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本ブログを始めて丸15年経ちました。モンゴルでの生活から日本に帰国して13年経ちました。長い間読んで頂きありがとうございました。本年7月に大きな怪我をしてしまい、現在入院しており、両手が不自由なため本ブログを書くことが出来ない状態です。この状態がいつまで続くか分かりませんが、少なくとも年内一杯は続くと思います。ですので、あまり心配なさらないでください。また元気になったら再開するつもりでいます。みなさん、お元気でお過ごしください。田崎正巳
2023.09.03
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ネプコに行った日に「明日はネプコのパーティです。あなたも参加してください・」と、突然言われました。今回のモンゴル滞在であらかじめ決まっていたのは、在モンゴル日本大使館の小林大使との食事会くらいで、他はほとんどモンゴルへ来てからです。私は何度も「まだ私の滞在中の予定は決まっていないんですか?」と日本出発寸前まで聞いていましたが、モンゴルではなかなか事前に予定を決めるという習慣がほとんどないのです。私が何度も聞くと「ここはモンゴルですよ。事前に何も決めないのは慣れているでしょう?わかっていますよね?」と逆に諭されるほどです。遊牧民の習慣と言ってしまえばそれまでですが、確かにそういう傾向があります。仕事だからと強くプッシュして予定を決めると、逆に寸前にドタキャンを食らう確率が高くなるのがモンゴルです。モンゴルで仕事をする人は、この辺を十分に勘案の上、余裕をもってお出かけください。私の場合は、結局は予定していたことはほぼ実現し、結果としてはかなり忙しい滞在になりました。で、パーティというのは、郊外キャンプで飲み会をやるということでした。当初の「午後1時ごろウランバートルを出発する」は「午後2時に延期」となり、結局3時過ぎても「ホテルで待っててください」というスケジュール感でした。ま、この辺りは私も慣れているので、1時に出発なんて期待していませんでしたが。場所は、ナライハ方面の先にある巨大なチンギス像周辺のキャンプ地です。こんな感じで、草原の中のキャンプ地です。本格的な大草原とは言えませんが、ウランバートルから車で1時間も走れば、草原気分は味わえます。そこにテントを建てて、パーティをやるわけです。パーティの主役は、もちろん「ホルホグ」です。羊一匹を解体して、熱い石などで蒸し焼きにする、草原では一番のご馳走です。味付けは塩だけですが、シンプルで美味しいです。まさに「肉を食う」って気分になります。テント内の隣のテーブルではカードゲームに興じていました。こんな感じで、モンゴル人は週末に郊外へ出てリラックスするのが好きなんです。もちろん、お酒もあります。中国系のアルコール度高いお酒で始まり、あとはビール、ウォッカ、ワインにウィスキーなどです。テントの外でも飲み会が始まりました。こうした郊外へ駆けつけるのは、ランクルが圧倒的に多いのがモンゴルの特徴です。お酒が進むと、一人の人がギターを取り出して歌いだしました。最初は、ギター好きの社員かと思っていましたが、かなり上手いのです。で、よく聞いたら、このパーティのためにプロのシンガーを呼んだんだそうです。確かに上手いわけです。モンゴル語の歌から、ビートルズまで幅広いジャンルの歌を上手に歌っていました。こんな感じで、夜更けまで楽しみます。ほとんどの人たちは、予約済みのゲルキャンプで宿泊するようでしたが、私たちは夜遅くにウランバートルへ帰りました。短い「なんちゃって草原体験」でしたが、楽しかったです。
2023.06.30
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今回のモンゴル訪問の一つの目的は、私の本「Монголын бахархал」(モンゴルの誇り)の発表会に出席することにありました。それが6月28日NEPCOのオフィスで開かれました。NEPCO(ネプコ)というのは17年前に設立された会社で、今ではモンゴル最大の出版社となっています。スフバートル広場から南に向かって伸びるメイン通りが、右に空港、左にザイサン方面と分岐する交差点近くにある、新しいビルにありました。ここはビル上部に大きく「YAMAHA」と書かれており、1階にはバイクやボートなどが売られてました。ネプコはこのビルの9階にありました。会場には私の本と名前が映し出されていました。そのオフィスに、メディア関係者などが20人程度集まって私の本の発表会がありました。次にネプコの発行人(編集の責任を持っている人)ボルドバータルさんが最初のあいさつをされました。その後、モンゴルで最も売れたと言われる「Mongolian History」の著者であるバーバルさんからも挨拶がありました。挨拶では、面白い紹介の仕方をされました。「外国人が最初にモンゴルのことを書いたのは、マルコポーロです。その後、ロシア人やフランス人が書いたりしましたが、一番最後に書いたのがタザキマサミです!」と。いやー!「凄い紹介の仕方だな!まさかマルコポーロと並ぶとは!」と思いました。後で聞いてわかりましたが、バーバルさんは超有名人のようで、私の友人らに聞いたら誰もが知っていました。そして私からも挨拶をしました。内容は、この本を書くことになった経緯や、中身のいくつかの紹介です。特に「フレーフレー!」については、誰もが知っている言葉なのに、誰もが知らない事実を聞かされて、会場の人全員が大いに盛り上がり、途中から「フレーフレー!」コールが沸き起こるほどでした。更にモンゴルで有名なコラムを書いておられるツェンドドゥーさんから、モンゴルに関する本を3冊頂きました。その後、軽食を食べた立食パーティになりました。その間、何人もの方から本を購入していただき、サインをさせていただきました。こうした方々の影響力で、少しでもモンゴル人の目に留まってくれたら、大変嬉しいです。早速ノミンデパート(旧国営デパート)にある本売り場に行きました。本売り場に女性店員が二人いたので、「この本ありますか?」と写真を見せると、いつものように「バフグイ」(ありません!)と即答です。この本屋はウランバートルでも結構大きい方で、本もたくさんありますが、この店員さんらは「すべてを知り尽くしている」自信があるのでしょうか?日本なら「少々お待ちください」と言って、パソコンで調べるなり、誰かに聞いたりしますが、ここモンゴルではそんな面倒なことはしません。彼女たち二人は勤務時間中ではありますが、楽しく談笑していたのに、わけわからない外国人に聞かれ、何の躊躇もなく「それはありません!」と言い切って、再び談笑を続けました。私が本に書いた内容が今も正しいという証明を得た気分になりました。広い店内を探していると、やっぱりありました。下段ですが、ちゃんとありました。よく見たら、その手前に平置きでもありました。恐らく新刊ということで紹介されているのでしょう。値段は35,499トゥグルグ(日本円で1400円ほど)とモンゴル物価からするとかなり高いですが、これは出版社が決めることなので仕方ないでしょう。より多くの方々の手に渡ることを祈っています。
2023.06.29
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今回の訪問では、教育関係の方々とも会っています。最初に日本的教育をベースにモンゴル有数の中等学校となった新モンゴル学園に行きました。場所はウランバートル市東部の街の中にありました。ここは2000年に日本の山形大学や東北大学に留学していたガルバドラッハさんが設立された学校で、今やそのグループの学校は9つにも及ぶそうです。その理事長さんであるガルバドラッハさんの学校設立の思いなどを伺いました。日本の教育の良い点を取り入れながらも、モンゴルらしさも生かした思いに、真面目で教育熱心な方なんだと思いました。そこで、日馬富士学校(新モンゴル学園のグループ校です)についても聞くと「今から連絡するから、会いに行けばいい。」と紹介してくれることになり、実際に行きました。場所は、新モンゴル学園が東部で街中にあるのに対して、新モンゴル日馬富士学園は西部にあり、広いキャンパスを持った立派な学校でした。元横綱日馬富士が学校を作ったというのは聞いていましたが、やはり実際に見ると大きくて立派でした。写真では全部を写すことはできませんでしたが、全部で3棟から成り立っています。2018年創立です。ロケーションは、市街地から新空港(及び旧空港)へ向かう途中にある場所で、渋滞がなければ中心部から車で30分もかからないところです。(但し、渋滞はいつもありますけど)10年前のこの辺は、まだ時折遊牧されてる牛や羊がいたほどの、のどかな場所でしたが、今では都市の発展と共にたくさんのマンション、ショッピングセンターなどが立ち並ぶ地域となりました。急なアポイントにもかかわらず、日馬富士不在ということで奥様でManagement Managerのバトトールさんと対外折衝担当の方が校内を案内してくれました。私はあまりモンゴルの中等学校(モンゴルは小中高一貫教育が基本です)を見た件数が多いとは言えませんが、今まで見たどの学校よりも広く快適そうな校舎でした。理事長室の前を通った時、「日馬富士さんは週にどのくらい来られるのですか?」と聞いたら「基本的に毎日です」と岩手大学出身のバトトールさんはきれいな日本語で答えました。「昨日も来ていましたし、本当に毎日来てます。子供たちのことを考えるのが好きなんですね。本当に今日はたまたまいないんです。」と。モンゴルではもう夏安みに入っていますから、理事長が不在だとしても不思議ではないのですが、日馬富士は基本的に100%教育に没頭しているそうです。私が「投資とか、ツイッターとかで忙しいあの横綱とは違うんですね?」というと、「横綱は教育だけです」と言ってました。ちなみに、バトトールさんは私たちとの会話では、日馬富士のことを横綱と呼んでました。大きな体育館を見せてもらいました。この写真ではわかりにくいですが、大きな平らな屋内スペースが少ないこともあり、企業がイベントなどで貸してほしいということもあるそうです。更に図書館にも行きました。なかなか立派な図書館でした。夏休みではありますが、スタッフの方々が本の整理などをやってました。本棚を見ると、モンゴル語の本とは別にかなり多くの日本語の本がありました。そのほとんどは、日本人からの寄贈だそうです。分野的には、いかにも子供向けの本から、普通の小説などもあり、中には「新潟県高校入試」という受験対策用の本もありました。これらは、恐らくいろんな日本人の方々が不要になった本を寄付したんだろうなという感じでした。「でも、本の数はまだまだ不十分なんですよ」と言ってた通り、大きなな図書館の本棚にはまだスペースが空いていました。うーむ、私は今まで何箱も処分のために超安値で古本屋さんで処分してきましたが、こういうところで読んでもらえるなら、その方がいいなあと思いました。本は重くかさばるので、輸送費の問題になるかもしれませんが、考えてみたいと思います。同時に、この学校の生徒らに私が書いた本を読んでもらいたいと思い、5冊寄贈することを申し出ました。日本の感覚では2018年設立と言えばまだ新設校で、評判はこれから徐々に高まるかもしれないという感じですが、現地のモンゴル人に聞くと「いや、もう人気校です。私の親戚の子もここに入れました」と言ってました。わずか6‐7年で今では1500人を超える生徒数だそうです。高校から入学した生徒らは既に卒業生も出ており、日本へ留学した人も多いそうです。先に訪問した新モンゴル学園と合わせて、生徒数は300人以上にもなる大きな姉妹校ということです。学校の案内や会議室でのミーティングを終え、帰るために入口ロビーに出てきたまさにその時でした。上下ジャージ姿の日馬富士が目の前を通りました。私たちが驚いていると、バトトールさんが簡単に紹介してくれ、横綱自らこちらへやってきて、挨拶と握手をしてくれました。急遽、名刺を差し上げてあいさつしました。間にいる方が、バトトールさんです。さらに、「じゃあ、写真撮るか?」と自ら申し出てくれて、一緒に写真に納まりました。3人で撮りました。驚いたことに、横綱は挨拶もそこそこにロビーにあるグランドピアノに歩いていき、そこでピアノ演奏を始めたのです。今は夏休みですし、私たちが今来た時もこのロビーには誰もいませんでした。つまり誰に聞かせるわけでもなく、自分一人でピアノ演奏を楽しんでいるようでした。学園内には、横綱のプロレベルの絵(東京で個展をやったこともあるほどの腕前)や書も飾ってありましたが、音楽もたしなむのを見て、やはり想像通りの芸術肌の人なんだなと思いました。夏休みのだれもいないロビーで上下ジャージ姿でピアノを弾く日馬富士を見て、本当に教育をこの学校を愛しているんだということがひしひしと伝わってきました。非常にすがすがしい気分になった日馬富士学園訪問でした。
2023.06.28
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街に出ました。暑くもなく寒くもなく、いい天気です。そこで見たものは、10年以上前から変わらぬ光景でした。休日ということもあり、街は比較的空いてました。スフバートル広場には、いろんな出店がありました。出店というのは、トレーラーに引っ張られた車体のようなもので、モンゴル流のファーストフードや飲み物を売ってます。これがモンゴル風屋台ですね。ホーショールはいくらかと聞いたら、2000トゥグルグ。確か昔ナーダムで買った時は800トゥグルグだったでしょうか?いずれにしても100円以下で買えます。おそらく、本当のホーショールのような肉たっぷりではなく、ひき肉をまるでマーガリンでも塗るようにうすーく塗っただけのホーショールでしょう。以前は、スフバートル広場の両脇の道路は駐車している車が滅茶苦茶多かったですが、今はすっかりありません。相当な取り締まりがあったんだろうと推測されます。ま、モンゴル人のマナーも良くなったのかな?と思った矢先です。道路上ではなく、駐車場に車が止めてあります。それで何が問題かと言えば、その止め方です。基本的にはこの写真右側の白や黒の車のように駐車するのが正しいのですが、それらの前面を塞ぐように通路に駐車している車が何台もあります。信じられない光景ですが、モンゴルではこれが普通なんです。そうすると、必ず聞かれます。「どうやって、出るの?」と。もちろん、秘密なんかありません。見た通りです。つまり「不可能」というのが答えです。誰が考えても「ここに止めたら、この車出られないでしょ?」と考えるのは日本人であって、モンゴル人は違うのです。「それはそいつが考えること、俺はここに止めただけ。」なのです。このブログでも私が時々「モンゴル人は3秒先のことまで考えられない」と書くことがありますが、それがまさにこれです。「なかなか駐車スペースが見つからない。路上駐車は警察の取り締まりが厳しいから、無理だ。あ、あそこの駐車場、まだスペースあるじゃないか!よし止めよう!」これで思考は終わりです。その先の「いや、でもここに止めると前の車に迷惑じゃないかな?」なんてもちろん、考えないのです。日本人の読者の方々は「なんかモンゴル人に悪意を持って書いてるのか?」「なんか特別な事情でもあるんじゃないか?」などと、私の書きっぷりに文句の一つも言いたくなるかもしれませんが、そうじゃないんです。私はモンゴルで2年間運転してましたが、こんなのは何回も見てますし、自分も被害にあってます。文句を言っても、誰も悪びれたり、「ごめんなさい」なんて言いません。これが本当に普通なんです。じゃあ、普通だから、特別な対処の仕方があるかと言えば、それはないんです。皆さんが懸念している通りの結果です。つまり動かせない、出られない。私が通りかかったちょうどその時、閉じ込められた車のドライーバーがやってきました。黒の車のオーナーのようです。私が興味深そうに見ていると、黒の車の目の前のシルバーの車を指して「これはお前のか?」と聞きますが、もちろん、違います。そうこうしていると、黒の車を邪魔している青の車のオーナーがやってきました。彼女も困った様子です。彼女は、加害者でもあり、被害者でもあるのです。ですが、どうにもなりません。他の車を塞ぐように止めている車のウインドウ越しに、電話番号がかかれており、そこへ電話しますがつながらないようです。仮につながったところで、困っている黒の車が出るには、一台、二台、、少なくとも四台は動かさないと出られません。本当にひどい光景ですし、どうなるかはもちろんわかりません。日本的感覚であれば、犯罪に近いひどさ(急用で出ようとしても出られない。急病の人を搬送しようにもできない)ですが、モンゴルでは「珍しくもなんともない、日常」です。最大の問題は、多くのモンゴル人は「他人に迷惑をかける」ことを気にしないというか「このままでは誰かが困るんじゃないか?」という先のことを考えない人が非常に多いということです。マナー以前の問題なんですが、残念ながら十数年前から何も変わっていないということです。20分後に歩いて戻ってきました。全く同じ光景のままでした。これがモンゴルです。上記の駐車場と別の駐車場の光景です。同じ場所ではありませんが、同じようなものです。つまりこれが普通で日常なのです。
2023.06.27
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今日は在モンゴル日本大使館へ行き、ランチをご馳走になりました。大使館へは何度かお邪魔したことはありますが、日本人の集まりのパーティのような時だったので、あまり良くは覚えていませんでした。ですが、今回は単独(実際にはモンゴル人と2人)でしたので、ゆっくり内部を見ることができました。内部はかなり立派で、確かに正式な晩餐会でもできそうなところでした。ランチとはいえ、メニューは立派な和食のコースでした。モンゴルにある和食屋さんはいくつか行ったことはありますが、どこも食材集めに苦労しているようで、さすがに日本の和食とは残念ですがかなり違います。ですが、大使館はさすがに食材調達ルートを持っているのでしょう、ほとんどモンゴルにいることを感じさせませんでした。ご覧の通り、立派な献立でした。小林大使がモンゴルに赴任されてから「今度お目にかかりましょう。」と知人を通じて連絡していましたが、コロナ禍で私は行けず、昨年モンゴルに来たときは大使の予定と合わず、今回が初対面となりました。私の小林大使に対する印象はなんといいますか、モンゴルを包み込むような優しさがあり、モンゴルに対して本当に愛情をもって接しておられるなという好印象でした。歴代の大使の方々(と言っても、全員良く存じ上げているわけではないですが)の中では、もっとも穏やかでモンゴルに対する知識や興味を一番持っている方なのではないかと思いました。もちろん、モンゴルという国の様々な問題は十分に理解しているうえで、批判よりも応援をするという姿勢に好感が持てました。大使の入省当時の話を伺った時に、なるほどだなと思うことがありました。外務省へ入られる方は当然、海外へ赴任をすることが前提です。その赴任先に大きな影響を与えるのが、語学の選択です。大使はせっかく外国へ赴任するのだから、いろんな国へ行って仕事ができるようにと思っていたそうです。入省時には一応希望の外国語を第5希望まで書けるんだそうです。できるだけいろんな国で使える言葉となると、当然ですが英語、フランス語、スペイン語などになるでしょう。大使は第5希望までモンゴル語とは書かなかったのですが、結局モンゴル語に決まったそうです。当時の大使を知る方によると、「突然決まったモンゴル語ではありましたが、当初からモンゴルに対し非常に前向きに取り組んでいたので、彼はこの仕事(外交官)にも、また、社会人としてもかなり広範囲に活躍できる人」だと感じられたそうです。通常は、その言葉の当該国へ留学するわけですが、当時はまだモンゴルは社会主義国でしたので、モンゴル語を学ぶためにアメリカにあるモンゴル語を教えられる大学に留学したのだそうです。ですが、当然アメリカの大学へ留学するわけですから英語も勉強しないといけないという状況だったそうです。それだからかどうかはわかりませんが、モンゴルへは以前に赴任してきたことは当然ありますが、今回、モンゴル大使としてモンゴルに赴任する直前はアメリカの領事館で仕事していたそうです。というわけで、モンゴル語と英語の達人のようです。モンゴル語に関しては、モンゴル人の友人が太鼓判を押していました。私の方からは、今回の本出版の経緯についてや、日本とモンゴルとの教育分野での交流をもっとできないか、などの話をさせていただきました。大使と話していて、当然ですが本質的な大使の任務は両国の友好関係を発展させることが第一優先だと思いますが、モンゴルのように比較的良好な関係を持っている国では、より具体的な交流も求められるのだろうと拝察しました。要するに、もっと経済交流を発展させるという使命です。経済交流には貿易もあるし、日本企業の進出、投資もあるでしょう。今回、モンゴルに来るにあたって乗ったMIATは満席でしたが、それは日本とモンゴルの往来が盛んだからだから、などとはとても言えないと思いました。MIATの東京便は、この6月でもまだ毎日は飛んでいません。週に5便だけです。それに対して、韓国は何便だと思いますか?聞いてびっくり、なんと毎日5便とかそれ以上で、週になんと65便も飛んでいるんだそうです。これはもう、差があるとかないとかというレベルの話ではありません。こういう現実を見ると「日本とモンゴルの関係は良好ですね!」なんて喜んでいられないということでしょう。日本企業がモンゴルに来ない理由は、私も長年関わっているので、痛いほどよくわかります。「市場が小さい」「信用できるのか?」「インフラは?」などいろいろありますが、これらは全て韓国にとっても同じです。以前より韓国パワーの凄さは感じていましたが、こうして具体的な便数の差を聞くと、言い訳ばかりの日本企業は少し情けない気がします。ビジネスでは難しいかもしれませんが、今年から来年にかけて文化的な盛り上がりは期待できそうです。民放やNHKなどで、モンゴルに関係する番組がいくつか予定されているそうです。この辺を起爆剤にして、せめて往来者数の増加と日本の航空会社の就航に期待したいと思いました。最後に3人で写真を撮らせていただきました。非常に心地よい、大使館訪問となりました。
2023.06.26
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昨日モンゴルにやってきました。昨年、バヤンウルギー県に行った時以来の1年ぶりです。本ブログでもお伝えしましたが、現在のMIATの航空機体はかなり小さいので、当然満席でした。入国審査もかなり簡略化され、入国前に記入する紙もなくなりました。確かに、毎回書かせるあの紙は一体何の意味があるのだろうと思っていました。名前、入国目的、モンゴルでの住所などを書かせますが、それをチェックすることはありません。私はいつもホテル名を書いていましたが、もちろん何の意味もないでしょう。高速でウランバートルに向かいましたが、高速代はどうやって払っているのでしょうか?確か去年は、高速に乗るときに支払っていましたが、今回はなしです。まさかETCみたいなのがあるとは思えません。帰るまでに、確認しましょう。高速からの風景は、確かに草原を突っ走っている感じはします。そこに突然、こんな風景が出てきたら、なんか草原の大都市って感じはしますね。土曜日だからか、思っていたより渋滞はひどくなかったです。途中の風景は見慣れたものでしたが、タバンボグドグループにあったフォルクスワーゲンのディーラーがあった場所に「Geely」の看板が出ていたのには驚きました。中国の民間自動車会社吉利汽車です。いよいよ中国メーカーもモンゴルに本格進出かと思ったら、またしても。確かここは韓国のヒョンデがあった場所です。そこにMGモーターと書かれた看板があります。MGはもともとイギリスのスポーツカーメーカーでしたが、今では上海汽車の傘下です。このMGのロゴは確かに、元イギリスのMGです。街はどんどん綺麗になり、一見は発展した都市のように見えます。が、やはりどうやらそれは見かけだけです。ハードは金をかければなんとでもなりますが、人の行動などのソフトの面は簡単には変われないのです。ホテルにチェックインすると「お客様は今回プレミアムルームになりますが、もしかして後日別の部屋に移っていただくかもしれません。」と言われました。要するに私が予約したスタンダードルームがいっぱいなので、アップグレードしたことを言ってるわけです。でも、滞在の途中での移動なんてまっぴらですから、素直に従うかどうかはわかりませんけどね。で、そのプレミアムとやらへ。このホテルは相当回数泊ってますから、基本的なことはわかっています。で、部屋へ。「あれ?カードキーが使えない?」荷物をもって、ロビーへ戻ってその旨を伝えると、そのカードキーを操作して再び手渡されます。で、また行くと「あれ?」。再びロビーへ。まあ、こんな程度はモンゴルでは当たり前のことですが、相変わらずのチェックインです。中へ入ると、確かに立派です。写真スイートルームで、ベッドルームの中に湯舟があります。ここに何十回も泊まりましたが、さすがにこんな部屋は初めてです。そしてトイレも!ウォシュレット?でもTOTOじゃないみたい。中国製かな?モンゴルのホテルでシャワートイレを見るのは初めてです。ですが、すぐに見掛け倒しだとわかりました。動かないのです。ハウスキーピングに言っても、誰も使い方わからないのか、修理しようともしません。朝食時です。8時半くらいにいつもの朝食場所に行くと、一人の女性スタッフが暇そうに手持ち無沙汰にしてました。暇なのはいいんです、ちゃんと準備していれば。まず料理を乗せる皿がないのです。「料理はどうやって取るんですか?」と言っても、何も反応しません。他の客も皿を待っているのに、暇そうにしているだけです。具体的に「皿を持ってきて」と言わないと動かないのです。スープがあります。「このスープはどこに入れますか?この皿ですか?」と皮肉っぽく言っても、反応しません。「スープのカップに入れろ」と言います。もちろん、そんなものはありません。言われてもなお気づかないのには驚きです。料理のほとんどがなくなっています。私が蓋を開けて、ないよと見せても反応しません。サラダボウルに本来はレタスが入っているのですが、空っぽのままです。私が「これはサラダですか?」と聞くと「いいえ、サラダではなくレタスです。」と奇妙な答え。空っぽなんですよ。それなのに、「すいません、すぐ持ってきます!」なんて言えるはずもなく「空っぽで何か?」みたいに動かないのです。具体的に「レタスを持ってこい」と言われて初めて「なるほどレタスを食べたいのか?」みたいな感じで動き出します。ジュースはあるけど、コップはなし。料理も空のままでも気にせず、問題にさえしない。このKYぶりは凄いと思いました。私はロシアのラブロフ外相を思い出しました。100%おかしなことでも、平然と「これは正しい」と言えるあの態度。この女性スタッフも、誰がどう見ても「あなたがやらなきゃならない仕事だろ?」ということでも、平然とやる気のない態度を続けられるのです。但し、彼女の弁護としていえば、彼女特有のことではありません。モンゴルでは「知りません」と「ありません」しか言わない店員は普通にたくさんいるのです。ま、平均的な店員さんと言ってもいいかもしれませんね。ただ、そういう習慣が全く変わっていないことが残念なだけです。こんな話はまだまだ続きます。
2023.06.25
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今日入ってきたニュースです。ロイターによりますと「ウクライナ南部ヘルソン州のロシア支配地域とクリミア半島を結ぶチョンガル橋の道路がウクライナのミサイル攻撃で損傷し、交通が別ルートの迂回(うかい)を余儀なくされていると、両地域の当局者が22日に明らかにした。」ということです。いよいよクリミア半島とロシア支配地域を断絶させる作戦に出たようです。せっかくの立派な橋で巨費をかけたのでしょうが、これは戦争でロシアをクリミアから追い出すためですから、仕方のないことです。ですが、私のこのニュースを見ての最初の反応は、戦争戦術ではなく、この言葉です。チョンガル橋です。なんかものすごくモンゴル語っぽいんですね。これがその地域です。クリミア半島につながる重要な通路です。wikipediaなどいろいろ調べてみました。英語版はもちろん、ロシア語版も。それによると、ここはチョンガル半島という地域の名前だということがわかりました。しかしながら、この地域については1900年以降のことしか書かれていません。ですので、今度はこの言葉の意味を探りました。が、どうやら「元々はロシア語ではない言葉」とあり、もちろん「ウクライナ語ではない言葉」であるように書かれています。こうなると、私の直感はいよいよ当たっているんじゃないかと思うわけです。で、まずは単純にモンゴル人に「チョンガルって何?」「英語でChongar」「キリル文字でЧонгар」はどういう意味?と。ですが、残念ながら、現代のモンゴル語にこの通りの言葉はないようです。ですが、モンゴル人から「クリミア半島はトュルク系が多かったから、トルコ語系かも知れない?」とのコメントをもらいました。なるほど、それは十分ありうるなと思い、グーグル翻訳やその他の手段を使ってトルコ語にアプローチしたら、なんと私が「Чонгар」というのをトルコ語翻訳に入れただけなのに「原語はモンゴル語」と出てくるではないですか!!わかったのはそこまでで、現在の意味は分かりませんでした。こうなると、いよいよ私の直感であるモンゴル語説が正しいような気がします。ですが、これ以上はわかりませんでしたので、あとは推定です。辞書を引いても、そもそもЧо(チョ)で始まるモンゴル語は非常に少ないのです。小さい辞書では「Чонo」(チョンヌ。日本人が普通に聞くとチョンに聞こえるが、よく聞くと小さなヌがある)狼(オオカミ)のことです。「Гар」(ガル)は手のことです。携帯電話は「гар утас」(ガル オタス)と言います。直訳すると「手の電話」です。私は「狼の手」が語源ではないかと勝手に推測しました。狼の手は「чонын гар」と書きます。読み方は「チョニンガル」です。モンゴルがこの地域を支配したのは800年も前のことですが、この地域には多くのモンゴル語が残っていることは有名です。800年もあれば「チョニンガル」が「チョンガル」に変遷しても少しも驚くことではなく、むしろ自然でしょう。この地域の地図をもう一度見てください。この地域が「狼の手」に見えたのではないでしょうか?800年もの年月を経て、ロシアという熊がこの「狼の手」を侵略しているのです。現代の戦争を見ていることで、モンゴルの歴史に思いを馳せることができるのです。と、ここまで書いて、このブログの読者である「カザフ人」さんからコメントいただきました。私の勘は半分は正しく、半分は間違っていたようですので、以下の通り正しい情報を追加します。正しい情報というのは、やはり私の直感であった「チョンガルはモンゴル語」ということです。間違っていたのは、残念ながら「狼の手」ではなく、モンゴル人であるカルムイク人の地であったということです。以下、カザフ人さんのコメントをもとに書きます。コメントからの引用「カザフ語版Wikiによると、「チョンガル(Chongar)」という名前はクリミア・タタール語でカルムイク人(モンゴル人オイラト族)を指す呼び名だとされています。17世紀から18世紀にかけて、ジュンガリア(Dzungaria)から移住してきたカルムイク人がこの乾燥した海峡を通過し、クリミア・ハン国を頻繁に襲撃したとされています。」本ブログでも以前に登場しましたが、清の時代に最後まで清の領土になることに抵抗したモンゴル人が、ジュンガルの人たちです。ジュンガルとは、現在のバヤンウルギー県の南部にある広大な地域で、今では中国の新疆ウイグル地域となっています。このジュンガルの人たちは大変強力な軍隊を持ち、清国も非常に苦戦したと言われてます。ジュンガル人に比べれば、ハルハ人ははるかに弱かったとも・・・コメントからの引用「「ジュンガル(Dzungar)」という言葉はモンゴル語で「左翼」を意味します。モンゴル語のハルハ方言では「ズーンガル(Zuungar)」と言います。モンゴル文字ではこれらの呼称の表記はは同じですが、キリル文字で表記する際には異なってしまうため、モンゴル国に住むモンゴル人(主にハルハ族)にとっては理解しにくいかもしれません。」左のことを現在のモンゴル語であるハルハ語では「ズーン」と言いますが、チャハル(内モンゴル)やジュンガルでは「ジュン」と発音します。なので、現代モンゴル語ではズーンガルですが、現地での読み方ではジュンガルとなるのです。このジュンガルに住んでいたのがオイラート族(モンゴル人)で、この人たちがチンギスハーンの時代に西へ遠征し、クリミア半島辺りに移り住んだのです。ですから、このオイラートの人たちは、その地でジュンガルと呼ばれ、それが800年でチョンガルになり、その土地もそう呼ばれるようになったのでしょう。なんだか、北海道日本ハムファイターズの新球場が北広島市にありますが、その名前の歴史にも似ている気がします。広島出身の人たちが「ここは北の広島だ!」と名付けたと聞いたことがあります。やはり、「モンゴル帝国の痕跡は現代に至るまで残っています。」というのは、カザフ人さんにも同意していただけました。カザフ人さん、ありがとうございました。
2023.06.22
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電通は長い間アジアに関する大型イベントの総代理店を務めてきました。国内外の他社がそれを切り崩そうにも、どこも電通に変わることはできませんでした。それは「電通の運営能力が素晴らしいからだ」という電通の言い分が嘘だったことは、一連の贈収賄事件で明白になりました。私は、モンゴル側から「今後窓口は電通ではなくなるのでしょうか?」「今後のことはどこと相談すればいいのでしょうか?」などを聞いて、確かにこれは単なる国内問題ではないのだと改めて気づかされました。電通のようなアジア総代理店を決定するのは、日本のJOCではなく、スイスにあるIOCです。かすかなつてを頼りに聞いてみたら「今後は電通を総代理店にすることはない」という事実でした。こうしたこともあり、私の専門分野とは全く関係ないのですが、少々首を突っ込んでしまいました。1つ明白なのは、「アジアの総代表を日本が務めるのは当然」などという常識はとっくの昔に消え去っていたにもかかわらず、電通が当然のようにアジアの盟主的活動を続けてきたことに対する、アジア内外からの潜在的反発があったようだということです。それが今回の電通退場劇で、明確化したということです。確かに全アジアのGDPの80%を日本1国で締めていた時代ならいざ知らず、規模では中国、一人当たりではシンガポールなど、今や日本がアジアでダントツという証拠は全て消え去っています。電通事件が明白になった後、日本は身動きできませんでした。通常であれば「じゃあ、博報堂がやるか」となりそうですが、博報堂も共犯だとわかり、更にADKを含む日本の広告代理店上位会社が軒並み共犯者であったことから、リーダーシップを取る企業も不在となったのです。現状はパリ五輪までは電通が行うことになっており、それが正式にキャンセルされた事実はありません。ですが、パリ以降の総代理店については白紙状態だと聞きました。モンゴルからは「日本がまごまごしているうちに、アジアの他国は当然その後釜を狙っているようですよ。」とも聞きました。先にも言ったように、ずっと日本に牛耳られてきたことへの反発もあったようです。結局、どこになるのか?どうやら9月の総会までには決まるらしいとも聞いていました。ですが、モンゴルからの一報で、つい先日決まったことが分かったのです。決まったのはアジア企業ではなく、スイスにあるInfront Sports & Media AGという会社です。その対象オリンピックは 冬季 Milano Cortina 2026, 夏季 Los Angeles 2028, 2030年冬季オリンピック、オリンピアードBrisbane 2032、そしてその期間にある Youth Olympic です。対象国は、Afghanistan; Brunei Darussalam; Cambodia; Chinese Taipei; Timor-Leste; Hong Kong, China; Indonesia; I.R. Iran; Kazakhstan; Kyrgyzstan; Lao PDR; Malaysia; Mongolia; Myanmar; Papua New Guinea; Philippines; Singapore; Tajikistan; Thailand; Turkmenistan; Uzbekistan; and Vietnamの22の国と地域です。モンゴルも当然入っていますから、これからはモンゴルはスイス企業と交渉せねばなりません。そして注目すべきは日本が含まれていないことです。(韓国もありませんね)これはトヨタやパナソニックなどの大スポンサーがいる日本だけは、日本企業に任せようという気持ちが残っているのではないかと推測します。この推測はサムソンのいる韓国も同じロジックなのでしょうか?一体、日本は誰が担当するのでしょうか?
2023.06.20
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私は蕎麦やラーメンなどの麺類が好きです。最近は面倒なので行きませんが、以前はよくネットの情報などを参考に都内や近郊各地に麺類の美味しい店を北関東辺りまで探しに出かけたものです。故郷新潟はラーメンや蕎麦は美味しいですが、それと同じ味を東京で求めようとは思っていませんでした。が、時々は故郷の味を懐かしんで行ったりすることもあります。東京には、もともと東京のお店をはじめ全国各地から有名店が進出し、「やっぱり新潟が一番」などと思うこともありませんでした。ですが、どうやらそんなことはなく、やはり新潟の麺類は東京でも堂々のナンバーワンだということを最近知ったのです。しかも、それらは有名になる前から。私は目をつけていた店でした。まずは、ラーメンです。新潟県には五大ラーメンという言い方があり、新潟西堀にある三吉(さんきち)に代表される「昔ながらのあっさり醤油ラーメン」、巻のこまどりに代表される「濃厚味噌ラーメン」、燕の杭州飯店に代表される「背油ラーメン」、お隣三条の「カレーラーメン」、そして長岡の青島食堂に代表される「生姜醤油ラーメン」があります。実家の場所の関係で、前者3つは良くいってました。三条カレーラーメンは、あの辺まで出かけると結局燕の背油ラーメンに行くので、行ってません。長岡はちょっと離れているので、頻度は多くはないですが、長岡市にある青島食堂には行ってました。さっぱりしてて、結構おいしいです。その青島食堂が東京にあることを知ったのは10年くらい前でしょうか?場所はわかりにくく、しかも暖簾も出ていない店でした。その頃は、行けば普通に食べれました。最初に行った頃は、並ばずに食べられたのですが、それから段々人気が出たようで、今ではご覧の通りすっかり行列が凄い店になりました。とはいえ、私の中ではまだ東京人にとっては「知る人ぞ知る」店だと思っていました。一風堂やラーメン次郎に家系の名店などなど、東京には東京人に人気があり、しかもマスコミにしょっちゅう出ているラーメン屋が山ほどありますから、青島食堂はそれらとは全然違う存在だと思っていました。が、どこの調査かも忘れましたが、東京のラーメン店のランキングで1位になっていたのです。もちろん、ネット上にはラーメンランキングなんて溢れていますから、どのくらい信ぴょう性があるのかはわかりません。ですが、それでもこのマスコミに出ない青島食堂が1位になったのには驚きました。もう一つの驚きです。私が蕎麦好きなのは、本ブログで時々書いています。圧倒的に好きなのは、新潟の小千谷や十日町にあるへぎ蕎麦の店です。へぎ蕎麦なら食べたことあるとおっしゃる方は随分いらっしゃると思います。なぜなら、東京には想像以上にへぎ蕎麦の店が多いのです。ある時期私は東京にある相当数のへぎ蕎麦屋さんに食べに行きました。週刊誌の片隅のグルメ記事に出れば、そこへも足を伸ばしました。100店とは言えませんが、数十店はいきました。ですが、結論から言えば「全敗」でした。関係者がいたら怒るかもしれませんが、まともなへぎ蕎麦を食べさせてくれる店はゼロでしたと言い切れます。多分、ほとんどが小千谷か魚沼辺りにある製麺工場から購入しているだけの店のようです。先日、長年の友人に聞かれました。「昔新潟で食べたへぎ蕎麦が忘れられないんだ。東京にもいっぱいあるでしょ?どこが一番美味しいの?」と気楽に聞かれました。私は冷たく「新潟の味が忘れられないなら、残念ですが東京にはありませんよ・」と答えました。「なるほど。でも、その中ではどこ?」と聞かれたときに答えたのが、新中野にある桂屋というどこにでもありそうな町の蕎麦屋って風情の店を言いました。ここは小千谷のわたやレベルとは言えませんが、東京ではトップだと思ってます。昨年、仕事で新中野周辺を昼間うろうろしてランチ先を探していた時に偶然に見つけたのです。へぎ蕎麦なんて書いてありますが、もちろん全く期待してませんでした。値段も、とても手打ちとは思えない町の蕎麦屋さんの値段です。この通り、高級蕎麦店には見えませんね。で、ランチの天ぷらそばセットを頼んだら「えっ!なにこれ?ちゃんとしたへぎ蕎麦じゃない!」と心で叫んだのです。要するに美味しいということです。で、大将に「この蕎麦はどうやって手に入れてるんですか?向こうから送ってもらってるんですか?」と。すると「私が毎日、この地下で打ってます。蕎麦打ちのために新潟県に修行に行きました」とのことでした。なるほど、だから都内にある「小千谷などにある普通の製麵工場(乾麺やうどんも作っている工場)から仕入れて茹でるだけ」の店とは全然味が違う理由がわかりました。そして最近、東京の美味しい蕎麦ランキングというのがネットに出てました。当然、ランキングはいくつもありますし、信頼性も色々です。でも蕎麦好きの私としては、そういうのがあると必ず見ます。確かに最近は、美味しい蕎麦屋さんが東京にも増えました。私の心の中では「新潟のへぎ蕎麦にかなう店はない」と思いながらも、現実的には東京で美味しい蕎麦屋さんも探しているわけです。そのランキングは、例によって有名な店、有名な師匠の弟子による店などがランクされてました。総じて最近の高ランクの店は、和食屋化してます。どういうことか?いくら美味しい蕎麦を作っても、単価はせいぜい1000円前後。天ぷらをつけても2000円程度。なので、蕎麦以外の料理に力を入れてます。江戸時代には蕎麦屋が現在の居酒屋の役割をしていたから、それは問題ないですが、そういうご立派系は「安い居酒屋風」ではなく「高い和食屋風」になっているのです。コースで7000円とかで、お酒も高いから夜はすぐに1万円を超してしまいます。これは正常な蕎麦屋ではないと思います。で、そんな高い有名な蕎麦屋が、第10位から第2位まで続いて第1位で出てきたのがこの新中野の桂屋なのです。そのランキングで第2位の店を食べログで見ると、夜の予算は6,000-8,000円です。第4位の店に至っては食べログで10,000-15,000円です!ですが、この桂はなんと食べログで夜の予算は1,000-2,000円なのです!素晴らしい!!一番美味しくて、一番コスパが良いなんて、大したもんです。同時に、私が偶然とはいえ「見出した気になっている店」がちゃんと一般の東京人からも最高の評価を受けていること知り、嬉しい気持ちになりました。新潟頑張ってます。私もさらに発掘したいと思います。
2023.06.17
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霧馬山改め大関霧島がモンゴルから帰ってきました。今月5日にモンゴル・ウランバートルへ行き、7日には車でドルノド県の故郷セルゲレン・ソムに行き、大歓迎を受けたとの記事が載っていました。その霧島が14日にモンゴルから日本に帰国したとのことです。10日間の滞在と聞くと何となくのんびりできそうですが、実際の期間を考えるとかなりハードなスケジュールです。到着日は夜なので、その日は活動できないし、出発日は早朝なのでこの日も活動できません。なので、これだけで実質8日です。しかも今回は彼の故郷のソムであるセルゲレンに帰っています。それをなんと700kmもの距離を車で移動です。私がドルノドへ行ったときはさすがにチョイバルサン(県庁所在地)までは飛行機を使いましたが、彼は敢えて車で行ったのでしょうか?そうなると、これまた片道で1日潰れますから、往復で2日間活動できません。もちろん高速道路なんてないですから、一般道を延々と走り続けるのです。それでも昔(と言っても私が知っている程度の昔)は舗装道路がなく大変でしたが、今ではウランバートルからチョイバルサンまでは舗装道路となっているので、その日のうちには到着できるでしょう。彼は6月7日にドルノドへ行き、日本への帰国が14日です。ウランバートルで挨拶等もあり帰国前に最低限1日滞在するとなると、帰国日の前々日の12日にウランバートルに帰る(移動する)必要があります。従って、彼が故郷で過ごせるのは8日から11日までのわずか4日しかありません。この中には地元の名士や政治家などによる歓迎会もあったことでしょう。さらに驚いたのは、彼はナーダムにも参加したというのです。モンゴルをご存じの方ならよくわかると思いますが、ナーダムは7月上旬に行う、モンゴル最大の祭典です。普通は、まずウランバートルで7月11日あたりから3-4日間やって、その後地方の各地でもナーダムを行います。地方によっては7月下旬というところもあります。そのナーダムになんで6月に参加できるのか?それは霧島の帰国に合わせて、その地域のナーダムのスケジュールが変更されたということなのです。ナーダムの予定を変更してまで霧島を歓迎するのは凄いですが、ここまでやってもらうとなれば、最低2日間程度はお付き合い(イコールお酒をたくさん飲む)が必要でしょう。こうやって時間をどんどん削っていくと、一体彼は故郷の家族らとのんびり過ごせたのはどのくらいなんだろうかと思います。良くてせいぜい2日間程度ではないかと思います。もちろん、それだけ地元から愛されているということでしょう。そういえば、ウランバートルのテレビ局もドルノドまで取材に出かけてました。私が「霧島は必ず横綱になるから、その時のドキュメンタリー番組のために今からできるだけ撮影しておいた方がいいよ!」というと「もちろん、それを意識しています。だから、今回はニュースで流す分とは別に将来のことを見据えて取材します!」と言ってました。4年ぶりのモンゴルで英気を養った霧島に来場所は期待しましょう。
2023.06.14
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まだ正式な発表はありませんが、この夏はMIATの東京ーウランバートル間の便が、1日2便になるとの情報が入りました。「おう、それは便利になるな」と思われるでしょうが、必ずしもそういうことではないのです。具体的には、現在ウランバートルから朝7時45分にOM501便というのが飛んでいますが、この20分後、恐らく8時5分(?)にOM7501便という飛行機が成田に向けて飛ぶというのです。ですので、確かに1日2便になるのですが、たったの20分差では利便性の向上というわけでもなさそうです。ですが、メリットはあります。それはキャパの増加、つまり客席数の増加があるので、予約がとりやすいということはあるでしょう。帰りの成田発も同様の措置となります。なぜこのようなスケジュールになったのか?詳細は発表を待つしかありませんが、現時点での推測は以下の通りです。MIATは飛行機のキャパを増やすべく、現在の160人乗りの機体から260人乗りの機体に変更する予定でした。一般的には、リース会社から航空機リースで調達します。そしてそれを前提にこの夏の予約を受け付けていました。つまり260人分の予約を入れていたということです。ですが、リース会社との契約上の問題から、その260人乗りの機体がモンゴルに来ないことが判明したのです。このままでは、既に260人分の予約を受け付けていることから、モンゴル内外で大混乱になることが予想されます。今月下旬から7月上旬のナーダムにかけては、一年で一番混む時期でもあります。このトラブルを回避するため、MIATは急遽、入手しやすい160人乗りを手配し、1日2便でわずか20分差での運航となったのです。恐らく、チケットを予約済みの人に対して、OM501便とOM7501便に分乗して載せるような案内が届くことでしょう。私も既に予約している便がありますが、それがどうなるかはわかりません。ただ、出発時間が20分程度の差であれば、乗客にとっても大きなスケジュール変更とはならないでしょう。なので、これが発表されれば、既に満席となっている便でも空席が出ることが予想されますので、モンゴルを訪れるチャンスとなるでしょう。というわけで、今夏のMIATはキャパシティアップとなりそうです。ちなみに、これは東京便だけでなく、他のルートでも2便制にする空路はあるようです。
2023.06.09
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クイーンというイギリスのバンドは、1970年代前半デビューでしたから、今の若い人たちには全くピンと来ない名前だと思っていましたが、映画「ボヘミアン ラプソティ」が世界的に大ヒットしたので、それでごぞんじの方も多いのではないでしょうか?もちろん、この映画の題名でもある「ボヘミアン ラプソティ」は世界的に大ヒットした有名な曲です。その曲名は、元々は「モンゴロリアン ラプソティ」だったのが、歌詞の修正を経て原題名になったというのです。クイーンのメンバーです。ガオディアンというイギリスのネットメディアによると、「サザビーズでオークションにかけられるクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』の初期草案から、これまでバンドのファンや研究者には知られていなかった、1975年のヒット曲の別の仮題が明らかになった。」というのです。そしてニューヨーク・タイムズ紙によると、「このロック・オペラの初期草稿15ページのうちの1ページで、ソングライターのフレディ・マーキュリーは上部近くに「モンゴル・ラプソディ」という言葉を書いたが、最初の言葉を取り消し線で消し、その上に「ボヘミアン」と書いたという。」のです。どういうことか?フレディ・マーキュリーの所持品がサザビーズのオークションにかけられることになり、その中に『ボヘミアン・ラプソディ』の初期草案が見つかったというのです。「ボヘミアン - またはモンゴリアン - ラプソディの歌詞は、マーキュリーの落書きの中に、廃業した航空会社ブリティッシュ・ミッドランドの便箋に書かれていました。」と関係者は話しています。これが実際の原稿の写真です。確かにこの便箋にはブリティッシュ・ミッドランドと書かれています。非常に見にくいですが、この写真をよく見てください。上部には1974年のカレンダーが赤文字で書かれています。そのカレンダーの9月の下を見てください。太い二本線で消されている文字があります。この消されている文字が「Mongolia」なのです。そしてその消された線の上には「Bohemian」と書かれています。つまり元々は「Mongolia」だったのを、フレディ・マーキュリー自身がそれを消して、「Bohemian」に書き直したのです。もちろん、今まで音楽の専門家でも知らなかった事実ですから、本当の理由はわかりません。ですが、推測はできそうです。それは「ボヘミアン ラプソティ」の意味を探ることです。Rhapsodyというのは、「自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲」という意味です。なるほど、映画でのフレディ・マーキュリーのイメージそのものですね。Bohemianというのは、「世間の習慣など無視して放浪的な生活をする人。」という意味です。元々は、自由な移動生活をするジプシーの人たちを指していた言葉で、そのジプシーがチェコのボヘミア地方に住んでいたので、こう呼ばれるようになったのです。つまり、最初はある人間の集団の生活していた地方を指していたのが、段々とその意味するところが放浪的な生活をする人、となっていったのです。こう考えると、フレディの頭の中では「移動民族?」「自由奔放?」それは英語で言えば「nomadic」と同じような意味となりますから、最初に「nomadic」が浮かんだのかもしれません。そしてnomadicと言えば、ヨーロッパ人の頭の中で一番最初に浮かぶのがMongoliaまたはMongolianだと思うのです。本ブログでも度々触れているように、「現在のモンゴル国」というのは残念ながらあまり注目はされていませんが、ヨーロッパ人にとっては歴史的に「モンゴル」という存在は非常に大きなものがあり、学校教育どころか、おばあちゃんが孫の躾(しつけ)をするときにも使うくらい、浸透している言葉なのです。なので、当然、フレディの頭には「自由奔放な放浪生活」を言い表したいときに、nomadicの代表であるMongoliaが浮かんだのでしょう。歌詞の内容は、ボヘミアンにもモンゴルにも直接関係ない言葉で綴られています。要すれば「ふらふらと適当に生きて来た少年が殺人を犯してしまい、最初はどうだっていいなんて思ったけど、悪魔やら神様のような存在に裁かれるときになって、やっぱり行きたい、逃してほしい、と本心が溢れて来たけど、時すでに遅し」という感じです。とにかく、世界的な大ヒット曲の題名にこんな秘話があったとは驚きです。曲名や映画名が「Mongolian Rhapsody」だったら、なんか、観光客が増えそうな気がするんですけどね。ヨーロッパ人にとってのMongoliaの存在の大きさを再認識しました。
2023.06.02
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霧馬山がいよいよ大関になりました。モンゴルのご両親もお喜びのことでしょう。霧馬山の出身地や霧馬山の名前の由来については、本ブログの本年3月30日付け「霧馬山、ドルノド出身だけど、内モンゴル人も気になるのはなぜ?」(https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/202303300000/)を書いたので、そちらをご参考に。そのブログで、彼がドルノド県の遊牧民の息子だったことは書きました。おじいちゃんが内モンゴルからやってきたウゼムチン族です。ネットの記事によれば家畜が1500頭もいたとあります。ちょっと信じられませんが、この数字が本当だとすると相当に大規模な遊牧民と言えます。遊牧民にとっての家畜の数は多ければ多いほどいいというものではないからです。近代的な牧畜業やアメリカ的な企業経営であれば規模は大きいほどいいでしょうが、家族経営の遊牧の場合はそうとも言えないのです。地図中央にあるのがチョイバルサンというドルノド県の県庁所在地です。セルゲレン・ソム(郡)はその北約60kmのところです。地図の右に赤い線で書かれているのがハルハ河です。日本名ノモンハン事件、モンゴル名ハルハ河戦争のエリアです。私も詳細を知っているわけではありませんが、大体こんな感じのようです。遊牧民とそして専業でやっていくには、最低でも300頭程度は必要です。もちろん、家畜の種類のミックスで多少の違いは出ますが。まあまあの中規模で500頭くらい。1000頭ともなるとかなりの規模です。私は以前遊牧民に聞いたことがあります。「今、1000頭もいるけど、将来的には2000頭とかそれ以上を目指すんですか?」と。それに対しては、きっぱりと「それはできない」と言われました。いくつも理由があると思いますが、大きく2つあると思います。1つは、えさの問題。えさとは草、つまり草原ですが、1500頭にもなると、自宅ゲル付近の草原の草はあっという間に食べきってしまう可能性があるということです。単純計算で、300頭で3か月くらい過ごせる場所が、その5倍となると単純に3週間足らずで食べきってしまいます。3か月ごとに移動しているとすると、3週間ごとに移動しないといけないということです。いくら遊牧民と言えども、これは簡単ではありません。もう1つが、管理の問題です。500頭くらいまでなら、家族(お父さんと子供数人)で家畜の移動などの管理ができますが、1000頭となると家族だけでは難しいです。親戚の子を呼んだりします。ですが、1500頭だと、家族内ではもうお手上げで、外部の人を雇う必要も出るようです。そうなると、賃金かどうかはわかりませんが、かなりのコストが発生してしまうということなのです。家族だけでやるとなると、せいぜい7-800頭が限界のようにも聞きました。その観点からしても、1500頭というのは相当な規模です。まあ、情報源が日本のスポーツ紙なので、数字が正確かはよくわかりませんけど。ですが、いずれにしてもかなり大規模な遊牧生活をしていた両親のもとに生まれたのでしょう。逸ノ城と同じように、本物の遊牧民の子として小中学校まで草原で育ったとのことです。草原に立つ霧馬山の少年時代です。良い体つきですね。確かに親方が霧島だったころにも似ているような筋肉質の体系です。師匠である元霧島の陸奥(みちのく)親方の指導も良かったようですが、モンゴルの先輩である部屋付き親方である鶴竜親方の指導やアドバイスが良かったようです。おそらくナーダムの時の写真でしょう。やせっぽちだった霧馬山に対して「どんぶり飯3杯!」を義務とさせられ「日本で一番いい」食べ物として納豆を勧められたそうです。日本食が大丈夫なモンゴル人でも納豆が苦手な人は結構いますから、食に関してはちょっと大変だったと思います。元白鵬の宮城野親方は「組んでよし離れてよし」と彼を絶賛しているそうです。恐らく、千代の富士、霧島系の帰任肉質を保ったままの強い力士になっていくのではないかと期待しています。新聞などではモンゴル出身で6人目の大関とあります。驚くべきは、5人、つまり朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜そして照ノ富士の5人全員が横綱になっているということです。当然、大関霧島も横綱になってくれるものと期待しています。そして来場所には豊昇龍にも大関になってもらいたいと思います。その下には北青鵬もいますので、再びモンゴル出身力士が横綱大関をにぎやかす時代が来そうです。モンゴルがらみで一つ追加です。モンゴルと関係している方々及びモンゴル人の方々にはちょっと気に留めておいてほしい力士がいます。それは狼雅(ろうが)という十両力士で、まだ24歳と若いです。彼はロシアのトヴァ共和国出身のモンゴル人なのですWikipedeiaによれば、国籍はモンゴルだそうです。よくご存じない方のために簡単に言えば、トヴァとはモンゴル人居住地域でしたが、ロシアに盗まれて今はロシア連邦になってしまったところです。居住地だけでわかるのか?という方もいるかもしれませんが、彼の本名がアマルトゥブシン・アマルサナーと聞けば、100%モンゴル人だとわかります。(お父さんはブリヤード人、お母さんはロシア人)狼雅です。彼が14歳の時にモンゴル国へ移住し、モンゴル国籍を取得したそうです。これはとても良い判断だったと思います。なぜか?彼がまだトヴァにいたら、率先してウクライナに送られたであろう、ロシア内では差別を受けている地域なのです。モスクワの若者は「戦争なんて関係ない!」という生活を送っていますが、ロシア連邦内のトヴァ共和国やブリヤード共和国にいるモンゴル人は大量にウクライナに送られているからです。(もちろん、たくさん戦死している)彼もモンゴル人力士として、応援したいと思います。ただ、相撲の紹介では「ロシア出身」ということになっているようです。ま、出生地は確かにロシアですから。
2023.06.01
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先週出版した私の本「The Pride of Mongolia」(モンゴル語名「М О Н Г О Л Ы Н БАХАРХАЛ」)のプロモーションのため6月にモンゴルに行くことになりました。それで早速予約を取ることになりました。私は長年JALグローバルクラブの会員であり、JAL便を海外で使う場合は何かと都合をつけてくれるので、重宝しています。今までならモンゴルとJALは無関係でしたが、昨年からJALがコードシェアをするようになりました。コードシェアは、名前の上ではJAL1234便などと便名が付きますが、飛行機もスタッフも全部従来通りのMIATが運航します。昨年夏にモンゴルへ行ったときに、JALの担当者に聞いてみましたが、マイレージは使えないし、特別な優遇もないとのことでした。なので、もちろん、MIATで発券しました。今年はコロナ明けということもあり、どうやらかなりMIATは混雑しているようです。「なかなかチケットが取れない」という声も耳に入ってきます。なので、JAL便なら席に余裕があるかもしれないとのほのかな期待をもって検索してみました。昨年JALで買わなかったのは単に高かったからです。で、今回はどうなっているのかという興味もありました。検索すると、確かに6月はかなり混雑しているようですが、取れないわけではありません。しかも昨年のイメージからするとJALで買っても安い!と思えるほどでした。最近のモンゴル行のチケットのイメージは往復で10万円前後。コロナ前は8万円前後でしたから、それよりはかなり上がっています。なのでJALだと相当高いんだろうと思いました。ですが、JALの予約サイトを見てみると、片道ですが40,000円とか、36,000円という日もあります。「おー、これはMIATよりも安いのか?」と期待させます。往復で72,000円!もうこれで決めようかと思って、帰国便を探すと軒並み6万円以上で、8万円前後も多いです。結局日程調整をして、往復10万円程度の便で決めようと思ったら、支払額はなんと135,000円くらい。税金や燃料費などを別にしているので、ネット提示額の3割以上高い値付けになるのです。他方のMIAT。相変わらず、MIATの東京支店はやる気なく、なかなか電話はつながりません。もちろん、メールしてますが、金曜日に出しても月曜日には返事は来ません。今までもすぐに返事が来ることはありませんでした。メール出してから電話するというパターンですね。午後2時から電話受け付けると言っても、もちろんモンゴル時間ですから、2時5分でも電話には出ません。で、なんとかつながってメールのことを話します。すると、数日前のメールをようやく今見たという感じで、予約案内をしてくれます。こんだけやる気がなくても、MIATで買うと10万円を切りました。JALとの差は見た目はほんの数千円の差のようですが、MIATの提示は込々ですから、やはりJALの方が40%くらいは値段高いです。というわけで、結局、今回もMIATで参ります。JAL会員でもJALで買う気が起きない価格差。一体だれがJALで買うのでしょうか?そんなシェア便のことより、昨年聞いた「2022年秋からJAL本体がモンゴル便を飛ばす」という噂はどうなったのでしょうか?私以外でも、JALが直行便を飛ばすという噂は耳にした人いるようですから、完全なガセネタではないと思うのですが。どなたかご存じの方がいたら、教えてください。
2023.05.29
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本ブログで、昨年のある時期に私がモンゴル人向けの本を書いているようなことを書いたと思いますが、あれから半年以上を経てようやく発刊となりました。今日はモンゴルで有名なブックフェアがスフバートル広場で行われました。今日と明日の二日間の予定です。発行会社はNEPCOという、モンゴル最大の出版社です。これがNEPCOのブースです。このブースに私が書いた本先ほどが届いたということです。(午前中には届いていませんでした)昨日ギリギリまで印刷製本をしていたので、モンゴルではまだどこの書店でも売られてはいません。来週以降に、本格的にモンゴルの書店に並ぶことでしょう。と言っても、ウランバートルの大型書店と言えば結構限られています。ウランバートルホテルの裏辺り(教育大学の向かい当たり)、ノミンデバート内、そしてシャングリラにある書店が有名のようです。本の装丁は緑色で、デザインは馬頭琴です。内容的には以前書いたように、「モンゴルの若者たちにモンゴルのことをもっと知ってほしい」という動機から書いたので、歴史のことが多く書かれていますが、歴史書ではありません。チンギスハーンを詳しく書こうなんてことは学者でもなければできないです。私が書いたポイントは、「現在のモンゴルでよくわかっていないこと」「現在のモンゴルと世界との接点」に対して、これらがなぜ起こったのか?どういう経緯があって、そうなったのか?などを書いたのです。なので、必然的に歴史的経緯も書きましたが、それは歴史のための内容ではなく、「今のモンゴルを知るため」にモンゴル人の若者に是非とも知ってほしいことです。幸いゲラの段階で、読んでくださったモンゴル人の方々からは好評で「こういう事実は誰も教えてくれなかった」「モンゴル人は皆こうしたことを知るべきだ」「外国人の視点で書かれているので、非常にユニーク」などの感想をいただきました。いずれこの本については、現地での評判なども含め、この場で皆さんにご報告させていただきます。ちなみにこの本は「日本モンゴル国交樹立50周年事業」に公式に認定されています。写真の本の右上に50の数字が見えます。前回のダンシャリが40周年事業であったことを思うと、あれから10年たったのかと時の過ぎる速さを感じています。日本語での出版は?などについて聞かれることもありますが、これはモンゴル人のために書いた本ですので、日本人が同じように興味を持つかはわかりません。そうした声が怒れば嬉しいですが。まずは出版できた事実をご報告します。
2023.05.27
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そして本年4月26日の国連総会です。ここで大きな動きが出たのです。その前に、その決議案をチェックする必要があります。安保理ではもちろんロシアによって否決され続けていましたから、決議案提案国にとってはなんとか賛成派を増やしたいのです。そのために、決議の文言をマイルドにするということは試されたようでした。ですがこの4月の決議は、実は「ロシアによるウクライナ侵略を非難する決議」ではなかったのです。この時は「国連とEUでこれからも協力していきましょうね」という何ともぬるい決議だったのです。それじゃあ、ウクライナとは関係ないじゃないかと思っていましますが、そこには仕掛けがあったのです。まずこの決議ですが、実は国連総会にて毎年採択されている国連と欧州評議会の協力に関する決議なのです。要するに「お決まりの決議」なのです。当然、ヨーロッパ重視の中国も今までは当たり前のように賛成してきたことでしょう。ですが、今回の決議には特別な文言を滑り込ませてあったのです。それは、冒頭部分(2ページ目)に、「ロシア連邦のウクライナ、およびそれ以前のジョージアに対する侵略に続く欧州が現在直面している未曾有の挑戦、並びにロシア連邦の欧州評議会の加盟停止は、(中略)国連と欧州評議会の間の協力強化を求めるものであることを認める」と書かれていたのです。つまり毎年「国連と欧州評議会は協力しましょうね」という表現で決議されていたものに、ロシアによるウクライナとジョージアに対する「侵略」の文言が含まれたのです。これに賛成するということは、自動的に「ロシアによるウクライナへの侵略がある」という事実を認定することになるのです。どうする中国?どうするモンゴル?「欧州と仲良くしましょうね!」という決議に反対する理由はありません。今までもずっと賛成してきたことでしょう。当然ですが、各国ともこの侵略の文言が入っていることは十分承知しています。で、結果はどうなったのか?中国、インドが賛成に回りました。つまりロシアによる侵略があったことを認めたのです。そしてモンゴルも賛成に回りました。みんな賛成かというと、そうではないのです。ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンは棄権です。トルクメニスタンは相変わらず欠席です。そして中央アジの最大国カザフスタンもモンゴルと同じく賛成に回ったのです。つまり今まで対応はほぼ一致していたこれらの国で、対応が割れたのです。私は、この対応の変化にはいくつかの要因があり、それらによって少しずつ変化が起きているのではないかと思います。一番大きい要因は、ロシアの劣勢でしょう。当初の作戦失敗はともかく、その後も攻めあぐね、ロシア内部は分裂でも起きそうなほどいろいろ問題がありそうです。そしてNATOによる強力な武器協力がかなりととのってきたことで、反撃が近づいていることが、多くの国にとって「ロシア弱体化?」「ロシアは周辺国を威嚇している余裕なんかないのでは」と感じてきたからではないでしょうか?ここで欧州評議会との協力を正面から否定したら、今後の情勢次第ではさすがの中国、インドといえどもロシアに全てをかけるわけにはいかないという判断が働いたのではないでしょうか?モンゴルとカザフがなぜ賛成票に回ったのかは聞いていませんが、恐らく「中国が賛成するらしい」との情報を得たのではないでしょうか?それを聞いて、この機会を逃したら、ロシアの呪縛から逃れられないと思ったのではないのでしょうか?この決議を機会に、ロシア周辺国でのロシアへの忖度行動が減っていくような気がします。今、G7サミットに対抗して中国が中央アジア5か国と集まって会合やってますが、この決議一つとってもたった6か国が集まっているだけなのに、賛成2か国、棄権3か国、欠席1か国と対応がバラバラです。中央アジア各国からすれば中国を盟主にしようなんて気持ちはさらさらないでしょうが、習をおだてて何がしかの資金を得られれば上々と考えているのではないでしょうか?モンゴルもこれを機に、ロシアの呪縛から逃れることができるといいのですが。(完)
2023.05.18
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ロシアによるウクライナへの違法な侵略戦争が始まって1年半近くになります。世界の平和を守るためという名目で戦後「戦勝国によって作られた国際連合」は、当然のことながら全く機能していません。最大の原因は「戦勝国というのは、絶対善で敗戦国は絶対悪」という基本概念から始まったからでしょう。それが5大国の拒否権として諸悪の根源となっているのです。絶対善は「絶対に悪いことはしない」という前提が崩れたわけですから、国連が機能しないのは当然です。少なくとも安全保障理事会は全く機能していません。そこで「決議されても強制力はない」ものの、国連加盟国の総意を得るために国連総会でロシアを非難する議決というのを何度もやっているのです。これは記名式です。もし無記名だったら、99%が非難に賛成するだろうともいわれていますが、ロシアなどの反対で記名式となっています。つまり、その国がロシアを非難する決議に賛成したかどうかわかるのです。こうした仕組みがあるので、「誰が見てもロシアが悪いに決まっているような話」でも、実際の決議となると、ロシアの報復、プーチンの顔が浮かんでなかなか「当たり前の態度」を取れないのが現実で、その一つがモンゴルなのです。モンゴルの人の多くは、一部の偏狭なロシア大好き人を除けば、多くの国民は今回のウクライナ侵略がいかにひどいことかわかっています。開戦当初はいろいろな見方がありましたが、さすがに「ウクライナの惨状」「隣のブリヤードモンゴル人への徴兵、戦死」などを見ていれば、ほとんどのモンゴル人は我々と同じ感覚でロシアに対して嫌悪感を持っています。ですが、いざ国連で投票しようとするとプーチンの顔が浮かんでしまいます。顔だけではなく、具体的な報復は実に簡単なのです。モンゴルへのガソリン供給をストップさせる、あるいは減らすだけで、あっという間にモンゴル経済は麻痺してしまいます。モンゴルの西部地域を中心にロシアから電力供給を受けていますが、それだって簡単に止められます。鉄道だって、或いはヨーロッパから来る鉄道の輸入荷物だって、どうなるかわかりません。モンゴルの場合は、単なる「タラ・レバ」の脅しではなく、実際に何度もそうしたいじめ被害は受けてきた経験があるのです。そうなると、なかなか「正しい選択」ができないのが、頭の痛いところです。ところが、今年4月下旬の国連総会で、遂にモンゴルがロシアを批判する決議に賛成票を投じたのです。これは画期的であるとともに、ある意味「ロシアはかなり追い詰められている」とも言える現象ではないかと思います。その辺を一緒に見ていきましょう。ウクライナへの侵攻があってから半年余りたった2022年10月の「ロシアによるウクライナ侵攻に対する非難決議」では、35か国が棄権をし、10か国が投票を欠席しました。この時の棄権国のうち、モンゴルとも関連しそうな国を拾ってみます。新聞でも報道された中国とインドは当然この棄権組です。気になるのは、旧ソ連であった中央アジア各国の動向です。結論としては、日米欧のように賛成した国はゼロです。カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスとモンゴルは棄権。ちなみにタイとベトナムも棄権国でした。トルクメニスタンとイランは欠席国でした。それが侵攻から1年余り経った2023年3月の決議では若干変化しました。ですが、必ずしも「良い傾向」に変化したわけではありません。上記の注目国で言いますと、ウズベキスタンが棄権国から欠席国に変わりました。もっと消極的になったということなんでしょうか?逆にイランは欠席国から棄権国に変わりました。欠席と棄権でどの程度ロシアへの忖度度合いが違うのかはわかりません。そして棄権で意外だったタイが賛成国になりました。軍事政権とも関係あるかはわかりませんが、とりあえずはまともな国になってくれました。ですが、それ以外の上記の国々は半年前と同じ態度でした。もちろん、モンゴルも棄権でした。(続く)
2023.05.17
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モンゴル滞在の著名作家、中国の警察が拘束?という記事を見て、一瞬、また「モンゴルと内モンゴルの違いも良くわからない海外の記事」かと思ったのでした。ですが、ちゃんと読むと全然違います。「中国の警察当局」が、「モンゴルに滞在」していた「内モンゴル自治区出身の」著名作家であるラムジャブ・ボルジギン氏を拘束し、中国に連れ戻したとあるのです。つまり、中国にとってはモンゴル国内も中国国内と同じように、自分たちの警察権が行使できる場所だと思っているということです。これに関する日本での情報が限られているので、モンゴル国内での批評に関しては分かりませんが、モンゴル政府はこのようなことを許していいのでしょうか?記事は「ボルジギン氏が首都ウランバートルで、車両2台に分乗した中国の警察当局者4人に拘束されたとしている。」「陸路で中国に連れ戻され、現在は自治区のシリンホトにいるとの見方が出ている」とあります。これはまさに警察権そのものです。日本の警察だって、フィリピンに滞在中の犯人たちを捕まえたいと思っても、自ら警察権の行使を外国ではできないため、フィリピン政府にお願いしてなんとか逮捕にこぎつけたのです。逆に言えば、警察権の範囲が、その国の管轄権の範囲ともいえるのです。ウランバートルの非政府組織(NGO)関係者はボルジギン氏が今年に入って中国から出国し、ウランバートルに滞在していたと明かしました。この関係者が4月上旬に電話で話した際、「中国には戻りたくない。自由な国で本を書きたい」と新たな書籍の執筆意欲を語っていたと言います。ボルジギン氏は中国で2019年、中国の「文化大革命」(1966~76年)に関する著作を問題視され、中国の裁判所で有罪判決を受けた、のだそうです。一種の亡命なのかもしれません。私はこの記事を読んで、徳王(モンゴル名デムチュクドンロブ(Дэмчигдонров)のことを思い出しました。本ブログの2022年10月25日、26日付けで書いたものです。それによると、内モンゴルとモンゴル人民共和国の南北統一を夢見たと内モンゴルの徳王は、1949年徳王を主席とする「モンゴル自治政府」を内モンゴルで発足させました。そして当時すでに「独立国」であった(はずの)モンゴル人民共和国のトップであったチョイバルサンと接触し了解を得て、遂にモンゴル人民共和国に亡命し、ウランバートルに到着したのでした。ですが、結局、中国やソ連にの干渉によって徳王は中国に連れ戻されたのです。当然、国家分裂を企てた徳王は有罪となり、中国で禁固刑となりました。どうですか?「ボルギジン氏がモンゴル国という自由な国で作家活動をしたい」「徳王が南北統一のためにウランバートルへやって来た」のに、結局は中国に連れ戻されたという事実は、何も変わっていないのです。徳王の時代は社会主義ですから仕方なかったと言えるかもしれません。ですが、それから70年以上もたった自由主義のモンゴルも結局は中国に逆らえないということなのでしょうか?モンゴルは本当に独立国なのでしょうか?モンゴル人は「内モンゴルとは違う!我々は中国には干渉されない!」と言いますが、本当にそうなのでしょうか?かくいう日本だって、中国警察が既に日本国内にあるとの話もあります。陸続きではないので、身柄拘束してそのまま連れ去るのは簡単ではないでしょうが、北朝鮮のように海岸から拉致することはできます。日本政府も、この問題をもっと掘り下げて問題意識を持ってほしいと思います。モンゴルも最早安全な場所ではないのでしょうか?ちょっと怖い気がしますね。
2023.05.16
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基本は新潟県産コシヒカリなのです。ところが、「新潟と言っても広いよ。うちの米は特別だから一緒にされてはかなわない」と個別ブランドとして名乗りを上げたのが「魚沼産コシヒカリ」です。にいがた和牛の例に倣うなら「地域別にいろいろ要望はあるでしょうが、ここは新潟県を一つにしましょう!」となるとことなのに、なぜか魚沼産だけが特別扱いされている。実は新潟には、魚沼産以外に「岩船産コシヒカリ」「佐渡産コシヒカリ」も東京の市場で正式に存在しているのです。魚沼産が名乗れるなら、岩船も名乗らせろ!いやいや佐渡産だって美味しいぞ!なるところです。本来ならそんな争いごとを避けたいなら、にいがた和牛の例のように「ここは新潟産コシヒカリ一本でいきましょう!」となるところなのに、結果は魚沼産だけが取り上げられています。相当魚沼からのゴリ押しがあったと思われます。新潟サミットのレセプションのメニューです。ところがその上を行くゴリ押しがあるのです。それは一番最後にある「塩沢産コシヒカリのムース」です。塩沢産?県外の方には耳慣れない名前でしょうが、これは魚沼産コシヒカリの中の一つの地域の名前なんです。つまり式でいえばこうなります。日本のコシヒカリ>新潟県産コシヒカリ>魚沼産コシヒカリ>塩沢産コシヒカリ、となります。ちなみに塩沢産コシヒカリは東京の相場では正式なブランドにはなっていません。つまり正式なブランドである岩船産、佐渡産を差し置いて、超小さなエリアの地域名を公式の場でブランド米として出しているのです。これには岩船や佐渡も黙っていなかったと思いますが、どこかの政治勢力で決着したのでしょう。ちなみに新之助はまだ新潟県産としてアピールするのが精いっぱいで、地域対立もありません。というか、どうも新之助は県主導で作られたブランド米で、思ったようには人気が出ていないようなのです。そんな大した人気もない米に地域が頑張って地域ブランドを作るほどの熱意もメリットもないのでしょう。次に怪しいのは、しろねポークです。実は新潟県にはブランド豚が非常に多いのです。朝日豚、甘豚、越後あじわいポーク、越後米豚越王、越後村上岩村豚、越後もちぶた、北越後パイオニアポーク、越乃黄金豚、佐渡島黒豚、純白のビアンカ、しろねポーク、津南ポーク、妻有ポークの実に13種類ものブランド豚があるのです。もちろん、県外どころか県内でも知っている人は少ないでしょう。そんな中、「しろねポーク」だけが、このサミットに取り上げられたのです!これではまるで、県が「にいがたで一番美味しいのはしろねポークだ!」と宣言しているようなものです。これには他のブランド豚も黙ってはないでしょうが、これまた政治の世界で決着ついたんじゃないかと思います。肉ついでに言えば、鶏肉もあります。ここでは「越の鶏たれカツ」に使われているブランド「越の鶏」が採用されています。が、これまた翠鶏(みどり)、にいがた地鶏、越後ハーブ鶏などがある中で、越の鶏が選ばれています。じゃあ、越の鶏は他の鶏より美味しいと県知事は言うのか?となります。同じ話の繰り返しですね。肉以外でもあります。県産珍味に佐渡一夜干しイカがありますが、これは新潟県内では一目置かれるおいしい珍味ですから、問題ないでしょう。その次の「サケの酒浸し」があります。これは確かに美味しいのですが「越後村上が生んだ味の芸術品」ともいわれるくらいに村上であることが有名なのに、なぜか村上の名前がありません。村上は、村上茶(日本のお茶栽培の北限地として有名)でも名前が載っていますが、なぜか酒浸しには「村上サケの酒浸し」とはなっていません。もしかして、村上以外で作っている業者から「村上だけじゃないぞ!」という声が上がったのかもしれません。笹団子に至っては、新潟には老舗ブランドが多いですが、その中でどこか特定のブランドを書いたら、収拾付かなくなるのかもしれません。ここには書かれていませんが、佐渡産のえごも入っていたようです。私はこれが大好きなのですが、実は新潟産(佐渡ではなく、新潟市で作ったもの)もありますから、これまた産地名で揉めるかもしれません。もっとも、佐渡産のは新潟産とはとは比べ物にならないくらいに美味しいですけど。当然、これらのメニュー以外に、メニューに載せたい有名な食べ物はたくさんあったことでしょう。代表的なのは「加島屋の鮭製品」や日本トップクラスの生産を誇るかまぼこ(堀川など)や米菓などもアプローチがあったに違いありません。こうしたメニューは少なくとも半年以上前から検討を重ねて来たことでしょう。当初はシェフを交えて、純粋におもてなしメニューとして最高のものを!と考えたことだと思います。でも、そんのことは恐らくあっという間に政治家ら関係業者らによって蹴散らされたことでしょう。はっきりしていることがあります。「特定のシェフが最高の料理を作るために考えに考えたメニューを作る」という視点、つまり「世界から来られるVIPのための最高のおもてなしと」という視点ではなく、そうした視点は建前上はありながらも実質的に「県内業者、県内政治家による対外向け宣伝、プロパガンダを第一優先にした新潟県物産展的発想のメニュー」だということです。しかもブランド間の扱いの不平等さを見ると、とても「オール新潟が一丸となって!」とは全く感じられないメニューだなと思いました。VIPたちの本当の感想を聞きたいです。「ニューヨークやパリで一流日本人シェフによる美味しい和食を食べたが、やはり本場の和食を堪能したい。ものすごく楽しみにしてきた!」というVIPの舌を唸ならせることができたのでしょうか、この新潟物産展で?(完)
2023.05.13
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新潟に来ています。私はここ数年は、お正月やお盆の「民族大移動時」の帰郷は避け、5月や11月頃に帰るようにしています。先月新潟に来たばかりですが、あの時は日帰りで実家にも寄っていませんでしたので、今回はちょっとのんびり過ごしています。実家で食事したり、ゴルフに行ったりしています。偶然でしたが、この時期は新潟でサミットが開催され、私の帰郷とちょうど重なりました。市内の道路には「(サミット会場である)万代地区には立ち入らないように」という看板が出ており、実際、あの辺を走った車は結構検問を受けているようです。安倍さんに続き、岸田さん襲撃の直後ですから、新潟県警はピリピリしているようです。当然ですが、サミット開催中に何か事故でも起こったら、まあ、最低限、新潟県警のトップの首は飛ぶでしょうからね。聞くところに寄れば「新潟にこんなにたくさんの白バイがあったのか!?」とか「とんでもない数の機動隊の車」や「県外ナンバーのVIP輸送車(民間リムジンサービス会社の車、アルファードなど)がおびただしい数ある」ところが先月私が行った、会場となっている「朱鷺メッセ」付近にいるそうです。新聞によれば「千葉や茨城などから応援が来ている」とのことです。なので検問等が厳しいため、わざわざ万代周辺に出かける人はいないようです。実家では、日経新聞と地元紙新潟日報を取っていますが、今朝の一面は全く違うものでした。日経新聞は郵便局の統廃合に関するニュースがトップでしたが、地元紙はさすがに「新潟サミット一色」です。一面以外にも関連記事として3面、10面、27面にも特集が載っているほどの力の入れようです。まあ、新潟日報としては10年に1度あるかないかの新潟での世界的会議開催ですから、当然でしょう。とは言っても、サミット会議が行われるのは新潟市だけではなく、仙台市で科学技術相会合が、富山市・金沢市で教育相会合が、そして保健相会合が長崎市手予定されています。とはいえ、新潟市のは財務相・中央銀行総裁会議ですから、ちょっぴり格上のような気がしないでもありません。普通なら、新潟はせいぜい農業相会合がせいぜいでしょうから、きっと今回は頑張ったのでしょう。サミットの内容は関心がある方なら、ネットなどで情報は見られるでしょう。私が注目したのは地元紙ファードなど)がおびただしい数ある」ところが先月私が行った、会場となっている「朱鷺メッセ」付近にいるそうです。新聞によれば「千葉や茨城などから応援が来ている」とのことです。なので検問等が厳しいため、わざわざ万代周辺に出かける人はいないようです。実家では、日経新聞と地元紙新潟日報を取っていますが、今朝の一面は全く違うものでした。日経新聞は郵便局の統廃合に関するニュースがトップでしたが、地元紙はさすがに「新潟サミット一色」です。一面以外にも関連記事として3面、10面、27面にも特集が載っているほどの力の入れようです。まあ、新潟日報としては10年に1度あるかないかの新潟での世界的会議開催ですから、当然でしょう。とは言っても、サミット会議が行われるのは新潟市だけではなく、仙台市で科学技術相会合が、富山市・金沢市で教育相会合が、そして保健相会合が長崎市手予定されています。とはいえ、新潟市のは財務相・中央銀行総裁会議ですから、ちょっぴり格上のような気がしないでもありません。普通なら、新潟はせいぜい農業相会合がせいぜいでしょうから、きっと今回は頑張ったのでしょう。サミットの内容は関心がある方なら、ネットなどで情報は見られるでしょう。私が注目したのは地元紙ながらの記事です。それは歓迎レセプションでのメニューです。これを見た最初の印象は、これはシェフが作ったメニューではなく、「政治家らが争ってできたメニューだな」ということと「食べる人の気持ちを考えたのではなく、単に新潟のことしか考えてないメニュー」だということです。そもそもこれがコースのメニュー書きなのか、単なる料理の羅列なのかはわかりません。さすがに最初にいきなり「にいがた和牛鉄板焼き」が出るとは思えませんね。なので、順番は関係ないものとしてみましょう。「政治的」と言いましたが、その理由の一つに「名前(ブランド)」があります。いくつか見ていきましょう。最初は「にいがた和牛」です。面白くもなんともない名前ですが、現在はこの名前で売り出しているようです。ですが、新潟にはこれとは別に「にいがた和牛むらかみ牛」というブランドもあるのです。これはにいがた和牛の中でも特に美味しい村上や岩船で飼育された牛のブランドです。つまり全体としては「にいがた和牛」ですが、中でも特に美味しいのは「にいがた和牛むらかみ牛」だというわけです。どうでもいい話ですが、この2つの名前のうち「にいがた和牛」を採用したのです。個別ブランドよりも新潟全体ブランドが優先ということです。なるほど、それが全体のポリシーならわかります。では、おにぎりを見てください。これは「魚沼産コシヒカリ、新之助食べ比べ」とあります。まずは魚沼産コシヒカリを考えます。ご存じのように新潟県のコシヒカリは日本でもっとも有名な米で、値段も一番高いです。なので、基本は新潟県産コシヒカリなのです。(続く)
2023.05.12
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日本企業の現地法人が多い国ランキングが東洋経済に出ていました。当然ですが、大市場である中国やアメリカが多いに決まっており、ランキングとあるくらいですからモンゴルがそのリストに載っているとは思ってもいませんでした。ですが、そのランキングは138位まであるのです。そうなると、モンゴルのことが気になります。そこには「現地法人数」「進出日本企業数」「5年前の現地法人数」「5年前の進出日本企業数」が国別に載っているのです。現地法人数と進出企業数が違うのは、例えばトヨタは中国で第一豊田と広汽豊田の現地法人を持っているので、この事例だけを取り上げれば「進出企業はトヨタ1社」で「現地法人は合弁2社」という計算になるのでしょう。日本からの進出法人数上位30か国を対象に平均値を出すことで、日本企業の進出の様子をデータで見てみましょう。進出日本企業1社に対して、現地法人は平均1.55社です。つまり、日本企業は平均的に進出先で1つか2つの現地法人を持っているということになります。この5年間は色々なことがありました。特に大きな影響は、コロナとウクライナ戦争でしょう。そうした厳しい環境下にもかかわらず、上位30か国での現地法人数は7.71%増え、進出日本企業数は7.57%増えています。残念ながら日本国はこの5年間でわずか5%程度しか成長していませんから、やはり日本企業の多くは成長を海外に求めているのだと思います。現地法人数第一位の国は、やっぱり中国で6,862社で、進出日本企業数は3,149社です。これは進出日本企業1社あたり平均2.18社ですから、上位30か国平均よりはかなり高いと言えます。ただ、第2位のアメリカも平均2.09社とやはり高いですから、これは大市場に進出した日本企業は複数の現地法人を持つ傾向にあるということでしょう。上位10か国で、現地法人数も進出日本企業数も唯一5年前よりも減少しているのが香港(第7位)です。これはわかりますね。もう自由な香港はなくなったのですから、撤退する企業が出てきたことは当然でしょう。撤退の意思決定には時間を要しますから、今後撤退をする企業もまだまだ出てくるでしょう。他方、上位10か国で一番増えているのはベトナムで、ランキングは5位です。現地法人数(1,467社)は38%増、進出日本企業数(1,185社)は35%増とともに大きく伸びています。他方中国はそれぞれ2%、3%の伸びとかなり低いことから、やはり中国からベトナムへシフトしていることがわかります。中国への不安がベトナムシフトをさせているんでしょうね。上位30位以内で目立つのはミヤンマーで、ランキングは25位です。現地法人数(170社)は41%増、進出日本企業数(120社)は35%増とともに増加しています。軍事政権下でも、最後のフロンティアと言われたミヤンマーへの進出は増えているのでしょう。「新興国」という言い方が出てきた2000年代にはベトナムもそうでしたが、モンゴルも新興国として将来の発展を期待されていました。そしてその多くの新興国に日本企業は進出したのです。ではモンゴルは現在どうなっているのでしょうか?ランキングでいえば、71位で、現地法人数は11社、進出日本企業数は10社とかなり少ないです。しかも5年前と比べて、それぞれ1社減、5社減となっています。進出日本企業数はもともと15社と少なかったのですが、33%も減ってわずか10社となりました。ここまで少ないと、企業名を数えられるような気もします。ハーンバンク、モビコム、ソフトバンクのエネルギーや新潟クボタなど、固有名詞が出てきます。他にも住宅や農業などあるようですが、ほとんど増えていないと思ったら、逆に3分の2に減ってしまったということです。世界の多くの国々で日本企業の進出が増えている中、もともと少なかったモンゴルはさらに減少しているということになります。非常に残念ですが、肌感覚と合っているだけに残念です。もっと私の知らないところで、意外な企業がどんどん進出しているという期待がありましたけど、そうではないようです。日本企業は大消費地が好きですから、モンゴルに難しいのはよくわかります。ですが、人口1,000万人以下の主要国(シンガポール、ノルウェー、パナマなど9か国)の平均をとると、現地法人数は216社、進出日本企業数は161社で5年間でそれぞれ共に9%程度は増えています。ここからわかるのは、・日本企業の多くが、海外進出に積極的で、ほとんどの国で進出企業は増えている。・人口が少ないからと言って、極端に法人数が少ないわけでもなく、また過去5年間で法人数を減らしているわけでもない。人口そのものは、理由にはならない。ということです。つまり、日本企業の進出や法人数が少ない、或いは減っているというのはかなり、モンゴル固有の事情だということがわかります。とまあ、こんな数字の分析なんかしなくても、皆さん肌感覚ではわかっていると思います。日本企業の進出がない、せっかく進出して来たのに結局撤退した、それに引き換え中国や韓国企業の進出は活発だ、などです。こうした現象に対する理由は私なりには理解していますが、結論としては、日本企業のモンゴル進出は10年以上前から叫ばれていますが、全く活発ではないということと、モンゴル側も最早日本企業の進出に過度な期待は持たなくなっているという事実です。私はモンゴルと日本の交流は、企業任せだけではなく、もっと根本的なところから変えていかないといけないのではないかと思っています。
2023.05.08
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逸ノ城が引退するとの発表がありました。当然、上位を狙えるだけの素質があるだけに残念です。逸ノ城は、本名アルタンホヤグ・イチンノロブ(Алтанхуягийн Ичинноров)といい、アルハンガイ県出身の本物の遊牧民でした。「モンゴルは草原の国で、小さいころから遊牧で足腰を鍛えられている」などと勘違いしている日本人は多いです。白鵬をはじめ、朝青龍、鶴竜などの有名横綱は皆、ウランバートル育ちの都会っ子で、遊牧民ではありません。日馬富士もゴビアルタイ出身と紹介されますが、実際はウランバートル生まれの都会っ子です。そんな中で、初めて本物の遊牧民が登場してきたときはインパクトありましたね。2014年の新入幕の時は「黒船来襲」とまで騒がれ、新入幕力士が横綱(鶴竜)と2大関(稀勢の里、豪栄道)を倒したのは史上初で、13勝を挙げる快挙でした。新入幕の翌場所に関脇昇進は昭和以降では初となり、そのまま順当に昇進を続けると期待されました。しかしその後は、幕内上位を行ったり来たりで、なかなかいい成績は続きませんでした。また体重増によるけがが多かったとも報道されました。しかし2022年には幕内優勝をし、完全復活かと期待されました。ですがその頃から、親方との確執も伝えられるようになり、成績もまた不安定になりました。が、今年の3月場所で十両優勝をし、よしこれからだ!というときに突然の引退発表となったのです。わずか2か月前に十両優勝したばかりなのにと思うととても残念です。報道によれば、腰の痛みが限界に近く、夜は横になって寝ることもできないほどで、座ったまま寝たとも書かれていました。そうであれば、確かに体に限界が来ているのかもしれません。親方との確執が原因ではという推測もあるようですが、どっちにしても身体がいうことをきかなければ相撲は取れないでしょう。四股名は「イチンノロブ」の「イチ」、人並み外れた才能を持つ「逸材」の”逸”と相撲留学をしていた鳥取城北高校から”城”を取り、「逸ノ城」と名付けられたそうです。現在は日本国籍を取得しているので、日本人です。一般に外国人力士が日本に帰化するのは、相撲協会の幹部として残るため(親方になるため)なのですが、どうやら逸ノ城は相撲協会には残らないようです。この辺にも、親方との確執が影響しているのかもと思ってしまいます。今の幕内で遊牧民出身は、ドルノド県出身の霧馬山くらいでしょう。本物の遊牧民の子が日本で大きく活躍する姿を楽しみにしていただけに残念ですが、本人の決断ですから見守るしかありません。恐らく、引退の準備なんかは全く考えてなかったでしょうから、今後のことは本当にこれから決めるんだと思います。まだ30歳と若いんですから、第二の人生を思うように歩んでほしいと思います。お疲れさまでした。
2023.05.04
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少し前の新聞の映画紹介コーナーで、モンゴル映画の「セールスガールの考現学」が紹介されていたので気になっていました。この映画は2022年大阪アジアン映画祭で、「最も輝きを放った出演者」に贈られる薬師真珠賞を受賞しました。モンゴル映画と言えば、チンギスハーンをはじめとする歴史映画とか、草原を舞台にした遊牧民の生活を描いたものなどをイメージしがちですが、この映画はウランバートルが舞台で主人公は女子大生という、現在のモンゴルの日常を取り上げています。つまりこの映画はモンゴルという国の歴史や民族性とは関係なく、どこの国でもありうる普遍性を持った映画だということです。逆に言えば、監督や脚本家の腕次第ということです。新聞やネットで何度かこの映画についての論評を見たので、普通にいつも行くような映画館をチェックするとありません。で、検索してみたら、なんと都内では新宿と渋谷で各1か所、あとは立川で、合計3か所でしか上映していないことがわかりました。なので、渋谷の小型映画館に行きました。席数60席程度とかなり小さな映画館でしたが、入った時はほとんど満席でした。観客は若い女性が多かったと思います。内容的には「アダルトショップでバイトをする女子大生」というキャッチーな設定ですが、特段、セクシー映画と言えるようなものではなく、まさに普通の女子大生を描いていたように思えます。舞台がウランバートルなので、私は「ここはどこかな?」という視点で見ていました。が、全体に引いた画像(建物全体など広く見える画像)は少なく、見覚えはあるものの、定かではない場所が多かった気がします。定番の「スフバートル広場」とか「ガンダン寺周辺」というわかりやすい場所はなかった気がします。敢えて、場所の設定を追えば、いくつかはわかりました。舞台となったアダルトショップはデパート近くじゃないかなと思いましたが、街の風景はかなり近代的で、オリンピック道路の大統領府側にできた新しいショッピング街あたりかなと。あとは、MUIS(モンゴル国立大学)付近、ソウル通りもあったように思います。川が出ましたが、あれは市内の風景ではなくテレルジあたりかなと思いました。「君の名は。」で四谷駅付近の風景を映画の中で探していたのに似た感覚です。登場人物は、主人公の女子大生サロールとアダルトショップの女主人の二人がメインで、あとはサロールの友人や家族など、基本的には少ないです。モンゴルの生活ぶりを特に貧しく描くわけでもなく、民族的特徴を強調するわけでもなく、本当にナチュラルな感じで描いていたのは好感が持てました。ゲル地区問題も大気汚染問題もありません。ただ、唯一私が「これは現実と違うな」と思ったのは、交通渋滞です。昼の時間帯の中心地や夕方の風景など、何度かバスや車で移動するシーンがあったのですが、その全てで渋滞がなく車が順調に進むのです。ほんの少しでもウランバートルで過ごせばわかりますが、「たまたま撮影の時に道路は空いていた」というレベルではないと思いました。映画鑑賞後にパンフレットを買ったのは、一体何年ぶりかも覚えてないほどです。その解説を読んでいろいろわかりました。まずサロールの変化です。最初に登場してきたときは、ちょっと野暮ったい女子大生として描かれていましたが、段々都会的な魅力ある女子大生に変わっていったのです。うっすら口ひげが生えているような女子大生で登場したのですが、やはりあれはメイクさんが素朴な雰囲気を出すためだったんだとわかりました。オーナー・カティア役のエンフトゥール・オィドブジャムツさんはドイツ在住のモンゴル人の有名女優さんでこの映画には久しぶりに出演したそうです。民主化前のロシア影響下時代に育った雰囲気を出していて、私の同僚だったMUISの年配の女性教授を思い出しました。タバコの吸い方とか、話し方などが、この女優さんにとても良く似ていたのです。この映画でも「良きロシアの時代」と現在の民主主義時代とのコントラストが微妙に描かれていました。ストーリをここで書くようなことはしませんが、主人公が社会勉強、特にカティアの影響を受けながら、自立した大人になっていく様子を描いた作品だと思います。パンフレットで面白いのは、モンゴル国の紹介のために2ページも使っているということです。良くまとまっていて、地球の歩き方レベルです。特に私が本ブログで何度も書いた「モンゴルは女性の社会的地位と教育レベルが高い」と強調しているのは、日本人に向けた明確なメッセージでしょう。ご興味を持たれたら、この連休にでも見に行ってはいかがでしょうか?下記が、上映中の映画館のリストです。http://www.zaziefilms.com/salesgirl/各県に一か所くらいはありますが、残念ながら新潟県ではやっていません。政令指定都市を持つ都道府県で、上映してないのは新潟県だけ!と思ったら、なんと埼玉県もありません。これが「文化レベル」というものでしょう。
2023.05.01
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4月27日に新潟県モンゴル交流協会講演会・懇親会に行ってきました。最近、新潟県とモンゴルを結び付けるようなプロジェクトを立ちあげようかという話があり、それについて新潟の友人と話していたところ、今度交流協会の10周年のパーティがあるようだから、参加しないかと誘われて行ってきたのです。この協会は今年設立10周年だそうです。10周年というのは微妙ですね。日本とモンゴルの国交樹立は昨年が50周年でした。他県では既にモンゴルのとの交流はあり、私もそうした県で講演をしたこともあります。10年前と言えば、本ブログも既に5年くらいはやっていましたので、日本人との交流自体は珍しくはなかったです。なので、新潟県が他県よりも早くから率先してモンゴルと交流を続けてきた、というほどではないと思います。とはいえ、遅まきながらも、新潟県がモンゴルを意識して交流を行っているのは嬉しいことだと思います。場所は朱鷺メッセというところにある、日航ホテルでした。ここは佐渡へ行く船が出る港があるエリアで、新潟でも国際会議ができるという触れ込みです。G7サミット新潟財務大臣・中央銀行総裁会議も5月にここでやるようです。前半は講演会、後半は懇親会という形式でした。前半の講演会は新潟クボタの吉田社長さんが講演をされました。吉田社長です。新潟クボタというのは、農機具などを作っている大手メーカークボタの新潟県における販売会社です。車のディーラーと同じように、メーカーのクボタからは独立した会社です。トヨタでいえば、千葉県の勝又や新潟県の等々力のように、有力地場資本が販売会社を持っていますが、それと似たような構造でしょう。一般的に販売会社と言えば、当然人口の多い都会のディーラーが大手となりますが、農機具販売に関しては北海道などと並んで新潟クボタは全国的に見ても有力ディーラーと言えるでしょう。なぜその新潟クボタの社長さんが講演をするのか?実は私は本ブログで、新潟クボタのことを10年前に書いてました。https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201401180000/そのブログの読者からのコメントには「新潟クボタは農機具売り上げ日本一で社長さんは新潟早稲田会の会長です」とまで書いてありました。新潟クボタは新潟県産の米の輸出を手掛けている会社で、モンゴルへ輸出するビジネスがNHKやテレビ東京などに何度も取り上げられたほど、モンゴルに力を入れている会社なのです。私もノミンデパートで見てましたし、おにぎりを作って試食販売していたのも見てましたので、とても親近感がわきました。現在は、コメと農機具の輸出の二本立てで、モンゴルでビジネスを展開しているということです。新潟県は人口220万人、モンゴルは330万人でしかも人口は増加しています。日本全体から見たら小さなマーケットですが、地方の県をベースに事業を行っている会社にとっては結構いいサイズの市場ではないかと思います。講演はとても良いと思いましたが、いわゆる「モンゴルへ進出するには?」とか「モンゴルでビジネスをする際のポイントは?」みたいなのはあまりなく、自社として真摯に取り組んで来られてきた様子が伺えるものでした。ただ、今のままの米の売り方ではなかなか売上は伸びないだろうとも思いました。新潟米の品質が高いことには疑う余地はありませんし、私は世界一のお米だと思っています。でも、それはお米を食べる習慣がある日本人だからです。お米を常食としないモンゴル人にとって、新潟米がどのくらい中国やベトナム米より美味しいのかなんて、恐らくわからないと思います。値段は5倍くらいする場合もありますけど。今でこそ、どこの家庭でもスパゲティを作るときはオリーブオイルを使ってデュラムセモリナ100%のパスタを茹でて作っているでしょうが、日本人だってほんの数十年前までは「うどんのような小麦粉で作った麺をサラダ油で炒めて、トマトケチャップで味付けをしたイタリアン」を食べていたのです。そんな当時の日本人に「これが世界で一番美味しいパスタだ!」と言われて、その違いが分かる人がどれだけいたかを想像すれば、ただ単に「世界一の米だ!」と言っても、需要は伸びないと思います。その辺に新潟クボタが気づけば、モンゴルでの需要は伸びていくんじゃないかと期待しています。要は、モノよりもプロモーション、啓もう活動の問題だということです。後半は、別室で懇親会となりました。立食かと思いきや、テーブルに座っての食事となりました。70名くらいの出席者が9つの丸テーブルに分かれて座りました。私のテーブルには、新潟クボタの社員の方や新潟の経営者の方々がおられました。さすがにモンゴルのことは皆さんあまり詳しくはないようですが、それでもこうしてモンゴルのために集まってくださるのは大したもんです。隣に座られた方は、「モンゴル研究家・洋画家」という肩書の方の井口優さんという方でした。なかなかユニークな肩書です。聞いてみると、モンゴルへは何回も行かれたこともあり、あのフイテン(昨年私が行ったバヤンウルギーにある、モンゴル最高峰の山)にも登ったことがあるそうな!凄いですね。しかも画家とても数々の展示会にも出されているようで、ネットでちょっと見ただけでも見たくなるような絵です。アルタイの絵、もっと見てみたいですね!こんなにたくさんの絵を描いていたのなら、是非ともモンゴルで個展を開いていただきたいと思いました。まあ、やるとなったら、展示会場の手配や輸送費などで相当なコストがかかるのでしょうけど。こんな感じで、大草原で絵を描いていたのでしょう!全体的にはとても良い懇親会でしたが、今まで似たようなモンゴル関係の会合やパーティに出た経験からすると、ちょっと熱量がなかったかなと感じました。まず出席者ですが、70人もいるのにモンゴル人はたったの3人。しかも3人のうち、新潟クボタのスタッフの方1名と主賓である新潟県立大学のエンフバヤル教授の旦那様(夫婦でお招きした)ですから、実質的には教授お一人というか、協会側としてのモンゴル人はゼロでした。エンフバヤル教授がモンゴル国から「北極星」勲章受章したことへのお祝いの花束贈呈です。熱量がないと感じたのは、なんとなく日本人同士がモンゴルのことで盛り上がっているだけで、しかもモンゴルのことを良くご存じの方はほとんどいない雰囲気だったからかもしれません。日本人同士がモンゴルとの友好を唱えるだけではなかなか進展はしないような気もしました。他県の場合ですと、モンゴルへ何度も行った経営者が、モンゴルでの苦労話などをもとに私に質問したりして、結構鋭さというか、真剣さを感じたものでした。ですが、少なくとも新潟県にはこうしたモンゴルとの交流を深めようという地元財界の重鎮の方々がおられるのは、素晴らしいことだと思います。私も少しは貢献出来たらいいなと思った懇親会でした。
2023.04.28
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やや旧聞となりましたが、ちょっと前に新聞に「中ロ依存に危うさ」という記事が出ていました。要するに、モンゴルが中国とロシアに政治経済的に依存していることを指摘し、このままでは危ういということを言おうとしているのでしょう。私は「ようやく日本の新聞もちゃんと取り上げてくれたのか。どんな事実や分析があるのだろうか?」と期待しながら読みました。内容は、「モンゴルが新型コロナウイルスやウクライナ戦争の影響を受け、隣国の中国とロシアへの依存をますます強めている。他国や国際機関、企業が再び関与しなければ、モンゴルは国際社会から遠ざかることになる。」とモンゴルの現状を憂いています。しかし、それを示す事実は「モンゴルは現在、収入を中国市場に、交通網など主要なインフラをロシアに依存している。」と当たり前のことを書いています。それだけなんです。もっと分析とか数値があるのかと思ったら、何もない。そして「国営ロシア鉄道はモンゴルの鉄道システムの51%の株式を保有している。ロシアの交通網への支配は、英豪資源大手リオ・ティントがモンゴル政府と合弁で運営する銅金鉱山にも迫る。」とあります。ロシアの鉄道網がOT(オユトルゴイ)から産出される金や銅を運んでいるかのように書かれていますが、実際には中国へは主としてトラックで運んでいるので、話の筋としてはちょっと合っていません。更に「モンゴルと世界を結ぶ航空便はコロナやウクライナ戦争により、ほとんどの路線が再開できないままだ。」とありますが、この記事が出た時点ではほとんどの空路は再開しており、大きな問題にはなっていないのです。むしろ、新空港開港でコロナ前よりもネットワークは広がっているほどです。一体、いつの情報なんでしょうか?昨年夏でも私はモンゴルへ行っているわけですから、その前の話なんでしょうか?そして「120億ドル(約1兆6000億円)もの石炭収入が消失する汚職事件が発生し、首都ウランバートルにデモ隊が現れた。」と例の石炭泥棒の話を持ち出し、「抗議行動には、政府のビルを襲撃しようとする試みも含まれた。デモ隊は新年を迎える直前に警察によって排除された。こうしたデモがエスカレートすれば、ロシアが現政権を支えるため武力行使に出る恐れがある。」とあります。ロシアの武力行使?本気でそんなことを書いているのか?いくらモンゴル政府がだらしないとはいえ、ロシア人に抑圧されていた社会主義時代を忘れている政治家はいないでしょう。それを大した根拠もなしに、気楽に「ロシア人が武力行使に出る」なんて書いてます。モンゴル人は逆に、ウクライナ侵略を見て「アジアに来るなら、次はモンゴルが危ない」と危惧を抱いています。そんなモンゴル人が、どんな理由があるにせよ、ロシア人武力勢力を招き入れるはずがありません。新聞の記事は大体これで終わりです。私はここまで読んで、「こんなしょうもない話が、一流大手新聞に大きく乗るものなのか!」と驚きました。読めばわかるように、一切、何の取材もしていません。書かれていることは、10年前の記事と何ら変わることはありません。ここまで読んで、こんなしょうもない記事を一体だれが書いたんだろうと思い、読み直すと、文化人類学者マリッサ・スミス氏という人が書いていることがわかりました。マリッサ・スミスで調べても出てこないので、Marissa Smithで調べてみると、、、やはり数は少ないのですが、確かに出ています。彼女は文化人類学者で、ロシア語が専門のようです。現在はアメリカの大学で中央アジア研究をしているようです。何と言ったらいいか、語弊があることになりそうですが、「こんな当たり前のことを書くだけで、西洋人ならモンゴルの専門家のように扱われるのか?」と感じました。とは言え、これは「日経新聞社が彼女に記事を依頼したのだから、その内容が新聞に書くべき内容であると判断したのは日本の新聞社である」という事実がありますから、彼女がモンゴルに詳しいかどうかは彼女の責任ではないような気もします。あえて、本当の要因を探すとすれば、日本人や日本のメディアなどは、モンゴルにほとんど関心がないのかなということです。仮に過去に似たような記事や報道があったとしても、そんなもん誰も覚えてないし、気にしてもいないのでしょう。この程度の記事なら、外語大のモンゴル語学科の学生でも書けるでしょうね。もちろん、それではありがたみやもっともらしさがないから、新聞社は採用しないでしょうけど。中国や中東などを鋭く分析した記事がたくさんある中、モンゴルに関してはこんな何も内容がないような記事でも許されている現状が、対モンゴルという視点では情けないけど、日本の認知度の現実だと思いました。
2023.04.18
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久しぶりに新橋駅前で待ち合わせをしたら、びっくりする広告が目に入ってきました。これは目立ちますよね?どこにあるかといえば、これは新橋の駅前にある「ニュー新橋ビル」の広告です。名前は「ニュー」ですが、建設されてから50年以上も経っているビルです。駅前の一等地ですが、かなり古いビルのため、安めの居酒屋さんなどが入っている庶民的なビルで、近々建て替え予定があります。そこにこのインパクトある看板です。一体何なのでしょうか?早速調べて電話してみると「このビルではヘッドスパをやっています」とのこと。要するに、髪を洗ってちょっとマッサージしてくれるってことみたいです。そういうお店なのに、店の営業は18時で終了とのこと。この立地で夕方6時閉店はないと思うけど、どうなんでしょうね?で、ついでにいろいろ聞いちゃいました。「モンゴ流って、モンゴルと関係あるんですか?」と聞くと、モンゴルで生産されたものではないと言います。なんでモンゴルっぽい名前なのか、もうちょっと突っ込んで聞きましたが、、、作り方とかも含め、モンゴルとは関係ないそうです。まあダジャレ?ってとこなんでしょうか?で、ネットで調べてみると、どうやらシャンプーを通販で売っている会社のようです。1本4400円とかなり高いです。「薄毛に悩む男性が選ぶ、スカルプシャンプー」とあります。男性向けシャンプーなのでしょうか?調べてみると、大阪にあるアルファウエイという会社で「見た目年齢」の研究をしているそうです。そんな研究があるかどうかはわかりませんが、そういうことをテーマにしているのでしょう。そしてなぜモンゴ流かの説明もありました。その説明文がなんとも大げさで面白いです。まず「モンゴ流シリーズの開発は、モンゴリアンとインディアンという2つのモンゴロイド、そしてそのDNAに刻まれている豊かな髪の秘密に由来します。我々は1万年を超える歴史をもつモンゴロイドにおける3つの真実に着目しました。」とあります。要するにモンゴはモンゴロイドから来たんですね。最初の理由は「日本人も同じモンゴロイドである」です。これはすごい。当たり前のことを何か発見したように書いているのがすごいです。なので「モンゴリアンとインディアンは日本人と同じモンゴロイドであり、目・肌・髪色・彫りの深さが同じである。」と解説しています。彫の深さがインディアンと同じだとは思いませんが、そう言い切ってます。次の理由は「モンゴリアンとインディアンの髪は豊かである。モンゴリアンやインディアンの髪は黒く、ハリ・コシ・ツヤのある健康的で活き活きとした髪の持ち主が多い。」です。髪が黒いという点にはその通りですね。でも、まだこれだけでは「モンゴ流」の特徴とは言えません。そして最大の特徴が「洗髪体系が日本人と異なる。」ということです。洗髪体系という言葉は初めて聞きましたが、どうやら頭の洗い方に特徴があると言いたいようです。そして「モンゴリアンは古来より洗髪時にイラクサを使用し、インディアンはユッカを使用していました。」とあります。イラクサで髪を洗うなんて聞いたことないですが、この会社はそれを発見したのでしょう。イラクサは確かに体には良いようで、薬用やハーブとして使ったりするようです。ユッカは北米原産で、先住民(ここで言うインディアン)は食用、薬用に使ってきたとあります。ただどちらもシャンプー代わりに使っていたかは不明です。そしてこの会社は「さらに調査を進めていくと、両者ともにシーバックソーン(サジー)を用いていることがわかりました。」とあります!おおー、ここで登場したか、シーバックトーン!!(ソーンでもトーンでも同じ。thの発音だから)確かにこれはモンゴルでは有名で、健康に良いと伝えられてきた植物です。「この3つの伝承成分(=モンゴロイド3大伝承成分)に着目し開発されたのがモンゴ流シリーズです。」とモンゴ流シャンプーの特徴を定義しています。つまり、イラクサ、ユッカそしてシーバックトーンの3つの成分を使ったシャンプーということなんですね。最初は「怪しい通販で売る高いシャンプー」としか思いませんでしたが、結構メジャーな場所で売られてます。全国規模では、ハンズ、ロフト、ヨドバシカメラなどで売られてます。なるほど、それだけ買っている人がいるんですね。全く知りませんでした。新橋で見た広告はインパクトありますし、こんなネーミングのシャンプーを売るのもすごいです。モンゴルがマイナスではなく、プラスイメージなのは良かったです。
2023.04.04
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大相撲3月場所は、霧馬山の優勝で終わりました。私は次の大関候補は豊昇龍(朝青龍の甥っ子)だと思っていましたが、今回の優勝で霧馬山も最優力候補になってきました。テレビで「遊牧民出身」というのを聞いて、どこかなと調べてみました。モンゴルの横綱の多くが土俵を去ったとはいえ、まだまだ多くのモンゴル人力士が活躍していますが、その多くはホトっ子(UB出身)で遊牧民らしさは全然ありません。本物の遊牧民出身力士と言えば、幕内では逸ノ城くらいじゃないでしょうか?なので、ちょっと調べてみました。彼はモンゴルの東の端、ドルノド県で遊牧民をしていたんだそうです。ドルノド県と言えば、ハルハ河戦争が起こった場所で、本ブログでも時々紹介しています。私もコロナ前に行きました。草原の国モンゴルの中でも、トップクラスの大草原が広がる平地が続くところで、車に乗って1-2時間寝た後目覚めても、同じ風景が続いていると言われるほどです。それだけ遊牧に適した場所ともいえるでしょう。この霧馬山という名前、私は当初は、「霧に包まれた草原にいる馬が見える山?」みたいな風景を思い浮かべていました。要するに、モンゴルと関係あるんだろうと。ところが、彼の親方が元霧島の陸奥(みちのく)親方だと知って、「なるほど、霧馬山の霧は霧島の霧だな」とわかったのです。そこにモンゴルの「馬」をつけたんだろうと勝手に解釈していました。ですが、どうやらもっと深い意味があるようです。霧は霧島の霧ですが、馬山は双葉山からとったんだそうです。双葉山は誰もが知る、伝説の大力士です。そのふたばやまの「ばやま」をもらって、霧ばやまとしたんだそうです。なかなか複雑な構成ですね。でも、名前を見れば、その期待の大きさがわかろうというものです。霧葉山ではなく、霧馬山としたところくらいに、多少はモンゴル的要素が含まれているのかもしれません。彼はドルノドのどこ出身かとか、ルーツなどは日本語の情報では出ていないので、ちょっとモンゴル側の情報に助けてもらいながら調べてみましょう。彼はドルノド県のセルゲレン郡(ソム)出身のウゼムチン族です。以前に本ブログでも紹介しましたが、ドルノド県には少数民族のバルガ族がいると書きました。バルガ族は歴史をたどれば、ロシア領土にされたブリヤード人がロシアを嫌って南下し、満州・中国領内に移った人たちで、更にモンゴル国に移住してきたのです。このバルガ族とは違いますが、やはりウゼムチン族は内モンゴルからやってきた人たちです。ウゼムチンとはどういう意味か?チンというのは「~の人」という意味で、直訳すると「レーズンの人」となります。レーズンとは、干しブドウのことですが、恐らく先祖が「レーズンの収穫者、収集者」であったことによると考えられています。このウゼムチン族には東ウゼムチンと西ウゼムチンがあり、ともに現在の内モンゴルです。東ウゼムチンはドルノドの東側、ホロンボイル高原辺りにいる人たちで、西ウゼムチンは内モンゴル中部、シリンゴルあたりのようです。なので、言葉も違って、西ウゼムチンの人たちはチャハル方言です。東ウゼムチンはわかりませんが、ホルチン方言の可能性があります。さて霧馬山です。彼のお父さんは、ビャンバチュルーンさんであったと思われます(彼の名前より)。で、その父親、つまり霧馬山のおじいちゃんは、どうやら内モンゴルからモンゴルにやって来た人のようなのです。年齢的に推測すると、戦後或いは中国共産党成立の時代、更には文化大革命による大迫害の時代と想像されます。いずれにしろ、中国にいた多くのモンゴル人が迫害を受け、モンゴルに逃れてきた時代であったと思います。そのおじいちゃんは、なんとモンゴル相撲の選手だったようです。霧馬山はそのおじいちゃんの血を継いでいると考えられます。テレビ解説などでは「モンゴルでは柔道などをやっていたようですが、モンゴル相撲はやってなかったようですね。」と言ってましたが、モンゴル相撲の血統のようです。おじいちゃんはもしかして内モンゴルで有名だったのかもしれません。なぜなら、今回の霧馬山の優勝が内モンゴルで結構話題になっているからだそうです。なぜ話題になっているのかはわかりませんが、可能性としては一つは内モンゴルに多いウゼムチン族であることが知れたから?もう一つは、彼のおじいちゃんが内モンゴルの相撲取りとして有名だったから?ではないかと推測している次第です。遠く数十年前に、中国共産党の迫害から逃れてきたモンゴル相撲力士の孫が、日本の大相撲で優勝して、内モンゴルの人たちの話題になるなんて、東アジアの目に見えないつながりを感じますね!
2023.03.30
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1週間ほど前からウランバートルが寒いという声を聞いていました。「まあ、UBは寒いのは当たり前!」と特に気にしてはいなかったのですが、どうやら想像以上に深刻のようです。ここ1週間ほどのUBの最低気温はマイナス10度からマイナス24度くらいです。(最高気温もマイナス)いくら寒いとはいえ、ツァガンサルを終えて1ケ月ですから、もうそろそろ春が近づいている時期なのですが、UBを歩く人は真冬の格好をしています。それよりも深刻なのは田舎です。一部の地域では、ゾド(雪害)や春の嵐みたいなのがあって、家畜が死んでいるところもあるようです。通常、ゾドは1月にはある時がありますが、3月はさすがに厳しいものがあります。遊牧民にとっては家畜=現金財産みたいなもんですから、家畜が大量に死ぬのは大きな打撃になります。銀行預金が急に消え去るのと同じで、大事な牛や馬が死ぬと、精神的にも経済的にも大きなショックとなるのです。モンゴル経済も残念ながら弱いままで、トゥグルグは昨年3月から20%以上の下落で、1ドル=3543トゥグルグまで落ちています。無論、これは対ドルで史上最安値レベルです。為替の予約ができないので、輸入品は直接為替下落の影響を受け、物価高につながってしまいます。また、ドルの購入規制があるようです。公式には、モンゴルは為替制限はなく、自由に外貨に交換できます。ですが、実際に銀行の窓口ではドル交換額の制限がかかっているようです。大手銀行は全て制限があるようですから、中小銀行は当然ドルの枠は小さいでしょう。例えば「1日に買えるドルの上限は500ドル」とかです。あとは「なぜ必要かの書類を出せ」とか。これは実質的には外貨規制と同じなのですが、モンゴル政府としては公式な指示や規制は出していないようです。各銀行がドルの持ち高があまりないので、自主的に制限をしているということにしています。この影響を受けるのが、輸入品の支払いとか外国との契約上支払わなければならないお金が揃わないなどの決済、契約で、現実的にも実害があるようです。対外契約、決済などはほとんどドル建てですから、ドルが買えないということは深刻な影響を与えるでしょう。正規のレートでドルが買えないとなると、もっと高い値段での闇ドルレートがあるかもしれません。そういう市場ができると、問題は一層面倒になります。モンゴルの一般庶民の生活はかなり苦しくなっているのだろうと思えます。ゾドに物価高、厳しい冬はまだ続きそうです。
2023.03.23
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正法寺というのは、私の母方の実家のお寺なのです。母の実家から歩いてほんの5分程度の場所にあり、私も佐渡に行くときには墓参りに行きます。その寺に、あの世阿弥が22年も住んでいたとは驚きです。私は子供の頃も含め、そんな話一度も聞いたことも耳にしたこともありません。もしかして、うちの親戚も知らないんじゃないでしょうか?更に、世阿弥はその寺で語り部の老婆と出会っています。その老婆は、少し節を付けながら、後鳥羽上皇に関する語りを始めたのでした。♪♪「人の世の憂苦の種こそ、あらいたわしや、摩訶不思議なれ。一天万乗仰ぐも尊き大君にも、、、、」「時は承久三年なり。後鳥羽院様は鎌倉幕府の専横を憤り給い、倒幕の企てを練り、軍兵を集め給う。、、、」「順徳院様は佐渡に配流のご沙汰、、、七月二十一日に佐渡に向けご出立なさる。」等々、延々と歌うように語ったとのことです。世阿弥は「いや、驚嘆いたしました。このようにそらんじて、何のよどみもなく語られるのは、諸国を巡ってきましたが、ついぞ会ったこともありません。」とその老婆に驚いたわけです。老婆の語りはその後も続き、最後には♪♪「存命はなはだ無益の由、叡慮ありてより、御自ら食を断たれ、石を焼き、ひそかに御かぶれの上に宛てしめ給う。、、、」と順徳院の最後の様子を語り、「仁治三年九月十二日、御年四十六歳のことなりき」で語りを終えました。つまり順徳院は自決したということです。順徳院の御事については、「何も書いたものは伝わっておらず、この泉には代々語り部を受け継いでいる物がおります。」と正法寺の僧侶が語るのを見て、私は「ハッと」なりました。この語りは世阿弥の時代から200年前の出来事をずっと語られてきたわけで、それが続いてきたのです。そしてその語り部が、近年まで続いていたとしたら?私の母が、以前よく言ってました。「おばあちゃんは、日本中からこの黒木御所に来る人たちに、昔の話を語っていたんだよ。」「私も良くわからないけど、なんか調子のいい歌のような語りで、大昔の話を延々と話すんだよ」と。まさに、この泉に代々続く語りの末裔が私の祖母ではないかということを確信しました。黒木御所です。祖母は生前、笹川良一の主宰する、何かの団体で表彰されたことがあります。その表彰のために、佐渡からわざわざ東京の帝国ホテルにまで呼ばれ、表彰されたのです。要するにこういうことでしょう。笹川良一は右翼の大物です。右翼と言えば、当然天皇崇拝です。代々の語りを受け継いできたきた上に、その天皇の墓・御所を私費を投じて守ってきた祖母は、目立ちはしないけど、右翼的には大いに表彰すべき老婆に思えたのかもしれません。この左右の塔に書かれている「服部ナカ」というのは、私の祖母です。祖母が亡くなってから、泉の実家を訪ねた時に、日本全国から送られてきた膨大な郵便物に驚いた記憶があります。「おばあちゃんの語りが忘れられません」「長い間、天皇の御所を守ってくださりありがとうございました」などのお礼の手紙が数えきれないほどあったのです。でも、実家の家族や親せきはほとんど祖母の行為を気にしていませんでした。ですが、私は昔からこの祖母の存在を気にしていました。今から30年前にアランブースというアメリカ人の声優・ライターと仕事で出会ったことがあります。彼は当時JALの機内誌windsのあるコーナーを担当していました。彼は日本全国を回り、その地域の民謡を聞き、それを英語に翻訳して記事を書くということをやってました。私が「どこが一番良かったの?」と聞くと「日本全国、北海道から九州まで回ったけど、一番印象に残っているのは佐渡だ」というのです。その理由は「佐渡で出会ったold woman(老婆)が最も強く印象に残っている」と言うのです。佐渡のどこかと聞くと「黒木御所という天皇の配所があった場所を守っている人だった。」と言うではないですか!私は驚いて、「名前は?」と聞きましたが、さすがにそこまでは覚えてなかったようでした。ですが、数日後にまた会った時に、その機内誌のコピーを持ってきました。そしてそこに写っていたのはなんと私の祖母だったのです。もちろん、私の母も親戚一同、誰も知りませんでした。笹川良一のみならず、全く知らないアメリカ人をも虜にした私の祖母はやはり偉大であったのだと、私の中では納得しました。世阿弥の本がこういう形で私の祖母とつながっていようとは、思ってもいない驚きでした。(完)
2023.03.21
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ここからは、一層私の個人的な話になります。世阿弥は万福寺をベースに、佐渡のいろいろなところに出かけました。そしてある日、泉の里へ出かけました。その泉についての記述に驚きました。「ここは新保や八幡などとは比較にならない活気のある賑わったところであった。ちょっとした都と呼びたいような情景であった。」とあります。私はこの記述を見て「え?私が知っている泉とは違う場所のことか?」と思ったほどです。⑥が泉の場所です。私の知っている泉というのは、田舎も田舎、田んぼとあぜ道くらいしかなく、以前あった(母が通っていた)小学校も廃止されてしまったような、典型的な過疎地だからです。それがまさか「都のようだった」とは想像もできません。ですが、次の記述を見て、やはりあの泉に間違いないと思ったのです。それは「こここそは、同じ流人の身の上でも一天万乗の御位を極めた帝の配処の跡」「順徳院の配処と言われた黒木の御所跡」とあり、まさに間違いなく私の知っている泉であるのです。その泉とは何か?それは私の母方の実家がある場所であり、まさにその黒木御所のすぐ近い場所だからです。子供のころは夏休みになると住んでいた新潟市を出て、1か月間は佐渡にあるこの泉とやや離れている河原田(父方の実家)に滞在し、親戚や近所の子供たちと遊んでいたからです。順徳上皇が佐渡に流された原因は、承久の乱です。これは昨年の大河ドラマ「鎌倉殿」の終盤に描かれた、後鳥羽上皇を中心とする勢力が、鎌倉・北条幕府を倒そうとして失敗した、あの乱です。後鳥羽上皇は隠岐に流され、後鳥羽上皇に従った順徳上皇は佐渡に流されたというわけです。この黒木御所というのは、私の実家とはかなか関りが深く、私の祖母はこの御所(私はお墓だと聞かされていた)を生前守り続けていたのです。毎日御所へ行っては、掃除したりしていました。ですが、もっと驚いたのが御所前にある休憩所でした。その昔、佐渡にまだたくさんの観光客が来ていたころ(私の母がまだ若かったころ)にはたくさんの観光客が訪れていたそうです。祖母は黒木御所の説明を書いた印刷物を無料で観光客に配っていたそうです。もちろん、製作費は祖母が負担していました。それどころか、観光客が来ても休憩所やお茶を飲む場所がないということで、黒木御所前にお休み処を作ったのでした。私の実家からは近いものの地続きではないので、なんでここに我が家の土地があったのだろうと思っていたら、祖母はわざわざその土地を自分で購入し、そこにお休み処を建てて無料休憩所にしたというのです。しかも、それを土地も建物も当時の金井町に全部寄贈したんだそうです。なぜそんなことをしたか?金井町に作ってもらいたくても、町には金がない。土地だけ寄贈しても、建てるお金もないので、自分で土地・建物を用意したうえで寄贈したとのことです。それほどまでに祖母は黒木御所を大事に思っていたようなのです。順徳上皇(順徳院)がこの黒木御所に22年もの間住んでいたと知り、やっぱりそうなんだ!と合点がいきました。どういうことか?現在の観光案内や行政の観光地図などには、順徳上皇の正式な御陵として真野御陵が載せられています。私は子供のころ「ここに順徳さんが暮らしておられたんだよ」と聞かされてましたが、現在のほとんど地図には真野(まの、泉から5-6km離れた街)にある御陵(正式な墓)が載っており、こちらは宮内庁の管轄でもあるのです。なので、私は「本物はこの真野の方で、泉の黒木御所なんて順徳上皇がちょっとお休みに来た程度の場所じゃないのか?」と疑念を持っていたのです。ですが、数年前に佐渡を訪れた時に「真野はあくまでも死んでからのお墓」「本当にいたのは泉」ということを現地で聞き、さらに今回、この寂聴さんの本で「順徳上皇が実際に20年以上住んでいたのは、黒木御所の方だ」と明確にわかりました。で、世阿弥です。世阿弥が単に泉の地を訪れただけならば話はこれで終わりですが、そうではなく役人の通達により、世阿弥に対して世阿弥の預かり処を泉に移すようにお達しがあったのです。その移し先というのは泉の正法寺という寺です。あの辺にはいくつも寺があるので、私は何気なく「どこかな?見たことある寺なのかな?」とグーグルで調べてみたら、なんとあの正法寺ではないですか!!(続く)
2023.03.20
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国際刑事裁判所(ICC)は17日、ウクライナからの子供の拉致に関与した疑いがあるとしてロシアのプーチン大統領の逮捕状を出しました。当然ですが、ロシアは強く反発し、強烈な不満を述べています。今回のウクライナ侵攻に関するロシアの戦争犯罪は多種多様に数多くあると見られますが、(一般市民を攻撃・殺害、病院を狙ったミサイル、捕虜の人権無視の扱いなどなど)、今回は特に緊急を要する「ウクライナから子供を拉致した」ことに対する犯罪が焦点になっています。これに対して、ICCは「プーチン氏が刑事責任を負っていると信じる合理的な根拠がある」として逮捕状を出したわけです。それに対して、ロシア側は「ロシアは関連規程の非締結国としてICCの管轄権を認めていないためこの種の決定はロシアの法的観点からみて無効だ」と切り捨てました。ロシアはこの条約に関しては締結していないので、ICCの言うことなんか関係ない!と言っているわけです。ちなみに、このICCに関する条約にはロシアのみならず、アメリカや中国などの大国は加盟していません。大国にとっては「うるせーなー、良いか悪いかは俺様が判断する」と言いたいのでしょう。南シナ海に関する中国が領土することは認められないという判決も、中国は無視したままです。ですが、今回の判断の大きな問題はプーチン個人に刑事犯として逮捕状が出ているということなのです。どういうことか?ICCの規程の締結国である123カ国はプーチン氏が自国の領土に入った際、拘束して公判のためにICC本部があるハーグに移送することが求められる、ということが決まっているのです。実際に実行するかは各国政府の判断に委ねられます。国家元首の逮捕は戦争に直結する可能性があり、ハードルは極めて高いと言われており、いまだ実現したことはありません。そうした認識がある中、ロシアの下院議長は通信アプリのテレグラムで「ロシア大統領に対するあらゆる攻撃は我が国に対する侵略行為とみなす」と強調した、とあります。更に露国営メディア「RT」トップも「プーチン氏を逮捕する国を見てみたいものだ。その国の首都までの飛行時間はどれくらいだろうか」とミサイル攻撃を示唆した、と書かれています。要するに、プーチンを逮捕したらその国にミサイルをぶち込んでやるぞ!と脅しているわけです。ICCの非締結国は問題ないでしょうが、問題は締結国です。仮にプーチンが日本へ来たら、日本はプーチンを拘束してオランダに送らなければなりません。もちろん、プーチンが日本に来るはずはありませんが。問題は来る可能性がある国で、締結国はどこかということです。締結国123か国の中で可能性がありそうな国を見ていきましょう。まずはヨーロッパで加盟国は41か国です。NATO加盟国へ行くことはまずないでしょうから、それ以外が対象になります。それ以外となると、モルドバかセルビアくらいでしょうか?モンテネグロはNATO加盟国で、ジョージアはICC非加盟国です。実際に問題が大きいと見られているのが、アフリカ諸国です。アフリカは33か国加盟国があり、近年、ロシアによる接近は大きな話題になっています。現に、国連安保理のロシア非難に関する採決でもアフリカ諸国の多くが否決や棄権の立場をとりましたから。そして問題はアジアです。アジア・大洋州は17か国と、かなり少ないです。しかもプーチンが行く可能性がある中国、北朝鮮はもちろん、インドもトルコ、イランも加盟していません。更に、カザフスタンなどの中央アジアの多くの国も加盟していません。ではどこが可能性があるのか?一つはタジキスタンです。これは旧ソ連ですから、可能性はゼロではないと思います。そしてもう一つがモンゴルなのです。日本で大きく報道される公式訪問以外にも、プーチンは日帰りなどでもモンゴルには来ていました(コロナ以前は)。またハルハ河戦争の記念日となると、モンゴルとの友情を示すために来ることがあります。恐らく、今の戦争中に来ることはないでしょうが、問題はその先です。今回の戦争が終わったとしましょう。プーチンへの逮捕状では刑事犯ですから、仮に停戦協定が成立したとしてもICCによる逮捕の状況は変わりません。戦争が終わって、平和になった!あー、良かった!ハルハ河戦争の記念日に久しぶりにプーチンがモンゴルにやって来た!果たして、モンゴルはプーチンを拘束し、ハーグに移送することができるのか??現実的には無理でしょう。その場合は、モンゴルはICCを脱退するのでしょうか?ある意味「私たちは民主主義の国の仲間ではありませんよ!」と世界に向けて公言するのでしょうか?これも困ったもんです。どうする、モンゴル?現実的には、いろいろな理由をつけて、プーチンには二度とモンゴル国に入ってもらわないようにするしかないでしょうね。世界のお尋ね者になったプーチン。これを気にしているのは、習ではないでしょうか?仮に習に逮捕状が出たら?罪状はいくらでもあります。ウイグル人虐殺、弾圧やチベット人弾圧。香港の平和デモを武力弾圧。ノーベル平和賞作家を逮捕・監禁、死亡させた。これに台湾での一般人の大量虐殺が加わったら?習はほとんど外交には出られなくなるでしょう。習への抑止効果が少しでもあれな、それはそれで今回の逮捕状の成果だと思います。
2023.03.18
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世阿弥は1434年に佐渡に流されました。流人とはいえ高貴な文化人であり、「島の外に出る以外は全て自由」という立場だったようです。職業も自由、結婚も自由、住む場所も自由で移動も自由です。しかも、京都からの送金の自由もあり、特にお金に困ることはなかったようです。江戸末期の西郷隆盛の沖永良部島への流罪などとは全く違う、自由がある生活でした。彼の佐渡での足取りを追ってみます。彼は72歳の時に島流しとなり、小浜から二十日ほどをかけて佐渡の太田の浦という入江に着きました。小浜というのはあのオバマ大統領誕生の時に有名になった若狭湾に面した福井県のおばま市です。そこから能登半島などを経由しながら、単調な船旅を続けてきたのです。大田の浦というのは、現在の佐渡市畑野町多田というところです。①太田の浦と書かれた場所が、世阿弥が佐渡に上陸した場所です。こんな昔から佐渡は良い米がとれ、水が美味しく、魚は豊富であり、食うには困らないだけに、人情が豊かなところであると残されています。更に他国から訪れる人へは寛容なところだと記されています。到着したのは5月ですから、気候もいいころだったと思われます。世阿弥は、これから住むであろう場所へ役人と共に移動しました。途中、長谷寺へも立ち寄っています。そう、これは偶然名前が同じわけではなく、奈良の長谷寺を似せて807年に弘法大師が作ったものなのです。地図上は②長谷寺。佐渡ではこれを「ちょうこくじ」と呼びます。佐渡の寺は都とゆかりがある寺が多く、音読みと訓読みを逆にします。ちなみに京都の清水寺を模した佐渡の清水寺は「せいすいじ」と呼びます。こちらは808年開基。地図上は③清水寺。これは長谷寺で、2019年に佐渡訪問時に私が撮った写真です。こちらもその時に撮った清水寺の写真です。小さいながらも、「清水の舞台」が確認できます。大和(奈良)出身の世阿弥にとっては、思いがけない長谷寺との再会で心が和んだことでしょう。当然ですが、佐渡のこうした都に似せた建物は、高貴な流人たちの心を和ませることも一つの目的としているのです。左様に、佐渡は古くから関西圏とつながりが多い島で、私自身も佐渡で多くの「関西文化」に触れました。まずは言葉です。新潟や東日本の言葉とは全く違い、イントネーションなどは関西風です。語尾に「~やね」とか柔らかい言い方をします。私の母は昔、関西旅行に行ったときに電車の中で、その言葉使いで関西人から「あなたも関西に里帰りですか?」と言われたほどです。また丸餅、角餅論争ではないですが、東京や新潟市などが角餅文化なのに対して、東日本で唯一佐渡だけが丸餅文化です。子供のころから、両親は佐渡の文化の人でありながら、生活は新潟市という東日本文化で育ったので、ほんの少しだけバイリンガルの気分もあります。さて世阿弥です。世阿弥は国仲平野の新保(読み方は、しんぼ。ちなみに近くに新穂という場所がありますが、こちらは、にいぼ、です)に連れていかれ、ここで京都から世阿弥と同行してきた京都の役人から、佐渡の役人に引き渡されたのです。そこから近くにある万福寺という寺に移され、万福寺の跡地は、現在の金井町・佐渡市役所近くにあります。地図上は④万福寺址。佐渡の役人から「流人心得」なるものを言い渡されたとありますが、その内容は、島に滞在中は自分の生計のために何の仕事についても良い、移動の自由もあるが、絶対にしてはならぬことは島の外への逃亡であると。当初は京から持参した生活費があるので問題はなかったが、今後のことを考えると何か考えなければならないとい状況だったようです。彼は万福寺をベースにいろいろなところへ出向いたようで、八幡宮(地図上は⑤)もその一つで、そこは今日で歌人として名高い京極為兼が佐渡に流された時の配所だったので、そこの宮司から話を聞くのに、何度か訪れたようです。そして世阿弥は運命の泉を訪れたのです。(続く)
2023.03.13
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今回もモンゴルとは関係な話です。というか、全くの個人的なもので、いわば備忘録的な内容です。ご興味ない方は、飛ばしてください。キーワードは、世阿弥、島流し、佐渡というものです。だいぶ前に、私の友人から「佐渡の文化は深そうですね。新聞の寂聴さんの本のこと読みましたよ」と言われました。その時はピンとこなかったのですが、そのことを思い出して検索したら出てきました。本年1月14日の日経新聞「文学周遊」というコーナーに瀬戸内寂聴が世阿弥のことを書いた本について書かれていました。瀬戸内寂聴は80代になって佐渡へ赴き世阿弥の足跡を追って、「秘花」という本を書き上げたのです。私はそれを知るや、即座にアマゾンで注文しましたが、2007年発行のこの本は既に販売はされていませんでした。なので、単行本で程度の良さそうな中古本を早速注文しました。これを早速読んだわけです。前半は、世阿弥が生まれて、京都で有名な能役者になるまでが書かれていました。それによれば、彼は非常に理不尽な形で流人となり、佐渡へ流されたのです。特段の罪状もなく、時の独裁者によって引き立てられることもあれば、理由もなく島流しにされることもあるという時代だったのです。佐渡には、それ以前に順徳天皇も政変で敗れて流された経緯もあり、京都の貴族や文化人がいろいろと流されてきた歴史がありましたので、私も世阿弥の名前くらいは知っていましたが、正直この人が誰なのかはよくわかりませんでした。で、まずはこの世阿弥についてです。中学か高校の教科書に載っていた記憶があるのですが、ちゃんと調べてみると以下のような人です。世阿弥は1363年ころ?(室町時代)に大和猿楽結崎座の猿楽師観阿弥の子供として生まれました。能というのは近年明治以降の呼び方で、江戸時代までは猿楽と呼ばれていたそうです。大和猿楽というのは、今の奈良県辺りを中心に活動していた猿楽師で、現在の能楽協会に直接つながる母体とのことですから、確かに現在の能の創始者ともいえるでしょう。この頃の芸能は一般大衆向けというよりは、貴族や支配階級向けの芸能であったようです。この頃の芸能はヨーロッパのオペラなどと同じく、有力パトロンがいるかどうかが存続の鍵だったようです。なので、父観阿弥は大和(奈良県)から京の都への進出を熱望していたようです。それが、京都・新熊野神社での興行の時に12歳の世阿弥が出演した時に、足利義満の目に留まり、以後観阿弥・世阿弥は義満に庇護されることとなったのだそうです。ある意味では、この時の義満の目に留まったことが今日の能につながっているとも言えるのです。この頃は、猿楽にもいろいろあり(宗派?みたいなのも)、田楽もあり、現在のような能楽としては確立していなかったのです。パトロンですから当然、時の為政者の好き嫌いでどの芸能を庇護するかは気分で決まるわけで、義満の死後は、時の将軍様は別の芸能人に心を移したわけです。そうした経緯から、いわゆる「悪い犯罪を犯した罪」ではなく、為政者の気分で島流しにあったというわけです。この時代というか、昔からそうなのかは私にはわかりませんが、芸能人(文字通り、芸能をする人)は為政者から寵愛を受けるのですが、それは男性でも女性でも関係なかったように思われます。どうやら、この時代は(その後は知りませんが)男色の相手でもあったようです。世阿弥は子供のころからの美少年で、義満には特に寵愛されたとあります。そんなこんなで、京都では大きな名声を得た猿楽のスター世阿弥は、1434年に突然流罪となり佐渡に流されたのです。ここまでの話であれば、私がわざわざ本ブログに書くほどのことではないです。本題は、ここからです。(続く)
2023.03.09
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今日はモンゴルとは無関係の話です。新聞と一緒に、歯科医師会員マップというのが投かんされていました。それは私の住んでいる地域、区全体ではなくかなり小さな範囲であり、その小さな地域の地図に、歯医診療所のある場所をマッピングしたものです。うすうすは気づいていましたが、現実として見ることで大変驚きました。無茶苦茶歯医者の数が多いのです。どのくらい多いのか?ざっくりですが、私の家から徒歩5分圏内だけで、なんと22もの歯医者があるのです。その同じエリアにある他の店や施設を数えてみます。まずコンビニですが、この範囲ですとセブンイレブン2店、ファミリーマート4店、ローソン1店の合計7店舗です。銀行はたったの2店舗で郵便局も2店舗、スーパーも2店のみ。立ち蕎麦屋はわずかに3店。チェーン店のファーストフード飲食店も松屋1店ととんかつチェーンがあるだけ。スタバもターリーズもそれぞれ1店舗のみ。しかもこの辺は都区内でも人口が少ない地域ですから、元々商売にはあまり向かない土地なのです。土日はゴーストタウンのように人はほとんど歩いていません。そのようなエリアに、歯科医院だけが22もあるのです。しかも徒歩5分程度で22ですが、徒歩10分なら30は優に超えてしまうのです。何が言いたいのか?簡単に言えば、通常のまともなビジネスであれば、20も30も狭いエリアで共存できるレベルの地域じゃないんです。考えればわかることで、コンビニに毎日行く人、まあ、週4回以上行く人はかなりいるでしょう。スーパーだってそうですし、飲食店もランチタイムなど、高頻度で訪れる人は多いでしょう。ですが、歯医者に週4回も行く人はまずいないでしょうし、毎週という人も少ないです。そもそも「ほとんどの人が毎週行く場所」ではないのです。せいぜい「年に数回とか、多い人で毎月1回」程度で、数年間も行かない人も多いことでしょう。それなのに、5分で行ける人口希薄地域に20以上も存続でき、しかもその多くが高収入になるという一般顧客相手の商売は歯医者以外には考えられません。内科医なども多いですが、歯医者の半分程度です。東京都のクリニックの数をちょっと調べてみました。(2015年)内科 7,920皮膚科 2,474整形外科 1,520眼科 1,268精神科 1,205耳鼻咽喉科、泌尿器科、形成外科、産婦人科合計で2,270総合計 12,944です。つまり9つの診療科のクリニックを全部足して、東京都には12,944クリニックあるということです。では歯科診療所だけで、一体どのくらいの数になるのでしょうか?それは10,620です。つまり9つのクリニックの合計に匹敵する数の歯科診療所があるのです。ちなみに全国での一般クリニック数は102,105で、歯科診療所は68,500です。そしてコンビニの58,133(2022年)よりも多いのです。それぞれ全国を100として東京の比率を見てみます。 全国 東京クリニック 100 12.7%歯科診療所 100 18.9%コンビニ 100 13.1%となります。コンビニは民間企業であり、人口統計やエリアの購買力などを加味した綿密な市場分析の結果での出店ですから、かなり「消費者側の視点」に近いと思われます。そう考えると、一般診療のクリニックは需要に沿った医療機関の配置とも言えそうです。それに対して、歯科診療所は一般クリニックの5割近い(49%)高い比率で東京に集中しています。東京の人の方が東京以外の人々よりも49%も歯が悪くなる傾向にあるということはまずないでしょうから、これは歯科医が東京でやりたい、診療所を開きたいという強い願望があるからなのでしょう。これは経済性(あまりに出店が多いと、共倒れになる)を無視してもいいだけの国による強い保護があるからに他ならないでしょう。どんな業種、どんなビジネスでも、歯科医ほどビジネスの原則を無視しても問題ない産業はないように思われます。一つ気づきました。どのような業種を探しても歯科医より密度が多いものは、このエリアには見つかりませんでしたが、調剤薬局はこの5分エリアにコンビニより多い店舗を見つけました。それは調剤薬局で、10店あります。やはりこれも政府による強烈な保護を受けている業界で、ビジネスの論理を無視して出店しても赤字にはならないという特異な業種です。この辺の規制緩和をしたら、一気に経済効率が上がりそうですし、医療費問題ももっと解決の方向に向かうと思います。
2023.03.03
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7.モンゴル人同士が仲良くしたら、それはスパイ行為で粛清の対象そして、ハルハ河戦争の時はハルハ河より西のモンゴル国側にはハルハ族、東の満洲国側にはバルガ族が住んでいました。その背後の支配勢力がソ連と日本だったのです。ソ連と日本はお互いを敵視していたので、戦おうが何しようが問題ないのですが、ハルハとバルガはともにモンゴル人です。お互いモンゴル人同士であり、憎み合う理由もなければ、殺したいと思うはずもなかったのです。むしろ当時の「モンゴル人全体」としてみれば、できれば仲良くなりたい、ロシアや中国にバラバラにされた民族をもう一度一緒に一つになりたい、という願望があったのです。だが、この「パン・モンゴリアリズム」の思想に対しては、中国もソ連も、日本までもが「危険な考え方。絶対に阻止しないといけないこと」との共通の危機感を持っていたことが、モンゴル民族の更なる悲劇につながったのです。ハルハ族がバルガ族と会って、少しでもニコニコして和やかな雰囲気を持ったら、ソ連は「危険人物、スパイ」と見なした。それはソ連だけではなく、日本も同じ考え方を持っていたのでした。当時は「スパイかもしれない」は即「粛清」を意味しました。恐らく遊牧民らしい穏やかな挨拶をしたことであろう。「サエンバエノー」と言いながら、臭いたばこを交換したかもしれないのです。それら遊牧民としての当たり前の行為は、ソ連と日本から見たら「危険な行為」となったのです。8.第1回マンチューリ会議出席のモンゴル人は敵も味方も全員殺されたハルハ河戦争は1939年まで平和で何もなかったところに突然戦争が起きたわけではないのです。その5年前くらいから、モンゴルと満洲との国境付近では小規模の小競り合いがあったのです。これを機に、モンゴルと満洲の国境を画定すべくモンゴル・ソ連・満洲・日本による「マンチューリ会議」が何度も行われたのでした。そして1935年の第1回目会議の時から国境の認識が両陣営で異なることもお互い認識していたのでした。なので、この会議がうまくいっていれば、もしかしてハルハ河戦争はなかったのかもしれないのです。第1回のマンチューリ会議に出席したのは、モンゴル側はG.サンボ-全軍総司令官副官など7名の代表が出席し、満洲側は日本人以外にもバルガ族の代表も出席しました。ソ連と日本の目的は明確でした。国境を画定して、無駄な争いを防ぎたいということと、できるだけ国境は自軍に有利な場所に確定させたいということでした。しかしながら、ハルハ族とバルガ族のモンゴル人にとってはどうであろうか?ソ連や日本に支配されてしまい、喧嘩をしたいわけでもないのに同じモンゴル人同士で敵対的な関係になってしまっていた。本来はこのあたりの土地は、ソ連とも日本とも関係ない、モンゴル人の土地なのです。彼らの一番の願いは、国境画定なんかではなく、分断されたモンゴル人同士が一体化することであったのです。近代国家になってからは、お互いに会うことすらできない関係でした。それが会議とはいえ、お互いの指導者と会うことができたのです。お互いの統合を探り合う大きなチャンスでもあったのでした。結果はどうであったか?第1回のマンチューリ会議に出たモンゴル側の7名はその後「日本のスパイ」だという容疑で全員処刑されました。更にG.サンボーの後任の代表もモンゴル軍の最高統率者も殺されました。8.ソ連は本当にモンゴルを助けたのか?結局、ハルハ河戦争勃発の1939年5月までに、反ソ、反革命、日本の手先との罪状で、20,474人が銃殺されました。当時のモンゴルの人口を70万人とすると、恐るべき大量殺人であったのです。これが先ほどのツェベルマー夫人の怒りの発言の中身の本質です。つまりハルハ河戦争は確かにひどい戦争であり、モンゴルを攻めてきた日本に対して、モンゴルを守ってくれたソ連軍は味方であるという構図になっています。ですが、冷静に数字を見れば、厳しい現実が浮かんでくるのです。日本軍との戦争で死んだモンゴル人は237人であったのに対して、モンゴルを守ってくれたソ連によって「国家反逆罪」で粛清されたモンゴル人は20,000人以上なのです。この事実をもって「ソ連の皆さん、助けてくれてありがとう!」言うべきなのでしょうか?ハルハ河戦争の本質を見誤ってはいけないのです。プーチンが「モンゴルを助けた」と恩着せがましく言ってますが、実態は全く違うのです。(完)
2023.02.28
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1923年以前は、国境と言ってものんびりしたものでした。遊牧民にとっては人工的な国境なんて意味なかったので、当たり前のように国境を越えて、向こう側に住む友達や親せきを訪ねて行きました。しかし、近代国家となるに従い、国境が明確な意味を持つようになり、少し超えただけで「国境侵犯」と騒がれるようになったのです。すべては、大国が決めたことで、モンゴル人にとっては国境なんてどうでも良かったのです。が、モンゴル人にもこうした変化の影響が出てきたのが、1930年代だったのです。4.2つの国境線ハルハ河戦争の直接のきっかけは、モンゴル人遊牧民による満洲国側への国境侵犯とそれを攻撃した満洲軍ということになっています。それはそうかもしれないのですが、そうなるのはある意味当然だったのです。なぜならモンゴル人民共和国と満洲国には国境線が2つあったからです。まずはソ連・モンゴル連合の認識です。ソ・モ連合は、ハルハ河より東に20kmほどのところにあるノモンハーニー・ブルド・オボーを通る線を国境と見なしていました。ノモンハニーというのは、「ノモンハーンの」という意味です。ノモンハーンというのは、この地にいたチベット仏教の高位の僧侶を表す言葉で、ノモンハーニー・ブルド・オボーは「高僧の泉のオボー」とでもいうべきオボーです。モンゴルではここは「ブルドノモンハーン」と通常は呼ばれていたが、日本人がこの最初の部分だけを略称し、ノモンハンと呼ぶようになったのです。ソ・モ連合軍はこのブルド・オボーを通って他のオボーを結ぶ線を国境と見なしていたのです。他方、満洲・日本側は一般的に国境とは山や河が目印になるものと考え、ハルハ河を国境と考えていました。なので、満洲とモンゴルには二つの国境線があったのです。しかも、ハルハ河と考えたのが日本だけならまだしも、実はソ連も同じように考えていたのであり、ハルハ河を国境としたソ連の地図が実際に残っているのです。ですが、ソ連はモンゴルの主張を受け入れ、1934年ごろから国境をブルド・オボーに引き直した経緯があるのです。1932年に建国された満洲国と1934年に国境線の認識を変更したソ連。この20km離れた二つの国境線が、ハルハ河戦争の引き金となったと言えるのです。写真5.ハルハ河戦争よりもはるかに多いソ連によるモンゴル人犠牲者2019年に日本人とモンゴル人とでハルハ河戦争80年を記念する会合がウランバートルでありました。そこでのオルチバト元大統領のツェベルマー夫人発言は当時のモンゴル人の心境を表し、私には強く印象に残りました。それは「私の父はハルハ河戦争に参戦しました。けれどもモンゴル人は戦いたくなかった。日本人と戦うのを好まなかった」と言ったでした。また現代史のモンゴル歴史家であるS.バートル氏は次のように述べています。「20世紀のモンゴル国の歴史上、最大のハルハ河の戦闘でさえも、モンゴル人民革命軍は237人が殺され、32人が行方不明となっただけだった。ところがこの戦争に先立つ1年半の間に、「国家反逆罪」で有罪とされた者はその117倍に、処刑された者は88倍の多数にのぼった。特別査問委員会の50回にのぼる会議だけとって見ても、19,895人を処刑したということは、毎日398人を処刑したことになる。」つまり4か月にわたるハルハ河の戦場で失った全兵隊をはるかに上回る数のモンゴル人が、平和な日に殺されていたという現実があったということなのです。なぜそれほどまでにモンゴル人が戦争以外で殺されなければならなかったのか?ここに先に述べた「三蒙統一の阻止」や「パン・モンゴリズムの阻止」につながることなのです。6.近代国家になって、国境管理が厳格に満洲国建国当時、満洲の北西部のホロンボイル高原にはバルガ族やダグール族が遊牧民として住んでいました。ホロンボイルというのは、ホロン湖(フルン湖)とボイル湖(ブイル湖)のある一帯の高原地帯で、この当時の満洲国、現在の内モンゴル北東部にあります。バルガ族というのは、もともとはロシア内のブリヤード族に起源を持っており、ロシアがシベリアに支配を広げる中、それを嫌って南下し、ハルハ族の領地内に入り込んできた人たちです。その後、清朝の配慮により、現在のホロンボイル高原に住むようになったのです。歴史的に見れば、現在のモンゴル国、内モンゴルであるホロンボイル高原(バルガ族居住区)、そしてシベリアのブリヤードはすべてモンゴル人居住区で、自由に行き来していたのでした。そこにロシア帝国の進出により、清朝との国境ができ、人為的に分割されてしまったのです。ただ、1689年のネルチンスク条約や1727年のキャフタ条約の頃は、土着のモンゴル人遊牧民らの移動を決定的に妨げるものではなかったのでした。せいぜい「ハルハ族」と「バルガ族」のモンゴル人同士の「部族的境界」のようなものでしかなかったのです。なので親戚を訪ねていくとか、時々国境付近で会って挨拶するということも珍しくはなかったのでした。しかしながら、20世紀になるとモンゴル人民共和国の樹立(1921年)、満洲国の建国(1932年)などにより、それまでの「族境」が近代国家としての「国境」に変わったのです。近代国家になるとともに、ハルハ族、バルガ族はお互いに容易に会うことが許されない関係になっていったのです。(続く)
2023.02.24
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1939年に起こったハルハ河戦争(日本名ノモンハン事件)の経緯などについては、既に別稿で書きましたので、今回はその当時のモンゴル人の立場について述べます。1.4つに分断されていたモンゴル人当時のモンゴル(モンゴル人の住んでいたモンゴル国周辺地域)は大きく4つに分けられます。一つは、モンゴル人民共和国、つまり今のモンゴル国。二つ目は、ブリヤード・モンゴルなど、ソ連邦の領土となったモンゴル人の住居地域。三つ目は、中華民国(まだ共産党の国ではなかった)領土の内モンゴル中西部、四つ目は、現在の内モンゴル東部で当時の満洲国内ホロンボイル高原に住むモンゴル人住居地域です。つまり現在の内モンゴルといわれる地域は、東西で分断されていたのです。それぞれの地域のモンゴル人たちは、残念ながら「自由で自主独立していた」とは全く言えない状況でした。モンゴル人民共和国はソ連の傀儡(かいらい、あやつり人形)政権であり、ほぼソ連の言いなりでした。モンゴル人としてのプライドと自主性を持って発言した歴代首相がソ連に「粛清」されたのは、モンゴル人は既に良く知っている通りです。ロシア領土内に住むブリヤード・モンゴル人は1689年のネルチンスク条約によりロシア領となり、1923年にブリヤード・モンゴル・ソビエト社会主義共和国となったので、完全にソ連の統治下にありました。南モンゴル中西部は中国内では内モンゴルと呼ばれ、漢人の弾圧にさらされていました。そして満洲国内のモンゴル人(バルガ系、ダグール系)は、満洲国すなわち日本人の統治下にあったのです。 モンゴル人の主な居住エリアは、モンゴル人民共和国のハルハ、内モンゴルのチャハル、満州国のバルガ、ソ連のブリヤードの4つに分断されていた。注:4つの国に分断されていることがわかる地図にしてください。ここで現代モンゴル人として知っておかなくてはならないのは、1930年代のモンゴル人はこうした4つの地域に分断されていたということなのです。現在のモンゴル国の人の多くはハルハ人です。ハルハ人からすると、チンギスハーン時代を別にすれば「モンゴル民族は元々今のモンゴル国の領土・モンゴル高原にいた」と考える人が多くいますが、それは違うのです。それはハルハ人としての視点であり、モンゴル民族全体として考えれば4つに分断されていたのです。しかも、その分断された地域を実質的に統治していたのはモンゴル人ではなく、ロシア人、中国人そして日本人という当時の東アジアの強国であったのです。多くの歴史書物は、ロシア人や中国人的視点で書かれているので、「モンゴルという少数民族をどう支配するか」という視点で書かれていますが、我々モンゴル人の視点で考えれば当然の別の結論・疑問が出てきます。それは「なぜモンゴル人は分断させられなければならないのか?しかも分断された上に、民族としての自由がないのはどうしてか?」という疑問、そしてその先には「モンゴルは一つになるべきだ。この4つの地域にまたがるモンゴル人の国を作りたい」ということなのです。2.敵対的であった列強同士、唯一の共通点は「モンゴルは分割されたままがいい」1930年代は帝国主義の時代で、東アジアでもソ連は中国を敵視し、中国と日本も満洲国設立で対立していました。ソ連も満洲国を契機に、日本を敵視していました。つまり、モンゴル民族を支配する3つの国々は非常に仲が悪かったのです。だが、たった1点だけ共通点があったのです。それは「モンゴル人は分割したままがいい。モンゴル人を一つにまとめてはいけない」ということです。ここにモンゴルの悲劇があったのです。中国では「三蒙統一」という言葉があり、これを危険な思想と見なしていました。三蒙とは、内モンゴル、モンゴル人民共和国そしてソ連内にあるブリヤード、トバ、アルタイ地域のことで、この3つの国にまたがるモンゴル民族のことを三蒙と言うのです。この3つが統一し、大モンゴル帝国が復活することを悪夢と見なし、絶対に阻止しなければならないこととされてきました。それは、孫文の中華民国も毛沢東の中国共産党も同じ考えでした。ソ連は「パン・モンゴリズム」という考えを言い出し、それは大変危険なことだと主張しました。基本的には、三蒙統一に反対する漢人と同じです。日本は満洲国を1932年に作ったのですが、その際に「五族協和(Five Races Under One Union)」という言葉を使い、日本人、朝鮮人、満洲人、モンゴル人、漢人の5つの民族が協調して暮らせる国を目指しました。が、モンゴル人を他の地域に住むモンゴル人と一緒にするという発想は当然ながらなかったのです。3.最終的な目標はモンゴル人の統一国家を作ること各地に散らばった当時のモンゴル人リーダーたちは、モンゴル人だけの手でモンゴル統一を実現できるとは思っていなかったので、当時は「強国をうまく利用して、最終的にはモンゴル人の独立した統一国家を創る」という目標を持っていました。ロシア人を利用して、中国や満洲のモンゴル人と一緒になると考えた人もいたし、漢人を利用してそれを実現しようとする人もいました。もちろん、日本人の後ろだてを得て、モンゴル統一を夢見るモンゴル人もいました。そして、各強国はモンゴル人のそうした願望を分かったうえで、口では「モンゴル民族の独立と統一を応援する」と言いながら、モンゴル人を大いに利用して分断をさらに進めていったのです。1923年にブリヤード・モンゴル・ソビエト社会主義共和国が誕生しましたが、ソ連は1937年にはブリヤード自治ソビエト社会主義共和国とモンゴルという名前を削除しました。それは「ブリヤード人がモンゴル人と同じ仲間だという意識を持たせないため」だったのです。今のハルハ人には「ブリヤード人は私たちとは違う。あまり関係ない。」と思っている人が多いのですが、それはソ連の分断政策の影響なのです。(続く)
2023.02.22
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またしてもモンゴルに関する記事です。内容は「モンゴル、中ロ依存に危うさ」という表題で、文化人類学者のマリッサ・スミス氏という人が書いています。ですが、マリッサ・スミス氏がどのような人なのかは全くわかりません。ネットで検索しても全然出てこないのです。で、英語名Marissa Smithで検索したら、さすがに出てきました。「マリッサは現在、東アジア研究所 (カリフォルニア大学バークレー校) の中央アジア ワーキング グループの研究員であり、アメリカ モンゴル研究センターの理事を務めています。」とのこと。なるほど、モンゴルを研究しているアメリカ人女性ということですね。彼女の最大の懸念は、「モンゴルが新型コロナウイルスやウクライナ戦争の影響を受け、隣国の中国とロシアへの依存をますます強めている。他国や国際機関、企業が再び関与しなければ、モンゴルは国際社会から遠ざかることになる。」ということです。以下、記事を引用しながら私なりの勝手な解説をつけてみます。「モンゴルは現在、収入を中国市場に、交通網など主要なインフラをロシアに依存している。」と言っています。収入を中国市場に依存しているというのは、輸出の9割近くが中国向けだということを言っているのでしょう。交通網がロシアというのは、「国営ロシア鉄道はモンゴルの鉄道システムの51%の株式を保有している。」ということを言っているのです。以前に本ブログでも書きましたが、モンゴルの大動脈であるモンゴル鉄道の拡充でさえなかなかモンゴル国政府の思う通りにならないことも、彼女の主張の一部であろうかと思われます。(モンゴルの鉄道整備にロシアの許可が必要)面白いのは「ロシアの交通網への支配は、英豪資源大手リオ・ティントがモンゴル政府と合弁で運営する銅金鉱山にも迫る。ロシアは鉱山から中国へ向かうトラックへの燃料供給をになっている。」と言っている点です。これはリオとか中国とにロシアが直接関係ある話ではないのですが、要するに「ガソリン(またはディーゼル燃料)」をロシアが供給していると言いたいのでしょう。この主張には少し疑問が残ります。日本が大型船でトヨタの車をアメリカに輸出するときに「中東の日本の交通網の支配はアメリカへの輸出船にまで及ぶ」とは言わないでしょうから。「一方、モンゴルと世界を結ぶ航空便はコロナやウクライナ戦争により、ほとんどの路線が再開できないままだ。」この主張に関しては、疑問があるというか、事実認識が間違っているのではないでしょうか?「ほとんどの路線」の意味が分かりませんが、東京、ソウル、プサン、北京、香港、バンコック、プーケット、シンガポール、イスタンブールなどほとんど再開しています。更にはフランクフルトも運航しています。ただ、確かにモスクワだけは確認できませんでした。仮にモスクワ便が運休しているとしても「ほとんどの路線が再開できないままだ。」というのは、明らかな事実誤認です。恐らくちゃんと調べずに、昨年のある時期の情報をそのまま鵜呑みにして書いているのでしょう。そもそも昨年まで運航できなかったのはコロナが原因であり、ウクライナ戦争が原因ではありません。「モンゴル政府は現在、旧ソ連の指導下にあった党派の流れをくむモンゴル人民党が支配する。」「しかし昨年12月の抗議行動は重要な変化を示している。120億ドル(約1兆6000億円)もの石炭収入が消失する汚職事件が発生し、首都ウランバートルにデモ隊が現れた。」と例のモンゴルの政治家の汚職問題を取り上げています。これは大きな問題ですが、表題の「中ロ依存」とどう関係あるのでしょうか?「デモ隊は新年を迎える直前に警察によって排除された。こうしたデモがエスカレートすれば、ロシアが現政権を支えるため武力行使に出る恐れがある。」と書いていますが、それはないでしょう。いくらなんでもモンゴルの政治家たちだって、さすがにそれをやったら長いソ連時代の暗黒の支配に戻ることくらいは分かっているでしょうから。で、結論は「モンゴルはスリランカのような債務不履行に陥る危険は今のところないが、中国とロシアへの依存を他の国が解消しない限り、将来は憂慮すべきものだ。」となっています。なんだか、あっけないというか、当たり前の結論です。ウクライナ戦争があろうとなかろうと。このウクライナ戦争のせいで特に中ロ支配が進んでいるという事例はこの記事にはないと思いました。この内容は去年のウクライナ侵略前に書かれていても全く同じ文章になりえる話ですから。多分、現場のことはあまり知らないのでしょう。それでも欧米の学者でモンゴルを専門に研究している人がいるということは素晴らしいことです。ただ、ロシアのウクライナ侵略でモンゴル国内が二分したりする気配があるのはちょっと心配です。曖昧だったモンゴル国民の中の「親ロシアの人々」と「反ロシアの人々」の意識が、今回の戦争ではっきりと顕在化してしまい、「あの人があんなひどいロシア的考え方だとは思わなかった」とか「やっぱりプーチンのような強いリーダーが必要だ」と考える人が明確になってしまっているのは、確かにあります。これは旧社会主義国では、多かれ少なかれ、どの国々も二分されているような気がします。
2023.02.19
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先日、モンゴルについてよく意味の分からない記事が載っていました。内容はロンドンで日経新聞の記者に対して、モンゴルのサインボヤン・アマルサイハン副首相がインタビューで答えたというものです。内容を要約すると、・モンゴルが、採掘インフラの整備に向けて海外からの投資を呼び込もうとしている。・モンゴルが(重要な鉱物資源の)主要な供給国になると確信しているものの、時間はかかるだろう・モンゴル政府は、あらゆる種類の投資や協力を外国から受け入れる用意がある・銅の確認埋蔵量が世界最大級とされるオユトルゴイ鉱山がある・海外投資家の助けを借りて、環境にやさしく、エネルギー効率の高い採掘技術を開発する必要があるといった内容です。このインタビューが10年前の2013年であったとしても、全く同じことを言っていましたから、モンゴル側の言うことは何も変わらないということです。そしてそれがなかなか上手く行かないことの真の原因がモンゴル側にあることもなんら変わっていません。さすがに場所がロンドンなので、今回のインタビューではドイツなどのヨーロッパを意識した部分もあります。・世界有数の自動車生産国であるドイツは、10年以上にわたって、資源国としてのモンゴルの潜在力に注目しているその通りです。日本も含めて、誰もが潜在力は認めているのですが、それがなぜ顕在化しないのかを、モンゴル国もこの記者さんも考えてもらいたいですね。資源関係で過去目立ったのは・リオなどとの契約を、モンゴル側が一方的に変更したり、場合によっては破棄したりして、外資から信用されない・利権に絡む汚職が多く、SDGsにうるさい先進国はなかなか入っていけないなどがありました。特に今であれば・国有企業による中国への石炭輸出を巡る汚職疑惑が12月に発覚し、大規模な抗議デモが起こった。捜査は進行中で、すでに数人の逮捕者が出ている。と書かれている通り、非常に大規模な汚職が発覚し、しばらくは沈静化しそうにもありません。過去にないくらいの国民の反発が起きているようです。それなのに・政府は汚職撲滅に力を入れていると、サインボヤン氏は主張する。・「貧困を減らし、汚職を防ぐことは政府にとって最重要課題だ」とあります。貧困や汚職の問題は10年以上前から何も変わってない話で、これまた10年前のインタビューコメントと何にも変わりません。日経新聞の記者にそこまで求めるのは酷でしょうけど、私だったら過去のインタビューを掘り起こして「すいません、今のことが10年以上前に首相が言ってたことと同じなんですけど・・・」と突っ込んでみたいですね。結論としては・「残念ながら、我が国の地理的な条件のために、(海外市場への)アクセスや輸出ルートは限られている。ロシア、あるいは中国を通じて輸出するしかない」とサインボヤン氏は語った。とあるように、この問題がずっと残ってます。特にロシアルートが現状では相当困難でしょうから、実質的により中国に頼るしかなかうなってきているのが現状なのでしょう。なかなか厳しい道です。
2023.02.15
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1月21日は中国春節でした。コロナの移動禁止がなくなり、中国では数十億人が大移動しているとの報道がありました。実際には延べ21億人だそうです!片道10億人が往復したというレベルですね。やはり人口大国には間違いありません。最近は、中国人の日本入国が少なくなったこともあり、実質的に日本にいる外国人で一番多いのはベトナムになりつつあるようです。そのベトナムでは旧正月をテトと言います。先日、郊外を走っていた時にベトナム専門店らしき店を見つけて、ちょっと覗いてみました。基本的にはベトナム関連の食料品店です。コンビニよりも小さい店に、所狭しとたくさんのベトナム食材が売られていました。商品名などは全てベトナム語で、日本語は一切なし。完全なベトナム人向け食材店として成立するほど、在日ベトナム人が多いということなんでしょう。冷凍の食材が多く、豚肉や鶏肉はもちろん、カエルやアヒル、虫!などの食材も直輸入されていました。ほとんどがベトナムからの直輸入品で、一部中国からの調味料もありました。そんな中、日本ブランド品がたった一つだけありました。味の素の1kgです。この写真は、日本の味の素が日本国内向け業務用に売っているものです。ネット価格を見たら1290円でした。これに送料などもかかるのでしょう。ですが、そのベトナム食材店にあったのは489円と500円を切っていました。これはインチキ品?と疑うところですが、れっきとしたベトナム味の素で販売されている正規品です。半値以下なんですね。つまり、ここで売っているものは「珍しい食材を日本人に高く売る店」ではなく「本場の食材をベトナム人に安く供給する店」だということが、うかがい知れました。で、モンゴルです。ネットで「モンゴル ツァガンサル 2023」と入れても、ツァガンサルのことは出てきません。中国やベトナムは、今年の日程なども詳しく出てくるのに。それだけ在日モンゴル人はまだまだ少ないということでしょう。なので、私のこのブログが検索に引っかかってくれるといいです。今年のツァガンサルは2月21日です。大晦日は20日ですね。ここ3年ほどコロナでツァガンサルができなかった(あるいは家族だけ)ですが、今年は制限がないので、大いに盛り上がるのでしょうか?久しぶりに田舎でツァガンサルをやるという声も聞こえてきます。新年の日の決め方が異なる(これについては、本ブログで以前説明)ので、中国とは毎年微妙に違いますが、今年は1か月も違います。これは結構大きな差です。ここでちょっと疑問に思ったのは「内モンゴル人は1か月も違うときは、どうするんだろう?」ということです。当然ですが、全ては漢人ベースで決められているので、職場も学校も休みは春節です。で、ちょっと内モンゴル人に聞いてみました。ですが、内モンゴルでは春節をツァガンサルということにしてお祝いしてきた記憶があるとの答えでした。あるいは、最近モンゴルに行った内モンゴル人は「春節とツァガンサルの日程が違うということ」「つまりモンゴルと内モンゴルのツァガンサルが異なる日にちであること」に驚いたというのです。ただ、この件に関してこれ以上突っ込んで聞いても、そもそもツァガンサルに関しての歴史的、文化的教育は内モンゴルではほとんどなされてないので、よく知らないとのことでした。なので、以下は私の推察です。中国は歴史的にこよみ(暦)を決められるのは皇帝だけです。現在の皇帝は習であり、共産党ですから、それ以外の人々に暦を決める権限はありません。いわんや少数民族が漢人様の春節にケチをつけるなんて許されません。もしかして100年前には、内モンゴルもモンゴル人が独自に日程を決めていたのかもしれませんが、共産党になってからはそんな抵抗もできないので、代わりに春節をツァガンサルということにしたのでしょう。もっと言えば、春節のモンゴル語訳がツァガンサルとなっているのでしょう。なので、現代の内モンゴル人には春節とツァガンサルが本来は別物だということがわからなくなっているのでしょう。自分たちで暦を決めることができる権利は、意外と重要なのですね。更にある外国人に「日本人はどうして旧正月を捨てたの?」と聞かれました。確かに私の幼少のころは、田舎で旧正月らしきことをやっていた記憶がかすかにあります。あれはどうしたんでしょうか?調べてみると、明治5年(1872年)に明治政府が旧暦から新暦に切り替えたことが直接の理由のようです。でも、他のアジア諸国だってどこも公式には新暦を使っています。ただ新暦に変わっただけでなく、どうやら明治政府は「もろもろの祭りごとを旧暦で行っているものは新暦の日付に当てはめて行うべし」との指示を出したからのようです。当時の明治政府は、当然強権的で民衆を従わせようとしたので、各地の役所もそれに従ったようです。現在も旧正月の色合いが強く残っているのが沖縄本島や南西諸島です。これは明治5年当時にはまだ琉球王国としての独立色が強く、明治政府の指示も浸透してなかったことによるのが今も残っているようなのです。私の幼少期にかすかに残っているとはいえ、佐渡の実家ではなく実際に育った家で旧正月をお祝いした記憶は全くないですね。内モンゴル人もこれと同じで、ツァガンサル=春節であると教えられた世代が大きくなると、「え?ツァガンサルって春節のことじゃないの?」という世代がメインになってもおかしくはないですね。
2023.01.23
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日本のパスポートが5年連続で世界最強という評価が出ていました。イギリスのコンサルティング会社によるヘンリー・パスポート指数によれば、日本は世界193か国にビザなしで行けるそうで、それは世界一とのことです。世界2位は、シンガポールと韓国の192か国ですから、アジアがトップ3ということになります。上位3位以外のトップ10は全てヨーロッパの国々です。これを見てわかるように、必ずしも経済力だけで決まっているわけではありません。アメリカは17位ですし、敵が少なそうなカナダやオーストラリアは共に23位です。当然気になるのはモンゴルですが、モンゴルは62か国にパスポートなしで行けるとのことで、138位です。私はこうした世界ランキングのモンゴルの目安を「まずは世界100位以内」とし、できれば80位くらいであれば、モンゴルとしては上出来だなと考えていますが、残念ながらパスポートに関しては世界的に見てもかなり厳しいポジションにあると言っていいでしょう。では、近隣諸国と比べてみましょう。ロシアは118か国、中国は80か国ですから、62か国のモンゴルよりかなり多いです。カザフスタンは76か国とモンゴルより2割以上も多いです。モンゴル人がビザなしで行ける人気のタイですが、この国自身は78か国ビザなしで行けます。インドネシアが71か国、フィリピンが67か国です。キルギスタンも64か国とモンゴルより多いです。モンゴルより下位のアジアの国となると、タジキスタンの60か国、インドの59か国、ウズベキスタンも59か国、ベトナム55か国。ちなみに最下位はアフガニスタンの27か国です。北朝鮮は40か国です。民主化指数などでは結構頑張っているモンゴルですが、パスポート指数はちょっと評価が低いような気がします。どこがいけないんでしょうか?パスポート指数は、別にこの会社が何かの基準で評価しているのではなく、世界各国のビザなし受け入れ国を調べ上げて作っているんですね。ですから、単純な計算結果ともいえるのです。逆に言えば「世界各国が独自の基準で受け入れ国を決めた結果」なので、簡単に変動するものでもないのでしょう。ビザなし国を決める基準は各国が自主的に決めているのですから、世界的なルールはないようです。ですが、大きな流れとしては、いくつかの要因があるようです。大きいものは政治的な対立です。典型的な例はアメリカでしょう。アメリカは経済的には世界トップの国ですが、いろんなところで政治的な動きをしています。日本とアメリカ186か国の差は7か国ですが、中東や南米での対立する国の有無があるのかもしれません。ただ、モンゴルに当てはめると、政治的対立は大きな理由とはならないでしょう。「日本はなぜ最強なのか?」を調べてみるとヒントが隠されています。それは「海外での日本人による犯罪や不法滞在、不法就労が少ないから」という理由です。なるほど、これはモンゴルに当てはまりますね。以前もこのブログで書きましたが、日本で不法滞在する絶対人数は中国人やベトナム人が多いですが、「率」にするとモンゴルがダントツだと日本の外務省の人から聞いたことがあります。2番目に高率のパキスタンの10倍以上悪いと。日本のみならず、モンゴル人は世界各地で不法滞在しているのはよく耳にしますから、これが大きな原因であるのは間違いないでしょう。他方で、モンゴル人の外国志向は日本人には考えられないくらい非常に強いものがあります。それは裏を返せば、モンゴル国内の経済的困難さの表れでもあるわけです。また不正や汚職が多いという政治体制にも原因があるかもしれません。だから、モンゴルから出たい。でも簡単にはビザがおりない。なので、不法に滞在するという悪循環に陥っているのです。結局は、このパスポート指数の低さは、モンゴル国内問題が一番影響しているともいえるでしょう。今のモンゴルの政治家たちを見ていると、ウランバートルの冬の煙と同じくらいに簡単には解決できないような気がします。
2023.01.13
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30日にプーチン大統領が恒例の新年の祝辞を送ったとのニュースがありました。これが恒例かどうかは気にもしたことありませんが、どうやらそんな祝辞をありがたがる国もあるようです。ニュースとしては「今年はアメリカやヨーロッパ、日本には祝辞は送らない」というものです。まあ、当然と言えば当然でしょうし、そうした国がプーチンからの祝辞を待っているはずもなく、そもそもこんなことが発表されることに違和感さえもあるでしょう。発表はロシアの報道官自身のようですから、茶番といえば茶番です。まるでレコード大賞の発表のごとく「皆さんお待ちかね、プーチン様が祝辞を送ってくださる国を発表します!」というのを待っている国があるとでも思っているのでしょうか?ロシアという国の国際感覚オンチも相当地に落ちたもんだと感心しています。とまあ、これだけではニュースの価値はありませんが、やっぱり気になりますよね、あの国が祝辞の対象になるのかどうかは。この大統領府の発表によれば、プーチン大統領が首脳に新年の祝辞を送った国(分離独立地域を含む)は22あるそうです。逆に言えば、世界中の9割がたの国はプーチンの祝辞なんかとは無関係な存在ってことです。どんな国に送ったのかちょっと見てみましょう。まずは旧ソ連諸国。アゼルバイジャン・アルメニア・ベラルーシ・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタンです。確か旧ソ連は15の共和国ありましたが、そのうちバルト3国は早々に脱退したので、12か国です。12か国からロシアとウクライナを除くと10か国。ですが、送った先は8か国です。残りの2か国はどこでしょうか?一つは旧グルジア、現ジョージアです。ジョージアはその領土内に、南オセチアとアブハジアがそれぞれ独立宣言をし、その影響で内紛が起き、ロシアとは対立しています。ジョージアの人たちにとっては、ウクライナが占領されたら次は自分たちジョージアだと思っているほどですから、プーチンは嫌いでしょう。もう一つは旧モルダビア、現モルドバ。こちらは、沿ドニエストル共和国をその領土内に抱えています。この共和国ももちろん外国からは承認されてない地域ですが、例によって「ロシア住民を守る」という名目で他人の国にロシアが勝手に作った国で、今回のウクライナ東部や南部の国と同じで、武力で「独立させている」国ですから、これまたプーチンは敵です。つまりプーチンが祝辞を送らなかった国は「ロシアが嫌いな国」ではなく「旧ソ連でロシアを嫌いな国、バルト三国、ジョージア、モルドバそしてウクライナの6か国」だということです。もっと言えば、プーチン側が選択しているのではなく、相手がプーチンを嫌っているから祝辞を出さないってことだけなのです。プーチンに出すか出さないの主導権はないってことです。ちなみに、ジョージアには出さない代わりに、親露分離独立地域であるジョージア領内にあるアブハジア共和国・南オセチア共和国には祝辞を送ったということです。ではその他の国はどこなんでしょうか?ヨーロッパでは2つあります。1つはセルビア。ユーゴスラビアの紛争を覚えている人も年代的に少ないかもしれませんが、旧ユーゴの戦争は悲惨でした。中でもセルビアが起こした数々の虐殺、民族浄化などは頻繁にニュースになりました。ロシアはこうした世界的には良くない国、人権のない国などは大好きなので、セルビアも対象になったのでしょう。もう一つは唯一のEU所属国であるハンガリーです。この遠い祖先を遊牧民に持つ東欧の国は、最近独裁色を強め、プーチンに接近しています。プーチンとしては、敵対するEUに対して、風穴を開けたいのかもしれません。最近、ロシアとの関係が注目されるアフリカ諸国はなぜか全くありません。ロシアの武器や小麦を買ってくれるエジプトもありません。プーチンからすると、現在の国際情勢の中ではアフリカ勢の支援があってもなくても大した影響はないと考えているかもしれません。アフリカはありませんが、中東にはあります。1つは独裁、人権無視の代名詞ともいえるシリアです。これもロシアの好みそうな典型的な国です。もう一つはトルコです。この国はNATOでありながら、蝙蝠のごとくあっちについたり、こっちについたりしています。トルコが対ロシアで偉そうにできる最大の力の源泉は黒海の海峡通過権を持っていることです。この地図でわかるように黒海から地中海、その先の概要に出るためにはダーダネルス海峡とボスポラス海峡という非常に狭い海峡を通らねばなりませんが、この二つの海峡は国際的にトルコの管轄と決められているのです。こんなところを通らなくても、、、あの広い国土ならと思いますが、ロシアは外洋に出るルートは限られているのです。バルト海にある飛び地のカーニングラードからドイツ北部を経由して外洋へ出るか、北極海経由でノルウェー北部を通過するか、或いはウラジオストックから日本海経由で外洋に出るかしかないのです。冬は不凍港が少ないので、あまり使い勝手は良くありません。周囲に嫌われているロシアにとっては、黒海経由が一番重要であり、大きな貿易港なのです。なので、トルコのエルドアン大統領が偉そうに説教しても、簡単にはロシアも反発できないのです。現に、現在は「小麦などを積んだ船の航行は認められているが、ロシア艦隊の黒海への出入りはトルコによって禁止」されているのです。なのでプーチンとしてはトルコを敵回すわけにはいかないのです。さて残りの8か国はどこでしょうか?その中に我らのモンゴルは入っているのでしょうか?中南米の国が5つ入っています。ボリビア・ブラジル・ベネズエラ・キューバ・ニカラグアです。このうち、独裁者友達といえるのがブラジルを除く4か国で、ブラジルはBRICs仲間です。今や世界中から嫌われ者になったプーチンはBRICsを結構大事にしていますので、ブラジルにも送ったのでしょう。こうなってくると、残りはわずかアジアの3か国となってしまいます。モンゴルは入っているのでしょうか?まず意外だったのは、武器を供給してもらうために頭を下げたと言われる北朝鮮は対象となっていません。また、ドローンを供給してくれているイランも対象ではないのです。この2つは立派な独裁国家ですが、なぜかプーチンは見切っています。残るアジアの3か国はどこでしょうか?やはりBRICsが大切ですから、インドと中国には祝辞を送ります。残る一つはモンゴルかどこか?答えはベトナムでした。考えてみれば、ベトナムは共産党国家ですから、プーチンからすればシンパシーがあるのでしょう。まあ、順当なところです。というわけで、モンゴルにはプーチンの祝辞は届きません。これは素晴らしいことです!モンゴルが歯を食いしばって「民主主義陣営」にいるからこその結果だと思います。なので、モンゴルの皆さんは「プーチンの祝辞が来ないのは悲しい」なんて絶対に思わずに、大きな喜びと感じてくれることを祈っています。負けるなモンゴルの民主主義!!
2022.12.30
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大相撲初場所の番付発表がありました。一時は4人いた大関は貴景勝一人となり、先場所ケガで休んでいた一人横綱の照ノ富士と、横綱大関はたったの二人となりました。これはなんと125年ぶりの出来事だそうです。大谷のように「100年ぶりの快挙」であれば目出たいですが、大関陣がどんどん陥落してこうなったのですから、残念な結果と言えるでしょう。その分、関脇と小結で合計8人という、なんともいびつな構成になってしまいました。こちらは60年ぶりだそうです。関脇といっても、幕内に沈んでいた高安と大関から陥落してきた正代と2人の元大関がいるので、あまりパッとした感じはしません。関脇4人だけを取れば、2000年初場所(魁皇、栃東、武双山、貴ノ浪)以来だそうです。この時の4人は全て大関になっていますから、人数が多いだけではなく、実力があった関脇だったと言えるでしょう。今回の4人の関脇で一番期待したいのは、当然ですが豊昇龍でしょう。朝青龍の甥にあたり、相撲っぷりもちょっと荒々しい感じで、人気も出そうです。5場所連続で三役を保っており、先場所は11勝したので、今場所もぜひ10勝以上あげて来場所に大関取りを狙ってほしいものです。来年1月場所の番付表を見てました。上位から下位へ。幕内から十両へ。幕内下位で頑張っていた豊山は最近は十両です。が、その名前が十両にもない!いや、確かに先場所負け越したけど、結構上位にいたから十両から陥落するような位置ではないはずと、なんども見直しましたが、やはりない。ネットで調べてみると、なんと「引退」しているではないですか!先月の九州場所後に引退したとあります。十両4枚目で5勝10敗ですから、1月場所で幕下陥落するというわけではありません。いやー、残念です。なぜ私が豊山を気にするのか?当然ですが、新潟県出身力士ということはありますし、豊山というのは新潟県出身でかつ東京農業大学出身者が3代続けて襲名していました。ちなみに豊山はこの3代しかいません。だから気になっていたというのもありますが、それ以上に気になっていた理由があります。これは豊山のサインです。豊山のデビュー当時は「小柳(おやなぎ)」という本名でしたが、2017年5月場所から「豊山」を襲名したのです。このサインの日付は2017年4月27日です。この日は新潟市出身者の集まりが都内であって、そのスペシャルゲストとして「小柳」が来ていたのでした。なぜか忘れましたが、私が彼の直筆サインをもらうことになったというわけです。もらってから「おそらくこれが小柳としての最後のサインとなるでしょう」と言われたのです。週明けには「豊山襲名」が発表されるので、それからは「豊山」と書くからだと言ってました。つまり「小柳」最後のサインだったということです。こういうことがあったので、私はその後も何となく豊山を気にしていたというわけです。小柳のころは大学出てまだ1年しかたってませんでしたから、あれから5年といえどもまだまだ引退するには若すぎます。これ以上相撲が取れないというほどのケガで引退を選んだようです。小柳に戻って、良き第二の人生を歩んでいくことを期待しています。
2022.12.26
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先日の本ブログで書いた、石炭汚職に関するデモなどの国民の不満の声は収まる様子はなさそうです。金額も金額ですし、汚職の当事者が現在の政府首脳部にいるのですから、「問題解決」には程遠いのは仕方がないでしょう。これはモンゴルの国内問題のように見えますが、どうやら中国との関係においてはかなりまずい状態にあるようなのです。そもそもこの事件は、中国の輸入統計とモンゴルの輸出統計が大幅に異なっていることから発覚してしまった事件です。モンゴル政府首脳は当然ですが、自分たち自身が絡んだ汚職ですので、元々知っていたわけです。ですから、今回の汚職が大きく発覚したのは最近のことですが、不正行為自体は着々と長い期間に行われていたのです。当たり前ですが、去年今年だけやったというレベルではありません。そして中国側にも当然ですが協力者がいるわけで、中国政府もこの不正については昨年から承知していたのです。恐らくもっと前からかもしれませんが。で、今年の1月、つまりほぼ1年前の時点で、オユーンエルデネ首相は中国側から、この事件のモンゴル側関係者の名前5名程度のリストを受け取っていたというのです。これは何を示唆するかというと、中国側はこの汚職事件を調べ上げ、中国側とモンゴル側で関わった政治家や経営者などの名前を掴んでいるということなのです。そして1月に出した名前はその中のほんの一部の名前であり、当然ながら「最重要人物」の名前は出していないそうです。この話を聞いた時に私は「なるほど、中国側にモンゴルの汚職政治家のリストがあるのはまずいけど、中国側だってそれを公表したら大問題になるから、簡単には公表できないんじゃないのかな?」と思いました。が、中国側は先手を取っていたのです。「中国側では既に汚職にかかわった人たちを逮捕し、すでに処分は終わっています。」とのことで、死刑になった人もいるとか?!さすが中国、やることが早いです。そもそも死刑になった人が本当の首謀者かはわかりませんけど、今は死人に口なしです。なので、どうやら中国側は本件が公表されても、痛くもなんともないみたいです。習の一連の汚職追放の一つとして扱われているのかもしれんが、「もう処分が終わったこと」となっているのです。それに対してモンゴル側は全く違います。現役や前の大統領も絡んでいるとなると、これは大スキャンダルになります。さらに多くの現役の政府幹部が関係していると推測されますから、なんとしても隠したいでしょうね。モンゴル側は隠したい、中国側はリストを握っている。しかも、公表しても処分は終わっているので、堂々と発表できる。この立場の違いはかなりヤバいです。こうなると、モンゴル側は「いろいろな」中国側の要求になかなか「NO!」とは言えないでしょうね。しかも中国側は重要度の低い関係者から小出しにリストを出してくるでしょうから、大臣、首相、大統領クラスは心配でしょうがないでしょう。ちなみに、現大統領のフレルスフは前大統領のバトトルガのせいにしています。当然、バトトルガは逮捕されるのを見越しますから、現在は韓国の病院に入院しに逃げているようです。都合が悪くなると病院に逃げるのは日本も同じですが、モンゴルの場合は国内の病院では安心できないのでしょう。オユーンエルデネ首相は「恐らく」この汚職には関係していないと言われていますから、早く全面的な真相解明をしたいところです。が、それを本気でやると自分をバックアップしてくれて来たフレルスフと対立することになります。まあ、もう実際には対立しているそうです。こうなると、国会の解散があるのではないかという声すら出ています。「解散権?大統領にあるの?」と聞くと「議員自ら3分の2以上の決議によって解散することができる」というのです。「議員自ら?一体どんなメリットがあるのか?」「自分で自分の議員の立場をなくす???」1つの見解としてはこうなります。今の状況はどうにもならないし、簡単には解決しない。このまま放っておいたら、2024年の選挙で人民党は大敗するのではないか?だったら、来年前倒しでやった方がいいのではないか?民主党は相変わらずごたごた続きで、人気がない与党人民党よりももっと人気ないから、勝てるんじゃないか?その方が長期的には安定につながるだろう。という考え方です。岸田政権がどんなに不人気でも野党には負けるはずない、というのと似たような構図なのでしょう。ダメ野党がいる国は、与党の横暴を防げないという典型的な2例だと思います。中国としては、自分の立場しか考えないモンゴルの政治家は大歓迎でしょうし、脅しやすいのでしょう。当分は、中国の支配からは逃れられそうにもないモンゴルです。
2022.12.21
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先日、大学時代の仲間と飲んでいた時のことです。仲間の一人(女性の方です)が「モンゴル行ってきましたよー!」というではないですか!聞いてみると、阪急交通社のツアーに一人で参加されてとても楽しかったとのことでした。ツアー中の写真を見せてもらいましたが、3泊4日ということで基本的には定番コースでした。テレルジ、ザイサンの丘、巨大チンギス像、オペラ座などなどです。仲間の一人が「なんで一人で参加したの?」と聞くと「今の子供は母親と旅行なんかしないし、旦那さんは仕事あるから」とのことでした。で、そういう年配の女性が結構多かったそうです。モンゴル旅行には非常に満足していました。聞けば時期は10月とか。それはもう寒いはずですが、「寒かったけど、たまたまいい天気が続いていた」と気にする様子もなさそうでした。「なんでモンゴルへ?」と聞くと、答えはずばり「だって、安かったんだもの」と言うではないですか。私が「安い?そんなわけないだろう?15万円?20万円?」と聞いたほどです。なんで私がそう言ったか?最近、MIATの運賃を調べる機会があって見てみると、、、なんと10万円超えどころか11万円越えにもなっている時があるのです。年末年始とかではなく、普通の11月や12月上旬です。理由は恐らく、コロナ緩和の影響でモンゴルから出る人が増えたにもかかわらず、成田便は週3便しか運航していないため、需要と供給の関係で値段が上がったんじゃないかと思います。それにしても高いです。コロナ以前のおおまかな傾向は、夏にピークを迎えてもさすがに10万円に行くことはなく、8万円や9万円でした。秋以降、徐々に下がり12月上旬なんて5-6万円くらいだったと記憶しています。ですが、コロナ後は全てが上がり、今年の5月でも9万円超えでした。それでもピークである今年の7月上旬は10万円は切っていました。それをピークとすると、今年の11月あたりは高くても6-7万円くらいでもいいのですが、なんとナーダム時期よりも11月ー12月上旬の方が高いという異常現象なのです。そのように高くなっているモンゴルへの航空料金であるにもかかわらず、「安かったから参加した」と言うのです。で答えは「99,000円だったかな?」と10万円を切っていたとの答えでした。「いや、いくらなんでも航空運賃だけで10万円するのに、ツアー料金が10万円を切るなんてあり得ない!」と思ったわけです。そもそもMIATはコロナ前から、ツアー用の料金でもたいして安くしていませんでしたし、そのせいでモンゴル向けのパッケージツアーは他のアジア向けツアーに比べて高かったのです。私も何度も「東南アジアツアー料金が立派なホテル代を含めて、10万円以下ではとてもモンゴルは対抗できない。」と思ったものです。そしてその主たる要因は、MIATの価格にあったわけです。で私が「いや、いくらなんでも10月に10万円切るツアーはないよ。航空会社はMIATでしょ?」と聞くと「よくわからないけど、アエロなんとか、、、」と言うので「アエロモンゴリア?」と聞くと「それそれ!」と言われました。アエロモンゴリアが今年春から就航していることは聞いていましたが、実際にどこでチケット販売をしているのかはわかりませんでした。ネットの検索では出てこないのです。ブッキングドットコムのようなサイトには出ることは出ますが、運航しているのかどうかはよくわからないのです。で、いろいろ検索してやっとわかりました。アエロモンゴリアのHPによると、成田便は本年4月から10月まで火曜日のみで4月だけは火曜・金曜運航とあります。ただ、これだと5月から10月までは週1便ということになりますが、これはHPの更新ミスであろうと推定します。モンゴルの会社では良くあるミスですから。週1便だけでは3泊4日のツアー客も乗せられないし、スケジュールが固定的すぎます。なので、今年は7か月間を週2便で運航したと思われます。恐らく一般向けの販売はしていないか、少なくとも日本では日本人向けでの一般向け販売はしていないと思います。今年は日本では旅行社向け販売のみだったのではないでしょうか?ちなみに現在の阪急交通社のツアー案内を見ると、東京発、大阪発などの来年のツアーが載っています。価格は成田発で179,900円から299,900円となっています。不思議なのは「ツアーの題名」には「ミアットモンゴル航空直行便利用」と書いてあるにもかかわらず、詳細日程を見ると「成田からアエロモンゴリア直行便にてウランバートルへ」と書かれています。モンゴル側だけじゃなく、日本側も混乱しているのでしょう。ですが、これに比べてもやはりその友人が行った「10万円を切る阪急交通社のツアー」は激安だったことがわかります。10万円の売上で、阪急が2万円取るとすると、残り8万円。モンゴル旅行者側で3万円としてもアエロモンゴリアは5万円と、ミアットの半額です。やはりミアットには競争原理が必要なようです。来年は是非ともアエロモンゴリアに通年で一般個人客向けでも営業してもらいたいものです。アエロモンゴリアにJALも参入してくれれば、選択肢は増える、料金は安くなるといいことばかりなんですけど。
2022.12.15
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数日前から、モンゴルで大きなデモが起きているとの情報があります。日本のネットニュースにも出ているので、ご覧になられている方も多いと思います。この寒い時期に、一体何が起きているのでしょうか?まず、いくつかのネットニュースを整理してみましょう。ウランバートルで数千人規模のデモが12月4日に起きたとあります。そしてそれがすぐには収まらず、7日現在でも続いているというのです。警察とデモ隊の衝突もあるようです。場所はスフバートル広場です。一部の暴徒化したデモ隊が政府庁舎などにも侵入したとあり、更には大統領宮殿前でもデモがあるとの報道もあります。大統領宮殿であれば、スフバートル広場とは反対側の川を挟んだザイサン方面ということになります。市内でも結構広い地域で起こっているということなのでしょう。デモの原因としては、長く続くインフレへの不満などがあるようですが、直接のきっかけは中国への石炭輸出を巡る汚職への反発とありますが、具体的にはどのようなことなのでしょうか?日本に届くネットニュースだけでは良くわかりません。以下、私が現在得ている断片的な情報を書きます。ここで言う中国向け石炭に関する汚職というのは、どうやら今までの汚職とはレベルが違うようです。今までも当然ですが汚職はあったに決まっていますが、それは許認可とか輸出額の何パーセントとか、よくある輸出者に対して政治家がお金を無心するというようなものでした。ですが、今回のはもっと大きく、敢えて言えば国家レベルでの汚職ともいえるレベルです。報道では650万トン、18億ドル(2450億円相)とあり、とんでもなく大きな金額です。時代は全然違いますが、ロッキード事件の5億円、リクルート事件6億円とはけた違いどころの話ではありません。これはどういう仕組みで、どのように発覚されたのでしょうか?そもそもの発覚は、統計のずれにあったようです。中国政府が発表したモンゴルから中国への石炭輸入量とモンゴル政府が発表した中国への石炭輸出量との間に差があったというのです。その差は誤差というレベルではなく、明らかな違いであったというのがそもそもの発端です。ネットニュースでの「650万トンが盗まれた?」というのは、この両国の統計上の差異を指していると思われます。モンゴルの石炭輸出は最近のコロナで変動が大きいのですが、2019年は3600万トン(31億ドル)、2021年は1600万トン(28億ドル)で、今年は昨年よりは増えたと言われています。確かにこのレベルの中で650万トン、18億ドルというのは「統計の誤差」どころではない差異です。中国は実際にモンゴルから届いた石炭の量を発表しているので、差異を生み出しているのはモンゴル側です。しかも正確な数字はわかりませんが、モンゴル側の数字を単純計算すると、輸出単価が異常に低いという問題もあるのです。ま、簡単に言えば「薄められた」と表現してもいい状態なのです。しかもこの汚職資金の捻出の仕方が複雑なのです。これだけ大きな金額となると、インチキの口座に振り込むにしても大ごとですし、中国とのお金のやり取りがあるので、外国為替の問題が出てきます。そうなれば簡単に足がついてしまうというものです。ではどうするのか?それはお金ではなく、モノで受け取るのです。例えば建設資材。ウランバートへ行かれた方は、あちこちでたくさんのアパートや商業ビルが立ち並んでいるのをご覧になったでしょう。あれらの建築資材の多くが中国から来ています。モンゴル側で石炭を中国へ輸出し、直接の代金は受け取らずに建築資材の形でモンゴルへ輸入し、ビルやアパートを建設販売してモンゴル国内で現金化するというわけです。これであれば、外国為替を通す必要がないので、資金の流れが見えにくくなります。ただ、これだけの金額ですから、数か月やそこらでできる話ではないでしょう。また一部の政治家がちょこちょこっと操作できるレベルでもありません。これだけの規模の汚職をするとすれば、許認可権を持つ政治家、石炭採掘業者、建築資材輸入業者、モンゴル国内での不動産開発業者、金融関係者、更には中国側での協力者などがないととてもできないのは明白です。そしてこれだけの規模で関係者を動かせるとなれば、相当の権力者でないととてもできません。その最有力容疑者は、前首相であり、現大統領であるフレルスフではないかと言われています。確かに現在のフレルスフ大統領は歴代の中でもトップクラスの強い権力者だと聞きます。現在のオヨーンエルデネ首相がこの件に関わっているのかどうかはわかりませんが、彼は実質的にフレルスフによって指名された首相ですから、基本的には大統領には従います。ですが、当然のことながら現在のデモや汚職疑惑については、国民からは現首相に対して批判が行きます。もし現首相が汚職にかかわっていないとしたら?真相はわかりませんが、現在、大統領と首相が対立しているという情報も入ってきています。これは今まで起きたモンゴルでの汚職とは比べ物にならないくらいの大スキャンダルに発展する可能性もありますが、一方で大統領と首相は同じ人民党ですから、どこかで手打ちをして「ああ、あれはオペレーション上のミスが重なっただけのことであった」なんて結末になるのかもしれません。こうした汚職疑惑に、ここ数年溜まりに溜まった「物価高」「低賃金」「高失業率」などへの不満が一気に爆発したデモだと言えるのだと思います。マイナス30度でのデモはモンゴル人にだって寒いですが、そうせざるを得ないほどの厳しい生活環境なんだということなのです。
2022.12.08
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ところで10年以上前から百貨店の苦戦が伝えられています。地方の百貨店はほとんど全滅で、かつて日本一を誇った西武百貨店池袋店ですら生き残れるかどうかという状況のようです。そこには高コスト体質というものがあります。今回、その一面を見た思いでした。今回入ったラーメンの催事場は8階にある20坪にも満たないような小さなスペースでした。それは全然問題ではありません。そこにいる人の数です。ざっと見た感じですが。まずその場所に近づくと、店の案内をする人がいました。「こちらにお並びください」と言っているだけで、特に何もしません。そういう案内「だけ」をしている人が3人もいます。ラーメンはチケットを買いますが、前の人が終わったら私の番なのは誰でも知っていますが、そのために「どうぞこちらでお求めください」という人がいます。チケットを買うのになんとレジに2人もいるのです。一人がチケットを気にしていて、一人がお金のやり取りです。街のラーメン屋なら、あの安っぽい自販機がやっていることです。しかもチケット2枚とレシートの計3枚渡されます。松屋なら1枚で済みます。そして席に座ると、中にお運びさんが少なくとも4人はいます。もちろん、ここからは見えませんが中に作っている人がいるでしょう。新潟の4種類のラーメンを作っており、東横とは別のラーメンもありますから、作る人も別々だと思われます。中にも4人はいそうです。こう見ていると、外部から推測できるだけで13人もの人たちがラーメン会場にいるのです。で、席数はというと25席ほどです。街のラーメン屋さんなら、少ないところだと2人、多くとも4人で全てをまかなえるくらいです。恐らくこれは主催者である百貨店側が「お客様にお待たせしないように」「お客様が困らないように」配置しているんだと思いますが、これではいくらお客さんが入っても、いくらプレミアム価格で売れても、どうあがいても利益にはつながらないでしょうね。でも百貨店の人の頭では、これを変えられるとは思っていないのでしょう。満腹になって、後は鳥を買って帰ろうと思いましたが、ご覧の通りかなり賑わっています。店の数はどのくらいあるのでしょうか?なんと46店も出店しているそうです。これは少し見ていかねばと思いました。酒のコーナーがあります。東京でも新潟の酒はコンビニでも買えますから、わざわざ買うほどでもありません。が、東京ではほとんど見ることがない金鶴がありました。佐渡の小さな造り酒屋である加藤酒造という酒蔵が作っています。東京でも佐渡の北雪や真野鶴などの大手はちょっとした和食屋さんにはありますが、さすがに金鶴は見たことありません。楽天などでも買えますが、輸送料などの差でしょうか、ここではその半額程度で買えました。基本的に佐渡での値段と同じで、1000円程度です!お酒の値段についてですが、なんでこんなに違うのかと思いますね。これは同じコーナーで売っていた新潟の酒です。これは共に新潟産で、方やバブル時に六本木でプレミアム付きの大人気となった「越の寒梅」で、右側は東京にはめったに出てこない少量生産の地酒「鶴の友」です。越の寒梅の値段は鶴の友の5-6倍はします。どう考えても原価にこんな差はないでしょう。生前、父は「東京の奴らは全然酒の味がわかっていない。なんであんな水臭い寒梅をとんでもない値段で買うのか?」「鶴の友の方が断然うまい!」と言ってました。ちなみに父は相当な酒好きでした。私も大人になって、鶴の友などの味がわかるようになり、確かに東京人は舌で選んでいるのではなく、名前で選んでいるのだとわかりましたね。またぶらりと歩いていると、売り子さんの「佐渡」という名前を耳にしました。彼は何か高そうなものを勧めていましたが、私が「いごねりあるの?」と聞くと元気よく「はい、あります!」というではないですか。海藻を原料に加工したおきゅうと(博多)みたいな食べ物です。新潟産と佐渡産があり、新潟産のは全然美味しくないのです。で、佐渡さんのそれも買って、と。目的のがんこ屋に行くと、鳥のカレー味半身から揚げ、買い求める人が並んでいました。店員さんに聞くと、今回は社長さんは来られていないとのこと。若いころは自ら東京に乗り込んで汗をかきながらラーメン作っていましたが、もう立派な会社になったので部下に任せているのでしょう。「社長は来てませんが、店長が来ています」と言っていましたね。ここで、半身を買いました。もう帰ろうと思って、珍味屋さんを覗くと、なにやら貝とウニの珍味です。いかにも私が好みそうなものです。値段を見ると1000円とあります。これはいいやと思い買い求め、お金を払う段になると「2160円です!」。なるほど、100g1080円ってことか!全然安くないじゃないか、と思いましたが、仕方なく買いました。こうなってくると、佐渡の酒に合わせた飲み会の気分になります。結局、また他の海産物も買ってしまいました。ラーメン一杯食べに行ったのに、その10倍も使うとは。デパートの催事は、入り込むと恐ろしいものがあります。(完)
2022.12.06
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先日池袋へ行った時でした。駅構内に東部デパートの催事の告知が出ていました。「新潟ドッカン祭り」意味不明ですが、要するに新潟物産展のようなものでしょう。良くある物産展だと思ったのですが、気になる点が二つありました。1つは「東横ラーメン」が来るということ。ここは新潟五大ラーメンの一つ「味噌ラーメン」の店です。味噌ラーメン?北海道?と言いたいところですが、新潟の味噌ラーメンはとても美味しいのです。ですが、一番有名な店は新潟県の巻というところにある「こまどり」です。凄く田舎にある店ですが、大きな駐車場も連日一杯になるほど遠くからも来ます。この「東横」という店はその「こまどり」で修業したお弟子さんの店だそうです。私も「こまどり」は好きですが、「東横」もとても美味しかったという印象が残っていたので、久しぶりに行きたくなりました。そしてもう一つ気になったのが、ポスター左下です。「がんこ屋・鳥の半身揚げ」とあります。実はこの「がんこ屋」はラーメン屋さんで、東京にも何度も催事で出店していた店です。が、ここに「初出店」とあるのは、鳥の半身揚げとしての出展だからでしょう。ラーメンはスープから麺湯で、盛り付けなど結構手間もかかり人手を要しますが、唐揚げならフラーやーなど準備も楽で人でもあまりかからないということもあるようです。新潟名物、鳥の半身揚げなどと言われることが多いですが、私は一度も食べたことはありません。聞けば、新潟の「せきとり」という居酒屋が始めたものらしく、今では新潟名物になっているようです。この二つが気になって、行くことにしました。時間調整がうまくできず、結局新潟展の最終日になんとか行けました。会場に入って真っ先に目に入ったのが「錦鯉」です。「え?錦鯉?売ってるの?」と思いながら、子供用プールのようなところで泳いでいる鯉を見ました。最初の印象は「でかい!」です。とにかく大きい。普通の鯉という感じとは全然違い、大型のブリとか鮭のような大きさです。長さは80センチ近くもあります。重さは7キロくらいらしいです。さてお値段は?ぬあんと、紅白は700万円だそうです!レクサス並みです。これがその紅白です。すごいですねー。ここで買う人はいないと思いますが、一種の宣伝でしょうか?今では海外のバイヤーが多いと聞きますから、デパートで見せても商売にはならないとは思いますけど。むしろ、何かあって死なせてしまうリスクの方が高いような気もします。鯉は生命保険あるのでしょうか?移動中に死なせたりしたら、大ごとですからね。最初の目的の「東横ラーメン」です。美味しかったです。この写真を見ると、左手にポットがありますが、ここには割りスープが入っています。面は太麺で、スープの味は濃いです。濃いというよりはかなり濃い、濃すぎるいくらいですが、味は濃厚です。店の説明では、最初にそのちょっと濃すぎるくらいの味で食べてみてくださいとのことです。そして、その後好みに合わせてスープで割って味を調整して飲んでくださいということです。つけ麺のスープ割はポピュラーですが、普通のラーメンでスープ割なんて、この店くらいなんじゃないでしょうか?ちなみに店名の東横は、創業者が若いころ修業をした東京と横浜から来ているそうです。東横線と同じ由来ですね。(続く)
2022.12.05
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休憩時間後に天皇は果たして戻ってくるのか?前半に顔を出して、それで終わりという可能性もあります。ですが、休憩後に戻ってきました。これを見て思ったのが、他の政治家たちです。会場には林外務大臣や公明党の山口代表などの政治家らか来ていました。正直言って、モンゴルの民族音楽に林さんが興味あるようにはとても思えません。よくわる会合などでは、最初だけ顔を出してその後は退席するというのが多くの政治家の行動パターンだと思います。ですが、この会場には天皇皇后両陛下が来ており、しかも休憩後の後半にも鑑賞するのです。さすがの林さんも「私はちょっと次があるので失礼します」なんて言えないのでしょう。最後まで会場にいましたね。後半は前半の演奏よりも少しアップテンポの大草原らしい曲が演奏されました。日本語の歌も何曲かありました。「ふるさと」や東日本大震災の時の「花は咲く」などで、日本語で上手に歌われていました。演奏会は無事終了しました。アンコールはあるのかな?と思っていましたが、天皇の行動を見ればわかると思いました。天皇の退席は一般人の前に行いますし、当然事前に全て打ち合わせをされているに決まっています。演奏会が終わって、演奏者が全員退場しても天皇は動きません。これはアンコールがあるという意味です。案の定、アンコールで最後の曲が演奏されました。そして、これも予想通りアンコール後に天皇皇后両陛下が退席をされたのです。にこやかに退席しました。左に見える鋭い視線の男性はSPです。終始、周囲を見ていました。天皇をこんなに間近で見る機会なんて滅多にありません。観客は大喜びでした。会場中が大きな拍手で両陛下を見送っていました。帰りの際にもあちらこちらでモンゴル語が聞こえてきました。東京及び近郊にこんなにたくさんモンゴル人がいるのかと思うほどで、渋谷駅への帰り道にもパルコあたりでもたくさんのモンゴル語を耳にしました。ほとんどが留学生などの若い人たちでした。今回のモンゴル大統領に対する日本政府の扱いは、やはり別格だと思いました。大統領は国賓ではありませんが、岸田首相と首脳会談を行い、天皇皇后両陛下とは昼夜に渡って長い時間を一緒に過ごしました。永田町にはモンゴル国旗が日の丸と共にはためいていました。後ろに見えるのは議員会館です。東京での演奏会は、12月3日の桜美林大学でいったん一区切りとし、その後大阪へ行きます。その後、関西、中国、九州を経て、焼津、そして再び東京へ戻ってきます。各地のチケットはまだ買えるようなので、ご興味ある方はぜひ行ってみてください。演奏会のつかの間の休日で、若い演奏者らと食事をしました。若き馬頭琴演奏者のA君とマネジャーのNさんです。若いモンゴル人とはやっぱり寿司より焼肉ですね!ツアーの成功を祈っています。(完)
2022.12.03
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