マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.08.15
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カテゴリ: スポーツ関係
~オリンピックの文化プログラムと閉会式における「鎮魂」~



 オリンピックの大会において「文化プログラム」を複数企画すること、及び閉会式において様々な理由で亡くなった全ての人の追悼する時間を設定することがオリンピック憲章に定められている。鎮魂と追悼は前リオデジャネイロ大会から始まり、東京大会でも引き継がれた。小池都知事は明るい着物姿で登場したが、次回開催地のパリ市長が黒いスーツ姿だったのはきっと彼女がそれを意識していたのだろう。



 閉会式が華やかさだけでなかった裏に、そのような意味が込められていたことを今回初めて知った。それもブログを書くために調査して。「文化プログラム」は多様性の象徴でもある。そうか。オリンピックとは単なるアスリートの戦いの場ではなかったのだ。オリンピック開催の意義について、認識を新たにした私だった。文化プログラムと鎮魂・追悼の内容はIOCの関係委員会に前もって提示され、理事会において承認される必要がある由。



 男女のフルマラソン及び競歩の会場となった札幌市の大通公園付近では、文化プログラムの一環としてアイヌの人たちなどからアイヌ文化にまつわる舞踊が披露された。時あたかも北海道の白老町にアイヌ文化創生空間としての国立施設「ウポポイ」が昨年完成したばかりだ。それも日本が単一民族国家ではないことを示す一助なのであろう。



 鎮魂・追悼の一環として佐藤健作氏による和太鼓の演奏があった。同氏はサッカーワールドカップ大会のセレモニーなどでも、和太鼓を演奏している。文化プログラムを兼ねているとも言えよう。



 樹木をイメージした衣装で「鎮魂の魂の舞い」を閉会式会場で踊ったのは、ダンサーのアオイヤマダ氏。死と再生を感じさせる踊りのように私は想った。以下は会場内の巨大なスクリーンに映し出された日本各地の踊り。踊りは死者を慰めるものである。盆踊りなどはその典型と言えよう。



   白老のウポポイの湖畔で(?)の、神秘的なアイヌの踊り。



 沖縄のエイサーは形こそ異なるが、日本の盆踊りに相当する。お盆の時期には各地で独自のエイサーが踊られる。平成元年沖縄に赴任した私は、その夏家族を連れて沖縄市で開催された「全島エイサー大会」を観覧した。太鼓や鉦や棒を持った独特の踊りと、南国の雰囲気に圧倒されたものだ。中には「キョンダラー」(京太郎)と呼ばれるおどけた動作をする役割の人や、棒を持って戦うしぐさなどは内地ではなかなか見られない。



 西馬音内(にしもない=秋田県)の盆踊り。<地名の末尾の「内ないは」アイヌ語の「沢」の意味>鳥追笠を目深に被って顔は見せない。手振りの美しい踊りはとても魅惑的だ。と言っても私は実際に観たことはないのだが。所作は富山市八尾町の「おわら風の盆」に似ているように感じる。(こちらも実際に見てはいないが)。風の盆の「胡弓」には独特の哀愁が漂う。




 岐阜県郡上市八幡町(旧郡上八幡町)の「郡上(ぐじょう)おどり」は、秋田県の「西馬音内盆踊り」、徳島県の「阿波踊り」と共に「三大盆踊り」の一つと言われています。また「郡上節」は三大民謡の一つと言われている由。私もその一節は知っています。また徳島県に勤務したため、阿波踊りは実際に自分でも踊りに参加しており、浴衣も残っています。あの練習が嫌いでした。地元とよそ者じゃ年季が違います。徳島県では小学生の時から学校で踊っており、腰つき手つきが全く違います。思い出してもああ恥ずかしい。



 踊りの「トリ」は地元の東京音頭。こちらは「スクリーン」の映像ではなく、民謡歌手も含めて大勢の踊り手が会場で踊りを披露しました。中には飛び入りで参加した外国人の選手もいたようです。ただし東京音頭は賑やか過ぎて。鎮魂・追悼に相応しかったかどうか。でも、「ヤクルトスワローズファン」には嬉しいプレゼントだったことでしょう。ウィンク



 閉会式が終わりに近づくころ、この方が舞台に現れました。物凄い巨体で、一瞬ギョッとしたのが本当のところ。歌手の岡本知高さんは、世界に3人しかいない「ソプラニスタ」の1人。男性でありながら女声の一番高いパートであるソプラノの音域を完璧に歌えるのです。その声量にも驚きました。何せあの天井が抜けた新国立競技場の真ん中で、マイクなしで歌うのです。英語で歌ったオリンピック賛歌のド迫力。

 なお青の衣装は彼の故郷である、高知県の仁淀川の水の色だそうです。私はその川を知ってます。知ってるどころかその川の源流から河口まで原付で走りました。実際は愛媛県松山市から国道33号線を通って仁淀川から高知に出、さらに徳島県境の馬路村まで行ったのです。目的は「おらが村心臓破りフルマラソン」への参加。一泊して翌日フルマラソンを走り、また原付で松山へ帰ります。往復で400kmはあったでしょう。

 そのレースを走ったお陰で、翌月の「第1回四万十川100kmマラソン」を完走出来たのです。9月のフルは翌月の100kmの練習台。お陰で初100kmを見事に完走。一緒に参加した仲間のランナー8人のうち完走出来たのは2人だけ。あれが私のウルトラマラソンの初レースでした。50歳だったから27年前になりました。こんな風にして私は47都道府県を全て走り、キャンベラ、メルボルン、シドニーでも走り、10万kmをかなり前に突破。目下地球を3周目です。と言っても今では歩くようなものですがね。(;^_^A






 17日間の「東京オリンピック」に世界中からやって来たアスリートたち。夢と希望をありがとうね。では3年後にパリで。まあその前に今日からパラリンピックの選手村が開村するよ。ではまたね。
 <続く>





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Last updated  2021.08.15 05:55:47
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