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ブログ更新しました。SKYな街・北千住の躍進
2015年03月26日
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ブログ更新しました。あの素晴らしい駅前をもう一度~土浦(茨城県)
2015年03月24日
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ブログ更新しました。「北九州」徹底活用マニュアル
2014年11月14日
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ブログ更新しました。ご当地アイドルの時代
2014年09月22日
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ブログ更新しました。はじめての相鉄線
2014年09月07日
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ブログ更新しました。アジア一美しい街にて…
2014年07月28日
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ブログ更新しました。全国政令市「区」対決
2014年04月20日
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ブログ更新しました。品川区に魅せられて
2013年12月31日
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ブログ更新しました。ここは関東?東北?
2013年11月12日
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4月1日に、政令指定都市に昇格した神奈川県相模原市(人口71万人)。その昇格をめぐって、他のどの都市にも増して、賛否両論が渦巻いています。もともと政令指定都市(政令市)とは、大阪市、横浜市、名古屋市など、日本を代表する大都市だけがなりうる特権的な存在でした。しかし、その後はどんどん条件が緩和されて、挙句の果てには、「合併して人口70万人を超えれば政令市になれる」ようになったので、静岡市、浜松市、新潟市など、地方の中堅都市が、次々と政令市の仲間入りをしました。この状況を、「政令市のバーゲンセール」と呼び、苦々しく思う人も多かったのです。そこにもってきて、さらに地味で知名度のない相模原市が政令市になったので、彼らの不満(?)が爆発したのです。某大新聞には、「歴史も病院も水道局も持ってないくせに何が政令市だ!」みたいなことを書かれました。確かに相模原には、市営地下鉄もない、路面電車もモノレールもない。それどころか、中心市街地と呼べる街さえない。一戸建てとマンションで埋め尽くされた郊外住宅都市を、政令指定都市と呼んでいいのか?と、反対派は吼えます。でも、気にすることはないのです。一部のニッポン人は、ほんの50年前まで一面の荒野「さがみっぱら」だった、成り上がり都市が、大阪市や横浜市と同じ格になることが、気に食わないだけなのです。別に背伸びして、横浜とタメ張らなくてもいい。それよりも胸を張って、これまでにないタイプの政令市を目指せばいい。実際、昔からの大都市でもない、城下町でもない、県都でもない、戦後生まれの郊外住宅都市のなかで、政令市一番乗りを果たした相模原市は、ある意味、日本の都市の歴史を塗り替えたわけで・・・相模原と似た、東京郊外ベッドタウン都市・柏市の出身者として、心から祝福したいと思います。しかし、生まれたての政令市・相模原市の前途は、ばら色とは限りません。リニア駅の誘致、通勤路線の延伸、米軍基地の返還、高速道路開通・・・明るい材料はたくさんありますが、いまの日本は人口減少・経済停滞の時代。多額の資金を必要とする大型開発プロジェクトが、全て実を結ぶとは限りません。むしろ、そうならない可能性も大きい。しかし、それにも増して、私が懸念するのは、人口動態です。相模原市は、ここ50年ほどで人口が8倍になりました。特に昭和30~40年代に、爆発的な人口増加をみました。当時は高度経済成長期。日本各地の農村から、東京など大都市に、夥しい人口が流入した時代です。当時の相模原市は、住宅都市としてだけではなく、工業でも大きな成功を収め、日本有数の内陸工業都市となりました。それが、人口流入にさらに拍車をかけました。しかし、「市外からの人口流入で成長する」構図が、近年、とみに衰えています。若い世代が多いので、自然増(出生数-死亡数)はプラスですが、一方で、社会増(転入-転出)はほぼゼロ近辺を彷徨っています。方や、周辺の町田市や八王子市、横浜市、川崎市などは、今でも社会増を続けていますから、それらライバル都市に比べて、相模原市が住宅地として選ばれていない状況が、データから読み取れます。年齢別に詳しくみると、20~24歳で大幅な転入増があるのに、25~29歳で転出が多くなっており、折角、相模原市に移り住んだ学生が、就職したら市外へ出て行く傾向が見てとれます。また、永住目的で住宅を購入する35~44歳の流入が、以前と比べて減っている傾向も見られます。地域別に詳しくみると、現在、市外からコンスタントに人口を吸引していると思われる地域は、橋本と相模大野くらいで、その他の地域(横浜線・相模線沿線等)では、人口流出になっている地域も多く見られます。住宅都市である相模原が、周辺都市との住民獲得競争に敗れて、転出が転入を上回るようになったらどうなるか?まず、人口増加がまもなくストップして、減少局面に入るでしょう。現在、70万人ぎりぎりの人口が、近い将来、70万人を割り込む事態も、十分考えられます(もっとも、その前に、新潟市が70万人を切ると思いますが・・・)。財政的にも苦しくなります。担税力のある若い市民が増えず、その代わりに、高齢者が増えていくことになるわけですから・・・。さらには、空き家ストックの問題も顕在化してくるでしょう。昭和の時代に、相模原市内に一軒家を買ったオーナーが高齢で亡くなり、その子供の世代が親の家に住まず、他市に出て行くのであれば、持ち主のいなくなった一戸建て住宅が、市内に虫食い上に大量出現することになり、治安や環境の悪化も懸念されます(相模原だけでなく、首都圏全体の問題ですが)。せっかく政令市になって、さて、これから新しい都市づくりだという時に、足元の人口流入が細っている。これこそが、新生・相模原市の直面する根本問題だと思います。相模原市が、他市との住民獲得競争に勝つために、何を為すべきか?という設問は、あまり意味をなしません。相模原市はあまりにも広く、数多くの駅・街から構成されている上に、町田駅前のような中心市街地もないので、市全体としてのイメージが打ち出しにくいからです。たとえばの話、相模原市における二大看板の街といえば、橋本と相模大野でしょうが、この二つの街は遠く離れ、沿線も違えば、街の個性も全然違います。だから、街の売り出し方としては市の名前ではなく、どうしても、「橋本」、「相模大野」が主語にならざるを得ない。私思うに、相模原市がとるべき戦略としては、まず「橋本」と「相模大野」の魅力を増して、周辺市からこの二つの街に住民を貼り付ける。そして、人生のライフステージに応じて、市内各地への住み替えを誘導していくのが良いと思います。すなわち、第一ステップ【二大看板都市誘導策】住まいを八王子にするか、橋本にするかで迷っている人を、橋本に引き寄せる。或いは、町田・相模大野の二者択一で迷っている人に、相模大野を選ばせる。ここでは、情報・イメージ戦略が何よりも重要です。例えば、「リニアの新駅は八王子にはできないけど、橋本にはできるかもしれない」、「町田より、相模大野の方がファミリー向きで治安も良い」等々・・・情報戦略の対象は、橋本誘導なら多摩センター以西の京王沿線、相模大野誘導なら新百合ヶ丘~本厚木の小田急沿線に集中すべきでしょう。第二ステップ【市内住み替え促進策】橋本や相模大野に住んでいる人に、より安くて広い家に住める、市内(横浜線、相模線沿線等)」の住宅を紹介して、定住してもらう。ここでは、住宅情報提供とともに、市内住み替えに対する財政上の優遇策などが有効と思われます。特に、相模原市の浮沈の鍵を握る地域は、橋本だと思います。ここは交通の要衝であるだけでなく、今後、工場移転跡地が大量に発生する地域でもあります。その跡地を、いかにイメージの良い住宅・商業地域に仕立て上げていくか、市のプロデュース能力が問われてきます。日本史上初、ベッドタウンから身を起こして大都市クラブの仲間入りした、相模原市。「横浜、川崎とは格が違うんだよ」といった世間の非難を受け流して、これまでにないタイプの、堂々たる大都市を目指して欲しい。その前提条件が、相模原の場合、首都圏の住宅都市として、更なる成功を収めることなのだと思います。
2010年04月13日
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海が見たくなったので、湘南(藤沢市)に行ってきました。今回は「海を見る」他に、もう一つの目的があります。それは、「柏のライバルである、藤沢市と茅ヶ崎市を偵察する」ことです。この2市の所得水準は、柏エリア3市(柏市、流山市、我孫子市)とほぼ同じレベルで、今後も、ライバル視し続けるべき存在だからです。今回は、藤沢市のなかで、3つの町を歩いてきました。「藤沢駅」、「片瀬江ノ島」、「湘南台」です。茅ヶ崎までは、足を伸ばせませんでした。湘南への道「湘南」と聞いて、私の世代が真っ先に思い浮かべるのは、「サザンオールスターズ」!残念ながら解散してしまいましたが、30年にもわたって、湘南の海と、街と、人々を歌い続けてきた「サザン」の存在感は、未だに健在。今後、日本から、彼らを超えるバンドが出てくるのだろうか・・・。サザンの他に、湘南茅ヶ崎が生んだスターといえば、「若大将」こと加山雄三がいます。彼もまた、湘南の海が似合うキャラクターといえましょう。こうした人々の貢献とマスコミの力で、海、太陽、若者という、湘南の肯定的なイメージ、そして「湘南ブランド」がつくられていきました。私も幼い頃から、「湘南といえばサザン」の公式が、すっかり頭に刷り込まれています。湘南へ向かう東海道線の車中、頭の中では、サザンの曲が、ガンガンかかっています。♪~砂まじりの茅ヶ崎~♪♪~江ノ島が見えてきた~♪♪~烏帽子岩が遠くにみえる~♪湘南気分が、だんだん盛り上がってきます。東京の通勤圏でありながら、リゾート地の要素も持っている。その非日常感が、湘南の魅力でしょう。湘南とは?「湘南」という言葉を、これまで何気なく使ってきましたが、そもそも湘南とは、どこからどこまでを指すのでしょう?一般には、江ノ島を中心とした相模湾岸一帯。藤沢、茅ヶ崎、そして鎌倉、逗子あたりを指すのでしょう。つまり、相模川の東側(東京に近い方)です。ですが意外なことに、「湘南」発祥の地は、相模川の西、大磯です。この地方の中心都市・平塚市が、周辺市町村を合併して「湘南市」を名乗ろうとして、相模川東側の各市(特に茅ヶ崎市)から猛反対を受けて、結局実現しませんでした。湘南はブランド価値の高い地名なので、分譲住宅地も、湘南の名をつけた方が高い値で売れるそうです。その結果、海から遠く、一般的な「湘南」のイメージからかけ離れた地域までもが、「湘南」を名乗っています。その上、1994年に陸運局の「湘南ナンバー」ができ、丹沢山地の麓、秦野市や伊勢原市までが、湘南ナンバーエリアに加わりました。湘南の範囲は、どんどん広がっているようです。エリア考察1「藤沢駅周辺」電車が、いよいよ藤沢駅に滑り込む少し前、線路際に"50"の立て札がありました。つまり、「東京駅から50km離れた地点」という意味です。藤沢駅の位置は、東京駅から51.1km (JR東海道線)新宿駅から55.4km (小田急江ノ島線)普通、東京都心からこれだけ遠ければ、通勤者に敬遠されて、人口流出(都心回帰)が起こるのが常ですが、藤沢市の人口は順調に増え、今や40万人を超えています。海に近く環境が良いことと、湘南のブランドイメージが、人々をひきつけるのでしょう。藤沢駅は、JR東海道線、小田急、江ノ電が接続する大きな駅で、北口にも南口にも、バランス良く繁華街が広がっています。どちらにもペデストリアンデッキがあって、小田急、ビックカメラ、OPAなどが並び、一見、柏か大宮みたい。東急ハンズは、最近撤退したそうです。あと、南口の駅から離れたところに、イトーヨーカドーがあります。藤沢市だけで、人口40万人。近隣の茅ヶ崎市などからも、買い物客が来ているようで、それなりに人通りが多く、賑やかです。但し、藤沢市北部(湘南台、長後など)の人は、藤沢駅よりも、町田方面に買い物に出るようです。全体的な印象として、おしゃれな店は少なく、街を歩いている人も、若者より高齢者が断然多い。横浜・東京方面に簡単に行けるので、若者はそちらを目指すのでしょう。とはいえ、さすが湘南だなあと思ったのは、かなりお年を召した老紳士が、藤沢南口のオープンカフェで、女子高生をナンパしていたことです。ちょっとチョイ悪系(死語?)でしたね。どっちみち歳を取るなら、ああいうかっこいい男性になりたいな(でも、私は女性に対してとてもシャイなので、ナンパはできそうもない)。エリア考察2「片瀬江ノ島」言わずと知れた、ビーチリゾート。サザンの影響もあって、全国的な知名度を誇ります。藤沢駅前は、高齢者の世界でしたが、海岸は完全に、若者の世界です。江ノ島を目の前にした東浜ビーチは、若い男女があふれ、とても賑やかです。女の子の比率が多く、皆さん水着も大胆で、私は鼻血が出そうになりました。とはいえ水質は、とても泳げたものではありませんでした。海に入らず、砂浜で海風を浴びたり、ビーチボールで遊んだりするのが良いのでしょうね。この片瀬海岸と、隣の鵠沼海岸は、高級住宅地になっていて、繁華街ではありませんが、センスの良い店が点在しています。このエリアは高齢化が進んでいるようです。若い富裕層が流入するには、東京からの距離がちょっと遠すぎるのでしょうか。海岸沿いに、国道134号が通っており、沿道に高層マンションが建ち並んでいました。もちろん、ビーチの眺望を独り占めです。なんとなく、欧米のビーチリゾートを思わせるエリアでした。エリア考察3「湘南台」藤沢市北部の中心都市。かつ小田急、相鉄、横浜市営地下鉄の接続駅。近年、交通アクセスが劇的に改善され、東京や横浜に直結したので、若者、ファミリー人口が大きく増えています(湘南台の歩き方)。新しい街なので、まだ成熟しておらず、あまり面白味はありません。要はどこにでもある、普通の郊外都市。この駅に入る3つの鉄道が、すべて地下で乗り換え可能なので、買い物客が街に出ていかないのでしょう。駅の東西に巨大なパチンコ屋があり、小田急系の店が多いことが、印象的でした。同じ藤沢市でも、南部と北部は、お互いの交流は少ないようです。湘南台など北部地区は、「湘南」の名はついていても、海とは縁がなく、むしろ「相模」と呼ぶべき地域でしょう。今後、湘南台が発展すれば、藤沢駅のようにはならず、同じ小田急沿線の相模大野みたいになっていくような気がします。全体的な印象ですが、藤沢、江ノ島、湘南台、いずれも街としての面白味には、やや欠けます。その代わり、「良い意味での地元感覚」が横溢していて、背伸びせず、肩肘張らずに人生を楽しんでいる人が、老若男女とも多いのが、印象的でした。それだけこの地域は生活水準が高く、暮らしに余裕があるのでしょうね。また、いつでも気軽に海に行けることが、この地域の人々の心を、リラックスさせているのかもしれません。
2008年08月02日
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