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1936 (昭和11) 年7月12日早朝。 代々木 ・ 陸軍刑務所構内。 軍法会議の結果、 叛乱罪 で有罪・・・死刑宣告を受けた 二 ・ 二六事件関係者 17 名の中 15 名の 銃殺刑 が執行された。 栗原安秀 (元歩兵中尉) ・ 安藤輝三 (元歩兵大尉) ら軍関係者が 13 名。 民間人は 2 名であった。 受刑者は、 五名づつ三組に分けられ、 順に刑架に縛せられる。 各々の正面には正 ・ 副二名の射手が配置されている。 正射手は、 受刑者の眉間に・・・。 副射手は、 心臓部に・・・。 銃の照準を合わせる。 初弾で死に至らない場合、 即座に第二弾が放たれるのである。 刑が執行されている間・・・。 隣接する代々木練兵場では、 銃殺をカムフラージュする為の射撃演習が催行され、 絶え間のない空砲音が、 夏空に鳴り響いていたとされる。
July 12, 2009
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女性軍 Vs 男性軍 という対戦の構図は形骸化して久しく、 往時の熱気は、 今や・・・ 小林 Vs 美川 の衣裳合戦に認められるのみ。 アップされる曲目は、 当然の様に、 その年の流行歌に限られていたのですが、 いわゆる歌謡曲が衰退の一途をたどり、 Jポップの隆盛著しくなると、 バランス上の配慮からスタンダード曲の比率がグンと増え・・・。 あらゆる世代の視聴者からの要求を満たす、 偏りのない選曲が番組制作上の要諦になっていきます。 なんと云っても、 国民的催事ですから。 決して、 中 ・ 高年層に・・・。 (中洲に押し上げられてしまった~!) ・・・と意識させてはならないのかも知れません。 然し、 それ位なら・・・。 いっその事、 Jポップ ・ Jロック Vs 演歌 ・ 歌謡曲 という対戦図式に変えてみたら、 結構盛り上がるのではないでしょうか?
December 31, 2008
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米大統領就任演説に比べるのは酷と解っている。 解っていながら比べざるを得ない。 二百万の聴衆を前に、 国家の品位 ・ 尊厳 を、 堂々と、 格調高く謳い上げた新大統領の英姿。 残念ながら・・・。 党内調整や対野党折衝で手一杯なのか、 疲れを滲ませた表情 で原稿を読み上げるわが総理の姿からは、 卑小な印象しか伝わって来ませんでした。 格調に欠けるのは仕方ない。 パフォーマンスに乏しいのも許せる。 甚だ遺憾なのは・・・。 内容も空疎なら、 具体性も希薄、 まるで心に響く所のない、 作文の為の作文でしかなかった事ですね。 身も蓋もなく云うなら、 政権維持に汲々とする 政権与党の妄執 以外の物は感じられない。 この人達が “国民の皆様” と呼び掛ける時、 その意識を占めているのは、 自らの選挙区内の有権者の利益のみではないでしょうか。 無論の事・・・。 それが政党政治のスタンダード型だと切替されたら、 その通りかも知れません。 然し、 この場合の問題は、 彼等が、 国民を 票田 としか見做していない事なのです。 有権者の支持は必要とするが、 国民の英知に信頼を寄せてはいない。 傲慢と大衆蔑視の念が隣合わせに在る。 そういう人達が、 国民の生活 ・ 国民の幸福を真剣に案じているのか? 果たして、 長期的展望に立った国家的ヴィジョンを抱懐し得るのか? ・・・ 政権担当能力 を有する政党は自民党の他に見当たらない。 虚妄に過ぎません。 虚妄を盾に、 政権党としての余命を保っているのが、 現在の自民党の姿でしょうか。 一体、 政権担当能力なる代物に、 何程の験が有るのか? その内実は、 政治調整の能力でしかないわけです。 今、 虚妄から国民全体が醒めつつある。 自民党が政権党の座から転落する日。 そのカウント ・ ダウンは始まっているかに思われます。
February 1, 2009
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1906 (明治39) 年1月14日。 皇居内。 日露戦争終結から三ヶ月余が経過した是の日・・・。 旅順要塞攻略作戦の責任者である 第三軍司令官 ・ 乃木希典大将 は、 群集の盛大な歓呼に迎えられ、 凱旋帰京を果たした。 繰返される総攻撃の失敗。 徒に、 兵士の犠牲のみを増大させていた攻囲期間中・・・。 司令官としての能力 ・ 識見の有無を上級統帥部から疑われ、 国民的な怨嗟 ・ 悪罵の対象にされていた乃木希典であったが、 今や・・・その名は、 今次戦役に於ける最高殊勲者の一人として、 国民の大多数が認める所となっていた。 旅順攻囲戦の切所となった 二百三高地 が陥落した裏に、 盟友である 満洲軍総参謀長 ・ 児玉源太郎大将 の督戦 ・ 陣頭指揮が有った事実は、 無論知られていない。 ・・・乃木は、 国軍の統帥者である 明治天皇 に軍状報告を行うべく、 直ちに参内。 他の軍司令官達と同様、 明治天皇の御前に進み出て、 戦闘経過の概要を記した復命書を奉読した。 整列する、 元老 ・ 軍司令官達は全員、 礼服を着用していたが、 乃木一人は戦塵に塗れた軍服の儘であった。(東映 『二百三高地』 ) ・・・その復命書は他のどの司令官のものよりも名文であり、 感動的であった。 「……弾ニ斃レ、 剣ニ殪ルルモノ皆陛下ノ万歳ヲ喚呼シ、 欣然トシテ瞑目シタルハ、 臣、 コレヲ伏奏セザラント欲スルモ能ハズ、 然ルニ斯ノ如キ忠勇ノ将卒ヲ以テ 旅順ノ攻城ニハ半歳ノ長日月ヲ要シ、 多大ノ犠牲ヲ供シ、 奉天付近ノ会戦ニハ攻撃力ノ欠乏ニ因リ、 退路遮断ノ任務ヲ全クスルニ至ラズ。 又敵騎大集団ノ我ガ左側背ニ行動スルニ当リ、 此ヲ撃摧スルノ好機ヲ獲ザリシハ 臣ガ終生ノ遺憾 ニシテ恐懼措ク能ハザル所ナリ……」 ・・・希典は読みつづけてついに絶句し、 うなだれ、 嗚咽しはじめ、 声がしだいに高くなり、 他の諸将らは座に居つづけるに堪えられなくなり、 上座の 大山巌 が一同に目くばせして一時廊下へ遠慮をしたほどであった。 ・・・かれらは帝と希典の個人としてのかかわりの深さを知っており、 この座はむしろ主従ふたりきりの感動の場にさせるべきであろうかとおもったのであろう。 ・・・希典はつねに劇的であった。 その希典が感動的な名文を読み、 読みつつ涕涙はなはだしきがために読み続けるに堪えられなくなったときに、 大山巌は廊下へ遠慮した。 つづいて東郷平八郎が去り、 野津、 奥、 上村彦之丞らが靴音をしのばせて去った。 ただひとり 児玉源太郎 のみが、 他になにごとかを考えているかのような顔つきでぼんやりと壁をみつめ、 佇立したままであった。 このころの児玉は戦争の疲労が一時に出たのか顔色が極度にわるく、 精気がなかった。 ・・・希典の劇的さは、 その性格行動だけでなくその宿命までが劇的であり、 かれはその二児をこの戦争で喪わしめた。 戦闘服を着ていま嗚咽している希典の姿は、 ・・・日露戦争そのものであり、 この戦争の悲愴と壮烈を一身に具現しているかのようであった。(司馬遼太郎著 『殉死』 )
January 14, 2009
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1868 (慶応4) 年1月3日。 京都南郊 ・ 鳥羽街道。 新政府の主導勢力である薩摩 ・ 長州は、 徳川氏排除の方針を崩さず、 旧幕府勢力との対決色を露骨に打ち出していた。 辞官納地の強要を始めとする、 前将軍 ・ 徳川慶喜 に対する過酷な処遇は、 その幕下の士をして憤激せしめ、 薩長打倒の声は日増しに高まっていく。 前年12月の政変以来、 京坂街道に布陣し、 臨戦態勢を整えていた 旧幕府軍 15, 000 名は、 是の日・・・。 薩長勢力の討滅を期して、 京都への進軍を開始した。 薩長連合軍 は、 4, 000 ~ 5, 000 名でしかない。 兵力の上からは、 旧幕軍が圧倒的に優勢であった。 鳥羽街道を北上する旧幕軍と薩摩軍との間に戦端が開かれると、 伏見方面でも砲火の応酬が成された。 鳥羽街道周辺は、 忽ちにして凄惨な戦場と化し、 伏見市街は炎上した。 会津藩兵や、 土方歳三 指揮下の 新撰組 、 佐々木唯三郎 指揮下の 京都見廻組 は、 白刃を振るって、 果敢に突撃を繰り返すが、 新式銃を装備した薩長軍を打破る事は出来なかった。 4日の戦況は一進一退で推移するが、 5日・・・薩長軍の陣頭に 錦旗 が翻った事で、 勝敗の帰趨は決した。(松竹 『壬生義士伝』 ) 旧幕軍将士は、 自分達が朝廷に叛く者・・・朝敵となった事実を知ったのである。 朝敵の汚名 を蒙る事・・・。 それは、 大坂城に在る総帥 ・ 慶喜が 最も恐れていた事態 であった。 6日深夜、 慶喜は、 会津藩主 ・ 松平容保 ら数名を従えて、 大坂城から脱出。 翌7日早朝、 大阪湾に停泊中の幕艦 ・ 開陽丸に座乗すると、 一万数千余の将士を置捨てた儘・・・江戸へ帰還した。 戊辰の争乱 の序曲である 鳥羽伏見の戦闘 は、 旧幕軍の全面的敗北に終わった。 新政府は 慶喜追討令 を発し、 改めて東征軍が編成される事となる。
January 3, 2008
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1902 (明治35) 年1月24日未明。 青森県八甲田連峰。 目的地まで 2km弱と云う地点に達しながら、 暴風雪に前進を阻まれた演習部隊は、 雪濠を構築し、 露営の態勢に入っていた。 黎明まで現在位置に留まって、 情況を見るのが賢明との指揮官判断によるものである。 然し、 演習部隊に随行していた 大隊本部 は、 公然と指揮に容喙し、 帰営の命令を下す。 「この儘では・・・朝までに、 大半の者が凍傷で動けなくなってしまう!」 斯くして、 演習部隊は八甲田踏破を断念・・・帰営の途に着くのであるが、 その途次に於いて、 当初の目的地への道が発見されたと具申する上曹が有って、 その意見を容れ、 再度反転する。 その結果として、 進路も退路も見失い、 完全な遭難状態に陥ってしまう。 部隊は、 食料も燃料もなく、 数日間に渡って山中を彷徨した果て、 潰滅を遂げるのである。 演習参加人員 210名中、 凍死者 199名。 世界山岳遭難史上最大最悪の惨事として記録される。 戦前に在って・・・。 この事件は、 軍歌 ・ 『陸奥の吹雪』 に詠われ、 微かながら片鱗を伝えられて来た。 軍国美談調の修辞に糊塗された詩世界は、 凄惨極まりない遭難の実態から程遠い。 厳秘に付されていた感のある惨劇の実態が、 一般に周知されるに至ったのは、 戦後も相当年数が経過してからの事・・・。 云うまでもなく、 作家 ・ 新田次郎 の小説 『八甲田山死の彷徨』 によってである。 作者は、 青森第五連隊と平行して八甲田踏破の計画を進めていた 弘前歩兵第三十一連隊 の演習部隊に着目している。 同部隊は、 全く同時期に八甲田山系へ突入しながら、 一人の落伍者を出す事もなく、 踏破に成功しているのである。 両者の全く正反対の結果は、 一体何を意味するのか? 何が両者の明暗を分けたのか? 綿密な資料に基いて、 小説ならではの分析手法によって、 両者の行動を対比的に再構成していく。 大自然の猛威を侮る事なく、 謙虚な態度で対象を分析し、 問題点の克服に努め、 周到な準備をもって臨む、 三十一連隊。 情報を軽視し、 自らを過信し、 状況を自己に都合良く推量し、 惨憺たる潰滅に至る、 第五連隊。 同書の示唆する所は重大で、 刊行当初から 経営者 ・ 管理者 の 必読書 と評され、 今日まで読み継がれている。
January 24, 2009
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1990 (平成2) 年8月2日。 ペルシャ湾岸クウェート王国。 アラブ国家によるアラブ国家への侵略・・・。 世界を覆いつつある冷戦終結ムードに水を浴びせる、 異常事態が発生します。 フセイン政権 下の軍事大国 イラク による、 湾岸産油国 クウェート への軍事侵攻でした。 国際社会は挙って、 この暴挙を批難。 クウェートからの撤退を求め、 対イラク制裁 に踏み切ります。 イラクの非道と暴虐は、 国際法上からも、 道義上からも、 歴然としていました。 中東問題をアラブ民族の視点から見れば、 従来語られているものと全く異なった現実が見えて来るとは、 当時から云い古されていた事です。 然し、 湾岸危機 に関する限り・・・。 如何に詭弁 ・ 詐術を弄した所で、 イラクの所業を正当化し得るものではありません。 クウェートはイラク固有の領土であり、 その資源も又イラク国民の所有に帰すると云う・・・フセイン大統領の主張には、 一片の正当性も認められず、 詭弁の為の詭弁でしかない事は、 誰の眼にも明らかでした。 日成らずして、 欧米軍を主体とする 多国籍軍 と アラブ合同軍 による、 史上最大規模の・・・イラク攻囲網が形成される事となるのです。
August 2, 2008
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1945 (昭和20) 年7月26日。 ベルリン郊外ポツダム市。 独国降伏から80日目。 欧州の戦後問題を合議中であった連合国首脳は、 是の日・・・。 極東に在って、 絶望的な抗戦を継続する日本に対し、 無条件降伏を促す共同声明を発表する。 いわゆる ポツダム宣言 である。 同宣言は・・・。 軍国主義勢力の除去。 連合国による日本の保障占領。 日本軍の完全武装解除。 戦争犯罪人の処罰。 ・・・等を要求。 「右以外の日本国の選択は、 迅速かつ完全なる壊滅 あるのみ・・・」 と結んでいた。
July 26, 2008
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物価高が家計を直撃し、 消費者の意識が挙って生活防衛に向けられる中・・・。 一次産業の雄たる漁業に携わる人々の生活は、 それ以上に圧迫され、 より深刻な状況に在る事を、 否応なく印象付ける出来事では有ります。 漁業従事者による同盟罷業が、 是だけ大規模に、 是だけ組織的に敢行されるのは前代未聞・・・。 大正七年夏に勃発した 【米騒動】 の最中にさえ起こり得なかった異常事態です。 操業すればする程赤字が増大するという悪循環の下、 燃料費補填等の救済策を政府に求める漁業関係者の叫びには悲壮感が漲っています。
July 15, 2008
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1890 (明治23) 年10月30日。 内閣制度創設。 憲法発布。 議会開設・・・。 明治14年の政変から十年・・・。 藩閥政府主導の下に、 近代国家としての態様は順次整えられ、 遂に・・・東洋最初の立憲君主制国家 ・ 大日本帝国 の誕生へ至ります。 そして、 是の日・・・。 皇居内に於いて、 新時代の国民教育の基本方針を示した 『教育ニ関スル勅語』 が発布されます。 忠君愛国等の十二の徳目から成る、 いわゆる・・・ 教育勅語 です。 国体・・・。 天皇制権力機構 の根幹を支える役割を担わされるのは、 云うまでもなく衆庶・・・一人一人の帝国臣民でした。 その帝国臣民の在るべき姿・・・。 期待される臣民像 を、 学校教育を通じてインプットする。 以って臣民意識の涵養を図る事が、 この時代の学校教育に課せられた命題でもあったのです。 戦後・・・。 教育勅語は、 狷介で固陋な 軍国主義教育 に直結するものと見做され、 排斥の対象になりました。 然し、 人間の社会は一定の段階を経ながら発展していくものです。 封建制度が解体され、 近代的な国民国家が形成されていく過程・・・。 過渡期に在って、 勅語が国民精神の形成に果たした役割については、 相応の評価が与えられて然るべきかも知れません。 又、 戦前の学校教育全般について云える事ですが・・・。 知識の取得に偏重する事なく、 情操面の育成を大変重視していた点も見逃してはならないでしょう。 もっとも、 個人主義精神 ・ 批判精神の発達を促し、 疑問を抱かせ、 社会への問題意識を喚起するという面では、 教育は全く停滞していた事は否めません。 国民の権利意識が急速に伸張するのは、 明治末期から大正中期に掛けてですが、 その時期には最早・・・勅語は時代の実情にフィットしないものになっていた事は確かです。 その教育勅語が俄かに宗教色を帯びて、 国民の日常生活の上に重く圧し掛かって来るのは、 昭和10年の夏・・・ 第一次国体明徴声明 (=天皇神格化宣言) が発せられてからの事です。
October 30, 2008
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940 (天慶3) 年2月14日。 下総国幸嶋郡。 在地豪族層の絶大な支持を得て、 坂東一円の支配権を手にした筈の 平将門 であったが・・・。 間隙に乗じて挙兵した 藤原秀郷 ・ 平貞盛 連合軍の急迫を受け、 絶体絶命の窮地に陥っていた。 是の日・・・。 攻め寄せる秀郷 ・ 貞盛連合軍 四千 を、 将門は 四百 の寡兵をもって迎え撃つ。 将門勢の乾坤一擲の反撃は連合軍を圧倒するが、 乱軍の最中・・・飛来した一矢が将門を刺し貫く。 平将門一党による坂東八ヵ国の劫掠。 大化の改新以来・・・三百年に及んだ朝廷の支配を覆し、 兵農一体の新興豪族層を構成基盤とする独立圏が誕生しようとしていた。 一方、 瀬戸内海に在っては、 藤原純友 を首領とする 海賊団 が一斉蜂起。 山陽道 ・ 南海道一円もまた 無政府状態 に陥っていた。 東西時を同じくして発生した大規模な叛乱は、 朝廷を震撼させた。 民衆の惨苦を他所に、 長く偸安の夢を貪っていた王朝貴族達は完全に動転し、 恐慌状態を呈するに至った。 西の純友に対するに、 官位 (従五位下) を授与し、 ひたすら懐柔に努める一方・・・。 東の将門に対しては、 武力討伐の方針を固めた朝廷は、 参議の一人 ・ 藤原忠文を 征東大将軍 に任じ、 坂東へ下向せしめた。 ・・・と云っても、 当時の朝廷は常備軍を保有していない。 沿道の国々から兵員を徴募し、 陣立てを整えながらの征旅となる。 泥縄の感は否めない。 果たして、 朝廷の威令に順い、 如何程の兵が帷幄に集うものか覚束なかった。 その頃・・・。 将門は、 坂東諸国から参集していた数千の大軍勢を、 如何した事か・・・一斉に帰郷させてしまう。 農繁期が差し迫っていたからとも推測されるが、 潜伏生活を続けながら将門打倒の機を窺っていた宿敵 ・ 平貞盛 は、 是を天与の好機と捉えた。 彼は、 下野国最大の豪族で、 押領使の 藤原秀郷 を説いて、 朝廷方に引込むと、 逆賊討滅の兵を挙げる。 虚を衝かれた将門は、 十分に兵備を整える間がない。 手勢一千を率いて下野へ進攻するが、 秀郷の機略に翻弄され、 大損害を蒙り、 退却を余儀なくされた。 そして、 是の日・・・。 秀郷 ・ 貞盛連合軍 四千余 は、 将門の本拠地 ・ 幸嶋郡石井に迫っていた。 将門は 四百 の寡兵をもって、 是を迎え撃つ。 全将士一丸と成って突進する将門勢。 死物狂いの反撃の前に、 連合軍は総崩れとなり、 四方やの惨敗を喫してしまう。 兵は四散し、 秀郷の手に残ったのは、 僅か 三百余騎 であった。 将門は、 健兵 百余騎 をもって是を追撃し、 最後の決戦を挑む。 此処でも又、 順風を得た将門方の弓勢が対手を圧し、 勝利は目前かと思われたが・・・。 その時、 飛来した一矢が、 将門の頭蓋を刺し貫いた。 自ら 新皇 を称したとされる将門の最期であった。 将門を誅殺した矢は、 誰が放ったものなのか、 分明でない。 秀郷の剛弓から放たれた矢であるとも、 貞盛の射た矢であるとも、 記録されている。 兎も角・・・。 朝廷の派した征東軍の来着を待たずして、 将門は誅戮された。 同夜、 将門の居館 ・ 石井は炎上。 それから短時日の間に、 党類は悉く掃滅され、 坂東は再び朝廷の版図に組み入れられた。 将門の死とともに 坂東独立 の夢も又、 儚く潰え去ったのである。
February 14, 2009
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元禄14 (1701) 年3月14日。 江戸城中松之大廊下に於いて、 日本史上最も有名な、 あの刃傷事件が発生した日でもあります。 年々の慣例として勅使饗応の役を申し渡された播州赤穂の城主 ・ 浅野内匠頭 (加山雄三) は、 指南役の吉良上野介 (市川中車) から礼儀作法について教えを乞うことになった。 上野介は嘗て塩田作法の教授を浅野に拒否された恨みを晴らすためか、 進物の少ないのを目の敵にしてか、 諸大名の面前で田舎大名呼ばわりをするのだった。 内匠頭は、 大事の御役目と、 はやる心を抑え、 口惜しさに堪えた。 饗応の儀もあと一日という御勅答御儀の日であった。 それまで抑えに抑えていた正義の剣は、 殿中松の廊下において、 上野介にふりおろされた。 それは御政道の腐敗に抗議する剣でもあった。 内匠頭は即日切腹。 しかし上野介には何の咎めもなかった。 兇変を報じる早駕籠は嵐をついて赤穂へと走った。 その日から長く、 苦しい復讐への道程を赤穂藩士達は歩む事となる・・・・(東宝 『忠臣蔵 花の巻 ・ 雪の巻』 から)
March 14, 2008
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1885年1月26日。 エジプト領スーダン ・ 首都ハルツーム。 回教原理主義者 マフディー ・ ムハンマド ・ アフマド 率いる叛乱軍の攻囲下に在った ハルツーム は、 是の日・・・。 数万からなるマフディー軍の総攻撃を受けて陥落。 エジプト軍守備隊は全滅した。 エジプトの宗主国的立場に在った英国が、 事態収拾の切札として派遣した チャールズ ・ ゴードン将軍 もまた、 壮絶な戦死を遂げる。 享年 53歳であった。 マフディー軍が、 燎原の火の勢いで、 スーダン全土を席捲しつつある情勢下・・・。 英国政府は、 軍事介入の意思を持っていなかったが、 極めて困難な問題に直面していた。 将に・・・マフディー軍の重囲に陥らんとしている首都ハルツームから、 エジプト軍民一万数千名を脱出させ、 虐殺の運命を免れしめる事である。 無為無策に終始し、 大量のエジプト人を見殺しにしたとあっては、 宗主国の体面を保てない。 窮余の策として取られたのが、 前スーダン総督であるゴードン将軍の派遣であった。 清朝を震撼させた 太平天国の乱 に際して、 常勝軍を率いて、 叛乱軍を鎮圧。 スーダン総督時代、 奴隷制度廃止 を断行。 英国からも、 スーダンからも、 英雄視され、 信望の厚いゴードンをして、 ハルツーム撤退の陣頭指揮に当たらしめたら良いと考えたのである。 処が、 ハルツームに赴いたゴードンは、 現地の情勢から、 居留民の安全な避難を全うする為・・・大規模な保障軍事力が必要と判断、 援軍の派遣を要請し、 本国政府の思惑と真向から対立する。 大いなる 誤算 であった。 英国国民の大多数がゴードン支持を表明し、 ゴードン救出の声は日増しに高まっていく。 宰相グラッドストン は、 世論に突上げられる格好で、 スーダン派兵の決断を下す。 英国軍は、 水陸両路からハルツームへ進撃を開始し、 マフディー軍との間に戦端が開かれる。 然し、 先遣隊がハルツームに到達した時、 同市は既にマフディー軍の制圧下に在ったのである。 結局、 英国軍はなんら得る所なく撤退し、 スーダンは以後十数年間・・・戦乱と飢餓と疫病に支配される事となる。
January 26, 2008
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1902 (明治35) 年1月24日未明。 青森県八甲田連峰。 目的地まで 2km弱と云う地点に達しながら、 暴風雪に前進を阻まれた演習部隊は、 雪濠を構築し、 露営の態勢に入っていた。 黎明まで現在位置に留まって、 情況を見るのが賢明との指揮官判断によるものである。 然し、 演習部隊に随行していた 大隊本部 は、 公然と指揮に容喙し、 帰営の命令を下す。 「この儘では・・・朝までに、 大半の者が凍傷で動けなくなってしまう!」 斯くして、 演習部隊は八甲田踏破を断念・・・帰営の途に着くのであるが、 その途次に於いて、 当初の目的地への道が発見されたと具申する上曹が有って、 その意見を容れ、 再度反転する。 その結果として、 進路も退路も見失い、 完全な遭難状態に陥ってしまう。 部隊は、 食料も燃料もなく、 数日間に渡って山中を彷徨した果て、 潰滅を遂げるのである。 演習参加人員 210名中、 凍死者 199名。 世界山岳遭難史上最大最悪の惨事として記録される。 戦前に在って・・・。 この事件は、 軍歌 ・ 『陸奥の吹雪』 に詠われ、 微かながら片鱗を伝えられて来た。 軍国美談調の修辞に糊塗された詩世界は、 凄惨極まりない遭難の実態から程遠い。 厳秘に付されていた感のある惨劇の実態が、 一般に周知されるに至ったのは、 戦後も相当年数が経過してからの事・・・。 云うまでもなく、 作家 ・ 新田次郎 の小説 『八甲田山死の彷徨』 によってである。 作者は、 青森第五連隊と平行して八甲田踏破の計画を進めていた 弘前歩兵第三十一連隊 の演習部隊に着目している。 同部隊は、 全く同時期に八甲田山系へ突入しながら、 一人の落伍者を出す事もなく、 踏破に成功しているのである。 両者の全く正反対の結果は、 一体何を意味するのか? 何が両者の明暗を分けたのか? 綿密な資料に基いて、 小説ならではの分析手法によって、 両者の行動を対比的に再構成していく。 大自然の猛威を侮る事なく、 謙虚な態度で対象を分析し、 問題点の克服に努め、 周到な準備をもって臨む、 三十一連隊。 情報を軽視し、 自らを過信し、 状況を自己に都合良く推量し、 惨憺たる潰滅に至る、 第五連隊。 同書の示唆する所は重大で、 刊行当初から 経営者 ・ 管理者 の 必読書 と評され、 今日まで読み継がれている。
January 24, 2008
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1.理念なき政治 Politics without Principles 2.労働なき富 Wealth without Work 3.良心なき快楽 Wealth without Conscience 4.人格なき学識 Knowledge without Character 5.道徳なき商業 Commerce without Morarity 6.人間性なき科学 Science without Humanity 7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice(ガンジーの 『碑文』 から) 宗教家として、 政治指導者として、 ガンジーは高潔無比の人であったと思います。 孤高の人でしたが、 その身は何時も民衆と共に在りました。 民衆の声に耳を傾け、 民衆と対話する姿勢を失いませんでした。 常に、 平明な言葉 で、 平明な表現 で、 人々に語り掛けていました。 実際、 平明な言葉で語れない思想など、 なんの価値もありません。 魂の内奥に、 まるで広大無辺な宇宙を包含しているかの様なガンジー。 そのガンジーが遺した、 言葉の数々。 その言葉の数々は、 一人一人が、 ガンジーの・・・内奥の大宇宙に思いを致しながら、 ジックリと噛み締めてみる時、 一層胸に響くものを感じられるのでしょうか。 ガンジーとの・・・一対一の対話。 それを試みる事が大切なのかも知れません。 遺憾ながら、 今日・・・ガンジーの言葉ほど、 各方面から曲解され、 都合よく用いられているものも希かと思われますので・・・。 (^.^;
January 30, 2009
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今年の夏は、 ともかくも減り張りが効いた、 夏らしい夏である事は確かな様です。 【海の日】 も、 【土用の丑】 も、 【隅田川花火大会】 も、 そういう夏の真っ盛りに訪れてこそ意義が有る。 乗り気になれる。 皆で、 大いに盛り上がる。 消費も好調。 うなぎも生ビールも、 たいそう美味い。 【永谷園】 恒例。 冷製茶漬のCMも・・・。 今年は、 この減り張り感に怖い程フィットして見える。 ・・・というわけで、 猛暑を忌避するのでなく、 生活に取り込んで、 猛暑との共存を楽しむ工夫も大切なのかも知れません。
July 27, 2008
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1936 (昭和11) 年2月26日未明・・・。(堀川弘通監督作品 『激動の昭和史 軍閥』 ) 予てから、 元老 ・ 重臣 ・ 財閥 ・ 官僚 ・ 政党を打倒し、 天皇親政下の軍事政権樹立を主唱していた皇道派一部青年将校は、 是の日・・・。 『昭和維新 ・ 国家改造』 をスローガンに掲げて、 決起。 歩兵第一連隊、 同第三連隊、 近衛歩兵第三連隊の下士官兵千四百余名を率い、 政界要人を襲撃。 朝日新聞社等を襲った後、 首相官邸付近一帯を占拠した。 殺害された者 内大臣 ・ 斎藤実 大蔵大臣 ・ 高橋是清 陸軍教育総監 (大将) ・ 渡辺錠太郎 重傷を負った、 侍従長 ・ 鈴木貫太郎は、 奇跡的に一命を取り止める。 二 ・ 二六事件 と呼ばれる。 四日目・・・叛乱は鎮圧され、 帝都は平静を取り戻すが、 事件が政 ・ 財界に与えた衝撃は激甚であった。 是を契機として、 軍部の政治的発言力は一層強化され、 遂に内閣の成立をも左右する権限を握る。 粛軍の名の下に皇道派勢力を一掃し、 組織内の態勢を固めた軍部は、 二 ・ 二六事件を脅迫材料として、 大々的に政治介入を進めていく。 岡田啓介内閣が総辞職し、 広田弘毅が後継首班に指名されると、 前代未聞の組閣干渉が行われるのである。 天皇機関説排撃 に続く 国体明徴声明 (=天皇神格化宣言) 。 そして・・・ 二 ・ 二六事件 。 日本の国内政治は、 決定的な変容を遂げる事となる。 ブルジョア ・ デモクラシーの終焉であり、 軍部による 国政壟断 の序幕であった。
February 26, 2008
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1793年1月21日 フランス王国首都パリ。 革命圧殺を目論む普 ・ 墺連合軍との戦闘は、 日毎に激化の一途をたどっていた。 存亡の危機に瀕した革命政府は、 義勇兵を急募すると同時に、 反革命勢力の巻返しを封じるため、 国王処刑の決断を下す。 前年8月10日の急進派蜂起以後、 権利を剥奪され、 家族とともに、 タンプル塔内に幽閉されていたフランス国王 ルイ十六世 は、 是の日・・・。 革命広場にて、 二万の群集が見守る中・・・ 断頭刑 に処された。 享年 40歳であった。 1754年8月、 国王 ルイ十五世 の孫として生まれる。 1765年11月、 王太子に擁立される。 1770年5月、 オーストリア皇女 マリー ・ アントワネット と結婚。 1774年5月、 ルイ十五世死去に伴い、 19歳にして国王位を継承。 困難な時代の国政を担わされる。 やがて、 三部会から国民議会を経て革命政府が成立すると、 旧体制の最高責任者として糾弾される立場に置かれる。 愛妻家で、 子煩悩の、 温和な家庭人。 争い事を好まず、 他人に対して、 まるで悪意を抱かない。 質朴で、 無欲恬淡とした性格の所有者。 絶対王制の体現者 ・ 圧制者と云う印象は更々なく、 逆に・・・革命の生贄に饗された犠牲者であるとする、 同情的な見方が浸透している。 取分け日本では。 実際・・・フランス革命が、 あんなにも 急進的 ・ 暴力的 な様相を呈する事なく、 英国名誉革命 の様に穏健な路線を辿って、 立憲君主政体 へ移行していたなら、 ルイ十六世の性格は、 「国王は君臨すれども統治せず」 との基本理念に見事適合し、 寧ろ理想的な君主像として奉られていた・・・かも知れない。 (^.^; 然しながら、 フランス絶対王制の君主として、 是等の性格は、 意志薄弱を意味するものでしかなく、 無能 ・ 無定見と同義的に作用し、 革命の到来を早め、 ブルボン王朝を破滅へ導く遠因となった事も否めない。 国家の危急に際して、 果断な態度で政務に臨んだ事が一度もなく、 窮迫に瀕している国民生活の実情に関して、 正確な理解が及んでいたのか大いに疑わしく、 結果として・・・なんら有効な施策を打出せなかった。 また、 巨費を投じて、 遊興に耽溺する王妃を間近に見ながら、 夫として、 国王として、 全く諫言を成さないでいた事の責任も重大であろう。
January 21, 2009
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1928 (昭和3) 年3月15日未明。 金融恐慌。 中国革命の進展。 国内外の不安が増大する情勢下・・・。 田中義一内閣は、 日本共産党 ・ 農民労働党等の構成員及びその関係者を標的として、 全国規模での一斉検挙に踏み切った。 後に 三 ・ 一五事件 と呼ばれる、 この大量検挙によって獄に繋がれた者の数は千数百名に上る。 帝国議会開設から三十有余年・・・。 民衆の権利意識の伸張を背景に展開された 第二次護憲運動 は、 権力機構の枢要を占めていた特権的官僚層に痛撃を与え、 その利益を代表する清浦奎吾内閣を退陣せしめた。 是の後・・・議会内の多数派政党の領袖が宰相に任命され、 内閣を組織するという、 憲政の常道 が確立される事となる。 二大政党による、 華々しい 政党内閣時代 の幕が開かれたのである。 更に、 国民の斉しく念願とする処であった 普通選挙法 も成立するが、 社会運動 ・ 労働運動の昂揚に危機感を抱く体制の思惑が反映され、 治安維持法 という、 昭和史に凄まじい悪名を刻み込んだ弾圧法と抱き合わせにされての公布となった。 やがて、 運命の昭和期が開幕。 金融恐慌によって社会不安が増大すると、 治安維持法は、 早くも暴威を振るう事となる。 同法適用による無産政党員の全国一斉検挙・・・ 三 ・ 一五事件 が起こったのは、 普通選挙法に基いて実施された、 最初の国政選挙の直後・・・。 そして、 中国本土で進行中の国民革命運動への威力干渉である 第二次山東出兵 が行われる直前の事であった。 対中国強硬路線・・・軍事力を背景に、 帝国主義権益の拡大を策する 田中義一内閣 としては、 今後躍進の予想される無産政党に容赦のない弾圧を加えると同時に、 反軍勢力を叩いて、 大陸進出政策の遂行を容易ならしめる意図が当然含まれていたであろう。
March 15, 2008
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然りながら、 このモノクローム・・・日毎に喧しさを増す世情を余所に、 昏々と眠り通していたわけでは決して有りません。 私とて宮仕えの身・・・。 新年度入りした途端、 輻輳を極める業務に追われ、 全身全霊を振り向け、 職責を全うすべく奮闘していた次第です。 この電子書斎に足を踏み入れる暇もない程の多忙振りで、 気が付けば三ヵ月間・・・ネットから完全に隔絶した、 見方を変えるならストイックその物の生活を励行して居りました。 無理の効く年齢でなし。 体調を崩しもせず、 良く頑張り通したものと、 我ながら感心致します。
June 30, 2008
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1928 (昭和3) 年12月29日。 満洲 (中国東北部) の政治主権者たる張作霖が、 関東軍の陰謀によって爆死を遂げてから半年余が経過していた。 父の跡を継ぎ、 東北政権の総帥となった張学良は、 是の日・・・。 奉天城内に青天白日旗を一斉に掲揚させ、 中国本土の国民党政権への合流を正式に表明した。 それは同時に・・・。 隣国の主権を顧みない日本の対満蒙政策との対決姿勢を明確にしたものであった。 関東軍の暴挙がもたらしたものは、 極度の対日不信と憎悪。 日満関係は、 修復困難な痛手を蒙ったのである。
December 29, 2008
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1918 (大正7) 年7月23日。 富山県下新川郡魚津町。 米価の暴騰が国民生活を直撃し、 深刻な社会不安が醸造される中・・・。 名もない漁民部落の、 名もない人々の間から、 自然発生的に、 生存権擁護の叫びが上がった。 是の日・・・。 生活難に喘ぐ漁民の妻達は、 結束し、 町役場や資産家の下に押し掛け、 救済を懇願。 食米を求めての紛擾は、 県内所々に飛び火し、 やがて・・・実力による米の移送阻止へエスカレート。 現代史の序幕劇である 【米騒動】 の発端となる。
July 23, 2008
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1904 (明治37) 年3月27日未明。 中国遼東半島 ・ 旅順港口。杉野! 杉野! 汝何くにか在る?索めて艙内より艙外に至る再び杉野と呼べば 風怒号三たび杉野と呼べば 浪滔滔艦は惜しむに足らず 士は惜しむべし涕涙恨みを呑んで 小舶に下る敵弾一発 夜を照らして紅なり鮮血衣に濺いで 帽は空に在り・・・(鈴木豹軒 『軍神広瀬中佐』 ) 東郷艦隊との決戦を避けて、 旅順軍港内に蟄伏する 露国太平洋艦隊 。 連合艦隊司令部は、 同軍港を封鎖 する作戦計画を実行に移す。 港口部に、 数隻の 老朽船舶を突入 ・ 自沈 させるというものであったが、 当然ながら・・・実行部隊は露軍要塞砲の猛射に曝される事となる。 容易に生還は期し難い、 決死の作戦行であった。 作戦要員は、 原則として 志願者 の中から選出され、 同作戦案の熱烈な賛同者でもあった戦艦 ・ 朝日水雷長の 広瀬武夫少佐 が陣頭指揮に任じた。 (東宝 『日本海大海戦』 ) 閉塞作戦は、 前後三回に渡って実施されるのであるが、 多大な犠牲を供しても・・・尚、 十分な成果を挙げるに至らなかった。 指揮官 ・ 広瀬が壮絶な最期を遂げた事で、 最も有名となった 第二次閉塞隊 の突入が決行されたのが、 是の日の事である。
March 27, 2008
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高級参謀 ・ 板垣征四郎大佐 は、 北大営の中国軍兵舎砲撃と、 奉天城内への進撃を同時に下令した。 既に、 北大営に照準を合わせ、 待機姿勢に在った 24糎榴弾砲 が咆哮。 中国軍兵舎は、 忽ちにして粉砕された。 この巨砲は、 謀略の決行に備え、 隠密裡に、 奉天に運び込まれていたものである。(山本薩夫監督作品 『戦争と人間 第一部 ・ 運命の序曲』 ) 奉天総領事代理の 森嶋守人領事 は、 急報に接するや、 戦闘行動の即時停止を要請する為、 奉天特務機関へ直行した。 特務機関には、 板垣大佐を始めとする関東軍参謀連が詰掛け、 今や・・・臨時の戦闘指揮所として機能していた。 「攻撃命令は、 司令官閣下が出されたのですか?」 「本庄閣下は、 旅順の司令部に居られる。 緊急突発事件であるからして、 自分が代行指揮を執っている。 我が重要権益たる満鉄線が攻撃を受けた以上、 即座に応戦するは当然至極なる措置ではないか? 軍は規定の方針通り・・・」 「中国側は無抵抗主義で行くから、 速やかに鉾を収めて貰いたいと、 総領事館に再三に渡って電話が入って居ります」 「もう遅い。 統帥権 は、 既に発動した!」 「いえ! 遅くはありません!!」 森嶋領事は、 食い下がった。 「今すぐ停戦命令を出していただければ、 我々が責任を持ち、 外交交渉によって解決致します」 「総領事館は、 統帥権に容喙干渉 するのか! ソレが総領事館の方針か?」 板垣大佐は、 矢庭に威丈高に成った。 一度腰砕けになったら、 計画全てが破綻する。 三年前の二の舞である。 軍の陰謀である事が露見する。 首謀者は、 免官程度では済まない。 陸軍刑法 による厳重な処罰が待っているのである。 特務機関長代理の 花谷正少佐 は、 軍刀を抜放つと咆哮した。 「統帥権に干渉する者は叩ッ斬る!」
September 18, 2008
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1863 (文久3) 年 芹沢鴨暗殺される。 近藤一派、 新選組部内の主導権を掌握。(東映TV時代劇 『新選組血風録』 ) ↑ 酒乱状態・・・。 抜刀し、 咆哮する 芹沢鴨 (遠藤辰雄) 右端手前にて、 黙々と杯を傾けているのが 土方歳三 (栗塚旭) ・・・芹沢鴨、 暴れたければ暴れろ! わめきたければわめけ、 ○って○って、 ○いまくれ! ○人は必ず輿望を失い自滅する。 俺はそれを待つ。 新選組の為に、 それを待っているのだ。 鴨、 もっと○え! もっと○え! その時俺は貴様を斬る。 新選組の、 誠の旗の下に、 貴様を斬る!(第二話 「誠の旗」 : ○=狂) 京都守護職支配下 ・ 新選組 の筆頭格であった 芹沢鴨 は、 京都西郊 ・ 壬生村の宿所にて就寝中を、 朋輩の 近藤勇 ・ 土方歳三 らに襲撃され、 無惨な最期を遂げた。 芹沢鴨。 水戸脱藩浪士。 神道無念流の達人。 一般に、 その人物評は極めて悪い。 酒乱 ・ 淫乱。 兇暴で、 無頼漢めいた性向。 恐喝同然の手口による商家からの献金取り立て等々・・・。 王城の地の治安と秩序を守る者に有るまじき行状が、 数多語られている。 凄惨な粛正劇の背景には、 予てから、 芹沢の悪業に眉を顰めていた守護職の意向が存するとも云われる。 とも有れ・・・。 芹沢一派を排除した事によって、 新選組部内の実権は、 晴れて近藤 ・ 土方らの手に帰するのである。
September 18, 2010
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1008 (寛弘5) 年11月1日。 土御門邸 (藤原道長の館) 宴もたけなわ・・。 紫式部は、 何者か呼ばわる声に気を止める。 「このわたりに若紫やさぶらふ」 (この辺に若紫は御出になりますか?) 声の主は、 才気煥発を以て成る、 中納言 ・ 藤原公任。 『源氏物語 若紫の巻』 のヒロイン ・ 紫の上に準え、 紫式部へ呼び掛けているわけであるが、 式部は・・・。 「源氏に似るべき人も見え給はぬに」 (光源氏に較べ得る人など御見えでないのに・・・) そう思いつつ、 聞き流した旨を日記に綴っている。
November 1, 2008
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1944 (昭和19) 年2月23日。 帝都 ・ 東京。 馬鹿者ッ!! 決戦非常時に・・・何たる事を云い居るかッ!! 毎日新聞 の朝刊第一面に、 東条英機首相 の 『非常時宣言』 と上下突合わせる格好で・・・。 「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た」 「竹槍 では間に合はぬ 飛行機だ、 海洋航空機だ」 なる大見出し ・ 小見出しの記事が掲載されたのが、 是の日の事である。 「今こそ我らは 戦勢の実相 を直視しなければならない。 戦争は果たして勝っているか。 ガダルカナル以来、 過去一年半余 ・・・太平洋の 戦線は次第に後退 の一路を辿り来った・・・」 「本土沿岸に敵が侵攻し来るにおいては最早 万事休す である」 「太平洋の攻防ともに 航空兵力 こそ勝敗の鍵を握るものなのである」 「敵は・・・基地航空兵力と機動部隊、 即ち 海軍航空兵力 を結集して来攻しつつあるのだ」 「敵の戦法に対して我らの戦法を対抗せしめなければならない。 敵が 飛行機 で攻めて来るのに、 竹槍 をもっては戦い得ないのだ」 決戦航空兵力 の整備が如何に緊急の課題であるかを理路整然と説いていた。 同時に、 東条首相 (陸相 ・ 参謀総長兼務) の鼓吹する 本土決戦論 が如何に愚劣なものであるかを、 半ば公然と批判していたのである。 記事の執筆者は、 海軍報道班員の 新名丈夫 。 新名は、 大捷と報じられた ミッドウェー海戦 が実は惨敗であった事も、 転進と偽られた ガタルカナル島撤退 の凄惨な顛末についても、 具に知り尽くしていた。 敗北の真相をヒタ隠しにした儘、 絶望的な戦争の遂行を強いる軍部。 聖戦の美名の下に、 全国民を死地へ投じようとする東条独裁政権に対して、 新名は報道人の立場から死を賭した抗議状を叩き付けたのである。 記事を一読した東条は、 恐らく・・・身を震わせて激怒したであろう。 (・・・一新聞が作戦を論議するなど、 以ての外だ!!) 遅蒔きながら、 憲兵隊をして新聞の差押さえに奔らせる一方、 毎日新聞に圧力を加え、 責任者の処分を迫った。 新名は、 陸軍二等兵として召集・・・いわゆる 懲罰招集処分 を受ける事となる。 通称 竹槍事件 と呼ばれている。
February 23, 2008
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2月11日 建国記念の日。 空疎な政治的アナウンスは不要。 豊潤な想像力のみが通行証。 古代日本に、 最初の統一政権が誕生したとされる四世紀後半・・・。 神秘のヴェールに包まれた日本建国のロマンに思いを馳せましょう。 (^.^) 2月14日 聖バレンタインの日。 日本に在っては、 チョコレート感謝祭の趣きを呈している是の日。 列島は、 異常な陽気に見舞われました。 洋菓子業界が主力商戦と位置付ける、 この期間中のチョコレート売上高は、 業界全体の年間総売上の、 実に30%を占めているとか。
February 15, 2009
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1905 (明治38) 年1月2日。 中国東北部 ・ 遼東半島。 二百三高地 失陥を転機として、 ロシア軍は完全な非勢に陥っていた。 東鶏冠山 ・ 二龍山 ・ 松樹山 ・・・。 攻囲開始時から日本軍の前進を頑強に阻んでいた、 ロシア軍の名立たる堡塁群は、 相次いで攻略されていった。 又、 指揮官としての信望が厚かった ロマン ・ コンドラチェンコ少将 の戦死以降、 守備兵の戦意は急速に低下。 要塞司令部の意思も、 開城へ傾いていく。 無慮数万に上る日本軍将兵の血を吸飲し続けた伏魔殿 ・ 旅順 は、 今や・・・断末魔の苦悶に喘いでいた。 1905 (明治38) 年1月1日。 日本軍は、 ロシア軍防衛線の要である望台一帯を制圧。 一挙に本要塞内へ突入しようとしていた。 要塞司令官 アナトール ・ ステッセル中将 は、 遂に降伏の軍使を差遣する。 翌 1月2日 。 日露両軍代表は、 開城規約文書に調印。 戦闘の全面的停止が命じられる。 作戦期間六ヶ月余・・・。 日本軍将兵の戦死者数 一万五千 。 戦傷者数 四万四千 。 夥しい犠牲を伴った旅順攻囲は、 漸くにして終結を見たのである。
January 2, 2009
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露暦1865年7月16日。 ペテルブルグ市内。 繊細で、 豊かな感受性 を備えながら、 歪で、 尖鋭化した理論に支配される儘、 忌まわしい殺人を犯してしまった ラスコーリニコフ 。 犯行から七日目・・・。 苦悩する殺人者ラスコーリニコフが、 純真無垢なる娼婦 ソーニャ に、 自らの犯行を告白したのが、 是の日の事です。 「・・・殺人てものは、 あんなふうにするものだろうか? ・・・いったい、 ぼくはばばあを殺したんだろうか? いや、 ぼくは自分を殺したんだ、 ばばあを殺したんじゃない! ぼくはいきなりひと思いに、 永久に自分を殺してしまったんだ!・・・」 ・・・彼はひざの上に両ひじをついて、 くぎ抜きで締めつけるように、 両のてで頭を抱きしめた。( 『罪と罰』 米川正夫訳)
July 16, 2008
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1860 (安政7) 年3月3日。 府内 ・ 江戸城桜田門外。暗殺者が歴史に寄与することはないが、 桜田門外の変は例外で、歴史を躍進させた。(司馬遼太郎 『幕末』 ) 朝廷を差し置いて、 独断で列国との条約に調印。 是に異議を唱える公卿 ・ 諸侯を強権で捻じ伏せ、 在野の攘夷派志士達の活動に対しては、 苛酷な弾圧をもって臨み、 有為の士を多数死に至らしめた 大老 ・ 井伊掃部頭直弼 は、 是の日・・・。 登城の途次、 尊攘派水戸浪士 を主体とする暗殺者の一団に襲撃される。 折からの降雪・・・。 警護の士の太刀は束袋に覆われ、 厳重に緊縛されている。 積雪を蹴立てて襲い来る刺客群を目前にしながら、 抜合わせる事が出来ない。 行列は、 忽の内に斬立てられてしまう。 大老の首級が挙げられたのは、 十数分後の事である。 幕閣に在って、 比類のない権勢を誇っていた人物の突然の死は、 公儀の威信を大きく失墜せしめる事となる。 「馬鹿が・・・! 今拙者を斃さば、 三百年続いた徳川の世は打ッ潰れる! それは、 この日本から侍が無くなる事だゾ!!」
March 3, 2008
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こどもの日 国民の祝日。 ・・・ 子供の人格を重んじ、 子供の幸福をはかる趣旨で制定。 もと端午 (タンゴ) の節句。 ( 『広辞苑』 ) 好天に恵まれた黄金週間も、 とうとう最終日・・・ こどもの日 を迎えました。 菖蒲の節句に由来する祝日ですが、 キッズ関連商品を取り扱う業界による、 販売促進キャンペーンが展開されるのは例年の事。 幾つか記念日も制定されていますネ。 何時の間にやら。 おもちゃの日 は、 東京玩具人形問屋協同組合。 子供に本を贈る日 は、 書籍卸売業大手のトーハン。 ・・・と云う具合です。 若布の消費拡大を謳った わかめの日 は、 日本わかめ協会。 子供の成長に必須の栄養素を豊富に含んだ食品である若布。 その収穫が一段落し、 市場に出回る時期と丁度重なるからとの事。 国民的アニメ 『サザエさん』 に出て来るワカメちゃんとは関係ないらしいですネ。 (^.^)
May 5, 2010
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明治の智恵と勇気が貴方を魅了する! ・・・と云うのが、 発刊当時のキャッチコピーでした。 御覧になられてましたか? 文芸春秋劇場。 (^.^) 狷介で固陋な軍国主義国家と思われ勝ちであった明治期の日本・・・。 その印象を払拭し、 若々しい創造的なエネルギーに満ちた新興国民国家の姿をアピール、 読者の圧倒的共感を呼んだのが、 本作品です。 是だけでも、 作者 ・ 司馬遼太郎の功績は絶大と云えます。 伊予松山出身の三人の若者。 秋山好古 ・ 真之兄弟と正岡子規を主人公に、 溌剌とした青春群像劇が展開します。
February 16, 2008
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(ビクター ・ フレミング監督作品 『風と共に去りぬ』 ) ・・・ マーガレット ・ ミッチェル 作 『風と共に去りぬ』 。 この世紀の大ロマンについて、 今更めかしい解説など不要でしょう。 (^.^) 聖書に次ぐとも云われる世界的ベストセラー小説。 ハリウッド屈指の大物プロデューサーである D ・ O ・ セルズニック の肝煎で映像化されてから、 堂々七十年・・・。 映画史上不滅の金字塔と謳われる其方の人気とも相俟って、 膨大な数の読者を魅了し続けて来ました。 ・・・日本の場合、 宝塚歌劇 も大きく貢献していますネ。 アトランタに生まれ育った マーガレット ・ ミッチェル 。 少女期から、 南北戦争とそれに続く苦難の時代 の物語を、 古老の口を通し、 繰り返し耳にして来ました。 『風と共に去りぬ』 は、 そうした女史にとって、 最も描きたかったモチーフを、 最も描きたい形式で著わした作品であったと云えるでしょう。 周知の様に・・・。 同作品は、 女史が、 その生涯に於いて発表した唯一の文学作品です。 読者からの熱望 ・ 出版社の度重なる懇請にも関わらず、 女史は第二作目の筆を執ろうとはしませんでした。 突然に 名声の頂点 に押し上げられてしまった女史。 華やかな面は有っても、 私生活をも容赦なく押し潰して来る 名声の重圧 に耐え切れなくなったからとも云われています。 恐らく、 同様の理由によるものでしょう。 『風と共に去りぬ』 の続編が、 女史自身の筆によって書かれる事も遂に有りませんでした。(ビクター ・ フレミング監督作品 『風と共に去りぬ』 )
April 15, 2010
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昭和6 (1931) 年9月18日夜。 満洲 (中国東北部) ・ 奉天郊外柳条湖。 日本の権益である南満洲鉄道 ・ 付属地の警備を主任務として、 満洲に駐留する 関東軍 は、 是の日・・・。 自らの手で、 鉄道線路を爆破。 満洲の政治主権者である張学良軍閥の仕業として、 一斉に軍事行動を開始 した。( 『戦争と人間 第一部 ・ 運命の序曲』 ) 張作霖暗殺から三年余・・・。 一度は頓挫した 満蒙分離構想 ・・・東北三省を中国本土から切離し、 日本の支配下に置こうとする計画は、 無法この上ない手段をもって実行に移されたのである。 日本の運命の重大な岐路となった 満洲事変 である。
September 18, 2008
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「CBSネットワークが今宵、 皆様に御送りするのは、 オーソン ・ ウェルズとマーキュリー劇場による ラジオ ・ ドラマ ・・・H ・ G ・ ウェルズ原作の 『宇宙戦争』 です」 ハロウィン前夜午後8時・・・。 ニューヨーク市CBS放送局から、 SF小説の大家 H ・ G ・ ウェルズ の代表作品をドラマ化した番組 『宇宙戦争』 が全米に向けて放送されました。 番組の仕掛人は、 当時 23歳の新進俳優 オーソン ・ ウェルズ 。 企画 ・ 構成 ・ 演出を、 彼が一手に引受けた意欲作でした。 処が、 放送が開始されると、 実況中継形式 の物語進行と相俟って、 その余りにも真に迫った効果 ・ 演出は、 聴取者の一部をスッカリ惑乱させてしまいました。 (コレは・・・フィクションなんかではない。 現実に進行している事態 に違いない!) 当夜から翌朝にかけて、 全米各地で凄まじいパニックが捲起こったと伝えられています。 火星人襲来 を現実と信じ込んだ人々による狂騒劇が、 至る所で演じられたのです。 パニックは、 ドラマの舞台に設定されている ニュージャージー州 に於いて、 最も顕著でした。 ニューアーク市では、 市内から避難しようとする人々が、 大挙して車で繰出したため、 道路は通行不能に陥ってしまいました。 火星人出現の地として描かれたグローバーズ ・ ミルでは、 銃武装した住民達が、 戦々恐々として屋外を徘徊。 闇の中に浮かび上がった給水塔を 火星人のトライ ・ ポッドと誤認 。 一斉射撃を浴びせ、 破孔だらけの廃物に変えてしまいました。 騒乱を鎮静化するため、 知事は遂に・・・州軍の出動を命じます。 一介の ラジオ ・ ドラマ が何故・・・是程の大混乱を惹起するに至ったのか? その理由については、 社会心理学の面から、 今日まで様々に説明が試みられて来ました。 最も代表的なのが、 第二次世界大戦前夜の緊迫した国際情勢との関連を指摘するもの。 ナチス ・ ドイツの軍事的膨張に象徴される、 不穏な世界情勢の醸し出す危機感・・・ 戦争の恐怖 が、 集団ヒステリーを誘発する契機として、 人々の意識下に伏在していたから・・・という考察です。 この事件を描いた作品としては、 『アメリカを震撼させた夜』 (’75) というTV映画があります。 当時の世情が克明に再現された秀作ですので、 機会がありましたら御覧になって下さい。 コチラの方は、 記憶に新しい スピルバーグ の 『宇宙戦争』 です。↓
October 30, 2008
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1868 (慶応4) 年3月13日。 江戸府内高輪 ・ 薩摩藩下屋敷。堂々錦旆 (ぱい) 関東を圧す百万の死生 談笑の中群小は知らず 天下の計千秋相対す 両英雄(徳富蘇峰 『両英雄』 ) 1868 (慶応4) 年3月14日。 江戸府内田町 ・ 薩摩藩蔵屋敷。 前日に引続いて、 旧幕府全権 ・ 勝海舟 と東征大総督府参謀 ・ 西郷隆盛 との間に、 江戸開城を廻る談判が、 場所を改めて行われた。 万一決裂したら、 もう後のない、 最終会談であった。 江戸市民百数十万人の命運は、 両者の交渉の行方如何に懸かっていたが、 談判の結果・・・ 江戸無血開城 の歴史的合意が成立する。 翌日に予定されていた 総攻撃は中止 され、 江戸市街は壊滅的な惨禍を免れる事となった。 江戸無血開城は、 日本史上の一大奇跡と謳われる偉業である。 民心の安定を緊急の課題とする新政府にとっても、 新時代の扉が平和的に開かれた事を、 衆庶に告示する上で、 途方もなく大きな意義を有するものであった。 斯くの如くして、 戦火が回避された同日・・・。 京都御所に於いては、 五箇条の御誓文 が恭しく奉読されていた事を思い合わせると、 実に感慨深いものがある。
March 14, 2008
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記録的猛暑の中・・・。 全国各地で、 政治団体や市民団体による集会 ・ 記念行事が催され、 永田町界隈ではアクシデントも発生した模様ですが、 兎も角も・・・慰霊の日の静謐は保たれ、 65回目の 終戦記念日 は終わろうとしています。 日本武道館に於いては、 政府主催の 全国戦没者追悼式 が、 天皇 ・ 皇后両陛下御臨席の下に開かれました。 正午の時報と同時に参列者一同・・・一分間黙祷。 戦争犠牲者の冥福を祈りました。 三年八ヶ月余に及んだ 太平洋戦争 で失われた日本国民の生命は、 軍人 ・ 軍属 ・ 民間人総計で、 300万に上ると云われています。 天皇陛下は・・・。 ・・・全国民と共に、 戦陣に散り、 戦禍に斃れた人々に対し、 心から追悼の意を表し、 世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。 ・・・ ・・・と述べられました。 又、 菅首相は式辞の中で・・・。 ・・・先の大戦では、 多くの国々、 取り分けアジア諸国の人々に対し、 多大の損害と苦痛を与えました。 深く反省するとともに、 犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、 謹んで哀悼の意を表します。 ・・・ ・・・と、 日本の 戦争責任 ・・・アジア諸国への 加害責任 に言及しました。
August 15, 2010
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1789年 英国軍艦バウンティ号内で叛乱勃発。(ルイス ・ マイルストン監督 『戦艦バウンティ』 ) タヒチ島から、 パンの苗木を搬送中の英国軍艦 バウンティ号 内に於いて、 是の日・・・。 航海長 フレッチャー ・ クリスチャン 指揮による一部乗組員の叛乱が発生する。 劣悪な環境に加えて、 苛酷な勤務。 艦長 ウィリアム ・ ブライ の冷酷な処遇に対する乗組員の不満が原因と云われている。 南太平洋タヒチ島から、 カリブ海ジャマイカ島へ・・・。 パンの苗木 1000本を搬送する任務を帯びたバウンティ号が英国ポーツマス軍港から出航したのは、 1787年12月の事。 英国統治下の西印度諸島では、 大量の奴隷が大規模農園での労働に従事している。 その食糧として、 俄かに パンの木 が注目されたのである。 艦長ウィリアム ・ ブライは、 キャプテン ・ クックの第三回世界周航に際し、 航海長を務めた経歴を有する。 経験に富む、 有能な海軍軍人であったが、 厳格な性格で、 自らの器量に恃む所が大で、 部下に対する温情が希薄であったらしい。 結果的に、 この性格が禍いし、 乗組員から反感を持たれ、 叛乱に繋がったと云われている。 決して、 常軌を逸する程に嗜虐的ではなかったと思うが・・・。 待遇への不満も、 上官への反撥もなくて、 叛乱が起こる筈がないから、 ブライの態度は、 少なくとも部下の眼には相当強圧的に映っていた事は確かで有ろう。 米国独立戦争 終結直後・・・。 そして、 フランス革命 前夜に発生した バウンティ号の叛乱 は、 人間的権利に目覚めた水兵達が、 人間的な待遇を要求して闘われた事件として、 象徴的な意味を重ねて見られ過ぎているのかも知れない。 文学 ・ 映画等・・・物語世界に於いては、 ブライ艦長の冷酷な性格が、 殊更に強調されて描かれている。 劣悪な環境で、 苛酷な勤務を水兵達に強要する艦長と、 人道的立場から水兵を庇護する航海長クリスチャンの対立の構図が明快に示される。 そして、 両者の抜き差し成らない葛藤が叛乱へと収斂されていく展開になっている。(フランク ・ ロイド監督 『戦艦バウンティ号の叛乱』 ) 叛乱が勃発したのは、 楽園の島タヒチを発って、 ジャマイカへ向かう航海途上に於いてであった。 是の日・・・早朝。 航海長 フレッチャー ・ クリスチャン の指揮する一部水兵が叛乱を起こし、 ブライを拘束し、 艦内を制圧した。 ブライを含む 19名が、 一艘の短艇に詰め込まれ、 南太平洋の真っ只中に放り出された。 手持ちの水 ・ 食料は僅か数日分。 絶体絶命の窮地に陥ったブライ達であったが、 事実は創作より奇異な物である。 叛乱を惹起する最大の要因と成ったブライの厳格な性格が、 この土壇場で本領を発揮・・・超人的なリーダー ・ シップへ転化されるのである。 ブライ指揮下の短艇は、 波瀾に遭遇しながらも・・・。 文明社会への最初の接点であるティモール島まで、 実に 3600海哩を、 40日余で漕破するという壮挙を成し遂げる。 ブライ以下乗員の殆んどが生還を果たした。 英国海軍は事態を重大視し、 直ちにバウンティ号捕捉に動き出す。 然し、 バウンティ号の行方も、 クリスチャンら叛逆者の消息も、 杳として知れぬ儘・・・歳月が流れていった。 歴史の表面から消えたクリスチャン以下の乗組員が如何なる運命をたどったのか、 最後の生存者の口から、 その顛末が語られるのは、 遥か後年の事となる。
April 28, 2010
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露暦1547年1月16日。 モスクワ ・ クレムリン内ウスペンスキー聖堂。 モスクワ大公国君主 ・ イワン四世 の・・・ロシア皇帝としての戴冠式典が、 厳粛に執り行われた。 二百数十年に及ぶタタール人の支配を覆し、 スラヴ民族が独立を回復する過程で、 指導的役割を果たした英雄を、 累代に渡って輩出している、 光輝ある家系の末孫・・・。 幼少時から英邁の資質を謳われた 16歳の若者は、 ロシア変革の大理想を胸に抱いていたが・・・。 皇帝の権力基盤は非常に脆く、 その身辺には・・・国政壟断の機を窺う 大貴族 達の陰謀が渦を巻いていた。 国威の発揚と皇帝権力の強大化を企図するイワン四世は、 タタール諸国家への外征を推進する一方で、 大貴族を国政中枢から排除するための大粛清を断行する。 呵責容赦のない弾圧が、 敵対勢力の上に加えられていくのである。 革新の理想に燃えていた若者の治世は、 何時しか戦乱と流血に彩られていた。 人々は、 イワン四世を畏怖し、 雷帝 の異名を奉った。 そして、 その名は 専制 と 恐怖政治 の代名詞として、 後世へ語継がれていく事となる。
January 16, 2008
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1800 (寛政12) 年 伊能忠敬、 蝦夷地測量に出発。(小野田嘉幹監督 『伊能忠敬 子午線の夢』 ) 近代的測量法を用いて全国を実測し、 精密な 日本地図 を作成した人物として知られている 伊能忠敬 。 この偉業へ続く道を、 忠敬が歩み始めたのは 50代 に入ってからの事です。 それまで郷里 (下総国佐原村) で、 地道に醸造業を営んでいた忠敬でしたが、 家業 ・ 家督を長男に譲って、 晴れて 隠居 。 (^.^) 出府すると、 幕府天文方 ・ 高橋至時に師事し、 測量 ・ 天文暦学の修得に精励します。 そして、 是の日・・・ 1800 (寛政12) 年閏4月19日 。 忠敬は、 蝦夷地測量調査の許可を幕府から得て、 勇んで江戸を出立。 150日間に渡る測量旅行が幕を開けます。 時に、 伊能忠敬 55歳。 前人未到の偉業達成へ向けて、 確かな、 力強い一歩が踏み出されたのです。 以後、 西へ・・・東へ・・・。 計十回。 71歳まで続けられた測量旅行は、 後世の専門家をも瞠目させる、 極めて精度の高い日本地図の完成へと結実する事に成ります。 是に由来して、 本日は 地図の日 または 最初の一歩の日 とされています。
April 19, 2010
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(スティーブン ・ スピルバーグ監督作品 『プライベート ・ ライアン』 ) 1944年6月13日。 Dディから一週間後・・・。 ライアン二等兵救出の任務を帯びた ジョン ・ H ・ ミラー大尉 指揮する特命隊が、 彼を捜し求め、 最前線のとある町にたどり着いた日ですね。 町は戦略上の要衝で、 独軍との熾烈な攻防の只中に在り、 繰り返される戦闘によって、 市街地の大半が廃墟と化していました。 郷里に母親一人を残し、 勇躍出征したライアン家四兄弟は、 相次いで悲劇に見舞われる。 ノルマンディー上陸作戦の当日。 一人は、 暗号名オマハ海岸に於いて、 戦死。 一人は、 暗号名ユタ海岸に於いて、 戦死。 更に一人が、 太平洋の戦場に於いて・・・戦死。 四人の中の三人が、 至短時日の間に戦死を遂げると云う、 悲惨極まりない事態となったのです。 兄弟の最後の一人・・・。 ジェームズ ・ ライアン二等兵 のみは、 何としてでも、 無事に母親の元へ帰還させなくてはならない。 合衆国参謀総長は、 ライアン二等兵を保護せよとの厳命を、 第一線部隊に下します。 この特命を受けたのは、 米第5軍第2レンジャー大隊の中隊長の一人で、 歴戦の指揮官でもある ジョン ・ H ・ ミラー大尉 (トム ・ ハンクス) でした。 ミラー大尉は 七人の曹 ・ 士 を選んで特命隊を編成。 ライアン救出へ赴くのですが・・・。 所在不明。 生死すら不明のライアン二等兵捜索行は、 困難を極めます。 戦場は混乱と不条理に満ち、 個人の尊厳を保つ余地など有りません。 当て所のない彷徨を続ける間に、 二人の隊員が命を落とします。 一人の兵士を救出する為、 八人の部隊が死地に投じられる。 任務の性質その物が不条理でした。 隊員達は不満を爆発させ、 隊に亀裂が生じ掛けますが、 ミラー大尉は絶妙の統率力を発揮し、 その危機を克服するのです。 やがて、 ライアンの消息について有力情報を得た一行は、 最前線の町を目指します。 そして、 その途次、 捜し求める ライアン二等兵 (マット ・ ディモン) に漸く遭遇するのですが・・・。
June 13, 2009
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・・・我々が密談の席へ近寄つたが不運ぢや、 わしが赦すまで、 ここにをれ。 ・・・もし、 お前が聲を立てたり、 逃げ出さうとしたりすれば不憫ながらお前を斬る・・・ 祖父を斬殺した犯人である 机龍之助 と、 互いにその因果を知らぬ儘、 対座する仕儀となった 御松 。 この 【御簾の間】 の段は、 名場面が盛り沢山の 『大菩薩峠』 序盤中でも際立って優れたシークェンスで、 その後に続く芹沢鴨暗殺の段の印象が霞んでしまう程です。 己が殺めた妻 ・ 御濱 の亡霊に悩まされ、 徐々に精神の平衡を失い、 遂に錯乱状態に陥ってしまう龍之助。 その鬼気迫る変容の過程を、 御松の眼を通して描き切った作者 ・ 中里介山 の筆力には、 真に端倪すべからざるものが有ります。(内田吐夢監督作品 『大菩薩峠』 ) 因みに・・・。 東映時代劇 『大菩薩峠』 (内田吐夢監督作品) で現われる亡霊は御松の祖父・・・大菩薩峠の頂上で龍之助が手に懸けた老巡礼という設定になっています。 御簾の間を包み込む闇の奥から近付いて来る巡礼の 鈴の音 が龍之助の狂気を誘発する映画的小道具として、 絶妙の効果を上げていました。(承前) ・・・動けば斬る。 机龍之助 の発した凄まじい一言で、 呪縛に絡められた様に、 御松の身体は自由を失ってしまいました。 龍之助の全身から放たれる、 得も云われぬ妖気。 先刻、 芹沢鴨に捕えられた折の恐怖とは異質の恐怖が、 ひたひたと身内に広がっていくのを感じます。(岡本喜八監督作品 『大菩薩峠』 ) ・・・この人は幽霊ではあるまいか? 終始無言の儘で、 時折・・・。 ・・・うーむ。 ・・・と深い吐息を洩らしながら、 杯を傾ける龍之助。 御松は、 総身に氷水を浴びせられた様な戦慄を覚えずにいられません。 この御簾の間がまた曰く因縁付きの場所で、 自害をした太夫の霊が漂うているという話が実しやかに語られている部屋なのです。 ・・・と、 突然。 ・・・そ、 そこへ来たのは誰だ。 御松の背後の闇に眼を凝らす龍之助。 ・・・え、 誰も……どなたも来ておいではございませぬ。 すると今度は、 御松の方が・・・。 薄闇の中に、 女の影が・・・すう!と浮かび上がるのを見てしまッたのです。 (^.^; ・・・あれ、幽霊が・・・。 御松は、 何時しか龍之助の傍らに身を寄せていました。 奥座敷に、 啾啾として、 隙間風が吹き渡っている。 御松には、 不幸な最期を遂げた女性が、 自らの宿業を歎き、 悲しみ、 呪いながら、 啜り泣いている声に聞こえます。 ・・・する内に、 ただでさえ異様な龍之助の挙動に、 いっそう際立った変化が表われて来るのです。 ・・・取落した猪口を拾ひ取ると、 何と思つたか、 力を極めて、 それを室の巽 (たつみ) の柱の方向を目がけて発止と投げつける。 猪口はガツチと砕けて夜の嵐に鳴滝 (なるたき) のしぶきが散るやうです。 と見れば、 龍之助の眼の色が変つている。 龍之助の眼の色は、 真珠を水に沈めたやうな色です。 水が澄む時は冴える。 水が濁る時は曇る。 冴える時も曇る時も共に沈んだ光があつた。 今はその光が浮いて来た。 音無しの構えを取って、 対手を見据えた時の冷静さは完全に失われています。 平常の龍之助とは別人としか思われない、 動揺の色を露わにした、 不安に駆られている眼です。
September 18, 2010
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3月20日、 22日。 貴 ・ 衆両院は、 国体の本義明徴に関する決議案を満場一致で可決。 4月9日。 美濃部博士の著書 『憲法撮要』 他二冊の発禁処分が、 閣議にて決定。 同日。 文部省は、 各教育機関に対し、 国体明徴に関する訓令 (国体明徴訓令) を発する。 数多くの憲法講義書が司法処分の対象となる。 三十年余に渡って憲法学の主流を成していた天皇機関説は 国体破壊の兇悪思想 と規定されるに至ったのです。 8月3日。 政府は、 第一次国体明徴声明 を発表。 10月15日。 政府、 第二次国体明徴声明 発表。 ・・・天皇機関説は神聖なる我国体に悖り其本義を愆るの甚しきものにして厳に之を芟除すべからず 機関説排撃運動は、 一向に終息する気配を見せませんでした。 やがて、 政治への関与を厳に禁じられている筈の現役軍人もが、 半公然と運動に加担。 昭和天皇は、 侍従武官長 ・ 本庄繁大将 に対し、 機関説排撃運動への現役軍人の関与を強く戒める御言葉を伝えます。 ・・・一体、 陸軍が機関説を悪く言ふのは、 頗る矛盾ぢゃあないか。 軍人に対する 勅諭 の中にも、 朕は汝等の 頭首 なるぞ といふ言葉があるが、 頭首と言ひ、 また 憲法 の 第四条 に、 天皇ハ国ノ 元首 ニシテ…… といふ言葉があるのは、 とりもなほさず 機関 といふことであるのだ( 『西園寺公と政局』 ) 是に対し・・・本庄大将は、 次の様に奉答しています。 「・・・陛下の有難き思召しはこれを陸軍大臣に伝えて、 御真意のあるところを明かにいたしたいと存じます」( 『本庄繁日記』 ) 然し、 陛下の御言葉が、 本庄大将を通じて、 陸軍の省 ・ 部に伝達された形跡は全く有りません。 機関説排撃運動の全経過を通し、 決して見過ごして成らないのは・・・。 天皇の 神聖不可侵 を声高に叫んで、 政治的発言権を増大させていった連中の大多数は、 恣意的に天皇の権威を濫用するのみで、 昭和天皇個人の意思や人格に対して、 些かも顧慮する処がなかったと云う事実でしょう。 「機関説排撃論者が自分を 機関 にしてしまっている。 何といっても軍は自分の意思を遵奉してくれない」 同時期、 昭和天皇が、 侍従次長に洩らした御言葉です。 天皇は、 立憲君主制国家 ・ 大日本帝国の元首であり、 国軍の最高統帥者でありながら、 最早・・・合理的存在では有りませんでした。 国民から隔絶した、 神秘的存在・・・ 現人神 の位置に祀り上げられてしまっていたのです。 そして、 二 ・ 二六事件後・・・。 軍部大臣現役武官制 の復活に伴い、 軍部は内閣の成立を左右する権限を掌握。 大々的に政治介入を推し進めていく。 統帥機関 (軍部) が、 神聖不可侵 の 天皇の統治権を壟断 し・・・。 神聖不可侵 の天皇の名の下に、 一億国民を支配し・・・。 神聖不可侵 の天皇の名の下に、 一億国民に号令し・・・。 神聖不可侵 の天皇の名の下に、 一億国民の生殺与奪の権限を掌握 ・ 行使する・・・極めて異常な時代が到来する事となるのです。 是は、 明治憲法体制の事実上の瓦解 ・ 終焉を意味していました。
February 18, 2009
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昭和20 (1945) 年8月14日。 東京。 皇居 ・ 吹上御苑地下防空壕内。 閣僚 ・ 戦争指導会議員連合による 御前会議 が召集され、 ポツダム宣言 受諾が最終的に決定する。 23時00分。 全国民に戦争の終結を告げる 終戦の詔書 は、 公布手続を完了。 23時20分。 昭和天皇自らの朗読による、 同詔書のレコード録音が行われた。 玉音は・・・翌15日正午を期して、 ラジオ放送される事が決していた。 然し、 是の期に及んでも “聖戦完遂” を叫んで止まない陸軍の強硬派は、 玉音放送の阻止を画策する。 陸軍省軍務局の 畑中健二少佐 ・ 椎崎二郎中佐 を中心とする、 一部少壮将校達であった。 同日夜半・・・。 近衛師団司令部へ出向いた彼らは、 師団長 ・ 森赳中将 に面会を求め、 師団の蹶起を要請する。 然し、 森師団長は、 頑として是を拒絶した。 当然であろう。 進むも退くも、 一に聖旨を奉戴して粛然と歩むのが、 皇軍本来の姿なのである。 聖断が下った以上、 軽挙妄動は断じて許されない。 皇軍将士が聖旨に叛いたとあっては、 汚名を千載の後まで残す事と成ろう。 森中将は、 分別のない子供に対するのと同様に、 畑中らを説諭した。 逆上した畑中らは、 無法にも発砲。 師団長殺害という兇行に出る。 彼らは、 師団命令を偽造 すると、 近衛師団の一部をして宮城に突入せしめた。 天皇と政府との連絡遮断。 木戸内大臣を始めとする重臣達の逮捕。 そして、 玉音盤奪取 が、 宮城占拠の主たる目的である。 ・・・近衛師団が蹶起するなら、 東部軍も又追随し、 終戦工作は遂に水泡に帰するであろう。 余りにも短絡した、 独善的な計画であった。 夜を徹して捜索は続けられたが、 玉音盤を発見する事は出来なかった。 一連の異変が 東部軍管区司令部 まで報じられると、 司令官 ・ 田中静壱大将 は陣頭に立って、 叛乱の鎮圧に臨んだ。 15日早朝・・・。 宮城は、 従前の秩序を回復していた。 叛乱部隊の制圧下に在った放送会館も又、 解放された。 事破れた畑中 ・ 椎崎の両名は、 宮城前広場にて自決を遂げる。 同日5時30分。 陸軍大臣 ・ 阿南惟幾 は、 官邸に於いて、 「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」 との遺書を残し、 自刃して果てた。 享年58歳。 自らの死によって、 陸軍部内の鎮静化を図ったのであろうか。
August 14, 2008
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1948年1月30日。 インド連邦共和国 ・ 首都ニューデリー。 自主独立を求める民衆の声は印度亜大陸を覆い、 英国の植民地統治は終焉の日を迎えんとしていた。 その最大の推進力となったのは、 ガンジーの提唱する 非暴力 ・ 不服従 主義である。 1947年8月15日、 悲願の独立は達成されるが、 同時に・・・回教国家 パキスタン の分離と云う現実を生んだ。 国内に於いても、 回教徒 対 ヒンドゥー教徒 の血腥い抗争が表面化する。 懸命に、 両者の 融和共存 を説くガンジーであったが、 彼に対するヒンドゥー教原理主義者の反感は次第に募っていった。 そして、 是の日・・・。 一青年の発砲によって、 78年の生涯を閉じる。
January 30, 2008
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901 (昌泰4) 年1月25日。 京都 ・ 御所内。 宇多天皇 の絶大な信頼を得て、 重用され、 国政の枢要に在った 右大臣 ・ 菅原道真 は、 藤原一門の陰謀によって、 役職を解任され、 太宰府権帥への配転を命じられる。 菅公左遷 として、 往古から語継がれている一幕である。 比類のない学識を謳われ、 一文章生から文章博士を経て、 国政の柱石として重用され、 右大臣の地位にまで登り詰めた道真であったが、 その破格の栄達を不服とする者、 改革に反感を抱く者達も増大していた。 就中、 天皇家の外戚としての地歩を固め、 国政壟断の機を伺っていた 藤原一門 にとって、 道真は・・・どんな卑劣な手段を用いてでも、 排除しなくてはならない存在であった。 左大臣 ・ 藤原時平 を中心とする勢力は、 道真が醍醐天皇廃位を企んでいると云う、 嫌疑を捏造したのである。 なんら謂れのない罪科を蒙った道真は、 自らの悲境を一首の和歌に託し、 宇多上皇へ哀訴する。流れ行く われは水屑 (みくづ) と なりはてぬ君 柵 (しがらみ) と なりてとどめよ 思わぬ事態に宇多上皇は驚愕し、 急遽・・・参内の手筈を整える。 醍醐天皇を説諭し、 道真に対する処分を撤回させる意向であった。 然し、 警護の士に通行を阻まれ、 帝への謁見は叶わなかった。 二年後・・・。 道真は、 配流の地にて病没する。 菅原氏追放をもって、 藤原氏が多年に渡って推し進めて来た、 他氏族排撃の陰謀は略・・・完了する。 最早、 藤原氏の専横に異を唱える勢力は、 廟堂に全く存在しなかった。 平安文化は、 やがて爛熟期を迎え、 藤原一門の栄華の幕が開く。 同時に、 古代律令制国家は精神的背骨を失い、 急速に崩壊へと向かうのである。
January 25, 2008
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1945 (昭和20) 年 三木清 獄死。 治安維持法違反容疑で検挙され、 獄に繋がれていた、 京都学派の 哲学者 ・ 三木清 は、 健康を害していたが、 是の日・・・。 収監先の独居房内で死亡する。 49歳であった。 三木の獄死が報じられると、 占領軍総司令部は実態究明に動き出し、 大量の政治犯 ・ 思想犯の解放が実現する事になる。 昭和史の暗黒面を代表する弾圧法 ・ 治安維持法が、 勅令第575号によって廃止されるのは、 同年10月15日の事であった。 1954年 (昭和29) 年 洞爺丸台風 襲来。 勢力を発達させながら日本海を北上中であった大型台風15号は、 同夜、 北海道南西岸に接近。 津軽海峡を航行中の青函連絡船 ・ 洞爺丸 が、 暴風と波浪に揉まれ、 座礁 ・ 転覆。 乗員 ・ 乗客 1155 名が死亡した。 世界海難史上有数の大惨事として記録される事になる。 又、 後志支庁 岩内町 に於いて、 大火災が発生。 焼失家屋 3200 戸 ・ 死者 33 名。 岩内町は、 その八割が灰燼に帰するという壊滅的被害を蒙った。 洞爺丸事故 と 岩内大火 を関連付け、 物語の背景に設定しているのが 水上勉 の長編小説 『飢餓海峡』 である。 小説中では、 終戦直後の 1947 (昭和22) 年9月20日 夜の出来事に変更している。 1959年 (昭和34) 年 伊勢湾台風 襲来。 中心付近の最大風速75米という超大型台風15号が紀伊半島に上陸。 5米を超える高潮が発生し、 愛知 ・ 三重等の東海地方に空前の規模の被害をもたらした。 死者 ・ 行方不明者 5098 名。 戦後に於いては、 ’95年の阪神 ・ 淡路大震災に次いで、 激甚なる被害をもたらした自然災害として周知されている。
September 26, 2009
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(黒澤明監督作品 『影武者』 ) 長篠合戦に於ける武田軍の戦死者一万余という数字は 誇張 され過ぎていると云われる。 成る程・・・多少の 誇張 は有るかも知れない。 基礎資料に 誇張 ・ 誤謬 は付き物である。 歴史上の特定の事件を総括するに際して、 入念な資料の踏査が不可欠である事は云うまでもない。 然しながら、 幾百年の星霜を経て、 正確に事実を伝える資料などという物は、 先ず存在し得ない。 長篠合戦に於いて注目すべきは、 寧ろ、 将領連の異常なまでに高い 戦死率 である。 いわゆる武田四天王を始めとする武将達の多くが、 銃撃によって命を落としている事実である。 仮に、 データの洗い直しによって戦死者総数が大幅に減少したとしても、 この場合・・・それは将領連の 戦死比率 を更に高めるだけの話でしかない。 この事は、 織田軍の鉄砲隊が、 騎馬武者と見れば闇雲に射掛けていた訳ではなく、 適切な下知の下に、 上位者に的を絞って、 集中射撃を浴びせていた事を推測させるに十分である。 精強な軍隊の命脈が高度の 機動性 にあるとすれば、 織田軍の戦術はその 機動性 を奪う事に有った。 前線指揮官を次々と狙撃されたら、 指揮系統に混乱を来たさずにいないし、 如何なる精鋭軍と雖も本来の実力を発揮し得ない。 機動性 を失い、 統卒力 を欠いた軍隊ほど脆いものはない。 武田軍団としては、 実質的に、 潰滅同然の打撃を蒙って退却したものと捉えても、 何ら差し支えないで有ろう。 戦死者の実数を忖度しても、 余り意味はない様に思われる。
May 21, 2010
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1774年 仏国王ルイ十五世逝去。 ルイ十六世即位。(ソフィア ・ コッポラ監督作品 『マリー ・ アントワネット』 ) 天然痘を発症し、 重篤の容態の続いていた仏国王 ルイ十五世 は、 是の日・・・死去。 64歳であった。 それに伴い、 ルイ十五世の孫で、 王太子に擁立されていたルイ ・ オーギュストが、 19歳にして国王位を継承した。 新国王 ルイ十六世 の誕生である。 フランス絶対王政の絶頂期を画したブルボン朝であったが、 60年の長きに渡ったルイ十五世の治世は、 事実上・・・その栄華を食い潰し、 国威を著しく失墜せしめる事に終始した観が有った。 対外膨張政策の破綻と、 乱脈を極める女性関係。 国中が戦争と重税に喘ぐ中で、 国王は日夜遊興に耽溺し、 浪費に浪費を重ねていたのである。 国民の間に鬱積する憤懣は、 未だ王室への怨念として凝固するに至っていないが・・・。 来たる革命の種子は、 この時期にふんだんに播かれていたと云えるのである。 逼迫の度を増す国家財政。 窮迫に瀕する国民生活。 十五世の負の遺産を引き継いだ十六世で有ったが、 その実情に、 正確な理解が及んでいたのか如何か大いに疑わしく、 結果的に、 なんら有効な施策を打ち出せない儘・・・革命を迎える。 民衆は、 人間的権利に目覚め、 自らの力に目覚め、 歴史的主体として覚醒する。 数多の矛盾を孕んだ社会制度が、 自然法の様に容認されていた時代は終わりを告げるのである。
May 10, 2010
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