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櫛田川中流域左岸の松阪市射和町(いざわ)と
その下隣の集落の中万町(ちゅうま)は
松阪開府以前から射和商人のまちとして繁栄しました。
射和に近い多気町丹生(旧勢和村)は
古代から日本最大の水銀の鉱山でした、
鎌倉時代には丹生(にゅう)の水銀を加工する軽粉製造業が
射和を中心に発生し発展しました。
その軽粉を伊勢白粉(おしろい)として
全国に販売したのが射和と中万発祥の初期の松阪商人です。
室町時代には、櫛田川上流の丹生で産出される水銀で
商売を行い財を蓄えたといわれます。
その射和系の松阪商人は、江戸時代初期からは
江戸や京都大阪に松阪木綿の店を出して大繁盛しました。
三井や長谷川で有名な松阪城近くで発祥した松阪商人より
先駆けて江戸で成功し、
松阪の射和と中万に富をもたらしました。
この射和と中万地区の松阪商人(射和商人)には
富山家 家城家 国分家 竹口家 竹川家 などがありました。
富山、家城は呉服商、国分、竹口は醤油味噌商、
竹川は両替商などを営み、江戸屈指の豪商に数えられました。
この時代は櫛田川の水運も、丹生から射和への水銀の輸送や、
射和と中万から全国への商品の輸送に重要な役割を担ってました。
今も両郡橋付近の射和町から下流の中万町は
射和商人の蔵のある豪邸の古い町並みが残り、
櫛田川の清い流れと調和し、
なかなか良い街並みの風景をかもし出しています。
でもねぇ、、20年くらい前の櫛田川左岸の堤防改修と
近年のR42号バイパスの工事で
射和から中万町に行く街道の途中の 景観が
ぶち壊されてしまったのが残念でなりません。
中万文庫と ちくま味噌 で有名な竹口家の蔵(三重県松阪市中万町)
全国的な食品会社になった 国分家の門(三重県松阪市射和町)
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参考ホームページ
竹口作兵衛ちくまの歴史
国分の歩み
白子屋歴史の散歩道
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