マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.02.20
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カテゴリ: 読書


 この小説が出されるまで、徳川家康や徳川幕府に対する評価は低かった由。きっと幕末には朝敵となり、明治以降はびこっていた皇国史観のせいだと思う。だが、山岡が描く家康像は、それまでの観方を一変させた。「欣求浄土 厭離穢土」の旗印を掲げて戦った武将は、死に至るまで求道者であり続けたのだ。

 浄土宗の熱心な信者であり、天下を治めるために儒教を取り入れ、皇室への尊崇を政治の根幹とした家康。そこに至るまでには、幼少から青年期まで人質だったこと、正室築山殿の謀反、嫡男の切腹、次男の秀吉への養子縁組、六男松平忠輝の野望など、家庭的に恵まれなかった影響が大きい。また、関ヶ原の戦いや2度に亘る大坂の陣も、揺らぎない太平の世を作る決心をさせる元となった。

 歴史小説はあくまでも小説であり歴史そのものではないが、私は家康の74歳の生涯を描くこの小説から、多くの事柄を学ぶことが出来た。信長や秀吉との関係、生まれて以降の家庭的問題、戦い方が激変して行く戦争の実態、2度に亘る朝鮮の役の実態、諸外国の我が国への進出と交流の実態、大名とキリシタンとの関係、松平忠輝と舅である伊達政宗の野望の実態などだ。

 意外なことに家康は「キリシタン禁止令」や「鎖国令」を出しておらず、むしろ外国との貿易の道を探って堺衆との関係も密接なのだ。武家諸法度を制定し、百姓の直訴制度を許すなど、360年もの長きに亘る徳川幕府の基礎を作った彼は、死後も国土を守るために、遺骸を立ったままで久能山に埋葬することを厳命したと言う。それを江戸の鬼門に当たる日光東照宮に遷座したのは、孫の三代将軍家光。それ以降、権現として祀られる。

 長い長いこの小説は、「人の一生は重き荷を負うて、長き道を行くが如し」と言った家康の人生を余す所なく伝えた名作だった。これで吉川英治の『新平家物語』、『私本太平記』と併せて、平安時代の末期から江戸時代の初期まで、この10カ月間で日本の歴史を小説を通じて観て来たことになる。幕末関係の歴史小説もかなり読んだので、少しは通史の理解が進んだように思う。

 昨夜から読み始めたのが宮城谷昌光の『風は山河より』全6巻。その後は同氏の『新参河物語』全3巻を読む積り。いずれも小説の舞台は戦国で、家康の家臣の話。宮城谷の中国歴史小説は50冊以上読んだが、『風は山河より』は彼が書いた初の日本歴史小説のようで、果たしてどんな取り上げ方をするかが楽しみだ。今年もどうやら歴史小説三昧の日々になりそうだ。





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Last updated  2013.02.20 05:37:29
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