まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.08.17
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…俳句って難しいですね。

読み終へて 痣の醒めゆくごと 朝焼

この梅沢富美男の句を、
わたしはとても面白いと思っていたのですが、
他のサイトなどを見ると、批判的な意見もあるようです。

どうやら、
最大の問題は「痣が醒める」という表現にあるようです。
この是非について、もはや素人のわたしには判断ができません…。



前回も書いたように、
これは「風景」を詠んでいるにもかかわらず、
同時に「心象」をも詠んでいるような印象の作品です。
そして、
その印象は 「醒める」 という動詞によって実現しています。

もしも、これが、
「痣が醒める」ではなく「痣が消える」だったら、
このような効果は生まれなかったはずです。

読み終へて 痣の消えゆくごと 朝焼

これでは読後の心象の比喩にならないばかりか、
そもそも朝焼の風景の比喩もなりにくいと思う。

あえて「消える」ではなく「醒める」という動詞を使って、
比喩としての効果を高めたわけですよね。



しかし、考えてみると、
「痣が醒める」というのは、かなり独創的な言い方です。
けっして一般的な言い方ではない。
ふつうなら「痣が消える」「痣がひく」と言うはずです。

痣が皮膚の炎症だとすれば、
「痣を冷ます」という言い方はありえるかもしれないけど、
そうだとしても「痣が冷める」とはあまり言わないし、
まして「痣が覚める・醒める」などとは書きません。

結論から先にいえば、
この「痣が醒める」という表現自体が、
おそらく一種の比喩なのだろうと思います。
つまり 「醒めるように痣が消える」 という意味なのです。

だとすると、
この「痣の醒めゆくごと」という比喩の表現は、
比喩を比喩表現に用いるという、
いわば「比喩の入れ子状態」になっている。

しかも、
ここで「醒める」という動詞を用いる発想は、
むしろ朝焼の「風景」と読書後の「心象」から生まれているのです。

もとはといえば、
痣の消えていく様子が、
まるで(夜の闇から醒めていく)「朝焼」のようであり、
まるで(本の世界から醒めていく)「読後感」のようである、
という発想があったからこそ、
この「痣が醒める」という独自の表現が生まれたはずなのです。

比喩する側と比喩される側の関係が、本来は逆だった…。
そのうえで、いわば「比喩のフィードバック」が起こっている…。
比喩されたものを、逆に比喩に反転させて使っている…。

このことをどう評価すればいいのか、わたしには分かりません。






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最終更新日  2021.12.27 00:28:51


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