マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.01.11
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カテゴリ: 人生論
 昨日の11日は成人の日だった。以前は1月15日だったのが、法の改正で最寄りの日曜日にひっつく形になったのだろう。インタビューに答えて立派なスーツを着こなした新成人の若者が話す。「これからは社会に貢献出来る人間になりたい」と。なかなか殊勝な発言だ。仙台市内の成人式では、胸元が露わな女の子が映った。何と言う無様な服装なのだろう。



 不景気が影響して、今は「就職氷河期」なのだとか。だから大学も3年になれば、ほとんどの学生は就職活動に必死になる。少しでも良い会社に入るために。そして少しでも高い収入を得るために。なるほどそれも悪くはない。だが、それが人生の全てだろうか。アメリカの大学は入るのは簡単だが、出るのは困難と言われている。予習をしっかりしていないと授業について行けないからだ。

 それに教員達は学生に独創性を求める。日本の学生とは大違いだ。入学試験に必死になり、就職活動に必死になって、人間として成長すべき時期に大切なものを見失っているような気がしてならない。それでも一頃のような荒れる成人式よりはよほど健全。酒が飲めるのが成人の特権と勘違いし、成人式の会場で大暴れする若者の姿はもう見たくない。

 私が二十歳を迎えたのは昭和39年。もちろん成人式は1月15日だった。だが私は成人式へは行かなかった。3月生まれの私は1年遅れて成人式を迎え、大部分の同級生は既に成人式を終えていた。だから見知らぬ人ばかりの会場へ行く気が起きなかったのだ。私が向かった先は血液銀行。成人の記念に相応しく献血をしようと思ってのことだ。

 だが、院内の様子に愕然とした。血液銀行にたむろしていたのは、顔色の悪い不健康そうな人ばかり。彼らは自分の血を売って暮らしていたのだ。当時の血液銀行は献血ではなく、売血によって成り立っていた。つまり血は手っ取り早い収入の手段で、彼らは労せず金儲けをしていたのだ。私は黙ってそこから立ち去った。

 昭和39年は東京オリンピックが開催された年でもあり、東海道新幹線が開通した年でもあった。その年末、私は京都に旅した。もちろん自分で稼いだお金でだ。あの旅が私の心を開放してくれたように思う。そして鬱々とした気持ちは、新しい職場に異動したことで一掃された。勤めて4年後には夜間大学に入った。22歳の勤労学生だった。

 経済的にはとても苦しい4年間だったが、学べることが楽しかった。そしてそれが妻との出会いにもつながった。学生委員会に所属したせいで大学紛争にも遭遇し、まさに波乱の時期だった。その夜学も勤労学生の減少により、数年前に消滅した。大学卒業と結婚が同じ年だったから、あれからもう41年が経つ。我が青春の思い出もかなり古ぼけたようだ。






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Last updated  2011.01.11 19:08:31
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