マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.12.05
XML
カテゴリ: 人生論
私は第2次世界大戦のさ中に生まれた。だから、物が乏しい戦後の少年時代の記憶が、今でも強烈に残っている。そのせいだろうが、食べ物には全くと言って良いほど煩くない。昼食にはいつも麺類を作っているが、その汁は何日か使う。味噌ラーメンの残り汁に味噌汁の残り汁を足し、余ったカレーや煮物なども入れれば、立派な1食。味が薄まれば、出汁醤油を足す。

 衣類にもそれほど煩くはない。加齢臭が染みついた肌着も擦り切れるまで身に着けるし、靴下だってヨレヨレになるまで穿いている。私は楽なジャージが好きだが、尻の裏側には大きな「継ぎ当て」がミシンで縫ってある。滑って転んだ時に、その部分が薄くなったためだ。脇に穴が開き、袖が擦り切れたセーターもまだ捨てずに使う。そんな服装で、平気で街へ買い物にも出かける。

 子供のころからの貧乏性が、いつの間にか私の身に着いてしまったのだろう。そんなことは全く気にならないが、3歳年下の妻は違う。先ず魚の食べ方が下手だ。釜にはたくさんのご飯粒を残すし、鍋には余った味噌汁。私には食べ物を粗末にするのがとても考えられないが、妻は物の有難さが分からない世代なのだろう。

 それでも男女の経済観念は違うようだ。私はしょっちゅう妻に怒られ、その違いに逡巡する。私にとっては重要なことが、彼女にはきっと「大いなる無駄遣い」と見えるのだろう。ブログなどはその最たるもので、「お父さんは自分の趣味しか考えない」となるのだ。私に言わせれば、良い趣味の存在は生き甲斐につながり、老後を豊かにすると思うのだが。

 今朝も結構忙しい。昨夜は遅くまで読書していたため、朝一番でのブログは書けなかったが、3kmほど散歩した後、玄関とガレージの掃き掃除をした。朝食後は洗濯ものを2階に運び、妻の蛍光スタンドの修理とゴミを入れる容器の修繕。暖簾を画鋲で止め、ゴミを出す。それらは全て妻の「注文」。

 これから布団を干し、午後は生協の配達品の受け取りと洗濯ものの取り込みと始末。その合間に植木を剪定し、郵便局へも出かける。さらにはランニングの練習もしたいし、ネットの契約について確認したいこともある。今は「サンデー毎日」の私だが、それなりに結構忙しく、自分のしたいことと、妻の要望を叶えること。そのバランスを取るのに苦労する。

 「俺も亭主関白なら楽なんだけどなあ」とつぶやきながらも、戦中生まれの男はじっと我慢。「人間辛抱だ」。初代若乃花のテレビコマーシャルだが、今では知ってる人も少ないだろう。徳川家康は言う。「人生は重き荷を負うて長き坂を行くが如し」。修行の道はまだまだ険しそうだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.12.05 09:41:14
コメント(8) | コメントを書く
[人生論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: