マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2022.05.07
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~ウクライナ侵略に関する私の想い(1)



 昨年の8月。国後島から北海道オホーツク海沿岸の標津町へ泳いでたどり着いたこの人を覚えていますか。名前はワ-スフェニクス・ノカルドさんで39歳でした。何十kmあるのか知らないけど、本当にそんなことってあるんだろうか。ひょっとしてロシアの工作員じゃないの。と私は疑っていました。ゴムボートくらいは持ってたんだろうか。確かほとんど無装備状態での上陸だったように思います。

 彼は地元民に通報され、直ちに保護。その後入管施設に収容後取り調べを受け、昨年10月に仮放免後難民申請をしていた由。今回共同通信の取材に答えて言うのには「やはり亡命して正解だった。もし現地に残っていたら、戦地に送られていたと」。彼は専制的なプーチンに嫌気がさし、強権体制のロシアから脱出したかったようです。あの頃北方領土ではロシア軍の軍事演習が行われていましたね。



 8月とは言え、冷たいオホーツク海を泳ぐのは命懸けの行為。そして彼の言葉が今頃になって良く分かるのです。実はロシアの極東に近い地方から、全く事情を知らないままにウクライナの前線へ送り出された若者が大勢いるのです。中にはウクライナで初めて「トイレ」を見たと言う極貧の若者も。碌々訓練も受けずに戦場に向かわされた兵士の死体が2万体もバイカル湖畔に埋葬された由。そのことをほとんどのロシア人は知らされないままです。

 そしてロシア軍の侵略で捕らえられたウクライナ人は収容所で選別され、無害と認定された男はシベリアや極東の地に強制的に送られたのです。そして大勢の戦争孤児はロシア人の養子とされたようです。どれもみな人道に反する戦争犯罪。それをロシアは正義の戦いと称しているのです。



 すっかり有名になったマリウポリの製鉄所。一般市民とウクライナ兵が閉じ込められてから70日ほど。そのうち助かった市民はごくわずか。ロシアが唱える「人道回廊」の設置は、世界に対するポーズだけ。約束が守られたことはほとんどないのです。今は生存している市民も兵士もごくわずか。製鉄所は連日の爆撃で無残な姿に変貌し、構内をロシアの戦車が「獲物」を捜して走り回っています。

 ロシア軍と言ってもここに駐屯してるのはチェチェンのゲリラ兵。そのうち300名は初期段階に徒歩で祖国に帰りました。ロシア人の上官が彼らを「弾除け」代わりにしたためです。今も上官の命令に従わない兵士は銃殺される由。元々44万人いた市民は8万人ほどまでに減りました。



 ロシアはウクライナ東部から南部にかけて占領し、両軍が激しい戦いを続けています。さてリナト・アフメトフ氏はウクライナ一の大金持ち。いわゆる新興財閥「オルガルヒ」の一人で、あの「アゾフスタリ製鉄所」も彼の資産の一部。かつてはソ連に属し、ロシアとの貿易で儲けていました。だがウクライナが自由経済となって以降は、ロシアとの取引額は5%程度で、後はヨーロッパや世界が相手です。

 彼はロシアのクリミア併合で資産を没収され、今回の侵攻でも大きな被害を受けました。ロシアは占領地の住民のロシア化を図っていますが、多分不成功に終わるはず。彼はウクライナ政府に代わって住民に私的な年金を支給し、教育、医療、娯楽など様々な福祉を実践しているのです。親ロシア地区にも彼のようにウクライナを愛する財閥がいて、信頼を勝ち取っているのです。ロシアはきっと負けるでしょう。



 マリウポリ市から命からがら逃れて来た家族の話を3組ほどニュースで知りました。いずれも奇跡的な脱出。勇気と決断と運が味方したケースばかりです。途中10数か所のロシア軍検問所を知恵を働かせて突破。酔っぱらっていたり、若い兵士でマリウポリ市での戦況を知らなかったりと偶然が重なってのこと。まさに「奇跡」の物語ばかりでした。それにしてもロシアの不実と残虐行為には呆れるばかりです。<続く>





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Last updated  2022.05.07 00:00:11
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