マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2017.08.14
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カテゴリ: 文化論
<墓参りと博物館の話>



 土曜日の夜は遅くまで、世界陸上の4×100mの準決勝などを観ていた。翌朝も早くからその決勝などを観た。日本は選手を入れ替え、しかも戦法を変えていた。そして金メダル間違いなしのジャマイカが、最終走者ボルトのまさかの怪我で棄権となり、日本は3位の銅メダルに輝いた。誰一人9秒台を出してないのに、リレーともなれば、お家芸のバトンタッチが光る。リオに続いてのメダル獲得が嬉しい。




 天気が落ち着いている感じなので、自転車で墓参りに行った。バッテリーをフル充電したはずなのが、見る見る減って来た。やはり山越えはきついのだろう。渋滞している車を尻目に、スイスイ抜いて行く。澱橋から石切町、土橋通、北六番丁、木町通りを通って北山へ。花と線香は市営墓地近辺で買った。誰かが既に花を上げていた。後で聞いたら姪が墓参したようだ。帰路は別コースで帰宅。


  共に国宝


 往路と違ったコースを辿ったのは、市立博物館に寄るため。特別展でこんなものが開かれていたのだ。お盆には相応しい内容だ。行きたくてもそう簡単には行けない。私はレースで和歌山から走って「大門」で折り返しただけで、境内には入らず仕舞だった。それに、例え高野山に行ったとしても、これだけの秘宝が観られるとは限らないのだ。展示品61点のうち国宝が10件、重要文化財が31件とのこと。


       弘法大師座像   

 空海は選抜されて中国に渡り、仏教を学んだ。よほどの天才か僅か2年で修行を終えて帰国し、天皇から聖地高野山を賜って密教の真言宗をこの地で開いた。後の金剛峯寺で、弘法大師の名も賜った。天台宗の最澄(伝教大師)が延暦寺から教えを受けに来たのは有名な話。彼の方が年長で、中国留学の期間も長かったのだが、空海は快く仏法を説いた由。


  国宝 恵光童子像


  戦国時代、織田信長は高野山をも攻めた。だが、彼の霊廟も奥の院にあったはず。歴史上の有名人2万人の廟所が設けられ、秀吉、家康、政宗の廟所もここにあるそうだ。また有名企業の物故者もここに祀られているとか聞いた。標高千mの聖地。四国八十八か所を巡った後は、高野山にお参りしてようやく結願となる由。私にはそれだけの宗教心はないが、熊野大社と共に日本人として一度は訪ねてみたい場所だ。




                <空海の24歳時の書 国宝>

 東北は東日本大震災で大きな被害を受けた。その鎮魂と復興を目的とし、仏教界をはじめとする宗教界から多くの支援があった。それが寺宝や社宝を快く貸し出し、展示へとつながった。通常なら到底拝観出来ない作品を、こうして身近に観られるのは幸運とも言えようか。本当はもっと詳細に調査すべきだろうが、会期が迫っているためあえて簡略な紹介に止めた。


  国宝 孔雀明王坐像

 帰路は再び山越えで。暫く登り道が続き、バッテリーが見る見るうちに減って行くのが分かった。実はどれだけの距離でどれだけ電気を食うか、実験の意味もあったのだ。今週の土曜日は「薬莱山とお足」。往復110kmをこの電動アシスト付き自転車で参加する予定なのだが、バッテリーは70kmしか持たない。それがそんなにも持たないことが判明した。坂が多いと負荷が強過ぎるのだ。




 それに当日は曇り時々雨の予報。雨なら自転車での110kmは危険なので、当然不参加になるだろう。博物館から直接自宅へは向かわず、1kmほど先のスーパーへ行った。前日の買い物で足らない食品があったのだ。この日、自転車に乗った距離は20km足らずだが、果たして運動になったかどうかは分からない。プロ野球は首位のソフトバンクと2位の楽天が共に勝った。激戦は当分続くだろう。

<注> 高野山関係の写真はネットから借用しました。心から感謝申し上げます。





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Last updated  2017.08.14 06:29:42
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