マックス爺のエッセイ風日記

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2022.02.24
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~大阪へ行きたい理由・続編(1)~



 このブログのとあるシリーズに「大阪に行きたい理由」を書いてから3週間近く経ったと思う。あれから「北京冬季五輪」が始まり、その後緊迫化したウクライナ情勢や、日常の些末な事柄や健康状態などを縷々書き綴り、続編を書く暇がなかった。ウクライナ情勢が気がかりではあるが、一老人が心配して気を病んでもどうにもならない。今のうちにあの続きを書いておこう。そう思いついて書き始めた次第。

   継体天皇像の一部

 大阪に行きたい理由の第1が、高槻市にある「今城塚古墳」とそこにある「古代歴史館」を観たいこと。私はかつて高槻市に住み、その古墳へも何度か訪れた。あの荒れ果てた古墳がその後の発掘調査で、第26代継体天皇の陵墓と特定されたためだ。実存の天皇陵が特定されるのは、究めて稀。宮内庁が比定した陵墓は別にあるため。自由に立ち入ることが可能な天皇陵はほぼ皆無。その意味でも貴重なのだ。

    発掘調査前の今城塚古墳  

 第25代武略天皇が皇統をほぼ抹殺したため、天皇の候補者がおらず、北陸の片隅に居た天皇の末裔を探し出して天皇になったのが古墳の主。発掘の結果石室から3つの石棺の破片が発見された由。阿蘇のピンク石製の石棺が継体天皇のものと思われる。残りの2組は息子の第27代安閑天皇と、第28代宣化天皇のものと推定されるようだ。2人の天皇は皇后が生んだ嫡子ではなく共に妃が生んだ皇子。

  勇壮な埴輪群

 古墳の造り出し部分に設置された埴輪群は、継体天皇の葬列を再現したもののようだ。かなりの規模で継体天皇の権力の偉大さが偲べよう。「古代歴史観」も出来ればじっくり観たいもの。

           西殿塚古墳  

 皇后の手白香皇女の陵墓「西殿塚古墳」別名「衾田(ふすまた陵」は奈良県天理市にある。夫婦の陵墓が離れているのは珍しいが、皇女は第24代仁賢天皇の娘。淀川周辺を転々としていた夫とは異なり、ずっと都のあった桜井市周辺で過ごしたのだろう。8年ほど前に「山の辺の道」を歩いた際、卑弥呼の墓とも言われる「箸墓古墳」や第10代崇神天皇陵、第12代景行天皇量を近くで観た。もらった観光案内図に載っていた「手白香皇女陵墓」の名を見たのが最初だった。全くの偶然に驚いている。

  発掘調査後に作成された今城塚古墳図

 NHKの番組「英雄たちの選択」に出た学者たちによれば、「継体天皇は朝鮮半島に渡った経験があるのではないか」と。それほど国際情勢を見る目が確かだったと言うのだ。当時鉄を「輸入」した伽耶(かや)国との交流も。韓国の古代歴史ドラマに「手白香」と言う女性が登場する由。こちらは「スペクヒャン」と発音するが、「パクリ」のような気がする。皇女は記紀にも載る天皇の息女だ。<続く>





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Last updated  2022.02.24 06:44:13
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