マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.01.19
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~やんばるとランニングその1~

 胴上げされる私   

 私は「死」の代わりに「詩」を手にした。3年間の勤務の中で45編もの詩を書き、2冊の小さな詩集を自費出版した。私に命をもたらしたもう一つがランニング。職場の「走ろう会」の存在を知って、内地人加入者の第1号になった。仲間と一緒に練習し、レースに出た。北国生まれの人間には猛烈な暑さが堪えたが、職場の駅伝大会で優勝し胴上げをされたこともあった。47歳のわが雄姿。

  瀬底大橋

 北部でのレースは「海洋博トリム」が最初。距離は20kmで速さを争うのではなく、自己申告したタイムに一番近かった人が優勝するルール。もちろん腕時計は禁止だ。スタート地は「海洋博記念公園」で、橋の左上の本部半島にある。「美ら海水族館」が今は有名。そこからこの大橋を渡り、左の瀬底島で折り返す。2回出場したがタフで眺めの良いコースだった。

   オーシッタイの森  

 「オーシッタイマラソン」と言うのにも2回出た。場所は名護市の北端で、平南川の最上流にある森の中がスタート地。ここは戦後入植した開拓地で20家族ほどが住む僻地。その住民達が企画したお祭りで、参加賞は手作りの味噌とか生卵だった。これは峠を2つ越え、西海岸の源河で折り返す非常にタフなコース。ジャングルの中の小径が今なお忘れられない。

  劇走

 勤務3年目の9月、職場から本島最北端の国頭村「奥」まで駅伝で走ることになった。「走ろう会」の発案だが危険防止のため1区間5kmで繋ぐのだ。私は名護市内の一部と最大の難所である辺戸岬の登り坂を志願。写真は国頭村宜名真集落の海沿い。結局そのままゴールまで走り続け、合計3区間15kmを走った。最後は体力の限界だったが、この経験がやがて役立つことになる。

       奥の山荘  

 その夜は泡盛を痛飲し、宮古島の盆踊り「くいちゃー」を全員で乱舞。翌朝は山荘から辺戸岬まで14kmほどを走って往復した。私たちが泊った頃の山荘は木造の粗末な物だったが、ネット検索では瀟洒な建物がヒット。その後研修施設として新しく建て直したようだ。辺戸岬にはなぜか縁があり、その後3回この地を訪れることになる。

  完走メダル

 筑波で3度レースに出たがいずれも30km。初めてのフルマラソンが沖縄勤務時の「NAHAマラソン」。12月でも気温は26度。痙攣に苦しんだ初フルだった。転勤後も良く沖縄を走った。フルのNAHAが10回。「沖縄マラソン」が2回。「久米島マラソン」が1回。宮古島ワイドー」(100km)が1回。20kmの「海洋博」、「南部トリム」、「オーシッタイ」が各2回。旅行先の西表島でも1人で早朝ラン。なぜ私はこれほどまで、沖縄でのランに惹かれるのか不思議だ。<続く>





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Last updated  2019.01.19 07:12:25
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