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(1つ前の日記の続きです。) 「メム・スィ」のクリップを少しだけ見てしんみりした私だったけど、その後ディノとYouTube巡りをしていたらフレッド・シシャンに対して「悲しい」というよりも「」な感情(言葉にはできないので絵で示します)の方が大きくなってしまいました。http://fr.youtube.com/watch?v=22au_jODsjM・・・・ビデオで見た時にもほんのり思った事だけど、あまりにもキッチュで・・・。ディノにそう言うと、彼はケロッと「そうだよ、これが『キッチュ』なんだよ」と、応えてきます・・・・。 私もディノもキッチュなものが大好き。だからピチカートのクリップも大好き。だけどこれはイキ過ぎなのでは・・・? 色々見てみたら他の曲のクリップも凄かったけど、チャンピオンはコレ。(ある意味必見です!これが多数の仏人に好評だったという事実に驚く為には・・・・。でも、冒頭がちょっと恐ろしいので、一人暮らしの怖がりさんはやめておいた方がいいかも?)http://fr.youtube.com/watch?v=SHEwFoo_KA0・・・・・・私はこの曲かなり好きだよ。ちょっとイッちゃってる(死語?)なぁとは思うけど、他の曲のついでに何百回も聴いて、もう耳に馴染んでいるしね。・・・・・・だけど、もしも最初からこのクリップを通してこの曲に触れていたなら「ついていけない!」と思ってそこで終わっていたと思う。 このクリップが世に出た89年から「結構気に入っていた」というディノに「なんでインドを舞台にしているの?」ときいたら、これまたあっけらかんと「インドをコンセプトにしたから、でしょ?」という返事。(そのまんまじゃん!!)「でも、いくら『インドがテーマ』でも、もう少し見やすく作る事が出来たんじゃないかと思うんだけど・・・」といい返すと「う~ん、バリウッドを意識しているのかもしれないね」とディノ。この時代にバリウッドを意識していたの???もしそうならレ・リタ・ミツコって進んでいたのね~。 レ・リタ・ミツコがエキセントリックなグループだという事は知っていたけれど、正直ここまでとは思っていなかったので、あ然としました。そして、このインドを舞台にしたクリップが(もちろん一部のだけど、それでも多数の)フランス国民に支持されていた事に、2度びっくり。そんなこんなでフレッド・シシャンの亡くなった日、私は泣いた後に笑い、グループが分解されてしまった日に彼らの真の姿を発見するという、矛盾しまくりの夜を過ごしたのでした。 ***最後に*** 彼らのクリップを観て最初に抱いた感想は「びっくりした」「こんなにエキセントリックだとは知らなかった」に尽きるのですが(気を悪くされた方がいらしたら、本当にごめんなさい)、その中でも何度か見るうちにかわいらしく見えてきた2つを紹介します。(ちなみに、どちらも80年代半ばのものです。映像にとっても時代を感じるのは、音楽の方がちっとも古びていないのも一因だと思います。) 彼らを世に知らしめた「マルシア・バイラ」という曲のクリップ。衣装はゴルチェなんだそうです。(衣装がくるくる変わるけど、一体何着用意したのだろう?)http://fr.youtube.com/watch?v=t6FVlfOgTo8&feature=related 大ヒット曲「アンディ」のクリップ。出た当時見ていたなら、わたし絶対にハマっていたな・・・。http://fr.youtube.com/watch?v=1C7nX7GekLg
2007.11.28
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(いちおう、1つ前の記事の続きです。) 私がフレッド・シシャンの死を知ったのは28日の夕方オペラ近くの日本食材店で買い物をしていた時。店内に流れているラジオを全然気にとめていなかった私の耳に「レ・リタ・ミツコ」という名前が急に飛び込んできたのです。 何日か前から「そろそろ、レ・リタ・ミツコのオランピアでのコンサートだなぁ」と思っていたところだったので、本当にびっくり。(実際、そのコンサートはフレッド・シシャンが亡くなったこの28日に予定されていたそうです。)商品を選び終わったのに売り場を意味もなくウロウロして、このニュースを最後まで聞きました。 そのラジオではボーカルのカトリーヌ・ランジェの事を「compagne《コンパーニュ=奥さんとか恋人の意》」と言っていたので、私は初めて2人がそういう関係だった事を知りました。(遅いってば・・・。)彼女は今どんな気持ちでいるのだろうなんて漠然と考えた時、頭の中を流れ出したのが最新アルバム「Variety」の中の一曲。それは、今までの彼らの作品とはうって変わってとても穏やかなナンバー。なんどもリフレインされる「メルスィ《ありがとう》」の言葉が私の耳に印象的な歌。 その日の晩、ディノがようやくノルマンディーの実家から戻ってきました。フレッド・シシャンが亡くなったというニュースを告げると、やっぱり驚いているディノ。前日深夜のテレビで偶然レ・リタ・ミツコのクリップが流れていたので、慌ててビデオ録画したと言います。早速一緒に観てみました。 クリップは後半部分しか録れていなかったけれど、曲の一部を聴いた瞬間に、私にはそれが「メルスィ」というあの曲だという事が分かったので、ディノにそう教えてあげました。・・・・・ところが曲が進むにつれて彼は「『メルスィ』よりも『メム・スィ《meme si=もしも~だとしても》』に聞こえるんだけど」と不思議がっています。 私は彼らのニュー・アルバムを何十回も聞いたけど、一度も歌のタイトルや詞には注意を払っていなかったので、なんとも驚いた事にずーっと勘違いしていたのです。この歌の本当のタイトルもキー・ワードも、「メルスィ」ではなくて「メム・スィ」でした・・・・。 歌詞をよーーく聴いているとサビの部分はMeme si, meme si, tu disparaissais....je serais pres de toi(もしも、もしも、あなたがいなくなっても・・・私はあなたの側)といったもの。 この曲を作った時、この2人は別れがもうすぐそこにある事を知っていたのかしら。 と考えながら私は、画面を食い入る様に見つめてしまう。 ディノがそんな私に「おぉ、感動しているねぇ」と半分茶化しながら、半分心配して言ったのを皮切りに涙が出てきてしまった。そんな私をそっと抱きしめてくれてありがとう、ディノ。 ・・・・という訳で、1つ前の日記ではあっさりと書いたものの、私は実は(その日までフレッド・シシャンの名前も知らなかったくせに)彼の死に結構ショックを受けたのです。自分がよく聴いていたミュージシャンの死を体験したのはこれが初めてだし、今年になってからいつになく悲しいお知らせをもらう事が多かったから・・・。逆にいうと、去年までがそういう意味では幸せ過ぎたのだとも思うけど。義母の事だけがとても心配だけど、私達夫婦やそれぞれの家族と友人が健康な事にもっと感謝しよう、なんて月並みだけど大事な事を改めて感じました。 (上の写真は、その日ドイツに出発した義母と義弟の車を見送った、ポルト・ド・サン・クルー駅のそばの教会です。)
2007.11.28
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急に亡くなってしまいましたね、レ・リタ・ミツコ《Les Rita Mitsouko》のフレッド・シシャン。まだ53歳だった彼の死因はここ2ヶ月で急速に進行した癌だそうですが、全く公表されていなかったのでびっくり、そして残念です。 私がレ・リタ・ミツコを聴き出したのは、留学を開始した2001年の事。友達になったフランス人の男の子がベスト版を貸してくれたのがきっかけです。漠然と聴いてみたらいい感じだったので、とりあえず手元のMDに録音しておきました。 それからは私の聴くことといったら・・・。コピーさせてもらった当時よりも、パリに出てきてからの方が特に愛聴していました。レポート作成に必死で徹夜明けになってしまった朝、神経がイヤな感じに昂ぶる私の耳に響いてくる彼らのヒット曲「セ・コム・サ《C'est comme ca=こういうものだ!(・・・とでも訳せばいいのかしら?)》」は、気持ちを明るくしてくれるので特に大好きでした。 それから数年、思い立っては「marc & robert」、「The No Comprendo」などのずいぶん以前に出たらしきCDを買ってみたりもしたものの、なぜか彼らについて調べたいとも思わず、キャリアを追いかけようともしなかった私。私がフランスに来てからの時期に彼らがちょうど活動していなかったというのも手伝って、私はこのグループが男女2人のデュオで、女性ボーカルの名前がカトリーヌ・ランジェだという事ぐらいしか知りませんでした。 レ・リタ・ミツコが今年の初夏に久々に出したアルバム「Variety」も気に入っていたくせに、どうして私はこの秋のコンサートのチケットを買わなかったのだろう・・・・・・今となっては悔やまれます。この出不精が憎い!!!まぁ、ここ数週間はフレッド・シシャンの体調不良のために幾つかのコンサートがキャンセルになったらしいので(その一方で、カトリーヌ・ランジェが一人で頑張った回もありました)、どちらにしても行けなかった可能性があるのですけどね・・・・。 ディノもレ・リタ・ミツコを好きなので、訃報の後は2人でYouTubeを巡ってみました。 ・・・・・・・まさに「イカしている(死語!)」というより「イカれている(死語?)」と言うのがぴったりなクリップばかりで私はぶったまげた(死語!!)のだけど、その中でもまぁ観やすいものを2つピックアップしてみたので、レ・リタ・ミツコを知らない方に見てもらえると嬉しいです。(もしもこれらのクリップが気に入らなかったら映像は観ずに、曲だけよーく味わってくださいね彼らの映像世界にはついていけなかった私からのお願い。) まずは「セ・コム・サ」。これはまだ、画像が見やすい方です・・・・そう、これでもね・・・・。 http://fr.youtube.com/watch?v=BggXhzUhZ94 後半部分で、宙に固定されたギターを弾くフレッド・シシャンが笑えます! もう1つ、カラックスの「ポンヌフの恋人」にも使われた「レ・ザマン《Les amants=恋人達》」もご紹介。このクリップは(彼らの作品にしては珍しくも)私にも見易いです。 http://fr.youtube.com/watch?v=4sn8QPEcPpk その他のクリップはどれもこれも、映像にひと癖もふた癖もあるけれど、音楽としてはどれも大好き彼らのコンサートに行かずじまいだったのは残念すぎるけど、この悲しい報せは、私がレ・リタ・ミツコに前よりも関心を抱くきっかけになりました。これからもガンガン(でも今まで通りのボーっと)聴いていくつもりです。
2007.11.28
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数日間更新できなかったので、ちょっと遡って今週の水曜に撮った写真をアップします。・・・・なんてことはない、先月にディノとその弟のアランと一緒にモレという街にドライブに行った時(先月21日の日記参照)のおみやげのキャンディーと、私が作った超簡単なサンドイッチの写真です。 実はここ数ヶ月で義母が病気だという事が分かりました。地元ノルマンディーの病院にて今週から治療を受ける予定だったのですが、そこの先生に全然やる気が感じられない。ドイツに住んでいるディノ達のいとこがその病気の専門医らしく、色々と心配して何度も電話をくれていたのですが、ノルマンディーの先生ののん気さにキレてしまい、義母に、フランクフルト近くにある自分のクリニックに来る様に提案してくれたのです。ドイツ語も英語も話せない義母が7週間もドイツに留まるのはとても大変な事なので、まずはアランが、次にディノが、義母に付き添ってドイツに滞在する事になりました。 急に決まった事なので準備時間が少なくてとても大変だったみたいだけど、ノルマンディーで力を合わせてなんとか出発準備をしたディノ達。義母とアランは今週の火曜夜にノルマンディーを車で出発し、ブローニュ(パリの隣の市)にある彼の家で一泊してから、翌朝またアランの運転でドイツへ出発する事になっていたので、車中で食べてもらおうと作ったのがこのサンドイッチです。 「作った」と言っても、パンの中にチーズやパテなどを挟んでいっただけなのですけどね。日本だったらここでからあげなどを作るべきなのしれないけど・・・・なんて楽なんでしょ、フランスのお弁当って♪ただ、おそらく生まれて初めて作った卵サンドだけ結構時間がかかりました。フランスのマヨネーズは日本のものとはちょっと違ってコクが足りないのでそれをごまかそうと胡椒や塩を加えたのです。食べてくれるのがもしも味オンチで食いしん坊のディノだったら、味付けもテキトーに「我流」で大丈夫なのですが(ごめんね、でも本当の事だから・・・)、私は義母とアランの嗜好をあまりよく知らないので、何度にも分けて少しずつ加えていきました。私からしたら「美味しいけどちょっとしょっぱいなぁ」と思える程度まで塩を加えてストップ!せっかくだからタップリ挟みたかったけれど、入れすぎるとバゲットの横から漏れてくるので適量に抑えました。そんな苦心もあったので記念にサンドイッチの写真まで撮ってしまった訳です。この他にポテトチップや飲み物なども用意してアランの家へGo!(本当はりんごなどもむきたかったけど時間切れになってしまいました。) 息子しかいないせいか、こんな簡単な差し入れにとても喜んでくれた義母。一つだけ目の前で食べてもらったら、バゲットの皮が喉につかえる様で胸が痛んだけれど・・・・。今度は食パンで作りますから、元気になって戻ってきてくださいね!いただいたメッセージはできるだけ守りますから、安心して治療に専念してください。
2007.11.28
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ずいぶん前に「これは一体???」と思って撮影していた写真が出てきました。 今月の初め、私達は7日の日記の通り、スターバックスに行って「クリスマスブレンド」を頼みました。「クリスマス」の名前に単純に喜ぶディノとは打って変わって「『クリスマスブレンド』って一体何なのよ?スターバックスも商売うまいわね!」と内心食ってかかってしまう、かわいくない私。 コーヒーにくっついてきた可愛らしいカードの裏を読んで、このコーヒーはインドネシア産の豆が主体で、その苦さがクリスマスっぽい食材の生姜やオレンジ、シナモンなどとよく合うとされている事が分かりました。 1つ目の謎は解けたものの、最初の写真の豆には「不思議」が残っています。これは(7日の日記に写真をアップした)プレートに、そのままばら撒かれていた豆なのです。私はこれは飾りのつもりでくっついてきたに違いないと思っていたのに「これは食べるものだ!」と主張するディノ。口に含んでカリカリ噛んで「美味しい♪」と言っています・・・・。しかも、食べきれなかった分を、ディノはナプキンに包んで持って帰ってきてしまいました・・・。 私はね、思うの!!絶対に、コーヒー豆をこのまんま食べるのはおかしいって!!・・・・でも、手っ取り早く目を覚ますには便利かも・・・・。 という訳で、この写真は豆を持って帰ってから2日後に撮影したのですが、既に半分くらいに量が減っています。(逆に言うと、元々はこの倍量あったのです。) オーダーしたコーヒーにこの豆が(パッケージにも入らずに)ついてきたら、そのまま捨てて帰る人が大半だと思うけど、それももったいないよね。スターバックス・・・・こんな事しなくていいから、もう少し値段さげてくれないかしら・・・なんて思ってしまった、主婦感覚の私でした。。
2007.11.27
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(昨日の続きです。) ソフィーと一緒に横広の入り口ホールに足を踏み込むと、目の前には数々の机が重なりあって出来た一見立派なバリケードがあった。その前に陣取っている学生は3人くらいしか居なくて、大男数人が本気を出せばさっと解除できそうにも見えたけど、私達にはそんな力もなければ、もちろん気力もない。 どうやって中に入るつもりなのだろう、と引き続きいぶかる私。その間にもソフィーがバリケードの右側にだるそうに座って居た女の子に声をかけ、自分も私も校舎内で友達と待ち合わせをしているから中に入れてほしいと伝えると、その女の子は体を動かし、自分の後ろにあった机を幾つか移動させて(よく見ると、この辺りだけ机が重ねられていなかった)私達を校内に入れてくれました。 ・・・・あっけなさ過ぎて、正直拍子抜け。身元の分からない私すらこんなに簡単に入れてくれるのなら、なんでわざわざバリケードを作ったのだろう?ちょっと前までは、あの役立たずな机の山にも何かの意義があったのかしら? ソフィーと別れて、映画学部の事務室に向かってみる。人が少ないものの、廊下はいつもとほとんど変わらない。途中、M教授とすれ違う。なんだ、教授達も出入りできるんだ。 えらく静かな事務室に入ってみると、私がいつも唯一頼りにしている事務員Aがいつもの位置に座っている。・・・・・なんなの、これ?テレビで見る学生のストってすっごく激しかったのに!授業が無いだけで、その他の事はいつも通り行われていたりするんだね。 その時Aに教えてもらったスト状況は(実はどうでもいいと思ったせいか)もう覚えていないけど、ソフィーと言い、校内に入れてくれた女の子といい、M教授やAのいつも通りの雰囲気といい、あのあっけらかんとした様子を見た時は本当に驚きました。まぁきっとその時分にも、サンミッシェルのソルボンヌ本校舎やジュスィウー《Jussieu》にあるパリ第7大学の巨大校舎では激しい攻防があったのでしょうけどね。(ここはどうせ、どうでもいいボロ校舎だから・・・・幸いといえば幸いだけど。) 結局(もちろん?)昨日の日記の最初に書いた通り学生ストには不参加のままで終わったけれど、テレビで見た映像との激しい温度差を目の当たりにして良くも悪くも拍子抜けした、留学生生活最後の年でした。 《写真はセーヌ越しにミラボー橋近くから見た、近代的な建物群です。この辺の空にはたまにアドバルーンが飛んでいます。》
2007.11.26
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公共機関のストに比べたら一般市民へのダメージが少ないので日本ではあまり話題にはならなかったかもしれないけど、今回は学生も同時にストを起こしていました。時には公共機関のデモや、電気会社だか電話会社だかのデモとも合流していたらしい。 そういえば私、フランスで5年間も学生していたのに「学生スト」に関わった事がありません。なんでかというと1つ目の理由は、「『フランスにおける学生の立場』は、自分には関係ない」と思っていたから。私はあくまで留学生でそのうち日本に帰るものだと思っていたし、勉強が大変でストを手伝うだけの余裕もなかったからね・・・。 それだけの理由で不参加だなんて「薄情」と言われそうだけど、ただの「お祭り気分」で参加している学生もチラホラ混じっているデモ風景をTVで見るとイライラしてしまう私は、どうも自分から学生ストについて深く考えようとは思えなかったのだ。 第一、私の身近にはストに積極的に参加している人がほとんど居なかった。2003年初夏あたりにストがあった頃、うちに遊びにきたフランス人の女の子が「昨日デモに参加したの」なんて言っていたけど、まるで「日本食レストランに行ったの」とか「図書館で○○に会ったの」みたいな世間話レベルのノリだったし。 私が学生ストのある一面を垣間見たのは2005年だけ。 その時ドクトラ《Doctorat=その年から「博士課程の1年目」に格下げ(?)になった学年》の1年目だった私達は毎週2時間、ゲスト講師のお話を聞くのが義務になっていた。大学校舎の入り口が机のバリケードでブロックされてしまって以来学部生の授業は行われていないみたいだったけど、私達の講義はもともと、校舎から数十メートル離れた別の建物で行われていたので、スト中でも全てがいつも通りに進んでいた。ゲスト講師の中には遠方から来ている方達も居たので、彼らとの連絡も担当していた司会役の教授はさぞ命拾いした思いだったろう。 講義の後いつも通り駅に向かって一緒に歩いていると、ソフィーが言う。「昨日さ、デモに参加したんだ。だってこの間スタージュ先(=研修先)を探していたら、メチャ安い賃金を提案されちゃってさ・・・(注:彼女のおかしな具合にくだけた仏語を私の脳内で日本語に訳すと、一昔前の海外ドラマの吹き替え風のこんなセリフになってしまう。ごめん、ソフィー・・・。)」 相槌を打ちながらも、その話を漠然と聞くだけの私。(またもや)ごめん、ソフィー!話し甲斐のない聞き手で! でも彼女も外国人の私には何も期待していないのか、それともデモに参加してはみたものの実はそう熱心でもないからか、いかにその「提案された賃金」が安かったかをぼやくだけで、さっさとその話を終えてしまった。かと思うと今度は、大学校舎に寄っていきたいと言う。 私にしたら、「入り口がブロックされている校舎になんて一体どうやって入るの?どうせ中には誰も居ないんじゃないの?危険だったりするんじゃないの?」というのが本音だったけど、ソフィーは私の反応も気にとめず「友達と中で待ち合わせしてるから。みにかーはどうする?」と言って、校庭に向かっていく。 ・・・・・よしっ!私も好奇心半分で、彼女の後を追う事にしたのでした。《続きます。》 (上の写真は、ガイドブックでは「学生街」とも称されているサン・ミッシェルの夜。私はサン・ミッシェルはかなりの観光客街だと思うけど・・・?まぁソルボンヌ本校や、大手古本チェーン、数々の独立系映画館があるからかなぁ。)
2007.11.25
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ここに一枚の紙がある。これは私が日本で大学一年生だった時、夏休みの課題だったテキストの1ページ。(「ふらんす」だったかも?)後になって本体を捨てる際に、人称代名詞の使い分けが苦手だった私はこのページだけ破り、ずぅっと取っておいたのだ。数年前、フランスで荷物整理をしていたら急に出てきたこの紙。あ、これをフランスにまで持ってきていたんだっけ?・・・なんて考えていると、プリント右下にある手書きの絵が目に飛び込んできた。8つ違いの妹の絵だ!まぁかわいいじゃん、ぐらいに思いつつ、なんとなくこの紙を捨てられないまま日々が過ぎていったのだけど・・・・・・はい、今から一年ぐらい前にようやく気付きました・・・・この紙にとんでもない言葉が書かれている事に!!・・・なんと、上部に「○○子(私の名前)バカの短足」と書きかけた跡が!!(名前の2文字を消そうとして加工したら分かりにくくなってしまいましたが。)「やられた~!これに何年間も気付かなかったなんて!!」と、苦笑してしまった私。私達は大ゲンカをした事もあったけどふだんは仲がいいので、こんな落書きを見つけたからって別に今さら(!)ムカついたりしません。ただすごく不思議なのは、一体どうして妹はこの時に限って私の教材にこんな落書きをするというとんでもない行為をおこしたのか?という事。これだけ見ると「とんでもない悪ガキ」に見えるんだけど・・・・。実はこの謎を一年来抱えていたのだけど、今日シャンプーをしていたら何故か急に思い出しました。そうだ確か・・・ある日妹はこのプリントを見て「ここに絵を書いてもいい?」と聞いてきたんだった!そして私は「いいよ」と応えたのだった!妹は(ご覧の通り)決して絵がうまくはなかったけど、年の離れた私にはもう描けないものを描くので私はそれをかわいいとも、面白いとも思っていたから。(姉バカだったのかも?)そうか、落書きを許可したのは私自身だったのか・・・・。なぜか今日になって急にシチュエーションが蘇っていたので、すっきりです(悪口の方は、妹がイタズラ心で書き始めたのに私が気付いて途中で阻止したのだと思う。)・・・・くだらない話でごめんなさい。でも、私にとっては懐かしい思い出なんです。(と言っても、これは今日になってやっと思い出した事なのだけど。)今日記憶が蘇るとは思ってもみなかったけど、数日前から今月24日になったらこの画像をアップしようと思っていました。理由は2つあってまずは、文法ももういいかげん頭に入った事だし、この紙を捨てたいから。(私の家は紙切れだらけなので、一枚でも減らす事が肝心なのです。)そして2つ目の理由は・・・・一昨昨日と同じパターンですが・・・・今日が妹の誕生日だから彼女に関係のある事を書こうと思ったのです!妹の名誉の為に一応書き添えておくと・・・妹は私の持ち物に勝手に落書きをした事はありません!人並みに反抗期はあったけど、今はもう優しい社会人。(通りで私もトシを取ったわけだ・・・・。)妹には特にこの1・2年、感謝している事がたくさんあります。まず去年はこんなにたくさんのメイク道具を東京から持ってきて、パリでの結婚式の日のメイクをしてくれました(持ってきたのは「自分の為」でもあったのかもしれませんが。ここに写っていないものもたくさんあります。)日本での結婚パーティーの日も妹がメイクをしてくれたおかげで大好評だったし、ありがとう!私の結婚に関して、妹にすごく感謝している事はもう1つあります。1度社会人になったあと自ら望んで留学してまた「学生」に戻った私には、結婚にかけられる予算があまり有りませんでした。おりしもここ数年在相次いだパリの友人達の結婚式に行ってみるとウェディングドレスを着た人がほんの少数だった事もあって、私はなんとなくドレスを着るのをやめようかな、と思うに至りました。実際問題こちらではドレスレンタルはないし、フランス人には絶対に着物の方がウケがいいし(実際みんなに「着物」を期待されていたし)、たった1日の為にドレスを買うのはバカらしい気もして、とりあえず「白くて可愛らしい洋服」を買ってみたりした私。でもそんな私を見て妹はメールで「ドレスは着た方がいいよ!!」と強く書いてくれたのです。「参考に」と思ったのか、それとも私の心に火をつけようと思ったのか、お友達のお姉さんご夫妻の素敵なウェディング写真も添えて。結局そのメールに押されて安くても気に入ったドレスを探し出しドレス姿で式を挙げる運びになったのだけど、当日はドレスを着た分だけ気分も余計に盛り上がって、最高に幸せでした。あの時私の本質を見抜いてくれた妹には本当に大感謝しているし、よくぞやってくれたとさえ思っています。ドレスに一切憧れを持った事のない人なら着る必要はないけど、漠然とでも考えた事のある女性は、やっぱり着た方がいいと思う!!もし今後私の友人の誰かがドレスを着ようか着まいか迷っていたら着る事を勧めるし、たとえば何らかの理由で結婚式当日に着るのが難しいとしたら、せめて式の前後写真館でドレス姿の記念撮影をする様にさりげなくプッシュしまくるつもり。(迷惑かな?)話が反れてしまったけど妹よ、お誕生日おめでとう充実した毎日を過ごしてねランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.24
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ようやくストも一段落したらしい!嬉しい・・・。一昨日の夜の発表では「ストは中断します」という事で「中止します」ではなかったのでちょっとだけ心配だけど、とりあえず一安心。今回のストは一週間以上続き、しかもいつも居る夫がノルマンディーの実家に帰っているので本当に長く感じました。おかげで家も少し片付き、溜まっていた「やらなきゃいけない事」もこなし、ブログも毎日更新できたけどね・・・。記憶に残るストの一つになるのは間違いありません。よくよく考えると、私がパリで生活してきたこの5年の間には何度もストがあったのに、覚えているものと忘れているものがあります。忘れられないのはもちろん、自分も被害にあったスト。2003年のストの際には大学に行こうとしてなぜか普段使わないモンパルナスの駅の中をウロウロした後、結局断念した事を覚えている。あの時はマジメッ子だったので、授業を逃したのがショックだった。あとこれも2003年あたりだと思うけど、スト中なのに論文の準備の為に映画図書館(Bifi)まで行ってしまった事がある。移転前の映画図書館は私の家から結構遠くて通常でも片道50分かかったのに、どうしてあえてこの日に出かけてしまったのだろう?あ、確かパリの中心あたりで指導教授と別れた後、偶然にも映画図書館方面行きのバスを見かけてしまったからだな。適当に飛び乗ったバスを適当に降り、地図を見ながら適当に歩いたら、そんなに迷わずに着けた。ただ、入館した瞬間に受け付けの人に「今日はもう閉館です。(スタッフの帰り道を確保する為)」と言われてしまった!!ガッカリして帰路についたものの・・・・その帰り道が結構大変だった。確かメトロがイマイチ動いていなくて、それでも何とかパリの中心あたりまで着いたのにまたそこからメトロの乗り継ぎができなくて結局レ・アールまで歩いたり、途中でやかましいデモに遭遇したり・・・・なんだかロクでもなかったなぁ。それ以来、スト中は公共機関に乗らないと行けないところには出向かない様になってしまった私でした・・・。(写真は今から20日くらい前に撮った、ノートル・ダム寺院前の庭みたいなところです。紅葉がきれいでした。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.23
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一昨日の続きで私をいつも苦しめているフランスの「大雑把さ」が珍しくも私を救ってくれたエピソードを書こうと思います。2005年秋、私はまた唸っていました。論文が・・・終わらないっ!!!!この時準備していたのは、DEAの論文。前回の反省を肝に銘じて今度こそは余裕を持って書きたかったのにこの2年の間に色々な事があったのも手伝い、またもやギリギリになってしまいました。そうしたらなんとこの時も指導教授とT教授が助けてくださったのです。どういういきさつでだったのかは覚えていないのですが、ある日「論文提出日」が決定しました。(もしかしたらこの時は、事務室が一方的に決めていたのかも?)それがあと数日に迫ったある日私はいつも通り指導教授に論文原稿を見てもらっていました。先生はここをもっと掘り下げた方がいいとか、この現象に対してこういう見方もあると追記した方がいいとか、「日本人」という意味の言葉「japonais」も「フランス人」という意味の「francasis」も頭文字は全て大文字にすべきだとか(最初を大文字にする人と、そうでない人が居るみたいです)、色々指導してくださいました。・・・が、どう考えてもその意見を全て取り入れるには時間が足りないのです。私がそう言うと、教授は「分かりました。では今からT先生に電話して提出日を少し遅らせてもらえないかどうか聞いてみます」と言ってくださるではありませんか!私は内心「さすがに今回は無理でしょう。提出日は前々から決定してしまっているし」と思っていたのですが、結局・・・・・私は規定の提出日に一応事務室に赴き、(最終追加・訂正事項が抜けている)ダミー論文を「T教授宛て」として提出する事になりました。でも最終論文はその数日後(一週間ぐらい後?)にT先生の家まで持参し、郵便受けに入れておけばいいというのです!私はもう諦めて「少々間違いがあっても、掘り下げ方の少ない点があっても、それは仕方ない!」と思っていたのに、これはとっても助かりました。日本の母校では有り得ない事なんですけどね。でも日本のあの大学が「異常」だったとは考えていません。(他の日本の大学はどうなのかな?という好奇心はありますが。)そしてそれとは全く逆の、私がパリで受けた恩恵も(そんなにしょっちゅうある事ではないだろうし、自分はラッキーなんだと思うものの)フランスにおいてはそう「非常識」でもないのかもなんて思っています。だって、お国柄が全然違うんですもんね。何はともあれ、論文にまつわるこの2つのエピソードは「フランスって・・・あぁ、フランスって・・・・」と嘆いてばかりの私に、この国の良さを見せつけてくれました。私はこれからもフランスに留まっていく訳だけどこの経験は心の支えになっています。本当にありがとうございました、両教授・・。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。これは、フランスで生活し始めた頃かなり役に立った本です。「この本には間違った記載がある!自分の体験とは違う!」というクレームを聞いた事があるけど、仕方ない様な気も・・・・。だってこの国って例外だらけなんだから。編集部にしても「基本的には『ケースバイケース』です」と、全てのページに書いていく訳にもいかないでしょうし。(一番上の写真は、うちの最寄りの駅から階段で地上へ上がっていく時に見える光景です。殺風景な地下から出た瞬間にこれを見ると、ちょっと幸せ気分。・・・・でも、もう何日もメトロに乗ってないんですけどね・・・・。)
2007.11.22
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今、私達のパリのアパルトマンには5色の小さなアルバムがあります。去年の結婚式に東京からパリまでかけつけてくれた母が持ってきた、末の妹と編集してくれたというアルバム。結婚式前日に両家が初めて対面した時に義母達に見せたのでその場が余計盛り上がったし(義母は小さい子供の写真に目がないのです)、結婚式当日も招待客たちの一部にささっと見てもらいました。私の出生日(?)に撮った写真から始まり、四谷の会社を退職した日の一枚で終わる一連のアルバム。母と妹が厳選したはずの写真の中には小2の私が「ちょうちんブルマー」を履いているとんでもないものがあったり(ギャー!)、高校の卒業式の写真の真下に、高校入学式直後の写真が貼ってあったりと15歳以降の写真の順番が少し狂っているのですが、見ていて懐かしい気持ちでいっぱいになります。これを作ってくれる事になったきっかけは、こちらの結婚式ではほとんど出し物(?)的なものが出来ないからだと思っていました。でも式の前後に母から「いくらあちらのお母さんが○○子(私の名前)を可愛がってくれたとしても、このままだと『どういう感じのところで、どんな風に育ってきたか分からない子』になってしまうでしょう?だからきちんとした(普通の)家庭で、ちゃんと愛情を注がれて育ってきた子なんだって知ってもらいたかったの」と聞いてジーン。あ・り・が・と・う!おかげでお母さんの心配は取り除かれたからね。アルバムをアップしたついでに、中の写真も少しだけご紹介しますね。まず、フランスはアルザス地方に住んでいた時の写真。私は5歳くらいでしょうか?何かのお祭りらしく、私と一つ下の妹はアルザスの民族衣装(母の手作り)を着ています。たぶん右が私です。うーん、妹も私も「よう肥えとるなぁ」って感じ・・・?(ちなみに父方の祖母のしゃべり方はこんなです。)で、でもですね・・・この後はフツーぐらいの体型になったんですよ。一応証拠写真を載せておきましょう。・・・とは言ってもどれにしようかな・・・えーと・・・私が小学生の頃の写真って言えば80年代の前半がメインなのですが、今見ると服装も髪型も時代を感じさせるものが多くてどれもこれも恥ずかしいのです・・・あ、これならいいかな。ワンピースもたぶんフランスから持ち帰ったものみたいだからまともだし、左の妹が可愛いし。(フランス特有(?)の胸元にゴムの織り込まれたこのタイプの服、大好きですいつか娘ができたら絶対に買います!)私が8歳か9歳ぐらいの時。確かこの頃は、妹と私の身長が同じぐらいだったのです。私の友達が校庭に居た妹を私だと取り違えて後ろから呼んだり、よく「似てる~」と言われていた時期。・・・と、アルバムの紹介が写真の紹介になってしまいましたが、なぜ今日アルバムの話だったかというと、11月21日が母の誕生日だからです。おめでとう、そして、ありがとう!ちなみに主人はこのアルバムを気に入ってしまい、このまま持っていたいみたい。確か母は「中に入っているのは、たくさんの分厚いアルバムから少しずつ持ってきた写真達だからいつか戻さないと」と言っていた気がするんだけど・・・・今度話し合わないとね・・・・。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.21
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フランスの困った点を連続して書いてしまったので今日は(ようやく!)フランスの素晴らしさについて書きたいと思います。フランスには数多くの長所があります。まずパリは首都なのに高い建物が少なく、空がよく見えます。(もちろんフランスの他の街も同様です。)それに古い建造物を保つ努力を市町村がしているらしく街の景観も素晴らしく美しい。同じ大都会でも日本のそれに比べると素朴な点がたくさんあり人間らしい暮らしができると感じています。それに私が大好きなチーズもワインも安いし私でも「上半身が細い」なんて言ってもらえるし(日本では、生まれてこのかた1度も言われた事なかったのに!)・・・・という個人的な理由づけもありますが、とにかくいい点のたくさんある国なのです。ですがそういった事はまたいつか書くとして今日は(昨日と一昨日の日記で私が散々ケチョンケチョンに描写していた)「フランスのいい加減さ」が私を救ってくれた思い出をたどる事にします。2003年の夏、私は生まれて初めて書くフランス語の論文に四苦八苦していました。私は2002年の秋に開始した映画学科のメトリーズ(当時は日本における修士課程と同等とみなされていた学年)をこの秋に修了させ、そのまま次の段階(DEA)に進みたいと思っていたのです。ストレートで次学年に進むには9月15日までに指導教授と誰かもう一人の教授による試問を終えているのが条件だったので夏を潰して必死に頑張ったのですが・・・・・・・・仏語で「最低80ページ」書くのは本当に大変。どうしても予定通りに進みません。そして気付くと、時は8月下旬(だったかな?)。そろそろ指導教授に試問の日を決めてもらわなくてはなりません。先生に相談すると「あぁ、そうですね。そういえば試問日を決めないといけないですねぇ・・・。(やっぱりのん気だなぁ。言ってみて良かった・・・。私の心の中のつぶやき。)私はもう一人の試問官にはT教授がいいと思います。今から彼に電話して引き受けてもらえるかどうかと、都合のいい日を聞いてみますね。」と言って、別室へ行かれました。緊張しながら、指導教授の戻ってくるのを待つ私。だって・・・・もしもT教授が「私は9月の中旬はパリを離れているので、試問日は9月3日にしましょう」なんて言ってきたら、正直困っちゃいます。数日中に書き終える自信はないのですから。(試問日よりも10日ほど前に論文を提出しなくてはならない為。教授達にも読む時間が必要ですからね。)少しでも長い期日が欲しいから試問はできるだけ15日に近い、遅めの設定になるといいなぁ・・。教授がこちらの部屋に戻ってきました。そしておっしゃるには「T教授とお話ししました。試問官を引き受けてくれるそうで、試問日も今2人で決めました。それは・・・・9月16日です。」えええええ!それ、困るんですけど・・・。私は教授に控えめながらもはっきりと、「あの・・・『9月15日までに試問を終える』のが、来年度のDEAに登録する為の条件らしいのですが・・・」と言いました。「あ・そうか」という顔をした後少し考えた教授は(私が指摘しなかったら危うく、留年するところだったのね・・・)「事務室に電話してみます」と言うと、今度は私の目の前で受話器を取りました。相手の言っている事は聞こえず分からないけど、なんとなく話し合いが順調に進んでいる感じ。短い会話が終わり、電話を切った教授は「大丈夫ですよ。事務室の○○君と話し合いましたが・・・・試問を記録する用紙に『試問日:9月15日』と書いてさえおけばそれで問題ないそうですから」そうなの・・・・・・・・・・・?ちょっと話が代わりますが、私が日本で通っていた大学は小規模で「アットホーム」が売りの学校でいざ入学してみると「看板に偽りなし」でした。ただ1回だけ私がキョーフにおののいたのが・・・・4年生になった時の「ガイダンス」で聞いたある教授の脅しです。「論文は2月×日の午後△時までに専用の部屋に持参してくださいね。私も、他の教授と一緒にそこでみなさんをお待ちしていますから。(中略)まぁ(この辺から顔がニヤリとしつつ)毎年の事なんですけどねぇ、その日はみんなで部屋の中で、学生さん達が来るのを待っているんですよ。そして△時が近づくとドアの横に立って『あと何分、あと何分』と時計を見ながら確認する訳です。それはですね、△時ぴったりにドアを閉めて論文提出の受付を終了する為です!みなさん、絶対に遅れないようにしましょうね(にっこり)」この教授はとても温厚な方なので、この逸話も私達の為を思って大げさに語ってくださったのだと思います。でも学校の和やかな空気に慣れていた私には、「△時ぴったりにドアを閉める(=1分でも遅れたらNG)」という事態がひどく恐ろしく感じられました。・・・この時のインパクトは今でも忘れられませんし、卒業して数年してからのプチ同窓会で、この時の脅しを裏付ける様なあるエピソードを聞いてしまった私は「規則は規則」という、日本社会の厳しさを改めて肝に銘じたのでした。こんなガチガチ思想にも触れてきた私にとっては、目の前に居るフランス人教授が楽天的に見えて仕方ありません。留学を開始した当初にこんな提案をもらっていたなら「そんな事をしたらウソの記録になっちゃうと思うんですけど・・・・本当に本当に大丈夫なのでしょうか?」と念を押していたに決まっています。が、この時は留学開始から2年近く経っていたので「まぁ、きっと大丈夫なんでしょ」と考え、このありがたいプランを喜んで受け入れる事にしました。9月16日が試問日になれば準備期間が更に1日増えますしね。笑顔でお礼を言って帰宅する私は、心に誓いました。「次回のDEA論文はもっと時間に余裕を持って書くぞ!こんな恩恵に浴さなくても済む様に」と。その時はまさか、DEA論文の時も教授達の機転と柔軟さにお世話になるとは思ってもいなかったのです・・・。(このお話は続きます。ちなみに、結局103ページになってしまった論文は9月16日に行われた諮問で受理され予定通り「9月15日」として申請されたので私はこの秋無事にDEAへ進級しましたとさ。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。留学準備にとっても重宝した本です。成功する留学(F)改訂第4版(一番上の写真はカルチェ・ラタンにあるソルボンヌ大学の本校舎です。私が通っていた大学もソルボンヌの系列なのですが・・・・パリの大学はあちこちに散らばっているので、これとは似ても似つかないすごくかっこ悪い校舎に通っていました。残念!噂によると私の通っていた大学の「演劇学部」はこの中にあるとか??ただし同じ敷地内にあるというだけで、建物はプレハブ風だとか??本当かなぁ??なんとなくですがこの素晴らしい建物の中には法学部などがある気がしてます。)
2007.11.20
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(昨日の、Sさんの体験談の続きです。)ようやく、今自分の居る支店こそが「訪問すべき支店」である事を証明できたSさん。受付を突破したので窓口に進み、「これこれの事情で転送をお願いしていたカード、そろそろ届いていると思うのですが」と、本題を提示しました。相手は少し探した後、「まだ届いていないです」と、たったの一言だけ発しました。どうやら彼(彼女?)からすると「私は『まだ届いていない』という事実をお客様にお伝えした=業務終了」という意識があったみたいです。 でも苦労してせっかくここまでたどり着いたSさんにしたら、このまま黙っては帰れません。「向こうの支店に電話して、いつ送る予定なのか確認して!」と指令を出しました。 私はここまで話を聞いて「さすが!」なんて思ってしまいました。細かい描写は聞いていないのですが、管理職のSさんがいわゆる若いニイチャン(かネエチャン?)に指示を出している姿を思い描いたのです。(Sさんはいかにも効率重視で生きている感じのキビキビした方なので、想像が容易かった。)きっとふだん会社で若い人達に色々と指導をしていらして、この時もその感じで動いたのでしょうね。 でもSさんの奥様によると、ご本人のその日の帰宅後の報告は「今日は完敗だ~」の一言から始まっていたとか。というのも、目の前の窓口職員は地方支店に電話をかけた後「明日送るそうです」と報告してくれたものの、横で電話の会話を聞いていたSさんには、目前の銀行員も地方支店の行員さんも、いかにも面倒くさくて適当にあしらっている感じがしたそうなのです・・・。相手にアクションを起こさせる事はそれなりの気迫があれば出来るけど、やる気を出させるのは相当難しいですもんね・・・・仕方ないか・・・・。 このお話を聞いてからずいぶん経ったある日Sさんにその後の経過を聞いたところ、3回目の訪問でようやくカードを入手できたとの事でした。最初の訪問は9月末だったのですが、10月末の3度目の訪問の際にそれまでとは違う人にあたり、その人がいつもと違うところを探したら出てきたそうです・・・。しかもカードを受け取ってからSさんは「○○支店到着日:9月5日」と書いてある事に気付いてしまったとか・・・・オイオイオイオイ。Sさんの悪い予感は当たっていたのですね、恐ろしっ! 終わりよければ全てよしとでも言わんばかりにこの仰天エピソードの結末を笑いながら話してくれたSさんですが、「笑う」のはとても良いことだと思います。フランスに住んでいるとどうしても、日本では考えられない事が起こるのです。発展途上国に引っ越す日本人はある程度のカルチャー・ギャップを覚悟して出発すると思うけれど、フランスに来る人の場合は、この国が先進国であるばかりにあまり構えていないケースも多いのではないでしょうか。パリ在住の精神科医太田医師は、フランスでうつ病の様な精神状態に陥いる日本人のケースを「パリ症候群」としてくくっています。私は同名の著書を手にした事もなく、以前入会していた日本人会の通信に掲載されていた記事を少々読んだだけなのでよくは分からないのですが、たとえばSさんのケースの様な「日本では起こりえない訳の分からない経験」を深くとらえる生真面目な人も、鬱状態になりやすいんじゃないかな、と漠然と思います。 Sさんは最近トラブルに巻き込まれる事が多く、マンションは(住民全員が使う)正面入り口の鍵も、個人宅入り口の鍵も調子が悪い上、おうちの電源コードも半分が急に使用不可になったり(そんなに古いマンションじゃないのに!)、会社は浸水で丸一日電気が使えなくなったり、色々な事態に見舞われています。こうも色々続くとさすがにストレスが溜まりそうな気がするのだけど・・・・Sさん夫妻はいつも笑い飛ばしています。 お2人を見て、これこそがフランスに生きるコツなのかな~なんて思う私でした。 ・・・・なんだかフランスのネガティブな面をたくさん並べてしまったので、明日はフランスの好きなところを書きたいと思います♪(ちなみにSさんはこれだけ色々あっても、日本よりフランスの方がお好きなんだそうです。私は・・・・今は微妙かな。) 《写真も昨日の続きで、アルマ・マルソーにある像を夜に撮影したものです。セーヌを挟んで斜め向かいにあるエッフェル塔も一緒に収めました。》
2007.11.19
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まだストが続いています・・・・これからも当分続く嫌な予感が・・・少なくとも明日は「続行」で確定したみたいです・・・・。この間の火曜の夜以降の用事や約束を全てキャンセルした私は、徒歩圏内にお友達が居ないしまさに一人ぼっち・・・。ネットしたり電話したりしているので精神的には何とか大丈夫だけど(普段電話では捕まりにくい人が家に居る率も高いです)、早く夫に帰ってきて欲しい!ストの間はしばらく、以前書きかけていた項目の続きをアップしますね。今日は、役所etcで応対してくれる人達にまつわるエピソードの続きです。(以前の記事は「フランス社会を泳ぐヒント」というカテゴリーをご覧ください。) Sさんは(おそらく)エリートの駐在員、フランスの地方での勤務を経て、今は家族3人でパリに住んでいます。そんなSさんのお宅のメインバンクはクレディ・リヨネという大手銀行。(私はどういういきさつなのは知らないけれど)ある日Sさんは何らかのカードを、クレディ・リヨネの地方支店(以前に使っていた支店)から、今の勤務先近くのパリ郊外の支店まで転送してもらう事になりました。 「そろそろ届いたかな」と思って、会社近くのクレディ・リヨネの支店に車を飛ばすSさん。到着して受付の人に用件を告げ、「この支店はお宅ですね?」と、支店名や住所の入った紙を見せました。 すると相手は「うちはその支店ではありません。その支店に行くには、駐車場を出たらまず右に曲がって、それから一つ目の角を・・・」 などと教えてくれました。 再び車に乗り「もう一つの支店」を目指すSさん。進むうちによく分からなくなってしまったので、カーナビに「クレディ・リヨネ、○○支店」と入力し、ガイドの通りに走り続けました。さて、到着したのはショッピング・センター。「あれ?」と首をかしげるSさん。だって・・・ さっき訪ねたばかりの支店も、このショッピングセンターの中にあったのだもの!!狐につままれた思いでもう一度、先の受付の人にアタックします。事情を説明すると、なんと今度は・・・ 「そういえば、うちかもしれませんね」という応えが返ってきたらしい! あのねぇ・・・・。 このお話をSさんの奥さんから聞いた私は、そのあまりのひどさに一瞬自分の理解が間違っているのかと思って内容を確認してしまったぐらいなのですが、これはノンフィクションの実話なんだそうです。確かに、ショッピング・センター内にある支店なら、住所表記も何通りかありそうな気はします。(たとえばある時にはショッピングセンターの名前が入っていたり、また違う時には入っていなかったり。)でも・・・・やってきたお客様を「受け付ける」のが、ズバリ、受付の仕事なんでしょう?そこで追い返してどうするのよーーーー。一流銀行の受付でも、こんなオオボケな事件が起こりうるのですね・・・。 私が思うに、フランスでは時々「粘り」が必要です。プロの立場にある人に「違います」と言われれば、「そうですか」と納得してしまうのが人の心なのだけど、「プロ」のレベルのふり幅が大きすぎるこの国では、「おかしい」と思ったらそのまま疑ってみた方がいい事もあります。(一番いいのはさりげなく他の人に聞いてみる事なのですが、いつもそう出来るとは限りませんよね。) Sさん「粘り」お疲れ様でした!と言いたいところなのですが、彼はこの後も「粘り」を強いられるのでした。長くなってしまったので、続きは明日に・・・。 (写真は、アルマ・マルソーにある(たぶん)炎の形の像です。ダイアナ妃が亡くなった事故はこの辺りの地下道(?)で起こったらしく、それ以来ダイアナ妃へのお花はこの像のふもとに捧げられている様です。この写真ではよく見えませんが、この日もお花が少しありました。)
2007.11.18
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ずいぶん前に書いていた「パリで映画を安く観る方法」の続きです。(ええ、今日もストですからね・・・・。ふだんできる事ができない代わりに、ふだん手がまわらない事ができちゃうんです・・・・。)私達夫婦はもう何年も前から、先日(10月25日前後)の日記に登場した「日本文化会館」で行われる映画祭をチェックし、できる範囲で通っています。珍しい映画を観る絶好の機会ですもんね。私はともかく主人は大体の場合毎日通うので、館内の人達に顔と名前を覚えられてしまっています。なにしろ、2004年か2005年の終わり頃に受付の人達が総入れ替えになったのですが、その時の人達と仲の良かった(?)夫は、彼女達にお別れのチョコレートを持っていったみたいだし。(実は私達が共通の友人の紹介で知り合ったのは日本文化会館の入り口ホールだったのだから笑えます。)さて、話が思いっきり反れましたが、この日本文化会館は半官半民なだけあって、映画の入場料がとっても安いのです。一般の人が4ユーロ、会員や学生さんetcはたったの3ユーロ!駅から徒歩2分の場所にあり、地下にある大上映室はその名の通り広くて、座席と座席の間の段差もばっちりで申し分ないのに、これは見逃せません。(注:たま~に使われている小さい方の上映室はイマイチですが。)蛇足ですが、3階にある図書館は小さいながらも眺めがよく最新の雑誌なども置いてあるのでついでに寄るのもおすすめです。私達が今年の8月末に大変遅ればせながら「発見」した新しいシネマテーク・フランセーズもこれまたおトク!一回券は6ユーロで民間の映画館よりは安いものの、移転前に比べると(確か)値上がりした感じ。でもたくさん観れば観るほど安くなる様に「7回観られる30ユーロのカード」や「年間120ユーロで観放題」など、いくつかのパックが用意されているのです。もしもシネマテークがもう少し近かったら、私も絶対に年間契約していたんだけどな~。両館とも珍しいフィルムを取り寄せての上映が多いため、時々質の悪いものを観るハメになる事もあります。私が今までに観た中で一番ひどかったのが市川崑の「細雪」(1983)です。なんとこの映画、途中で何度かフィルムが切れたのです!続きを待つ間客席には明かりがついていた様な気がします。私は何度も友人と顔を合わせ「困ったね」という表情を投げ合っていたのを覚えていますから。(遂には喋っていたかもしれません。)確か英語字幕入りだったと思うのですが、きっと世界のあちこちを回って来たフィルムだったのでしょうね。・・・とまぁ、たまにハプニングはありますがそれも仕方ない。ここまでひどいのはこの時だけだったし、古い映画を観る以上こういったアクシデントは民間の映画館でだって(ごくたまにですが)あるのです。日本文化会館もシネマテークも、作品の保存状態がよくない時はチケット売り場(日本文化会館の場合)か、ホール(シネマテークの場合)にその旨を警告しているので、画質などの悪い映画を避けたい人は、逐一チェックする様にしましょうね。ちなみに私は韓国映画を観ないのでよくは知らないのだけど、トロカデロからそう遠くないところに韓国の文化会館があって時々、安い入場料(それともタダだったかも?)で映画をみせてくれるそうです。きっとどこの国の文化会館でもそうなのでしょうね。パリは首都だけど小さな町で、面積は山手線の内側くらいと言われています。それだけ移動も便利なはずなので、色々回ってみても面白いかもしれませんね。日本文化会館のHPhttp://www.mcjp.asso.fr/cadrgen.htmlシネマテーク・フランセーズのHPhttp://www.cinematheque.fr/fr/la-cinematheque-francaise.html(上の写真はシネマテークの入り口のホールの写真です。)
2007.11.17
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我が家にはIKEAの「LIATORP」というシリーズの棚が3つある。そのうちの2つが写真のもの。右のものは結婚の直前に、左のものは今年の7月(遅ればせながらの新婚旅行・ヨーロッパ版の直後)に組み立てたので、どちらも今後、結婚した頃の思い出として私達の心に残るのだろう。 さて右側の棚は結婚間近に組み立てただけあって、中がウェディング仕立てになっている。結婚した日の写真の置いてあるこの一角を中心に、 日本とフランスの友人達からもらったカードが思いっきり飾られているのです。(もらったものはよそに飾ってある一部をのぞいて大体全部入っているはずなのだけど、ドアを開閉したら後ろに倒れてしまったり、ちょっと動いて他のカードの後ろに隠れてしまうものもあるので、今この写真を見るとどうやら、いただいたのに写り損ねたカードも結構あるみたい。くださった方、ごめんなさい!) ディノは初め、私が本棚の中に写真立てやカードのコーナーを作っているのを見て、ぷんぷんしていました。本大好き(というよりも「積ん読」大好き?)の彼にとって、「本棚」の中に「本以外」のものを置くのは許せないらしい。私がそれを気にせず、しかもその後調子に乗って彼の本の手前にもカードをたくさん置いたので、彼は余計にイライライラ。 しばらくして本棚の中に「本ではないもの」を置く事に観念したものの、「こんなにウェディング関連のものばかりなのもおかしくない?」 と恥ずかしそうに笑っていた。 でも気付くとあっという間に結婚一周年。さすがに私もウェディングムード満載なのは変な気がしてきたので、そろそろ変えようかと思っている。(かと言って、代わりのテーマがないので迷うところだけど。)この間ディノにその話をしたら返ってきた言葉はなんと・・・・ 「え、別にこのままでいいじゃない?」ちょっとびっくり。いつの間にかこの装飾(?)を気に入ってくれてたのかしら、なんて思いながら「でも結婚してもう一年経ったのに、いつまでもこのままにしておくのもおかしいんじゃない?」と聞くと、ディノはあっさりと・・・ 「まぁ『おかしい』と言えば、(こんなの飾るなんて)最初っからおかしかったかもしれないけどね」だってさ・・・・。 な~んだ、やっぱりこの飾りには違和感を抱きっぱなしだったのか・・・。なのに一年もガマンしてくれてごめんね&ありがとう。(でも最初の言葉には、まんざらでもない感じがうかがえた気もするんだけど?) ちなみにこのブログのタイトルにも「新婚」が入っているのだけど、一体いつまでが「新婚」なんだろう?個人的にはさすがに一年経ったら「新婚」ではない気がするけど、気分はまだ新婚なので(というかいつもお互いに好き勝手やっているので、昔から思い描いていたいわゆる「結婚」をしている気になれない)、タイトルはもう少しこのままにさせておいてくださいね。 で、ブログタイトルはこのままにしておくとしても、本棚の中はそのうち替えようかなと思っています。でも左の新館(新しい本棚)にお住まいのウェディング・ベア(妹作成)には、このまま永住してもらうつもり。なにしろ新館を建築している最中から、誰よりも早く入居してもらっていたからね。(証拠写真。2個めを組み立てる時は心と時間に余裕があったので、工程ひとつひとつの写真を撮ってました。) 話がダラダラ長くなってどうシメたらいいか分からなくなったので(今日もまたストでヒマなんです)、最後に今年7月、本棚を作っていた頃に撮影した主人の写真をアップします。(でもあまりにバカなので、そのうち消すかも。結構笑える写真だと思うので、今噴出せない環境《職場など》に居る方は、ちょっとだけご注意ください。) (すみません、一応顔まわりと頭を隠させてもらいました。・・・・が、ピンクのモジャモジャは、私が追加したのではありません。ヴェネチアからの帰り、空港でスーツケースに巻いてもらった梱包材で遊ぶ主人です。)今度はアップ。 なぜか苦しそうな主人。 ・・・・毎日これくらいバカで、幸せな私達です。さっき結婚した実感があまりないと書いたけど、結婚してから前にも増して安心感が出て、毎日がよりハッピーです。(もちろん、ケンカしている日は除いてね。)投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。人気ブログランキングへ
2007.11.16
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(ヴェネチア・ビエンナーレのチケット売り場です。)今日もスト中でかなり暇で、ようやく写真整理をしようという気持ちになれたので前々からアップしたいと思っていたヴェネチア・ビエンナーレの事を載せます!今年の6月に遅めの「新婚旅行・ヨーロッパ版」(「日本版」は去年秋の京都)という事で、私が希望していたヴェネチアへ行ってきました。準備している段階で、その時期がなんと2年に1度のヴェネチア・ビエンナーレの開始時期に重なっている事が分かりました。道理でホテルが取れないはずです・・・。私は、2人とも現代芸術に興味がないので行き先を変えようと思ったのに(混んでいるのは嫌だし)その気になってしまっていた主人は「ヴェネチアに行きたい!」と言って譲らない。夫の事だから、私が一晩説得すれば説き伏せられるのは分かっているのだけど面倒だし、やっぱり私もヴェネチアへ行きたい気がしたので頑張ってなんとかホテルを見つけ(うち3泊はヴェネチア近くの町「パドヴァ」にしました)、出発しました。やはりあまり興味がないからでしょうか・・・パドヴァの後ヴェネチアにも4泊したのに、ビエンナーレを訪れないまま旅行最終日になってしまいました。ホテルをチェックアウトしてから、2つあるらしいビエンナーレの会場のうち「ジャルディーニ」という方に走ったのだけど、朝の荷造りに手こずってしまったし、これから空港まで船で移動するのにも時間を確保しなくてならないしで、ここに居られるのはたったの1時間半!時計とにらめっこしながら「少なくともこの会場にある日本館とフランス館だけは見よう!」と意気込んでズンズン歩く私。これからフランスに住み続けていく以上、そして主人がヴェネチア好きである以上、この地をまた訪れるのは絶対に間違いないのだけど、現代アートに興味を持っていない私達はこれからはビエンナーレのない時期を狙うだろうから、今回は私にとって人生最初で最後のビエンナーレなのです。フランス語の「ジャルダン《jardin》」に似ている「ジャルディーニ」という言葉はきっと、「庭」とか「公園」という意味なのでしょう。思っていたよりも空いている会場は木々に溢れ、木陰は涼しくてとても気持ちがいい。いくつかのパビリオンを見てから、ようやくフランス館をみつけました!赤い建物には控えめに、でもデカデカとタイトルの「PRENEZ SOIN DE VOUS」という文字が刻まれています。これは訳すのが難しいのだけど「あなた自身を大事にしてください」とか「あなた自身に手当てを施してください」という意味でしょうか?フランス代表のSophie Calle(ソフィー・カル)の作品は、ある日『私』が恋人から受け取った別れのメールを、様々な職業の女性107人にプロフェッショナルな視点から解釈してもらうというもので、現代芸術に暗い私にもとても分かりやすかったです。広~い館内の数々の展示品の中には(教師によるものなのか)例のメールの文章を添削しているものもあれば、(医者によるものなのか)診断結果専用のフォームに、『私』という人物の心象を察した文章を綴ったものもありました。年齢様々な女性が例のメールを音読している画像も、こんな風に一斉に公開されています。(ちなみに読み方の速度や、メールに対する反応は思いっきりバラバラです。)その他にはもちろん、メールへの感想(?)を絵で表現している人も居れば、音楽にして表現している人もいるし、暗室で上映されるビデオにて、ダンスで体現している人もいました。私はその日駆け足で、他には日本館、カナダ館、イギリス館、オーストラリア館、ウルグアイ館、ルーマニア館を訪れました。こう書くと「たったの一時間半でそんなに見たの?」と驚かれそうですが、オーストラリア館とウルグアイ館は本当に小さくてほんの数点しか作品がなかったし、もう少し大きい他の館にしても造詣のない私には真意の伝わってこないものが大半だったので、サッと見て通り過ぎるだけでもフラストレーションは溜まりませんでした。そんな中、分からないなりに楽しくて、私が足を留めて色々見入ったのはカナダ館です。(説明を読んでいる時間がなかった為)どうしてなのかは分かりませんが、鏡がたくさんある館内には鳥のオブジェが展示されていました。こんな風に本物に似ている鳥さんのオブジェもあれば、こんな風に本物からは程遠い体型の鳥さんも居ました。外からの自然光と館内の鏡がマッチしてる!(よく見るとこの写真には、ワンピースを着た私が写っています。ただしたくさんの鏡に反映されてからここに到着したみたいでカメラを持って正面を向いているはずが、横向きになっています。)ちなみに日本館は、こんな感じでした。http://www.jpf.go.jp/venezia-biennale/art/j/52/index.html誰にでも分かるコンセプトのフランス館とは対照的で、私の様な素人には理解難・・・。最後に、ルーマニア館に向かう途中に撮った、園内写真を一枚公開します。始まったばかりで激混みかと思ったのにそうでもなく、川(?)の流れている公園の心地よいビエンナーレでした。(もしかしたらもう一つの会場がメインだったのかもしれませんが、それすら分かりません・・・。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.15
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ブログを書き始めて、どうやら今日で100日目の様です。100日目にしてようやくといった感じなのですが今日は、私が今までで一番多く通ったかもしれない映画館、ルフレ・メディスィス・ロゴス(以下、略してルフレ・メディスィス)を紹介します。私がどうしてここによく来ているかというと、ゴーモンという大手会社の映画パスが使える上、プログラムが好みだから。3つある上映室ではもちろん近年の映画もかかっていますが、この間「赤い風船」を観たのもここだし、去年2月には「フランス映画黄金時代1934-1939」という特集が、そして今年の1月にはルイ・ジューべの回顧上映が行われたり、他の国ではなかなかスクリーンでお目にかかれない作品を観せてくれるルフレ・メディスィスはとってもパリらしい映画館の一つです。参考までに、この2つの特集で上映された作品の中でも有名どころをピックアップすると「望郷」(ジュリアン・デュヴィヴィエ)や、「どん底」(ジャン・ルノワール)などが挙げられます。他に、今では少し忘れられかけている「犯罪河岸」(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)も観れました。(その他、日本では未公開っぽい作品もたくさんあったのですが、それはまたいつか。)ちなみに3つある上映室のうち、一番大きな部屋の名前はズバリ「Louis Jouvet(ルイ・ジューヴェ)」!そしてその部屋へ降りる階段の上部にいつも貼られているのは、ジューヴェ主演の「KNOCK(邦題も『ノック』でいいのでしょうか?)」のポスター。オーナーか誰かがジューヴェ・ファンなのでしょうねチケット売り場のローテーションは3人ぐらいで組んでいる感じですが、そのうちの2人は写真の方々です。「KNOCK」や「赤い風船」のポスターの写真を撮ろうとしたところヒゲの男性(写真右)の視線に気付き「ポスターを撮ってもいいですか?」と声をかけたところ、「どうぞどうぞ。良かったら、他の場所も」と言ってくれ、チケット売り場も撮らせてもらう事にしました。左側の男性は写真に入る気がなくてよそへどこうとしたのに、ヒゲの男性に強引に引き止められカメラに収まっています。(ごめんなさいね・・・しかもその写真アップしているし・・・《一応断ってはおいた事だし、画像小さいから許してね》。それにしても、写る気マンマンだったヒゲの男性のポーズはナゾです。うちの主人みたいね・・・。)ルフレ・メディスィスはその魅力的なプログラミングを別にしても、カルチェ・ラタンにある独立系映画館なのに清潔で落ち着けるので(近年に改装したのでしょうね)気に入っています。来年の頭にも面白い特集組んでくれるかな♪Reflet Medicis Logos3, rue ChampollionMetro : Cluny-La Sorbonne, Saint Michel, Odeonランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.14
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つい先月もあったばかりなのだけど・・・フランスの公共交通機関は今夜20時からまたストに突入しました。 表向きは「一日で終わる可能性あり。でも延長の可能性もあり」という事になっている様だけど、実際には絶対に絶対に何日も続くと思う。RATP(メトロなど)の情報はこのサイトでhttp://www.ratp.fr/SNCFの情報はこのサイトでhttp://www.sncf.com/こまめに確認できると(まるで言い訳の様にしょっちゅう)報道されているけれど、どうせ本数が極めて少ないのが見えています。今週のおでかけはもう諦めました・・・・。 メトロやバスが使えないのは今までにも数回経験しているし、今は緊急の用事もないから何とかガマンできるものの、私がコワイと思っているのはEDF(電力会社)のストです。先週チラッと知人の口から耳にしていたこの噂は、この間の日曜の夜のニュースでほんの少しだけ予告されていました。「一部指定地域(?)」の電力が止まるらしいです・・・・。 ディノは今までの長い人生で「電気が供給されなかった瞬間」の記憶がないと言うので、私はきっと「一部地域」というのはどこかの僻地の事を指すのかもしれないな、なんて自分の都合のいい様に考えていました。でも昨日ある知人から聞いた話だと、リヨンでは本当に電力供給が停止される事があるらしいのです・・・。だからエレベーターに閉じ込められたりするんですって!ギャー!恐ろしい!! 今日はできるだけニュースを見たけれどどこも公共交通機関のストの話がメインで、EDFの事は全然話題になっていない様子でした。ネット検索をしても「EDFのスト」が具体的に何を示しているのかをはっきり説明してくれるサイトは見つからないし、不安です。 ディノは「『一部のみ停止』の『一部』って、サルコジの家の事じゃないの?」なんてのん気でオトボケな事を言っていました本当にそうだったらいいのにな~。はぁ。 なんだかんだ普通の住宅地の電気が止まる事はない気がするけれど、明日は一応、携帯を手放さずに居るつもりです。電気が来なくなったらうちのマンション入り口のドア(正しいコードを押さないと中に入れないタイプ)も開かないかもしれないし。 この話を数人にしたところ「 でもみにかーにはディノが居るから大丈夫でしょ。心強いよね」というコメントをもらったのだけど・・・・実はディノ、今日の夕方からノルマンディーの実家に帰ってしまいました。怖いよ~。やっぱり明日は外出したくないと思い、買い物などに走った今日の私でした。今からゆっくり寝るぞ~。 ちなみに日曜の時点では、来週の20日の火曜に郵便局とフランス・テレコムのストが決行されるという事でした。用事のある方はお早めに済ませておいた方がいいのかもしれませんね。 ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.13
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この間の土曜のこと。買い物から帰ってきたディノが当然の様に「今年もサン・ニコラ買ってきたよ」と言いました。「今年も」と言われても、私には何の話だか思い出せません。見せてもらうとそれは、写真のおやつパンみたいなものでした。ディノの適当な知識だと、サン・ニコラはクリスマスに関係があるそうです。(たった今フランス版wikipediaで調べたらサンタクロースの元だと書いてありました。)形は日本で言う「ジンジャーマン」にそっくりだけど、素材はプリオッシュに近いです。私はブリオッシュがあまり好きではないのだけど、可愛いのと小さいのとで、美味しく食べられました。お菓子やパンにあまり興味のない私に反して、こういうのには目がない夫。来年も買ってきてね♪
2007.11.12
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今日は夫と、この間見逃したアルベール・ラモリスの「赤い風船」(1956年)と同時上映の「白い馬」(同監督、1953年)を観にルフレ・メディシスへ再度行ってきました。上映開始5分前の到着になってしまったので心配したものの、今回は無事入れてホッ。8~9割埋まった客席をざっと見渡すと、半分以上が小学生ぐらいの子供(&おそらく幼稚園児も少々?ギリギリに入室したので不明)で、残りのほとんど全てはその保護者、そしてごく一部のみが(私達の様に)子供連れでない大人といった感じになっています。(ちなみに座高の足りない小さな子供には、映画館がお尻の下に置く台の様なものも貸してくれたみたいです。)「きっと子供のおしゃべりがたくさん聞こえるだろうね」と言いながら笑顔半分・苦笑い半分の夫に私が頷いている間に「白い馬」の上映がスタートしました。 *40分のこの作品はほとんどセリフが無く、登場するものと言えば主人公の少年と馬と数人の悪い大人、それから少年の家族(?)ぐらい。私はある程度セリフがないとすぐに退屈してしまう人間なのだけど、久しぶりに見た動く馬の映像に惚れ惚れしてしまいました。主人公の少年は、日本で言うと小6ぐらいなのでしょうか?田舎に住んでいる素朴な子供という設定の彼がいかにもフランスの美少年という感じでかわいく、また、しっかり演技していてくれたのも、私が映画世界に入り込めた理由の一つです。さて、私達が覚悟していた若き観客達ですが・・・映画が始まってもみんないい子にしていました。きっと子供達も映画に引き込まれていたのでしょう、雑談もひとり言も少なかったのです。それに私自身が作品にのめり込んでいた事もあって、ちょっとぐらい声が聞こえてきてもすぐに頭のスイッチが映画に切り替わってくれました。あ、でも私はさすがに後半になってくると馬を見ているのに少し飽きが出てきたので、好奇心半分でワザと周囲の声に耳を傾けてしまった事もあったけど・・・それはそれで愉快で悪くなかったです。(逆にずーっとシーンとした中で馬を見続けていたら、この映画には退屈してしまったかもしれません。) *満足できた「白い馬」の後は、いよいよ楽しみにしていた「赤い風船」の上映です。主人は幼い頃にこの作品を観た記憶があるらしく前々からこの瞬間をワクワクして待ち構えていたし、私は私で何度も名前を聞いた事のあるこの映画にはとても期待するものがありました。「やっと観られるの嬉しいな♪」という気持ちと「そろそろ子供達がダレて来て騒ぎ出すのでは?」という心配が私の頭を交差する中、オープニングが始まりました。こちらもストーリーは至ってシンプルで、主要キャラクターは主人公の少年(監督の息子らしい。6・7歳ぐらい?)と赤い風船ぐらい。冒頭で主人公が風船と出会った後、ここからすぐにハメを外したファンタジックな物語になるのかと思ったのだけど、そうではなくその足できちんと小学校に行くあたりがおとぎ話の割に現実的で個人的にとても気に入りました。さて、子供達はこの映画にも没頭している様子で思ったよりもずい分と静かにしています。ひとり言を連発する幼い子も出てきたけど、最初から覚悟していたのと「子供」が主人公の映画を観ている事もあってか、あまり気になりません。逆に、ちょっとハラハラするシーンになると子供だけでなく大人も「Ha!」と息を飲んだり、声を出したり。私もその一人なのだけど、なんだか一体感があって楽しかったです。 *舞台になっているのは今からちょうど50年ぐらい前のメニルモンタン(パリの下町)でした。一度しかメニルモンタンに行った事のない私には断言できないけれど、この映画に出てくる町並みの面影は今でもそこに残っている気がします。住み出して早5年、いつの間にか慣れてしまったパリをもっと知りたいと思わせてくれる映画でした。そして、今とはそんなに変わらない町並みとは逆に人々の服装や車には思いっきり隔世の感があり、「古きパリ」を見るのも楽しかったです。(また、私としては「Vitrier ! Vitrier !《ヴィットリエ=ガラス屋でござい!》」と叫びながら歩いている行商人の存在が嬉しかったり。日本の大学に通っていた時、フランス語の授業で見せられた極古の教材ビデオに「ガラス屋」が登場し「ヴィトリエ」という言葉も覚えさせられたものの、それ以来一度も耳にした事も目にした事もなかったので。) *上映終了後には自然に拍手が起こり、みな満足した様子で帰っていきました。主人に「どう?映画は覚えていた通りだった?」と聞いたら「観た事なかったのに、気づいたよ」との返事。ガクッ(死語?)。今までに何度か映画のスチール写真を見て、子供心に「映画を観た」と思い込んでしまったもののいざ映画が始まったらそうでなかった事を悟ったとか・・・。でも主人もやっぱり、両作品にとても満足していましたよ。この2作品は子供が観ても大人が観ても楽しめるし、セリフが極めて少なくストーリーも単純なのでフランス語が分からなくてなかなか映画を観る機会がないという方にもぜひ観てもらいたいなと、今回思いました。「白い馬」に出てくる大人達が悪い人達だという事や、「赤い風船」の途中で少年が門をくぐるのが小学校である事を事前に教えておいてあげれば、たとえ仏語が分からない子供でもあらすじを理解できる事でしょう。上映中にひそひそ話をしている親子も居たので、ちょっとぐらいなら途中で説明してあげてもきっと大丈夫だと思うし。それにせっかくパリにいらしたなら、この国の古い映画を独立系映画館で観てみるのもいい思い出になるのではないでしょうか。今週の盛況ぶりから見る限りではこの映画の上映はこれからもしばらく続きそうなので機会があったらぜひどうぞ♪(ちなみに原題は「赤い風船」が「Ballon rouge」、同時上映の「白い馬」が「Crin blanc」です。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.11.11
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8月28日の日記で「パリで知った韓国人シンガー、ナ・ユンソンが今どこで活動しているのか分からない!!」と書いたのですが、あれからしばらくして友人ダニエルから彼女の情報が入ってきたので、今日はまたナ・ユンソンについて書きます。(*注ちなみに彼女はフランスではYoun Sun Nah《ユン・スン・ナ》という名前で知られているのですが、今日になって私は初めて、彼女が日本では「ナ・ユンソン」という名前になっている事に気付きました。だから前回ネット検索した時は、日本語ではほとんど何も見つからなかったのですね・・。これからは私も日本語で書く時は「ナ・ユンソン」と表記したいと思うし、後で前回の日記の表記も直してきます。)ダニエルの話だと、ナ・ユンソンは今韓国を中心に活躍しているそうです。元気なのも活躍しているのも嬉しいけど、もうパリに住んでいないなんてちょっとショック!!Yahoo Japanで(「ユン・スン・ナ」ではなくて)「ナ・ユンソン」で検索をかけたら、色々な情報が入ってきました。彼女が今年ニューヨークのジャズ・アット・リンカーンセンター(どうやら相当スゴイところらしいですね)で行ったコンサートに関する記事も。http://www.chosunonline.com/article/20070629000016大盛況、かつ大好評だったんだ。さっすがー(主人も彼女の大ファンなので、ハートを2つ付けておきます。)ダニエルから、ナ・ユンソンの大ファンの男性がコンサートなどの画像をたくさんYouTubeにアップしていると教えてもらいました。http://fr.youtube.com/user/younsunnahうわっ!70以上のビデオがあるのね、ありがとう見知らぬ人。(・・・だけど、勝手にYoun Sun Nahと名乗るのは紛らわしいからどうかと思うけど・・。シンガー本人が画像を管理しているものだと勘違いして「去年あなたのコンサートに行きました」なんて書き込みをしている人もいるじゃないの(笑)。アップされているのは彼女が個人活動している時のものの方が多くて「Youn Sun Nah 5tet《ユン・スン・ナ・クインテット》」のものが少ないのはちょっと残念だけど、このグループに興味を持った方にぜひ見てもらいたいクリップのアドレスを書いておきますね。これだと、数曲分をちょっとずつ聴けますよ♪導入編としておススメです。http://fr.youtube.com/watch?v=Ujwl20ewyfcついでにこちらも紹介。http://fr.youtube.com/watch?v=ZLJnXg0cQZc上のクリップでもちょっと聴ける「Pancake」という曲のコンサート風景です。これは歌詞が食べ物の名前の羅列のみで美味しそうで、ノリも良く、2003年に私が行った幾つかのコンサートでは必ず披露された作品ユン・スン・ナ・・・・じゃない、ナ・ユンソン、またいつかパリに来てね。私達は日々あなたの音楽を聴きながら、そして居間に飾ってあるあなたとのスリーショットの写真を見ながら、その日を楽しみにしているね。私達のお気に入りのこの2枚もやっぱり日本で売られていたのですね。
2007.11.11
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この間の水曜日、アルベール・ラモリスの「赤い風船」と「白い馬」の二本立て上映を観に、お気に入りの映画館Reflet Medicis(ルフレ・メディシス)へ行ってきました。・・・そう・・・「行って」だけ来たのです、映画は観れずに・・・。上映開始10分前に着くと、ルフレ・メディシスの中にはいつになく子供が溢れかえっていました。みんな「赤い風船」を観に来たのに違いありません。チケット売り場がとても混んでいるのを見て、先にトイレに行く事にしました。・・・でもこれが悪かった。同じく混んでいたトイレで散々待った後いざチケット売り場に行くと「満席です」と言われてしまいました!そんな・・・・。「赤い風船」のリバイバルはもう何週間も前から始まっていたので、とても意外でした。親やおじいちゃんおばあちゃんに連れられた子供達が殺到しているのは今週から上映時間が変わったからかもしれないし、もしかしたらこの映画の事がどこかで報じられたのかもしれません。残念だけど、これだけの観客の入りならこれからしばらく上映は続くだろうな、とも安心しながら、ルフレ・メディシスを出ました。その日は結局遅れてやってきたディノの提案で、ルフレ・メディシスの隣にある映画館La Filmotheque Quartier Latin(ラ・フィルモテック・カルティエ・ラタン)で、ブレイク・エドワーズの「ティファニーで朝食を」(1961)を観る事にしました。ディノは観た事がないと言うし、私も15年位前にビデオで一回観て以来あまり覚えていなかったからです。それにこの日はなぜかとても眠かったので(=自分の理解力に自身がない)ある程度知っている映画を観た方がいい様な気もしていました。少しヒマを潰してからカルティエ・ラタンに入ると、この映画はもう何ヶ月も前から(確か夏から?)リバイバルされているにも関わらず20人弱の観客が居ました。2002年の夏、モンパルナスのMK2という映画館で高畑勲の「セロ弾きのゴーシュ」(1982)を知らない人とたった2人で観て以来、リバイバルが始まってから長い映画を観に行く時は「きっと観客少ないんだろうなぁ」と覚悟してしまう癖のついている私には、拍子抜けの人数でした。この映画(私が今更言うまでもない事だけど)オードリーの可愛らしさもさる事ながら、ニューヨークに集まる人々をコミカルに、でも様々に描いていてとても良かったです。ディノはカポーティーの書いた原作(の、もちろん仏訳版)を持っているそうなので、読もうねという話になりました。(私はその前に、ずっと読みかけの本があるのでそちらを終わらせなければならないけど・・。)最後に、帰宅前にスターバックスに寄りました。ジンジャーケーキとクリスマスブレンドコーヒーのセットがあったので、企画物に乗せられやすいディノの希望で今日はこれに決定。ナプキンや幾つかくっついてきたシールがクリスマス仕様になっていて、クリスマス好きの私は嬉しくなりました。(ちなみに今回初めてポットで頼んでみました。)最後におまけ画像です。(というか、私にはこれがメイン画像?)私が「赤い風船」を見逃した、トイレ以外のもうひとつの理由はこれです(?)。この日記の一番最初の写真はキオスクなのですが、これと同じ、ユーロスターの宣伝が貼られています。これを見た私はちょっと忘れかけていたテレタビーズ魂が蘇って、思わずパチリ。後でディノにこのポスターを見せたら「ポーの色は、バッキンガム宮殿の前に居る見張りの人達の服と同じだから選ばれたんだよ」と言っていたけれど、実際のところどうなのでしょうね?(傘で玄関口を守るつもりなの??)
2007.11.07
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残念だけど、このブログを立ち上げた当初に書いたあるレストランの紹介日記を昨日削除しました。結婚記念日の翌日に友人と食べに行ったら、お味が「???」だったからです。削除した日記にも書いていた通り、以前にも一回だけ「あれ?こんなはずでは?」という感想を抱えながらそのレストランから帰ってきた事があったのですが、またもや同じ事態がもっと深刻に起こってしまったので、もうそこには行かないと思います。今まで何回も行った思い出のたくさんあるレストランだったので本当に残念だけど・・・。 サン・トリニテ近くにある、もう一つの超お気に入りレストランも最後に行った時にイマイチだったので、やはり星付きでもない限りどこのレストランでもお料理によって当たり外れがあったり、一時期はすっごく美味しくても(きっとシェフが変わったとかの裏事情で)急に味が落ちてしまう事は避けられないのかなぁ、なんて考えさせられてしまうこの頃です。悲しい・・・。 という訳で、結婚式翌日はお料理(&ウェイトレスさん)にどうも不満が残る夕食となってしまったのだけど、久しぶりにあった東部在住のK子さんと会うのはとても久しぶりだったので話に花が咲きまくり、あっという間に時間が経ってしまいました。実はK子さんは結婚式の時に私の「証人(*)」になってもらった人なのだけど、この晩私の夫は夫で、ノルマンディーから遊びに来たもう一人の「証人」のジャックと夕食をとっていました。(*フランスでは区役所に結婚の届け出をする時に儀式の様なものが行われるのですが、その際には花嫁と花婿それぞれに「証人」を立てる必要があるのです。この式はいわゆる「結婚式」なので、みんな仲のいい友達に証人をお願いしています。)夫婦揃って、初めての結婚記念日の翌日に各々の「証人」と会うなんて、面白い偶然だったなぁ。K子さん(ちょっと先になりそうだけど)また会いましょうね~♪ さて、お気に入りのレストラン2軒に幻滅してしまった私は結構な痛手を負っています。今まで「フレンチ」と言えばこの2軒に頼る事が多かったのですから。ま、これから頑張って新規開拓するとしますか!(写真は、雨上がりに撮ったものです。いわゆる「濡れ落ち葉」だけど、なかなか幻想的で綺麗でしょ?)
2007.11.04
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昨日書いた日記の続きです。若松孝二の「胎児が密漁する時」を観た後、近くのMiramarという安くて美味しい中華料理屋さんで昼食をとり、それから散歩しようとセーヌ沿いに向かいました。お腹もいっぱい、秋風は冷たいけど日はそれなりに差しているし木々は美しいしで、とても心地よい散歩・・・だったのに、セーヌに着いた瞬間私達の間は険悪に・・・。そう、セーヌ沿いには「ブキニスト」と呼ばれる古本屋さんが、出店の様なものをたくさん出しているのです。古本なだけに(基本的に)新品よりは安く、かと思えば貴重なものもあったりで、ディノはブキニストで何時間でも過ごしたいみたいです。でも私はそこまで本好きではないし、せっかく散歩をしに来たのにつまんな~い!・・・という訳でここに来るといつも、お互いにイライラしてしまう私達。(本をたくさん読む人は知的でイイと思っていたけれど、主人に出会ってから考えが変わってしまいました・・・。) 昨日は寒い日だったので、歩かずにじっとしていると私にはこたえます。なのでこの日もディノを説得してみたら、珍しいくらいに成功しました。彼の提案を採用してサン・ルイ島へ向かって歩くことに決め、川辺(下の写真参照)の雰囲気が良さそうなので、降りてみます。眺めは最高!! 途中でサン・ルイ島のカフェに入って一休みしました。特にこれといったものはないけれど、少し傷んでいるけれど磨き上げられた金色のカウンターと、ごくフツーの私服を着たおじさんマスター2人の立てるカチャカチャいう音の心地よい、私好みのカフェ。 入る前から「もしや」と思っていたけれど、トイレにまで行った後、確信しました。ここは、この日からおそらくちょうど一年前に、母と2人で入ったカフェなのです!!去年とは別方向から適当に歩いて適当なカフェに入っただけなのに、こんな事があるなんて。私達の結婚式の為に去年フランスに来てくれた母は、このカフェに来た翌日に日本に帰ってしまったので、色々な思いが込み上げてきます。 また一緒に来れる日を願って、このお店がRue des deux pontsという通りのはじにある事をメモしておきました。 カフェを出てからは外も暗くなり、私はなぜか疲れを感じてきていたので、サン・ルイ島のメインストリート(だと思う)、その名もずばりRue Saint-Louis-en-l'Ile《リュ・サン・ルイ・アン・リル》という道をさっと通るだけにしました。母が去年のこの日、日本へのおみやげを買っていたチョコレート屋さんや、雑貨屋さんも発見!このチョコレート屋さんのページはこちらです。(英語表示への切り替え可。) http://www.cacaoetchocolat.com/commerce/fr/CCFR/FR/accueil.php行儀悪くもエクレアを買い食いしてしまったら、とっても美味しかった!!このお店は雑貨屋さんというよりは、アクセサリー屋さんなのかな?(よく分かっていません・・・。) こんな散歩をした、のどかな日曜の午後&夕方でした。
2007.11.04
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今日はカルチェ・ラタンにあるエスパス・サン・ミシェルという映画館に、若松孝二の「胎児が密漁する時」(1966)を観に行ってきました。「お気に入り映画館」というカテゴリーに入れるほど気に入っているかどうかと言う以前に、(私達がよく行くカルチェ・ラタンに位置しているにも関わらず)私がまだ二回しか行った事のないこの映画館を、今日は紹介したいと思います。なぜならここは、この地域の他の映画館が失いつつある古さをバリバリに保っているから・・・。この映画館に入るにはまず写真真ん中のところに少し入り、受付でチケットを買います。それからその真横右側にあるドアを開けて、長い長い階段を降ります。感覚的には、地下2階か3階まで降りる感じです。しかも最後にはちょっとした通路があるのですが、とにかく建物全体が古いので私はつい「もしも地震があったら、きっと生き埋めになってしまうんだろうな」とドキドキしてしまいます。パリには地震がないらしいので問題ないのですが・・・。ちなみに、私とこの映画館の出会いはキョーレツでした。2002年の秋、なんと予備知識なしで三池崇史の「ビジターQ」(2000)を観てしまったのだから・・・。その後丸5年もこの映画館に来なかったのは、このビックリ体験の影響もあったのかも?ちなみに今日観た「胎児が密漁する時」も、私には激しすぎる映画でした。男が女を監禁するところから始まるストーリーで・・・うちの夫は私の反応を見て「映画と現実を別々に考えられない女性が多いのは残念」と言うのだけど、とにかく見ているだけで苦しい場面が多くって・・・。(未熟ですいません・・・。)でも裏を返せばこの作品、それだけ演技も演出も冴えているという事なのです。私はもう二度とこの作品を観れないと思ったけど、夫は「また観に来よっと。今度はメモを取りながら観るよ。一つ一つのセリフももっと理解したいし」なんて言っていました。彼がこの映画を観るのは今日で既に二度目だったのにね!ちなみに映画が終わってからトイレに行こうと思ったら、2個ある個室のうち、なんと2つともが「故障中」!でもチケット売りのアジア系のお姉さんが感じ良かったし許しちゃうわ。マニアックな作品のチョイスといい、内装の古さといい、カルチェ・ラタンの名画座らしさいっぱいのエスパス・サン・ミシェル、一度はご覧あれ♪おまけ画像。映画の後Rue Saint Jacques(リュ・サン・ジャック)を歩いていたら見つけたアクセサリー屋さん。今日はウィンドーしか見なかったけど、アンティークっぽいものもあって面白かったです。
2007.11.04
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夫がシネマテークと日本文化会館に通いすぎるのにイライラして以来(あれ、なんかダジャレみたい)なぜか映画を観る気になれなかった私。でも今日は、今週水曜からようやく公開された「殯の森」を観に、シャンゼリゼのル・バルザックに出かけてきました。私達が選んだのは20時の回。映画上映の前に、コンセルバトワールの学生さん達のミニコンサートがあると知ったからです。予定より遅れて始まったコンサートはバイオリニストとピアニスト2人が、フォーレのソナタとパブロ・デ・サラサーテの「カルメン幻想曲」を20分ばかり聞かせてくれるというもの。音楽の「違いの分からない女」の私だけど、生でバイオリンを聞くのが久しぶりという事もあってか、ヤン・ミサさんの演奏にうっとりしました。配られた紹介文によると彼女はやっぱり、弱冠20歳にして華やかな経歴の持ち主。パリに留学中との事だったけど、これからも更に活躍するのでしょうね。いいもの聴かせてもらっちゃったわ♪予想通り河瀬直美の世界は私には合っていなかったのだけど、うだしげきという新人俳優(?)の演技が良かったし(最初は、本当に認知症の人をエキストラで出演させているのかと思った!)、コンサートに満足できたので、今夜は出かけて正解でした。ミニコンサート付きの上映会は毎週土曜の夜に行われているそうなので、上映作品が変わったらまた行きたいと思います。(コンサート付きの回の料金も通常通りで据え置きなんて、素晴らしい映画館ですよね♪)ちなみにプログラムはこちら。http://www.cinemabalzac.com/public/musique/concerts.php映画館ル・バルザックではこの土曜のコンサート以外にも、数々の音楽と映画を融合する試みを行っているそうなので、このサイトは要チェックです!(写真は、ル・バルザックのLa Grande Salle《ラ・グランド・サル=大きな部屋》の左半分を撮ってみたところ。写真には一部しか写っていないけど本当はもっともっと大きな部屋なんですよ。私は左はしに見える、ちょっと時代おくれのライトが好き。ル・バルザックの外観は8月13日の日記でご覧ください。)
2007.11.03
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