マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.03.26
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カテゴリ: 文化論


 登山中のドイツ人夫妻によって彼が偶然発見されたのは、1991年の9月。場所はオーストリアとイタリアの国境に近いアルプスの、標高3210mの頂上付近。この時はまさかアイスマンが先史時代の人間とは誰も考えてなかった。それが彼の持ち物などで現代人ではないことが分かった。それにしてもなぜ彼はこんな高い山まで登って来たのだろう。

 本格的な謎の解明のため、マイナス6度で保存されて来たアイスマンを、今回は9時間だけ18度に上げた。つまり一時的な解凍だ。そして皮膚や腸など149点のサンプルを採取した。その結果驚くべきことが判明した。身長160cm、体重50kg、年齢は46歳前後、彼が生きていたのは5300年前だった。日本では縄文時代に当たり、世界の4大文明だと初期のメソポタミア文明しかまだ存在していない。

 胃の内容物から、彼が満腹状態であったことが分かった。食べていたのはシカやウサギなど動物の肉の他に、パンもあった。加工された小麦が焼かれていたことが分かったからだ。また体の何箇所かに煤(すす)で入れたタトウが残されていた。「三」や「+」の印が付けられた場所は、鍼灸で言う経絡つまり「つぼ」の部分だった。

 一方、レントゲン撮影で、彼が「腰椎すべり症」を患っていたことが判明した。何とタトウが付された「つぼ」は、腰痛を抑える個所だったのだ。中国で鍼灸治療が体系化されたのは約2千年前の頃。アイスマンはそれより3300年も前に、高度の治療を受けていた。青銅製の斧は純度99.7%。その頃にそれだけ優れた製錬製鋼の技術があったことに驚く。日本ではまだ石斧の時代なのだ。

 靴はクマの皮製だが、保温効果を高めるため中には干し草が詰められていた。またヤギの皮で作ったマントは、色違いの皮を交互に縫い合わせたお洒落なものだった。そして腸から見つかった植物の花粉から、彼が山の中を逃げ回っていたことが分かった。肛門に近い順に、モミ(高地)、アサダ(山麓)、トウヒ(中腹)、モミ(高地)。それが彼の逃走経路だ。

 胸部には石製の鏃(やじり)、肩には矢による傷痕が残っていた。背後から矢を射かけられたのだ。だが矢は残っていない。矢にはそれぞれ持ち主が分かるサインが付されている。「犯人」はばれないように矢を抜いたが、鏃までは処理出来なかった。そして頭蓋骨内には大量の赤血球。エジプトなどの「加工されたミイラ」では例がないと言う。

 だが自然の状態でミイラになったアイスマンには、血液が残された。それにしてもなぜ彼の頭蓋骨内で大量の出血があったのか。その謎も解けた。耳の周囲に後から石で殴られた痕跡があった。きっと弓矢では死ななかったため、「犯人」はさらに石で殴ったのだろう。その傷が元で大量の脳出血を引き起こし、とうとうアイスマンは死んだ。

 アイスマンの死因は分かったが、なぜその頃のヨーロッパに高度の文明があったのか、謎は残されたままだ。さらに研究が進むであろう将来のため、アイスマンの胃の中には食べ物の半分に当たる100gの内容物が戻され、体は再びマイナス6度に保たれた。彼が生きた時代の謎が解き明かされるのは、果たしていつになるか。興味は尽きないが、その前に私の命が尽きる可能性の方が高そうだ。

≪ お断り ≫ 今日は午後から高校時代のクラス会。松島のホテルに1泊し、古稀を祝います。そのため明日のブログ更新は、早くても午後からになる予定です。





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Last updated  2013.03.26 09:12:31
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