マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.09.15
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 与那国島 

 2人の女性の話す声を偶然聞いてしまった。あれは昭和47年の5月ごろだったか。場所は私の3番目の職場(東京)の地下だった。どうやら親戚の方が亡くなったのだが、故郷に帰る必要があるかどうかの相談で、若い方の女性は泣き声だった。彼女らの故郷は沖縄。それも最西端の与那国島とのこと。沖縄の人に会ったのは、彼女らが初めてだった。そしてその島の名前を聞いたのも。

 若い女性Aさんが泣いていたのは、お金がかかるからみたい。今でも飛行機を乗り継いで往復すれば、かなりの金額がかかる。那覇から石垣島までが440km。そこから与那国までは、さらに130kmほどもあるのだ。きっとその飛行機代だけでも、彼女の給料の半年分が吹っ飛んでしまうのではないか。まして当時はまだ沖縄が返還される前。「日本」へ来るのにもパスポートが必要だった時代だ。

 地元の言葉で与那国は「どなん」と呼ばれる。漢字で書くと渡難。島へ渡るには相当難儀するとの意味だろう。そして与那国の言葉で台湾は「たかさん」と言うらしい。意味は「高い」。台湾には標高3997mの新高山はじめ3千m級の高山が幾つかあり、海上から見上げればとてつもなく高い島に見えるからだろう。この「たかさん」が後に「高砂」に変化したようだ。

 かつて台湾が日本に帰属していた時代、台湾と与那国は互いに親戚づきあいをしていた由。サトウキビの季節には、台湾から手伝いに来たと言う。そして終戦後の一時期、与那国の沖合では台湾との密貿易が行われていたようだ。与那国から台湾へは、石垣島へ行くよりも近い。その縁かは知らないが、台湾の花蓮市と与那国町は姉妹都市の協定を結んでいる。まさに国境の最前線なのだ。

 この島の西海岸久部良集落に「クブラバリ」と呼ばれる岩の裂け目がある。琉球王朝時代には、ここで妊婦をジャンプさせた由。幅3m、深さ7mの裂け目を妊婦が飛んだらどうなるか。ほとんどの妊婦は死に、たとえ助かっても胎児は死んだ。厳しい税の取り立てのため、少しでも人口を減らすための措置だが、最果ての島の悲しい伝説だ。

 サツマイモのような形をした島の東南にある岬「新川鼻」沖の海中に、不思議な遺跡が発見されてからまだ日が浅い。発見したのは地元のダイバーで、琉球大学の木村政昭名誉教授(当時は理学部教授)が自ら潜って確認した。彼の専門は海洋地質学だが考古学にも造詣が深く、沖縄で幾つかの海中遺跡を発見している。

 与那国の海中遺跡は、階段状のもの、アーチ状のもの、溝状のもの、亀の甲羅状のものなど様々な石組がある由。私も写真で観たことがあるが、やはり人工物のように感じた。木村名誉教授は富士山の噴火や「ムー大陸」の存在を早くから唱えたことでも有名だが、この海中遺跡はかなり古く、ひょっとして「ムー大陸」時代の名残かも知れないと言う。その真偽のほどは不明だが、陸上部の遺跡とも繋がっているようなので、過去の地震で海に沈んだのかも知れない。

 与那国島の人口は1700人。マラソンはないが、度数60度の泡盛「花酒」が島の名産。その強い酒を、私は岡山で飲んだことがある。そんなことで私の行きたい度数は100%。いずれは必ず訪れてみたい島だ。国境防衛のため、島の人は自衛隊の駐留を望んでいると聞くが、果たしてどうなるか。<続く>

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Last updated  2012.09.15 08:27:17
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