マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.01.18
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<やんばるとの出会い>


          <羽地内海=はねじないかい>

 沖縄に赴任して3週間ほど経った時、Aさんが北部を案内してくれた。彼は部下と言っても10歳ほど年上で、かつ研修仲間。その若造が内地から来て自分の上司になったのだから、心穏やかではなかったはずだ。だがお嬢さんと車2台で、我が家の全員を招待してくれたのだ。何せ連日上司に痛めつけられていたものだから、久しぶりにのびやかな一日だった。初めて見る本島北部の美しい光景に心が癒された。


               <茅打(かやうち)バンダ>

 この日案内されたのは、万座毛(まんざもう)、今帰仁城(なきじんぐすく)、茅打バンダ、辺戸岬など。今帰仁城は北山王朝の根拠地で、堅固な城だった。途中で羽地内海も見えた。その内海を見ながら1人で走ったのは、それから23年後だった。茅打バンダは冬の北風が強く、バンダ(崖)から投げたわらが、強風で戻って来ると言われる。国道がない時代は崖の中腹の細道を歩いていたのだ。



 右が沖縄本島最北端の辺戸(へど)岬で、琉球神話が伝わる聖地。「本土復帰闘争碑」もここに立っている。正面の山が黄金山。異様な山容だが、この頂上に安須森御嶽(あすもりうたき)がある。沖縄有数の聖地で、この後も何度か山の姿を眺め、沖縄を離れる際は天辺に登った。360度見渡せる絶景の地。いくつかの御嶽があり、沖縄の人々の信仰の深さが分かる聖地だった。


                <やんばるの森>

 職場に風樹館と言う名の資料館があった。小さな博物館とも言えようか。そこにはほぼ無給の研究助手がいた。名前はMさん。彼は週末になるとやんばるの森に入って動植物を調査している由。わざわざ本土から来て、寂しい山中で一人調査する若き研究者がいることに驚いた。ハブが怖くないのだろうか。無給に近い状態で、どうやって暮らしているのだろうか。別世界の人の行動に、不思議な思いがしたものだ。


         <クンジャンサバクイ>

 その後やんばるを何度か走ることになるのだが、今は詳しくは触れない。さて、沖縄勤務3年目の年、首里公民館前で不思議な行列を見た。巨大な材木を引っ張る民衆。名前は「クンジャンサバクイ」。行列は間もなく始まる首里城再建事業を祝うものだった。その不思議な名前の意味を知ったのは、沖縄を去ってから24年したころ。本島最北端の国頭村辺士名集落付近を、1人で走っていた時だ。


               <琉球王朝祭りの行列>

 何気なく見た石碑に「クンジャンサバクイ」のことが書いてあった。クンジャンは国頭(くにがみ)が変化したもので、サバクイは捌荷(さばくに)と言う琉球王朝時代の職制。やんばるの森から伐り出した材木を運搬する役職のようだ。ここから那覇の港まで山原船(やんばるせん)で曳航し、首里城を建造した歴史があったのだ。事実は小説より奇なり。疑問が何十年か後に解明されるのもしばしばだ。<続く>





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Last updated  2019.01.18 00:00:30
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