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外出した先で和服の人を数人見かけた。あれっと思っていると、誰もが大きな荷物を手に持っている。どうも結婚式らしい。全く忘れているわけではないが、こういうことがすぐに頭に思い浮かばないというのは日本の習慣に疎くなっている証拠だなとふと感じる。駅のホームでぼんやりと電車を待っていたとき、後ろで何か気配がしたので振り返ってみると、男の人が通ろうとしていた、壁と私の間のほんの僅かな隙間を。突然のことだったので、飛びのくような形で体を前へ移動した。そうしてその人は、大きくなった間を何も言わずに難なく通り過ぎて行った。壁から中途半端な空間を空けて立っていた私が悪いのかとも思ったが、それならそれで「すみません」と声を掛けてくれればあれほど驚くこともないのにと思ってしまった。「すみません」がだめならせめて「あのお」とか何か言葉を発していてくれたら、、、などなど少々深いな気持ちが残ってしまった。日本人の場合、人と人との距離感が狭いのかもしれないが、その距離は一口に日本人といってもそれぞれだろう。私の場合、面と向かっている場合でも相手があまり近づきすぎると思わず後ろに下がってしまう。ましてや後ろ側に誰かがいるとなったら、やっぱり落ち着かない。小さなことではあるが人の間を通り抜けるときぐらい、今から通りますよと言う意味でも「すみません」の一言があっても良いのではないだろうか。
2004年02月29日
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ある通訳者が書いていた一文の中に、「数学も理科も歴史も好きではなく、英語が好きでそれだけを一生懸命勉強したというような人には通訳者になるのはやめなさいと言いたい」というのがあった。どれだけ外国語が聞き取れるようになっても流暢に話せるようになっても、その人自身の知識がなければ中身のあることは話せない。相手の言っていることをまず理解しなければそれを第三者にうまく伝えることができないと言うことだ。そのためにはただ語学を勉強するだけではなく、一般的な常識-文化や歴史―なども学ぶ必要がある。言葉は自分の考えを人に伝えたり、相手の考えを理解するための大切な道具だが、その道具をうまく使いこなすためには知識を蓄積し、いろいろな体験をしていかなければいけないのだろう。そうして内に貯めたものがコミュニケーションをする上で活きることになる。きょうはまだ良いお天気だった。今回は庭に万作の木を発見。木がそこにあるのは気が付いていたのだが、花がなかったので何の木なのか分からなかった。小さな木で花もまだ二つしか付いていないが、何だかとってもうれしい。
2004年02月28日
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数日前からきょうが判決の日だというのはテレビ新聞で報道されていた。今朝からどこの番組でも同じことをとりあげていた。特番を組んで。その中で遺族の方の言葉。とりあえずの区切りにはなる。けれど遺族にとってはゴールがどこなのか見えないし、果たしてゴールがあるのかは分からない。事件に巻き込まれた方、その家族の方、それぞれの思いがある中での判決の日。マスコミの騒ぎ方はその方たちの思いをどれだけ考えているのだろうか。
2004年02月27日
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昔から人ごみの中に出て行くのがあまり好きではない。きょうはちょっと人の多いところに出かけていったのでかなり疲れた。帰宅する道すがら疲れた体に追い討ちを掛けるようなことが。誰のせいでもない結局は自分の問題なので自分で解決するしかない。疲れているから余計気持ちが沈んでしまうのだろう。こうして日記を書いている間に友人からメールが入った。それで少し気分回復。早く寝て朝になったら気分がすっきするだろう。
2004年02月26日
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本を批判的な目でもしくは否定的な気持ちで読み進まないことテープを聞き流していたらこんなことを言っていた。自分の考えを持って本を読むことは大切だが、一旦否定的な考えを持ってしまうとどんなによいことがこの先書かれていても頭の中に入っていかない。本もしくは作者に対してニュートラルな状態で読み進むと良い。こんなことは誰でもわかっていることだが、いざ実行できるかというと案外怪しいものだ。こんなことできるわけがないとか、世の中にこんなことがおこるはずがないなどと簡単に否定してしまう。これは別に本に限ったことではない。人と接するとき、その人の外見やうわさから「この人はこういう人」と勝手に思い込んだりする。それが否定的なことであると、その人が実は良い人間であってもなかなか受け入れることができない。人によっては第一印象を大切にすることもあるだろう。ある意味その印象を持ち続けることも大切だが、それに囚われてしまうと相手が見せている別の面を見落としてしまうことになりかねない。それは自分にとって大きな損失だ。本を読むときに限らず全てにおいて「いろめがね」をかけてしまわないこと―結構難しいが―が大切だ。
2004年02月25日
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インターネットで調べられることは調べようとしているのだけれどあまりにも情報が多すぎてなかなか自分が調べたいところに一度で行き着かない。なかには確かではない情報も含まれているので、その内容をみる側にも注意が必要だ。コンピュータは便利だけれど不便だ。まあ、どんな道具でもこの両面を持っている。私はあまりコンピュータが好きではない。道具でありながら道具に使われているという感じが何時までたってもなくならないから。(ただ単に勉強不足とも言うが)だからいい加減買い替え時期かと思っているこのコンピュータも、だましだまし使っている。別にコンピュータ買い替えのためにインターネット検索をしていた訳ではない。介護制度、介護保険などを調べようとしていた。この制度導入時期に日本にいなかったので今でもはっきりした枠組みがつかめていないのと、制度自体が新しいので改正なども多い。また、自治体での取り組み方(多分予算の問題があるのだろうが)も随分違っている。在宅介護サービスなどを提供している会社はこんな田舎町にも次々と設立されているし、デイケアなどの施設も病院併設のものや単独のものと様々。そのようなサービスを安価で受けようとすると介護保険に頼ることになるが、そのためには事前に要介護の認定が必要になってくる。要介護の認定をもらったからとって簡単に介護が受けられるかと言うとなかなかそれも難しいようだ。在宅介護サービスの会社側にも介護を受ける側にも自治体の職員の介入がある。もちろん必要のない介護を税金でまかなうべきではないからこのような調査は当然行われるべきだろう。サービスを提供している間も同様の査察は入っているようだ。でもその内容を聞いて少々疑問に感じた。食事の準備はしても食器棚の掃除は必要ない居室の掃除はしても、廊下はしない介護の必要な人の洗濯はしても同居人の洗濯はしない、などなど上げればきりがない。それではこういう家事はどうすればいいのかというと、別の業者を使わなければいけないということ。もちろん保険適用外だから料金は高くなる。ここでまた疑問が出てくる。全てではないがサービス提供を望んでる方たちは所得が潤沢にあるとは言い難いだろう。それなのに自治体職員は「これは保険適用外だからサービスを提供してはいけない」の一点張り。介護制度が導入されるずっと以前、近所の一人暮らしのお年寄りの方が、市の保健婦さんやホームヘルパーさんに州2-3回ほど来てもらっていたのを覚えているが、「きょうはガラスを磨いてもらったから綺麗でしょ。」とか「庭を綺麗にしてもらったのよ」と言っていたのを思い出す。今はそういうことをホームヘルパーに望んでも制度上できないと拒否されるだけだ。制度自体をもっと調べなければいけないのだけれど、今現にこういうことが行われていると聞いてしまうと、いったいこの制度は誰のためにあるのだろうかと、考えてしまう。今現在この制度を必要な方のために少しでも良い制度の見直しをしていかなければいけないのだろう。また、この制度を使わなくても済むように私たちが健康に留意していかなければいけない。そして、どんな制度になろうとどんな健康状態であろうと問題がないように―お金と向き合っていかなければいけないのだろうなと、検索エンジンと格闘しながら考えてしまった。
2004年02月24日
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スーパーマーケットにはイチゴがたくさん並んでいる。年末年始に比べれば随分と値段が下がってきている。今朝テレビを見て驚いた。なんとひとつ千円のイチゴがあるらしい。非常に糖度が高いとか。いろいろな品種改良の末できたものだろうけれど、、、、いったい誰が買うのだろうか。たかがいちご、されどイチゴ。確かに育成に手間のかかる果物の一つだ。温室栽培が普及しているとはいえある程度時期は限定されてしまう。だからといってひとつ千円というのは少々行き過ぎではないだろうか。まあ、どちらにしてもそのイチゴが我が家にやってくることはないだろう。もし来ることがあるとすれば値段が下がってきてからだろう。
2004年02月23日
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今朝は曇り空。午後からは雨。まだ暖かいが、明日からはまた寒さが戻るらしい。なかなか春は一足飛びにはやってこない。でもやっぱり春。今朝の新聞の広告には学習塾や英会話学校の広告。スポーツクラブなども。何かを始めるとなったら1月か3月4月辺り。多分来月辺りになるとその傾向がもっと強くなるだろう。ゆとり教育という言葉で学習塾や英会話学校などは減少しているのかと思っていた。が、その思いは見事に裏切られた。どの街に行っても駅前などには必ずといって良いほど英会話学校の看板。こんな田舎町でも駅周辺には知っているだけでも5つの学校がある。学習塾は以前からあったところがあちこちに大きなビルを建てたり、新規の塾が現れたり。駅前が活性化しているかというと、この辺りで大きなデパートが2件撤退しているので日曜日でも閑散としている状態だ。その中でネオンもまぶしい(?)学習塾と英会話学校。何だか異様な光景に見えるのは私だけだろうか。これだけ不況だといっても何とか教育費は捻出しているということなのだろうけれど。今朝の広告を見て、たまに外出した時すぐに目に付く大きな学習塾のビルを頭に浮かべながらコーヒーを飲んだ。午後からFMを聞いていたら、ジュピターが流れてきた。最近何かと話題になっている(らしい)平原綾香のジュピターではなく、こちらはモーツアルトの交響曲。最近CDを買っていないのでクラシック、ポップスあたりで何か手に入れたくなってきてしまった。しまった、しばらく買わないと決めていたのに!
2004年02月22日
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アメリカの熱戦の様子は直には分からないが、面白いのはここ日本でもアメリカ大統領選のことを扱ったニュースを毎日どこかで見ることができる。特に今は民主党の候補選びが熱をおびてきている。今年、民主党の大統領候補選びで重要なのは「ブッシュに勝てる人」(当たり前だが)であること。元バーモント州知事のディーンがどこまでがんばるのか個人的に面白く見ていたのだが、先日選挙戦から離脱した。理由のひとつにこの「ブッシュに勝てる人」であるかが疑問視されたようだ。バーモント州のお隣、ニューハンプシャー州に住む友人一家が民主党を支持し、何らかの形でディーンのキャンペーンにかかわっていたはずなのだが、今は少々意気消沈しているころだろう。彼らは最初からディーンの知名度のことを気にしていたようだ。それでも彼らは民主党候補がホワイトハウスに帰る日のために選挙戦をサポートしていくだろう。アメリカの長い長い選挙戦をどうも理解できないでいたし、今現在もその思いは変わらない。また、現在アメリカに住んでいるわけでもないし、住んでいたところで選挙権はもちろんないので関係ないといってしまえばそれまでだ。が、Anybody But Bush (ABB)=「誰でもいいからブッシュではない人」という民主党支持者の気持は少しは分かる。誰が大統領になったところで日本にいるひとりひとりに直接影響はないだろうが、アメリカが風邪を引けば未だに日本はすぐ鼻水を出してしまいかねない。個人的興味と共に、この秋まで選挙の様子に注目していきたい。
2004年02月21日
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レジ袋に課税をしようという自治体が出てきているらしい。ごみ削減のため―というのが自治体の主張。でも課税することで一気にごみが減るとはどうも考えにくい。課税方法も個人から取るわけではないため一人一人の意識としてはあまり強く認識されないだろう。ごみ削減も必要なことだが、ごみ回収をした後処理ができるような施設を設置することも環境を考える上では必要なのではないだろうか。レジ袋が取りざたされることが多いが、それだけではなく牛乳パックやプラスティックトレー、雨の日に店頭に置かれている傘用の袋など―提供する側・使う側双方の認識を新たにしなければいけない時期なのだろう。環境に優しい資源を大切にというキャッチフレーズを使われるとき、それに従わないとなんとなく罪悪感が残る。でもこれも曲者で、本当にこれが資源を大切にしているのかと思うものがひとつ。今まで忘れていたのだが、「音姫」なぜ忘れていたかというと、それらに触れる環境にいなかったから。これが設置された当初、ちょっとおかしいと感じた人も多いのではないだろうか。何年ぶりかにこの機械を見て、あ~まだあるんだというなんとも表現が難しい気持ちになった。書かれていることも、水資源を大切にということば。確かにトイレで二度水を流さなければ、水の使用量は少なくなる。反面、この機械を使っているために消費しているエネルギーはどうなるの?という疑問がいつも頭に浮かぶ。そういえば、トイレで水を二回流していた日本人に、「一回で良いでしょ!」とたしなめていた外国人がいた。
2004年02月20日
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真っ青な空。今朝から快晴。とても2月とは思えないような暖かさ。庭でクリスマスローズの花をみつけた。花をみるのは初めて。辺りを見まわすと水仙、クロッカス、チューリップなど春の花が芽を出している。気分が一気に春めいてくる。テレビでは静岡の方で桜の便りも。郵便受けを見ると友人からの手紙。別の友人二人からはEmail。一人は昨年出産し、二人のお母さん。もう一人は今年二度目の出産で、三人の母になる。そう最初の出産の時はいろいろ大変だった。しかも双子で。みんな遠い国でそれぞれがんばっている。彼女たちの辺りはまだまだ雪深いはず。零下5-10度は当たり前。さあ、こちらから春のかおりを届けよう。
2004年02月19日
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本田さんのことを知ったのはほぼ1年ほど前、アメリカにいたとき。そのときどうして本田さんのことを調べたのか覚えていないが、Web上で彼の名前を探し当て、ホームページにアクセスしてみた。小冊子がダウンロードできるというのでやってみたのだが、そのころ私のPCは英語版Windows98。PDFファイルの日本語は残念ながら読めない。という事で、日本の実家の方へ小冊子とCDを送ってもらうようにした。まあ、近いうちに帰らなくてもいつかは読めると、気楽に考えていたら、「これ他のものと送ってもいいの?」と電話した折に言われた。ありがとう。持つべきものは親と感謝しながら荷物を待った。これが本田健さんとの馴れ初め。HPでも何冊か本を出していることがわかるが、私の住んでいたところでそれらを入手しようとすると金額がかさむ。結局、アメリカにいる間は購入せず、日本に帰国するまで我慢することになった。ご本人には会ったことがないが、小冊子やメールマガジンなどでなんとなく暖かく優しい方なのだろうと感じた。「ユダヤ人大富豪の教え」という本を今回読んで、その思いは一層強くなった。それと同時にこの人は本を書くこと-人に伝えること-が楽しいんだとも感じた。本書の著者紹介に大好きなテーマは「お金と幸せ」と書かれている。本田さん本人が幸せであるから、その本を読んだ私たちを楽しい気分にさせてくれるのだろう。そしてご本人も期待にたがわず素敵な人だろう。ちなみに本の内容についてはリンクをさせていただいているハッピークリエイターさんが書いていらっしゃるので、興味のある方はそちらへどうぞ。
2004年02月18日
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この言葉が気になったのはアメリカに行ってから。まさか個人でこういう目にあう人がいるとは思っていなかったからだ。話を聞いてみると、事の起こりはクレジットカード。一枚作ってそれを使っているうちに返済に困って、次のカードを作りそれによって最初のカードの返済にあてる。それが1-2枚程度もしくは数百ドルぐらいなら何とかなるのだが、使っているうちに金銭感覚をなくしてしまい、カード枚数も増え、同時に借金も増えていくというのが典型的なパターンらしい。外国人がアメリカでクレジットカードを作るとなるとクレジットヒストリー(カードなどの支払いの履歴)がないから作るのが困難だ。が、一度作ってしまうとどこから聞きつけたかと思うほどいろいろなカード会社から入会案内が送られてくる。もしものためになどといって作ろうものなら簡単に5枚10枚入手することができる。それでも管理をしっかりしていれば良いが、便利なものがあればどうしても使ってしまう。そうしてある日突然高額の明細書を受け取る羽目になる。どうやら日本でもこういうパターンで自己破産になったり、そこまで行かなくても直前で何とか借金返済をする人が増えてきているという。クレジットカードの普及率が高くなった証拠だろう。結局自己破産もしくは直前まで行った人たちは、最後の最後までカードを使うことを止められなかったということ。自分の給料やボーナスが減らされても支出を減らすことができなかった-生活水準を下げることができなかった-ことが原因のようだ。カードを持つためには内(自己)外(盗難防止等)両面の管理が必要だ。********近所に買い物に出た。(いつも通り自転車で)店から出て自転車のところへ行こうとしたら車が止まっていた。駐車禁止場所だ。エンジンが掛かっている。ふと車を見ると助手席に3歳ぐらいの女の子がちょこんと座っている。思わず辺りを見渡したがお母さんらしき人はいない。多分店の中なのだろう。店からはすぐの距離だから戻ろうとすれば簡単に戻ることができるだろう。でもエンジンが掛かったまま、、、、もしサイドブレーキが外れたら、もし誰かがそのまま車に乗っていったら、もし誰かが女の子を車から降ろしたら、もし、、、、短い間にいろいろなことが頭をよぎった。これだけ事件事故が起きている昨今だ。田舎の小さい店だから大丈夫という思いがあるのだろう。でも何かあったときに「あの時こうしていれば」と思うのは全てが終わった後だ。どうかお母さん/お父さんもっと気をつけて!
2004年02月17日
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2002年(平成14年)の偽造カードの被害額。クレジットカードの普及率が上がるにつれて犯罪も多くなってきている。2001年からは、カードの紛失または盗難によって被害を受けた額より、偽造のための被害額のほうが上回ってきている。カードを特殊な機械でスキャンすれば全ての情報を取り出し、偽のカードを作ることができるためだ。対策として、保管場所に気をつける暗証番号・カード会社の電話番号を控えておく(これも保管場所に注意)人に貸さない(夫⇔妻など)カードの裏にサインをする全て当たり前のことのようだが、案外できていない人が多い。以前働いていたところでお客からクレジットカードを預かることもあったのだが、裏を見るとサインをしていない人が8割がた。お願いしてその場で署名してもらっていたが、中には拒否する人も。こちらとしては安全のためにと思っていることが相手には通じなかったようだ。カードは何かと便利だが、反面このような危険も潜んでいる。そのリスクを理解したうえで扱うことが必要だ。
2004年02月16日
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たいそうなタイトルをつけることもないのだけれど。きょう医療関係の方の日記を見ていてふと思い出した。昨年日本に帰って血液検査を受ける機会があった。バイト先から健康診断を受けるように言われていたからだ。あらかじめ電話予約を取り、当日病院に出かけた。平日の朝であったにもかかわらず、検査棟はたくさんの人が順番を待っていた。サラリーマン風の人から、主婦(多分夫の会社の健康保険で検査が受けられる―彼女たちの会話より)高齢者の人など。覚悟はしていたが、かなり時間がかかりそうな様子。あちこちで待たされながらレントゲン、聴力、視力などを済ませ、あと少しというところで「こちらにどうぞ」との声。「血圧を測った後で、血液を採取しますから」と女性の看護士。「腕を出してください」といいつつ、隣の同僚とおぼしき女性と話をしながら私の腕をとる。血管がわかりやすいように腕にゴム状の紐をくくりつけ準備。すぐ後に「少し痛いですよ」といって腕に針を入れる。一連の動作の間に相変わらず隣の女性となんだかんだと話をしている。ずっと彼女の手元を見ていた私は、最初から彼女が素手であることはわかっていた。でも針を扱っている今現在もそのまま作業継続で、もちろん素手。えぇ~ちょっとお姉さん!と心の中でかなりあせった私。何をあせっていたかというと、彼女が血液を扱うにもかかわらず何の防護もしなかったということ。個人病院でもなく小さいといっても市の公立病院での出来事だ。ここで何か事故(針が折れる等)が起これば、相互に非常に危険なことになる。私が彼女に病気を移すかもしれないし、逆のことが起こるかもしれない。周りにおいてある血液から同様なことが起こらないとも限らない。アメリカで献血や注射、血液検査などをする場合、看護士の方は必ず保護手袋をつける。血液に直接触れないようにするためと、事故がおこったときの保護のため。医療現場でかなり神経を使っている部分である。患者・医療関係者との基本の安全確保である。アメリカで同じように血液採取をした最初のときは、この保護手袋を目の前でつけられるという行動に、「私はばい菌ではない」と少々反発を感じたのだが、今ではそれを当たり前に受け入れることができる。病院経営が逼迫しているため、人員も減らされているときく。そのため残った人間に仕事のしわ寄せがいく。ミスが起きる確立も上がる。そうでなくとも、人間のすることにミスは起きるものだ。医療事故や院内感染などが多発している昨今、まずはこういう小さいことからでもできないものなのだろうか。------今朝は庭でふきのとうとチューリップの芽を発見。まだまだ雪部会ところもあるようですが、我が家の辺りでは少しずつ春が近づいているようです。
2004年02月15日
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と言うほど困っているわけではないが、もうそろそろ動き出さないといけない。おかしいなぁ~もうそろそろきてもいいのに。今週のはじめぐらいから郵便が気になっていた。でもまだ届かない。ということでこちらから以前勤めていた会社にメールを送って確認すると「ああ、ここで保管している。日本に送ればいいの?」と能天気な返事。帰国の際に、書類は日本に転送してもらうように担当者に伝えてあったのに(当然現住所も知らせてある)。私は昨年半ばまであちらで働いていたので、その分の税金の申告のために会社からの前年のW-2というもの(給与明細のようなもの)が必要なのだ。アメリカでなんらかの収入があれば税金の申告をしなければならない。会社員であっても日本のように年末調整のようなシステムがないので、税金の申告は各自の義務である。前年の書類を会社側は翌年の1月末までに当事者に発送しなければならない。金融機関などに口座があれば利息などが発生するため、そちらからの明細も同じ時期に届けられる。こういった書類が今頃までに届いていない場合、相手側に請求をしたりそれでも発送されない場合はIRSに届け出て、仮の書類(給与明細など)によって推定額で税金計算をしたりといろいろ手段はある。税金計算も申請用紙を近くの公共機関(市役所、郵便局や図書館など)で入手したり、IRSや各州のホームページからダウンロードすることができる。説明書に沿ってその申請用紙に記入していけば基本的には誰でも税金の計算ができ、そこで前年源泉徴収との差額を払ったり還付を受けたりする。この手続きを個人で紙に書いて郵送する人もいるし、オンラインで済ませてしまう場合もある。税理士などに必要書類を全て渡して計算を代行してもらう人もある(もちろん有料)。私の収入は会社での給料だけなので自分で簡単に計算できる。昨年などは必要書類がそろってすぐに終わらせたので、還付金は2月中に入金されていた。今年も難しいことは何もないので書類が手元にあれば今からでもすぐにできるはずなのだが、そうもいかない。昨日金融機関にも2,3メールを打って確認を取ったところ。全てがスムーズに動いて書類を日本に発送てくれたところで、最低1週間から10日は掛かるだろう。それから申告書作成になるので、早くとも今月中に終わればよいほうだろう。オンラインで済ませてしまいたいところだが、アメリカ在住でないとできないようなので、手書きで書類を埋めるしかないだろう。これらの手続きの締め切りは4月15日。郵送の場合はその日の消印があれば期日までに届けられたとみなされる。今からはじめれば余裕で終わらせることができるのだが、そうでない人も多い。そんな人のために届出が遅れるという別の届けを4月15日までにしておけば、ある一定期間申請を遅らせることも可能だ。日本でも確定申告の時期で、多くの人たちが計算機片手に奮闘していることだろう。アメリカ人もレシートを集めて申告用紙に悪戦苦闘する季節。「ストレスがたまるから大嫌い!」という声も聞こえてくる。
2004年02月14日
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おはようございますといえば十中八九おはようございますと相手から戻ってくる。それが当然だと思っていたので、相手からの挨拶がないと少々驚いてしまう。そんな経験が今まで二度ほど。一人は後輩、もう一人は直属ではないが上司、でも年下。何のことはない私の言った事が気に入らなかったということなのだ。私自身は間違ったことを言ったわけではなく(今でもそう思っているが)相手に対して注意もしくはアドバイスをしただけのこと。多分相手はそれをアドバイスとして取らずにただ単なる中傷(意地悪?)と感じたのだろう。その後、彼らが取った態度が、私を無視する(口をきかない)という方法。もちろん仕事をしなければならないので必要最低の会話はあるのだが、酷いときは後輩の女性は別の同僚を使って要件を伝え、極力私と話をするのを避けていた。「おはようございます」「………」「お疲れ様でした」「………」そんなことがどれほど続いただろう。でも彼女の「………」が時々小さい声で「おはようございます」になるときがあった。周りに人がいる時。上司の方も大体行動パターンは同じようなもの。でもさすがにある時期から自分の態度がまずいと思い出したようで、少しずつ挨拶が返ってくるようにはなった。100%ではないけれど。考えれば考えるほど、私ってなんて意地悪な人間なんだろうと思う。今同じようなことが起こったら私自身同じ行動を取っているだろうか。別の解決方法を考えるだろうか。どちらにしてもお互い顔をあわせた時はまず挨拶をして、気持ちよく仕事を始めたい。挨拶ができない人より笑顔を返してくれる人と時間を共有したい。そうそのためにも気持ちの良い挨拶ができるようにしなければ!
2004年02月13日
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握力の測定は高校の時、一度か二度したきりで、はっきりした数値は覚えていない。多分20位はあったのだろう。先日母が病院で計測をしてきたら、右17、左2。以前左の握力がどの程度だったのかはわからない。きょう改めて計測した結果は左5になっていたらしい。左手首を見ると骨折した箇所の腫れが完全にひいていない。それとは逆に掌と指は軒並み細くなっている。骨折をしてあと一週間でほぼ二ヶ月、リハビリを始めて約二週間。人間の体は使わないとあっという間に衰えてしまう。主治医からは今から三ヶ月が勝負!といわれている。今までは土日以外は毎日リハビリに通っていたが来週からは一日おきになる。本人は早く元どおりにしたいという気持ちと、急いで無理をして変なことになっては困るという思いと両方が相まって複雑なようだ。こればかりは私がどうしてやることもできない。せいぜいがんばりなさい、気をつけなさいというしかない。ちなみに握力5ではまだご飯が入ったお茶碗を持ち上げることができない。本人いわく「からだったらもうもてるからね。」そうして少しずつ食器を運んでくれている。
2004年02月12日
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雪山登山について何も知識はないが、最初報道されたときから計画は万全だったのだろうかと疑問に思っていた。今朝の新聞に遭難の危険 忠告無視という見出しで、入山前に何人かに忠告されていたことが報道されていた。また、学生側が「根拠のない自信があった。素直な気持ちが欠けていた。」と述べていた。自信と過信の違いとはなんだろう。何か行動する場合、人はいろいろな角度で物事を調べてみる。次に計画を立て、そしてようやく動き出す。それでも調査が不十分であったり計画が違っていたり不慮の自体が発生したりすれば、うまくいかないことがある。そういった場合に無理に計画通り進もうとしても失敗してしまう。計画を立て直すか、全く違ったものにするかの判断も必要だ。あるいは失敗した場合に備えて別の計画を最初の時点から考えておくべきだろう。全員が無事戻ることができたのでよかったが、彼らの行動からいろいろと考えさせられた。
2004年02月11日
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雑誌やテレビからなんとなく気が付いてはいたが、今日目の当たりにしてしまった。所用でデパートに出かけたのだが、なんとなく人が多いような気がするけれど、、、、と思いつつ目的のところにいくとチョコレート!人が多いというよりも人だかりが……普段は食品・贈答品売場にあるはずのものが特設会場を設けて別の階に移動していた。言わずと知れたバレンタインデーのため。売る方は試食を勧め、買う方はあちらこちらを見て回る。もちろん何箇所かでしっかり味も確認。あまりの熱気に腰が引けてしまった。日本で働いていたころは、職場の女性と「今年はどうするの?」と、しぶしぶながら何度かチョコレートを買うために時間を、そしてお金を割いていた。この時期かなり憂鬱になったことを覚えている。10年足らずの間にこの悪習から逃れられたことにほっと胸をなでおろしていたのだが、きょう自分の目の前で行われていることを見て、人ごみの中に入って―ああ、やっぱり日本は変わってないんだ―と実感。デパートのチョコレートの売り上げの4-5割がこの時期に集中するというところもあると以前聞いたことがある。今はそれほどではなくても売る方としてはがんばりたい時期なのだろう。購買者側の女性の方はなんとなく理不尽な思い―マスコミに踊らされている?-がある中、せっせとお金を出している。どちらか(多分消費者)が、この変な習慣に見切りをつけないことには何時までたっても今の時期の風景は変わらないだろう。私は極力そういう人だかりを避けていきたいと改めて思った一日だった。
2004年02月10日
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ずっとご無沙汰していた友人数名にようやく手紙を書いたのでポストまで出しに行った。郵便局―ポストまでは歩いても5分ほどだが、それほど寒くもないので自転車ででかけた。ポストはこの辺りではメインの通り沿いの歩道側にある。投函口は歩道側で車道側からだとどうしても車(私の場合自転車)を一旦降りて郵便物を投函しなければならない。今日も同じように一度自転車を止めて歩道側に回り、数枚の手紙をポストに放り込んだ。めんどくさいなあそう私はかなり面倒くさがり屋である。別に大作業ではないしほんの数秒のことなのだけれど、それが案外億劫になってしまう。ふと思い出すと、アメリカでは結構な数のポストが車道を向いていたりする。(ポストの色はあちらは青です)渡米当初は車を運転していなかったので気が付かなかったのだが、人に聞いたら車から降りずに投函できるということらしい。投函口も一般的な車の運転席から手を伸ばせば無理なく届くようになっている。それを聞いたときはアメリカ人はなんてルーズなんだろうと思ったような気がする。そういえば一般家庭のポストも郵便配達の人が車から降りなくてもいいような高さに設置されているものが多い。ここ日本でもドライブスルーというのはファストフード店などでよく見られるが、もちろんアメリカでも郊外に行けば必ずといってよいほど併設されている。朝の通勤時間帯に渋滞しているなと思ったら、なんのことはないドライブスルーに入る車で道路を遮断していたなんてこともしばしば。そういう弊害もあるのでファストフード店などではドライブスルーを使わずに車を止めて店内へ入る人も結構いる。あちらで面白いと思ったのはやっぱり銀行のドライブスルー。ATMが建物の中に入らなくても使えるようになっている。ちなみにほとんどのATMは屋内屋外の区別なく24時間使用可能で、同じ銀行のものであれば利用料は必要ない。昨年某都市銀行が24時間使えるといってCMをやたら流していたので、何を今更と思っていたのだが、うーん日本はやっぱり人件費など諸費用が高いせいなのでしょうね。話がそれてしまったが、そのATMの安全性はどうかといわれてもよくわからないというのが本音。使う場所によって安全なところとそうでないところがあると思うのだが、私自身は極力近所の警察署に近い比較的治安の良いところを使うようにしていた。さてもうひとつ。これはドライブスルーといって良いのかわからないが、そのドライブスルーのコースやショッピングモールの駐車場の片隅に電話機があったりする。それも普通の電話ボックスの高さよりかなり低い。何のことはない、これも車から降りずに電話が掛けられるようになっている。今では携帯電話の普及で公共の電話機が撤去されるところが多いようだが、どれぐらいの人があれを利用するのか結構興味がある。土地が広く車社会のアメリカならではの合理的なシステムだが、日本でファストフード店以外でも導入しているところはあるのだろうか?
2004年02月09日
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昨日は少々眠かったので考えがよくまとまらなかった。今日はきのうの日記の続き。まず人にあったら挨拶をする。おはようございます。こんにちは。こんばんは。誰かに何かをしてもらったら感謝を示す。ありがとうございます。何か間違えてしまったら謝罪する。すみませんでした。などなど、どういうときにどういうことをいわなければいけないかというのは誰でも家庭で親から言われたことだろう。万が一、家でそういうことを言われていなかったにしても周り(学校や会社で)の様子から学ぶことはできる。きのう会った女の子たちは家の躾けがしっかりしていたためなのか、学校またはクラブで先生や先輩に教えられてやっている挨拶なのかはわからない。(どうも後者のような気がするのだが)どういう理由であろうと、あそこで全くの他人に声を出して挨拶をするという行動が素晴らしい。挨拶することが良いことだとはわかっていてもなかなか実行できるものではない。彼女たちが声を掛けてくれたことによって私も挨拶を返すことができた。そしてすがすがしい気持ちも一緒にその場でもらって帰ることができた。最近あまり街を歩かないのでよくはわからないが、日本の人は往々にして表情が乏しいというか、険しい顔をして歩いている人が多いように思う。通勤通学で気持ちに余裕がないのかもしれないが、自分からぶつかっておいても相手をにらんでそのまま立ち去るというケースもある。こういう場合は欧米人のほうが自然に「ごめんなさい」「すみません」という意味のことをすぐに言葉にする。見知らぬ人と街で目が会えば「こんにちは」と言ったり、にっこり微笑んだりすることは日常しばしばあることだ。挨拶をするというのは人に大きな影響をあたえる。それを思い出させてくれた女の子たちに感謝。
2004年02月08日
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「おはようございます」元気な声。ぱっと顔を上げると自転車に乗った多分中学生ぐらいの女の子。その後から三回連続のおはようございます。おやっと思いながらもこちらも挨拶を返す。今朝家の近所のバス停へ行くまでのほんの僅かの間。どうも学校のクラブ活動へ出かける途中のようだ。あまり外出しないので今までこういう経験はなかったのだが、気持ちの好い一日の始まりになった。
2004年02月07日
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3年ほど前お正月休みに久々に帰国していた。短い時間なのでほとんどの友人には会えなかったのだが、ひとりふたりとは何とか都合をつけて会うことができた。その時の会話の中で耳にして引っかかった言葉がバリアフリー。頭の中で「?????」と疑問符がいくつも現れたのだが、さして重要なことでもなかったのでその場は彼女に問いかけることもなく済ませてしまった。ただなんとなく小骨がのどに挟まったような感じが何時までも残っていた。その後買い物に出かけたときなどに同じ言葉をポスターで見たり、新聞テレビで使われるのを見聞きして、「ああ、障害を持つ人が困らないようにしてあるということを表現しているのか。」と気が付いたのは暫くしてからだった。「あれえ向こうでもこんな表現だったけ?」と思いながらも面倒くさがりやの私は、わざわざ辞書を引くわけでもなくそのままにしてしまった。きのうある人が不思議な外来語ということで、このバリアフリーも英語圏で言っても誰も理解してくれないと、書いてある文章に出会った。英語では身体障害者のことをa handicapped persona disabled personなどと言ったりする。駐車場やトイレなどにはハンディキャップの人(車椅子に座った人?)をかたどった日本でもおなじみのマークで表される。文字表記だと確かfor handicapped peopleだったと思う。ただ近年はその表現をa physically challenged personなどと換えようしているようだ。このことは知らなかったのだが、今までのようにいかにも身体的に優劣があるような言葉よりも、より好い印象を与えるのではないだろうか。アメリカでは何かと裁判で訴えられることが多いので言葉ひとつにしてもかなり神経をとがらせている。そういった消極的な意味ではなく積極的に障害を持つ人をサポートするためにという意味でもこの表現が今後広がっていけばと感じた。最初のバリアフリーという表題から随分ずれてしまったが、なぜこの不思議な言葉が生まれたのか未だにはっきりとしない。こちらも積極的に障害者支援を推し進めていこうとうことで生まれた新語であるのだろうと思いたい。
2004年02月06日
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TVを見れば英語の勉強になるからと言われつつ、結局アメリカ生活最後の1年余りしかTVと同居していなかった。今もテレビはあまり見ないほうで、特に決まってみている番組はない。あるとしたら「てるてる家族」をわりと欠かさずに見てしまう。犬にご飯をやる時間帯なのと15分と言う短い時間で無理なくテレビの前に座っていられるからかもしれない。今日主人公の四女・冬子のせりふで「最高の自分を探す」と言う一言があった。人と競争して最高位になるのではなく、自分と闘ってその中で一番になるということ。言葉で表現をすると簡単なようだが、なかなかそれができる人は多くないだろう。どうしても周りが気になって成績や業績に振り回されたりしがちだ。周りの人間も「いい成績をとれば良い学校に入れる」とばかりにお尻をたたいてしまう。努力して良い成績を取ることや良い業績を上げることはそれなりに意味のあることだとは思う。けれどそれだけにとらわれて、「何のために」という目的を忘れてしまうと、ただ単に競争に勝てばいい、人を蹴落とせばいいということになってしまう。「最高の自分」は隣の人の一歩先を歩くことではなく、自分が一歩ずつ前進して行ってこそ見つけられるのだろう。―――――車の運転どうしても必要なものがあって近くのスーパーマーケットまで自転車で出かけた。少々雪がちらついていたが仕方がない。ほんの5分ほどの道のりなのだが、交差点で携帯電話を使ったまま右折しようとした車や、停止線を大幅に越えてろくに停止をせず、私の自転車をほとんど無視して通り過ぎる車など、自転車走行も命がけ。制限速度もかなり越えているのではと思われる車もかなり多いようだ。アメリカの人には悪いが私は彼らの運転を信じていない。だから自分が優先的に走ることのできる道路側にいてもかなり周りに気をつけて運転していた。いつ相手が飛び出してきても止まることができるように体制を整えていた。残念ながら後ろの方はどうしようもないので5回ほど追突された経験はあるのだが。(これもこちらが回避しようと思えばもう少し回数はへったのかもしれない)でもここ日本でも、外に出るたびに車の運転がかなり気になって仕方がない。以前はもう少しドライバーが他に気を使いながら運転をしていたような気がするが、どうだろう。今まではほとんど歩くことも自転車で走ることもなかった道だが、目線が変わっているからなのかもしれないけれど、乱暴なそして余裕のない運転をする人が増えてしまったようだ。今は車がないので運転する機会はないが、車の便利さを知っているものとしては、運転してみたいという気持ち半分とわざわざ危険を冒さなくてもという気持ち半分ずつ。
2004年02月05日
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アメリカの牛肉や問題のあったアジアの国からの鶏肉はストップしているから、今現在日本で流通しているものは大丈夫ということ。牛肉消費量の約半分が、鶏肉は30%が輸入だという。その輸入品の多くは外食産業で消費されるらしい。もちろん牛丼などであちこちで騒がれているので周知の事実だが。問題のある輸入品をシャットアウトしたら本当に私たちの食卓は安全なのだろうか。日本の検査基準は世界一厳しいといわれているが、次々と新しい問題が出てきている。食品添加物などもあとになってから使用禁止ということも多々ある。何が安全なのかをこれだけ多くの情報の中から見極めるのは非常に大変だ。それでも自分の命を守るとなったら人任せにせず、「何が本当なのか」という目を養っていくことが大切なのだと痛感する。
2004年02月04日
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極力起さないようにといつも気をつけているつもりだけれど、ちょっと注意散漫だったりすると、同じような間違いを起してしまう。今朝も日記のためにとメモ書き程度のものをコンピュータに保存して後から付け加えるつもりにしていた。が、夜見たら、、、、消えてました。別に重要書類ではないので被害があるわけではないけれど、自分のしてしまったことに少々ショック!と言うことで、今朝書きかけていたことをもう一度今から書く元気がないので今日はこれでおしまい。皆さんも文書などバックアップはしっかりとりましょう。
2004年02月03日
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今日は朝から雨。天気予報どおり。それでも母はリハビリのために出かけていった。天気の良い日はいいが、こういう日は片手だと大変だ。バスの昇降のときに運転手さんや他の乗客の方が手を貸してくださったり、声を掛けてくださったりするという。皆さん本当にありがとうございます。体の不自由な方を見かけたときに声を掛けるというのはなかなかできない。人によっては助けを必要としないもしくは必要でも自分でできるところまでは自分でやってみるという方もいる。アメリカで学校に通っていたとき、友人のひとりがいわゆる障害者だったのだが、彼女からいろいろ教えてもらったことがあった。私自身は彼女と一緒のときは荷物を持ったりドアを開けたりしていた。カフェテリアでは必要なものを彼女のために取ってきたりしたこともある。あるとき彼女が「Mが自分でできることは自分でやったほうがいい」と言っていたと私に話した。どういうことからその話題が出たのか覚えていないが、Mは彼女に対して言ったのではなく私の彼女への助けの出し方が過剰ではないかということを暗に表現したのではないかと考えた。Mは私たち共通の友人で、Mと私も時間があれば時々話をする。そのとき、私は少々感情的になって「ドアの前で荷物を両手一杯持った人がいたら、そのドアを開けてあげるのはいけないことなの?」というような意味のことを彼女に問うた記憶がある。多分、自分の行為を批判された、どうして?なぜ自分のやっていることがおかしいの?と言う思いから発した言葉だったように思う。結局その時の話がどういうところで落ち着いたのかはっきり覚えていないのだが、今思えば友人のMは彼女と私二人のべったりの関係を心配していたのではないかと思う。いつかは別れ別れになってしまうのだから、過度の助け(ひょっとしたら私の場合は干渉だったのかもしれない)はお互いに良くないということなのだろう。そういう意味では友人Mの方がずっと彼女のことを物理的にではなく心理的に助けていたのではないだろうか。こちらに帰ってきて身障者の方を町で見かけることが以前より多くなったように感じる。それは素晴らしいことだが、道路や建物の整備がなかなか追いつかない。また人の気持ちも追いついていない。彼らと共存していくためにはやはり私たちの考え方も変えていかなければいけないのだろう。身体障害者・健常者という言葉もいつも気になるのだが、文章にするときにわかりやすいので使ってしまった。こういう言葉ももっといい表現があれば良いのにと日々感じる。
2004年02月02日
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昨日外出するときにはっと気がついた。「化粧道具がない!」何のことはないほとんど外出をしないため、いつもおいてあるべきところから道具を移動させていたのだ。いつも全く化粧をしないわけではないが、家にいるときはどうしても手を抜きがち。基礎化粧品をつけている間に掃除洗濯をしているとファンデーションを使うのをうっかり忘れてしまうこともある。冬だからといってそのままにしておいてはまずい!紫外線は家の中までやってくるのでファンデーションは必須。ファンデーションというのは紫外線予防だけだと思ったら、乾燥も予防してくれるとのこと。特に冬場は、家の中外にかかわらず、どこも空気が乾いている。基礎化粧品以外に保湿も必要だが、最後にファンデーションでカバーもしなければいけない。私自身化粧を始めたのは25歳前後で、あまり若い人(中高生)が化粧をするのは賛成しないけれど、20歳を越えたら(18歳という人もいます)やっぱり肌を守るための化粧は必要なよう。紫外線や感想から肌を守るというだけでなく気持ちが華やぐという内面的な効果もあり。家にこもりがちな寒い日も、気分を変えて化粧をしてみるのも良いかもしれない、そこでパソコン見ているあなた!でも化粧品選びは店員さんまかせにせずサンプルなどで試して一番自分にあったものが良いでしょう。
2004年02月01日
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