まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2019.12.17
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現在のフィギュアスケートの採点方法が、
「ジャンプ至上主義」だと批判されています。

しかし、
それはもともと日本の選手に始まっています。
伊藤みどりから浅田真央に受け継がれたのです。
なぜなら、かつての日本の選手は、
芸術性において欧米の選手に及ばなかったからです。
日本の選手こそ「フライングガール」だと評されてきたのです。

ところが、
いまになって日本の似非愛国的なジャーナリストは、
海外選手にジャンプで及ばないと分かった途端、
「ジャンプ至上主義だ」と批判をはじめています。

個々の選手に罪はありませんが、
そういう日本のジャーナリズムの姿勢は見苦しいです。
(とくに読売の橋本五郎)
そもそも、いまのロシアの選手は、芸術性の点でも優れています。

ほんとうに芸術的なものが見たいのであれば、
競技ではなく、アイスショーを見ればいいのだし、
だからこそ、わたしはザギトワの「引退表明」も支持できると思いました。
早とちりでしたが。



わたしは、フィギュアの競技が、
現時点では「ジャンプ至上主義」でも仕方ないと思っています。
いまのところは、そこでこそ優劣がはっきりするのだから。

いずれジャンプで優劣がつかなくなれば、
おのずと表現力や芸術性で競うようになるはずです。
そして、
芸術至上主義になったらなったで、
日本の選手が不利だと分かった途端、
またぞろ「芸術性の優劣を、誰がどんな基準で決められるのか」
などと批判しはじめる不届き者が現れるのです。

そういうことを、飽きもせずに、延々と繰り返しているのです。

そういう人たちは、
たんに自国の選手が表彰台に上がるのを喜んでいるだけで、
実際のスケートなどほとんど見ていないのです。



たしかに、
フィギュアスケートの低年齢化の問題には、
いろいろと考えておくべき要素があります。

まずは、
大人よりも子供のほうが優れている分野があるという厳然たる事実を、
率直に認めなくてはいけません。

そのうえで、
その能力ばかりを叩き込まれることが、
子供の健全な発育にとって適切なのかという問題もあるでしょう。

とはいえ、
スポーツであれ、音楽であれ、勉強であれ、
多くの子供たちが、プロアマを問わずに、
すでに小さい頃から熾烈な競争に追い込まれている現実があります。

それをオリンピックの舞台でやるかどうか、というだけの話です。

もとはといえば、オリンピックそれ自体が、
国どうし、個人どうしの競争主義の原理で行われているのです。

いっそのこと、そういう競争を認めるのならば、
レベルの高いジュニア部門と、
よりレベルの低いシニア部門と、
さらにレベルの低いシルバー部門とに分けてもいいのかもしれません。

これは、
べつにフィギュアスケートにかぎった話ではありませんが、
「老人のオリンピック」があってもいいんだろうと思います。
それこそ少子高齢化していく日本が主張していくべきことだと思います。





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最終更新日  2021.07.26 01:16:41


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