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御嶽山が噴火して、もう4日も経ちました。
多数の犠牲者が出ました。自然災害の恐ろしさを再認識しました。
こんなことを書くと不謹慎かもしれませんが、将来、今の時代は平和な時代の末期であったという評価をされるのではないかと危惧しています。
第二次世界大戦、関東大震災の後、大きな戦争に巻き込まれたり大きな災害に遭うこともない、平穏な時代が長く続き、日本は高度成長を果たし、世界でもトップクラスの先進国になりました。
ところが、阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し、台風や大雨、大雪の被害を被り、今度は火山の噴火。先日まで放送された「巨大災害」4回で扱った異常気象、巨大台風、大地震、火山の噴火の全てを経験したことになります。
昨日まで当たり前のように存在していた家族や友人が災害に巻き込まれて亡くなることが現実に起こる時代になりました。そして、日本は国際的な地位の向上を図るべく世界の紛争にも積極的に関わろうとしています。国際社会に正義はありません。正しいことと信じて行うことに対する報復だって有り得ます。
そこにきて人心の荒廃から、無差別殺人、無謀な運転による交通事故、手抜きによる事故、そして、まだ完全に制御できないのに、一度事故を起こしたら何百年も汚染が続く原子力を平気で使う世界、まだ克服できない病気、そして、伝染病。人権思想が世界に行き渡り(まだ無関係な国もありますが)、人の命が一番大切とされている現在、その命が数多くの原因で簡単に失われる時代が始まったんだと思います。
でも、例えば封建時代、家の名誉や貞操などが命よりも重い時代だってありましたし、戦時中はお国のためという価値観を信じて命を捧げた人もたくさんいます。今も続く宗教戦争での自爆テロだって、当事者は自分の命より大事だと信じて死んでいっているわけです。日本だって今からほんの数十年前は戦争当事国であり、毎日のように命が失われていたわけです。その命にだって家族や友人がいたんです。貞操を奪われて命を捨てる人だっていたんです。
ところが、現在はとにかく命が一番大事だという価値観ですから、こうも簡単に命が奪われる時代に対して、どう対処すればいいのかわからなくなります。
僕は池波正太郎さんの小説が好きです。その理由のひとつが、命についての価値観です。多分、池波哲学?の基本は「人間は必ず死ぬ」だと思います。だから、その命をそれぞれが信じるものにかけます。それが意地、剣の道、お家、愛する者のため、その復讐のため等々、多分、今の時代だったら、そんなことのために命を捨てるのは間違いといわれるようなものです。でも、僕はそれがうらやましいんです。どうせ必ず失う命ならば、それを自分の信じるものにかけたいし、そうすれば、死ぬ時だって悔いは残らないでしょう。ところが、とにかく命が大事となると、何があろうと生き続けることだけが目的になり、絶対に死にたくないと思ってしまいます。必ず死ぬことは決まっているのにです。
人権思想で命が大事としていても、その命は必ず失われるものでもあるわけです。その命をどう使うか、他人の命をどう尊重するかについてまで、しっかりと理解しないと、ただ、生きていればいいということになりかねません。
必ず失われる自分の命を何にかけるのかをそれぞれが自由に決める。決めるにあたって他からの干渉はうけない。それが、自由主義の基本です。
今回の噴火にしても、また噴火するかもしれない危険の中で救助活動をしている人達がいます。放射能の危険にさらされながら復旧活動をし、放射能の危険を知りながら生まれた地を離れずにいる人達がいます。
僕はその人たちに敬意を払います。再噴火や放射能の危険性を声高に主張して、仕事をやめろとか、その地を捨てろなどとは絶対に言いたくありません。
僕も必ず失う命ならば、それを自分の信じるものにかけようと思っています。それは別に公表すべきものではありませんが、そう思うようになってから、毎日が楽しくなりました。もちろん、世間の波に揉まれることはありますけど。
とにかく、これからの時代、命のありかたについて、一人一人が真剣に考えないといけないことは確かだと思います。長文を最後まで読んでくれてありがとうございました。