マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.09.16
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 久高島 

 私は足の裏を鍛えるために、青竹を踏んでいる。なかなか刺激があって、鍛えている実感がある。だが、それよりもっと強烈なのがシャコ貝だ。凸凹の突起が踏むと痛くて、そう長くは続けられない。長径12cmほどのその貝を獲ったのが久高島(くだかしま)。あれは平成3年の秋。沖縄勤務の思い出に、職場の仲間とその島へ渡った。

 久高は「神の島」と呼ばれる。琉球人の祖先である、アマミキヨ、シネリキヨの2人の神がこの島へ上陸した後、知念半島へ渡ったとされる伝説の島だ。この小島では、琉球王朝以来数百年にわたって「神行事」が行われて来た。この島で生まれた女性だけで結成される「祝女」(ノロ」と呼ばれる集団がそれを司る。その最高の祀りが「イザイホー」と言うものであることを、私は本を読んで知っていた。

 島を案内してくれたのは「琉球髷」を結った30代の男だった。だが、私達を乗せてくれた軽トラックは、間もなく動かなくなった。きっとガソリンが古く、水でも混じっていたのではないか。私達は自分で浜辺へ向かい、貝などを獲って食べた。シャコ貝は岩を溶かしてその中に潜む、不思議な習性を持っている。嬉々としている仲間に対し、私は複雑な思いだった。「一木一石といえども勝手に獲ってはいけない」と言う禁止事項が、この島にあることを知っていたからだ。

 久高島は知念半島の東5kmほどの海上に浮かぶ、周囲8kmの細長い島。最高地は18mの扁平な島で、人口は200人。長い間、飲み水は井戸に頼って来た。農地がほとんどないため、島全体が島民の共有地。つまり原始共産制が長い間保たれて来た国内では珍しい島なのだ。貧しい作物しか獲れない畑も、順番に割り振って公平性を保つ。島の物を持ち出さないことや、勝手に獲らない規則は、貧しいゆえの知恵だったのだろう。

 この島で神行事が数百年間も守られて来たのには理由がある。琉球王朝時代から、この島の男は優秀な船乗りとして、中国や東南アジア、日本との貿易船に乗り組んだ。神行事は男達の長い航海期間、妻の不貞を防ぐためでもあった。毎週のように神行事への参加を求められるため、不貞を働く暇がないのだ。それでも例外が起こるのが人の常。だが不貞を働いた女は呵責に苛まれ、地上に描かれた「橋」を渡ることが出来なかったそうだ。びっくり

 島の最大の聖地である「フボー御嶽」(うたき)には、祝女しか入れない。そこにはソテツに似たクバ(フボーはクバが訛ったもの)しか生えてないそうだ。かつてこの島を訪れた画家の岡本太郎は、地元の人に頼んで風葬墓を見せてもらったようだ。彼はそれを写真に撮って公表した。その結果、案内した島民は狂死した。風葬墓は島民しか立ち入ることが出来ない聖地。それを破った案内者は、島民の怒りを買ったのだ。

 岡本太郎はパリ大学で民族学(文化人類学)を学んだ。だからこそ島の神秘性に惹かれたのだろう。それは私も同様だ。だが沖縄関係の本を300冊以上読んでいた私は、島の禁止事項は知っていた。12年に一度午(うま)の年に開かれるイザイホーは、昭和53年(1978年)が最後になった。神行事を司る祝女(のろ)集団が高齢化したためだ。私はその貴重な映像を、偶然8番目の職場で観ることが出来た。島を離れた4年後だった。

 結局シャコ貝を食べても、罰は当たらなかった。もう神の呪縛は消えたのだろう。島の向かい側である知念半島の斉場御嶽(せいふぁうたき)は沖縄最大の聖地で、世界文化遺産にも登録されている。島へ渡っての祭祀を薩摩藩によって禁止された琉球王が、自分の代理として聞得大君(きこえおおぎみ)を派遣し、そこから久高島を遥拝させたのだ。

 伝説の島、久高にマラソンはない。私の行ってみたい度数は50%。行きたい気持ちは大いにあるが、あの島はそっとして置くのが一番と思うからだ。あの島で起きた不思議な出来ごとを、私は一篇の詩にし、第2詩集に載せた。今でも白昼夢のようなあの小島を、時々思い出して懐かしんでいる。<続く>





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Last updated  2012.09.16 08:47:04
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