ふるさと福井

北陸の小京都、大野

北陸の小京都、大野= 碁盤の目状に整然とした街並み
北陸(福井、石川、富山の各県)の小京都と呼ばれている大野市(人口約4万人)は、福井市街から東へ車で40分ぐらいのところにあります。碁盤の目状に整然とした街並みに特徴があり、その基礎を築いたのは、織田信長の武将、金森長近です。その後、代々の藩主によって、今日のような街並みを完成したといわれています。

昔日の面影偲ぶ寺町通り

昔日の面影残す寺町通り

大野市の市街地東側には、中世から近世にかけてのお寺が整然と並ぶ寺町通りがあります。寺町は、金森長近が城下町を造る時に、防御を兼ねてお寺を配置したところです。大半が浄土真宗のお寺で20余りが軒を連ねています。静かな寺町のたたずまいに、昔日の面影を今も残しています。時折、買い物帰りの主婦や、散策する男女のカップルも見られ、のどかな風景に心が和みます。

江戸時代から続く名物の朝市=特産の里芋、観光客にも人気

江戸時代から続く名物の朝市

大野市街の七間通りでは、江戸時代から続く名物の朝市が開かれています。写真を撮った時は、季節柄、特産の里芋が店先に並んでいましたが、この里芋は粘り気が強く、煮崩れせず、ほこほことした触感。地元だけでなく、観光客にも人気があります。

シンボル、越前大野城=全国でも数少ない野面積みの石垣

野面積みの石垣と、越前大野城

小高い亀山の頂上には、大野市のシンボル、越前大野城がそびえており、大野市街からよく見えます。その登り口から頂上まで1300歩、20分ぐらい。ちなみにJR越前大野駅からその登り口まで徒歩約20分です。頂上を目指して歩いていると、近くの人と思われる人たちが散策しており、頂上では、年配の方が談笑しているのどかな光景がみられました。越前大野城は、金森長近が天正4年(1575年)から4年の歳月をかけて築城、その後、1775年の大火により焼失しました。そして、昭和43年、郷土出身の篤志家の寄付で再建されました。越前大野城は石垣に特徴があります。それは、野面(のずら)積みといわれ、自然石を加工しないで積み上げたものです。水はけがよいので風化が少なく大変堅固とか。また、天正以前の古い形式で、全国でも数少ないといわれています。

地下水が豊富=
名水百選の一つ「御清水」

名水百選の一つ「御清水」

大野市は昔から地下水が豊富で、水が湧き出るところが多い。中でも、泉町の御清水(おしょうず)は名水百選に選ばれています。御清水は、持ち帰り自由で、ペットボトルやポリタンクに、湧き出た水を入れている光景もみられます。また、市街地の大半の家庭は、電動式ポンプでこの地下水をくみあげて日常生活に利用しています。このため、大野市には上水道がありません。全国の市の中でも上水道のないところは珍しいそうです。

国の天然記念物に指定されている「本願清水」に
「陸封型イトヨ」が生息
本願清水「イトヨの里」のビデオ

国の天然記念物「イトヨ生息地・本願清水」 国の天然記念物「イトヨ生息地・本願清水」のイトヨ

一方、大野市は昔から、「陸封型イトヨ」の生息地としても知られています。「陸封型イトヨ」が生息するのは、全国でも大野を含めて三ヶ所しかなく、貴重な生息地になっています。最近は地下水の水位低下で、かつてほど見られなくなったと言われるものの、それでも、本願寺門徒が掘った本願清水、イトヨの里など、数ヶ所でみることができるそうです。イトヨは糸魚とも書き、トゲウオの一種で体長4~5cmの小魚です。「陸封型イトヨ」が生息する本願清水は、国の天然記念物に指定されています。

秋篠宮殿下、イトヨの里もご視察

2004年9月25日には、秋篠宮殿下ご臨席のもと、福井県大野市で、第2回トゲウオ全国サミットが開かれましたが、秋篠宮殿下は、イトヨの里もご視察されました。


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