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黄金餃子2010.09.11川越街道 posted by (C)あっこ森夜8時~翌朝までオープンしている夜中営業のお店。黄金餃子~~。昼間通ってもお店が閉まっているのでつい先日までこのお店の存在に気がついていなかった。暗くなってから通った川越街道沿いに光る“黄金”の看板を掲げた店に驚き一度は通り過ぎたのに10mほど戻ってパチリ。どんな餃子なんだろう。興味津々。実は、父が夕べ緊急入院した。検査と治療のため4~5日ほどの入院になるみたい。様子のおかしい父の為に救急車を呼んだのだけど母も私も父も119の番号が思い出せないほど焦っていた。父は、これまで病気など知らないし誰より健康に気遣ってきている。そんな父が夕べ急に箸の持ち上げ方メガネのかけ方がいつもと違って変になった。母と私の脳裏に“脳梗塞”の文字がよぎり救急隊を呼んだ。適切な処置のおかげで大事には至らずひとまず、高血圧の治療と検査のため入院となった。これから少々大変になりそうでお返事など遅れてしまうかもしれません…。写真は9月11日川越街道沿いにて撮影しました。 東京在住、撮影は自宅から自転車で行った場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は5位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます
September 17, 2010
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時計 posted by (C)あっこ森「ジィー」って力をためるみたいな音がしてそれから「ボーン、ボーン」って2つ鳴った柱時計「父が時計を巻くのを毎朝の仕事にしていたのよ。」と母は、実家の柱時計をみると必ず話してくれる。わたしの会ったことのない母の父母が七つのときに亡くなってしまった私のおじいさん私は顔も知らないんだけど時計の音が私と母とおじいさんをつないでくれる。郷土資料館のおうちに据えられていた柱時計母の実家の昔の柱時計とそっくりな音がして一瞬でおじいさんのもとへトリップさせてくれた。柱時計の音が忘れていた心の時計の針をカチカチならす写真は板橋区立郷土資料館にて2月28日に撮影しました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は7位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます
March 2, 2010
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村の人が「お手本にさせてもらっています。」と褒めてくださっていた畑を持っていた祖父母。「農協に出しても一番のジャガイモだった。」少し嬉しそうに胸を張る祖母。でも「私らは、素人だから勉強せねばあかん。」と情報番組をチェックしたり同志から秘策を教えてもらったり天候とにらめっこしながら自己の判断を培って、畑を守ってきた。暮らしを豊かにするために、家畜を飼って鶏糞を肥やしにしたり、畑で余った野菜を豚にやったり完全な自給自足というわけではなかったけどほぼそれに近い形で生活を築き上げてきた祖父母。年老いた手には広すぎる耕作面積そして、老いた身体での大型の家畜の世話はおそらく過酷なものだったと思う。祖父母は天気のことにすごく詳しかった。「桜が咲いて、何回雨が降ったらじゃがいもを植えるとか八十八夜から数えて太陽があの山に差しかかったら何を蒔くのか天気予報じゃそんなことは教えてくれないから記録は大事なんだ」と黒電話の横のカレンダーに正の字を書いてよく数えていました。足腰が弱く、心臓も弱っていたけど祖母は研究熱心でいつも畑の策を練る。祖父は、数学者だったけど、「定年まで家庭のことをなかなか振り返らなかったわしの罪をつぐなうつもりで。」とか「頭のいいおばあちゃんの号令に従えば大丈夫。」と祖母をたてながら、楽しんで畑の実労働役をかってでていた。そして祖父母の二人三脚で畑も家畜も果樹もみんな丸々大きくなっていった。孫の私が喜ぶようにと「一番おいしいところをごちそうするのが楽しみだ」とにこやかにお話してくれたことが今も懐かしい。そんな祖父母に「何が一番孝行か?」と訊ねたことがある。二人とも迷わず「あこが元気でいてくれることだよ。ほかには何もいらない。」と頭をなでてくれて膝に抱いてくれた祖父母。畑の向こうの山に日が沈む一日の終わりは労働の終わり。「いい夕焼けだと嬉しいね。」祖父母が私に話しかけて私も「うん。」とうなづいた夕暮れの時間。2010.02代々木より富士を見て posted by (C)あっこ森写真は、代々木にて2月上旬に撮影しました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は4位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます
February 9, 2010
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両大師開山堂 posted by (C)あっこ森ある、三人兄弟のパパとママの話。三人兄弟は、小学二年生のお兄ちゃんと3歳の双子の弟と妹の2人兄弟で構成されています。ある日、ママと一緒に3歳の双子の弟と妹がお出かけその日は、パパと一緒に小学二年生のお兄ちゃんがお留守番。パパは本屋さんに行くのでお兄ちゃんに「何かいる?」と訊ねたら“コロコロコミック”が欲しいというのでパパはお兄ちゃんの希望通りコロコロコミックを1冊買い与えました。その後、ママと一緒に3歳のお出かけしていた双子ちゃんが帰宅して「お兄ちゃんだけ買ってもらってズルイ。」とぐずりだしました。ママは、パパに憤慨「どうして一人分だけ買ってくるの?」パパは、ママに憤慨「なぜ、たまたま一緒にいた長男の分だけじゃいけないの?」ママは、「私は、三人を“平等”に扱いたいの。私なら三人分買ってくる。」と主張します。パパが、なんと答えたのかは、不明です。…その後、夫婦喧嘩に発展「クワセテヤッテイルノニ…。」とパパに言われて傷つくママ。両大師開山堂2 posted by (C)あっこ森ママが考える平等感という価値観とパパが考える子どもとの付き合い方子どもたちへの物の与え方の考えの違いと日頃の鬱憤が積もり積もってしまって爆発しちゃったのかな。私は、考え方の違いはあっていいと思う。けれど、これをされるととても苦しいというツボを自分でも知って相手を非難をせずに(いやみも含まず)「○○すると悲しい、辛い。」という感情を伝えて相手に協力を求めることができたらたぶん、相手も譲歩して(もう少しだけ気持ちにゆとりを持って)きっと一緒に問題について考えられるかもしれない。そして、根底にある“お兄ちゃんを見ていてくれてありがとう”という感謝の気持ちを示せたらきっとパパももう少しカチンとせずに話せたかも…。悲しい言葉を放ちあって傷つきあう…両親子どもたちには最も辛い時間や空気感になっちゃうことが悲しいね。自分が何に怒っているのか何が辛いのか相手の考えはどうなのか向き合うことってなかなかつらいけど気持ちの落ち着きを取り戻してほしいなぁ。現実はそんなに簡単なことじゃないとも思うけど元気な心を取り戻してほしいです。私でよければまたお話聞かせてください。両大師開山堂3 posted by (C)あっこ森戦火から逃れた寛永寺旧表門写真は、上野にて1月下旬に撮影しました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は4位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます
February 8, 2010
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早春を香る posted by (C)あっこ森梅の香に誘われて早春を香る4 posted by (C)あっこ森ゆるりとした曲線を描く田んぼを横切り梅園へ早春を香る2 posted by (C)あっこ森母が急病母は頑張り屋、頑張りすぎてリラックスしたり、休憩をとるのが下手疲れをためている身体の声に耳を澄ますことができないのです。夕べ、私の携帯に「タクシーで向かいに来て母」と母からの一通のメールでも私はYOGAのレッスン中で気がついたのは1時間半後母の生徒さんに内科のお医者さんがいらしてその方が同乗して自宅まで送っていただいたようです。まだ、母は寝ています。こんなに寝ていることは珍しいです。暇な時間はなく、家にいるときも次から次へと忙しく用事を済ませていきます。月に東京から群馬へ仕事で3回程度出掛け東京でも自分が指導運営するくみひも教室を月(夜)、金、土、日そのほか食育の勉強および講座開催を続け月(昼)、水はYOGAの教室のサポート3ヶ月おきぐらいのペースで特別イベントを開催そのほかにお教室の拡充を願って食事会を開いたりして生徒さんをあきさせません。とてもパワフルな母です。それでいて家のことも手を抜かずとくに食事には気を遣い薬膳のようなすばらしいメニュー構成の料理を振舞ってくれます。休みがない母の暮らし今日だけでも休んでいてほしいカレンダーに今日、明日の欄に「群馬」と書かれていたのが気になりますがせめて一日休んで力を蓄えてほしいなぁと思います。早春を香る3 posted by (C)あっこ森写真は、小石川後楽園にて1月24日撮影しました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は5位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございますお気に入りの中国茶~ミルクティーの香りのすうるウーロン茶香水物語ママの手作りパン屋さん
January 30, 2010
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お食い初め posted by (C)あっこ森お食い初め2 posted by (C)あっこ森お食い初め3 posted by (C)あっこ森お食い初め4 posted by (C)あっこ森お食い初め5 posted by (C)あっこ森お食い初め6 posted by (C)あっこ森生まれて100日家族が集まって小さな祝い膳を囲む幸せな笑顔で家の空気が満たされる至福のときに感謝 写真は、自宅にて1月23日 に撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は5位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございますお気に入りの中国茶~ミルクティーの香りのすうるウーロン茶香水物語ママの手作りパン屋さん
January 23, 2010
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冬の日の夕暮れ2010.01 posted by (C)あっこ森生まれた赤ちゃんが、百日か百二十日目に“初めて食べ物を口にする祝の儀”お食い初め(おくいぞめ)姪っ子の成長を願い日本の伝統文化を明日土曜日に我が家で行う予定。お食い初めって何するの?ということでおばちゃんは調べてみました。冬の日の夕暮れ2.2010.01 posted by (C)あっこ森祝膳を縁起の良いお料理を用意して実際に食べさせるのではなく食べさせる真似事をするそうです。将来にわたって食べ物に困らない等の思いを込めて行うそうです。お食い初め(祝膳)の献立メニューは、赤飯汁物煮物香の物尾頭付の鯛それに、歯固めの石(梅干を使用する地域が多い) 地域によって差はあるようですが↑のような献立が基本となっているようです。ジジババ(私の母と父)はすでに、かなりハイテンションな前日となっています。姪っ子1号、2号のお相手とジジババのフォローでとってもパワーの必要そうな週末を迎える予定です。冬の日の夕暮れ3.2010.01 posted by (C)あっこ森写真は、 光が丘公園 にて1月中旬 に撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は3位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございますお気に入りの中国茶~ミルクティーの香りのすうるウーロン茶香水物語ママの手作りパン屋さん
January 22, 2010
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夕暮れ~光が丘 posted by (C)あっこ森小学五年生のときクラスで一番遅くまでかかって描いた夕暮れの絵団地の5階の廊下から見える小学校、交通公園、その奥の日大病院、その向こうの街夕暮れの時間になると太陽の色が街全体を染め上げる風景がきれいだと思ってそのことを絵にしたくて描いた絵絵に小さな詩を添えて描いた詩のある風景病気がちだった祖母に贈った絵祖母はその翌年亡くなってしまったけれど孫が描いてくれた絵だと何度も喜び部屋の一番目立つところに飾ってとても大事にしていてくれていたそうです。当時祖母は、痴呆がすすんでしまっていて孫の名前もなかなかすぐに思い出すことも困難であまりちゃんと会話ができた覚えがないのですがだけど祖母は絵を気に入ってくれていて私が描いてくれたと何度も喜んでいてくれたと後から教えてもらいました。母家は建て替えられましたが離れの祖母の部屋は今でも当時のまま残されています。離れの部屋に久しぶりに入ると当時大好きだったピンク色の空とピンク色の町並みの描かれた絵が変わらず貼られていました。伯母は「おばあちゃんが大事にしていたから」と当時のままの状態で保管してくれていたこともうれしく私と祖母をつなぐ記憶の断片を呼び起こしてくれました。日暮れ~光が丘 posted by (C)あっこ森写真は、 光が丘公園 にて1月中旬 に撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は4位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございますお気に入りの中国茶~ミルクティーの香りのすうるウーロン茶香水物語ママの手作りパン屋さん
January 19, 2010
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2009.12.21代々木ビルより富士を眺める posted by (C)あっこ森最近家族のことを書いていますが、いつも美しかったわけではないんです苦しい時代も長かったので、そのことをひとつ…母は、結婚するために群馬を離れ父の住む東京にやってきました。母は女子栄養短期大学を卒業し、当時、有名大学院卒ばかりのキリ〇ビール研究所に管理栄養士の資格者として務めていましたが結婚を機に、退社して専業主婦になりました。母は、結婚後、家事と育児をしていましたがやはり“自分”のことを考えて余暇の時間の習い事として“くみひも”を始め次第に没頭し、母は、くみひもの講師になりました。父は、母が“働く”ということを理解するのに長い年月が必要だったのだと思います。父が心の中で、母が“働く”ということを心から許し応援できるようになったのはつい最近なのではないかと思うのです。女が家庭を守り、食事を作り家で帰りを待つ…父は、父自身が思う、妻のあるべき姿を母にそのまま押し付けているのではないだろうかとわたしは、母の自由の無さが苦しく思えました。当時父は、感情を理性で落ち着かせることなく今ならドメスティックバイオレンス(DV)と称されるような暴力行為もありました。恥ずべき父の姿、娘として哀しかったです。私は、母へ妻であり母である前に、ひとりの人間として自己実現をもっと自由にしてほしいと強く強く子どものころから思っていました。私は、父が“母が家でなすべき”と感じていることを娘の私が代役をすれば母は自由になれるのではないかと必死に家のことをサポートしました。母と父に仲良くしてほしいという気持ちもあったけどそれ以上に、父の強い束縛に縛られ、もがく母の姿…がわたしの心に突き刺さりました。ほんとうは私たちのことが無ければ母は、自由になれるのではないだろうかどうして父の感情は、頑なで母を理解できず父は自分の思いだけを母(他人)に押し付けるのか母は、どうしてそれでも父と一緒にいるのか二人の行き違いの溝は埋まるのか子どもの私の胸は心配で溢れそうでした。母には、私たちの犠牲になって母を続けることだけはしないでほしいしぜひ遠慮せず母のやりたいことをやってほしいしもし父がどうしても理解できないなら別れてでもやり抜いてほしいと一番苦しいときに思っていました。両親が分かり合えない姿子どもの心にはかなりキツかったんですがわたしがそばにいて、いつも思っていたのは、母にもっと自分のやりたいことを実現してほしいということでした。「わたしにはやりたいことがある。」母は、自分の教室を始めるにあたり張り裂けそうな気持ちを父に面と向かってやっと声に出したのです。おそらく、出来ないなら離婚したいと言い出したんだと思うのです。そのぐらいの凄みがありました。私は、父が怒り狂うのではないかと心配でお腹が痛くなりました。でも私には、夫婦二人の問題はどうにもできないからぐっと堪えて、様子を伺いました。父は、「やりたいことは、やったほうがいい。」と冷静に答えたのです。あまりに意外であっさりとした返答に私は驚きました。そして母は、気が狂ったように喜んでいました。母は、会社組織を辞めて、自分の教室を運営し始めますます忙しくなりました。母は、水を得た魚のように活き活きとしています。父は、定年退職をし、今家にいます。父が、母の気持ちにやっと気がつけたのかどうかわかりませんしときどき火が着いたように怒る癖は未だになおりませんけど父は、以前より穏やかに、母を送り出し、家族のための料理を楽しんでいます。二人を見ていると、長い年月の中で母がやっと父に自分を出せたことをきっかけに二人は劇的に変われたように思います。“母が死んだら僕はあっという間に死んでしまうから母には、ストレスの無いように生きて長生きしてもらわないと困る。”父が、最近口にした言葉です。長い年月を要したお互いの存在を認め合うということこれからも二人はたぶんぶつかり合う事もあるのだと思うのですがぜひ、自分を出して、活き活きした暮らしをしてほしいなぁと思います。空に融けそうな富士2009.12.21 posted by (C)あっこ森写真は、代々木にて12月中旬に撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は7位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 23, 2009
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透き通る冬の夕暮れ~光が丘公園 posted by (C)あっこ森父を駅まで迎えに行く母と弟と私。大山駅にいつも同じ時間ぴったりと時計のように帰宅してくる父。小さな子どもでもぴったりの時間に帰って来る父の帰りは十分待てた。母と弟と私でお迎えに出かけるときは、母の手を弟との争奪戦いつも仲良く半分ずつ、右手と左手を分け合った。帰り道はぐちゃぐちゃで父の横だったり母の横だったり弟と一緒にジャレてたり大山駅から幸町までのわずか10分ほどの帰路をみんなでたどる。父が、つなぐ手をポケットに入れてくれるとじんわりと指先が暖かくなる。立松さんのザイラ、夕方の光が丘公園にて posted by (C)あっこ森冬の小さな思い出。写真は、光が丘公園にて12月中旬に撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は6位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 21, 2009
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クリスマスも近いので、お耳汚しに弟の話題をチョロリ。私には、一才半年下の弟がいます。歳が近いだけによくよく兄弟ケンカもしたけどなんだかんだと弟は遊んでいた気がします…。祖父母が豚、鶏、野菜、果樹などを育てていたので比較的農業は身近に触れ合いながら育った私たち兄弟。でも弟が描いたにわとりの絵には堂々と足が“4本”描かれていました今でも私と母が弟の絵で一番好きな絵としてあげるのは、この弟目線で描かれた、大人には絶対に描けないと思う“4本足のにわとり”の絵です。たぶん弟はどこか天然なんです。ちょっと抜けてる弟…小学校の先生にも“忘れ物の天才”と優しく称されとても困らせながらもどこか憎めない可愛らしい性格の持ち主の弟です。そんな弟が、中学生ぐらいになってある日、私に向かってポツリと弟が言うのです。弟「お前が一番優しかったのは、小学2年生の頃だな。」私「???」「え?なにしたときのことを言っているの?」弟は、にやりと笑って私に言います。「ミカンを半分に切って、おやつを出してくれた。」え?私の優しさのピークってミカンのおやつがマックスってこと???(失笑)どんだけ冷たい姉だと言いたいんでしょう…父母が、仕事に出ていた夏休みのある日のこと兄弟二人だけの昼ごはんにと母が用意してくれたのは、ピーマンのてんぷら大盛り一皿ドーン。当時小学生だった私たちはまだあんまりピーマンが好きじゃなかった…でも、普段から“残してはいけない”としつけられてきた私たち。弟はササッとごはんを済ませ素早く靴を履いて逃げ出します当時住んでいたのは集合住宅の5階エレベーターもない建物を弟は駆けて逃げ回ります姉である私もピーマンのてんぷら大盛り一皿はとても一人では食べきれなしなにより弟にも食べさせなくてはいけないし両親の留守を守らねばと私は弟を真剣に追っかけました恥ずかしい気持ちを押して、大きな声で「ピーマン食べなさ~い。」「ピーマン食べなさ~い。」「ピーマン食べなさ~い。」と連呼しながら、弟を追い掛け回したけど弟は廊下の端で、こっちにお尻を向けてお尻ペンペンやらアッカンベーをしてふざけていてとっても疲れてお姉ちゃんなのに…と泣きたい気持ちを抑えてあきらめて帰宅しました。ほんと手がかかるし、生意気だし、憎たらしい弟なんですけど両親の留守の日、雷鳴に怯えていたら雷の苦手な私の頭を撫でて「大丈夫だよ」と慰めてくれたり病気で寝込んだときは、「お姉ちゃん死んでない?」と学校から急いで帰ってきたり失恋したときも誰よりも真剣に話を聞いてくれて親身にアドバイスしてくれたりメガネをかけたまま寝てしまえばメガネを外しといてくれたりと本当は、結構良い奴だったりします。でも私、妹(お嫁さん)にコッソリと「弟の秘密」を教えてあげました。「弟は、小学6年生の夏休みの宿題ノートに堂々とマジックの太書きで“夏体み”って書いたのよ。」三日月の夜 posted by (C)あっこ森写真は、代々木にて12月中旬に撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は6位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 20, 2009
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クリスマスも近いので家族の話題をもうひとつ…。父と母の話に続いてもう一人かけがいの無い存在である私のもう一人の母「花ちゃん」のことを記します。えっ?と思われる方も多いと思います。父と母の話から言えば、一般的なお家。でも違うんです、うちは。中学1年生の頃、母の友人であり上司であり普段からわたしたち兄弟とも遊んでいただいていた花木さん(女性)(花木さんのことを私たち家族は親しみを込めて「花ちゃん」と呼んでいます。)の経営していた会社で共同経営者が持ち逃げしてしまい花ちゃんは、ある日家も財産も会社もいっぺんに失ったのです。母は、その花ちゃんを家において欲しいと父や弟や私に頼みました。父は、その申し出を受け、それから私が中学生から大学2年生ごろまで家族5人で暮らしていました。ある意味、他人からみれば奇妙な共同生活なのですがこれが見事なほどに愉快で温かな暮らしだったのです。花ちゃんは、幼い頃から家族にあまり縁が無い方で、実のお母さんは蒸発し、おばあさまに育てられました。その後、学生結婚をするのですが、お相手が音楽留学をするため離婚をしました。そのあとは、ずっと独身で、子どももいない方でした。花ちゃんは、私や弟に、常に家族の意味、父や母の居ることを当たり前だと思ってはいけないと手を握りときには目を見て本気で私たち兄弟をしかってくれました。実の親のように私たち兄弟を愛し母が病に倒れたときは、家事と仕事を両立させながら毎日、母のお見舞いに高校生の私たちを連れて病院へ行ってくれました。当時の花ちゃんの役職から考えるといったいどんなハードスケジュールをこなしその上、家事の手を抜くこともなく母の看病までしていたのか赤の他人であるはずの花ちゃんが本物の家族…いえそれ以上に家族になって尽くしてくれた姿はあまりにも偉大でどんなに感謝しても今になってもその恩に報いることは到底できません。花ちゃんのように家族を持ちたくともそうはいかなかった・・・そんな花ちゃんに両親のことや、家族のことを当たり前だと思ってはいけない感謝をしなくてはいけない目を真っ赤にして私を叱った花ちゃんの言葉はその言葉の重さがずっしりと心に刺さるものでした。反論も許さず、簡単に口からでる「わかった。」という言葉も許さず花ちゃんは“家族愛”を私たち家族に教えて続けてくれました。家族は、血が繋がっているからといって家族になれるわけではなくお互いがお互いを大切に思い、いたわりあい慈しみあってこそ真に深い心のつながりをもつことができるのではないかと思うのです。花ちゃん、こんな感じでいかがでしょうか?まだ、だめかな?花ちゃんが本当に深い慈愛の精神の持ち主だったから私たちは、一瞬の間借りの間柄に留まらず通常では考えられないほどの長い年月をひとつ屋根の下で家族として関係を築くことになったのだと思うのです。花ちゃんは、もう10年も前に50歳で亡くなってしまったのですが、今でも心の中で生き続ける、わたしのもう一人の母です。家族のことを真剣に語れる大人が身近に居て一番大事な感受性の強いときに一緒に過ごせたことは本当に幸せなことだと思います焼ける雲2009.12 posted by (C)あっこ森できることならもういちど花ちゃんに会ってもう一度叱ってほしいなぁ…と思います写真は、職場から富士山の左方向に向かって撮りました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は6位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 18, 2009
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クリスマスも近いので家族の話題をもう少し…。母へのプレゼントの花束 posted by (C)あっこ森今のところ、会社勤めはしていないので主夫業がメイン業務の父。会社員時代には、まったくしなかったお料理も少しずつ覚えてレパートリーが増えてきました。自分の作ったおかずで家族に晩ご飯を食べさせるのは張り合いがいいみたいでウキウキとしています。そして、お茶目なのはかならず私のお弁当のおかずの分まで用意してくれるのです。「その小さい変な魚の煮付け、お前のお弁当に持っていっていいよ。」(変な魚…こんな形容詞のおかずを渡される気持ちは複雑ですけど)魚の煮付け、モツ煮込み、大根煮などを順繰りに作ってくれてそして、お弁当のおかずに私が持っていくとさらにうれしいようで「あっこが弁当に持っていってくれた」と母にわざわざ報告がいくみたいです。それを母から聞いている私は、まさか、そのおかずを断ることはなく必ず、お弁当に父のおかずを入れて持っていくことにしています父の生真面目で研究熱心な性格が手伝って同じ料理を続けているとコツがつかめてどんどん美味くなっている父のお料理の腕は確かです。いとこと一緒に posted by (C)あっこ森娘から見る父は本当に不思議なことばかりでインターネット(YouTube)で演歌鑑賞するのがそんなに楽しいのか散歩やジョギングばかりで飽きないのか歴史に詳しく、歴史小説(出版レベル)を書くのかお酒やたばこをどうして続けるのか(できれば控えてほしい)基本的に家が大好きであんまりおでかけしなくてもどうして大丈夫なのか謎だらけです。不思議だらけな父ですけど家に帰るとハイトーンな声で必ず「おかえりぃ。」と迎えてくれてほっとした気持ちになります。あんまり出かけたり遅くなったりしない父が時々、夜22時を過ぎても帰ってこないと家族全員で“事故”にでもあったんじゃないかと本気でハラハラと心配になるほど父は、家にいて、その存在感の大きさは絶大です。弟の入園 posted by (C)あっこ森父はわたしをからかうのが大好きでいつもチョッカイを出されて小競り合いをシテイマス…そしてときどき本当に喧嘩に発展します。なぜ娘が父のおかずをお弁当にもっていくことが父にとっての特別な喜びに感じられるのかは娘の私には、なかなかわからないのですが、そのこと自体に張り合いがあるのであればありがたく父の手料理をいただきたいと思います。IMG_8601 posted by (C)あっこ森父と娘の弁当、わたしには不思議な父の存在は暖かさ、そのものだと思います。写真は上から1枚目、群馬の父の実家で父と母に贈る花集めをして遊んだとき2枚目は、弟の鯉のぼりの前で祖母と父と従兄弟といっしょに真ん中がわたしで抱っこされているのが弟、手をつないでいるのが従兄弟たち3枚目は、弟の入園の記念に桜を前に撮影、弟はすねていて私は、父のお腹のぷにゅぷにゅ感を頭で押して遊んでいます。4枚目は、父の作ってくれた自称“傑作”のモツ煮です。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は5位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 17, 2009
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クリスマスも近いので家族の話題を少し…。昔、母が突然、重い病気になったとき、まだ高校生のわたしは神様にお願いをしました。「お願いですから、母さんを連れて行かないで下さい。まだ教わりたいことがいっぱいあるんです。」母がいなくなる…目の前が真っ暗になり高校生の私は、この先どうしていったらいいのかわかりませんでした。母さんをもし返してもらったら、母にたくさんのことを聞いておかなくては母にできれば長生きしてもらえるように楽になってもらわなくては神様に祈りながら本当にそう思ったのです。交通公園でペロリ posted by (C)あっこ森ママと一緒 posted by (C)あっこ森母は、無事、生還してくれて今では信じられないほど元気100倍生きています。高校生のときに神様に返してもらった母の存在のおかげで母にしてもらえることのひとつひとつがありがたいと思えます。母親への不平をもらしたりする友人の言葉を聞く度胸がチクリとします。私には、神様に一生に一度のお願いを聞いてもらってやっと返してもらった母です。親孝行なんてできないけどできる限りのことはしたいと思うのです。海水浴へ posted by (C)あっこ森母は料理が得意そして洋服の修理、染み抜きが上手他人の面倒見がいいトークの切れがいい教わりたいことが山ほどありすぎて到底追いつくことなんてできそうにないけどなるべく近づけるようになりたいです。神様と母に感謝しながら今日の日を送れることはとても幸せなことだと思うのです 東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は6位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 16, 2009
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おじいちゃんルック posted by (C)あっこ森「どうしておじいちゃんは働くの?」「おばあちゃんやあこちゃんに美味しいものを食べさせたいからだよ。お金を出して買ったものより、こうして畑で採れた野菜はおいしいだろう。」祖父は汗水流して家畜を飼いながら野菜果物も育ていつもとても忙しく朝から晩まで働いていました。祖父は、花も愛し、バラも何株も育てていました。そして私に教えてくれました。公園で posted by (C)あっこ森「薔薇をもらったら嬉しいだろう?一本の薔薇より100万本の薔薇のほうがもっと嬉しいだろう。おばあちゃんに綺麗な薔薇を贈りたいんだ。」孫にそっと教えてくれたおじいちゃん人を幸せにしようと愛情を糧に働いてくれていたことが今でも心にしみています東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は7位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定◇【第9弾】4冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット
December 8, 2009
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少し前、教育テレビの特集で「あなたにとって家庭とはなんですか。」と子どもたちに問いかけていた番組がありました。そこで様々な家庭の子どもたちが取材を受けているなかで家庭の事情(暴力、児童虐待など)で児童養護施設で暮らす少女が家庭について語っていた言葉がとても大切なことだと感じたのでここで触れさせてください。「わたしにとって家庭とはご飯もあってお風呂もあって寝るところもあって笑いあえる人たちがいるところ。」素朴な言葉のなかにずっしりとした力を感じましたケヤキのパズル2009冬善福寺公園 posted by (C)あっこ森善福寺公園にて撮影しました。東京在住、普段は撮影は自宅から1時間以内の場所が中心です。ごく身近な自然に目を向けています。おかげさまで今日は3位からスタート!!ランキングのポイント、毎日の励みになっています。ありがとうございます。 お手数ですが、どうぞポチっと応援をお願いいたします。ポチッ!↓人気blogランキングへ ↑ポチッ!ここをクリックしていただくとinポイントさらに戻って入ってきていただけるとoutポイントになります 。 コメント拝見していますいつもありがとうございます ■特別限定●【第4弾】3冠達成!驚愕の珈琲豆福袋セット■ポイント最大9倍【衝撃値下げ 58%OFF】激レア9色限定リップパレットが3000円を切りました!■【2月限定大特価】 アベンヌ ウォーター 300ml メーカー希望価格 3,150円 (税込) ⇒販売価格 738円 ■[チャック袋]江別製粉 フランスパン用粉タイプER(北海道産小麦) 2.5kg■[チャック袋]石臼挽国産パン用粉 春よ恋100(HJ-15) 2.5kg■ホシノ天然酵母パン種 50g×5袋■【代引手数料無料】【次回2月2日以降発送】【ツインバード ホームベーカリー】7080円■エントリーでポイント5倍以上クレイジーダック SH212 かわいらしいアニマルドライヤ
February 6, 2009
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「オーイ。オーイ。」ゴロ蔵が話しかけるとまばたきをしたり小さく唇が動くゴロ蔵ママです。一昨日から意思疎通がとれないというゴロ蔵ママに初めて会いました。ゴロ蔵ママは、フットボール型の頭の形や骨格があんまりにもゴロ蔵にそっくりで驚きました。とてもおしゃべりなママだそうです。ゴロ蔵が目を真っ赤にして、胸いっぱいの気持ちをこらえながらゴロ蔵ママに何度も何度も「オーイ。オーイ。」と呼びかけます。すぐそばにいながら何もできない私がいます。“ゴロ蔵ママにゴロ蔵の声が届きますように。”と祈るだけです。ゴロ蔵ママの回復をお祈りしています。 なにか感じるものございましたら、ポチッと応援をお願いいたしますポチッ!↓人気blogランキングへ↑ポチッ!
December 26, 2006
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モンシロチョウが我が家の窓辺に飛んできて母が言います。「あぁ。あの蝶々、毎日来ているのよ。」毎日、飛んでくる同じ個体と思われるモンシロチョウをみて「毎日、来ている。」という母の言葉を聞きながらきっと私もそう感じるだろうと思いました。私たち親子の感性はとっても似ていてなんだかくすぐったいです。母と同じく私にも気になっているキアゲハがいてちょっとずつ羽が傷ついていくのを見たりすると「明日もきっとおいでよ。」とキアゲハの無事を祈っていたりします。モンシロチョウを通して母から譲り受けた自然への目線を感じました。母の好きなモンシロチョウもくる窓辺を目指してお花の手入れをする休日です。母と一緒に花を愛で小さな会話をする楽しみが窓辺にはあふれています。なにか感じるものございましたら、ポチっと応援をお願いいたします励みになっています。↓人気blogランキングへ
July 2, 2006
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15歳の春 海外留学をはじめたあなたに贈ります。裸木だったイチョウの枝に点々と噴出してくるライムグリーンの小さなイチョウの葉うす曇のやわらかなひかりのなかより自分色のみどりをきわだたせちいさな主張をはじめています。ちいさなイチョウの葉の淡いグリーンにつつまれる幹は動き出し始めの生命感に包まれています。あなたはまだ小さな葉。しっかりとした母木があなたのことを芯から見守りつながる空へ おひさまがあたるように 強い風にもまけぬように 日照りや大雨の心配など一切喝采の思いを大空に願っていらっしゃる「いってらっしゃい。」の言葉とともに母木は、たくさんの思いを抱えながらも笑顔で送り出すのです。自分色のみどりを見せ始めた若葉夏には青く沢山の葉を茂らせるでしょう。人気blogランキングに登録しています。何か感じるものございましたら“ポチッ☆とバナーをクリック”で応援をよろしくお願いいたします。応援してくださっている皆様本当にありがとうございます。励みになります♪他の方のブログにも行き来できて楽しませていただいています。気になる順位は何位かな? ←ランキングへ
April 10, 2006
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包み込んでいたのは愛かしら…。 光がとけだしそうにこぼれています。暖かな色をしています。 やわらかにやわらかにそんなときの流れを感じました。弟よ、妹よ。結婚おめでとう、いいお式でしたね。
February 26, 2006
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『たのしい自然観察 雑草博士入門』(岩瀬 徹・川名 興/著 全国農村教育協会)という本があります。雑草という名の草はないけれど道端のいわゆる雑草を見ながら歩くのが好きです。雑草の名前を知りたくなったはじめのころこの本を片手に私はあらゆるところで立ち止まりコッソリ観察していました。信号待ちをしているときコンクリートの隙間から生える草が気になってそっと人をよけながら、さり気なく、本と見比べ、“フムフム・・・スズメノカタビラか。”とやっておりました。あらゆるところに生えていそうな雑草ですが年毎に流行のようなものがあるように思えてきました。ミドリハコベの多かった年、その翌年は、ワルナスビ、その翌年は、ハキダメギクが多く見られました。電車を待っているときも小さなお花畑のように見える雑草の種類をカラスノエンドウ、ハルジオン、セイヨウタンポポ、ショカッサイ・・・と数えたりしています。自宅周辺には、小さなランのように見える1cm未満の小さな紫の花がよく咲いていて調べたら、トキワハゼという名前でした。このトキワハゼをよく見ると小さなランのように端整につくられていると母にも、話してみました。母は、園芸好きで手入れとして雑草を抜くのが大好きなのですが、「わぁ。本当!!雑草かと、思っていたけど、 きれいな花ね。なかは黄色いのね。」と大喜びしていました。しばらくしてから、こうも言っていました。「名前がなかったときは(知らなかったときは) “雑草”と抜けたけど、 名前も知って花も知ると貴重な“野草”になって どうしても抜けないのよ。」と笑っていました。小さなスペースでもニョッキリと顔を出す雑草に親しみを覚えていますが突然の“主”によって抜かれてしまうのも“雑草”の運命です。いつものあの道に、ハキダメギクがまた顔を出していて「やぁやぁ。お久しぶり。寒いのに、元気だね。」私は、コッソリ挨拶をしてみました。ハギダメギク・・・なんという名前なのでしょう。こういうとんでもないネーミングが雑草ファンの心をつかんで離しません。
February 9, 2006
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家庭・家族を感じる森のフィールドサインを見つけました。冬の森は、鳥たちの古巣が探しやすくなっています。空き家になった小さな鳥の巣です。両手にちょうど収まるくらいの大きさの巣です。使われたのかどうかはわかりませんがこの小さな巣からぬくもりを感じます。たぶんそれはこの巣を作った鳥の気持ちの分の温かさです。“卵はいくつ産んだのかな。”“雛はここで育ったのかな。”“なんという鳥がこの巣を作ったのかな。”“小鳥たちは、どんな暮らしをしていたのかな。”“親鳥は、どんな子育てをしたのかな。”“何を食べたのかな。”“雨の日はどうしたのかな。”小さな古巣を前に想像が膨らみます。家庭・家族を感じる森のフィールドサインを見つけました。来月、結婚する弟へ。新しい家庭を築いていく二人の幸せを願っています。
January 15, 2006
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おじいさんは、朝から晩まで汗を流して、働き続けていました。おじいさんは、若い頃うんと働いたのでお金にも困ることはありませんでした。それでも、朝から晩まで汗を流して、働き続けていました。おじいさんの畑には、本当に美味しい作物が採れました。おじいさんの作ったネクタリンや桃やブドウやトウモロコシが、女の子は大好きでした。小さな女の子は、クワを担ぐおじいさんに「なぜそんなに働くの」とたずねました。おじいさんは、照れもせずに答えました。 「おばあさんに美味しいものを食べさせたいからだよ。 お金で買うより、作ったもののほうが美味しいだろう。」おじいさんは、にこやかでした。それをきいて、女の子もにっこりしました。
September 11, 2005
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昨年の秋の始めに家族3人で紅葉の森に出かけました。森によく通う私が両親を初めて招待したのです。お弁当にカッパにリュックを持っていきました。父と母は、はじめてのブナの森に子どものようにはしゃいでいました。一年も過ぎて忘れていた頃に写真がでてきました。他の写真は何枚もあるのに森の写真は2枚だけでした。「母と私」「父と私」の映された写真がたった2枚でてきました。「父と私」の写真の下に「母と私」の写真が隠すようにおかれていました。母は「お父さんとあなた、2人とも、同じカッコしている。」とにこやかに話すのです。母はつづけて、ちょっと不服そうに「なぜか、私(母)の写真だけぼけているのよ。」とつぶやきました。いつもは私ひとりだけで出かけていた森へ初めて家族3人で出かけた様子を、その2枚しかない家族写真は鮮やかに映し出していました。母の不服そうな顔を見ていたら、写真をたくさん撮りにもう一度、両親を森に招待してみようかと思っているところです。今度は、冬の森はいかがですか。
August 30, 2005
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