Atelier Mashenka

Atelier Mashenka

2006.01.08
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カテゴリ: アート
六本木ヒルズ森美術館にて 「杉本博司~時間の終わり」展 を見た。

評判がいいのは聞いていたし、
11月にダ・ヴィンチ展を見に行ったときにポスターでも知っていたけど
私が決定的に見たいと思ったのは、
12月かな?NHK教育テレビの「日曜美術館」で紹介されたときだ。

日曜朝はたいてい番組を見ながらうとうと寝てしまうのだが、
その日も、本編はほとんど寝てしまい、見ていなかった。
最後のアートシーンのところでふと目が覚め、画面をぼんやり見ると
N.Y.のクライスラービルの写真が、寝ぼけなまこの私の目に入ってきた。
焦点を大きく外した、ぼやけたモノクロの写真。

初めて見る作品なのに、不思議と懐かしさを感じ、
しばし感傷に近いような感覚の波にたゆたっていた。
これに会いに行きたい、行かなければという衝動に駆られた。
その後、これがあの「杉本博司~時間の終わり」展の作品だと知った。


12月は多忙&インフルエンザなどで結局いけず、
会期終了ぎりぎりになってしまった。
しかし思ったほどは混んでいなくて、じっくり見ることができ、よかった。

いくつかシリーズごとに展示されていたが、
私の目指すクライスラービルは、
最後の明るい白いシンプルな展示室にあった。

20世紀前半の著名な建築物を撮った「建築」シリーズ。
わざと焦点を外したぼやけたモノクロ写真に撮ることにより
老朽化による細かいひびや汚れはうまく隠され、
建築家の意志や思想をも感じさせるような力強いフォルムだけが
残される。

杉本氏はそれを「耐久テスト」と表現していた。
その中で多くの建築物が溶け去って行った、と。
なかなか面白い試みだと思った。


そしてクライスラービルの作品、なぜこの作品にこんなに魅かれるのだろう。
思ったよりもずっと大きな作品だ。
遠くから見ても、近く寄り添ってもこの作品は素晴らしい。
遠くから見ると杉本氏の狙い通り、
ぼけているにも関わらず、建物の強さと一種のきらびやかさを感じるし
近寄ると形はますます判然としなくなり、
光とやわらかい翳りに還元されてしまう。

それでも美しく感じるのはすでに抽象の域に達しているからだろう。
光を感じつつ、やわらかい影に包まれてしまうような、心地よさを感じる。
自分が溶け込む。
そんな写真作品には初めて出会った。


杉本氏の作品は、見る作品というより
空間ごと感じる作品だと思った。

古代から変わらぬ風景を求め、世界中の海の水平線だけを撮った、
「海景」シリーズもそう。
知らないのに知っている。
この水平線の向こうへ行ってしまいたい、懐かしい空間。

先ほどの「建築」シリーズで、やはりN.Y.のワールドトレードセンターの写真も
不思議な懐かしさ。
でも世界の終末を予見するような黒々としたビル群の表情が不穏だ。
滅びの帝国のようなもやめいたビル群のシルエット。

写真は化石のようだと杉本氏はビデオの中で話していたが、
まさにそんな感じ。
過去のものだけど、息づいている。
終わっているけど、続いている。


彼の作品は空間ごと感じる作品、と言ったが、同時に
常に考えることを要求される作品でもある。

彼はとても思索家だ。
思考し、探求している。
常に自問自答から作品が生まれるらしい。
その自問自答、そして思索から作品づくりをする過程は
言語的ではあるけれど、最終的にはビジュアルとして形をなす。
しかし、その根本にはしばしば哲学的な姿勢やものの見方が感じられる。


「ポートレート」シリーズは、ちらしで見たときは
モデルが16世紀ヨーロッパの扮装をしている写真かと思ったのだが、
それらは、当時の王侯貴族の優れた肖像画を
忠実に再現した蝋人形のモノクロ写真だった。

そしてキャプションには、
「これらの人物が生きているように見えるとしたら
あなたは"生きていること"の意味をもう一度問い質さなければならない」
という杉本氏の言葉があり、かなりどきっとさせられる。

毎日通勤電車で見るたくさんの生気のない顔、顔、顔・・・
もしかしたら、当然生きている現代の私たちより、
この蝋人形のほうが濃く時代を生きているかもしれない。

「これは役者さんだよ」と言われ、生きている人間として認識し、
その存在を疑問もなく受け入れてもおかしくない。
そうしたとき無邪気に信じてしまう生命や存在の有無というのは、
どういう価値があるのだろう。

絵画と違って写真には、それを信じさせてしまう力がある。
逆に写真になっていれば、たとえ"虚"でも"真実"に見えてしまう。
それは作り物がまるで本物の世界のように見える「ジオラマ」シリーズでもそうだ。

こうした杉本氏の問いかけ、それ自体が作品のような気にさせられる。
事実や美しいものを撮る写真家はいくらでもいるけれど、
問いかけそのものが意味をもつアーティストという点で、
特異な存在なのかもしれない。


また、京都の三十三間堂の1000体の仏像を
何メートルにもわたって撮った「Sea of Budda」。
60年代以降にはやった抽象的概念を目に見える形にあらわす、
コンセプチュアル・アートやミニマム・アートが
日本にはすでに12世紀にあった、という杉本氏の視点がまた興味深い。

朝日の自然光だけで撮影したモノクロ写真なので、
黒い背景に、仏像の顔や後輪などが白く整然と浮き出している。
それを見ていると、白黒反転した、経文そのもののようにも見えてきて
頭がくらくらしてくる。
平安貴族たちの浄土への切々たる願いが、経文の唱和となって
静かに色濃くせまってくるようだ。


ところで、サブタイトルの「時間の終わり」は何を意味しているのだろう?
私の中では答えは出ていないが、
アールデコ時代の建築物、古代と変わらぬ海の景色、
まるで生きているような剥製や蝋人形、平安期の仏像の海・・・
それらを通じ、彼が常に「時間」を思考しているということは大いに感じた。


出口付近に杉本氏ご本人がいらっしゃった。
最初、ビデオを見ずにひと通り作品を見たあとのことだったので
どんな風貌の方なのか、年齢も知らなかったけれど、
すぐご本人だとわかった。
ラフな服装で、小柄ながらやわらかいオーラを放っていた。

まあ、ミュージアムショップを見るでもなく、
館内スタッフの制服を着てるわけでもない人物が
出口付近でにこにこして立ってれば
たいていアーティスト本人であろうけれど・・・

話しかけたくもなったけれど、
恐れ多いし、もっとじっくり作品を見てからでないと失礼だし・・
と思ってじっくり見たあと出口に行くと、もうお姿はなかった。

でも作品を見て、あのオーラを見ただけでじゅうぶん満足。
日本人にこんな人がいるんだな~ととても刺激になった。


また、私も墨と筆で抽象作品を創りたい衝動に駆られた。
抽象への憧れがここ数年高まっていたけれど、
実際にはそうしたものが創れるという実感がなかった。

私に出来るだろうか?
どれほどのことが出来るだろうか?





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Last updated  2017.02.16 13:43:11
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mashenka @ Re[1]:生誕120年 棟方志功展(11/12) 一村雨さんへ お久しぶりです! 私もうな…
一村雨 @ Re:生誕120年 棟方志功展(11/12) お久しぶりです。 この展覧会、棟方志功の…
mashenka @ Re[1]:サントリー美術館「京都・智積院の名宝」(01/21) 一村雨さんへ 素晴らしい障壁画でしたね…
一村雨 @ Re:サントリー美術館「京都・智積院の名宝」(01/21) 安部龍太郎の「等伯」を読んで、この親子…
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