マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.07.02
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カテゴリ: 俳句



   パスポート笈底深く復帰の日       志多伯得壽




 薩摩世(さつまゆー)は明治初頭の廃藩置県まで。薩摩藩の侵攻以降、琉球は中国の冊封体制下にありながら実質上は薩摩藩の支配を受け、二重帰属となる。大和世(やまとゆー)は廃藩置県から1931年の満州事変まで。琉球王国は沖縄県として日本の一部に繰り込まれた。

 戦世(いくさゆー)は1945年の太平洋戦争終結まで。ご存知の通り、沖縄は日本で唯一地上戦があった土地。アメリカの軍艦が沖縄の海を封鎖し、艦砲射撃の凄さは大変なもので15万人近い死者が出た。今でも工事の度に地中から不発弾が見つかるほど。

 戦後は米軍及び米国民政府の支配下となる。これがアメリカ世(アメリカゆー)。太平洋戦争の最中からアメリカは沖縄の研究を進めて各集落の人口や言葉などを調べ尽くし、占領後の政策を練っていたそうだ。一方日本は高層気流に乗せて風船爆弾をアメリカ本土へ落とそうとしていた。それだけ軍備や情報量が違っていれば勝てるわけがない。

 アメリカの占領下で沖縄は復興する。戦争で焼け野が原になった那覇市の国際通りは「奇跡の1マイル」と呼ばれたほど。だが、土地を米軍の基地として接収されるなどのため住民の不満は日増しに増大した。同じ米軍の占領下にあった鹿児島県の奄美群島は、一足早く1953年までにすべて日本政府に返還された。

 それまでの間、日本に渡るにはパスポートが必要だった。奄美出身の横綱、初代朝汐太郎はパスポートが無いために、船で密入国し相撲取りになった話は有名。沖縄の日本復帰はそれから19年後。住民の喜びはいかほどだったろう。これで日本へ行くにもパスポートは不要。そのパスポートを笈(おい=木製の入れ物)の底深くしまったのが1972(昭和47)年5月15日だった。

 私が沖縄に赴任したのは復帰後17年目。色んな面で「内地」の指導を受け、仕事の進め方もまだぎこちなかった。バイクの保険変更手続きに行ったら、保険料を返還してくれた。貧しい沖縄は税制でも優遇されていたのだ。

 あの当時の沖縄は失業率、離婚率、犯罪数がとてつもなく高く、高校生が盗んだ車を無免許で飲酒運転し、死亡するニュースを良く耳にした。日本復帰後、今年で39年。果たして沖縄はどれだけ豊かになったのだろう。






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Last updated  2011.07.02 19:56:19
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