全6件 (6件中 1-6件目)
1
宇宙人のかえでが我が家にやってきてから、今日で16年になります。そう。今日はかえでの誕生日16歳になりましたこのブログを始めた日、かえでが生まれた時のことから少しずつ書いていこうと思い、コツコツと綴ってきました。こうして16年も障害児の母親をやってきて、私自身、かえでに育ててもらってきたんだなぁ・・・と感じます。誕生日くらい自宅でお祝いを・・・と思ったんだけど、平日に自宅に戻ると、かえでが混乱してしまって、明日からの調子が狂うことも予想されるので、ひと足早く、先週末の帰宅時にお祝いしました^^お祝いって言っても、かえでが帰宅した時は、いつもかえでの好きなメニューだし、特にすごいものは作らなかったけど、やっぱりまじぇまじぇですよね~(^_-)-☆というわけで、私がココアスポンジを焼いておいて、生クリームはかえでがホイップして、デコレーションは姉妹が頑張ってくれました。 ↑ 切ったらグチャグチャになってしまった(T_T)でも味は良かったのよ^^みんなで協力して作ったケーキでした(*^。^*)そして、今日の連絡帳から・・・4月17日かえでさん、お誕生日おめでとうございます。昨日のトイレ(大)の話を聞き、リラックスしてきているとしたら本当に嬉しいです。ご家庭では、お母さんと一緒にお菓子作りをしながら、いろいろな会話をしているんですね。学校でもいろいろな先生に慣れてきているようで、昨日は朝のトレーニングで、A先生が「走るよ」と伝えると、かえでさんは「マラソン」と言って返してきたそうです。今日は給食後、ほんの少し一緒に過ごす時間がありました。すると、手を握りながら何やら話しかけてくれるのですが、私が上手に聞き取ることが出来ず、かえでさんが言葉にしたことを「○○○なの?」と言って聞き返すことしか出来ませんでした。授業では、決まった言葉であれば、やり取りがスムーズに出来ているので、何気ない会話でも伝え合い、分かり合う時間を作っていけたらと思います。 クラスの主担任の先生は、こんな風に書いてきてくださいました。かえではクラスの中でも一番手が掛かる重度な生徒だと思います。高等部の膨大な生徒数の中、これだけ丁寧に見ていただけることはありがたいことです。こないだまで、私自身がすごく不安でどうなるんだろう・・・と心配していましたが、また今日もかえでに元気をもらって、障害児の母親歴17年目に突入です~それにしても、あの帝王切開のあとの痛みは辛かったなぁ今でも思い出すと、子宮が痛くなるわ・・・
2007年04月17日
コメント(22)
3人目の出産を控えて、かえで2歳児健診。大きなお腹で、動き回るかえでを追いかけながらの健診だった。健診のカルテに書いてあったと思われる「自閉症の疑い」という話を、保健婦さんと話した。かえではまだ、自閉症だと診断されたわけではなく、私の中ではもちろん否定したい気持ちが大きかった。「こういった自閉症のお子さんはね、早くから療育しなくちゃだめなんですよ」と、その保健婦さんは、なんとなく傲慢な態度でそう言ったえっ?うちの子、自閉症なの?こないだの発育相談では、可能性はあるけどはっきりしないからって言われたのに、どうして医者でもない保健婦さんが、そうやってはっきり告知するわけっ!??すごくショックだった。その保健婦さんの年齢や顔立ち、話し方、態度、声の雰囲気・・・その全てが私の嫌いなタイプだった。こんなことで偏見を持ってはいけないけど、この人にどんな良いことを言われても、素直に聞けなかったような気がする。その健診の帰り道、かえでを車に乗せて、このまま一緒に死んでしまおう、と思った。たぶん、マタニティブルーにもなっていたんだろうと思う。どうしていいか判らなかった。とにかく辛かった。「かえで、このままお母さんと一緒に死のうか?」と泣きながらかえでに話しかけた。何も知らないかえでは、チャイルドシートの上でクークーと眠っていた。その5日後、3人目を無事帝王切開で出産した。女の子だった。長女とかえでは、実家の母が見てくれていて、安心して入院することが出来たけれど、退院してからのことを考えると、嵐を予感せずにはいられなかった
2006年04月19日
コメント(0)
1歳6ヶ月健診のあと、保健所の発育相談に行った。すごく若い女性の心理判定士の方が、面談をしてくれた。かえでは、保健婦さんが相手をしてくれていて、おままごとの道具や、自動車や機関車のおもちゃをたくさん用意してくれてあった。しかし、かえではおもちゃには全く興味を示さず、私たちの周りをただグルグルと走り回って、疲れると私の膝にちょこんと座りに来て、ほんの10秒くらいいたかと思うと、またグルグルと走り回るのだった。妊娠中や出産してからのことを細かく聞かれた。とにかく、かえでの怪しい行動が少しでも解明できるのなら、という必死な思いで、どんな質問も答えた記憶がある。結論は、1歳半では判定することは難しい、とのこと。普通は3歳児健診で、言葉の遅れや視線が合わないなどの心配から発覚することが多いらしい。だからはっきりとは言えないけど、その可能性もあるかもしれない。ただ単に発達が遅れているだけかもしれない。3歳くらいになって、成長が追いつく場合もあるから。とのことだった。「お母さんは、大学で心理学の勉強でもされていたのでしょうか? こんなに早く気付かれる方は、滅多にいないですから」いえいえ、私は高卒ですから^_^;これはただ、母親の勘なんですよ。心理判定士さんは若くて、障害児の現場も知らない、もちろん未婚だろうから子育ての経験もない。学校で勉強するだけでは、知識は活かされないんですよ。結局、私が妊娠中ということもあって、出産して落ち着いたら、保健所でやっている『親子教室』に参加してみませんか?ということで終わった。私の中のモヤモヤは、晴れることなく、3人目の出産以降まで持ち越されることになった。相変わらず、あちこちと何処かへ行ってしまうかえでを、私は大きなお腹で追いかける。出産したら、どうなるんだろう・・・新しい生命の誕生を喜べないまま、毎日、かえでを追いかける日々だった。まさに、かえでは宇宙人と化していた。
2006年04月16日
コメント(0)
楽チン赤ちゃんのかえでは、生後8ヶ月を過ぎて気管支炎を起こし、年末の慌しい中、5日間入院をした。せっかく離乳食も進んできたところだったのに、咳き込んで食べられなくなり、離乳食は一時ストップ。その後少しずつ回復したけど、相変わらず母乳大好きで、離乳食は決まったものしか食べなくなってしまった。9ヶ月。「バイバイは?」と言うと、手をブラブラと振ってみせる。「バンサ~イは?」と言うと、両手を挙げる。「シャンシャンは?」と言うと、両手をパチパチ叩く。こういう模倣ができるようになった。出産した病院の助産師さんが「9ヶ月でマネが3つ以上出来ていればOK」と言っていたので、かえでは問題ないと思っていた。でも、10ヶ月を過ぎてもそれ以上の進歩がなかった。進歩がないどころか、唯一やっていた3つの模倣も、だんだんとやらなくなっていった。長女と比べると、なんとなくヘンな感じがする。「男の子は遅い」と友達が言ったけど、『遅い』というだけではないような気がしていた。物を指差すこともしないし、呼んでも振り向かないし、何だか人間らしくないような・・・家族で動物園に出掛けた時は、ベビーカーから乗り出して、グルグル回っている車輪ばかりを見つめていて、肝心な動物は全く見てくれない。まぁ、動物園の動物に興味を持てる年齢ではなかったけど、とにかく動物園だけでなく、普段の生活でも、周りに興味を示すことがないような感じだった。漠然とした不安が、私の中でだんだんと広がっていった。夫や両親に言うのが怖かった。たぶん言っても、「気のせいだ」と言われるだろうと思った。だから、一人でなんとなく心配することにした。1歳になって、一人で歩くようになった。運動面に関しては、全く問題はなかった。どちらかと言うと、運動面の発達は平均以上だった。一人でどんどん好きなところへ行ってしまう。運動面が遅れていた長女とは、全く逆のタイプ。さすが男の子!とたくましく思う反面、やっぱり不安は拭えない。1歳6ヶ月健診のときは、とにかくじっとしていなくて、身体測定もさせてくれず、会場内を走り回るかえでを追い掛け回していた。小児科の先生の診察があり、不安に思っていることを話してみた。「すぐ何処かに行っちゃうし、呼んでも振り向かないし、 あまりおもちゃとかにも興味がないみたいで、なんとなくヘンなんですけど・・・」先生は「自閉症を心配してるんですか?」と言い、「そうです」と私は答えた。1歳4ヶ月頃から、私の中でこの子は精神的な病気があるのではないか?と疑い始め、自分でいろいろ調べてみていた。今のようにインターネットはまだ普及していなかったし、専門的な人が周りにいるわけでもなかったので、子育て用の月刊誌などの電話相談や、付録についていた「子供の病気」の本が頼りだった。かえでの症状は、まさに『自閉症』だった。でも先生は、「自閉症と言うのは、お母さんとコンタクトも取れない宇宙人のような感じですよ この子は、もっと目が合うし、1歳半でそう診断すれることはまずありえないですね」と言った。保健婦さんが「心配なら、発育相談を受けてみましょうか?」と進めてくださり、一ヵ月後に、保健所で行われるという、心理判定士による発育相談の予約を入れてもらった。その時、私は3人目を妊娠したばかりだった。どうなるんだろう・・・という不安を抱えながらも、3人目の出産に向けての準備もしていく私だった。
2006年04月13日
コメント(0)
長男が生まれてからの15年間を、とりあえず日記で書いていこうと思っています。トップページに『宇宙人』という言葉を出していますが、長男はまさに宇宙人。長男は、障害を持って生まれてきた。最初は気がつかなかったのだけど、でも『自閉症』と『知的障害』を合併した障害児だった。 平成3年4月17日に帝王切開で生まれた長男は、『かえで』(仮名)と命名した。母乳をよく飲み、1ヶ月検診では6,000gもあった、超健康優良児。長女が赤ちゃんの時は、泣いてばかりいて、だっこしないと寝てくれない。ベッドに寝かせば、すぐ目が覚めて泣き出す。ミルクも母乳もあまり飲まず、飲んでもすぐに吐く。育児って大変だ!赤ちゃんを殺してしまうお母さんの気持ちがよくわかる!そんな育児をしてきた私の、2度目の乳児挑戦。かえでは、長女と違ってすごく大人しかった。母乳をたっぷり飲んで、3時間はぐっすり眠る。目が覚めてもあまり泣かず、また母乳を飲んで3時間寝る。とにかく楽チンな赤ちゃんだった。手の掛かる長女に振り回されて、かえではほったらかしだったけど、生後1ヶ月の頃から、私の顔を見てニコニコ笑い、喃語もたくさん出る。おっぱいもよく飲んでくれる。体重もメキメキ増える。長女の時と全てが違う。私にとって、まさに理想の赤ちゃんだった。『手が掛かる子ほど可愛い』と言われるけど、このときは『手が掛からない子ほど可愛い』と思ったりした。それは、後になってみないとわからないことなのだけど・・・
2006年04月11日
コメント(3)
15年前の4月17日。私は2人目の出産を迎えていた。2年前に、長女を帝王切開で出産。2人目は普通分娩を望んでいたが、子宮口の硬さとお腹の異常な張りで、再び帝王切開となってしまった。午後4時4分。体重3,510gの元気な男の子が、オギャ~と元気に産まれてくれた。下半身麻酔で、血圧が下がり意識が遠のく中で、医療器具のカチャカチャと鳴る金属音を聞きながら、看護師さんに 「ちゃんと指はありますか?五体満足ですか?」 と聞いた記憶がある。「大丈夫ですよ。 泣き声も大きくて体重もしっかりあるし、元気ですよ!」良かった・・・・・・ホッとした。朦朧とした意識の中で、赤ちゃんにオッパイを吸わせたいと言ったら、先生がOKしてくださり、生まれたばかりの長男に、乳首をふくませてみる。すごい勢いで吸い付く。長女の時は、オギャ~オギャ~と泣いてばかりで、吸い付きもしなかった。この子は、何だかすごいかも?さすが2人目!さすが長男!頼もしいぞ!先行き楽しみだな!そんなことを考えながら、安心した私はそのまま眠りについたのだった。 気がつくと、病室のベッドに寝ていた。腕には点滴のチューブがつながれ、夫が傍で心配そうな顔で覗き込んでいた。「気分はどう?痛む?」まだ麻酔が効いていて、痛みはない。それよりも、男の子を産んだことを褒めてほしかった。夫は、ずっと男の子を欲しがっていたから。だんだん麻酔が切れて、寒気がしてくる。ガタガタと体が震える。その後、痛みが襲ってきて、しばらくは痛みとの戦い。でも2人目、2回目のことなので、かなり余裕があった。自分では、最高に良い仕事をしたような気分だった。まさか、この先に待っている大変な試練があるとも知らずに・・・
2006年04月10日
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1