まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2022.11.15
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星の入東風今夜の恋をくれた人 助手席でポテト抱える息白し 冬の朝我慢しきれずはしご芋 初雪日湯気たつ郷まで道中宴 冬の星信号待ちのポテト2本 時雨るるやジュニアシートで待つポテト 小さき手のピクルスつまみ出す小春
プレバト俳句。
お題は「ドライブスルー」。




梅沢富美男。
小さき手のピクルスつまみ出す小春
ピクルスはパパに小春のハンバーガー
(添削後)

フジモンも横尾も「これは行く!」と言ってたし、
わたしも掲載決定かな、と思いましたが、
結果はボツでした。

まあ、好みの問題なのでしょうか。

原句のほうは、
幼い子供の好き嫌いを愛おしく眺めてる感じですが、
添削句のほうは、
子供なりの善意で父親に食べ物を分けているように見えます。
結果、まったく別の句になってしまっている。



レイザーラモンRG。
星の入東風 いりごち 今夜の恋をくれた人
星の入東風よ 今夜の恋ひとつ
(添削後)

難しい季語ですね。
旧暦10月ごろの明け方に、
(プレアデス星団) が西へ沈むときの風だそうです。

原句のほうは、後段がクサい。
細川たかしの「北酒場」の引用だそうですが、

そもそも歌謡曲は七五調で書かれていることが多いのだし、
この手法を認めたら、
いくらでも安易な俳句が出来てしまいますね。



7MEN侍 矢花黎。
助手席でポテト抱える息白し
助手席へ渡すポテトや 息白し
(添削後)

わたしは、
助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってますが、
かといって(後述するように)、
この句の場合は、他の助詞に置き代えるのが難しい。

添削句のほうは、
動作の主体を運転手に置き代えることで、
結果的に助詞の「で」を回避しており、
運転席と助手席の2人ともが「息白し」になっています。



勝俣州和。
冬の朝 我慢しきれずはしご芋
ドライブスルー 冬のポテトをはしごして
(添削後)

下五の「芋」は秋の季語なので、季重なりです。

なお、
俳句における「芋」とは「里芋」のことだそうです。
つまり、
サツマイモやジャガイモが日本で普及したのは、
わりと最近のことなのでしょうね。

それはそうと、
なぜポテトを「はしご」するのかが分かりません。
一度にたくさん買えば済む話なのだから、
たんにバカな二度手間をしているとしか思えない。
そんなことに詩情を感じろ、といわれても無理です。



松嶋尚美。
初雪日 はつゆきひ 湯気たつ郷 ごう まで道中宴 うたげ
初雪の道中楽し 温泉へ
(添削後)

見かけによらず、
松嶋尚美って字が綺麗なのね…。


耳慣れない語彙とか、
5・8・7の形もなかなかふてぶてしくて、
なにやら貫禄さえ感じてしまいましたが…

「ドーチューって2音じゃないの?」
との本人の発言を聞いてズコった(笑)。
感性が英語的なのでは?
いわば「Do you love me」で4音みたいな発想ですよね…。

なお、
「湯気立て=加湿器」は冬の季語ですが、
「湯気」「温泉」などは季語になってないようです。

添削句のほうは、やや投げやり。
感情語を用いた《楽しいな俳句》みたいになっている。

わたしは、
初雪や 温泉までの車中の宴

ぐらいでもいいと思いましたが。



キスマイ横尾。
冬の星 信号待ちのポテト2本
ポテト2本 信号待ちの冬の星
(添削後)

季語を活かすためにも、
調べをよくするためにも、
語順を入れ替えたほうがよい。

ただ、わたしは、
添削のように「ポテト2本」で切れを作るよりも、
7・7・5で、
信号待ちのポテト2本や 冬の星

のほうがいいかなと思う。



フジモン。
時雨るるや ジュニアシートで待つポテト
時雨また ジュニアシートに待つポテト
(添削後)

上五の「や」が大袈裟だとの添削でしたが、
その先生の真意はよく分からなかった。

もともと「時雨るる」という動詞は、
「時雨が降る」という意味で使われることもありますが、
本来は「降ったりやんだりする」「雨がちな天候になる」という意味で、
時間の幅があって、
どちらかといえば映像をもたない時候の季語に近い。

しかしながら、
時候の季語を「や」で詠嘆するのが間違いというわけでもなく、
この「時雨るるや」の用例も、
芭蕉や蕪村や山頭火などに見られるようです。

なぜ先生が「大袈裟」と言ったのか分かりませんが、
中七下五の軽さに比べて上五が重いという意味かもしれませんし、
たとえば「夕時雨」「時雨雲」「時雨傘」などの選択もありえたか、
とは思います。

一方、下五にかんしては、
わたしなら「ポテト待つ」と直したかもしれません。



さて…

このフジモンの添削の際に、
先生が 助詞の「に」と「で」の使い分け に言及しました。
いわく、「に」は静的、「で」は動的な動詞に用いる、
…とのことです。

わたしは夏井信者ではありませんので、
この説明をにわかに鵜呑みにすることは出来ませんし、
すこしばかり検討を加えてみようと思います。



上にも書いたとおり、
わたしは、
助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってます。

現代語の助詞の「で」は、
おそらく古語の「にて」から発生しており、
理由や手段や場所を説明するための助詞ですね。
・風邪で休む (理由)
・ナイフで切る (手段)
・事務所で会う (場所)

現代語の「~によって」とか「~において」と同じ意味です。

そのため、この助詞を使うと、
どうしても《描写》ではなく《説明》に見えてしまう。

俳句の客観写生はあくまでも《描写》なので、
理由の《説明》や手段の《説明》をすべきではありません。
問題になるのは、場所を示すときですね。
そのときに「に」を使うか「で」を使うか、ってこと。

じつは口語や散文でも、
「に」と「で」の使い分けは非常に厄介で、
▼とりわけ外国人に日本語を教える際には困難を極めるようです。
https://core.ac.uk/download/pdf/230235716.pdf

上記の論文によれば、
「に」は存在場所を表し、
「で」は動作場所を表すとのことなので、
おおむね「に」は静的、「で」は動的だといえます。

しかしながら、
「ベッドで寝る」「家で休む」「バス停で待つ」
「庭で考える」「部屋で話す」などの場合は、
あきらかに静的な動詞に「で」を用いますし、
さらには「ベッドに寝る」と「ベッドで寝る」のように、
どちらの助詞の使用も可能なケースがあります。

わたしは、なんとなく、
「で」を用いる場合には、
場所ではなく手段の説明になっている気もしますし、

夏井先生が言うように、
とりわけ俳句においては、
これらをすべて「に」に置き代えるべきかもしれません。



これとは逆に、文語や韻文では、
動的な動詞に「に」を用いる場合もあります。
もっとも代表的なのは「遊ぶ」です。

たとえば、
「華胥の国に遊ぶ」の慣用句もありますし、
「野に遊ぶ」とか「山に遊ぶ」などの用例は俳句にも無数にあります。

そう考えると、
助詞の「に」と「で」の線引きはそれほど容易ではありません。



ただ、見方を変えれば、
今回、先生が使い分けに言及したということは、
部分的になら助詞の「で」の使用を認めるということでしょう。

わたし自身、
助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいい…
と考えてはいるものの、
「ほぼほぼ」は「絶対に」という意味ではなく、
やはり「で」を使わざるを得ないケースはあると思う。

直近でいうなら、
稽古場で台詞繰る (山西惇)
助手席でポテト抱える (矢花黎)
などは、他の助詞に置き代えることが難しい。

いずれにしても、
どのような場合に「で」の使用が容認できるのかは、
今後もよく吟味していこうと思います。











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最終更新日  2022.11.17 14:47:22


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