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本ホームページの「ごあいさつ」に書かれている問い合わせフォームには、いろんな方からのお問い合わせをいただきます。(問い合わせフォームは、https://ssl.form-mailer.jp/fms/d9a10841187743 です)本ブログはあくまでもブログですので、個別記事とは関係なく私への質問や問い合わせがこちらの方に来るようです。多くはモンゴルでビジネスをしたい、或いはしているという方からですが、マスコミからもあります。テレビ局から「ブログの写真を使いたい」というのが一番多いようです。そんな問い合わせが最近来ました。その写真はこれです。赤ちゃんのグルグル巻きです。この写真が出ているブログは2010年10月26日付け「赤ちゃん、誕生!」(http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201010260000/)でした。なんで4年も前の記事を見つけたのだろうと「モンゴル 赤ちゃん」で検索したら、最初にこの写真が出ていたのにはびっくりしました。なるほど、こうやって探しているのですね。で、テレビ局が使いたい理由ですが、「世界では赤ちゃんをみのむしのように巻かれた状態にすることが常識ということを紹介したい」のだそうです。そうなんですか、私はモンゴルで初めて見ましたが、こうやってグルグル巻きにする国は他にも多いってことなんですね。この番組は「世界の日本人妻は見た!」という番組です。モンゴルにいる日本人妻を紹介するのでしょうか?もちろん、ストーリーや企画などについて私が知る余地もありませんが、「これはモンゴルの赤ちゃんです」ということをちゃんと紹介していただけるという前提で承諾しました。放送は5月6日だそうで、ちょっと楽しみです。まあ、写真ですから1秒もあるかどうかでしょうけど。確かこの番組は世界中のどこへでも取材に出かけるような内容だったと思います。なんでモンゴルに出かけないのでしょうか?モンゴルは単なる「一例」で出るだけなんでしょうか?とにかく、少しでも日本のテレビでモンゴルの文化が紹介されるのは嬉しいです。
2014.04.07
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今日はゴルフに行ってきました。4月に行く予定があったのですが、それが流れて1ヵ月後の今日になりました。場所は、テレルジというウランバートル郊外の風光明媚な観光地にあります。私はここを説明するときはいつも「箱根」と言ってます。距離的にもそんな感じでしょうか?車では1時間半ほどです。テレルジは2度ほど行ったことはありますが、一人で行ったことはもちろんなく、今回も日本人の駐在員の方の車に乗せて行っていただきました。メンバーは4人で、大企業の駐在員の方が2名と私の友人のBさんと私です。朝9時スタートということで、7時半にウランバートルを出発しました。草原の大自然とは違い、ここテレルジは奇形の岩や山に囲まれ、少し原始的な雰囲気がします。また川が流れていることもあり、この時期は緑が豊かです。予定よりも少し早く到着しました。ゴルフ場は、このホテルの向かい側に作られました。受付などはこのホテルでやります。私は、ゴルフバッグ一式と靴を借りました。ロッカーなどはないので、必要ないものは車の中に置いていきます。キャディさんは、一人に一人つきます。カートは手で引っ張るタイプです。さて、まずは1番からスタートです。表示はなぜかメーター表示です。私は外国でほとんどゴルフの経験ないのでわかりませんが、メーター表示は良くあるのでしょうか?ティーグラウンドとグリーンはともに人工芝でした。その下はコンクリートのようで、とても硬かったです。Bさんのティーショットです。今回が生涯2回目ということでした。最初の2ホールはとても平坦で、河川敷みたいな感じでした。ですが、その後道路を挟んで反対側に移動しました。フェンスを開けて、道路の反対側に進みます。道路に車が走っているのが見えます。モンゴルのキャディさんはバッグを運ぶだけ、と聞いていましたが、私のキャディさんはボールの行方を見たり、ボールを探してくれたり頑張っていました。もちろん、コースの読みや、グリーン上でのアドバイスはありません。私についてくれたキャディさんです。セカンドショットはこんな感じで打ってます。斜面で打つことが多かったです。コースは日本とどう違うか?あまりにも違うので、どこから言ったらいいのか?日本のコースは当然ですが、コース全体に手が行き届いていて、いかにもしっかり管理されているなという感じですが、今日のコースは基本的に草原に18ホール分ティーグラウンドとグリーンを作りました、という感じです。アメリカのコースも、一部はあまり管理されてないようなところもありますが、それとでさえ比べ物にはなりません。ですから、グラウンドは日本とは全く違い、フェアウエイといえども、日本のラフよりもラフっぽいです。例えば、こんな感じで石がゴロゴロしています。打つときも結構気になります。よく見ると、岩のような石が出っ張ってたり、小石がゴロゴロしているのがわかると思います。これでもフェアウエイです。ラフのようなフェアウエイがほとんどです。この季節、花が綺麗でしたが、フェアウエイにしてはちょっと深かったです。周囲は、モンゴルではあまり見られない緑が豊かでした。コースからの眺めは良かったです。コースは平坦なところと斜面ばかりのところがありました。グランウンドそのものはほとんど平坦なところはなく、歩きながらも常に足の裏に凸凹を感じてました。距離は全体にとても長く感じました。メートル表示の合計は5000mあまりなので、ヤード表示でも特に長いわけではないのでしょうが、コースレイアウト上やや非効率というか、コース間の移動も結構あったので、そう感じたかもしれません。もう一つは、ロングホールがやたら多かったことがあります。特にコース1と書かれている方には、なんとロングコースが5つもあります。9ホール中5つです!その分コース2には1つだけですが。しかも500m以上で登りのコースがあったりで、かなりタフな感じがしました。印象としては、ロングホールとショートホールが多く、普通のミドルが少ないという感じです。プレーしていて感じる違いは?まず、ボールがすぐ見えなくなります。フェアウエイですらよく見えないのですから、ラフに入るとすぐに消えてしまいます。ブッシュの中に入ると大変です。でも、皆で探せばなんとか見つかることは見つかりますが。池などはないので、ボールのロストはほとんどないですが、ボール探しには結構時間はかかりました。バンカーもあることはありますが、少ないです。一番気になったのは、グリーンです。このグリーンの下の灰色の部分はコンクリートです。ですから、とても硬いのです。ほとんどの人がそうでしたが、グリーンに乗せるのに、ナイスショットで直接グリーンに乗ったときは、ほぼそのまま勢い余ってグリーンから出てしまいました。大きく跳ねるわけではないのですが、とにかくグリーンが速いのです。ですが、それを意識すると、今度はショートばかりになり、届かないことになってしまいます。私にはこのグリーンの硬さが一番普通のゴルフ場と違うかなと思いました。ですが、総体的にはとても楽しく、モンゴルにもこんな施設があるんだなと感謝しました。あの寒い冬を思えば、夢のようです。また来たいと思いました。スコア?世界各地でゴルフの経験をされたことがあるFさんは、世界中には素晴らしいコース、未整備なコース、いろいろありますが、「なぜかスコアはほとんど一緒」だそうです。それだけ安定しているんだなと感心しました。が、私も終わってみれば大体日本でやっているときのようなスコアで終わりました。昨日のボーリングのスコア(?)よりは良かったです。一緒に行ったメンバーとは、もちろん全員今日初めてゴルフをご一緒しましたが、皆気持ちの良い方ばかりで、楽しかったです。やはりゴルフは、スコアよりも一緒に回るメンバーが大切だなと、再認識しました。次の機会が楽しみです。
2009.05.24
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今、成田空港です。15時半出発予定のMIATが20時出発に変更になりました。さすがに4時間半の遅延は厳しいですね。しかもチェックイン受付は17時半からとあるので、それまでこの重いスーツケースと一緒に行動ということになります。ですが、なんとかコインロッカーを見つけ、そこに押し込むことに成功したので、その問題は解決しました。それにしてもかなりパンパンに膨らんだスーツケースが入るコインロッカーがあるというのは、さすが空港ですね。普通はあり得ません。問題はここからです。17時半と看板に書かれてあったので、17時前にMIATのカウンターに行ってみました。するとそこは他社(ニュージーランドの航空会社)がチェックインをやっており、さきほどあったお知らせの看板はなくなっていたのです。なので私は「すいません、MIATは17時半からでいいんですか?」とそのカウンターにいた全日空の職員に聞きました。ところが返事は「すいません、それはモンゴル航空の人に聞いてください。」というのです。私が「何を言ってるの?全日空が受付業務を請け負っているんでしょ?だったら、全日空として答えてください。そもそもMIATの人なんてどこにいるかわからないじゃないですか?」と言うと、渋々調べました。「すいません、17時からDカウンターで始めるそうです」だそうです。で私が、「なんのお知らせもありませんし、このカウンターの周りにはMIAT待ちのモンゴル人がたくさんいるじゃないですか。」というと「ああ、あの人たちみんなモンゴルの人で待ってるみたいよ」とひそひそ話します。結局、全日空の職員がお知らせして、民族移動のようにゾロゾロと列をなして歩きました。で、今度はDカウンターです。Dカウンターへ行くと、何の質問もせず全日空の職員が「お客様、ここはクローズしています。Cカウンターへお回りください」と言うのです。私が「いや、全日空の人にDカウンターへ行けと言われたんです。」というと「誰ですか?」だって。話になりません。そうこうしていると、モンゴル人の集団がぞろぞろDカウンターに集まってきます。要するにDカウンター側は全然連絡を受けてないってことです。・・・まだまだこの話は続きますが、そろそろ飛行機に乗り込まないとけません。UBへの到着は午前零時を過ぎるでしょう。迎えの人らも混乱するかもしれません。私は幸い連絡がついたので、大丈夫だと思いますが。一つ気づいたことが。今日のモンゴル人比率は、私が過去数十回MIATに乗った経験でも一番多いかもしれません。なんせ、チェックインの行列では日本人を見つけることができなかったほどです。そして皆さん、例外なく膨大な荷物を預けています。もちろん、答えは「ツァガンサルでの里帰り」ってことです。とにかく無事着いてほしいです。というわけで搭乗手続きをしようと、カウンターにやってきました。が、20時の出発時刻を過ぎても、手続き開始のアナウンスはありません。聞けば「実は、先ほど到着したばかりなのです。」とのこと。さあ、無事に着くかどうか。
2017.02.17
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小麦料理で同じように日本人から「中国の影響?」と思われてしますのが、ツィバン(焼うどん)やゴリルティシュル(肉うどん)です。なんせ麺類はどうあがいても日本人には中国が本場でしょう。ですが、これも中国経由ではなく、西からモンゴルに直接入ってきたのです。これはゴリルティシュルです。これまた西方の遊牧民は、スープに小麦加工品を入れるというのは昔からある手法です。ゴリルティシュルという名前は、ゴリル(小麦粉)、ティ(入った)、シュル(スープ)に分けられます。つまり小麦粉入りスープというのがその直訳です。つまり「うどん」という加工品ではなく「小麦粉(を練ったもの)」を入れたスープというわけです。やや細かいですが、中国やその影響を受けた日本は「うどん」を食べるのに「スープ」に入れます。が、モンゴルは「肉スープ」を食べるのに「小麦粉」を入れているのです。その証拠にモンゴルではうどんを食べるのにスープで食べます。カザフスタンも他の遊牧民の国もスプーンで食べるのです。要は日本の感覚では、うどんはスープの具なのです。 同様にツィバンもそうです。名前は「モンゴル焼うどん」とされていますが、実際には蒸しうどんですから、中華の焼きそば系とは作り方も違います。そもそも中国から伝わっていたとしたら、中華系の調味料がもっとモンゴルにあったでしょうし、名前も「なんとか麺」みたいな名前になっていたでしょうし、食べるのも箸でしょうね。 これはカザフ料理。モンゴルのツィバンと同じような感じです。というわけで、モンゴルの有名料理ボーズ、ホーショール、ツィバン、ゴリルティシュルなど、小麦粉を使った伝統料理は中国伝来ではなく、西のペルシャを起点とし、遊牧民によって伝えられてきたことがわかると思います。ですが、「スーテーツァイ」(モンゴル式ミルクティー)だけは、さすがに中国伝来と思っていました。なんせお茶と言えば中国ですから。ですが、今回この茶馬古道を見て「なーるほど!」とわかったわけです。まず「なるほど」と思ったのは、お茶の原産地は現在の中国雲南省ですが、ここはもともとの漢人ではない地域なのだそうです。要するに今の中国は何でもかんでも5000年前から中華民族だと妄言していますが、もちろん嘘です。共産党に言わせれば、チベット人もウィグル人ももちろんモンゴル人(なんとチンギスハーンも!)全て5000年前から中華民族というのですから、どこまで嘘を言えば気が済むんだ?というレベルです。(続く)
2020.05.29
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昨年から何度か本ブログで話題にしているハーンバンクの親会社、澤田ホールディングの件です。4月21日付け本ブログでも書きましたが、最大の懸念だった「モンゴル当局による「新しい株主への譲渡制限」や「澤田HDに対するハーンバンクの議決権、配当受領権の停止」などの滅茶苦茶な規制は、当局から「譲渡してもよろしい」とお達しがきたとのことで、さすがに1年以上も漂流していたTOBは終結するかと思われていました。そうであれば、5月11日に目出度く1050円で株式を買い取るというTOBも決着すると思われていました。4月21日の時点ではまだ株価が773円だったのは、恐らくその日から20日間も先のTOB実施への信頼性の問題があった故、TOB価格との開きが大きかったと推測されます。(普通はTOB価格に限りなく近づく)その証拠に、5月11日が近づくにつれ株価は上昇し、遂には5月11日には978円の高値を付けるところまで高騰しました。わずか20日間程度で、26%も上昇しました。年率換算では500%近い、「確実で儲かる」話でした。ですが、もちろん、確実ではないから最高値でも1000円にもならないのでしょう。で、5月11日に再びの再び延期されました。今度の期限は5月25日です。なんでこんなに細切れに延期するのかわかりません。この会社の公開買い付け届出書というのは、日程が延期されるたびに「訂正届出書」という形で、当局に提出されています。その訂正回数を数えてみたら・・・なーんと31回も訂正(つまりTOB締め切り日の延期)があったのです。2020年2月20日付けが最初ですから、14か月半で31回の変更ということになります。単純に考えても、この15か月近い間に毎月平均して2回以上もの変更があったというから、驚くほかはありません。計画性のなさ、行き当たりばったりのやり方であることが明白です。恐らく、法律上はこんなひどい投資家の存在は想定されていないので、30回でも50回でも延期し放題なのでしょう。そもそもこの公開買い付け届出書は杜撰です。変更理由は、モンゴル銀行に提出した書類に伴い変更があったようなことが書かれています。が、なんと最初のモンゴル銀行への提出日は「20201年4月20日」とあります。2万年?いくらモンゴルでも、西暦は世界共通です。書いた方も書いた方ですが、受理した方も良く受理しましたね。提出先は関東財務局長とあります。年号のチェックもできない、情けない役所です。(私が見たのは役所へ出した現物ではないので、もしかして転記ミスかもしれませんが)で、この2万年の届出書を出し、TOBの仕掛人であるウプシロン投資事業組合のその実態や本当の狙いは、私にはわかりません。が、届出書を見る限り、やはりハーンバンクの株主であることが澤田HDの最大の価値であることは当然のことながら承知はしているようです。仮に上手くいったとして、本当にモンゴルの銀行を経営できると思っているのでしょうか?もしそうなら、やはり裏にはカギになる人がいるのでしょうが、私にはわかりません。日本人だけで何かができるとも思えません、あの国で。このウプシロン投資組合は、META CAPITAL株式会社というところが運営しているようです。これは一体、どんな会社か?調べてもよくわかりませんが、その代表取締役の名前が気になりました。税所 篤という人です。これは「さいしょ」と読む名字で、私の経験では九州に多い名前です。で、検索してみると・・・なんとびっくり、そのまんまの名前の人がWikipediaに載っていました。予想通り薩摩の人ですが、残念ながら100年前の人でした。確かMETA CAPITALは元ソニーの出井さんなどが関わっていたと思います。いくら小さな会社でも代表者であればネット検索に引っかかると思うのですが、なぜか全く出てきません。で、いろいろやっていると、なんと同姓同名の税所篤という人のブログを見つけました。それが不思議なブログなのです。ブログ名は「税所のブログ」とあります。(Amebaブログです)そして記事はたった一つだけ。その題名は「メタキャピタル・マネジメント」とあります。税所という珍しい名前であることと、メタキャピタルと明確に言っているところからして、このブログの主が代表取締役である税所篤であることは間違いないようです。このブログは2013年8月に書かれたものですが、なんとその時の「就活」先としてキャピタルマネジメントを考えているようなことが書かれているのです。仮にこの時大学4年生とすると、それから8年ですから30歳くらいということになります。ブログにはヘッジファンドに入って大金を稼ぎたいようなニュアンスが書かれています。もし仮に、一般企業に勤めずに最初からこのような投資会社に入った若者が、そのまま代表者になったということであれば、そういう会社ということです。うーん、そういう人が代表者ってことです。2万年も仕方ないかも。だからと言って、その税所篤という人が、このディールを全部牛耳っているのかと言えば、どうもそうではないようです。彼はこの会社の0.01%しか所有していません。と、ここまで書いていたら新たな情報がわかりました。2013年8月の時点でのメタキャピタルの株主構成は以下の通りです。税所篤 37.5%伊藤大地37.5%出井伸之25。0%とやはり出井さんは株主だったのです。驚くことに2013年時点(推定学生??)で税所篤現代表が37.5%も持っていたのです。ですが、彼は今は0.01%しか持っていないのです。では、誰が所有しているのか?実質オーナーらしい人のことも少しずつ分かってきましたが、今日のところはこの辺で止めておきます。その実質オーナーらしき人に全体像を直接聞いてみるつもりです。多分、まともには答えてはくれないでしょうけど。お金持ちの日本人で、少しだけモンゴルに関係しています。
2021.05.12
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モンゴルに住んでいた時、そしてその後も問い合わせや相談されることが多いのが「日本でOOを売れないか?」ということです。具体的な商材として挙がったのは、カシミヤ、チャッツラガン、モンゴル岩塩、そして馬肉です。確かにこれらは私がモンゴルにいた時も個人的に「日本で売れたらいいな」と思っていましたが、なかなか具体化しません。もちろん、小さなボリュームでは、カシミヤなどはかなり前から日本に輸入されていますが、なかなかモンゴル側の「期待通り」というわけではありません。カシミヤについては、そもそも日本で大量にカシミヤが売れるきっかけとなったユニクロのカシミヤは、私のアイデアがきっかけだったのでその経緯はよく知っています。確か本ブログでも経緯を書いたことあります。ですが、結局、無念ながらモンゴル産は採用されずに内モンゴルのカシミヤがユニクロで採用されたのです。少なくとも当時のモンゴルでは「大量生産」と「品質管理」の両面でユニクロのニーズに合う会社はありませんでした。ゴビでも小さすぎました。チャッツラガンもそれまで高価格で通販など限定的なルートでしか日本では売られていなかったのを、イオンへの納品をして量産型飲料として挑戦した企業もありましたが、これも残念ながら短期間で終わってしまいました。モンゴル側の要望は痛いほどよくわかります。モンゴルは人口300万人、日本はその40倍以上の市場です。日本で大きな市場シェアなんかいらないから、ほんの1%でいいからシェアが取れたら嬉しい、と言います。ですが、その1%が大変なんです。ユニクロなどを相手に商売するとなると、「ちょっとだけ買ってください」みたいな商売は成り立ちません。イオンやコンビニ相手では、大量注文を責任をもって短期納品できる体制にしないと相手にされません。「そんな大手じゃなくても、小さな市場でいい」となると、個人のブティックとか小さな会社の健康食品通販のようなところとの取引となり、今度は1回あたりのロットが少なすぎて輸送量が非常に高くなってしまいます。モンゴル側が低価格で提供しても輸送費や流通費用で信じられない高価格になるのです。FTAでモンゴル側は日本への輸出増加を大いに期待していますが、「関税以外の問題」はFTAでは解決できないのです。私が知っている範囲では、残念ながら日本への輸出で大きな成功を成し遂げた消費財会社は知りません。そんな中で、最近二つの嬉しい「モンゴル産」を見つけました。一つは馬肉です。コロナで相当ご無沙汰していたワインバー(とはいえ、シェフが美味しいイタリアンを提供してくれる店)に行った時でした。印刷メニューとは別に手書きメニューのお薦めを見ていたら、、、えっ?なにこれ?思わず声が上がったのです。「あのー、このタルタルのモンゴル産馬肉って、あのモンゴルから来たんですか?」とシェフに聞くと「はい、そうですよ。モンゴルからです。」と。当然、即それを注文しました。で、さらに突っ込んで「この肉はどこかの商社とかがこちらへ持ってくるんですか?それともお肉屋さん?」と聞くと「出入りの肉屋です」とのこと。当然冷凍でしょう。私があまりに興味を示すので、シェフも驚いていました。出てきました。出てきたら写真を撮るつもりだったのですが、そんなことは忘れてすぐに手を付けて食べました。「うん、美味しい。しかも、そこそこボリュームもありなかなか立派。」と思いました。半分以上食べたところで思い出し写真を撮りました。馬肉ステーキとか馬肉煮込みとかなら熱を加えるのでわかりますが、生のタルタルです。私は挑戦しようというモンゴル側の業者が日本の品質基準(衛生基準)をクリアするのが大変だと聞いていたので、きっと頑張った業者がいるんだなと思いました。どの会社かは知りませんが、いろいろ聞いてみると日本で外国の馬の生肉を提供する方法は二つあるそうです。一つは馬を丸ごと輸入する方法です。これはカナダなどから馬の生体を日本に輸入して、しばらく日本で飼育して、日本の工場で加工処理するというものです。これはかなり多いらしく、モンゴルからもこのやり方で来ている馬があるとも聞きました。ですが、当然「馬肉処理」や「馬刺し」として付加価値はないので、モンゴル側もあまり利益は期待できないようです。もう一つは、海外で加工処理をし、馬刺し(生肉)のまま冷凍して日本へ輸入するというものです。この場合は、モンゴル側に付加価値があるのですが、なかなか日本の基準を恒常的にクリアするのは大変です。当然ですが、そもそもモンゴル人は生肉を食べませんので、生で食べてもよいような基準も流通もないのです。とはいえ、日本での馬刺しがかなり高価!であることを知ると、馬刺しに挑戦したくなるのもわかります。モンゴル人から見たら、日本の馬刺しの値段は天文学的に見えるでしょう。私が今回食べた馬肉の流通経路はわかりませんが、わざわざモンゴル産とかいてあることから、モンゴルで加工処理したものかもしれません。嬉しいのは、こうしたワインバーでわざわざモンゴル産を書いてくれることです。イメージが悪ければ書かないわけです。中国産を熊本産アサリと書きたいのが本心かも知れませんが、堂々と書いてくれるのはいいことだと思います。そんなことを考えながら歩いていた数日後、とあるラーメン屋さんの看板を見ました。「モンゴル塩豚骨ラーメン」です。食材を使っているだけじゃなく、商品名にわざわざ「モンゴル」を使っているのです。「幻と言われたモンゴルの岩塩を使用」とあります。メルクーリ(ザハ、市場)でいつでも安く買えるので、幻でないのは確かですが、でもこうして書いてくれるのは嬉しいですね。しかも当店一押しのラーメンです!更に1億数千年前もの年月をかけてできた塩と、解説まであります。これら細かい解説が「店内」ではなく「店の外の看板」に書かれているのですから、店主としては「モンゴル」を売りにしているのは明白です。これまたモンゴル食材がマイナスイメージであれば絶対にそんなことはしませんから、当然良い評価と考えていいでしょう。カシミヤやチャッツラガンなどの量販狙いは苦戦していますが、こうしたモンゴルを前面に出した食材が「店の押しメニュー!」として表示され、提供されているのを見ると、今後に期待できそうです。
2022.04.01
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今週に入って2つのモンゴル関連のニュースがアメリカから届いた。共に中国を意識した防衛関係である点が興味深い。1つ目はニューヨークからである。恐らく国連総会の機会を使って8月にドタキャンした首脳会談を行おうと、日本側からの呼びかけ実現した岸田首相とフレルスフ大統領との会談である。会談内容は「防衛装備品の輸出入を可能にする協定に関して実質合意したことを確認し、早期署名を目指す方針で一致した。」とある。「実質合意」を「確認」し「早期署名」を「目指す方針」で一致した、とは結局のところ何も約束してないということなのだろう。共同通信の記事であるから政府関係者による発表通りに報道しているのだろうが、退任間近の岸田首相相手に超曖昧な単なる口約束するなどモンゴル人には挨拶しているようなものだ。以前の本ブログにも書いたように、仮想敵国である中国経由でしか防衛装備品を送れない矛盾をどう解決するのか。航空機で送ると言っても、日系航空会社はない。Miatがそんな危険物を引き受けるはずはなく、せいぜいヘルメット程度か。岸田首相は良く「法と秩序」というが、今月プーチンがモンゴルに来た時に逮捕せずICC違反となったことについて、フレルスフ大統領に抗議したのか。恐らくICC違反国となってモンゴル大統領が最初に会った先進国首脳が岸田首相であり、ICC違反をしても何の問題もないことを世界に示したことは重い。2つ目のニュースはハワイからである。そこで自衛隊制服組のトップがモンゴルとインドの両軍上層部と会談したとあり、この3か国の軍上層部による会談は初めてとのこと。「日本としては南北から中国を挟む両国軍との交流を深め、中国に対する包囲網を狭める狙いがある。」とある。モンゴルの置かれた状況がわかっているのか、モンゴル軍は中露両国軍と軍事演習をしていることを理解しているのか。日本側が勝手に思い込んで妄想するのは構わないが、こうたびたび日本側に一方的な報道をされては中国を刺激するこになり、モンゴルをいじめる材料にならないか心配である。そもそもこれらは全て日本側からの押し付けでしかない。インド太平洋戦略?モンゴルには海はなく、物資は全て陸路である。台湾有事?そんなことで中国に文句を言ったら、次はモンゴルが狙われてしまう。逆に、日本は何ができるというのか。ロシアや中国に攻められたら、日本はどうする?「我が国の憲法により出兵できない」と何もできない。要するにこれらの会談はほとんどが実効性のないプロパガンダなのである。モンゴル側はこれらをどう報じているのか。いくつかのニュースサイトを見たが、出ていないのだ。私の検索能力の問題はもちろんある。が、ニューヨークでのフレルスフ大統領の動向として、ブータンの国王に会ったとかハイレベル会合でフレルスフ大統領が演説したなどはある。しかしながら、岸田首相との会談については何もないのである。やはり防衛装備品のことなんか、危なすぎて報道できないというこなのかもしれない。何も決まってないことを大げさに発表したのは、岸田首相のプロパガンダであることは間違いないだろう。
2024.09.26
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先日、ネット上のニュースから偶然に日本からの国別中古車輸出台数という統計を見つけました。モンゴルへは一体どのくらいの台数が輸出されているのでしょうか?そもそもモンゴルの自動車市場はどうなっているのでしょうか?今現在は知りませんが、昔モンゴルで聞いたときは「ちゃんとした資料はない」と言われたことがあります。本ブログでも時々モンゴルの自動車市場についてお伝えしていますが、ちょっと振り返ってみましょう。と思って、念のためグーグルで「モンゴル 自動車市場」で検索してみると・・・38万件もヒットしましたが、トップに検索されたのがなんと私の本ブログですから、やっぱり今も少なくとも日本語ではまともなデータはないようです。ですので、私の過去のブログの記事も含めてモンゴルの自動車市場を整理してみましょう。モンゴルの乗用車市場は大きく2つに分かれます。95%を占める中古車市場とわずか5%だけの新車市場です。2012年を例にとると、中古車が44,119台で新車はわずか2,290台と推測されます。2013年は新車比率が若干落ちましたが、恐らく2014年もほぼこのレベルで推移しているでしょう。この中古車市場は、ざっくり言って3つに分かれます。メインは日本からの中古輸出。それに続くのが韓国からの中古輸出。そして欧米からの中古輸出。欧米とは主にアメリカとドイツです。日本からは日本車、韓国からは韓国車がメインなのは当然と言えば当然ですが、アメリカはちょっと事情が違います。もちろん、アメリカからアメリカブランドの中古車も輸入されていますが、人気があるのはアメリカから輸入される日本ブランド車。中でも、ランクル&レクサス(ランクルのレクサス版やプラドのレクサス版)は大人気です。ドイツの場合は、当然ドイツ車がメインです。で、日本からの中古車輸出台数ですが、2002年からのデータが手元にあります。2002年の日本からモンゴルへの中古車輸出台数は1,608台と日本の中古車輸出台数全体で国別の第38位でした。それが2013年には34,919台と11年で20倍以上になりました。国別ランクでも第9位となりました。以下、日本からモンゴルへの中古車輸出台数と国別順位を示します。2013年 9位 34,919台 2012年 9位 30,172台 2011年 9位 35,983台 2010年14位 19,639台 2009年19位 6,285台 2008年 9位 26,256台 2007年14位 17,802台 2006年15位 13,486台 2005年23位 7,206台 2004年22位 6,247台 2003年34位 3,486台 2002年38位 1,609台 こうして見てくると、まさにモンゴルの発展ぶりとその時々の経済情勢が思いはせられます。私が初めてモンゴルを訪れたのが2002年です。この数字にあるように、まだまだ乗用車の数は少なく、ロシア系のクルマも頻繁に見ましたし、ウランバートルの街中では馬に乗る人、牛車を曳く人まで目にしました。何より、道路はいつも空いていました。その後順調に経済は発展を続け、訪れる度にクルマの台数は増えて行きました。そしてモンゴルに住むようになった2008年には、わずか6年前の16倍以上の中古車が日本から輸入されていたのです。そりゃあ、発展ぶりに驚くはずです。ところが、2008年後半に起こった金融ショックで、翌年から大幅に輸入台数はダウンしました。私が9年落ちのランドクルーザー・プラドを買ったのはまさにこの金融ショックの起こった秋でした。街には在庫が溢れていると聞きましたが、モンゴルで在庫になっているクルマはイヤだと日本から届いたばかりのプラドに決めた覚えがあります。その後、鉱山開発景気で経済は上向き、2011年には2008年の輸入台数を抜き去り、史上最高台数が日本から輸入されました。が、その後の経済停滞は皆さんご存知の通りでなかなか大きな伸びはありません。(続く)
2015.02.07
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明日20日から、モンゴル国立大学の経済学部長と私のいる経営学科長の2人が、日本に行くことになりました。日本の某国立大学でアジア関係の学会があるようで、そのプログラムに招待されたとのことです。そこで2人からせっかく日本に行くからと日本の大学と提携の可能性について誰かと会えないかと相談されました。結局、9月にモンゴルを訪問した友人のUさんがいる大学の人たちと会うアレンジをし、その大学内の国際課やMBAコースのヘッドをしているこれまた旧い友人であるEさんとの面談をセットしました。基本的なアレンジは私が行い、あとは事務局の方と当人同士での連絡で確認してもらうことにしました。そんなやり取りの中の英文のメールを見て最初は「あれ、誰あてのメール?」と不思議に思ったのですが、すぐに「ああ、なるほど、そうだろうな」と思うメールがありました。その日本の事務局からのメールには、Dear Dr.の後に、彼(学科長)のお父さんの名前が書いてあったのです。一体どういうことなのか?「モンゴル人には名字がない」というのは以前から聞かされていたので、わかっていました。実際こちらへ来てみても、基本的には名前のみで呼び合います。ここで名前というのは、下の名前(ファーストネーム)です。日本の江戸時代みたいです。ですが、この国では大統領だろうと首相だろうと全て名前で呼ばれます。私も最初は名字を使ったりしていましたが、名前と名字がいつも混乱するので、今では日本人と会う時以外は全て下の名前を使っています。自己紹介の時も下の名前です。ですが、モンゴル人にフルネームは?と聞くと、自分の名前以外にも名字?と思えるような名前が出てきます。名刺もそうですし、学生の名簿もそういう名前が出てきます。ですが、それは名字ではなくお父さんの名前(名字ではなく、下の名前)なのです。まだモンゴルの名前の呼び方に慣れてなかったころ、日本語の先生のDさんに聞いたことがあります。「いつもは自分の名前で呼ばれるんだろうけど、公式の席とかでは名字の代わりにそのもう一つの名前で呼ばれることがあるの?」と。Dさんは笑って「まさか、だってこれはお父さんの名前ですよ。おかしいじゃないですか。」と答えてくれました。確かにおかしいです。以前にもこの件で書いたことがありますが、例えば今話題の東尾修元西武監督の娘の理子さんは「理子 修」となるわけです。ですから、いくら公式の席でも「修さん、ゴルフツアー優勝おめでとうございます」とはならないです。あるいは「修さん、石田純一さんとの婚約おめでとうございます」と理子さんに話しかける人もいないのです。つまり、お父さんの名前がついているけど、文字の上以外では使われることはほとんどないのです。で今回、日本の事務局からの学科長あてのメールにお父さんの名前が書かれていたということです。もちろん、日本人としてはその理由はよくわかります。相手のフルネームを見たら、普通は友達でもない限り、ましてやまだ会ったこともない異国の大学教授ですから、失礼のないように名字(つまりラストネーム)の方を正式な名前として宛名に書いたということなのです。私は学科長との2人部屋にいますので、彼に日本人としての当然としての対応であることを説明し、モンゴルの名前の制度は不思議ですね、という話をしました。彼はアメリカ留学をしていた人ですから、その辺は良くわかっていて「世界的に見てもこんな制度はモンゴルにしかないんじゃないでしょうか?」と言いました。私が「最近、私の友人が家族会議を開いて新しく名字を決めたなどという話を聞きましたが、不思議でなりません。新しく名字を決めるとか、皆で考えるとか、ちょっと想像がつきません。」ということを話すと、驚くべき歴史を話してくれました。実はモンゴルは以前は皆名字を持っていたというのです。それもわずか80年前まで。80年前?つまりモンゴル国が世界で2番目の社会主義国となった時なのだそうです。彼は怒りにも似た口調で「コミュニストによって名字がはく奪された」というのです。ソ連からのコミュニストたちは、モンゴル人に名字を名乗ることを許さず、その代わりに父親の名前(下の名前)をつけるように命じたのだそうです。一見、名字代わりのようにも感じますが、全く意味は違います。名字は子孫まで同じ名字ですが、父親の名前ということは、一代限りです。自分の名前には父親の名前が付きますが、自分の子供には自分の名前がつくのです。ですから、祖父の名前はその時点で消えます。それが何代も続くと、自分のルーツが全くわからならくなるというわけです。確かに、私も自分の祖父の名前までは知っていますが、それより前となると、父方も母方もわかりません。もし日本がモンゴルと同じ方式であったら、ほんの数代で何が何だかわからなくなっていたことでしょう。17年前の民主化で、再び名字を名乗っても良いことにはなったらしいのですが、ほとんど人は自分の名字を覚えていないそうです。そりゃあそうでしょう。私だって明治初期のおじいちゃんの名前知ってるかと言われれば、知るわけないですから。もちろん、立派な家系の人は「わかっている」というでしょうが、そういう家系図なども処分させられたようなのです。私は「それおかしいですよね?だってソ連だって皆名字持っているじゃないですか。なんでモンゴル人だけそうなるのですか?」と聞きました。学科長は「一種のジェノサイドだったんだ」といつもは優しい眼差しを、グッと鋭くしながら言いました。ジェノサイド?そう、民族抹殺です。やたら重い言葉に、ちょっとびっくりしました。つまり民族の歴史を切ってしまうということです。なるほど、もしかしてそうなのかもしれないと思いました。この国での究極の先祖はチンギスハーンです。今もチンギスハーンの末裔を名乗る人はたくさんいると聞きます。ある友人が「私もチンギスハーンの遠い末裔です」と言った時、私はすごく驚きました。すごーい!日本でいえば天皇家の末裔?なんて感激し、すぐに友人のBさんにその話をしました。Bさんは笑って「そんなのその辺にたくさんいますよ。というか、モンゴル人のほとんどはそう思っているんじゃないですか。チンギスハーンには何人奥さんがいたと思っているんですか?こんなに人口の少ない国で800年もたてば、ほとんどどこかでチンギスハーンの血が入っていると思っても不思議じゃないでしょう?」と言います。なるほど、日本の皇室などと違って、子孫やそのまた子孫らは何代にもわたって世の中に自由に生きてきたわけですから、どこかで誰かと縁があると考えた方が自然です。つまり正統性などはないが、実質的にほとんどのモンゴル人はチンギスハーンとなんらかのつながりがあるというのは、あながち大げさなことではないのです。そのチンギスハーンはソ連にとっては憎むべき相手、最大の侮辱を感じる相手だったそうです。モスクワ周辺を蹂躙した唯一の異民族ですから。私の推測では、ジェノサイドとは全てのモンゴル人のチンギスハーンとの縁を切るための方策だったのではないかと考えています。そのことを学科長に言うと、「その可能性はもちろんあるでしょうね」と言いました。旧ソ連はモンゴルの独立を助けた代わりに、その民族の歴史を抹殺しようとひどいことをやってきたのです。伝統的なモンゴル文字を禁止し、ロシア語のキリル文字に変えさせ、さらに名字まで奪い取ったのです。これだけでも、コミュニストの人権無視、民族抹殺の姿勢がよくわかります。80年の弾圧は長いものがあります。今では、モンゴル文字を使うのも名字を名乗るのも許されていますが、そのどちらも復活したとはとても言えません。今のモンゴルと過去のモンゴルとが不連続になってしまうのには、こうしたわけがあるのでしょう。
2009.11.19
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