつづけるしかない。あるいは多様な意見にさらしつづけるしかない。◇ちなみに、Twitterでデマが拡散しやすいのは、短文での投稿やリツイートによる受け売りが、リテラシーの低い層にも利用しやすいからです。論理性を欠いた短文でも容易に発信できてしまう。だからこそTwitterは広く普及したのですが、それだけに、この安易さは諸刃の剣です。経営的に考えれば、リテラシーの低い層にまで訴求するサービスのほうがいい。そのためには、「不都合な真実」にまで目を向けさせるのではなく、せいぜい「都合のよい嘘」に自足させておくほうが、消費者の需要には適っているといえるでしょう。たとえば、「日本が負けている」という真実よりも、「日本が勝っている」という嘘のほうに需要がある。そういう民衆の傾向は、戦時中から変わっていません。実際、リテラシーの低い民衆ほど、不都合な真実からは目を背けたがるものだし、両論併記に耐えられる精神的なキャパシティもありません。…しかし、いまや、ネットメディアにも放送と同等の公共性があります。たんに利益だけを追求する段階ではなくなっています。
2023.04.23
政府は「異次元の少子化対策」と言ってます。出産というのは、動物であれば「交尾して産む」という単純な話で、人間の多くも100年ぐらい前まではそうだったろうけど、資本主義社会が高度になるにつれて、そうそう簡単な話ではなくなってしまったし、とくにバブル期以降は、やたらとお金もかかるようになりました。◇大きく言うと、恋愛、結婚、出産には、それぞれに「経済的」「精神的」「時間的」なリスクとコストがある。それらをすべて取り除かなければ、少子化対策は成功しない。恋愛1.経済的コストデートするにもプレゼントするにもお金がかかりますよね。バレンタインデーにもクリスマスにも誕生日にもお金がかかります。よほどのお金持ちの子女でなければ、学生のうちからお金のかかる恋愛はできません。成人して仕事をもつようになっても、そうした費用を捻出するのは難しくなってると思う。今はそうでもないと思うけれど、バブル期には「男性は車を持ってて当然」みたいに思われてました。2.精神的コスト告白するときも、付き合いはじめるときも、精神的な負担って、半端じゃないですよね。自分の恋愛に対する友達や家族の評判も気になるし、三角関係に悩むこともある。もちろん付き合いはじめてからの気遣いや気苦労もある。失恋の不安もあるし、実際に失恋すれば精神的なダメージはとても大きい。3.時間的コスト学業が忙しすぎて恋愛できない、仕事が忙しすぎて恋愛できない、というのは大きい。とくに女性は、昔よりも忙しくなったはずです。自分の趣味の時間を奪われることや、生活のリズムを崩されることへの忌避感もあると思う。結婚4.経済的コスト結婚式にもお金がかかるし、新婚旅行にもお金がかかるし、新居や引っ越しにもお金がかかるし、男性なら指輪を買うにもお金がかかりますね。5.精神的コスト結婚にまつわる諸々の手続きの面倒くささ。女性なら苗字を変えることの手間とリスク。配偶者との生活上の相性もさることながら、配偶者家族とのお付き合いもあるし、ご近所どうしのお付き合いもあります。6.時間的コスト結婚の準備から新生活に至るまでに費やす時間は、無駄な手続きやイベントが多ければ多いほど増えるし、それによって仕事への影響が出てしまいますよね。出産7.経済的コスト不妊治療をする場合もあるだろうし、出産そのものにも費用がかかりますし、育児費用と、将来に待ち受ける莫大な教育費用があります。政府が「少子化対策」と言ってるのは、実質的にはこの部分だけです。8.精神的コストそもそも女性には身体的なリスクがあります。無事に出産したとしても、自分の人生に苦しんだ人は、子供の人生に責任を負うことへの不安をもつ。先天的な病気や障害だけでなく、毒親のトラウマ、いじめのトラウマ、学業のトラウマ、ハラスメントのトラウマ。自分の子供がそうした苦しみを背負うことへの不安。自分自身が毒親になることへの不安。9.時間的コスト男性であれ、女性であれ、子育てと仕事を両立するのは至難の技です。ふつうに考えれば、どちらか一方を選ぶのが合理的でしょう。つまり、仕事を辞めずに出産する場合は、子育てを第三者に委ねてしまったほうがいいってこと。◇以上、恋愛と結婚と出産には、大きく9つの次元のリスクやコストがあります。前にも書きましたが、個人レベルで考えれば、「恋愛も結婚も出産もしない」という選択が合理的。その点で、ミクロとマクロの利害が相反する。上記のようなリスクやコストを気にせずに、気軽に恋愛したり出産したりできるのは、よほどの金持ちの子女か、たぐいまれなバイタリティの持ち主か、後先を考えない動物的なヤンキーだけですね。政府は「異次元の少子化対策」と言ってますが、実際には9次元のうちの1次元に手をつけたにすぎない。◇わたしは核家族で子供を育てることに懐疑的です。統一教会じゃあありませんが、偽りの家族主義にこそ少子化の元凶がある。…どうせなら、マッチングシステムで引き合わせた男女に、結婚の前提なしに子供を作ってもらって、生まれた子供はすべて国家が引き受けて、一定の年齢まで全寮制で育てたらいいのでは?AIやロボットも活用しながら、子供も、老人も、一緒に暮らさせたらいいと思います。
2023.04.20
チャットGPTのことがさかんに報道されています。NHK「クローズアップ現代」に出演した東大の松尾豊は、サービス業に従事する人間の労働のほとんどが奪われる…と予想してるみたい。もう「働けない時代の到来」を嘆く段階は終わっていて、むしろ「働かなくても済む社会システム」の構築のほうを、急がねばならないのかもしれません。その際には、「人間には従業や勤労以外にもやるべきことがあるのだ」と、考え方を変えなきゃならない。◇対話型AIは、膨大な文章やダイアローグのパターンを学習して、ランダムに選択肢を変えながら自動生成する仕組みだと思いますが、これは人間が考えたり喋ったりするときの仕組みと同じですよね。人間も、学んだ語彙や文法や概念を使って、ロジックやレトリックを模倣したり、せいぜいそれを組み替えたりしながら、考えたり、喋ったりすることしかできない。わたし自身も、そうやって考えたり書いたりしてます。人間とAIの学習量には雲泥の差があるけれど、誤った情報を学習すれば、誤ったことを話すようになるだろうし、バイアスのかかった文章ばかり読み込めば、バイアスのかかったことしか話さなくなくなる。これも人間とまったく同じ。◇たとえば画像生成するAIに、日本の風景の映像ばかりを学習させると、いかにも日本的な風景の映像を作り出すようになるらしい。下手に世界中の風景などを学習させてしまうと、どこだか分からない無国籍な風景を作り出すようになる。それと同じように、浮世絵ばかりを学習させれば、きっと浮世絵まがいのものを描くでしょうし、印象派ばかりを学習させれば、印象派のような絵を描くことになるでしょう。そして、浮世絵と印象派の両方を学習させたら、その折衷的なスタイルを作り出すのだと思います。◇これは文章の生成も同じで、たとえば、ギャル語ばかり学習させればギャル語で話すようになるし、科学論文ばかりを学ばせれば科学者みたいな文章を作るはずです。そして、ギャル語の会話と科学論文の両方を学ばせれば、きっとギャル語で難しいことを説明するAIが出来上がるでしょう。◇過去の人間のテキストは、多かれ少なかれ、何らかのバイアスがかかっていますから、対話型AIも、何らかのバイアスがかかった文章しか作り出すことができません。人間の自然言語には、数学的な論理性が内在していませんから、いかにAIといえども、絶対的に正しい文章などありえない。たとえば、共和党支持者に都合のいいことを語るAIとか、民主党支持者に都合のいいことを語るAIとか、キリスト教徒やイスラム教徒を怒らせないように、配慮しながら語るAIなどを設計することも出来るでしょう。あるいは、そのつど話す相手に合わせて、バイアスを切り変えるAIを設計することも可能だと思います。しかし、それは、人間のコミュニティの閉鎖性や、社会の分断を助長することにもなりかねない。◇現在の対話型AIは、たんにランダムな選択で文章を生成するのでなく、おそらくは情報の網羅性や正確性のほうにバイアスを置いてると思う。実際のところ、数学や物理学や統計学などの知見を参照しながら、極限的に正しいことだけを語るAIも不可能ではないと思います。しかし、それはそれで、人間にとっては、かえって都合が悪いかもしれない。たとえば、「地球環境のためには人類が滅んだほうがいい」とか、「多数者の利益のためには少数者が犠牲になったほうがいい」みたいにAIが考えるとしても不思議ではない。◇人間の場合は、環境によるバイアスがかかりますし、身体的な欲望ももっています。コンピューターの場合は、身体を与えないかぎり欲望をもつことはありえませんが、学習するテキストによって何らかのバイアスがかかります。もともとコンピューターは、数学のような正確な言語にこそ適していたはずですが、近年の優秀なAIは、人間的な「不正確さ」をも模倣するようになった。それだけに、その「不正確さ」の程度や方向性が問題になってきてると思います。◇さらに、作文や作画や作曲を模倣するAIが、すでに実現してるわけだから、行動や仕草やふるまいを模倣したり、自分で状況判断して行動するロボットも、まもなく出現するのだろうと思います。それによって、産業労働だけでなく、家事や介護や教育なども代替されていくはず。この期に及んで、資本主義社会の発展なんぞを望んでも仕方ないので、むしろAIが政策決定にかかわって、社会課題を解決してくれることを望みます。
2023.04.14
1km四方の巨大なブルーシートを、気球で上空から吊り下げて、大気の流れを遮断すれば、(幅1000m、高さ1000mの山脈があるのと同じだから)上昇気流によって人工雲を発生させて、雨を降らせることができるんじゃないかしら?※空気が湿っていれば。…という夢を見ましたw砂漠を緑化できそう!誰か実現してくれないかな。◇ためしに計算してみたら、10m四方のブルーシートが1枚5kgだとすると、1000m四方のブルーシートの重さは50tになります。調べてみたところ、NASAの気球の積載量は3.6t、ハイブリッド飛行船なら40t、エアロスクラフトなら500tを持ち上げることも可能なようです。
2023.04.12
1月17日のNHK「クローズアップ現代」で、日本の住宅が寒すぎる問題を取り上げていました。実は危ない!ニッポンの“寒すぎる”住まいhttps://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4739/住宅が寒すぎるせいで人が死んでいる。これは暖房設備の問題ではなく、建物の断熱性の問題。断熱性の不十分な家が原因で、夏には暑さで、冬には寒さで、多くの人が死んでしまう。せめて一室だけでも、暑さや寒さをしのげる部屋があれば、省エネにもなるし、最低限の健康を維持できるはずですが、日本は、それすらも確保できない住宅がザラなのです。◇北海道出身のわたしの友人も、「本州の家は寒すぎる」と言っていたことがある。実際、夏は暑すぎるし、冬は寒すぎると思います。地方の古い日本家屋なら、屋根裏があったり、床下があったり、縁側があったりして、空気の層をつくって断熱性を実現していたはずだけど、高度成長期以降に量産された日本の都市住宅は、狭い空間をペラペラの壁で囲っただけの粗末な代物。断熱性もなければ防音性もなく、外観を繕っただけの、環境ホルモンにまみれた建物。◇わたしも東京の賃貸アパートに住んだことがありますが、狭くて、湿気が多くて、隣接する部屋の音がうるさくて、暑くて、寒くて、空気が悪くて、とてもまともな人間が生きられる環境ではありませんでした。もともと地方の人間とは違って、東京の人間は狭くて暗い場所が好きですよね。江戸時代の長屋の発想を、そのまま近代住宅に持ち込んだのでは?とくに高度成長期以降に量産された住宅は、見た目の効率性や機能性や、短絡的なコスト意識にばかりとらわれて、長く暮らし続ける人の健康や安全という観点が抜け落ちている。◇ただでさえ、高度成長期以降の日本の土建業は、むやみに山を削り盛土をして崩れやすい土地を作り、空気循環も無視した町をアスファルトで固めてきました。そこに、ペラペラの壁でできた、ハウスダストだらけで体に悪い住宅を建ててきたのです。短期的な利益だけを求めて、長期的な視点を度外視してきたから、今になって、耐用年数を過ぎた国土や住宅が壊れはじめてきている。地震や雨によって、簡単に土地が崩れるし、夏は暑すぎて人が死ぬし、冬は寒すぎて人が死ぬ。そういう住環境が日本中にはびこって当たり前になってしまった。◇大量消費や大量廃棄を前提とした経済循環のなかで、必要以上の電気エネルギーや石油エネルギーを要し、短期的な建て替えを要する住宅が作られ続けてしまった。とくに夏は、屋内が暑いせいで、エアコンの電力を大量に消費せねばならず、その結果、街全体がヒートアイランド化してしまい、しかもCO2の排出によって、地球温暖化をも助長する悪循環になっています。口先では「省エネ」だの「CO2削減」と言いながら、実際には国民を断熱性の低い住宅に住まわせることで、大量のエネルギーを消費せざるをえない状況を強いている。ひとたび停電になったら、生命すら繋げないような住宅。◇この種の問題を「消費者の自己責任」で済ましてはいけません。そもそも一般の消費者には専門知識がないのだから。行政が積極的に主導して、国民生活の安全性を担保しなければならない。国や不動産業界は、建売物件や賃貸物件を、「健康」と「安全」という観点から等級化すべきだと思う。そうしなければ、もはや住環境に対する信頼性を担保できないと思います。◇従来のように「最寄り駅が何分」などといった機能的な条件は、コロナ禍のなかでプライオリティが下がっていますし、そんなことよりも、「地盤が強固である」とか、「建物の耐震性が高い」とか、「夏に涼しい」とか「冬に暖かい」とか、「騒音が少ない」とか、「ハウスダストが少ない」とか、そういうことの方がはるかに重要性を増しています。ことは国民の生命や健康に関することであり、国内経済のエネルギー問題にも関わることであり、さらには地球温暖化の問題にも関わることなのだから。
2023.02.10
昨日の読売新聞に、「ツイッターデモ」についての記事が載っていました。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6451564Twitterによるデモは、少数のアカウントによる投稿が、不当に増幅されることで成立している面がある。たとえば、〔安倍晋三国葬反対〕のような左派の主張であれ、〔外国人生活保護反対〕のような右派の主張であれ、同様の仕組みで数が増幅されている。いわゆる「炎上」にもそういう面があるはずです。世論調査などとの比較が必要ですが、ラウドマイノリティの主張が不当に増幅されれば、実数的な世論とは異なる「世論」が社会的な力をもちかねない。◇Twitter は、「ツイート数」「いいね数」「リツイート数」「フォロワー数」など、事実上、数の多さが影響力を発揮しやすいメディアですが、じつは複数アカウントや自動投稿が容易なので、まったくその信頼性が担保されていません。実際、Twitter を見ていると、大量のスパムアカウントによる同一文面の頻繁な投稿に出くわします。したがって、Twitter のようなメディアを、直接民主制の手段として容認することはできません。◇このような《数の偽装》の問題は、インターネットの普及当初から存在しており、「2ちゃんねる」などにも見られましたが、それは改善するどころか、むしろ悪化しています。四六時中ネットに張りついている暇な人や、技術的なアドバンテージをもつ人が、数を偽装して権力を発揮しようとするのですね。あるいは、システムをコントロールする立場の人間が、アルゴリズム変更などの操作をしたりもする。やがて一般のユーザーまでが、数の論理に巻き込まれて党派的な動きしかしなくなり、全体が無内容なコミュニケーションに陥っていきます。◇このような《数の偽装》を取り締まるには、複数アカウントを規制するなどの方法もありえますが、より本質的に求められるのは、そもそも「数の論理」が意味をなさないようなメディアの設計です。そうすることで、数を偽装する動機じたいが失われる。◇もともと民主制において「多数決」は最終手段でしかありません。数の論理に頼るべきなのは、あくまで判断の最終局面においてであり、むしろ重要なのは、そこへ至るまでの「熟慮」や「熟議」の過程です。にもかかわらず、現在のネットメディアの中には、個人的な「熟慮」や社会的な「熟議」を促す場がありません。その意味では、直接民主制を実現する環境がぜんぜん育っていない。◇たんに多数決を取るだけなら、従来どおりの選挙や世論調査などでも十分です。あえて、それをネット上でやるのなら、一般的なネットメディアで使うアカウントではなく、たとえばマイナンバーのように、数の偽装が不可能なシステムを用いなければなりません。むしろ、SNSなどのネットメディアに期待すべきなのは、「多数決」ではなく「熟議」の場としての機能です。それこそが直接民主制への可能性を開くのだから。◇個人的な「熟慮」にしろ、社会的な「熟議」にしろ、それをおこなうには、つねに二項対立的な思考が必要です。つまり、「一方的な趨勢」や「同調的な空気」に流されず、対立する立場があることを前提のうえで、たがいを比較しながら検討を深めなければならない。しかし、現在のSNSなどの論調は、「趨勢」や「空気」のような数の力に流されがちで、ろくに内容の吟味や検討がないまま、全体の主張が一方の極へと容易に振れてしまうのです。◇かりに、ネット掲示板などで政治的な「熟議」を促すとすれば、ひとつのトピックに対して、すくなくとも「Yes」「No」などの2つのスレッドが必要です。そうすることで、数の多さや趨勢に流されることなく、つねに自分の立場を維持しながら意見を述べることができるし、同時に、対立しあう立場の意見を比較しながら、その妥当性を吟味して、判断の是非を検討することができる。◇このような「熟議」の場において、それぞれの意見の重要度は、たんに「賛同数」などで測られるべきではありません。たとえば科学論文などと同じように、「引用数」や「参照数」などで計量することもできるはずだし、あるいは、意見のオリジナリティの度合いを、使用語彙などから、AIで判定することも可能かもしれません。◇インターネット上に、こうした「熟議」の場を形成することができれば、それは直接民主制の可能性を開くことになります。すなわち、議会や司法や行政判断などの場に、市民が直接参加する機会を作り出すことになる。のみならず、科学研究など専門性の高い議論にも、一般市民への門戸を開くことになるはずだし、それによって学会の閉鎖性などを解くことにもなるはずです。◇このような「熟議」の場は、民間の事業として設計・運営されるよりも、公共的な機関によって設計・運営されるほうが妥当です。それが直接民主制を可能にするのなら、公的な意義もあります。たとえば、NHKプラスのアカウントなどは、世帯ごとに1つと限定されていて数の偽装がしにくく、もともと世論をはかるメディアとしての前提も備わっている。公的な判断にかかわるトピックだけでなく、一般的な関心の高い三面記事のような時事ネタについても、市民の「熟慮」や「熟議」を促す場が存在することで、無用な炎上や、デマの拡散や、偽装的なデモ行為などを抑制することが期待できます。
2023.01.25
日本の祝日の朝に、日本列島にめがけてミサイルが飛ばされる。まだ寝ていた人たちは、スマホのJアラートに飛び起きる。情報が錯綜して、朝のテレビ番組は長時間中断する。国民の不安を最大限に煽れるだけではなく、祝日なので、経済活動への影響は最小限に抑えられる。まるで周到に計算されたかのようなシナリオ。あらかじめ見計らったような絶好のタイミング。存在感を示したい北朝鮮にとっても、支持率を浮揚させたい日本政府にとっても、予算を確保したい防衛利権者にとっても、見事なまでに利害が一致します。まさに三方よし。— 🐾れい共革命⛑️(KSC) (@reiwarokumonsen) August 13, 2022ちなみに、ミサイルそのものは上空に消えたらしいので、本当に飛んだのかどうかさえ分からない。むしろ、ミサイルを飛ばさずにJアラートだけ鳴らしたほうが、費用対効果の面では好都合だとも言えます。どうせ誰も分からないのだから。◇ただし、注意が必要なのは、防衛利権を追求する人間たちは、目的のためなら手段を選ばない、ということ。軍事予算を確保するためなら、ミサイルの先端に爆弾をつけて本土に着弾させる…ぐらいのことはやりかねない。平気で人を殺すような連中だからです。そうならないためにも、なるべく早くこのカラクリを明らかにすべきです。
2022.11.03
イーロン・マスクが Twitter の改革を表明しています。良くなるのか悪くなるのか分かりませんが、そもそも、わたしは、現状の Twitter が良いメディアだとも感じていません。企業にとっては、さぞかし利用価値のあるメディアなのでしょうが、社会にとっては、むしろ害のある悪いメディアだと思います。その最大の問題は、情報の信頼性を担保する設計がされていないこと。Yahoo!知恵袋 なども、質問者自身がベストアンサーを選ぶ杜撰な仕組みで、解答の信憑性を担保する設計がなされておらず、その結果、デタラメな情報を拡散していますが、それと同じように、Twitter の場合も、情報の信頼性が著しく低い。それをたんにユーザー個人の責任に帰することは出来ません。設計そのものに問題がある。◇Twitter や Instagram のユーザーは、「いいね」数や「フォロワー」数を増やすように、心理的に誘導されています。その結果、とくに日本では、いわゆる《虚礼》的な行動が多くなっています。これは、たとえば年賀状を交換したり、お中元やお歳暮を交換したり、バレンタインデーに義理チョコを交換したりするのと同じで、自分が「フォロー」を貰うために他人を「フォロー」し、自分が「いいね」を貰うために他人に「いいね」をつけている…ということ。つまり、Twitter や Instagram の「いいね」数や「フォロワー」数は、たんにフォロワー同士の儀礼的な相互承認の手段でしかなく、すこしもアカウントの信頼性を評価する指標にはなっていないし、すこしも情報の信憑性や有用性を評価する指標にはなっていない。その結果として、信頼性の低いアカウントに大量の「フォロー」がついたり、信憑性や有用性の低いツイートの情報に大量の「いいね」がついたりします。さらに、多くのユーザーは、フォロワーからの「いいね」を得続けるために、集団に同調したり忖度するようなことしか呟かなくなります。あげくの果てには、情報の正否もろくに確認せず、ただたんにフォロワーに同調して、デマの拡散や炎上・バッシングに加担したりする。にもかかわらず、Twitterでは、「フォロワー」の数が多いアカウントのツイートや、「いいね」がたくさんつけられているツイートのほうが、あたかも情報として価値があるかのように錯覚してしまいます。たとえそれが無意味な反復や荒唐無稽なデマであっても。◇Twitterの世界を支配しているのは《共感》という価値基準です。「いいね数」や「フォロワー数」はそれを測る指標です。しかし、この《共感》という価値基準は、経済的には有用だとしても、社会的には諸刃の剣です。たとえば、デマが容易に拡散するのは、デマに《共感》してしまう人々が多いからです。多くの人々は、不都合な真実よりも、都合のいい嘘のほうを信じたくなる。ほんとうは日本が負けていても、あえて「日本が勝っている」という嘘のほうを信じてしまう。◇Twitter や Instagram が、「いいね」数や「フォロワー」数を指標にさせることで、ユーザーの《虚礼》的な行動を誘導しているのは、そこに営利的な目的が絡んでいるからです。たとえば、何百人、何千人のフォロワーに対して、ほとんど投稿された内容を確認することもなく、ただ儀礼的な「いいね」をつけるだけのために、一日に何時間も Twitter や Instagram に張り付いてる人々がいます。そうやって、ユーザーがSNSに貼り付いている時間が長くなれば長くなるほど、広告媒体としての存在感が強まってテレビを凌いでゆくわけで、営利を目的とする企業側の狙いはそこにあるのでしょう。それこそ、年賀状の交換によって郵便局が稼いだり、お中元の交換によってハム屋が稼いだり、義理チョコの交換によって洋菓子屋が稼ぐのと同じように、社会に「虚礼」の習慣が定着すればするほど、企業としては旨みのある商売で安直に稼ぐことが出来るからです。◇Twitter が変えていくべき点とは何か。それは、信頼性の低いアカウントに大量の「フォロー」がつき、デタラメな情報に大量の「いいね」がつき、その結果として、容易にデマが拡散したり、苛烈な炎上やバッシングが起きたりするという状況です。まずは、その問題をこそ改善しなければならない。もちろん、インターネットを利用する個々のユーザーに、ある程度の「リテラシーの向上」を求めることも必要ですが、それには限界がある。実際には、知識階層と大衆層の格差を、いっそう拡大させる結果にしかならないでしょう。たとえば、AIによって、メディアごとの情報の正確性や有用性をランキングするなど、ネット上の情報環境を評価するシステムが必要ではないかと感じます。いずれにせよ、「いいね」数や「フォロワー」数を増やすような心理誘導によって、ユーザーの虚礼的な行動を扇るような設計は根本的に改めるべきでしょう。
2022.11.03
穀倉でやれば?予算5万円ぐらいで。穀倉◇国葬について、若い世代は賛成のほうが多いと言われていた。たしかに、若い世代は、まだ「人の死」に慣れていないわけだし、顔見知りの人物が死んだ際には、その形式の妥当性うんぬんではなく、思いつくかぎりの厳かな儀式に期待したり、そんなナイーヴな気分にも陥るのでしょう。わたしも昭和天皇が死んだときには、そんな気分になりましたよ。まだ十代だったし。それに、いまの若い世代は、統一教会へのアレルギーも相対的に小さいし、そもそも、政治に対しても、またマスコミの報道に対しても関心が薄いから、カルト宗教問題への感度が低いのも仕方ありません。とはいえ、やはりカルト宗教が政権に侵食している状況への違和感は、若い世代においてさえ日に日に強まっており、いまや反対意見が上回りつつあります。軍国主義や独裁主義ならいざ知らず、民主主義国家にあって、これほど 国民の賛同を得られない国葬 も珍しい。ま、「ゴリ押ししたのは麻生太郎」ってことで、さもありなんですけどね。逆にいうと、これは日本の民主主義が正常に機能してないことの証でもある。現状、日本の国家は、国民の意思とは異なる力学で動いているのです。その力とは、一言でいうならば「アベトモの残滓」です。しかしながら、そうした「アベトモの残滓」もつぎつぎ逮捕されている状況だし、安倍晋三の国葬の日には、国民の「半旗」ではなく、国民の「反旗」が掲げられるかもしれない。国民から背を向けられた国葬が、憶面もなく挙行されるとすれば、それは民主主義国家にとって歴史的かつ大いなる「醜聞」です。
2022.09.07
統一教会は、どうやら北朝鮮の体制維持のために貢献してきたようです。日本人信者からまきあげたカネを、北朝鮮に流すことで巧みに飼いならしていたともいえる。のみならず、それを世界中にばらまくことで、各国政府からの支持も取りつけていたわけですね。◇反共を掲げていた時代の統一教会と、日本の自民党が結んでいたのはともかくとして、冷戦後の統一教会は、むしろ北朝鮮の体制を支えてきたというべきなのだから、たとえば、共産党がそれと結ぶのならともかく、あるいは、なんらかのリベラル勢力が接近するのならともかく、実際には、あいもかわらず自民党が統一教会と結んできたのであり、それを支持してきたのは、日本の「自称保守」や「アベトモ」の勢力だったのです。つまり、日本の共産党やリベラル勢力が、冷戦後の統一教会の「平和政策」なんぞよりも、あくまで国内信者たちの被害のほうを問題視したのに対し、 自民党や保守を名乗る勢力は、国内信者の被害の実態をかぎりなく軽視し、統一教会の「平和政策」をこそ支持する選択をしてきたわけ。◇そもそも、日米韓の保守陣営にとって、北朝鮮の体制が存在しつづけることは、かならずしもデメリットではありませんでした。なぜなら、北朝鮮がミサイルを撃てば撃つほど、日米韓の防衛利権はかえって潤うのだし、危機感のなかでは政権の支持率も安定するからです。実際のところ、北朝鮮は、第二次安倍政権以降にやたらとミサイルを撃つようになった。pic.twitter.com/KPVJvpl7NM— 🐾れい共革命⛑️(KSC) (@reiwarokumonsen) August 13, 2022考えてみれば、そんなミサイルの開発費用でさえ、統一教会をとおして日本から流れていたと言っても間違いではない。そんなふうに弱小国家をうまく飼いならすことで、アジア地域の平和と安定が保たれていたのなら、それはそれで「巧みな国際バランス」ともいえるけれど、しかし、それが、日本人信者の巨額献金や家庭崩壊の上に成り立っていたとしたら?あるいは拉致被害者に対する愚弄の上に成り立っていたとしたら? それを「自称保守」勢力が是認できる大義とは何なのでしょう?
2022.08.16
小川榮太郎が、「保守の内ゲバを避けよう」みたいな呼びかけをしていますが、おまえが言うな!って話です。そもそも、保守陣営が分裂しているのは、小川榮太郎や杉田水脈みたいなエセ保守が、いつまでたっても統一教会を擁護しつづけるから。「生産性のない同性愛者に国民の税金を使うな」「夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援は日本の《家族》を崩壊させる」「LGBTの性的嗜好を認めるなら痴漢の権利も保障すべき」…こうした思想自体が壺教団の考え方に酷似している。保守が本来の一体性を取り戻すためには、何よりもまず、これらの壺系勢力を一掃しなければなりません。
2022.08.13
統一教会との関係を疑われた議員の多くが、「関連団体・友好団体だとは知らなかった」などと釈明しています。ほとんどの議員はウソを吐いていると思いますが…百歩譲って、これらの釈明が本当だとするならば、そうした結果を招いた原因は、統一教会が公安の監視対象から外れているからであり、さらに名称の変更が許可されてしまったからであり、結果として、組織の実態が把握しにくくなったからです。◇こうした現状は、統一教会との関わりについて、「もはや個々の議員の判断には委ねられない」ことを意味しています。個々の判断ミスこそが失敗を招いているのだから。にもかかわらず、岸田文雄や茂木敏充は、「個々の議員に点検と注意喚起を促す」などと言って事を済ませようとしています。個々の議員の判断ミスが原因なのに、この期に及んで「個々の議員に任せる」というのでは、なんの解決にもならないし、なんの政治的回答にもなりません。また同じことが繰り返されるに決まっている。◇重要なのは、岸信介の勝共連合成立以来、多くの議員がなぜ統一教会と集団的に関わってきたのか、その背景と経緯を明らかにしたうえで、もう二度と名称変更を許さず、ふたたび公安の監視下におき、関連団体などの実態をすべて詳らかにさせることです。場合によっては、宗教法人格そのものを取り下げねばなりません。そうすることによってはじめて、個々の議員が判断に迷うこともなくなるのだし、それを言い訳にすることも出来なくなるのです。◇自民党執行部は、「党としての関係はない。個々の議員の問題にすぎない」と説明しています。統一教会本部も、「教会としては支援していない。個々の信者の意思で支援しているだけ」と説明しています。なぜ、これほどロジックが似ているのでしょう??おそらく、自民党と統一教会は、こうした手法を互いに共有してきたのだと思います。いまのところ、2つの組織は「同じ体質」に見えます。◇歴代の首相経験者が、日韓トンネル構想を推進してきた経緯と背景についても、そして、その現状がどうなっているのかについても、政府としての説明が求められています。歴代首相が計画をぶちあげてきた以上、このプロジェクトを継続するのか、それとも断念するのか。それについても、今回はっきりと明言せねばなりません。
2022.08.07
公明党の北側一雄は、統一教会のことを「反社会的な団体」だと言ったのですが、これに対して、すかさず官房副長官の木原誠二は、「反社会的勢力という言葉をあらかじめ限定的、統一的に定義することは困難」だと述べて、政権与党の見解の修正をはかりました。…この言い方は、もともと、2019年に「桜を見る会」の参加団体が問題になったとき、その追及を逃れるべく、安倍政権が閣議で決めたレトリックです。なお、ここでの「あらかじめ」というのは「事前に」という意味です。◇しかし、統一教会の問題は、霊感商法であれ、巨額献金であれ、現に国民の深刻な被害が出ているのだから、すでに「事前」ではなくて「事後」の話です。もし、事前にも定義できず、事後にも定義できないのだとしたら、自公政権はいつ「反社」の定義をするつもりなのでしょう?このレトリックは、政権と関わった団体を「反社」としないための逃げ口上だったのですが、かりに「反社」の定義を永久に逃れ続けるとしたら、事実上、暴対法さえ免れれば反社にならないことになる。◇岸田文雄は、「社会的に問題になっている団体との関係は、 政治家の立場からそれぞれ丁寧に説明していくことが大事」だとし、茂木敏充も、「社会的に問題が指摘されている団体との関係は、 国会議員としての立場を踏まえ、厳正かつ慎重であるべき」だとし、苦しまぎれに「反社」という表現を回避しています。しかし、その結果、統一教会についての自民党の見解は、「社会的に問題はあるけれど、反社会的とは言えない」という、ほとんど理解不能なレトリックに帰着しました。そして、今後3年間にわたって、自民党議員たちは、この意味不明な日本語を繰り返していくのです。
2022.08.04
文鮮明の教義のなかに、「天皇を自分にひれ伏させることで恨ハンが晴れる」というものがあるそうです。まともな右翼が聞いたら激高しそうな教えですが、なぜか現在の右翼は、口をつぐんだまま。…右翼って何なんでしょう?右翼も地に堕ちましたね◇ネトウヨ雑誌の『WILL』や『Hanada』は、まるで示し合わせたように統一教会の「と」の字も出さない。この二誌の本質がうかがい知れる。一般のネトウヨも押し黙ったままです。結局のところ、彼らは「保守」のフリをしているけれど、その実体はカルトキムチなのです。ふだんは嫌韓を装っているけれど、それは自分自身の「キムチ性」を隠すためのパフォーマンスでしかない。◇アパ日本特別賞作家の小川榮太郎は、よりによって、安倍晋三を三島由紀夫になぞらえたりしています。しかし、周知のとおり、反米の天皇主義者だった三島由紀夫と、親米で統一教会とも結託した岸~安倍一族は、政治的立場があまりにも違っている。三島から見れば、岸~安倍一族など、もっとも憎むべき国賊でしかないはずです。◇まともな保守思想家ならば、防衛トップと公安トップが統一教会と関わりをもち、あろうことか「マザームーン」などと崇拝し、国家の機密情報がカルトキムチに筒抜けになりかねない状況は、絶対に許しがたいはずです。しかし、いまの日本には、まともな保守論者などどこにも存在しない。おかげでリベラル側の人間が、「保守のあるべき姿」について代弁せざるをえないという、奇妙な事態に陥っています。
2022.07.27
二之湯智国家公安委員長「事務所近くに旧統一教会の事務所がある」「運動を起こすのでちょっと名前を貸してほしいというので貸した」「統一教会の教義もよく知らない」…それを調べるのが公安の仕事だろ。 だめだこりゃ。◇山本朋広元防衛副大臣「今日はマザームーンとともに皆様と特別な一日を過ごしたい」「マザームーンに、カーネーションの花束をプレゼントさせていただきました」「マザームーンに対しての感謝の思いが、マザームーンへ伝わる」「皆様には我々自民党に対し、たいへん大きなお力をいただいている」岸防衛大臣「統一教会の皆さんは何人かは存じ上げてます。おつきあいもあります」「次の選挙でおつきあいするかは軽々にお答えできない」…関係あるなしのレベルじゃなく、 ひれ伏してるよね、防衛族議員が。いわゆる「家族」なの?◇以前から「日本の政権は米国のポチ」だといわれてきたけど、米国どころか、韓国のポチだった。しかも、韓国政府じゃなく、韓国カルト宗教のポチだった、…というオチ。
2022.07.27
自民党は、けっして統一教会との関係を断ち切れません。下記のとおり、68年の勝共連合設立以来、自民党は一貫して統一教会の活動を守ってきました。その関係をいまさら断ち切れるわけがない。◇1984年日本から韓国への送金の実態を内部告発した副島嘉和が襲撃される。1987年ミニコミ誌で霊感商法を批判した男性が空気銃で狙撃される。マスコミの労組会議は統一教会報道に対する「組織的な妨害」を批判。1995年3月、オウム真理教の地下鉄サリン事件。10月、オウム真理教に解散命令。ここから警察庁・警視庁は統一教会も摘発すべく準備するものの、その後の「政治的な圧力」によって頓挫。(なお94年6月~96年1月が村山内閣。その後は13年間にわたる自民党政権)2006年第一次安倍政権下で公安の監視対象から統一教会が外される。(09年9月~12年12月は民主党政権)2015年第二次安倍政権下で統一教会の名称変更を許可。文科大臣は下村博文。◇…つまり、1980年代の騒動やバッシングによっても断ち切れなかったほど、自民党と統一教会の関係は根深い。統一教会は自民党にとって死活問題なのです。それを今回の件で断ち切れるわけがない。すでに安倍晋三や細田博之は、韓鶴子を賛美し、その活動にお墨付きを与え、これにならって国会議員や地方議員も統一教会との関係を構築しています。現在、統一教会側は、「関連団体との繋がりを知らなかったことにせよ」と水面下で各議員に通達し、政治との結びつきについて隠蔽工作を図っています。もし、この期に及んで、統一教会との関係を断ち切れば、自民党そのものが解体してしまいます。
2022.07.25
山上徹也は、もともと安倍政権を支持していたネトウヨでしたが、じつはこの政権が統一教会をのさばらせてきたと知って許せなくなり、さらには元来の韓国嫌いも手伝って、最終的に政治的な転向をしたのだろうと思います。海上自衛隊に入ったころは、おそらくゴリゴリの保守主義者だったのでしょう。◇一般のネトウヨのなかにも、今回の統一教会の問題が明るみになったことで、自民党に疑念を持ちはじめる人や、自民党と手を切る人々が現れています。そのような人々は、たとえ統一教会と同じ政治理念をもっていても、やはり、このカルト教団の悪行や、それをのさばらせてきた自民党を許せないのでしょうし、根本的な嫌韓感情もぬぐうことができないのでしょう。◇しかしながら、ネトウヨの中には、いまなお自民党への支持姿勢を変えない人々もいます。そのような人は、たとえ韓国が嫌いであっても、政治理念の一致において、「統一教会と手を結ぶこともやむなし」と考えるのだろうし、その理念の一致に比べれば、統一教会の悪行など相対的には些細な問題と考えるのでしょう。実際、「ジェンダーフリー反対」「夫婦別姓反対」「同性婚反対」「性教育反対」「LGBT 排斥」「スパイ防止法賛成」「憲法改正」「"美しい国"の実現」…などの政治目標を共有しているネトウヨは、その点において統一教会と考えが同じなのだから、堂々と連帯表明をすればいいのです(笑)。◇また、たとえ韓国人が嫌いでも、「やはり選挙戦には統一教会員の協力が必要なのだ」と考えるなら、堂々と手を結べばいいと思います。それ自体は、非難されるべきことでも抑圧されるべきことでもない。実際、統一教会は、本来の敵対関係を超えて日本の自民党と手を結んできたのだし、日本の自民党もまた、本来なら敵対すべき統一教会と手を結んできたのです。それを見倣って、この際、ネトウヨたちも堂々と統一教会に連帯表明をすればいいと思う。それによって韓国嫌いが払拭されていくのならば、それはそれで喜ばしいことじゃないでしょうか?◇わたしも、べつに韓国や韓国人が嫌いなわけじゃありません!韓流ドラマは見ないけれど、BTS や TWICE の音楽は聴いてるし、ポン・ジュノの映画も観ています。追記:転向しないネトウヨは、じつは最初から「隠れ統一教会員」なのだろうという話もあります。つまり、嫌韓のフリをしているだけなのですね。
2022.07.18
かつてドナルド・キーンは、三島由紀夫のクーデターについて、「それを狂気とみなすのは間違いであり、 三島の行動は論理的に構成された不可避のものである」と言いました。しかし、わたしは、その意味がいまだに理解できません。三島由紀夫が熱望したのは天皇を中心とする宗教国家であり、彼の天皇信仰はきわめて宗教的なもので、あきらかな狂気でした。それが宗教的な狂気であることは、だれよりも本人が自認していたはずです。三島の立場と敵対するはずの左翼知識人の多くが、彼のことをけっして否定できないのも、基本的に「他人の宗教的熱狂を否定することはできない」からです。もちろん、だからといって、宗教国家の復活なんぞを容認することは出来ませんが。◇山上徹也の場合は、三島由紀夫とは真逆です。彼は、宗教国家の復活を望んだのではなく、むしろ宗教と国家の癒着を嫌悪していました。すでに、米本和広へ送付した手紙の内容が公開されると同時に、山上自身の Twitter のアカウントも特定されており、犯行に至るまでの思考の流れが明らかになっています。もともと彼は、安倍政権を支持しており、その嫌韓的な立場から周囲に「ネトウヨ」と呼ばれていましたが、よりによって櫻井よしこや三浦瑠麗のツイートを見たことで、安倍晋三と統一教会との癒着に気づきはじめ、やがて、「安倍晋三は本来の敵ではない」と認識しながらも、「現実世界でもっとも影響力のある統一教会のシンパの一人」として、やむをえず安倍晋三へと標的を移したのでした。◇彼は、米本和広へ宛てた手紙のなかで、「安倍晋三の死がもたらす政治的意味と結果について考える余裕はない」と書いていますが、いまにして考えれば、それは、彼がもっとも期待した「意味と結果」をもたらしているように見える。かりに統一教会の教祖を暗殺できたとしても、それは、国際問題に発展しこそすれ、今回のように国内政治の矛盾を浮かび上がらせることはなかっただろうし、それどころか、かえって統一教会の結束を強化させる結果になったかもしれません。むしろ、今回の安倍晋三の「代理的な死」のほうが、はるかに統一教会にとって大きな打撃になっているし、国内政治の矛盾を暴露することにも帰結している。その意味で、事態は山上が期待したとおりに推移しています。 ◇わたしから見ると、三島由紀夫の狂気に比べて、今回の山上徹也の犯行のほうが、はるかに「論理的に構成」されているように見えます。宗教国家の復活を熱望した三島由紀夫の狂気は、当時の自衛隊にさえ賛同されずに未遂と自決に終わりましたが、今回の山上徹也の場合は、暗殺までを単独で完遂させただけでなく、かりに「政治と宗教の癒着を断ち切るべきだ」というのが、彼のメッセージであったと考えるならば、そのことに反対できる日本人もほとんどいないのです。
2022.07.18
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