全12件 (12件中 1-12件目)
1
NHK「歴史探偵」の北斎特集を見ました。これといって新しい情報はなかったけど、久保田一洋の話のあと、長野・小布施の「穀平味噌」に残っている、応為が小山岩治郎に宛てたという手紙が紹介されました。そこに描かれている手の指の形が、いかにも応為らしい特徴的なタッチでした。
2021.04.28
NHK「皇室が守り続けた“いのちの美”」を見ました。伊藤若冲と円山応挙のことが取り上げられていました。正月時代劇の「ライジング若冲」を見たとき、中川大志の演じた円山応挙は、ただ"語り部"として登場しているだけかと思ったけど、あらためて考えてみると、あれって応挙の物語として見ることもできますね。◇円山応挙は、農家の出でありながら、若くして狩野派に学び、やがては天皇の御所造営に食い込むまでになり、現在につづく「円山派」の基礎を築きました。 かなりの出世を果たした「やり手」です。しかし、彼の経歴のなかでいちばん重要なのは、狩野派に学んだ後、絵師のとして大成するまでの、独自の修行と幅広い交遊の期間なのですよね。まさに、あのドラマでは、その時期の応挙の姿を描いていました。彼は、狩野派の保守性に飽き足らず、当時の町人文化に交わって庶民的な画風を吸収し、その一方、西洋玩具屋に働いては、異国の近代文明にも接し、いわゆる「眼鏡絵」を作ったりしながら、遠近画法や写実画法にも取り組みました。京都に生きた応挙は、江戸の北斎より二回りほど年上ですが、やはり西洋近代の息吹を浴びていたと思います。応挙が売茶翁のオープンカフェに出入りしてたのも事実で、「蓬莱山図」「竹林七賢図」など道教っぽい作品も多いし、仙嶺だの、洛陽仙人だのと名乗ったりもしている。大典顕常が応挙の絵を誉めることもあったようです。ちなみに、若冲のパトロンは大典顕常でしたが、応挙には円満院祐常や三井家のような大パトロンがつきました。◇円山応挙や伊藤若冲は、それまでの伝統的な様式美が覆い隠していたものを、近代的な写実主義によって剥ぎ取ってしまったわけですが、応挙の場合は、若冲ほどには過激ではありません。若冲の写実性は、ある種のポルノグラフィに近いところがあります。世俗的な欲動と、近代的な力動にまかせて、ちょっとグロテスクなものまでが露わになっている。下品で、暴力的で、悪趣味。かりに狩野派が、能のわびさびであるならば、若冲の絵は、歌舞伎のどぎつさにも似ています。◇これに対して、円山応挙の場合は、伝統から革新までの技法に学んだ集大成的な様式によって、 パトロンの需要と、時代の要請に、わりと穏当なかたちで順応したのかなと思う。若冲が内的衝動の人だったとすれば、応挙はあくなき技法の探究者だった、ともいえます。ドラマでも、そのように描かれていました。名前を変えるたびに技法も変えていたのではないでしょうか。
2021.02.13
NHKの「ライジング若冲 天才かく覚醒せり」を見ました。2017年の「眩~北斎の娘」のときは、朝井まかての原作があったけれど、今回のドラマに原作はなく、源孝志の作・演出ってことです。空から舞い降りてくる「黒い雁」を、赤や緑のハート模様の「白い鳳凰」が受け入れる対幅に重ねて、若冲と大典とのBL風の物語を描き出す、という趣向でした。◇そのボーイズラブの真偽はともかく、売茶翁の営む茶店(オープンカフェ)が、若冲や大典だけでなく、円山応挙や池大雅らも集うような「芸術サロン」だった、という事実はかなり興味深いものだし、今後、国内外で、この上方の芸術サロンの存在に関心が高まって、江戸時代の芸術についての研究が、さらに進んでいくことになるかもしれませんよね。◇ただ、今回のドラマは、ボーイズラブ以外の部分については、さほど踏み込んだ歴史的解釈はしておらず、わりと無難に史実をまとめただけ、という感じもします。彼らの交流が、どんなふうに影響し合い、それぞれの人生や作品に何をもたらしたのか。その部分の突っ込みには、ちょっと甘さを感じました。とくに疑問を感じたのは、「仏」と「神」が混在していたことです。つまり、仏教と道教との関係が曖昧でした。◇大典は、みずからが禅の境地を得るために、若冲に対して「仏を描いてほしい」と懇願します。しかし、若冲が生き物の姿に見出したものは「神気」でした。これは同じものでしょうか?鳥や蛙、魚や虫には表情がないから、喜怒哀楽もない、と人間は勝手に思ってる。しかし生き物である以上、欲も愛もある。それを外界に「気」として放ってる。この発想は、あきらかに道教的です。いわゆる神仙思想、あるいは老荘思想です。そもそも「若冲」の名の由来にもなった"大盈は冲しきが若きも 其の用は窮まらず"というのも、老子の言葉でした。◇このドラマは、禅僧である大典との関係を軸にしながら、最後に「釈迦三尊」を中心に据えた「動植綵絵」を、相国寺に寄進するところまでを描いています。その結果、おもに仏教(禅)とのかかわりが、クローズアップされているようにも見えます。しかし、若冲の絵の本質は、仏教ではなく、むしろ道教のほうに近い気がします。ちなみに「動植綵絵」は、明治の廃仏毀釈のときに皇室へ移り、寺には「釈迦三尊図」だけが残ったようですが、そもそも「釈迦三尊図」というのは、若冲の大作を寺に置くための建前として、「動植綵絵」に添えられただけのものにすぎない、という気がしないでもありません。作品のメインは、じつは「釈迦三尊図」ではなく、あくまで「動植綵絵」のほうではないでしょうか?そして、それは、仏教的な「理知」の世界ではなく、道教的な「生命」の世界だと思うのです。◇売茶翁は、それこそ道教の仙人みたいな恰好をしていましたが、まさに彼の煎茶こそが、老荘思想の精神を如実に示していましたし、それは同時に、茶の湯(=禅)に対する批判でもありました。売茶翁は、若冲の「動植綵絵」を目にしたとき、「あんたの絵の腕はもはや神の領域や」と言いました。しかし、同時に、「こういう絵は仏のためにこそ描かれるべきや」とも言いました。ここでも「神」と「仏」が混在しています。これらは同じことなのでしょうか?それとも、彼らは神仏の融合を目指していたのでしょうか?
2021.01.06
2年前にNHKが放送した「眩(くらら)~北斎の娘~」について、当時はわたしも熱狂的にいろいろとフォローしたし、結果的に、国内外で高い評価を得て、葛飾応為という絵師の再評価に一役買ったけれど、一部には、あのドラマに対して、「ちょっと物足りない」という厳しめの評価もあったようです。じつをいうと、わたし自身、そう感じていた面がなくはない。それは、長塚京三の配役についてです。病床から立ち直ってなお絵を描きつづけようとする北斎の、異様なまでの「業」というか「執念」のようなものを表現するには、長塚京三という役者は、ちょっと品がよすぎるというか、格好よくてスマートすぎる気がした。あのドラマには、医者の役で麿赤兒が出演していたのですが、もしも麿赤兒が北斎役を演じていたら、もっとドロドロとした絵師の凄みを表現できただろうと思います。あるいは、長塚京三よりも、息子の長塚圭史のほうが、より北斎のイメージに近かったかもしれません。逆に、長塚京三を起用するならば、北斎役ではなく、ツンデレな馬琴役のほうがハマったかもしれない。あのドラマでは、野田秀樹が滝沢馬琴を演じていましたが、ちょっとキャラクターとして分かりにくかったのです。むしろ長塚京三のほうが、キャラクターが明解だった気がする。いずれにしても、これはキャスティングに起因する問題だったのですよね。◇話は変わりますが、あのドラマには、じつは編集でカットされていたシーンがありました。特集番組の中でチラッと映っていたのですが、善次郎(松田龍平)が絵を描いているシーンが、本編に出てこなかったのですね。おそらく、そのシーンでは、「お栄の才能に及ばない」と悟っていく善次郎の姿が、もうすこし詳細に描かれていたのだろうと思います。わたしは、そのシーンも含めた長尺のディレクターズカット版を見てみたいのですが、去年発売されたブルーレイでも、とくに再編集はされていないようです。
2019.08.11
二週連続で放送されたNHKの日曜美術館「シリーズ北斎」。1週目は、永田生慈氏の仕事と、六本木での「新・北斎展」を紹介。2週目は、滝沢馬琴と組んだ読本挿絵の世界を掘り下げていました。◇1週目で大きく取り上げられていたのは、最晩年の対幅「雨中虎図 & 雲龍図」と、同じく最晩年の大作「弘法大師修法図」なんだけど、どっちも応為っぽいよねえ(笑)。「向日葵図」も「西瓜図」に似て、やっぱり応為っぽい。こんどの宮本亜門の舞台「画狂人北斎」にも、いちおう応為(お栄)は登場するわけだけど、あえて応為の代筆の謎には触れなかったようです。しかし、やはり晩年の北斎の作品を語るときには、弟子の存在については触れるべきではないかと思います。晩年の作品に「北斎の生きざま」まで見てとったあげく、あとになって「やっぱり弟子の作品でした」なんてことになったら、赤っ恥だしねえ。そもそも脳出血で倒れた90近い老人に描ける絵か?って疑問は消えない。またぞろ欧米の研究の後追いにならないよう気をつけてほしいものです。◇今回のシリーズ企画で興味深かったのは、むしろ2週目の「読本挿絵」の回でした。「椿説弓張月」の存在が知れたことは、今回の大きな収穫!北斎が、滝沢馬琴のファンタジーをとおして画力を高めていったさまは、いわば現代のミュージシャンが、映画のサントラ制作をとおして音楽の幅を広げていくのに近い。そこには、北斎特有の「波頭」の表現が「龍の鈎爪」に姿を変えていく現場もある。それから、番組では「動的エネルギーの具現化」と言われていたけれど、「波」や「雲」や「風」がフラクタルな円の表現に収斂する現場もある。その後の「北斎漫画」などの絵手本も、一見すると多様な画題に取り組んでいるようだけど、やはり、すべての事物を大小の円の組み合わせで描いてるし、むしろ多様な事物のなかに「共通の本質」を見出していたというほうが正しい。◇北斎は、あらゆる事物を「円」で描くのであって、けっして「直線」では描きません。たぶん、そこが応為との最大の違いだと思います。北斎が「直線」を用いるのは、あくまで背景として空間(奥行き)の表現をするときだけです。読本挿絵のなかでは、爆発的な閃光が放射状の直線で描かれていましたが、これも一種の空間的な表現(あるいは非日常性の強調)だといえます。ところが、応為の筆と疑われる作品では、しばしば事物そのものが「直線」で描かれてしまう。そして「直線」が前面に出ることによって、画面全体は、やや平板になってしまう。まさに「弘法大師修法図」なんかは、そういうふうに見えます。さらにいうならば、北斎の描く人物は、下半身に踏んばりと躍動があるけれど、応為の描く人物は、やや下半身が棒立ちのように見えるんですね。
2019.02.20
ひきつづき北斎関連の番組がいろいろと放送されてます。NHKの「北斎“宇宙”を描く」は、富嶽三十六景から小布施の上町祭屋台までの「波」を追究した内容。BS11の「北斎ミステリー」は、キャサリン・ゴヴィエ、久保田一洋、さらに小布施北斎館の安村敏信と目下、応為研究の最前線にいる3人が登場して、現時点での最新の成果を報告するといった内容でした。◇キャサリン・ゴヴィエは「雪中虎図」を応為の作と考えているらしい。北斎には「雪中虎図」「雨中虎図」「月見虎図」の3つの虎図があって、一見したところ、「月見虎図」のみ画風が違っています。わたしは、このうち「雪中虎図」「雨中虎図」が応為の作じゃないかと思っています。「雪中虎図」を見ると、虎の肢体に生き生きとした動きはあるものの、北斎に特有の、画面全体にみなぎるような躍動は感じない。構図としてはスタティックな印象です。虎の絵なのに、荒々しさや獰猛な野蛮さはなく、むしろピースフルな雰囲気を感じさせます。微笑むような柔らかな顔つき、そして、毛皮のモフモフとした温かさと優しさ、モダンで洒落た色使いには、西洋画法の影響や、女性的な感覚があるように思えてならない。この虎の毛皮の不思議な紋様には写実性がなく、ほとんどファンタスティックともいえる意匠で描かれていて、面白いことに「西瓜図」で描かれている西瓜の断面の模様にも似ています。現実から飛翔していくような、この虎の幻想的なモチーフはどこから生まれたのでしょうか。優雅に宙を泳いでいる虎は、ある意味で龍の化身のようにも見えます。◇北斎が描く「波」の、まるで龍の鈎爪を連ねたようなフォルムも、やはり、たんなる写実によっては描くことのできないものです。NHKの番組で語られていたとおり、さながら高速カメラでとらえたような、あるいは微細なフラクタル構造を解析したかのような、写実を超えた真実。それは、表現を突き詰めた結果として、必然的に生まれてくるフォルムなのかもしれません。◇さて、久保田一洋は「富士越龍図」が応為の作との自説を唱えています。全体の構図が「夜桜美人図」に重なる、というのがその理由です。しかし、わたし自身はといえば、これはさすがに北斎の筆だろうと思っています。無駄のない見事な構図でありながら、画面全体がひとつの動きを作り出している。これは、いかにも北斎らしい絵の躍動だと思います。天へ昇っていく龍を描く線にも、ひとつも迷いがない。「夜桜美人図」のほうは、たしかに画面の構成は「富士越龍図」に似ているけれど、全体としてはスタティックな印象を与える。同じことは、岩松院本堂の「八方睨み鳳凰図」にもいえる。これは高井鴻山の筆ではないかとも考えられています。東町祭屋台の「鳳凰図」に構成は似ているけれど、画面全体の印象がスタティックで、まったく動きをもっていない。◇本来の北斎の筆なら、画面全体が迷いなく一つの動きを見せてくるような躍動があります。その極みと思えるのが、上町祭屋台の「男浪/女浪図」です。前へ押し出てくるような男浪。奥へと引きずり込むような女浪。NHKの番組で述べられていたように、これは「宇宙」を具現化したものであり、その宇宙の全体が、迷いなく、ひとつの動きをもっています。◇この「男浪/女浪」の縁絵には、さまざまな動植物が描かれています。地球上の森羅万象が「男浪/女浪」の宇宙を取り囲んでいる。博物学的な関心をもって、細密な輪郭と色彩で描かれています。こちらは、おそらく応為の筆だろうと考えられています。「男浪/女浪」は、いわば北斎父娘の合作による究極の傑作。このような抽象的な画題を天井に施すという発想には、キリスト教のステンドグラスや、仏教の曼陀羅にも通じるような、ある種の哲学、思想性と宗教性を感じずにはいられません。◇最後に、葛飾応為の画風のことを、あらためて検討してみたいと思います。久保田一洋は、その著書の中で、女性の「手指」や「ほつれ髪」の表現のほかに、「直線」の表現が応為の特徴であると繰り返し述べています。北斎自身も、西洋の遠近画法に取り組んだ際には「直線」を多用したはずですが、それはあくまで一つの立体構造を浮かび上がらせるためであって、たんに被写体の直線的な形状を機械的に写実するためではありません。しかし、その後の「北斎作」とされた絵の中には、画面全体の躍動をかえって阻害するかのような、まるで定規で引いたかのような「直線」の表現が見られます。これは、たしかに、あまり北斎らしいとは思えません。かたや娘の応為の場合には、むしろスタティックな「直線」の描写によってこそ、彼女らしい見事な表現の高みへ結実したという面があります。いうまでもなく、それは「吉原格子先図」のことです。そこでは、光の放射や、陰影の対比を表現するために、精密に組み立てられた格子の「直線」が積極的に用いられています。直線的でスタティックな構図の中でこそ、光の動きが躍動する。光の本質が、直線の遮断によってこそ捕らえられる。まさに応為は、究極の光の表現を「直線」によって獲得したといえます。◇わたしが考える応為の画風とは以下のようなものです。・スタティックな画面構成。・定規で引いたような直線の表現。・端正で細密な輪郭。・西洋的でモダンな色彩。・抑制されたエロス。・華奢な立ち姿。・鮮烈な陰影。※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.12.15
杉浦日向子の漫画において、お栄は父のことを「テツゾー」と呼び捨てていますが、朝井まかての小説では「親父どの」と呼んでいます。ここでの「親父」というのは、”父”の意味ではなく、いわば”親方”というような意味です。お栄が幼いころ、北斎工房に出入りしていた弟子たちは、親方である北斎のことを「親父どの」と呼んでいました。幼い日のお栄もまた、彼らと同じ視点から、北斎のことを「お父っつぁん」ではなく「親父どの」と呼ぶようになった。つまり、幼いころに、みずから絵筆を握ることを要求したお栄は、すでに北斎のことも「絵師」として見ていた、というわけです。そのときから、お栄の中には、絵師である北斎に対する尊敬と、彼の娘であることへの誇りが生まれ、同時に、絵師としての理想に届かない自身の苦悩にも脅かされるようになる。これが、朝井まかてが仕立てた、お栄の人物造形です。◇杉浦日向子の漫画は、「江戸」という世界を描くことには成功していますが、北斎や応為の描いた絵の世界を、漫画という手法で再現することは目的としていません。かりにそれを目指した面があったとしても、杉浦は、みずからの漫画家としての技量に不安をもっていたようだし、実際、それに成功しているとは言いがたい。そもそも、杉浦にかぎらず、北斎の絵がもっている傑出した躍動感を、漫画や映像という手法で再現するのは至難の業であり、ほとんど不可能に近いといっても間違いじゃないと思います。しかしながら、朝井まかての作品では、小説という手法によって、すくなくとも、娘・応為の浮世絵の世界に迫ろうとはしています。さらに、それを原作としたNHKのドラマは、応為の絵の色彩と陰影の世界を、見事な映像表現によって再現しえていると思います。◇別の面からみると、杉浦日向子と、朝井まかてのあいだには、浮世絵そのものに対する考え方の違いもあったかもしれません。おそらく、杉浦日向子は、浮世絵というものを、文字どおり、浮世の「商売」と見なしており、それに対して、朝井まかては、浮世絵を限りなく「芸術」に近いものに見たてようとしている。たしかに、江戸時代の浮世絵というのは、あくまでも職人の生業にすぎないものであり、西洋的な意味での「芸術」ではなかったかもしれません。しかしながら、朝井まかては、幕末から近代に向かう時代を生きた葛飾応為の中に、日本における「芸術」という概念の萌芽を見ようとしたのではないでしょうか。そのことが、杉浦の漫画と、朝井の小説との、描こうとする世界の違いとなって表れたように思います。※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.10.28
文芸評論家の加藤弘一は、杉浦日向子の「百日紅」について、お栄のおぼこぶりもひっかかるが、善次郎がまるっきりウブというのもげせねぇ。後の渓斎英泉、女郎屋までひらいた男だよ。だまかすなといいたいね。との批判を書いています。杉浦日向子の漫画において、お栄は、じゃりン子チエみたいに、父の北斎を「テツゾー」と呼び捨て、まるで現代の父娘のように対等に振舞っているのですが、そのような娘としての態度のなかにも、いわば女性性を拒んだままの「おぼこぶり」が見て取れるのかもしれません。事実、杉浦日向子は、お栄の絵に色気がなかったのは性的に未成熟だったため、と解釈していたようで、物語は、ある面で、お栄の女性としての成長譚になっています。◇杉浦日向子の作品において、お栄や善次郎が未成熟に描かれているのは、ある意味で当然です。なぜなら、彼らの年齢設定が若いからです。文化11年といえば、北斎がようやく「北斎漫画」を描き始めたばかりのころ。つまり、彼が独自の画風を確立するより前の時期であり、23才に設定されているお栄や善次郎にいたっては、人としても、絵師としても、まだまだ未熟だった時期です。おそらく、杉浦日向子の作品の目的は、彼らの画業を探求することでもなければ、北斎父娘の歴史的な実像に迫ることでもありませんでした。むしろ、杉浦の主眼は、絵師としての地位を確立する以前の彼らの姿をとおして、「江戸」という世界の諸相をファンタジックに描くことだったと思われます。一説によれば、昭和の現代を生きる女性としての杉浦自身の姿を、お栄にむけて投影することを意図していたのではないか、とも言われます。◇一方、朝井まかての小説は、お栄が南沢等明に嫁いだあとから話が始まります。つまり、お栄はすでに、物語の最初から、性的に成熟しています。それにもかかわらず、お栄の絵には「色気がない」と言われる。なぜなら、それは一貫して変わらないお栄の画風だからでしょう。実際、葛飾応為の絵には、ある時点から色気が生まれたというような形跡もないし、むしろ生涯にわたって色気とは無縁の絵師だったのであって、彼女自身の性的な成熟とは無関係に思えます。◇朝井まかての小説のはじまりは、北斎が「北斎漫画」によって独自の境地に達し、ついに「富嶽三十六景」を出版しようとする前夜の時期でもあります。その物語は、やがて「春夜美人図」や「三曲合奏図」を経て、葛飾応為が最後に到達する「吉原格子先之図」へと向かっていきます。北斎父娘の関係性も、彼らの画業の歴史も、そうした作品群をもとにして想像されています。もちろん、最新の研究成果も踏まえられているので、時代考証における説得力でも、朝井の小説のほうが上回っています。そこらへんが、朝井の小説と、杉浦の漫画との大きな違いです。◇朝井まかての小説と、それを原作としたNHKのドラマにおいて、非常に成功していたと思われる点があります。それは、葛飾応為の「絵」の世界を、言語や映像という方法で再現しえている、ということです。これについては次回に書きます。※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.10.21
杉浦日向子の漫画「百日紅」を読んでみた。北斎父娘や渓斎英泉らを描いた作品としては、それ以前に上村一夫の「狂人関係」などもあったのだけれど、その後の諸作品にあたえた影響という意味でも、やはり杉浦漫画が土台になっている部分は大きいようです。杉浦漫画の印象が強いために、ここにこそ北斎父娘の実像が描かれていると、信じてしまう人もいるみたい。でも、幽霊がたくさん出てくるかどうかにかかわらず、杉浦日向子の漫画がさまざまな虚構性をはらんでいるのも事実です。◇朝井まかては、北斎と応為との関係は、杉浦日向子さんの『百日紅』でも読んではいましたが、いい具合に記憶が薄れていて、イメージに引っ張られることなく消化できていました。と述べています。わたしは、朝井が「眩(くらら)」を書くうえで、このことが功を奏したと思う。というのも、杉浦漫画については、その虚構性が、従来から色々と論じられていたからです。たとえば文芸評論家の加藤弘一による批判などがあります。加藤は、まず次のように書いています。文化十一年(1814)北斎五十五歳のころのはなしと巻頭にあるが、それならお栄は三十すぎの大年増のはず。一説によれば、後添えにいった先を出された三十五の出戻り。それが一回りもサバを読んで善次郎と同じ二十三とはおかしいや。この加藤の批判にならって、漫画評論家の永山薫も、杉浦漫画では「年齢設定が虚構」だと述べています。ただし、この批判自体は、ちょっと疑わしい。葛飾応為は、生没年がいまだ不祥なのですが、一説には「安政4年(1857年)に家を出て、67才で没した」といわれています。となると、生まれは1790年ごろで、渓斎英泉(1791-1848)とは、ほぼ同い年。おそらく杉浦日向子は、そのように理解して年齢設定をしたはずです。ところが、久保田一洋の『北斎娘・応為栄女集』を読むと、北斎が後妻(応為の母)を娶った時期に鑑みれば、応為の生まれは、1800年頃だろうとのこと。だとすれば、文化十一年(1814)時点での応為の年齢は、加藤のいう「三十すぎの大年増」どころか、13~14才の少女だったことになり、杉浦日向子の年齢設定は、むしろ逆の意味で「虚構」だったといえる。他方、朝井まかての小説では、応為の生まれを1797年ごろとしており、渓斎英泉は、応為より7歳年上の兄弟子と設定されています。おそらく史実に照らすなら、朝井まかての設定が、いちばん真実に近い。◇しかし、もっと重要なのは、加藤弘一のもうひとつの批判のほうです。お栄のおぼこぶりもひっかかるが、善次郎がまるっきりウブというのもげせねぇ。後の淫斎英泉、女郎屋までひらいた男だよ。だまかすなといいたいね。お栄が「おぼこ」で、善次郎が「まるっきりウブ」。これに対する加藤の批判は、それなりに妥当という気がします。しかし、それが杉浦漫画を特徴づけている部分と言ってもいいし、朝井まかてとの大きな相違も、そこにあります。なぜ、杉浦日向子は、お栄を「おぼこ」に、善次郎を「まるっきりウブ」に描いたのか。これについては、次回以降に書きたいと思います。※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.10.16
昨日の続き。日テレが2010年に放送した、葛飾応為のドキュメンタリー番組を見ていて、はじめて知ったことは、他にもあります。◇ひとつは、灯篭の光に浮かび上がる「夜桜美人図」に描かれた、夜空のこと。上空の闇のなかに、ブルーやピンクの絵具で「点々」が散りばめられています。これは、明るさの等級ごとに描き分けた星の表現なのかもしれないし、あるいは、荒俣宏が言うように、灯篭の明かりを浴びた桜吹雪の表現なのかもしれない。もし星を描いてるのだとすれば、これは、かなり西洋的で斬新な表現だということです。たしかに日本の文学作品や絵画作品では、月を題材にすることはとても多いのに、星を題材にするというのは、かなり少ない。桜の花びらや雪の舞う情景は好きなのに、星々が散りばめられた夜空には関心が薄いように思う。昔の日本列島なら、さぞ夜空に満天の星々が輝いていたでしょうに、なぜ日本人は、星をあまり美的対象と感じなかったのか、考えてみると、ちょっと不思議です。沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」では、歌詞のなかに「天の群れ星」というのが出てくるけど、星を愛でるというのは、もしかして南国的な発想なのかなあ?ちなみに「夜桜美人図」に描かれた女性のモデルは、俳人の秋色女だそうです。◇一方、「三曲合奏図」という作品では、3人の女性が一堂に会して音楽を奏でていますが、現実には居合わせるはずのない身分違いの女性たちとのこと。久保田一洋の「北斎娘・応為栄女集」を読むと、こういう画題は、とくに応為だけに独自のものではないようですが、応為の描いたモダンな女性像を見ていると、女性たちがその身分から解放されることになる来るべき近代が、ひそかに予感されているようにも見えます。事実、北斎が亡くなって4年後、日本は開国し、近代化への道を進んでいきます。◇久保田一洋による「北斎娘・応為栄女集」は図書館から借りてきたんだけど、これを読んでいると、北斎と応為の画風の違いというものが、なんとなく分かってきます。応為の絵は、やはり筆の運びが端正で、女性の姿かたちなどは、とてもモダンで上品で垢ぬけている。鶴田一郎のグラフィックアートみたいに見えることもある。しかし、その一方、全体の構図の大胆さや、事物の躍動感には欠けます。踊っている女性でさえ棒立ちになっているような感じで、生き生きとした躍動感にはほど遠い感じ。静物画、あるいは静止画のようなんですね。構築的ではあるけど、生成的ではありません。そういう意味でも、応為の絵は、西洋画的なのかもしれない。他方、父の北斎の絵のほうは、あらゆるものが今にも動き出しそうで、88歳の最晩年に描き捨てた沢山の獅子図を見ても、その異様なまでの躍動感はまったく失われてない。そこが、応為と北斎の大きな違い。逆にいえば、絵を躍動させる父・北斎の才能というものが、世界的に見てもかなり異質なものだ、ということなんだけど。北斎作品とされているものの中には、かなり応為の仕事が混じっているらしいのですが、両者の筆の特徴を理解すると、なんとなく見分けがついてくるような気もします。◇追記。10月9日にNHKが放送した「北斎“宇宙”を描く」を見ていたら、北斎は、ぶんまわし(コンパス)を用いた大小の円を組み合わせることで、森羅万象の動的な構造をフラクタル的に表現していたのだと思いました。これに対して、娘の応為は、久保田一洋もくりかえし指摘しているように、まるで定規で引いたような直線を多用して、しばしば立体的な空間性を表現しようとしています。やはり、このあたりに、父と娘の特徴の違いがあるようです。※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.09.28
ドラマを見て以降、葛飾応為に関連するものを漁ってるんだけど、かなり面白かったのは、荒俣宏と高嶋礼子が応為の足跡を追ったドキュメンタリー。2010年に日テレの系列で放送された番組です。Youtubeでぜんぶ見ちゃいました。もともと北斎と応為については、いろいろと謎も多いらしいけど、この日テレの番組を見て、とくに興味を引いたのは、信州・小布施のことです。◇当時の幕府が天保の改革を断行し、文化・芸能に対する取り締まりを強めるようになると、北斎父娘は、江戸を逃れ、高井鴻山に招かれて信州の小布施へ赴きます。しかし、それは、たんに自由な創作に専念するというより、もうすこし別の側面もあったのかもしれない。◇時代は幕末の動乱にさしかかるころ。世の中は開国か攘夷かではげしく揺れていました。じつは、信州の小布施というのは、革新的な思想をもった知識人や文化人が、ひそかに活動する拠点だったというのです。北斎を小布施に招いた高井鴻山という豪商は、活文禅師という地元の文人に学び、佐久間象山や久坂玄瑞らとも交流していた人物。北斎父娘も、そうした時代の動きと無関係だったわけじゃない。もともと北斎は、長崎出身の西洋画家だった川原慶賀を通じて、シーボルトなどのオランダ人たちと接触し、ベロ藍(プルシアンブルー)などの輸入絵具を取り寄せては、積極的に西洋画に取り組んでいました。最初にベロ藍を使用したのは渓斎英泉(善次郎)ですが、最終的には、葛飾北斎の代表作である「神奈川沖浪裏」において、この青い絵具が使われることになります。このような海外との文化的・経済的な交流は、鎖国時代の日本にあっては非常に危険をともなうもので、事実、川原慶賀は、シーボルト事件のときに処分を受けています。葛飾北斎というのは、今でこそ「日本文化の代表」のように思われているけど、実際は、当時の日本の文化的伝統に批判的だった人で、流派の壁をぶち壊したあげく、最後には西洋画法を取り入れた。とりわけ娘のお栄は、西洋画からの影響を強く受けていて、遠近や陰影の技法だけじゃなく、西洋の動植物を絵のモチーフとして取り入れたり、あろうことか、禁教キリシタンの天使(エンゼル)まで描いたりしてる。小布施では、北斎父娘がお寺の天井画を施したのですが、それじたいキリシタン文化を模してるようにも思える。狩野博幸の「江戸絵画の不都合な真実」によれば、当時の幕府は、キリシタンどころか富士講の信仰も禁じていて、それにもかかわらず、北斎の「富嶽三十六景」というのは、富士講信者の需要を見込んで出版されたものだったようです。そのような北斎父娘だったわけですから、きっと自由な創作を阻害しようとする幕府の支配にさえ、批判的な視点をもっていたに違いありません。そのように考えてみると、彼らにとっての信州・小布施という場所が、やや政治的な意味合いをも帯びてくるように思えるのです。お栄は、北斎が没したあとも小布施の人々と交流を続け、その後、小布施へ行くと言ったまま消息を絶ったともいうのですが、それもまた謎めいた話です。追記:吉永仁郎の戯曲「夏の盛りの蝉のように」では、北斎と渡辺崋山の関係も描かれているようですが、実際のところ、両者に交流があったのかはよく分かりません。http://blogyang1954.blog.fc2.com/blog-entry-1573.html※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.09.27
今回のドラマ「眩くらら~北斎の娘~」を見るまで、お栄(葛飾応為)のことをまったく知らなかったのですが、ネットで調べてみたら、これまでにも、いろんな媒体で何度も取り上げられてるんですね。最初期のものとしては、三国連太郎と岡田茉莉子による1970年のMBSドラマがあります。脚本は「眠狂四郎」シリーズでも知られる直木賞作家の星川清司。第25回芸術祭優秀賞と1972年のイタリア賞グランプリを受賞してる。その後、さまざまな戯曲や漫画や小説などの題材になってます。◇2007年の美術展あたりをきっかけに、西洋画法が北斎作品に与えた影響が指摘されるようになり、そのなかで娘・応為の役割がいっそう注目されることになったようです。今回のドラマも、こうした経緯を意識して作られているものと思いますし、カンヌでの上映というのも、近年の北斎研究の展開をふまえてのことだと思います。◇ドラマを見ていて疑問だったのが、お栄と善次郎(渓斎英泉)の恋愛というのが、はたしてフィクションなのか史実なのかという点だったんだけど、この2人の関係に軸を置くという物語の作法は、おそらく杉浦日向子の「百日紅」あたりから始まったのではないでしょうか。◇ちなみに、お栄の役は、これまで田中裕子、吉田羊、杏なども演じています。今回、宮崎あおいちゃんは、お栄を演じるにあたって、北斎やお栄の作品を鑑賞しにロンドンを訪ねていましたが、2年前にアニメ作品でお栄の声を演じた杏ちゃんも、もともと浮世絵が好きだったこともあり、けっこう熱心に葛飾応為のことを勉強してたみたいです。ちなみに、杏ちゃんの解説を聞いて、お栄がみずからの画号にした「応為」の由来というのは、父・北斎の「おーい」という呼びかけに「応える為」なんだな、と理解できました。◇以下は、応為を扱ったおもな作品と関連事項についての年表。1966美術本「艶本研究 お栄と英泉」林美一(林美一 江戸艶本集成「溪齋英泉・葛飾応為」)1970MBSドラマ「わが父北斎」星川清司(北斎:三国連太郎、阿栄:岡田茉莉子)1973戯曲「北斎漫画」矢代静一1977漫画「狂人関係」上村一夫1981映画「北斎漫画」新藤兼人(北斎:緒形拳、お栄:田中裕子)1983漫画「百日紅さるすべり」杉浦日向子1984小説「応為坦坦録」山本昌代1986漫画「北斎の娘お栄 奇女が奔放に描く心の世界 一筆描きの恋」いくざわのぶこ1990戯曲「夏の盛りの蝉のように」吉永仁郎1998米LIFE誌の企画「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に唯一の日本人として北斎が選出。2001小説「北斎の娘」塩川治子2007美術展「北斎 ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」江戸東京博物館2010日本テレビ系「おんな北斎 天才浮世絵師は二人いた!」荒俣宏/高嶋礼子(北斎:荒俣宏、お栄:吉田羊)2012漫画「お栄と鉄蔵 応為・北斎大江戸草子」トミイ大塚2013ユネスコの世界遺産に「富士山 - 信仰の対象と芸術の源泉」が登録。2014小説「ゴーストブラッシュ(北斎と応為)」キャサリン・ゴヴィエ2015アニメ映画「百日紅さるすべり」原恵一(お栄:杏、北斎:松重豊、善次郎:濱田岳)2015美術解説本「北斎娘・応為栄女集」久保田一洋2016小説「眩くらら」朝井まかて2016テレビ東京系「美の巨人たち:北斎父娘特集」小林薫/蒼井優2016戯曲「燦々」長田育恵2017美術展「北斎-富士を超えて-」あべのハルカス美術館「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」上野国立西洋美術館「北斎 - 大波の彼方へ」ロンドン大英博物館2017漫画「北斎のむすめ。」松阪 2017小説「北斎まんだら」梶よう子小説「北斎夢枕草紙 娘お栄との最晩年」三日木人2017NHKドラマ「眩〜北斎の娘〜」(北斎:長塚京三、お栄:宮﨑あおい、善次郎:松田龍平)BS11「北斎ミステリー~幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え~」(久保田一洋/キャサリン・ゴヴィエ/安村敏信/内田恭子)2019戯曲「画狂人 北斎」宮本亜門(北斎:升毅、お栄:黒谷友香、高井鴻山:玉城裕規)2019美術展「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」森アーツセンターギャラリー2020美術展「鴻山と北斎・応為―小布施に吹いた江戸の風―」髙井鴻山記念館2021映画「HOKUSAI」河原れん/橋本一(北斎:柳楽優弥/田中泯、お栄:河原れん)美術展「北斎―万物絵本大全図」大英博物館※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。
2017.09.26
全12件 (12件中 1-12件目)
1