マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.06.11
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カテゴリ: 歴史全般
~猛烈に面白かったドラマが終わって~



 NHKのBSで放送されていた「コウラン伝」がつい先日終わった。~始皇帝の母~のサブタイトルがついたこの中国の歴史ドラマの面白さには、毎回強く惹かれるものがあった。ほとんどが史実なのだろうが、細部には脚色があるのだろう。実話が基礎になってるせいか話の展開がスリルに満ちている。日本では全34回だが、中国では60回の長編。半年間日曜日の夜9時から、息を殺して画面に見入っていた。

      趙時代の登場人物相関図  

 主な登場人物は4人。秦の王族で人質として趙に送られた子楚(しそ)、趙の貴族の娘で継母の策謀で奴隷になったコウラン。彼女を買って自分の愛人とした呂不韋。彼は出世を願う趙の商人で、その野望を抱いて子楚に近づく。ところが呂不韋の愛妾であるコウランを一目見た子楚はコウランに恋して、呂不韋に譲れと申し入れる。野望に燃える呂不韋は止む無くコウランを手放す。

   秦時代の登場人物相関図

 数年後子楚は出身地の秦に帰国する。祖父の皇帝が実権を握り、父が皇太子になったためだ。だが趙に置き去りにされたコウランは子楚の子を産み、苦労しながら密かに育てる。何度も迫る危険から知恵を使って逃れ、呂不韋も彼女を助ける。やがて時が来てコウランと王子、呂不韋の3名は何とか秦に潜入する。だがそこでも宮廷内での果てなき権力闘争に巻き込まれる。毎回手に汗握る展開だった。

       阿房宮(復元) 

 秦の皇帝となった子楚だったが、その地位にたのは4年ほどだが、子の政を皇太子とする。コウランは皇后となり、呂不韋は丞相(じょうそう=総理大臣)に出世していた。政は13歳で皇帝となり、自ら始皇帝と名乗る。後に天下を統一した暴君。ドラマは秦の滅亡までは描かず、最後にナレーションが流れる。呂不韋は皇帝から死を賜る前に自ら毒杯を飲んだ由。皇帝子楚の死後、コウランは愛人との間に2人の子を産んだ由。彼女は50代まで生きたようだ。

  秦が統一した天下

 壮大なドラマは途中で終わったが、成人した始皇帝は他の6国を攻めて服従させ、初めて天下を統一した。諸国を4度巡回し、5度目の巡回中に部下の反逆によって死す。天下統一から滅亡まで(紀元前221年~紀元前206年)を秦朝と呼ぶが、秦は紀元前905年から同206年まで36代続いた王朝で、決して短命ではなかったのだ。

            始皇帝     

 中国の歴史は悠久だ。それにしても良くあれだけの歴史ドラマを制作出来るものだ。セットも大がかりだし出演する俳優も多く、衣装や化粧、皇宮内での凄まじい確執など、韓国の安っぽい歴史ドラマとは一味も二味も違っていた。だが「中国」と言う名の国家が誕生したのは現代になってから。それ以前は個々の民族が起こした「王朝」で、何度も国の名が変わっている。

  焚書坑儒

 始皇帝は暴君で自分に意見するものは、皆殺しにした。いわゆる「焚書坑儒」(ふんしょこうじゅ)で、自分に都合の悪いことを書いた本は燃やし、意見した者は穴を掘って生き埋めにした。だが、彼が天下を取って統一したものがある。それを以下に示す。





 意外と思うだろうが、彼が統一したものが1)漢字 2)度量衡(どりょうこう)=長さ、量や重さの単位 3)貨幣。そして法律を作ってそれに従わせ、各王朝が築いた「長城」を繋いで「万里の長城」とした。滅亡時に放火された阿房宮(あぼうきゅう)は、その巨大さゆえ、全焼するまでに1か月を要した由。この阿房が阿呆(あほう)の語源と言う俗説があるくらいだ。次回は彼の墓と兵馬俑を紹介したい。
ではご機嫌よう。ウィンク<続く>





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Last updated  2021.06.11 00:00:11
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