マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.08.30
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カテゴリ: 文化論
 朝の連続ドラマ「あまちゃん」が面白い。あれは作り話だと分かっていても、どんどん引き込まれてしまう。宮藤官九郎のストーリーが巧みなのに加え、出ているメンバーが豪華で、それぞれ強烈な個性が感じられる人ばかり。それに劇中の音楽にも心が浮き立つ。今週は果たしてどんな展開になるのだろうと、ハラハラドキドキしながら毎朝妻と観ている。

 さて、先日亡くなった藤圭子さんについてだが、若い頃の彼女の暗いイメージは、所属事務所が売り出すための作戦だったようだ。子供の頃から苦労を重ね、どこか陰のある美少女。そんな風に彼女を仕立て上げたのだ。だが実態はまるきりの苦労知らずで、良く笑うのだと当時の本人が言っていたそうだ。つまり私達が観ていたのは作られた虚像であり、彼女の本当の姿を最後まで知らずにいたのだ。



ランニングシューズ.jpg


 少し前のこと、私のブログに「○時間テレビのマラソンを観て感動した」とコメントしてくれた方がいた。多分私があの番組の胡散臭さについて書いたのを読んでいたのだと思う。感動する心があるのは素晴らしいことだが、私はどうしてもそんな気にはなれなかった。かつて100kmをさほど疲れた様子もなくゴールし、我が子を抱き上げた芸能人の姿を観てからだ。

 初めて100kmを走った人が、あんなに元気な姿でゴールすることはあり得ない。それはウルトラマラソンを50回以上走り、50km以上のマラニックを50回ほど走った私の経験に基づくものだ。普段鍛えてない人が100kmを走れば、ゴール後は痙攣、舌の痺れ、味覚障害、悪寒などが生じて、フラフラになるのが普通だ。



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 いくら凄腕のトレーナーがついていても、たとえ走るのでなく24時間歩くとしても、まだ疑問は残る。成人が歩く速度は時速4kmだから、100kmを歩けばそれだけでも25時間かかる。それも最後までスピードが落ちないと仮定しての話だ。江戸時代の人でさえ1日10里(40km)歩くのが限度。それに食事、休憩、トイレ、交通信号、陸橋などに時間を取られるので、24時間歩き通しても100kmには到達しないと言うのが私の考えだ。

 走りと歩きを交えたら行けると言う考えもある。事実そうしているのだろう。私が62歳で初めて200km超級のレースに出た時は、50分走った後10分歩くのを繰り返した。だが、短期間のトレーニングしかしていない芸能人には20分のランと40分のウォークを交互に入れるのでさえ辛いのではないか。

 最近は100kmが無理なので距離を短くしているようだ。私はネットでしか知らないが、今回森三中の大島某は自分の体重に合わせて88kmにしたとか。そんな理由が私にはとても信じらない。子供のころいじめに遭って苦労したことや、あのランで足の裏を傷めたことも番組終了後にネットで知った。彼女が頑張る様子をテレビで観て、きっと感動した人が多かったのだろう。



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 だが、それでもひねくれ者の私はまだ納得はしない。もし彼女が「仕事」として88kmを走り、歩いたのならどうだろう。あの番組は「原則無償出演」と聞く。ところが数年前にある人が調査した結果、大物クラスの芸能人が数千万円の報酬を得ていたことが分かったそうだ。勿論長距離を走り歩いた芸能人も1千万円は下らないだろう。特にその後反論を聞かないので、それが事実なのだと思う。

 自分の脚とヨットだけで地球を1周した寛平ちゃんが、若い頃吉本興業から「もしフルマラソンを完走したら給料を倍にする」と言われて、本当にそれを実行したことは有名な話。そしてそれ以降彼は「アスリート芸人」を売り物にした。つまり彼にとってのランニングは商売道具。それはそれで凄いし、何の違和感も感じない。だが、「チャリティー」を売り物にする番組で高額なギャランティーをもらって走るのは、大衆を欺く行為にならないだろうか。それが私の素朴な疑問だ。



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 市民ランナーの川内選手が偉いのはたった1人で走り、経費も全て自分で出していることだ。それが企業の陸上部に所属する選手と異なるところ。つまりは自己責任なのだ。それは私達も同様で、レース前には大会本部へ「誓約書」を提出するのが普通。レース中の事故は自己責任が原則なのだ。それが手厚く保護され、しかも高額な報酬をもらう芸人とは全く違う点。それでも感激したいのなら存分に感激すれば良い。

 最後に1人の芸人の話をしよう。かつては「横山パンチ」の芸名で漫才をしていた上岡龍太郎さんのことだ。彼は1942年生まれで、私より2歳年上。その彼と初めて出逢ったのが兵庫県の「武庫川ユリカモメ70km」。彼は「サロマ湖100km」の練習のために走っていたようだ。

 私が「頑張って下さい」と言ったら、彼は「はい、頑張ります」と律義に返してくれた。私のイントネーションで関西人ではないと分かったはずだが、返事には1点の曇りもなかった。たったそれだけのことだが、私にはとても清々しく感じた。当時の彼は芸能人としては超一流。だがランナーとしては1人のアマチュアに徹していた。もちろん付き人もおらず、エントリーも自分でしたのだと思う。



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 その彼が、ある時芸能界から忽然と姿を消した。かねがね彼は「還暦になったら隠居する」と宣言していたそうだ。それが58歳で芸能界から完全に引退した。彼の芸能生活がまる40周年を迎えた年だ。彼は「最後までアマチュア精神を貫き通したプロの芸人」。その彼が「○時間テレビ」のマラソンを観たら、一体何と言うだろうか。


 断っておくが、私はあの番組に何の恨みもない。難病に苦しむ子供を救おうとするドキュメントなどには共感さえ覚える。だがウルトラマラソンを金集めの道具に使うことには、どうしても我慢できないのだ。そしてこの文章も「自己責任」で書いている。






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Last updated  2013.08.30 10:01:58
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