マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.01.11
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テーマ: 結婚(621)
カテゴリ: 人生論
<絶世の美女>



 このシリーズは1月11日(土)から14日(火)までの中国大連ツアー中のブログとして用意したものです。内容は極めてプライベートで、しかも人権に関わる事項も含まれています。ですからここで見聞きことは決して口外しないでください。また興味本位のコメントにはお返事しませんのでご承知願います。では行って来ます。元気で旅が出来、無事帰宅出来ることを願っています。

 ネットより借用(以下度同様)

  ある家の玄関に立ち、中から出て来た女性を見た私は雷に打たれた。これまでに出会ったことのない美女。だが同時に一種の危うさを秘めていることにも気づいた。さてこの人を妻にする方法はあるか。その日から私は全精神力を駆使して、そのことに集中した。不眠に陥って心身が衰え、鏡の中の自分を見て愕然。かなり消耗してるぞ。これじゃいけない、何とかしなくちゃ>自分。



 女性がなぜ美人なのかは、その父親である友人が話してくれた。なるほど確かにねえ。楼蘭王国の王女やウクライナの美人たちは、みな東洋人と西洋人の混血なのだ。それが日本人の中にもあるのは、彼女の母親の出身県の地理的条件によるのだ。古代史が好きな私は、その地域が古代から渤海国の使者が度々来航したことも、また「鬼なまはげは異人説」があることも知っていた。昔から混血度が高かったのもそんな理由だろうか。



 さて私が考えたのは、結婚式の在り方。ウエディングドレスでの記念撮影。近所への挨拶。両家の家族の顔合わせ。挨拶状。新居での準備。それは心を病んでいると言う彼女の心の安定とより健康的な暮らしを送るための提案をも含んだ。そして妻になる人やわが子への財産分与や、自分の葬式の在り方を含む終活に至るまで。だから疲れる訳だ。そして友人に言った「お嬢さんを嫁にもらいたい」と。



 彼は薄々予感していたようだ。趣味の仲間である彼とは家も近く。何でも言い合える良い関係。だが「それは無理だと思うと一言」理由は、お嬢様の障害の程度が高いのと、年下の男性が好みと言うこと。話はそこで終わった。それに対する備えも考えもあった。私の愛は父親にも若い彼氏にも決して果たせないもので、十分な予備知識も、経済的な備えもあった。



 私が考え抜いた具体策は書かない。また書く必要もない。それは私と私が信じる神が知ってさえいれば良いものだし。友人の意見を尊重するしかない。そして彼との友情は今後も続くはず。私に対する誤解が彼にあったようだが弁解はしない。ただ幾つかの捕捉説明はした。もうそれで十分。そして私はそこから一歩踏み出そうとした。

<恩師の妹>
                              
             

 昨年の大晦日。高校時代の恩師宅を訪ねた時に不思議な体験をした。自転車を停めた後ろから1台の乗用車が急接近。何だろうと思って近づくと、上品な女性が運転席にいた。恩師の家に入ろうとしたら、その女性も後を追って来た。これは何かの間違いと思って「ここはH先生のお宅ですよね」と聞くとそうだと言う。何せ50年ぶりの訪問で家を間違ったのかと思ったのだ。だが「そうですよ」と彼女。



 そして玄関に入るなり「お兄さんお客さん」と。叫んだ。「先生Aです」と私も叫んだ。用件は恩師宛の年賀状を届けること。昨年彼から届いた年賀状のゴム印が不鮮明で住所が判読出来ず、投函出来ないたため直接配達に行ったわけ。恩師に住所と電話番号を聞いて手帳にメモし年賀状を郵便受けに投函。帰り際私は恩師に余計なことを言った。「目下美女を娶(めと)る作戦を決行中」と。さっきの話だ。



 それに驚いたのか恩師が言う。「あれが妹で独身。元の家をリフォームして1人で住んでる。ところでA遊びに来い」と。何やら風向きが変わった。その日はそれで退散した。だが何か変。恩師は高校時代のクラス担任で何度か人生相談をし、仲人も頼んだ。その用件で恩師の旧宅を訪ねた時、確か恩師の母上と奥様。そして妹さんにもお目にかかっていた。その50年前の記憶と全く違っていたのはなぜ。これは幻か。摩訶不思議な話だ



 妹さんはお母さん似で美人とは言えなかった。中学卒で働き出したとも聞き、それ以来私には何の関係もない人との認識が強かった。さて、帰宅後恩師宅に電話し、訪問日の都合を確認した。その時電話を取り次いだのが彼女で、翌日訪問時間の最終確認時に出たのも彼女。それらの印象から何でもテキパキこなす美人と判断。50年前のイメージは全くない。何かおかしい。記憶が混乱してるのか、それとも私の脳が疲労してるのか。



 翌日恩師宅を訪ねると、お茶の間に通された。私はお土産の山形の和菓子を差し上げた。炬燵に前歯が抜けたお婆さんが座っている。これは誰だろうと訝しんでいたら、恩師の奥さんだった。あの若くて美しかった奥様が気が抜けたラムネのような顔つきに。恩師の米寿の祝いの集いの時、奥様が認知症になったことは聞いた。私が認知症になった妻が家庭裁所に離婚調停を申し出、離婚したことを話した時だ。



 私は恩師に「美女を娶る作戦のその後」を簡単に報告した。恩師の年賀状に、「あまり遊ぶな」と書かれていたからだ。先日私が言った「作戦名」だけが頭に残り、私の真意を疑ったのだろう。それで妻との離婚の経緯。恩師と出会った高校入学までの経緯と卒業後の体験。自分の宗教観、人生観、死生観、家族の状況、終活と人生の閉じ方などについて話した。恩師はとても驚いていた。



 恩師も私に話した。同級生の消息、自分の両親と奥様の現状、妹さんのことなど。恩師からは妹さんが3人いると聞いていたが、実際は弟さんが3人で妹は1人。つまり50年前に見た妹さんが先日私が外で出会った本人だったのだ。これには魂消た。結局50年前に私が感じた印象は、「偽情報」からで、彼女は高校卒。それも前妻の後輩だった。卒業後ある企業に勤務し、総務畑一筋。最後は総務課長で退職とのこと。



 妹さんは恩師の旧宅をリフォームして住まい、時々来宅する由。現役時代は結婚話を全部断り、今は高齢の兄夫婦を助け、ダンスに興じている由。それで全てが氷解した。段取りの良さ、立ち居振る舞い、適切で迅速な判断、所作の美しさなどは、全て実力でのし上がった女性管理職として歩んだことの反映だったのだろう。それにしても恩師がなぜ根掘り葉掘り私に色んなことを尋ねたのか。



 最後に恩師は私の腹を見透かすように言った。「妹は結婚しないよ」。それはそうだろう。家もあり、経済的にも困っていない。潤沢な時間を趣味などに充て、爺を面倒見る義理などないのだ。彼女は一瞬のうちに私の力量を見切り、私も同様に彼女の本質と力量を見抜いていた。方や企業の女性管理職。方や研究機関の管理職で妻に逃げられた男。恩師が言う。「Aまた遊びに来い」私は挨拶して退散し、家路を急いだ。だが恩師が言うほど奥様はボケてもおらず、人間味もあった。<続く>

 ではこれから中国の大連へ出発でござる。では皆の衆もどうぞお元気で~!!





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Last updated  2020.01.11 06:31:10
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