マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.06.13
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<貞山運河>

 阿武隈川河口から旧北上川まで総延長49kmにも及ぶ国内最長の運河がある。貞山(ていざん)運河がそれだ。このうち旧北上川から鳴瀬川河口の運河を北上運河、そこから松島湾に抜けるのが東名運河と呼ばれ、両方とも明治政府が野蒜港と併せて建設したものだ。残念ながら野蒜港は建築後3年で台風により破壊され、新たに出来た横浜港にその役割を譲ることになった。

 一方県南部の阿武隈川河口から松島湾までの人工堀を貞山堀と呼び、このうち最南部の名取川河口までが木曳堀、名取川河口から七北田川河口までが新堀、砂押川河口から松島湾までが御舟入堀と呼ばれている。御舟入堀は仙台藩第2代藩主である忠宗が作らせたもので、多賀城から塩釜港に向かう県道10号線沿いにあり、多くの船が係留されている。

 新堀は井土浜(いどはま)から蒲生までのサイクリングロード沿いにあり、明治維新後没落した旧武士階級を救済するため工事に当たらせたようだ。周囲にはラムサール条約に関わる大きな干潟があり野鳥の天国になっている。また引き潮になるとシジミ獲りで賑わう場所でもある。屋敷林を持つ「イグネ」で有名になった集落はこの堀の近辺にある。

 運河の最も南に当たる木曳堀は藩祖政宗が川村孫兵衛に命じて工事に当たらせたものだ。孫兵衛は石巻港を開港したり、仙台城下に飲み水を提供する四谷用水(現在も工業用水、農業用水として使用)を完成させた土木家で、夫妻の墓は石巻に在る。この堀は仙台城下を建設するための用材を阿武隈川上流から運ぶためのもので、ゆり上(ゆりは門の中に水)港からは名取川、広瀬川を遡って運搬したようだ。(かつて北材木町、南材木町の町名あり)

 なお、仙台市内の木流堀は城下で必要な薪を名取川上流から運ぶためのもので、終点の県立仙台南高前はかつて木場後と呼ばれていた。今回のコースは仙台空港からこの木曳堀に沿って走るが、注意しないと見逃してしまうほどの幅しかない。いずれにしても藩祖政宗が仙台藩の発展のために切り開いたこの運河を郷土の誇りとしていつまでも大切にしたいものだ。(続)





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Last updated  2007.06.13 15:13:24
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