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一日目の夜はホテル近くのお店で<火鍋> マトンの肉のしゃぶしゃぶだね。 E先生が注文してくれた。 盛ってある野菜の皿をみて「こんだけだけ?」 どうやらちょっと高級な店なので、かっこつけた盛り付けらしい。 にんにくの酢漬けみたい(ピクルス)が付け合せででてきたけど、これは美味しかったね。 6人前、ビール付き、お腹一杯で、400元(6000円) やはり安かったね。 ホテルはツインの部屋の3室借りました。 一部屋430元(6450円)×3 私が一部屋を一人で使わせてもらいました。 (E先生もお風呂に入りにくると思われるって、他の人の配慮でね) 北京では、普通お風呂は使わなくって、シャワーだけなので、 前回の北京旅行でもE先生が入りにきたって話をしてましたから。 日本人はやっぱりお風呂につからないと、一日終らないわよね。 北京は水不足って知っているけどさ。 ホテルに帰って、明日の予定を立てる為に、私の部屋に集まった。 部屋に入るなり、E先生が「今日いくら使ったの?」 先生がレシートを見て、メモしてくれた。 「タクシー代 240元ね・・・・」 私はベッドに寝そべり、「あっ、そのメモに日付もつけといて」 ・・・こんなんで、みんなの会計できるんだろうか・・・。 24元のタクシーのレシートを見て先生は 「これは、電話させて(学生に)ラチがあかなかったら、公安に訴えるわ!」って。 みんなは「いいよ~、これも勉強代だと思うから・・・」 「そんだから、日本人はバカにされるのよ!!」 さすが、在住の人はそのくらいじゃないと、生きていかれない環境なんだろう。 「明日はどうしようか・・・」 「私は、せっかく故宮に行くのだから、じっくり見たい」 「私は、色々見たい」 ・・・うむむ5人それぞれ・・・ 「じゃ、学生2人を二つのグループに分けましょう」って、E先生。 E先生の大学の日本語科の4年生の学生さん2人がガイドをしてくれるって。 「明日は、朝食に近所のおかゆのお店に行くからね、7時半出発だから」 続く。
2009年03月11日
第一日目 午後2時50分 北京空港着。 現地にいるE先生が迎えに来てもらってた。 バスに乗って、ホテル着。 「テレビで見た工場の跡地に作られた現代前衛アートの人が集まっている798時間空間って所に行きたい」って話で、そこまでタクシー2台に分かれて行く事に・・・。 ホテルの前でタクシーを拾って、私を含めて3人で先に出発。 着いて、Bさんに「いくらだって?」って聞いたら 運転手さんと話して「240元だって」 空港で両替したばかりだったので、300元を渡し、60元のおつりをもらった。 E先生が後で着いて、「いくらだった?」 私達・・・「240元だった」 「何!!!24元よ!!!」 ・・・あららら~、日本のタクシーの値段の感覚でいました私達・・・ こっぴどく怒られました・・・。 アホな日本人。 続く。
2009年03月10日
やっと落ち着いたので・・・・。中国旅行に行ってきました。北京に日本語教師のE先生を頼って。中国語学習サークルの熟女4人と共に。てんやわんわ物語。中国旅行第一日目。 近所の駅にAさんと、06時に待ち合わせ。 成田には08:30に到着。 B・C・Dさんに連絡する。 Bさんから、<Gのカウンターの近くにいる>ってメール。 で、携帯に電話をするも、出てくれない。 Cさんにもしたけど、出てくれない。 二人でウロウロ探していたら、ANAに人に声をかけられ、搭乗の手続きを迫られる。 そんな時、Bさんから電話。「近くのイスに座ってる」って。 カウンターの近くにいるって、メールだったじゃない!!! 「ここに座っていれば、来たらわかると思って・・・」 ・・・だったら、携帯を手に持って待ってろよ 「ごめん、しまってた」 ・・・こんな時の為の携帯なんだよね~。 成田を出る前からのアクシデント。
2009年03月10日
19日朝8時27分、母が永眠いたしました。あれよあれよという間に、病状が悪化し、最後は静かに息を引き取りました。生前の遺言により、献体で大学の解剖学教室の方に引き取られました。遺志により、葬儀は執り行わず・・・。見栄晴子さんの彼女は前日に看護婦さんに「お小水がでました」と言ったそうです。「意識はあったと思いますよ」って。家族には、そんなそぶりを見せませんでした。全く、エエカッコしいです。身勝手な母でしたが、彼女なりに考えての事だったと、理解しております。と、いうわけで、来年、常滑にいけたらいいなと思ってます。・・・ちょっと、遠いんだよね~。
2008年10月21日
母の口腔癌の痛みはやはり強くなったようです。「軽い麻薬を二日前より使い始めました」って。入院中の病院の婦長さんから電話。「あの~、一応2ヶ月で、最長90日となっていますが・・・」「はい、10月末に次の病院に連絡する事になっています。」「・・おばあちゃんハッキリした方で、お隣りのベッドの方のご家族の方となんか言い合いになったそうで、ご家族の方が泣いちゃって、ベッドを替えて下さいって・・・。いえ、その隣りの方も同じような事をおっしゃっているんですけど・・それに、昨夜当直のナースといざこざがあったようで・・・・いえね、看護婦の問題はいいんですけどね、ちょっと、おばあちゃんに、他の患者さんや、そのご家族と、話をしないように伝えてくださいますか?」暗に早く転院して欲しいという言い方だった。ばあちゃんに、他の患者さんや、そのご家族と、話をしないように伝えたら、絶対に、へそを曲げるのは間違いないし・・・かといって、帰宅させて介護もできないし・・・。で、本当は10月いっぱいはこの病院でお世話になる予定だったのだが、次に予約している緩和ケアの施設のある病院に電話してみた。・・・当然今回のトラブルは言わないで「10月になったので、一応電話を掛けてみたのですが・・・」「はい、空ベッドがあるか確認して、折り返しお電話いたします」10分後の電話。「では、6日午後2時に来院してください 持ち物は・・・・」ほっと、一安心です。で、ばあちゃんに報告。「昨日、また、看護婦さんと言い合いをしちゃった。 あんた聞いた?」・・・聞いたから、転院なんだろうが~・・・・。「ほっか、それならそれでいいわ・・・」貴女の言いたいことを腹に溜められないその性格がそもそもの原因なのです・・・。協調性を持てよな~。ふと、亡き父の弟であるおじさんが言っていたのを思い出した「皇后陛下だもの、おばあちゃんは・・・」歳を取れば、人間性が高くなる・・・のは、ウソ。(泣)
2008年10月05日
ばあちゃん、依然、元気です。 食事が流動食なので、基本的な栄養が得られてなさそうです。 「まぁ、仕方ないね」って。 「昼間は、トイレ(病院の)に行くようにしとるんだかね」 ・・・なんだか前にも聞いたセリフだ。 私「テレビくらい、見たら?」 一日使用料500円くらい使ったっていいじゃないねぇ。 「もう、見たいものないでええ。本と新聞があればええ」 「モモヨちゃんが、外国に行く時にお小遣いをあげたいし・・・」 人生を諦めたわけではなく、人生の終わりを感じているんじゃなかろか。 充分好き勝手をしてきた人(これも前に書いたけど)なので、 子供の私としても、そんなに悲しくはない。 着替えベストと冬用の靴下を持っていった。 ばあちゃん「ほんなら、靴下履き替えるわ・・・」 靴下を履かしてあげているのを向えの患者さんが見てた。 「あら、私と同じ事してもらっているのね 甘えているのよね」って。 「はい、順番ですから~」って私。 本人は来年のお正月が過ぎたら、亡くなる予定なんだそうだ。 その間は、私も頑張りますわ。 「よー見ときゃ~よ、私の生き様を」って鋭い目つきでばあちゃんが言った。
2008年09月19日
次の病院に代理受診してきました。 ハッキリ、クッキリお話しになる 年のころ30歳位の男性のお医者さんでした。 「認知症にはなっていませんか?」 ・・そうか、大声で怒鳴られたりしたら、周りの患者さんに迷惑だものね。 「患者さんは、病状を理解していますか?」 ・・告知していない患者さんにごまかしたり、ウソをつくことはしてられないものね。 ホスピス病棟(緩和ケア)ってのは、最後の最後に入るらしい。 元気なうちは普通の病棟にいるらしい。 「前のお医者さんの見立てがあっていれば、その後に入っていただきます。」 ・・・確かに。 「もし、3ヶ月で元気であるようならば、差額のある個室に入っていただきます。」 ・・・うむむむ、ということは、3ヵ月後に別の病院にいる・・なんてこともあるわけだ。 最後にホスピス病棟を見学してきました。 家族が泊まれる部屋があったり、小さなキッチンとか、応接間なんてのがあったりして、病室にはみえない施設でした。 看護婦長もやさしそうな人で、兄と二人で大満足して帰ってきました。 難点は、自宅から遠い所な事。 でもさ、3ヵ月後に入れる病院が出来て一安心です。 その足で、ばあちゃんの病院に。 会計で10日間で38000円 支払い。 テレビ代が525円×10日=5250 が含まれてます。 今までは、テレビは必要ない!って、言っていたのですがね。 「だって、オリンピックが見たいがね~」って。 で、もうテレビは無くなってました。 テレビくらい使ってもいいと思うのですがね、 本人が「見るものないで、もったいないがね」って。(笑) その当の癌はまったく大きくなってないんですよ。 アガリスクのおかげか? 確かに、身体は衰弱の傾向はあるものの、元気なんですよ。 ただ、口腔内の神経がどうなっているのか、 「口の中に残った食べ物とか、薬のつぶがどこにいったか分からないんだがね」 ・・・やっぱり、自宅に戻るのは無理かな・・・。
2008年08月27日
放送大学のフェスタの模擬店のお手伝い。 まぁ、なんちゃって学生なんだけどさ。 今どきの大学生みたいな若い人3名。 「あの~、看護婦さんですか?」 (大学の単位が正看護婦の受験に認められるそうな) 「いえ、違います」 「じゃ、他の大学の学生?」 (単位が認められるらしい) 「いえ、ここの学生です」 (学食もなく、サークルも相応の年代の人多し) 「じゃ、どこで知り合った仲間?」 「面接授業で知り合いました」 ????面接授業っていっても、フツーの大学みたいに年中あるわけでない。 確かに、放送大学というだけあって、入学費なんてお小遣いで払える金額だけどさ、一応単位を取るためには、お金はかかる。 放送大学は大学だけど、就職には効果あるんだろうか? 不思議な人たちだった。 私の知らない世界は山ほどある。 3月まで中国語の先生をしていただいたリーリン先生がみえてた。 明るくって、発音がハッキリしている明るい女性。 「新しい先生は、『この教科書では、話せるようにはなりません。 まずは、単語を覚えるように。発音された音を聞き取れるように!』 って、凄く厳しい先生なんです」 「あら、ここの生徒さんは、引退された方が多いでしょ。 これから世の中に出て行く人じゃないから、楽しく勉強すればいいと思うのよ」 ・・・なるほど、教える人も考え方色々。
2008年08月25日
ばあちゃん、余命宣告されてからますます元気です。昨日の話題は、<老人医療>「ここはな(病院)、寝巻きも寝具もオムツも、なんでもお金取るんだわ」・・・そうだろうねぇ、治療をしない病人を受け入れてくれているんだもの、どこかでお金を取らないと、病院経営がやっていけないものね。先日、お医者さんのドラマの再放送で、経営改革の女性が「老人ホームじゃないのよ、治療しない人は退院させて!」ってセリフがあった。まるほど。今の病院の会計は10日20日30日の月3回締め。細かく請求しないと、払えない人が出てくるからか?親が国民年金だけだったらどうする?親の入院費を稼ぐ為に子供が稼ぐ・・・か?「隣の人は昨日退院していったわ、3ヶ月経ったんだと」・・・いえいえ、貴女も同じ立場です。「暴れるんで、両手縛られてるんだわ、そんなの家に帰されても家族は困るわな」そうです、意志が通じない人が家にいたら、大変です。病院の観察した事を、まめに報告して下さいます。余命の事は「そりゃ、人間死なないかんわ。」って。癌を宣告しないご家族の話をよく聞きますが、ばあちゃんの場合、それはそれでよかったみたいです。いつまでもウジウジしていないのは、家族として感謝です。それは彼女の長所でしょうね。26日に次の受け入れ先の病院に私と兄で、代理受診してきます。
2008年08月23日
今入院している病院は3ヶ月の期限付き。で、その後の病院は自分で探すしかない。<緩和ケア>の病院の一覧表を市大の相談員に戴きました。で、電話しました。A病院「今は、初診の予約のキャンセル待ちですが、いいですか?」・・・アハッ、それはないですよね。入院するのは先のまた先になりますがね。B病院「初診の為のアンケートに書き込み、初診の上、入院判定いたします」・・・そういうものなのだ。一応、郵送を希望。C病院「患者さんは、癌を理解されていますか? では、データとレントゲン写真を持って26日に来てください」病院を選んでなんかいられません、入れてもらえれば上等です。ご本人、とても元気です。痛みだけを取っていただいてますが、痛みさえなければ元気です。余命についても、「もうええがね、人間いつかは死ぬんだから、治療したとしても、病院に毎日通わないといかんのだよ。もう、充分生かさせてもらったから・・・」って。「昨日な、夢みたの。私が死ぬ夢だったがね。 だから、ひょっとして、長生きするかもしれんで~」・・・なんでそう考えるかな~・・・。泣き暮らしていると思えば、家族は楽です。本人も家族も覚悟は出来てよかったです。
2008年08月11日
おばあちゃんの転院で、自宅待機が2週間が一日となり、先日の報告の通り、転院できました。で、三日目のお話。「ちょっと、聞いてよ」 やたら元気だ。 「昨日の夜、消灯の前にA看護婦さんが、オシメを替えてくれたんだわ。 その看護婦さんは『動いちゃだめよ。すぐにくるからね』って言ったんだわ。 直ぐに来るっていうから、私目パッチリになって、寝れなかったんだわ。 でも、待てど暮らせど、その看護婦さんが来んがね。 午前1時半に別の看護婦さんに、その事を言うと、『聞いてきます』って、言って、また放っておかれたんだがね。 3時半にまたまた別の看護婦さんが来たんで、『貴女の事ではないけれど、こういう目にあったので、朝担当の人に話す時に、証人になって下さい」 朝、当のA看護婦が血相を変えて、『そんな事言ってません!』といって、乱暴な手つきで、オシメを替えたんだそうだ。 ばあちゃん、「そんな不機嫌な態度でするなら、自分でする!」と言ったら、ぷいって、部屋を出て行ったんだって。 その後、婦長さんと彼女が顔をそろえた時に言い合いになったら、 ばあちゃんはこう言ったそうだ。 「最初ここに入った時、看護婦さんは優しくて、ええ病院に入ったと思ったのに、思い違いだった。入院二日目の夜にそんなにきつく言われて、我慢した患者の気持ちになってみて! 前の病院で先生は『患者さんあっての病院ですから・・・』って言われて、なるほどと思った。 入院した時には『なにかあったら、ナースコールで呼んで下さい』って、言ってたのに。 看護婦は看護するのがお仕事でしょう、そんなに言われるなら、退院しますわ!」って、啖呵をきったんだって。 そうしたら、二人は「申し訳ありませんでした」って、頭を下げたんだそうだ。 ・・・そう楽しそうに報告してくれた。 「ばあちゃん、いい刺激のある病院で、楽しいでしょ?」って、言ったら笑ってた。翌日病院に行ったら・・・・。 「今日の看護婦さんはどういう反応だった?」 「ほれがねぇ、病室を通りがかるたびに『どうですか?』って、声をかけてくれるんだがね~」 昨日は婦長さんに「婦長さんも、統率が取れてないのと違います?!」なんて、言っちゃったんだそうだ。 強さには、強さで対抗せねばならないという事か・・・。 「あっちも、上に(お医者さんとか)に言われたらクビだろうが・・・」 ・・・それはないと思うけどね。 とにかく、お元気なばあちゃんなのであった。
2008年08月10日
「11時に病院に来てください」ってんで、行きました。 約束の時間20分前にね。 受付をすませ「待合室でお待ち下さい」 ・・・・その後待たされた、待たされました・・・。 待つのは、辛いのう~。 入院するだけなのに・・・。 今までの病院は一応公立なわけね。 1ヶ月弱で8万弱でした。 今回は比較的小さな私立の病院。 「二人部屋で差額の一日5250円かかります」 ・・・それくらいは仕方ありませんやろなぁ~。 で、病室に通されましたのさ。 沢山の荷物を持ってね。(お着替え・紙おむつ・タオルなど) 病院事務の方が説明にいらっしゃいましたのさ。 「ここでは、タオル・寝衣 525円(一日に付) 紙オムツ 一回交換に付 160円 テレビリース代 一日570円 かかります。」 なるほど、これが公立と私立の違いなのか・・・。 ばあちゃん、泣く泣く諦めました。 沢山の荷物はお持ち帰りとなりました。(笑) テレビはね、前回の入院の時はどうも身体の調子が悪かったらしく、 「もう、見ないからいい!」って宣言されていたんですけどさ、 「高校野球が見たいから!」って。 モルヒネで痛みがない分、お元気のようです。
2008年08月08日
ジェットコースターのような展開の看護日記です。 我がままばあちゃんは、どうやら、点滴も拒否した模様です。 抗がん剤を入れるチューブも外しました。 抜糸待ちです。 「転院先が決まるまで、そちらの病院で看ていただけませんか?」 「ここは治療する病院なので、無理です」 ・・・確かに、空きベッドは少ない。 で。 「受け入れ先の病院は一週間後位待っていただきますので、 一度帰宅していただくことになるかも・・・」 来週の月曜日に相談員さんと面談って話でしたが、 退院の日にもなりました。 さあ! ばあちゃん 帰宅する!です。 今後の展開は!?
2008年08月02日
先週の担当医からの電話で呼び出しがありました。兄と二人でまた病院に行ってきました。 「今回の治療は、患者さんの意志もあり、中止いたします。 これからは疼痛を和らげる治療をいたします。 ここの病院は治療をする所なので、転院していただきます。 ここの特別室でしたら、使うことができます」 「経済的な事もありますので、使用料はおいくらですか?」 「一日25000円です。」 ・・・・・。 「治療を中止するのは承知いたしました。 そうすると、どうなりますか?」 「余命3ヶ月から6ヶ月ですね」 「口腔癌というのは、残酷な癌で、患部が大きくなると、 食事が取れなくなります。 また、頬に穴が空いたりします。」 本人にも、それを伝え、転院を納得したようです。 癌が判ったのは6月始めだったから、まさかという展開です。 連れ合いの田舎の伯母さんが危篤をいう知らせ。 「子供達の礼服を用意して」って、連れ合い。 ・・・なんだか続く・・・。
2008年07月29日
福原愛ちゃんが中国語講座の<とっさの中国語>のコーナーにちょこっと出ている。サークルの人に言わせると、「なまっている中国語」らしい。まぁ、私にはさっぱりわかりませんが。小さい時から、自分の意思でなく、テレビに出され、なんだか親戚の子みたいな感覚で、<大きくなったなぁ~>と思う。彼女が中国に卓球留学したのは本人の意思かどうかは定かでないが、親離れできたのは確実だと思う。過去のインタビューの受け答えがしっかりしていたのを記憶している。歳は若いが、私は彼女を尊敬いたしますね。よくぞぐれずに、立派にお育ちになったと・・・。料理研究家のなんとかはるみさんが、「どうせしなければならない仕事なら、楽しまなくっちゃ」って。愛ちゃんも、努力して中国語を勉強し、中国の仲間と打ち解けようとしたんじゃなかろうか。四元さんだっけ?派手な衣装の卓球の選手いるじゃない?その人も北京の町並みを歩く・・・って、番組に出てたの。いわゆるぶりっ子に見える。愛ちゃんは自然なんだよね。オリンピックによく出られたものだ。メダルメダルといわれるが、少し無理じゃなかろか。でも「メダルを目指しません」とは言えないものね。メダルを取れたら、運も彼女の味方をしているのかも。
2008年07月26日
今日、病院に行ったら、ばあちゃんの前のベッドの患者さんが 「今朝から機嫌が悪いみたいよ」って。 顔を合わせるなり、 「もう、治療は嫌だ。何にもしなくてもいいから、家に帰る」 ・・・始まったぞ、ばあちゃんの言いたい放題が! もともと我慢っていう文字を知らない人だからさ~。 看護婦さんも手を焼いて、担当医師を呼び出したらしい。 帰宅したら、その先生から電話があった 「明日と月曜の治療は中止します。 月曜の午後5時に今後についてお話し合いの場を持ちたいと思います」って。 ・・・まだ、治療は始まったばっかりだよ。 今、挫折するって事は、お先真っ暗じゃないのよ~。 本人は「家に帰って、何にも食べないで衰弱死する~」って。 ・・・困ったばあちゃんだ。
2008年07月26日
抗がん剤の投与と放射線治療が始まりました。 流動食を吐くようになり、経口食(カロリーメイトの液体バージョン)になりました。 が、経口食になってから体重増加です。大したものでんなぁ~。 フラフラなのは変わりませんが、精神的には安定してます。 治療も放射線を浴びたあと、頭痛がするようですが、頑張ってます。 ・・・ってか、頑張るより他ないんですけどね。 前々から、<いじわるばあさん>に、実母がそっくりだと思ってはいたのですがね・・・ 看護婦さんが処置してくださる度に、彼女、その人に手を合わせるんですよ。「ありがとう~」って。 まあ、ここまでは、よくある話じゃないですか。 「そう思っとらんでも、そうすると、相手が喜ぶがね~」って。 オイ!そんなんかい! 思わずつっ込みましたわさ。 ありがたいと思ってないんかい! 人の話で、「亡くなったお母さんはこんなに優しかった・・」ってよく聞きます。 しか~し、実兄と二人で話していたら、 「ばあさんには、叱られた記憶しかないな・・・」って。 同感であります。 私も反面教師で、子供には優しく接したつもりでしたがね。 なかなか理想の母親にはなれないものです。 なので、私も実母を許す気分になれたのですがね。 目の鋭さは以前と変わってません。 まだまだ生きそうです。
2008年07月23日
今日は、明日のばあちゃんの手術についての説明を受けに病院に行った。4人部屋に無事に入れました。同室の方は全員口腔癌も模様です。年寄りとは限らない。誰にそのカードが配られるかはわからないって事ね。明日はわが身かも。教授とどうやら執刀する若い先生との2人で説明された。末期ではないそうです。(今のところ)胸にあった影も癌ではなかったそうです。ただ、腎臓の機能が落ちているので、途中で透析になるかもって。耳の脇の動脈からは口腔内の癌に、耳の下からの動脈からは、リンパに対して4cm位チューブが入るそうです。抗がん剤を入れると、口内炎も副作用で出るそうです。かといって、放っておくわけにもいきませんものね。しか~し、ばあちゃん、メチャ元気です。!家に居た時の方が、病人でした。話し相手がいるのが一番の元気の元みたいです。(周りが迷惑・・・)
2008年07月10日
大分の教員試験事件。 うちんち(実家)の親族は、国鉄 郵便局 教師 交通公社 など、 お堅い地道な職業が多い。 どうも、じいじゃんが、テキトーな人で無職に近かった人だったから、 反面教師で、そうなったらしい。 が、二世続く職業の人はいない。 コネがなかったのか・・・。 教師の家族って、親子2代の人が多いように思う。 ウォーキングの時にある人が 「そんなの普通よ、ある県の人は、勤務先まで指定できたって聞いたわ」 正直者がバカを見る世の中なのだな・・・。
2008年07月10日
七夕の天の川は見られそうにありませんね。 今日母の入院に付き添いました。二人部屋に一人です。 差額を取られるのですが、4人部屋が満室なので仕方ありません。 冷蔵庫も完備されてます。 一日300円の使用料だそうです。 一ヶ月9000円ですか?高くありません? 当然使いませんが・・。 入室したら、直ぐに、 「腎臓の機能の検査をしますので、まずは点滴を・・ 20時までします」 ・・・完全に病人になりました。 とはいえ、病院に入っていただいた方が安心なんですどね。 本人は6週間で帰宅するつもりです。どうなりますことやら・・・。
2008年07月07日
雅楽生演奏・・・・。 お正月のテレビで流れるのは、お琴の音色ですかしら。 笙と言えば、東条英機ではなく、東儀なんとかさんでしたっけ? 漢字も知りません。 ・・・難しかったです・・・というより、眠ってしまいました。 伝統音楽は理解不能でした。 まぁ、下々のものですから、一生に一回の経験でいいですけど・・・。 知人は、感激されてました。 感じ方は色々です。 その後、有機野菜のディナーです。 お上品なお味でございました。 ただね、お料理の出てくる速度がね、やたら時間がかかりましたのよ。 旧交を温めるには、充分な時間を戴きました。 美味しく戴きました。 教訓 料理は量は少なく、品数は多く・・・ですね。 まぁ、小鳥のお食事の量ではなかったのかしら。 ・・・そんな胃袋だから、太るのね。
2008年06月22日
私は英語は学生時代から、さっぱり解らなかった。中学1年の二学期には授業放棄の状態だった。専門学校の時にも英語の授業はあったが、「どこが、テストに出る?」って感じの人。ニンテンドーDSでは「アルファベットが分かる程度」って判定でした。この語学コンプレックスはず~っと付きまとっていて、4月の新学期のNHK基礎英語の本を買って、モモヨに鼻で笑われてます。「またですか!!」ウォーキングのお仲間の一人のお嬢さんは、お仕事で東京とフランスを一年で半々の生活をされているそうです。「ねぇ、お嬢さんって、何カ国語を話せるの?」「フランス語、ドイツ語、タイ語、英語・・・それにイタリア語かしら イタリア語はNHKの口座で覚えたみたいよ」・・・・うう~ん、そんなのアリですか!レベルが違うな・・・。
2008年06月20日
先週の検査の結果、本日は治療計画を聞くつもりで、市大病院へ・・・。 お医者さん「これが、ペット検査の写真?ですが・・・」 全身を映し出されている(体温が高いと赤く写るようなもの)のに、左頬と肺の中心部近くに2ヶ所、癌らしきものが写ってた。 「今から、組織検査の為に麻酔をして、少し組織を採ります」って。 え~っ、そんなの最初にやってよ。 今日はそれだけの為に来たの!? 次回は来週なんだって。 その時に、治療計画なんだって。 (前は、今日聞かされるって話だったのに・・・) そのまた翌週は、心臓エコー検査だけの為に、病院に来るんだって。 ヘビの生殺しだ~!!! 実母本人は体力が段々落ちてきているのは感じます。 では、この続きは来週にご報告いたします。
2008年06月18日
先日、実母が突然口腔癌を宣告され、他の病院での検査を言い渡された。で、昨日は、新横浜の検査専門の病院にペット検査?に出かけました。 実母は私と全く違って時間はキッチリ守りたい正確なので、 受付時間の50分前に到着。 息子の車で行ったのですが、エントランス?に受付嬢がお迎えに出てきてくれました。 病院もサービス業なのね。 こちらの病院に来るって事は、<何か問題がある患者>なんですよね。 で、ホールのイス(ソファー)に座ったら、冷たいおしぼりと冷たいお茶を持ってきてくれました。 うう~ん、感じよし!です。 検査開始からは1時間20分前でしたね。 ひたすらホールで待機。 問診から始まり、CT検査から、看護師さんの連絡がよいんですよ。 こんなに親切?にしていただいた病院は初めてでございますよ。 ペット検査の説明を受けたら、 「付き添いの方は4階のラウンジに・・・」って。 エレベーターで一人の受付?の人が席まで案内してくださいました。 で、そこでも、熱いオシボリとお茶と和菓子のサービス。 ・・・最初にこういうのが必要と考えたコンセプトが新鮮でした。 検査に時間がかかるとは聞かされていたのですが、 まぁ、長い長い・・・ 受付の人が「患者さんが、ご家族の方を呼んでいらっしゃいますので」って。 ペット検査を2回受けるようとの指示だったので、 時間が倍になっていたわけで・・・。 どうやら、放射線を使う検査らしいので、患者以外は本当は入れないらしい。 自立歩行のできない実母は車椅子を使っているので、私にトイレに連れて行ってもらいたかったらしい。 まぁ、そのための付き添いだからねぇ、仕方ないか。 終ったのが午後6時半。 家を出たのが午前11時半だったので、7時間ですかね。 何にもしないんだけど、疲れました。 次回の病院は18日です。 治療計画を聞かされるそうです。
2008年06月14日
先週の日曜日に新しい先生がおみえになりました。30代前半かな。男性。3歳のお子さんがいるとか。慶応の大学院に行っているそうな。ハッキリ・クッキリの性格みたいです。「この放送大学の教科書は進度が早いです」「単語を覚える前に発音をしっかりやらないと意味がないです」・・・しっかり、ポ・フォ・モ・・・・から発音指導していただきました。「まずは、リスニングですね、6課からということですから、5課までの単語は大丈夫ですね」・・・そんな~。「ノートを2冊用意してください。1冊はテスト用。1冊は自分の自己申告の覚えてない単語用に・・・」ギャ~・・・・。今までの先生は優しかったなぁ~。これからは、毎日 中国語漬けです。連れ合い曰く「お知りをひっぱたかれるほうが、覚えるよ」・・・確かに・・・。当然、チベット・オリンピックの話はご法度でした。
2008年05月14日
随分よくなりました。お風呂も自分ひとりで入れるようになったし。本人はポジティブ思考なのがよいのでしょう。口の悪いのは、そのまんまですけどね。人は完全体じゃないものね。中国語サークルの先生が引退されるので、送迎会に出かけた。中国の人って、最近のニュースからも印象が悪い。まぁ、日本人だって、アチラから見たら同じようなものだけど。でも、思い込みってあると思う。2人の中国人の先生だけど、思慮深くって、よい人だ。日本で暮らしているからかな~。
2008年04月23日
今日は、母の部屋の模様替え。箪笥を一棹 処分。いろんなものを溜め込んでいるので、「コレは必要?」って聞いてから捨てる・・・の繰り返し。しか~し、「それもとっておいて」「だって、このカバンなんてもう使わないじゃない」「そやかて、コレ高かったんだよ・・・」「だって、杖を使って、こんなカバン持てないじゃない」・・・不満げな顔・・・。これから先、ディケアの話になりリハビリに行くかどうかという話題になった時、「雨が降ったら、送迎車のところまで階段を登らなきゃいけないからやめておく・・・」雨の日も、晴れの日もあるわいな・・・。やる気がでたり、引きこもりの気分になったり・・・。
2008年03月25日
実母は、骨折前は何でも自分でしてました。今、寝たきりではありませんが、自立歩行出来ません。排泄機能も格段に衰えていました。オムツ生活です。しかし、上半身は全く普通です。お口は絶好調です。毎朝、使用後のオムツを処理するのが私の最初のお仕事です。でないと、部屋がおしっこ臭くなってしまうからです。介護は言うほど楽ではないと、身をもって知りました。
2008年03月11日
母が週末帰宅します。てんやわんやになるのは必然です。なんせ、口から生まれた人で、身体が動かない分文句は多いのは確実。実母なので、放っておくわけにもいきません。病院に3ヶ月通ったわけですが、同室の入院されている患者さんが私に「親子の会話は楽しいわね・・・」って。確かに「残念でしたね、今回死ねなくて」「ほぅよ、はよ~死にたいのに」(82歳)「死ぬまでは、頑張ってくださいな」なんて、会話だし。先日知り合いの78歳の方のお葬式に行った話を母にしたら「まぁ、78まで生きたんなら、死んでもええ歳やな・・・」(あなたの方が82歳で年上です)とかね。嫁と姑でないので、言いたい放題です。「いいわね、娘さんに世話をしてもらって」(同室の人)「いや、嫁ならとうの昔に逃げ出してます」(私)その母が帰宅!です。文句言い放題になるのは必須です。(今日のテレビで、<須>という言葉は<すべからく>という意味だそうです。必ず~しなくてはならないことだそうです。平穏な日々は終わりました。
2008年03月05日
ウォーキングの仲間から、自生の夏みかんを戴いたので、作ってみた。・・・ママーレードというよりは、夏みかんの砂糖煮・・・かな?どうも料理はいつになってもうまくならない私だ。
2008年02月28日
あまりに書き込みをしなかったら、怒られました。ハイ。母は随分よくなりました。が、杖で一人で歩行できるにはまだ・・・。まだ退院の日は決まってません。トイレの改造日が月末に決まりました。手すりなどがないと、一人では使用できないので。毎日使うのもですからね、区の補助は待ってられません。20万円までは設備に援助で一割、つまり2万円でしていただけるそうです。それも、手続きが大変みたいです。では、また。
2008年02月25日
美しい! こげなケーキは見たことあらへん。 どうしたらこんなに美しく作れるのかしらん。 口当たりも軽くって、美味しかった。 キムチ鍋大会&12月生まれの友人と私のお誕生日会。 沢山プレゼントを戴き、ありがとうございました。 いい香りハンドクリーム、靴下、ハンカチ、携帯灰皿。 それにボクサーパンツにくまさんのぬいぐるみなど・・・。 こんなにプレゼントをいただいたのは初めてかもしれない。 ありがとうございます うれしいっす。
2007年12月15日
術後は、ナースステーションの隣の病室のはずなのに、はや元の部屋に移動していた。 「もう、こっちに帰ってきたんだ」 「うん、今朝 移った。 あのね、ぜんぜん昨日の夜中も痛くなかった。」 「あら~・・・、一日目だから、うんうん唸っているのかと思ってた」 「いや、ぜんぜん痛くなくって、夜中に起きたら、手術したのを忘れていて、起き上がりそうになったわ」 ・・・いやに口が軽いというか、ハイテンションというか・・・。 帰りがけにナースステーションに挨拶に寄ったら、ちょうど担当医の先生がいて、術後の解説をして下さいました。 「お世話になりました、元気でびっくりしました」 「元々貧血気味だったでしょう?輸血したから元気になったんですよ」 「??ホントですかぁ~・・・」 「ホントです、血が濃くなると元気になるんです」 ・・・まぁヨタヨタになって、ため息をつかれるよりは、 元気な意地悪ばあさんの方がいいな・・と、納得することにした。
2007年12月14日
中国語サークル(初級)の宿題してます。中国語は清末以来の漢字簡略化運動により、1956年に簡体字になったそうな。日本語の元の漢字よりも難しかったから、仕方がなかったのかしらん。でも、あまりに省略されていて、???なのです。一字一字、辞書で調べる・・・→時間がかかるかかる・・・。だって、あいうえおを調べているようなものなんだもん。発音も、私にはさっぱり判断がつかないし・・・。中国人が濁音がわからないのと同じでんな。毎日、同じビデオをつけています。まぁ、最近のワイドショーはみんな同じになっているから、ちょうどいいんだけどね。うん、勉強してまっせ!今!「そんなに勉強好きだったっけ」って、連れ合い。この集中力が、高校時代にあったなら・・・・。先生って職業は、生徒の個人にあった職業を見つけ出し、その気を出させるのが仕事のような気がします。娘は、高校の時の感想文のテストで、えらく褒められ、現代国語にえらく自信をもちました。叱るより、褒めた方が伸びるよねきっと。私は・・・、褒められるものがなかったけどさ。
2007年12月11日
・・・ってなわけで、毎日病院に通う羽目になった。実母は<わが道を行く>人なので、周りが大変。本人は、看護婦さんらが、話相手をしてくださるので、その点、大満足らしい。一人暮らしが長かったので、相手に合わせるのは大の苦手。全て話相手が、母に話しを合わせなくてはならない。話をはしょって、話すので、相手は???になる。「入院するとボケが進みます」確かに、ベッドに縛り付けられているわけだし・・・。時々は?と思うけど、<お金>については、ちゃんとしてます。現状を把握してます、私よりも・・・。ある本に<対人関係、コミュニケーションにおける対話者が、常に頭においていなければならないのは、「見られている自分を知る」ということです。この反省なくして、話の効果を挙げる事も好意的人間関係をつくる事もできません>って書いてあった。これは、KYって事か?人は話すよりも語りたいので、周りなんて気にしてない。空気を読みすぎても、何を話したらいいかわかんなくなっちゃうし・・・。・・・話がそれたけどさ、母を見ていると、老いては子に従え・・・って、言葉が頭をよぎる。それが出来る性格の人と出来ない性格の人が存在するするのも確認できた。
2007年12月06日
実母が転倒して、大腿部骨折!人口骨頭を入れる手術を来週水曜日に受けます。生まれて初めて、救急車に乗りました。そりゃ、大騒ぎです。しかし、内科ではなく整形外科です・・・。運ばれた時は、痛がってましたが、病院に入って、処置を受けたら、本人、元気になりました。入院手続きの時「介護保険は?」「いえ、使ってません」「では、生活はご自分でなさってたのですか?」(81歳で、12年前、交通事故で反対側の足の関節を複雑骨折しているので、ヨレヨレ状態)「はい、本人が他人の世話にはなりたくないと・・・」・・・なるほど、この状態なら、介護保険にお世話になっているのが普通なのか・・・看護婦さんやら、介護ペルパーさんに大事にされて、なんだか生き生きしてます。口は絶好調です!病人には、みなさん優しいものね。普通に生活していたら、うるさいおばあさんなんだけど。元々、ポジティブ思考の人なので、周りは楽チンです。漫画のいじわるばあさんそっくりです。
2007年12月05日
今日で講座は3回目でした。今回は大人向きのかんざしと、帯飾り です。色合いは・・・yasuko先生に決めてもらいました。(色彩センスのないのが悩みです)写真より、実物の方が・・・(自画自賛)で、差し上げようと思う方の髪型を思い出しました。髪、長くありません・・・。・・・どうしたものか・・・。
2007年11月30日
リアル友に「9月30日で、終っているじゃん!」って叱られました。どうも、一人っきりにならないと、書く気が起こらないんですよね。一日書かないと、それが二日になり・・・。ミクシーでもちょこちょこ書いているので、コチラのネタがなくなってしまう・・・。最近はおとなしくしてましたね。今週から忙しくなります。そう、忘年会の季節ですから・・・。明日は山崎まさよしのライブです。うひょ~! 1列29番 ど真ん中です。Mちゃんありがとう!10年前にも一度あります。そこ。久しぶりの愛人に会う気分(こっちはね)男でも、女でも、いい男 いい女を見るのはいいです。いいですね、生まれつき見栄えがいいってのはね。うらやましいです。それが、幸せかどうかは別として・・・。ひと時、現実逃避できます。そうそう、ちりめんつまみ細工に通っています。一日頑張ると、モノが出来上がる・・・ってのはいいですね。満足感がはやく味わえる・・・。ちりめんの髪飾りってね、本当はでんぷん糊で、くっつけるそうなんです。ちりめん自体もね、布ですから、劣化は早いし、湿度にも弱いし・・・。そう、生花とまではいかないけれど、旬のものなんですよね。だから、よけいにいいのかもしれないです。サクラの花みたいで・・・。大人向きの髪飾りを作ってます。できたら、アップします。じゃ、また。
2007年11月28日
9月に入り・・・、袋物教室の宿題があるのにもかかわらず・・・手芸サークルのステッチ刺繍の宿題があるのにもかかわらず・・・中国語サークルの宿題があるにもかかわらず・・・週一回、合計4回の<ちりめんのつまみ細工体験講座>に行ってました。途中で、作りかけの作品を押入れに隠しておいたら、娘に見つかり「お母さん、また何を始めたのっ! 趣味を増やすなって、あれほど言ったでしょう!」・・どちらが親だかわからないお言葉でした・・。友人Aさんのそのまた友人Bさんのブログを見てですね、興味を持ってしまったのがきっかけ。春の講座はすでに予定が入っていたので、断念してました。<鎌倉すみれ工房>なんとも雰囲気ただようHPで申し込みいたしました。「手ぶらでおこしになって下さい」本郷台の栄区地区センター リリス2階会議室。こじんまりした部屋で10名参加。机には材料、プラスティックケースなどがセットされてました。最初の日は、つまみ細工の練習です。先生が懇切丁寧に教えてくださいました。いや、褒める褒める!イヤミでなく、教えるのがお上手でした。人に何かを教えるって、そりゃ大変なんですよね。麻生さんのように、ふと本音が出ちゃまずいわけですよ。褒めてその気にさせる!出来るようで出来ないものなんですな、これが。先生達はどうやら、幼稚園か保育園のお母さん友達の様子でした。私「やり始めてどのくらいですか?」先生「始めて1年くらいです・・・」どうやら、七五三の髪飾りを買うより作ろう!からでは?(はっきりとは聞いていない)本職の方のところに見学に行ったりして、勉強されたらしい。いや、その行動力、そして教室までしてしまうのは大したものです。10名限定なのは、手を取り足を取りで教えるのにはそれ以上だとダメなんだそうです。いかがです?お母さんの作った髪飾りで七五三って、思い出に残ると思いますよ。それに、写真は一生もんですものね。そして本日、出来上がりました。最初の日に「ご自分で色(生地の)を選らんで下さい」って。・・・色彩感覚の全くダメな私は先生の見本の通りのあんみつ姫の髪飾りをイメージして選びました。他の参加者さん達は、色とりどりで、皆さんセンスが良かったです。ハイ。どうやら、ご自分のお子さんに作られているようで、みなさんご熱心でした。「お子さんにですか?」「いえ、ちりめん細工を実際に体験したかったもので・・・」袋物教室でも同じですが、本を読んでの自己流ってのは余程才能がある人でないと難しいものなんですよね。実際にお手本を見て作るのは、分かりやすさが数段違うんですなぁ~コレが。で、出来上がりました。・・・・しかし、これを使う予定が全くない・・・。欲しい方いません?
2007年09月25日
お久しぶりでございます。暑いし、家族も家にゴロゴロいるし・・・、で書き込みしてませんでした。いたって元気です。Y君、暑中見舞いのお葉書ありがとう。なんとか生きているよ。先日、地域猫の為のバザーのお手伝いをしてきました。暑かったです。売り上げは9000円。車を出してくれた人に3000円出して、6000円の収入でした。・・・夏にバザーをするもんじゃないですね。疲れましたわさ。地域猫についてですが、野良猫を餌付けして確保し、避妊手術をしてリリースして、天寿をまっとうさせる!です。いや、結構知られていないんですよ。私だって、なんとなく~・・でしたから。バザーをしていても「これは何のバザー?」って聞かれます。「地域猫の為で、ボランティアです」って言っても???の顔されます。「公園で、猫に餌をやっている人を見かけるわ・・」「そうです、それです」「いや、そんな感じじゃなかったわ」だいたい猫に餌をやるのはおばあちゃん・・・って、相場は決まっている・・でない方は、猫が寄ってくるのがうれしいのかしらん。餌を与えるのはいいが、暇とお金を使って、増やさないようにしたい・・とは思わないらしい。私は、公園まで行って餌をやる元気はない。ウチんちにくる与三郎には餌をあげるけどね。それは、出来る人、やりたい人がやるしかないかなぁって思う。バザーも前回は遠慮しました。さすがに3ヶ月に一回は辛い。が、貰い猫の会は一ヶ月に一回、テントを張って、いつ来るともしれない<いい人>を待つ。・・・頭が下がる。そこまでは出来ない私・・・。今回も、貰い猫の会もしていた。長毛の子猫が2匹いた。血統書のついた猫で、初めて繁殖させたら、シッポに不都合があり、売り物にならないので、里子に出された?そうだ。なんじゃそりゃ!で、なんとその猫を出した飼い主が来ていた!・・・そんな事をしそうな顔の若い女性だった・・・。
2007年09月19日
11日の日記です。思い出しながら書いてます。11時に友人Aちゃんと名古屋駅で待ち合わせ。 新幹線で1時間を3時間かけて行く。 米原で乗り換え。 米原って、ニュースでは新幹線関係でよく耳にするけど、 ほんとに田舎の駅。 通過する新幹線が横を走る・・・。 乗り換えの人が結構いました。 新幹線だけじゃないんだな乗客は。 東京・名古屋・大阪って、ひかりだっけ?のぞみだっけ? あっと言う間に着くんだけど、通過駅は閑散としている。 別に大阪2時間半とかにしなくていいんじゃなかったのかしらん。 6時間かかる・・ってなれば、大阪で泊まる事にもなったんだろうし。 便利にすればするほど何かが抜けていくんだと思う。 今回の車窓の旅でわかったのは、東海道の景色はさほど変わらない。 ・・・って、息子に言ったら、 「山陽じゃなくって、山陰線の旅をしてみたら、昔の日本だってよ・・・」って。 開発されていないほうが、懐かしい景色なのかもしれない。 11時にAちゃんと会えた。 Aちゃんは、30年前に技工士の学校の試験を受けた時に 衛生士の先生に「こっちも受けたら?」って直接言われて学校に入った人。 もちろん技工士の試験も受かっていたのにさ。 私はその試験に失敗している。 <歯科医師の嫁になるため>に受験した人もいた。 さまざまな人がいたなぁ・・・。 12時に高層ビルのホテルのレストランで同窓会。 Bさん(衛生士学校の先生)の准教授の昇進のお祝いも兼ねていた。 Bさんは人間的にも出来た人だから、みんな拍手!! Cさん、Dさんが幹事になってくれて今回の同窓会になった。 30年振りにあったが、みんなまったく変わっていない。 歳をとれば、人間できるか?というとそうじゃないみたい。 ・・・性格は凝縮されるみたい。 いい人はいい人に、お金に執着する人はそのように・・・。 二次会は向かえのホテルの喫茶室で。 で、その後3次会のお茶・・・(笑) 私は暇だが、他の人は主婦だしね、そこでお開き。 次は再来年だそうだ。 昔話も年に一回ならいいかしらん。
2007年08月21日
パソコンに向かうのも嫌になるくらい暑い!冷房を入れると、あとが辛いので、汗ダクダクで過ごしてます。・・・結果、ダラダラとした生活になってます。10二日5時10分大船駅いつもなら、しっかり寝ている時刻だけど、駅には結構人がいた。世の中動いてんだ~。暫く、朝日の昇りかけた車窓を楽しんでいたら、[世界一列皆兄弟]って家の側面に書いてある………どっかで聞いたフレーズだけどちと違う………。朝はやかったのでうとうと………8時頃にどうやら中学の同級生で駅で久々再会したらしい男(子供の頃アルゼンチンにいた)(今までに一人で行った所はニュージーランド)女が大きな声で話し出したので、目が覚めてしまった。「………ちょっとウザくってさ………うふふふ」やたら言葉の終わりに笑い声を出す子で、男は馬鹿高校を卒業して(聞きたくもなかったが聞こえた)「意味わかんないね………」確かに電車の中で話すのは公共マナーに反するのを実感した。「ありえないぜ、うちの親………」「でもお父さん好きだよ………」どうも聞いていると、「………で、………で………何だよね」私もこんなにちゃんと話せないのが20代だっけ?大阪に行くのに、ネットで検索すると、新幹線利用しか表示されない。 今回は青春18キッブを使ったので、乗り換えにつぐ乗り換え。 でも、時刻表を買ったので、余裕でした。 いつも知らない電車は乗り越さないようにドキドキなんだけど、次は○○駅ってわかったから、安心。 今回の失敗は8時間も電車に乗っていたので、携帯電話を使いまくってた。で、大阪に着く頃には、充電切れに……… 後にそれが悲劇をよぶとは、思いもよらなかった………。 10日午後、天王寺駅の改札を出る前に、 「あの~、通天閣にはどう行ったらいいですか?」 「それは、。新今宮駅まで行って下さい」って。 で、新今宮駅まで。カバンが重いので、改札を出る前の通路のコインロッカーに入れて・・・。 これで、身軽だ! 通天閣を目指して、巨大な下町を散策。 お腹も空いたので、お好み焼き屋さんに入る。 「お飲み物は?」 昼間っから、ビールでは、ヘタってしまうので、ここはウーロン茶で我慢。 大阪のお好み焼きを食べてみたかったんだよね。 ・・・しかし、こういうのは、地元の人に連れて来てもらった方が正解だったかも。 料金はお安かったですけどね。 通天閣の下で出店みたいに、おばちゃんがみやげ物を売っていた。 そこで、名古屋の友人のお子さんが集めているというキューピーの地元限定版を一つ購入。 お金を渡すと、出店ではなく、後ろにあるちゃんとしたお店の中に入っていった。 ・・・「お店だと、お客に入ってきてもらわないとダメだから、とにかくお客を呼び込まなきゃ!」 ・・・といった、連想をいたしましたね。 で、エレベーターで、2階へ(ここまでは無料) そこはそんなに景色はよかないわね。 で、そこで、「上の展望台には料金がかかります」 ・・・だよね、ここまできたら、上に上がってみたくなるもの。 展望台っていっても、さすがに地元の人々がお金を出し合って再建された(テレビで見た)ものらしく、 そんなに広くない。ところ狭しと、おみやげ物屋さんが・・。 どこも同じよね。足元までガラス張りなので、おっかなかった。 私はいままで気がつかなかったけど、高所恐怖症らしい。 で、そそくさと、2階へ~。 そこで、呼び込みの人がいた。 「ただ今3階で、テレビの公開録画をしてます。 お時間がある方は是非どうぞ・・・」 気ままな一人旅です、野次馬としては、見なくちゃならないな・・・。 eo光テレビ 通天閣アワー 第一回 って番組だった。 「これから第2部の録画を行いま~す!」って。 どうやらオーディション番組のようだった。 お笑いと、歌手と交互に・・。 大阪ではきっとおなじみであろう漫才の2人が司会をしていた。 太平シローさんは、画面後部の席に座っていた。 すでに第一部が終了していたので、客席にはなんの説明もなかった。 固定のカメラが3台。 準備が大変のようだった。 周りはアシスタントデイレクター?らしき人10人はいましたね。 観客より多かった。 どうやら、デュエットの二人組みが歌うらしい。 「ギターの回線入ってる?」 「ハンドマイクもう1本!」 「チェック!」 「ちょっとだけしゃべってみて!」 「二人でハモっているとこしてもらえます? ちょっとチェックします」 ごく普通のお兄ちゃんが座ってギターと歌。 もう一人の日本短足連盟のお兄ちゃんがマイクをもって歌うらしい。 その人の足元はサンダルだった。 ・・・画面には映ってない。 その準備の間アシスタントの人ウロウロ。 司会の漫才師の二人がカメラに向かって 「前回は盛り上がりましたねぇ・・・」 「エントリーナンバー7番○○さんの歌です。どうぞ!」 そこでディレクターが「はい、OK!」 番組って、こうやって撮影するんだね。 歌い始める 「♪自分のせいにして生きるなとか、 誰かのせいにして生きるだとか、 そんなところに答えはない♪ ただ、あなたは~あなたをせめなくていい~♪」 日本短足連盟の彼は風貌に似合わず、声はきれいだった。 後ろに座っていた歌の評論家?が「声はきれいだね・・・」ってほめていた。 次々に録画されていくが・・・ その度に、準備に時間がかかる・・・。 始まる前に、隣の観客のおばちゃんに時間を聞いたら 「今、2時15分ですよ」って。 ・・・待ち合わせは5時だから、充分時間はあるな・・・って思っていた。 「エントリーナンバー8番○○○の漫才です!」 それが終って、太平シローさんが批評をされた。 「大ボケと突っ込みがいいですね。 突っ込みの方がキツイ突込みに感じてしまいます。 常に語尾の愛情を感じるようにすることですね」 ・・・ふむふむなるほど・・・。 最後に鎌田純子さんの歌(ギターのお兄ちゃんもいた) とても巧かった。 これで有名にならなかったら、歌手で成功するには<運>も必要だって思う。 「では、これから優勝者を発表しますので、少しお待ち下さい」って。 時間が気になってまた別のおばちゃんに時間を聞いたら 「今ですか?5時20分ですよ」 ・・・5時20分・・・・(携帯の充電が切れていて時間がわからなかった) ぎゃっ!Aさんと5時に待ち合わせだったじゃん!! 慌てて、通天閣を後にして、コンビニに携帯の使い捨て充電器を買いに走る私・・・。 (とにかく、Aさんに連絡しなくっちゃなんねぇ!!) 携帯を充電し、連絡のメールが入っていたのを確認した。 「体調が悪いので・・・」って。 ・・いや、よかった・・・。 今から約束の場所に行くにしても、時間が・・・。 Aさん、申し訳ありませんでした。 で。。。。 新今宮駅の駅員さんに、ホテルの近くの駅名を言うと・・・ 「そこを行った所に地下鉄がありますから、そこで聞いてください。」 地下鉄のキップ売り場に行って、構内に入り、電車に乗った。 ・・・そんなに時間はかからないわね・・・。 二駅過ぎた時に気がついた。 ・・・あれっ、旅行カバンは? ・・・そうだ、新今宮駅の改札手前にあるコインロッカーの中だ!! それで、また引き返し、地下鉄の駅員さんに事情を説明して・・・、JRの駅員さんに事情を説明し・・・。 大阪の人はみな親切でした。 やっとの思いで、ホテルに着く。 地下に大浴場があるビジネスホテルだった。 バスは当然ついていなかったけど、快適だった・・が・・・。 深夜になんだか音がするのです。 振動も少し・・・。 目が覚めて、外を見ると。。。 高架の高速道路に、その下は国道らしかった。 自分ちの静かさなど、今まで感じた事なかったけど、 なるほど、道路沿いの家の人は大変だって思った。 翌朝は大阪7時59分発の電車で名古屋に向かった。 当然、新幹線ではない。 今日のご報告はここまで・・・。だって、暑くって考えるの辛いんだもん。
2007年08月17日
中国語を勉強する羽目になった私ですが、いろいろ発見できて面白い。未だに、中国語はさっぱり分からないのですが、「月に2回の授業で、そんなに早く話せるわけないじゃない!」って、前サークル会長のお言葉に救われています。お蔭様で、中国のニュースも見るようになったし、日本語の成り立ちにも興味が沸いたしね。中国に関しての本を読んで、あのダンボール肉まんは行き過ぎとしても、中国産の食べ物に???になったことは確か。中国4000年の歴史って、現在の人には繋がってないんじゃないのかしらん。文化大革命で、知識人が否定されちゃったので、<今>しか考えられない人が多くなっちゃったのかしら。旅行した時のおみやげ物屋さんにしても、場所は広くても、管理しきれていなかった。サービスを受ける時も、日本の笑顔で接客もなかったし、ところ変われば品変わるで、面白かったわ。日本語といえば、日本には<字>がなかったんだねぇ~。例えば、<食べる>って食の字を中国の漢字をもらって作っちゃったんだから、昔の人は凄いな・・・と。応用力が昔からあったのか・・・。中国では、スイカは日本の水のように、よく食べるそうな・・・。そういえば、旅行した時も、必ずテーブルにありました。水が飲めないので、スイカは必需品らしい。中国では、引越しした時に、手土産を持って近所にご挨拶には行かないらしい。ふ~ん・・・なのだ。「だって、そのうち顔を合わせるでしょ」って、上海出身の先生。常識は世界で違うのを実感する。なんて事を考えている此の頃。
2007年08月04日
ただいま造成中の宅地です。ここは、以前タヌキの一家が住んでいました。我が家から歩いて2分のところです。手前が、今となってはここらでも珍しい畑です。自然の破壊されるのはどうしようもないのでしょうか・・・。我が家とて、同じような崖を造成してできた建売ですから、文句は言えません。こうやって、人間が自然を破壊してゆくのでしょう。
2007年07月24日
ダイエットのためなら・・・。寒天も試してみた。スキムミルクなんとかも。ナントカブレードも。お腹ブルブルも。グループフルーツも。みんな挫折。今回はビリーズなんとかかんとかです。DVDを譲って下さった方の助言により、腹筋プログラムから~。最後までついていけませんでした。そうです、私、腹筋 無いんです!!感心したのは腹筋の鍛え方もこんなのあるんだ~!!って。これなら腰に負担がなさそうです。・・・一回で、筋肉痛です。
2007年07月20日
親方日の丸って、いつごろからの言葉だろう・・・。私の子供の時にはすでに使っていた。私の父は消防局の通信課(119の元締め)に勤務してた。まぁ、下層公務員だね。勤務はきっちりしてましたよ。7時45分に出勤5時45分に帰宅(歩いて通勤できる距離だった)それはもう、判を押したように。営業職の子供が今夜も遅く帰ってきた。「いっくら、残業してもさ、 給料にはまったく反映されないんだぜ、 やる気もなくなるよな・・・。 ・・・共産党だったロシアとか中国の人間が働かない・・ってよくわかるよ」・・・確かにそうかもしれないなぁ~。私の職歴は大学付属病院に、開業歯科医のふたつっきり。大学病院勤務の時はのんびりでした。なぜなら、授業の時はドクターはもちろん治療できないですからねまぁ、こまごまとした雑用でしたかね。お気楽なお勤めでした。しっかり定時で終りましたし。で、開業医はチェア6台?ドクター5人衛生士5人だったかな。院長は社長だから、チェアが空いているようなものなら機嫌が悪い。患者数=収入 ですからね。働く方は患者さんがキャンセルになると、ラッキーなんですけど。患者の顔がお札に見えたりして・・・。ってなわけで、公務員がやる気の無いのは、いくら仕事しようとしまいと同じ給料だらかんでしょ?しかも、倒産もクビもないし、一定の給料のアップもあるし・・・。これじゃ、人間の覇気がなくならないほうがおかしい。上司も同じく、自分が給料払うわけじゃないしね。国会議員だって、税金が給料の元なんて、誰も考えてないと思う。官僚に至っては、官僚に入ったら、もう人生完成!じゃないのかしらん。天下りって、言葉自体が昔からあるのだから、無くなるものなのかしらん。自民党もボロボロだけど、民主党だってその立場になったら・・・じゃないの?さくらパパで、がっくりが増幅しちゃった。そりゃないでしょう・・・。・・・誰でもいいんだな・・・。・・っつうか、参議院っているの?とにかく数なんだねぇ・・・。支離滅裂な日記でした。
2007年07月10日
連れ合いはお酒が飲めない。ポートワイン(赤玉)おちょこ一杯で<出来上がり~>私は一応飲めるかな?だから、私は家では飲まない。飲める環境ではないから。もっぱら友人と飲む。最近は飲みすぎると、二日酔いになる。先日はビールが苦くなってた。歳か?子供はどうも全員飲めるもよう。一番のん兵衛は娘。「カシスオレンジって何?! あれは酒ではない!!」飲んだ席での武勇伝色々・・・。・・・しかし、お前は女だぞ~・・・。お願いだから、地元では飲まないでくれ・・・。
2007年07月09日
「おかあさんってさ、チーズの穴みたいだね」って娘。「まぁ、いろいろ手を出してさ、一つもモノにならない・・」ううう・・・確かに。そういうのを趣味って言うんだわい!器用ではないので、ちゃんとしたものはできないけど、下手の横好きなんだなぁ~パッチワークに袋物に革にステッチ刺繍に・・・そうそう 刺し子もしてみたいし、粘土細工も面白そう・・・。ああ中国語も勉強しなきゃならないし・・・。いいのだ、楽しければ・・・「よしなさいよ、貰ってありがた迷惑に人もいるんだから・・・」追い討ちをかけるよな娘の言葉・・・。
2007年06月29日
皮ベルト製作中です。生(ナマ)のベルトにひたすら穴を開けて、ひたすら細い色紐を編み込んでいきます。これが仕事なら嫌です・・・。「よくおかあさんそんな(単純作業)続くね・・・」って連れ合いが。そうなのです、単純作業結構好きなんですね、私。出来上がるのが楽しみです。娘に見せたら、やっと褒められました。「いままでのは駄作ばっかりだったけど、 コレはいいよ本皮でしょう?」って。友人Kちゃんのお誕生日プレゼントです。商品にはなりません、作業時間長いいですから。趣味とはよく言ったものですね。写真は先生の昔作られた作品と私の出来立てホヤホヤと。皮製品は使わないと乾燥してダメになっちゃうんだそうです。使い込むとこんな色になるそうです。もうちょっとで完成ですっ!・・・申し訳ないほど、平和です。
2007年06月27日
居間のガラス戸が開いていた。ウチのモモが座布団の上に寝そべっていた・・。庭には、与三郎の食べ残したキャットフードのカリカリが・・・。脱兎のごとく、庭に飛び出した。そしたらすぐに家の中に入ってきた。そのまま二階への階段を上っていった。・・??何かくわえていたぞ・・・スズメだ!おいおい、それをどうする気だぁ~!!追いかけていくと二階でウロウロしている。「モモ!」って叫ぶと踊り場でスズメを口から離した。モモはベランダから外に出て行った。そこで奇跡が!そのスズメが飛んだのだ!まだ口元が黄色い小スズメだった。階段側の窓を開けてやると、元気に飛んでいった。よかったよかった・・・。モモが軽く咥えていたから、助かったんだな・・・。ウグイスの声もよく聞く。「ホー・ケキョ」???ホー・ホケキョじゃなかったっけ?「・・ケキョ」・・・それも違うだろう!山を降りた先の今は空き家になっているビルの一階の街灯にツバメの巣がある。夜は煌々?と明かりがつく長方形の街灯。その上に巣を作っていた。夜は明かりがつくのだが、上の巣のおかげで巣の中までは光が入らない。天井までは10センチもない。・・・よくこんな所を見つけたものだ。外敵から襲われる心配はないし・・・。昨日昼間に見たら、もう巣立った後だった。みんなちゃんと育ってもらいたいものだ。
2007年06月23日
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