マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.06.15
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<高館山・熊野堂周辺>

 高館山周辺には熊野三社(熊野本宮社、熊野新宮社、熊野那智神社)をはじめ、三社から分離した新宮寺、大門山中世墓域群、熊野堂横穴墓群、高館城跡などがあり、古代から中世にかけての一大聖域だった。

 霊験あらたかな熊野に対する皇室や貴族達の信仰は、荘園の発達と共に東北にも及び、福島県喜多方市の熊野社、山形県寒河江市の新熊野十二社権現、岩手県平泉の今熊野社などと共に、平安末期には名取の地にも熊野三社が勧請される。これによってわざわざ遠い熊野まで詣でなくても良くなった。また修行と信仰の流布のために東北を訪れる修験道(山伏)も増えた。出羽三山は修行地として名高く、蔵王山の名の元の蔵王権現は吉野の金峰山にまつわるものである。

 今回のマラニックで訪ねる予定の熊野那智神社には国指定の重要文化財である懸仏や銅鏡が41点もあり、このうち数点は仙台市博物館で観覧できる。なお、熊野三社は江戸時代まで伊達家の庇護を受けていた。山上の同社からは遠く太平洋が望め、一帯は公園として整備されている。

 また尾根の突端には中世の城跡である高館城跡があり、南北朝時代は平泉中尊寺の命を受け、近辺の益田(ますだ)の関の警固に当たったと言う。付近の大門山は経塚山とも呼ばれ、200基を越える板碑や蔵骨器を伴う中世墓域があり、この近辺が一大聖地だったことが窺える。

<その他>
○あんどん松
 ゆり上浜は仙台藩の五十集(いさば=漁港)であった。ゆりは門の中に水と書く作字であるが、水門で「みなと」とも読める。港にほど近い神社の境内に円墳があり、この地が古くから開けていたことが窺える。仙台からゆり上に向かう名取川沿いに江戸時代の古い松並木が僅かに残っている。高さも相当あり、当時の面影が偲ばれる。

○洞口家住宅、旧中沢家住宅
 私は両家住宅の詳細は知らない。洞口家住宅は確か重要文化財に指定されているはず。江戸時代の庄屋を務めた旧家ではないか。実態は現地の案内で分かると思う。

○十三塚
 ここにどんな由来があるのかは知らないが、私は幼い頃に祖母からこの名を聞いた。民俗学者の柳田國男の著書には、国内何箇所かにこの「十三塚伝説」があることが記されているようだ。 

○道祖神社
 実方が地元の人の諌言を聞かずに下馬しなかったため、馬がぬかるみに脚を取られて落馬し、終に亡くなったと伝えられるのがこの神社だ。本来道祖神は旅の安全と夫婦和合を叶える土地の神。睦みあう男女の姿が彫られた石仏がここで見られるだろうか。

 以上、拙い解説で済みませんでした。今回のコースは知らないところばかりですが、資料を作ることで自分自身の勉強になりました。明日は「エンジョグinみちのく」で皆さんと一緒に現地を訪ねるのが楽しみです。さて、どんなところなんでしょうね?





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Last updated  2007.06.15 16:05:36
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