マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.08.19
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カテゴリ: ランニング全般
 足底に痛みを感じたのが2006年(平成18年)の秋。整形外科へ行くと、両足のアーチが落ちて、骨が変形しているとのこと。生来の偏平足が長年のランニングで助長され、痛みが発生したのだ。特に左足は異常な骨で靭帯が擦られ、腱鞘炎が起きていた。ドクターの勧めにより、医療用インソールを作った。

 ところがこれを装着して走ると素材のシリコンが足に当たり、猛烈な摩擦熱が発生した。インソールはあくまでも歩くためのものであり、走ることを考えてないのだ。また素材が堅過ぎて、足底に痛みが出た。この対策としてインソールを削り、カバーをかけてもらった。金額は両足で5万円ほどしたが、その大切なインソールが入ったシューズを、翌年のマラニックの際に誰かが履いて行った。いくら探しても見つからず、止むなく義肢製作所に再び製作を依頼した。



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 2008年(平成20年)1月の「第18回宮古島ワイドーマラソン」(沖縄県:100km)である。もちろん医療用インソールを装着して走っている。前日は27度の猛暑だったが、この日は19度と走り易く、レースの途中で植物園などを見学しながら走る余裕があった。ここは池間大橋の上で、猛烈な西風に曝されている。撮影者はこのレースが初100kmだった仙台明走会のえみちゃん。記録は12時間02分45秒で、年齢は63歳。



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 2009年(平成21年)5月の「仙台鉄人会10時間走大会」で年齢は65歳。ここは1周3kmの周回コースだが1周当たりの高低差は60m近くあり、時間が経過するにつれて体への負担が大きくなる。このアップダウンの厳しいコースを25周、75km走れて自信がついた。この鉄人会の時間走は、翌月の「いわて銀河」100kmへ向けた、良い練習の場であった。



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 2010年(平成22年)3月の「第6回伊豆大島ウルトラランニング」(東京都:100km)。年齢は66歳、頭髪は真白である。コースは島を1周半し、三原山の中腹まで登り下りする過酷なもので、特に後半の関門の制限時間が厳しい。

 撮影場所は通称「月の砂漠」と呼ばれる三原山の中腹で、撮影者は私を驚かそうと黙って参加した走友T田さん。私が2晩泊ったのは中国人が経営する部屋の水道が出ず食事もつかない怪し気なホテルで、美しいHPに騙された「事件」だった。



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 同年7月の「第5回磐梯高原ウルトラマラソン」(福島県:100km)である。この大会は毎回コースが変わり、この時も前年とは全く異なるコース設計だった。最初の分岐点に係員がおらず、先頭グループがコースを外れ5km以上余分に走った。猪苗代湖の同じ個所を3回走り、暑さと共に単純さとの戦いだった。記録は13時間30分57秒。

 この後、同年9月の「第20回秋田内陸100km」では、制限時間を30秒オーバーし、13時間00分30秒での時間外完走。記録はリタイヤ扱いとなった。翌年2011年(平成23年)1月の「第59回勝田マラソン」(茨城)、2月の「第2回いわきサンシャイン」(福島)は共にフルマラソンで、それぞれ4時間28分00秒、4時間19分17秒で完走している。

 その約1カ月後の3月11日「東日本大震災」が発生。この未曽有の大災害で妻の精神状態がおかしくなり、その影響で私は不整脈を発症した。同年4月の「東日本大震災チャリティラン」ではフルの距離を5時間23分10秒で完走したが、6月の「第7回いわて銀河」では73.3km地点でリタイヤ。不整脈の影響だった。

 同年9月の「第21回秋田内陸ウルトラ」は、45km地点でリタイヤ。時間は7時間30分だった。8km地点で不整脈が発症し、急にスピードが落ちて走れなくなったのだ。それ以降のレースは全てキャンセルして治療に努めたが、めまい、動悸、吐き気など薬の副作用が出て、投薬による治療を諦めた。

 またこの春から足底部に痛みが出て整形外科を訪ねると、筋膜炎が発症していた。これもアーチ陥没による骨の変形が原因で、ドクターにはランニングを止めることを勧告された。取り敢えず新しい医療用インソールを製作し直して痛みに対応。作製費用は6万円近くかかった。

 翌2012年(平成24年)循環器内科医の勧めで専門病院に入院し、2月に不整脈の手術を受けた。経過は順調に見えたが再び重篤な不整脈が発生し、4月に2回目の不整脈手術を受けた。術後、体調不良のため定年後勤務していたビル管理会社を退社し、治療に専念。同年8月からようやくランニングの練習を開始した。

 1年3か月ぶりのレースが今年2013年(平成25年)1月の「寅さん詣り」で、44kmを6時間41分で完走。2月の「いわきサンシャイン」(フル)は、足の裏に痛みを感じ、30km地点でリタイヤした。4月に予定していた「行田市鉄剣マラソン」は悪天候で中止。この後、庭仕事の後遺症で、足腰の痛みに不安を感じながらも練習し、5月の「仙台国際ハーフマラソン」に臨んだ。



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 「仙台国際ハーフマラソン」は、年齢69歳にして初参加。記録は2時間23分25秒だった。普段練習ではkm9分近くかかるのに、大会ではkm7分ペースで走らないと完走出来ず、体には相当の負担をかけた。故郷の町を初めてレースで走ることが出来て感激。レース後の懇親会で仲間と喜びを分かち合った。



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 同年6月の「第9回いわて銀河100km」。2年ぶりの参加だったが、前回と同じ73.3kmの第3関門でタイムアウト。時間は10時間38分00秒だった。レース後は銀河高原ビールを飲み、リタイヤバスでゴール地点へ。写真は雫石町総合運動公園のゴール地点。リタイヤながらも久しぶりのウルトラレースに、満足気な表情の私だ。

 これが私が参加した最後のレース。34年8カ月のランニング史の中でフルマラソンには53回出場し、リタイヤが4回。またフル以上の距離を走るウルトラマラソン(時間走を含む)には47回参加し、リタイヤも数度あるがいずれもフル以上の距離は走っている。

 62歳から66歳にかけて206kmの「佐渡島一周」に3回出場し、いずれも完走した。フル以上のレースは合計で100回。30km以下のレースは記録を残していないが40回近く参加し、全て完走している。

 この他、4年かけて440kmを走った「沖縄本島単独一周」、宮城県石巻市~気仙沼市90km、自宅~福島市80km、自宅から蔵王エコーライン経由蔵王温泉までの77kmなど、リュックを背負っての長距離マラニックも40回に達した。

 だが、最近膝の調子が良くない。6月の北海道旅行から帰宅後に強い違和感を感じ、今は練習がままならない状態だ。先日ネットに「後脛骨筋機能不全」のことが記されていた。偏平足と後脛骨筋の老化に伴う障害で、足のアーチの低下はじめ膝や足(脚)に障害が発生し、腰や肩にも影響することがある由。これはまさしく私が苦しんでいる症状だ。

 34年以上のランニング生活が原因で起きた障害だが、私は特に悔んではいない。ランニング、特にウルトラマラソンとの出会いで、どれだけ私の人生が豊かになったか計り知れない。全都道府県を走破し、地球を2周し、未知の世界を経験出来た。

 さて、現在の体調を考えれば、このままランニングを続けることは無理。これからの老後を支障なく過ごすためには、「歩ける足」残しておく必要がある。人間歩けなくなれば、一層老化は進む。近く、重大な決断を下すことになると思う。

 偏平足にならないため、ランナーは日頃から足底筋を鍛えておく必要がある。そのためには「青竹踏み」や、タオルギャザリングが有効だ。老化に伴うアーチの低下を馬鹿にしてはいけない。それは自分の体験に基づく忠告でもある。歳を取ってから足の故障で苦しまないためにも、若い時から是非足の裏を鍛えて欲しい。それを強く念願して、「わがランニング史」を閉じたい。<完>






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Last updated  2013.08.19 15:16:30
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