マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.06.20
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<熊野那智神社~打ち上げ>

 難問だが答えは簡単。つまり被葬者は誰だか分からないってこと。古墳に葬られた人で名前が特定されているのは天皇くらいのものだ。いや、その天皇陵ですら間違っているものがある。例えば継体天皇陵とされる大阪府茨木市のものは時代が合わず、隣の高槻市にある今城塚古墳が継体天皇の陵であることが学問的にほぼ裏づけられている。

 被葬者が特定できない理由は墓に名前が刻まれていないからだ。文字の伝来は仏教の伝来と同じ538年ころと言うのが通説。古墳時代も後期の頃だ。天皇陵以外の古墳で例外的に名前が特定できそうな古墳がある。埼玉県稲荷山古墳出土の太刀には三十数文字の漢字が純金で象嵌され、「ワカタキルに杖人として仕えたヲワケが剣を賜った」ことが刻まれていた。

 ワカタキルは第21代雄略天皇<大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)大王>と考えられている。雄略の名は後代になって付与されたもので、古代の天皇は日本式の「本名」があった。稲荷山古墳の被葬者はほぼヲワケと言う人物だろう。奈良市郊外の茶畑の一角に太安万侶(おおのやすまろ)の墓がある。安万侶は古事記や日本書紀の編集者で、墓からは彼の名を刻んだ銅板が見つかった。彼は奈良時代の官人で古墳時代の人ではないが、名前が特定できた古代人の稀有な例である。

 さて、私達が先ほど登って来た雷神山古墳に眠る勇者の名だが、仮に「名取大王」としておくのが良いだろう。陪塚であると考えられる小塚の被葬者は、妃なのかそれとも大王に殉じて死んだ重臣のものだろうか。おそらくこの謎は古墳を発掘調査しても解けないと思う。ただ私達東北人の遠い祖先であることだけは間違いない。稲作をしながら日本列島を北上して来た祖先だ。

 コースは熊野那智神社から那智が丘団地へ向かい、途中から階段を下りてショートカットする。高館の集落へ出る頃には、那智の滝を廻ったために抜かれた第2グループにも追い着いた。そこからは2つのグループが入り乱れて最終地点の極楽湯を目指す。残された距離は3kmほどか。住吉台走友会や仙台明走会の速いランナー達は、弦を放れた矢のように猛ダッシュ。何とか私も付いて行ったが最後の信号で振り切られた。

 F田さんのサポート車到着を待って荷物を受け取り極楽湯へ。裸になると日に焼けて肌が赤い。早速体を洗い水風呂へ入る。冷たいがとても気持が良い。ついでに屋外の薬湯へも。入浴後は先ず牛乳を飲み、それから生ビール。その頃になってようやく第3グループが到着。遅れたのはリーダーの1人Y野さんの目にゴミが入って病院に行ったのと、途中でコースを間違えたためとか。32kmの旅程にはどんなハプニングが起こるか分からない。

 打ち上げの会場は仙台駅周辺の居酒屋。日本料理がメインで、値段の割には良心的な内容。お世話役の皆さんの挨拶に続いて乾杯。走った疲れも手伝って杯を上げる毎に酩酊の度が進むメンバー。天気とコースに恵まれ今年も成功裏に終わったエンジョグ。打ち上げも和気藹々で賑やかだった。でもすっかり出来上がり、ろくな挨拶が出来なかった私だった。やがて埼玉のO野さん夫妻が新幹線の時間が近づいて帰られた。皆さんまた来年も来て下さいね~!





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Last updated  2007.06.21 13:52:05
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