マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.01.12
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テーマ: 結婚(621)
カテゴリ: 人生論
<50年前の娘たちは今(1)>



 恩師宅から帰宅後、東京のI君に電話した。彼は大学時代の3年後輩で私が学生委員会の委員長だった時に、会計委員をしてもらった秀才。仙台の国税局から東京の国税庁へ転任、辞職後は税理士事務所を開いて活躍中だ。電話に出た彼に、昨年の台風時に水害はなかったか尋ねた。氾濫した川は、同じ市内でもかなり離れている由。何の用件か訝る彼に事情を話し、奥様に代わってもらった。



 奥様も同じ大学の4年後輩。おもむろに用件を切り出した。私の声が若いことに驚く彼女。そこで手早く健康状態。趣味や生活の実態。妻との離婚後の暮らしと、離婚に至った経緯などを伝えた。妻も同じ大学の同窓。彼女は私が離婚し独り暮らしをしてることに驚き、今年の年賀状に「出来ることは何でもお手伝いしたい」と書かれていたのを思い出し、電話したのだ。



 そこで私は最大の関心事である「嫁取り」について率直に語った。自らの宗教と終活の考え方。今後向かうべき人生と伴侶に求める条件などだ。当然経済状況も伝えた。畑での野菜作り、料理、ブログ、ジョギング、外国旅行などの趣味。最後に「もうしばらく女の人の裸も見てない」と言ったら笑った彼女。深刻ではないが、それは男としての実感でもあった。



 家の中に女の人がいるのといないのとでは全然違う。化粧品やシャンプーの香りを含む。フェロモンの艶めき。それが加齢臭漂う男の脳を刺激し、元気を与えてくれる。残りの人生を元気に乗り切るためにも、良き伴侶が欲しい。旅行にも一緒に行きたいし、私が作った野菜や果物を食べて欲しい。そんな些細なことが無常の喜びであり、生きて行く上での力になると信じている。



 彼女は私の話を真剣に聞き、理解してくれた。なぜそんなに聞き上手なのかと思ったら、民生委員をしていた由。今は独居老人から色んな悩み事を相談されるらしい。それで納得し、年賀状に優しい言葉を書いてくれた後輩に感謝した。私は彼女に尋ねた。彼女の同級生だったKさんとDさんの近況だ。Dさんは若くして結婚し、その後離婚したと聞いたと話す。



 Kさんは空手部の主将と結婚して東京へ引っ越しし、現況は知らない。どちらも在学中、私に好意を持っていた娘たち。そう言うと彼女は「当時のAさんは大学の王子様だったんですよ」だって。彼女はDさんの離婚を知らず、同級生のKさんのことも忘れていた。無理はない。もう50年も前の話だもの。そのKさんが私の結婚祝いに編んでくれたセーターを妻が解いて毛糸玉にし、それさえも捨てたと話すとビックリしていた。当時からかなり嫉妬深かったのだ。だが妻の異常はそんな程度ではなかった。



 しかしなぜ私が夜学の王子様だったのだろう。学生委員長だった当時、大学紛争では本当に苦労した。校舎は過激派学生に封鎖され、使用出来る教室は限られていた。試験はすべてレポート提出に変更。レポ-トは簡易書留で大学に郵送するのだが、私はその料金を大学負担とするよう交渉して勝ち取った。クリスマス礼拝ではパイプオルガン奏者のO教授の「譜めくり」をして目立ったのかも。



 楽譜を読めたからではなく、O先生がめくるタイミングを合図してくれただけ。そんな役目も私がYMCAの部長だったため。卒業式では卒業生代表で挨拶し、学友会総会では演説もぶった。大学紛争時は職場も夜学も封鎖中で、夜学は学長派と反学長派に分れての泥試合。私は10kgもやせ、疲労のため病院に担ぎ込まれた。



だがI夫人から返事は来ないだろう。彼女の生活の基盤は東京で、私は仙台で暮らし、これからも仙台で暮らす予定。彼女の知り合いはもう仙台にはいないはず。それに私の結婚相手となれ対象年代は限られ、もし東京に該当者がいたとしても、寒い仙台には来たがらないはず。そしてそれは無理もない。便利で楽しい東京から、東北の田舎町へ喜んで嫁ぐ人なんて果たしているだろうか。



 それでも私にとっては素晴らしい年末年始になった、友人、恩師、大学時代の後輩と本音で話せて気分転換になり、日ごろ不足しているコミュニケ―ションが図れた。5日には次男から電話があり、少し話せてとても嬉しかった。彼にも父親の気持ちが伝わったと信じたい。



 さて、大阪のチコからの年賀状には、また色んなことを話したいねとあった。彼女とは高校生だった頃からの付き合いで同じ教会の聖歌隊に所属していた。大阪に転勤した際チコと梅田で会ったが、暫く探しても分からなかった。化粧し洋服を着ていたため彼女と気づかなかったのだ。セーター姿の高校生時代とは全く違った大人のチコ。彼女も私の離婚を知って心配してくれていた。



 彼女からの年賀状には、孫が5人になったとあった。彼女に会うことはもうないだろう。彼女のお家の電話番号も知らない。それでもチコ、マキチャンと呼び合う仲。私たちが通っていた教会では、ニックネームで呼び合うのが習わし。どちらも名前の一部だ。あの青空市場の横のツタがからんだ石造りの小さな教会が懐かしい。もう50年前には戻れないが、毎年届く年賀状が変わらぬ友情の証だ。さて、今日もまだ大連を旅行中です。こちらの寒さで風邪引かないないようにしないとね。ではまた明日。<続く>





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Last updated  2020.01.12 00:00:19
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