マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2018.04.26
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カテゴリ: 日本史全般
~『西郷どん』の主なメンバー~



 『西郷どん』には、この桜島が良く登場する。薩摩富士とも呼ばれる秀麗な山で、鹿児島の人にとっては見慣れた聖なる山であろう。良く爆発する火山はかつて薩摩湾に浮かぶ島だったが、溶岩で半島とくっついた。さて、江戸へ行く場面で桜島を前に観ながら右(南)へ行くことが稀にある。「おいおい、そっちへ行ったら指宿方面だよ」と1人で突っ込みを入れている私だ。大笑い




 この方をご存じだろうか。西郷どんに大きな影響を与えた島津斉彬公その人だ。若い頃から蘭学が好きで、彼を藩主にしたらたちまち藩の財政が破たんすると危惧した家臣によって、長らく江戸藩邸暮らしを強いられた。第11代薩摩藩主となったのは、42歳の時。叔父である福岡藩主黒田斉薄らの執り成しの結果だった。



 大河ドラマでは、杏ちゃんのお父さんがこの役を演じている。斉彬は藩主になると、富国強兵策を打ち出し、尚古集成館などで造船、反射炉、溶鉱炉の建設に励み、地雷、水雷、ガラス、ガス灯などの生産を行った。日本で最初の洋式帆船「いろは丸」や、洋式軍艦「昇平丸」の建造も決行する。また老中阿部正弘、宇和島藩主伊達宗城、福井藩主松平慶永らと交流し、幕末の四賢侯と呼ばれた。



 斉彬は積極的に人材を登用し、西郷などの下級武士を取り立てた。また幕府の改革を図り、将軍家定の正室に親戚の篤姫を養子として嫁がせ、一橋慶喜を次期将軍として推進するよう策を練った。だがその野望も虚しく、49歳にて突如永眠する。このため、西郷は奄美大島に続き沖永良部島へと2度にわたって島流しに遭う。



 篤姫役を演じているのがDAIGOの奥様のこの人。藩主の縁戚ではあるが、まさかの殿の養女となり、まさかの将軍の御台所となった運命の人。将軍家輿入れの直前に公家である近衛家の養女となり、幕府と大奥内の反対を圧した。だが、夫である家定は体が弱く、ほどなく逝去する。義父である斉彬の意に反して、まだ幼い紀州徳川家の慶福(よしとみ)がその後継となった。



 だがその慶福も夭折し、第15代将軍には念願の慶喜がその座に就いた。徳川最後の将軍で、彼は大政奉還を決する。関ヶ原の戦いで、島津は敵中を突破して薩摩に逃げ帰った敗者。だが、その二百数十年後に敵徳川に引導を渡すのだから面白い。天璋院篤姫もまた、歴史に翻弄された女性と言えよう。だが、実際は慶喜とは仲が悪かった由。大河ドラマではそこまでは見せないだろうが。



 さて、これは私達が良く知っている西郷どん。上野の山で犬を連れて散歩してる人だ。この像が披露された際、妻の糸は「これはうちの旦那様じゃない」と言った由。顔はともかく、他人の前で浴衣姿になるような男ではないと言うことかも知れない。糸は西郷どんの3番目の妻。そこにどんなドラマがあったのだろう。



 西郷どん役を演じているのがこの男。私が初めて彼を知ったのは、朝ドラの『花子とアン』の時。爽やかな印象を受けたものだ。実は西郷隆盛は彼の名ではなく、父の名。後に明治新政府が維新の活躍に対して位階を授ける際、友人が誤って父の名を記したのが真相。それならそれで良いと西郷どんは、隆永から隆盛に改名したと言う。それほど大らかな人物だったのだ。



 土佐の坂本龍馬同様、薩摩の西郷隆盛は幕末に欠かせない英雄。その西郷は欲がなかった。明治4年(1871年)参議となり陸軍大将となるも、その2年後には2度目の下野で薩摩へ戻った。私学校を開いたが、生徒の暴動の責任を取るため、西南戦争の指揮を執る。そして城山にて自刃し、49歳の生涯を閉じる。「私学校」とは官立に対する呼称で、本当は無私無欲の人だった。



 大久保ら岩倉使節団が遊学中は、新政府を主導した。だが、朝鮮との国交回復を巡って、帰国した大久保との意見の対立が深まり、下野して賊軍の首領となった。その死後名誉が回復し、正三位が授与されたが国を救った英雄なのに、靖国神社の英霊に祀られていないまま。ともあれ稀有の人物だ。号は南洲。各地に南洲神社があり、今も参拝者が絶えないと聞く。



 これが明治の元勲の一人である大久保利通の肖像。ドラマ『西郷どん』では、正助どん、正助さ~と皆から呼ばれている。西郷吉之助とは幼い頃からの友であり、同じ下士(下級武士)の朋輩であり、良きライバルでもあった。斉彬に愛された西郷どんと違って、大久保は対立する斉彬の弟、久光に重用された。この辺りが2人の分かれ道だったのかも知れない。



 演じているのはこの男。維新での活躍が認められ、明治2年参議、明治4年第3代大蔵卿、その後初代内務卿となり、事実上の首相を務めた。西郷隆盛、木戸孝允と並んで維新の三傑と呼ばれ、日本の官僚機構の基礎を作った人物。冷徹ではあるが奢侈を嫌い、留学で得た知識を国家建設に活用。明治11年、不満士族の凶刃に仆れる。享年47歳。



 これが西郷どんの3番目の妻となる糸。幼馴染の西郷どんをずっと愛していながら、それを告げたのは他家に嫁ぐ前日。純情でかつ鈍感な西郷どんは、自分も好きだったのに言い出せなかったのだ。初めの妻は西郷家の貧乏ぶりに驚き、実家に引き取られる。2番目の妻は島流しに遭った奄美の娘愛加那で、2人の子を生す。この糸がどんな経緯で西郷どんの妻になるのかは、まだ分からない。



糸は隆盛との間に何人かの子を産む。西郷どんは国賊となった後に名誉回復するが、2人の間に生まれた嫡男寅太郎が侯爵に叙せられる。彼は陸軍大佐まで上るが、伝染病で死去する。他方愛加那との間に生まれた菊次郎は、やがて京都市長となる。西郷どんの三弟従道も明治政府の重鎮だ。ただし、ドラマに登場する人物のほとんどが50歳以前に死んでいる。まさに「人生50年」の時代だったのだ。



 私は幕末から明治にかけての時代が好きだ。まかり間違えば、外国に占領されたかも知れない状況下での鎖国制度。それを打破しながら、政治体制を変革して行った志士たち。時には血が流れ、戦争も起きた。だがそれはあくまでも内乱で済み、大国の侵略からは免れた。そこにはたくさんの勇気ある行動があった。大河ドラマは私にとって、歴史を学ぶ大いなる舞台なのだ。今夜はここらで良かろうかい。<完>





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Last updated  2018.04.26 07:44:58
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