マックス爺のエッセイ風日記

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2021.03.18
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カテゴリ: 東日本大震災
~わが故郷・宮城県その1~



 これが宮城県の地図だが。県北の海岸は岩手の三陸地方同様にリアス式地形で、津波によりたくさんの犠牲者が出た。中央部の松島湾もやや複雑な海岸線だが、それ以南は仙台湾にそって遠浅の砂浜が続いている。しかし、ここでも多くの犠牲者が出た。震源に近かったせいもあるが、平野部のため海岸部にも集落が集まっていたためだ。仙台港付近では工業団地で大きな津波被害と火災が発生している。

 東日本大震災における死者数は15899人だが、そのうち宮城県内の死者数は9543人と最大で、全体の60%を超えている。自治体別の内訳は多い順に、石巻市3277名、気仙沼市1109名、東松島市1066名、名取市912名、山元町681名、仙台市658名、南三陸町600名、女川町593名、亘理町265名、多賀城市188名、岩沼市180名と、いずれも海岸部で津波による死者だ。

  石巻市大川小学校

 中でも悲劇だったのが石巻市立大川小学校。海から3.6kmほど離れ、津波到達までに50分も時間があったのに、校庭に集合したままで何もせず74名の児童が犠牲になった。すぐ裏には小高い山があるのに、どうして逃げなかったのかが不思議だ。さすがに事故後遺族の父兄から不満が出て裁判になり、宮城県と石巻市の避難誘導マニュアルに不備があったとして、裁判には勝ったが死んだ子は帰らない。



       <深沼小学校と「東日本大震災観音像」>

 それと対照的なのが仙台市立深沼小学校。ここは海から400mほどしか離れておらず、地区の住民は津波で多くの住民が犠牲になり集落は壊滅した。津波は校舎の2階まで達したが、児童たちは3階以上に避難して全員無事。後日ヘリコプターで救出された。集落は危険地域として居住地域から外され、観音像が建立された。双方の小学校とも、現在は「震災遺構」として保存されている。



 写真は名取市閖上(ゆりあげ)地区にある集合災害復興住宅。ここは海から数百メートルと近く、東日本大震災の津波で大きな被害があり、たくさんの死者が出、ほとんどの住宅が破壊され流出した。震災後は瓦礫の山で、たくさんの自衛隊員と全国から救援に来た警察官が、連日死者や行方不明者の捜索をしていた姿が今でも目に焼き付いている。

 閖上は危険との判断から一旦は内陸部に移転先を決定したが、やはり元の位置に住みたいとの住民の願いで土地をかさ上げ工事した。既に新たな団地が完成して希望者が移転済み。港近くには水産業地区も整備されてかなり賑わいが戻っている。震災後は長らく大量の瓦礫処理のための、施設が稼働していた。それらの瓦礫は防潮堤などの素材として再利用されたようだ。今は慰霊の塔が静かに海に向かっている。
<続く>





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Last updated  2021.03.18 00:00:09
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