伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2023年05月30日
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伊賀市 旧大山田地区炊村の遊歩道マップ
全長3kmの炊村全体図です。
平成七年(1995)からの炊村景観整備事業の遊歩道計画により設けられたようです。

伊賀藤堂藩「三国地志」に
「山田郡の粟田屋輔に淅井戸があり古きより大神社(伊勢神宮)に献上する米を炊く「かくし」所で在った。
炊村の起源となる。」
とあります。
粟田屋敷はこの井泉の北側台地に在ったと思われます。





清水淅井戸(しょうずこめかし井戸)  伊賀地方では清水をしょうずと発音します。
こめ‐かし【米淅】米を洗うこと。米をとぐこと。

伊勢神宮に献上する米を炊く(かしく)所で炊村の起源。
かしき【▽炊き/×爨き】 の解説「かしぎ」とも
飯をたくこと。また、その人・場所。

清水(しょうず)と呼ばれて地区の名水池でした。
落葉に埋もれて忘れられていた、涌き水池を、平成七年よりの炊村景観整備事業の遊歩道計画により落葉等を渫(さら)えて復活されたようです。
今では菖蒲が咲くこの様な池になっています。





炊村 清水淅しょうずこめかし井戸 碑文
「三国地誌「炊 按(しらべる)栗田屋鋪と云處に井泉あり俗に淅(こめかし)井戸と云是上古 大神宮へ献する所の御供米(おくまい)を炊く故に名くと云」とあり
 近世この井泉は清水(しょうず)と呼ばれて地区の名水でした。しかし昭和四十六年よりの水田の基盤整備にともない整備除外地となり落葉に埋もれて忘れられていましたが、今回平成七年よりの炊村景観整備事業の遊歩道計画により井泉を渫(さら)えるとともに小公園として周辺を整備するに炊村の地名発祥の井泉として顕彰して後世に語り伝えるためにここに由来を刻む。
平成十年三月吉日 炊村」






東側端に在る、祠
石碑の東側この祠の間には四阿(あずまや)が設けられています。



昭和四十六年よりの水田の基盤整備にともない整備除外地となり落葉に埋もれて忘れられていました。
減反政策の犠牲となったということです。
今回平成七年よりの炊村景観整備事業の遊歩道計画により井泉を渫(さら)えるとともに小公園として周辺を整備し炊村の地名発祥の井泉としてこ顕彰して後世に伝えるために石碑が建立されたのが平成十年(1998)ということで三年経ています。

炊 苗字の由来
欠は人が背をかがめて口を開けてしゃがんだ様を表すので炊は火を吹き起こす様を表す。

日本姓氏語源辞典によると
炊(かしき)姓は、伊賀市炊村発祥とありますのでこの地の伊勢神宮へ献する御供米(おくまい)を炊く役職の家が発祥でごく少数の家が鈴鹿市におられるようですが伊賀市に十人おられるのがほとんどのようです。

池の上に白い泡状のモリアオガエルの卵塊が木の枝にぶら下がっています。
絶滅の恐れがあるとしてレッドデータブックに記載されているそうです。
泡状の卵塊は外敵から守る役割があり、孵化したオタマジャクシは雨水などと一緒に池に落ちて成長します。





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Last updated  2023年06月03日 11時17分55秒
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