Welcome to the Mentor’s world

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2015.01.21
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前の日記を書いてから予定外の行動ばかりで(明日の日記に書きます)、今、スタジオを利用者にお任せして母屋に戻って遅い夕食を終えたところです。

さて、表現の自由については、過去の日記で何度か書いているので簡単に書きます。

まず、表現の自由が憲法で保障されており表現者に対して暴力や脅迫をすることが許されないとしても、たとえ、犯罪になったとしても、ある表現行為を許せずに暴力に訴えるという方法を止めることはできません。殺人や収賄が犯罪だとわかっていても犯す者があるのと同じです。

ですから、表現の自由を行使する場合、正当な方法による批判以外に、不当な手段による報復をも覚悟すべきです。その上で表現すべきと判断し表現できるのは本当に勇気のいることだと思います。

昔、徹底討論という番組が民放でありました(今もあるのかな)。そこでは、タブーに挑戦するということで、皇室、右翼、宗教、部落差別など、公の場で語ることが憚られる対象での討論がありました。オウム真理教の教祖も出演したし、右翼の大幹部なども出演しました。出演者は勇気があるなと感心しました。

その番組をみながら思ったのは、やっぱりタブーは必要だということでした。

日本が戦争に敗れてアメリカ風の国民主権、自由主義、民主主義が流入し、日本の伝統的価値観もほとんどが否定されました。その原因は自由な議論にあるのではと思っています。民主主義とは徹底的に議論して自分の主張を理論的、合理的に説明し相手を説き伏せることで自分の意見を政治に反映させるものです。では、理論的に正しければ人は従うのか。そうじゃないですよね。人間には感情や生理的嫌悪感というものがあり、これは理屈では説明できません。

皇室や宗教、政治信条、差別意識というのは理論だけで説明できるものではありません。生まれたときから平等なはずの人間になぜ特別の地位を与えるのか、科学的に証明できないような思想を何故信じるのか、長い人類の歴史の中で200年足らずの人権思想が何故人類普遍の原理だと言えるのか、いわれのない差別を何故続けるのかなどなど。

人の感情をコントロールするのは難しいし、また、すべきでない場合もあると思います。そして、タブーとはそういう問題に関わるべきではないということを長年の経験で人間が見極めたものだと思います。もちろん、そのままにしておいたら国家的に問題が生じるというのならば別です。でも、それに立ち向かうのはそれだけの力を持っている、例えば国家であり、一国民や一民間企業が立ち向かっても歯が立たないどころか、今回のような騒動がおきるだけだと思います。

先ほど挙げた例は、表現者に対する物理的な報復の危険性があるものでもあります。報復が怖いから触れないというのも正直な気持ちです。でも、報復が怖いからいえないのは表現の自由がないのと同じだとは思いません。

例えば、サザンの今回の騒動では、ネットを中心に批判が広がりました。そして、サザン側は謝罪をするに至りました。さて、今回サザンの行為を非難した人たちはサザンの表現の自由を妨げたことになるでしょうか。不買運動や株価下落させた人たちは表現の自由を妨げたことになるでしょうか。理論的に桑田さんの行為を非難していますか。僕が知る限りありませんね。

これがタブーに触れる行為の典型的な例だと思います。だから、タブーには触れてはいけないんだと僕は思うのです。

おっと、またまた長くなりました。明日、時間があったら今日のことを書こうと思います。まあ、たいしたことではありませんけど(笑)。






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Last updated  2015.01.22 01:33:47


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