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8月も今日で終わりです。西日本は猛暑だったようですが、東京はそうでもなかったです。熱帯夜もありましたが、クーラーをつけっぱなしにして寝たのはゼロでした。台風も何度か来襲しましたがすべてはずれ、肩すかしでした。「オオカミ少年」でした。めずらしく遠出しませんでしたが、「新盆」といことでそれなりにあわただしかったです。墓開き、施餓鬼とお金がかかりました。10+α年ぶりの同級会があって懐かしい顔を見ることができました。私以外はみんな現役で頑張っていました。国立競技場問題の責任をとって辞めた?あの人もです。リオオリンピックで結構テレビを見ました。そのせいで、この時期は戦争にちなんだテレビ番組が放送されますが、録画はしたものの全部は見れていません。やり残した夏休みの宿題みたいです。明日から9月、行楽地のホテル代も安くなりすくのでどこかに出かけましょう。JAL美女カレンダーの8月は、ブレッド(スロベニア)でした。*NHK・決断なき原爆投下 ~米大統領 71年目の真実~ ・村人は満州へ送られた ~“国策”71年目の真実~・ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~ ・ふたりの贖罪(しょくざい) ~日本とアメリカ・憎しみを越えて~・沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~ *Eテレ・むのたけじ 100歳の不屈・54枚の写真 長崎・被爆者を訪ねて・名前をなくした父 ~ 人間爆弾桜花発案者の素顔*テレビ朝日・ザ・スクープスペシャル 緑十字機決死の飛行 ~ 誰も知らない空白の7日間・映画 日本のいちばん長い日 2015年
2016.08.31
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オリンピックの目的は、オリンピック・ムーブメントを推進することです。だからこそ、4年に1回順繰りに世界各地で行われます。その点では、今回のリオデジャネリロでの開催は、南米での初開催ということで意義深いものでした。 オリンピック・ムーブメント(Olympic Movement)とは、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)を推進する運動です。 「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」というのもクーベルタンの言葉として有名です。小学生の頃、学校で習いました。1954年9月21日生まれの安倍少年もたぶんそうだったでしょう。1964年開催の東京オリンピックの頃ですね。 「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」とクーベルタンは考えていました。 *スリックラインですね。JR御茶ノ水で見かけました。さて、NHKの刈屋解説委員によれば、オリンピック・ムーブメント推進とは別に、オリンピック開催国には5つのメリットがあるそうです。すなわち、次の5点です。 1、国威発揚 2、国際的存在感 3、経済効果 4、都市開発・街づくり 5、スポーツ文化の定着 前々回のロンドン大会は、2兆円かけてロンドンの再開発に成功し、都市のイメージアップを成し遂げて、訪問したいという人を増やしました。経済効果も大きく、英国経済は安定的に成長しました。 今回のリオ大会はどうだったでしょう。 コルコバードの丘に象徴される素晴らしい景観ですが、殺人強盗などの治安の悪さ、貧困、海の汚さ(人食いバクテリア)、ジカ熱とマイナスイメージのオンパレードでした。米国競泳スターのロクテの事件は狂言でしたが、メダリストが殴られたり、報道陣が襲われたりで、オリンピックそのものも、その後も行きたいと思った人は少ないでしょう。むしろ減ったのではないでしょうか。 競技会場も空席が目立ったようですね。もっとも映像のほうは、あらが目立たないようにがらがらの客席はあまり映さなかったようです。(昨年の安倍さんの国連演説を思い出します。) スポーツ=サッカーのブラジルですが、金7、銀6、銅6 計19個のメダル獲得で13位でした。これを機会に、いろいろなスポーツが盛んになるといいですね。スラム出身の女子柔道選手シルバさんは、子どもたちに大きな希望を与えたことでしょう。 1兆円近くのお金を使って開催したオリンピックの経済効果は不明です。反対派の声はオリンピックの熱狂で消えたとは思いませんが、報道はなくなりました。 さて2020年の東京大会は、何を目指すのでしょう。開催都市の知事からも、組織委員会からも、明らかにされていません。政治家からは経済効果が喧伝され、費用問題はうやむやにされそうになりましたが、先の知事選で民意が反映されました。 1脚9万円という3倍の価格の木製の椅子を競技場に設置することを支持した操り人形候補は、落選しました。小池知事は今のところ親分の森と一線を画しています。仮設施設の検討・拡大は、ゼネコンをがっかりさせたことでしょう。土壌問題がくすぶる築地市場の豊洲移転も、一応検討するとのことです。たった2週間のオリンピック時の渋滞解消よりも、食の安全です。しかもこれには都政のドンがからんでいます。都の役人の土建屋への天下りも50人以上にのぼるとのことです。 とにかく、小学生でもわかるような開催目的を明らかにしてほしいです。まさか「景気対策」だけなんてことはないでしょうね。
2016.08.30
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ソン・ミョンジュン(22 サムスン電子)が131位(2時間36分21秒)、シム・ジョンソプ(25 韓国電力)が同138位(2時間42分42秒)と日本人だったがカンボジア国籍を取得したお笑い芸人・猫ひろしさん(139位・2時間45分55秒)と「最下位争い」を繰り広げたことについて、韓国のファンは失望を通り越え、怒りを見せているとのことです。 猫さんにとってはとんだとばっちりですが、今回のオリンピックでも帰化した人や旧植民地の人たちの活躍が目立ちました。 卓球は、シンガポール、ドイツ、ルクセンブルグと中国人が多かったし、女子ゴルフではオーストラリアやニュージーランドの選手は韓国人でした。陸上もイギリス代表は黒人が多かったですね。 オリンピックは国家の代表が競い合うということなのでしょうが、今回は難民選手団なんていうのも登場しましたから、個人の参加にもっと門を開いてもよいと思います。反体制選手団?は、政治的すぎるので、なしですね。私が子供の頃は「成績は二の次、参加することに意義がある。」なんて言われていましたが、今は最高のスポーツイベントで、高い放映権料に値する競技内容が求められる時代なのでしょう。*今日は29日で肉の日だそうです。 NHKの朝の番組でも、お店や家での美味しい肉の焼き方を やっていました。閑話休題 代表の認定に関して、選手はまだは縛りがあるようですが、コーチなどは自由なのでしょう。今回金メダルを獲った女子バトミントンについての次の話が、興味深かったです。シンクロの井村コーチみたいな話ですね。 バドミントンの女子ダブルスで初の金メダルをもたらした立役者が、韓国人の朴柱奉監督です。朴監督は韓国の元代表選手。バルセロナオリンピックで金メダルを獲得し、世界選手権などでも優勝を数十回重ね、2001年には世界バドミントン連盟に殿堂入りした重鎮。英国、マレーシア、韓国などでのコーチを経て、2004年にバドミントン日本代表のヘッドコーチに就任した。以来、日本のバドミントンは急速に力をつけ、2012年のロンドンオリンピックでは女子ダブルスで銀メダルを獲得している。 朴監督について、韓国のネット上では「朴監督は親日派か」と揶揄する声や「これほどの指導者をどうして韓国にとどめておけなかったのか」という声もあったようですが、「韓国人指導者が他国に金メダルをもたらした」と賞賛する声が多かったそうです。(ダイヤモンド・オンライン) フェンシング初戦敗退・引退の太田選手は、東京オリンピック組織委員会入りを画策しているようですが、コーチや監督となってもっと競技力向上に貢献してもらいたいものです。選手ともども指導者も世界で活躍してほしいです。
2016.08.29
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まずは朝日新聞に毎週木曜日に掲載されているTVランキングからです。どの週もNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」がトップです。開会式は23.6です。前回のロンドン大会が24.9ですから、まあまあですね。競泳、体操、卓球などメダル期待の種目は高視聴率です。選手の人気度、スター性も関係しているでしょう。惨敗したマラソンは、男子が23.7、女子が22.6と高いです。結果に関係なく、日本人好みの競技なのでしょう。それとも増田明美さんの「マラソン講談」のせいでしょうか。意外なのがメダル量産の柔道がランク外ということです。女子レスリングもそう高くはないです。大河ドラマの「真田丸」くらいは抜いてほしかったです。家内も見ていたので女子バレー初戦の日韓戦が14.0なのはわかりますがトランポリン男子決勝が14.4というのは不思議です。トランポリンだけにポ~ンと跳ね上がったということなのでしょうか?私はサッカー男子決勝ブラジルVSドイツ 16.8を見ました。オリンピックは2線級選手の試合ですが、ブラジルVSドイツですから見逃すわけにはゆきません。余談ですがあのすったもんだでブラジルにやってきたナイジェリアが3位です。強いですね。日本のサッカーチームは善戦だった?政府専用機で乗り付けた安倍マリオが大活躍した閉会式については、次の通りです。NHK・Eテレが22日午前に生中継したリオデジャネイロ五輪の閉会式の平均視聴率は、関東地区で7・5%、関西地区で8・6%だったことが23日、ビデオリサーチの調べで分かった。(日刊スポーツ)ちなみに前回は、11.6でした。世界的には次の開催地が東京ということを知らない人がほとんどだそうですから、多くのメディアで取り上げられてよかったですね。たかが視聴率、されど視聴率です。いろいろなものが見えましたが、低視聴率のランキングも見てみたいものです。銅メダルを獲った競歩は、女子ゴルフ中継に割り込んで放送されました。「急きょここで、・・・」には、笑ってしまいました。(参考) ・リオの閉会セレモニーの山場は2020年の東京五輪のプレゼンテーションだった。もしリオでのこのプレゼンテーションが何らかの指標になるものだとしたら、本番はすごいものになりそうだ。日本のクリエ―ティブな側面が聴衆を驚かせ、歓喜に導いた。2020年にも同じことが起きてくれることを望もう。(アメリカの人気デジタルメディア、Quartz) ・閉会セレモニーの最も大きな喝采は、安倍首相がマリオになって登場した時におくられた。2020東京は日本のポップカルチャーのアイコンたちをフルに恥ずかしげもなく活用したものになるだろう。(英BBC) ・日本の首相がマリオになって登場した時、東京でのオリンピックはepic(最高)のものになることがわかった。(英BBC のツイッター) ・観客が驚きの声を上げるのと同時に、インターネットも興奮に陥った。ツィッターはマリオが首相だとわかると、熱狂の渦に包まれ、「日本の首相は史上最高の登場を遂げた」などといった声にあふれた。(英Daily Mail) ・スーパーマリオか安倍晋三か?日本の首相がリオで勝利の登場。安倍晋三の最高の登場シーンは、東京五輪の興奮の幕開けとしては、これ以上のものはなかった。(米Fortune) ・スーパーマリオが閉会式の主役を奪う。マラカナ競技場は安倍首相がコスチュームを脱ぎ、登場した瞬間に喝采と拍手が沸き起こった。(米NBC) ・東京2020。君はもう僕らを夢中にしたよ。(Yahoo! Sports) ・ビデオはすごかったし、私も日本に行きたくなった。(英The Guardian) ・首相はマリオになり、ショーの主役を奪った(米CNN) ・安倍首相(のパフォーマンス)に対するソーシャルメディア上での反応はおおむね好意的だった。ユーザーは首相が愉快なスタントができることに喝采をおくった。(米Bloomberg)
2016.08.28
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今回のオリンピックでも「手ぶらで帰すわけにはいかない。」との言葉が聞かれました。ロンドンの時は北島選手に対してでしたが、今回は1. 水泳の男子 4×200mリレーの松田選手2. 卓球3人娘の福原選手と石川選手で、いずれも銅メダルを獲りました。残念ながら水泳背泳ぎの入江選手は、手ぶらでした。個人種目も振るわず、4×100mメドレーリレーは5位でしたね。 メダルを獲るとJOCから報奨金が出ますから、獲れなければ文字通り手ぶらです。ちなみに、金メダルは500万円(今回200万円アップです。)、銀メダルが200万円、銅メダルが100万円です。 種目によっては、競技団体やスポンサーからも報奨金が出ます。最高額は惨敗に終わったマラソンで、日本陸連が1億円贈ることになっていました。 500万円が多いか少ないかはわかりませんが、他国は、次のようです。為替レートや物価水準が違いますから一概には比較できません。シンガポール 6200万円フィリピン 2700万円タイ 2500万円イタリア 1500万円ロシア 1100万円フランス 540万円中国 450万円スイス 450万円韓国 450万円オーストリア 220万円アメリカ 200万円カナダ 180万円尚、イギリス、ノルウェー、スウェーデン、クロアチアはオリンピック精神に反するという理由から報奨金は出ないそうです。さすが大英帝国ですね。 報奨金に関しては、こんな報道もありました。 パラリンピック報奨金を増額へ 現行の1・5倍で調整パラリンピックのメダリストに報奨金を支給している日本障がい者スポーツ協会が、金額を現行の1・5倍程度に引き上げる方向で調整していることが11日、分かった。東京都の舛添要一知事が定例記者会見で明らかにした。 現在の報奨金は金メダリストが100万円、銀が70万円で銅は50万円。一方、五輪の金メダリストには日本オリンピック委員会から300万円が支給されており、知事は都としてパラリンピックの報奨金引き上げに取り組む意向を示していた。 都によると、財源の一つとなる東京マラソンの寄付金が増加傾向にあり、協会は都の増額の要請に応じた。(4月11日 共同) パラリンピアンは、オリンピアンと同等とすべきでしょう。差別待遇はいけませんね。小池さんのアスリート・ファーストが試されます。
2016.08.27
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今回は男女ともJUDOが快進撃でした。オリンピックの前半、朝4時頃目覚めてテレビをつけると、いつもJUDOをやっていました。欧米、日中韓、そしてモンゴル、キューバ、そして今回は開催国ブラジルの選手が活躍していました。リオで「神の街」と呼ばれる、暴力が横行するファベーラ(貧困街)で生まれ育った24歳のラファエラ・シルバ(Rafaela Silva)選手の金メダルは、多くの人に希望を与えたと思います。柔道は、今や各民族固有の格闘技の技を吸収し、柔道着を着てたたかう総合格闘技JUDOです。世界柔道連盟の加盟国は199か国。欧米での人気は非常に高く、フランスの競技人口は日本以上だそうです。パリのマレ地区を散策していたら町の道場に遭遇したことがあります。好奇心からのぞいたらちびっこが練習していました。フランスのリネール選手が、100キロ超級で金メダルを獲るはずですね。NHKの「ミラクルボディ」で羽賀選手と高藤選手を取り上げていたので、期待していました。結果はともに銅メダルでしたが、JUDOの面白さや難しさを見せてくれました。技あり、1本と一瞬で勝負が決まるので、目が離せませんでした。他国の選手はどうであれ日本人選手は、礼儀を重んじる柔道選手であってほしいと思います。表彰台に上がった選手は、いい顔をしていました。*大雨で工場建設予定地が池になっていました。 それに比べて女子レスリングの吉田選手の号泣にはすこしがっかりです。試合直後はともかく表彰台まで号泣では、自分をコントロールできていないと思いました。国民栄誉賞を受賞したほどの人ですから、笑顔で新鋭の米国選手を祝福してほしかったです。帰国後の会見で、彼女は主将として金メダルを獲れなかったことを詫びていましたが、この人は考え違いをしていると思いました。勝負は時の運、ベストを尽くしたのであれば、それで十分です。旗手を務めた十種競技の右代選手は、臆することなく堂々としていました。メダルを獲れなくとも7人制ラグビーのように立派な成績を残したチームもあります。女子の体操も頑張りましたね。どちらも価値ある4位です。メダル獲得者だけでなく、入賞者をもっと称えてもよいように思います。4~8位は47です。メダル41と合わせて88(入賞者総数:170)です。*大雨の後は、きれいな夕焼けです。 話は変わりますが、フェンシングの大田選手の1回戦敗退後の投げやりなコメントにはがっかりしました。あっさり引退です。あのさばけた表情は何なのでしょうか。一発屋という言葉が浮かびました。フェンシングは、男女とも入賞しているだけに、このコメントがマイナスにならなければよいと思います。
2016.08.27
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陸上の華マラソンは惨敗でした。佐々木悟選手が2時間13分57秒で16位に入りました。また、36歳の石川末廣選手は2時間17分8秒で36位、北島寿典選手は2時間25分11秒で94位に終わりました。入賞者はゼロです。カンボジア代表として出場した猫ひろしさんが、15人が棄権した中、140人中139位で完走したのが国際映像で15分も流されました。東南アジアの選手なんて見向きもされない陸上競技ですが、これがカンボジアの人たちの刺激となればいいですね。一方、選考で話題をふりまき、「リオで金だべ」なんて軽口をたたいていた福士加代子選手は14位で惨敗でした。終了後の彼女のコメントを聞いていると、オリンピックのマラソンに出場できただけで満足だったようです。 競技とは別に、マラソンの話題は解説です。そうあの人ですね。今回もTBSでやっていました。 佐藤(TBS女子マラソン実況担当アナウンサー) 解説は、増田明美さんです。 ──増田さんの解説を聞きたいというファンもいるくらいですが、実況アナウンサーとしては、どういった心意気で掛け合いをしていこうと? 佐藤 増田さんは、選手の情報から家族の情報、好きなものや朝食べたものまで、全部頭の中に入っていますから。増田さんならではの特徴的な情報を楽しみにしているファンの方も多いと思います。そこをうまく引き出しつつ、うまくバランスを取りながらやりたいと思います。まあでも、「増田節」がもうこれだけ世間に浸透していますから。 ──増田節がどこで出てくるか。 佐藤 はい(笑)。増田さんのモットーは、まずその選手のお母さんの電話番号を知ること。まずお母さんに電話をかけて、幼少期をぜんぶ引き出す。先日は、福士加代子選手の大親友に密着マークをしていましたから(笑)。2時間半、たっぷり時間はありますから、それをどのタイミングで出すか。3人の話題をできるだけ多く引き出したいですね。ぜひ、レースの最初から最後まで、お楽しみいただきたいと思います。(アメーバニュース8月13日より) 増田さんの解説を楽しみにしている人も多いようですが、今回のような結果だとむなしいですね。「マラソン講談」もいいですが、競技者の実力をプロとして判断して解説しないと信用を失ってしまうのではないでしょうか。ちなみに、男子のベテラン石川選手は8位入賞を目指すと言って、期待をふりまいていました。テレビ局にとっては重宝な人なのでしょう。でも、よいしょだけではだめですね。(参考)リオ五輪 マラソン惨敗 日本陸連の指導力に課題日本のマラソンは、選手が所属する実業団や大学がそれぞれ強化を行い、日本陸上競技連盟が主導的に強化を図るシステムになっておらず、今大会も日本陸連は、男子については直前の7月の合宿でようやく選手の状態を確認する状況でした。今回の事態を踏まえて、麻場一徳強化委員長は「ノウハウを共有して結集し、チームジャパンとして戦うことが日本的な戦い方だ」と現状を変える必要性を強調しました。 東京オリンピックまで4年を切っているなか、世界に大きく水を空けられた日本のマラソンが、高橋尚子さんや野口みずきさんが金メダルを獲得したような強さを取り戻すには、今こそ所属チームの垣根を取り払って強化を進める必要があり、日本陸連にはそのための強いリーダーシップが求められます。(NHK 8月22日)日本のマラソンをだめにしているのは、マラソン講談だけではないようです。
2016.08.26
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今回のオリンピックのメダル獲得数は史上最多だそうです。金12、銀8、銅21の合計41個。メダル獲得種目は、常連組の水泳、柔道、レスリング、男子体操に加えて、卓球、シンクロ、重量挙げ、カヌー、バトミントンです。前回のロンドン大会では、ボクシング、女子サッカー、女子バレー、アーチェリー、フェンシングでとっていますが、今回はなし。それ以前だと、野球、ソフトボール、射撃、テコンドー、自転車です。 30近く競技種目がありますが、関心はやはりメダルの取れる水泳、柔道、レスリング、男子体操が主体でしょう。これらの競技は予選から決勝までLIVE,録画、ハイライトと詳しく放送していました。今回は卓球が面白かったです。女子バトミントンもよかったですね。男子の違法賭博スキャンダルも払拭できた?それにしても、NTTはどうして懲戒免職にしなかったのでしょう。男子サッカーや女子バレーが振るわなかったので、放送枠もたっぷり確保できたのでしょう。シンクロは銅メダルを取りましたが、2~4位の日本、中国、ウクライナの差は素人目にはよくわかりませんでした。ロシアは別格ですね。新体操もしかりです。採点競技は釈然としませんね。解説も「できた。成功。」だけでは、わかりません。せめて体操くらいに説明(D難度、E難度)してほしいです。陸上競技は主要競技のひとつですが、アフリカ勢と黒人の独断場ですね。米・英・仏なども選手は黒人ばかりです。単に走ったり飛んだりするのは、彼らに分があるようです。やり投げやハンマー、棒高跳びも時間の問題?やり投げはネットで独学のアフリカの選手が活躍していたのが印象的でした。走りから転向したケニアの陸上選手ジュリアス・イエゴさんが銀メダル獲得です。ジャマイカのウサイン・ボルトは別格でしょうが、私は好きではありません。いつも力を抜いた走りで、真剣さが感じられないからです。世界のトップ選手は決勝戦でしか本気を出さないそうでが、それにしてもです。今回は不調だったそうですが、記録に挑戦してほしいと思います。 その点男子400mリレーは興奮しました。上位チームが本気を出さない予選で2位のタイム。解説者が決勝ではメンバーを入れ替えたり本気を出すと言っていたので、4位くらいか3位に入ればいいと思っていましたが、結果は37秒60のアジア新記録で2位銀メダル獲得です。失格したとはいえ米国を抜いての2位です。素晴らしかったですね。残念だったのは、一人当たり9.4秒/100mですが、家内にこのことを説明しても理解してもらえなかったことです。小学生の頃は足が速くてリレーの選手だったそうですが、頭のほうは別物のようです。タイムよりも順位?解説では、バトンリレーを称賛していましたが、スタートからトップスピードに乗るまでの日本人選手の「加速性能」についても触れてほしかったです。(参考)陸上男子1600mリレーは、予選1組の7着、全体の13番目となる3分2秒95のタイムで、3大会ぶりの決勝進出はなりませんでした。*バイクと車のちがいでしょうか。 余談ながら今回はロシアの選手が締め出されたのが残念でした。過去にドーピングを行った選手は一律に排除すべきで、特定の国を標的にしたのは疑問です。あとは、黒人勢の躍進が目覚ましい陸上ですが、中国チームには見かけませんでした。さすがグレイトチャイナです。PS:写真は8月21日(日)夕刻の富士山です。 翌日は雨の天気予報でしたが、きれいな夕焼けでした。
2016.08.26
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続きです。機内は予想通りがらがら、機内アナウンスによればモスクワから150名が乗ってくるとのこと。右手にエルバ島をみながらアルプスを越えてウィーン上空を進む。残念ながらアルプスに入る頃から雲が厚くたれこめて地上の景色を見ることができない。 家内は眠っているがその間飲み物がサービスされる。JALにはめずらしく若いスチアード(ネームプレートには「大手」とあった。)である。とても感じ良く気のつく乗員であった。*数年後にNYに行った時に、この大手さんにお会いしました。16時30分モスクワ到着。着陸直前に高度をさげるとロシアの大地が見えてくる。ほとんど森林だが、集落の家々は大きさがばらばらで雑然としていた。まるで、混乱のロシアの現状を表しているようであった。空港も殺風景で、空港ビルは節電のためかとても暗かった。約1時間の待ち時間。定刻までに戻ってくることとトランジットのカードを無くさないようにと念押しされる。お土産物屋や免税店を覗く。価格の表示はルーブルではなくUSドルであった。これはロシアになってからであろう、ソ連時代はどうであったのか気になる。マトリョーシカ人形と髪留めを買う。免税店では毛皮のコートや帽子が売られているのがロシアらしかった。待ち合い席でまっていると、VIPがやってきた。家内が指摘したのだが政治家の森山真弓である。17時45分モスクワを出発する。*いまだにあります。*全部で8体です。 お値段は、US$43でした。レートは83~84円。夕食を食べて後は映画を見て寝るだけ。おっとその前に免税品の販売がある。会社の女の子のお土産用に、空港でフェラガモの綿のプリントハンカチを買い求めるつもりであったが、残念ながら置いてなく他に適当な品物がなかったので、機内でJAL特選の香水セットを買った。その時、家内が真珠のペンダントを買うと言う、今回の旅行で買い物について静かだと思ったら、行きの便のパンフレットを見て決めていたようである。恐れ入りました。 映画は007のトモローネバーダイ、ヒロインのハードアクションが小気味よくとてもおもしろかった。次はベンツがスポンサーになって、BMWをめちゃめちゃにしてしまうのではなどと勝手な予想をしてしまうほど、スポンサーであるBMWの車とバイクが前面にでていた。5月7日 (木)7時40分成田到着。成田エクスプレスは、時間が合わずエアポート成田で帰宅する。車内でメイクした若者が多いのに驚くが、帰宅してテレビでXジャパンのヒデの葬儀に出席するため若者が築地本願寺に殺到した一日であったことを知った。家でひとやすみして、夕刻、羽田から単身赴任先に戻る。 (12,929歩) 完*帰国して知りましたが、カプリやナポリは日本の小規模な台風状態だったようです。*ラテンの国に2度行ったので、家内は次は別なところをご希望だそうです。 さて、どうしましょう。
2016.08.25
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*ローマ5月6日 (水) いよいよ最終日。6時に起き、早めに朝食をとる。ジュースとパンのコンチネンタルだが、パンはソレントのホテルフローラと違って格段に美味しい。ただ笑ってしまったのは、私のテーブルにセットされていたティースプーンが英国航空の機内食用のものであったことである。一体全体どうしてこんなことが起こったのか考えれば考えるほど不思議である。食後、時間があったので中庭を散策する。*ホテルのリーフレットにも使われていた彫像ですが、名称や由来は不明です。7時半、ホテルを出てテルミニ駅に向かう。昨日までと違ってとても良いお天気である。ホテルから近くなので、歩いてゆく。8時22分のアリタリアエクスプレスに乗り込む。ひとり15,000L、30分くらいで空港に到着する。成田エクスプレスに比べて安くて快適であった。空港でお土産のチョコレートやワイン、オリーブオイルなどを買って、定刻20分遅れの10時40分発のJL444便に乗り込む。私にとっては3回目のローマ、次に訪れるのはいつのことであろうか。(続きます。)地下鉄のチケットです。*各種チケットですが、イタリア色が出ています。*以下は最初にローマに行った時の写真です。 パリからアルプス上空を越えてローマに入りました。*パンテオンです。*首相府だそうです。*ご存知サンピエトロ寺院のミケランジェロのピエタです。*クーポラの上からです。 システィーナ礼拝堂ですね。*バチカンの庁舎です。*クーポラの内側です。*大天使ミカエル像が置かれたここはどこ?*「ローマの休日」で乱闘騒ぎの舞台近くのサンタンジェロ城ですね。*コロッセオもはずせません。*1階(無料)からの眺めです。*プリントが色あせて時の経過を感じます。 また、印字されている時刻は、日本時間ですね。
2016.08.25
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*ローマホテルに戻り、今夜は最終日だし雨も降っているので、やや高いけれどもこのホテルのレストランで食事をしようと思いメニューをチェックする。注文する料理のあたりをつけて部屋へ戻ろうと階段を上る時、日本人の男性に呼び止められる。貧相なやせがたのおじさんだったが、彼はホテル内の土産物屋のオーナーであった。このホテルのレストランの評判を尋ねると、あまりおいしくないとのことであった。どこか良い店はないかと尋ねると、近くにおいしくてリーズナブルな店があり案内してくれるという。随分親切で、もし見に行って気にいらないなら断りづらいと思ったが案内してもらうことにした。その店トラットリア・アブルゼーゼはこぎれいな店構えで、メニューを見たらそれほど高くない価格であったので午後8時に予約してホテルに戻った。 午後8時に店に行くと、店内はかなりお客で埋まっていた。やはり、はやっている店なのであろう。おなかがすいていたのと値段が手ごろ(だいたい当初予定していたホテルのレストランの半額くらい)だったので、ふたりとも前菜、パスタ、メインのコースを注文する。ワインは葡萄の陶器製のポットに入ったハウスワイン。はじめが白で、次が赤。メニューは土産物屋の店員がつくったというカタカナ表記で、かっこ内に簡単な料理の説明が付記されていた。イタリア語を読めなくとも、カタカナ通り発音すると注文できる仕組みである。*カプリ島のお店と同じワインポットです。食事を楽しんで10時過ぎに店を出ると、オペラ座付近には休憩時間で人が出ていた。ワインでほろ酔いとなりこのままホテルに戻るのも惜しく感じ、近くの名門ホテル ル・グランを覗く。ロビーバーでピアノ演奏を行っていたのでソファに座ってしばし聞き惚れる。*ベネト通りのエクセルシオールと並ぶ、ローマの老舗ホテルです。 ロビーです。*ほろ酔いでしたが、家内に次はここに泊まろうなんて言うことは言いませんでした。 我々のような貧乏人には、高嶺の花です。高値です!ホテルに戻るとキリナーレでもピアノ演奏をやっていた。子供もふくめた家族連れの一団が中央にでんと席を占めていたので、我々は壁際の席でしばし演奏に聞き入り部屋に戻った。(24,387歩)*ナポリで歩いて、2万歩超えです。*今回の旅では、日本食はなしです。 というより見かけませんでした。 ローマとミラノには、日本料理店があるようです。 今は多いでしょう。
2016.08.24
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*ナポリ ⇒ ローマ*ナポリの下町で見かけました。 切り売りの最中でしょうか。さて、旅日記に戻ります。ナポリを出て30分、山を越えると曇り空になったが、ローマに到着するころになると空が真っ黒になってテルミニ駅で大雨となった。明日の空港行きの切符を買って時間をつぶしたがやみそうもないので、タクシーでホテルキリナーレに向かう。さすが、一流ホテル?。車寄せにつけたタクシーから濡れないでホテルに入ることができた。部屋は広くて内装もままあだが、端の部屋で見晴らしはほとんどゼロであった。明朝は早い出発で、今夜は寝るだけなので可とする。ひとやすみしたものの、雨はこぶりながらまだ降り続いている。家内がスペイン階段とトレビの泉に行きたいというので出かけることにする。まずははす向かいにあるローマ三越を覗くが、特に買いたくなるようなものはない。雨にもかかわらず、次から次へと日本人客がやってくるのはさすが。地下で写真展をやっていたので見たが、なかなかの傑作ぞろいであった。こちらも負けじというわけではないが、ローマの観光名所をバックにしたプリクラがあったので、コロッセオを背景にふたりで撮影する。私にとっては初めてのプリクラ体験である。日本でならこんなことはやらないが、やはり旅先だからということか。ちなみに料金は5,000Lである。三越を出て地下鉄でスペイン階段に向かう。雨でも結構人が出ている。次にトレビの泉に行くがこちらはもっと人が多かった。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンが髪を切ってもらった床屋の跡地に立つカフェでジェラートを食べていると団体客が次から次へとやってくる。新婚のカップルもいて、雨の中で記念写真を撮っている。せっかくの新婚旅行なのに、雨で少しかわいそうな気がする。*私たちも傘をさして写真を撮り、また撮ってもらいました。 コインも投げ入れましたが、3度目の訪問はいまだありません。 トリトーネの噴水を見て時間があったので、骸骨寺を訪れる。ガイドブックには6時半まで見学可とあったが、これは上の本堂のことで、骸骨で埋まっているところは6時閉館で見ることができなかった。残念。 続きます。
2016.08.23
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*ソレント ⇒ ナポリ5月5日 (火) 天気予報通り雨である。朝食(昨日とまったく同じ内容だったが、席は窓際から二番目のテーブルであった。)を、すませて駅に向かう。雨でタクシーがなかなか来なくていらいらしたが、9時半のナポリ行きに乗る。10時40分ナポリ着。ナポリも雨で、立ち寄ろうかどうしようか迷ったが、ポンペイで発掘された遺跡が展示されているという国立博物館なら雨で濡れないであろうと思い途中下車する。 荷物を駅の一時預かりに預けて、地下鉄に乗ろうとすると様子がおかしいのである。恐い顔の女性係員に聞くと、ショーペロと言って張り紙を指差す。なんと今日の午後5時まで地下鉄はストライキで運休である。ショーペロはイタリア名物と話には聞いていたが、まさかナポリで会うとは思いもよらなかった。ナポリのタクシーは悪評高いので乗りたくなかったが、仕方なくタクシー乗り場に向かう。雨でかつ地下鉄がストにもかかわらず、たくさん停車している。行き先を告げるとひとり10,000Lだという。タクシーなのにひとりいくらというのも変だが、メーターじゃないのと反論すると交通渋滞(なので、メーターじゃ割が合わない。)だからという。バスで行く気も無かったし、時間も限られていたので乗ることにする。 乗ってびっくりというか予想通りというか、すごい交通渋滞である。走っている車を見ると結構ぶつけられたとみられる跡がバンパーはもちろんのこと車体にも有った。メイン道路はいっぱいで、タクシーはいきなり路地にはいったりして後部座席にすわっていてもぶつかりそうで、あぶないぶつかると感じることが二三度あった。 ひやひやしながらようやく博物館に到着する。約束通り20,000L支払おうとすると、渋滞していたので25,000Lだという。冗談じゃないとやや強気に出て20,000L支払った。まったく油断も隙も無いものである。*犬のモザイク画、玄関前でしょうか。番犬ですね。 ナポリは疲れると実感しながら、階段を上るとなんと博物館は改修のため閉館中であった。どっと疲れが出てしまう。では、スカッパナポリを見ようと思ったが、これがいけなかった。迷路のような路地を雨の降る中、濡れた石畳を歩くはめになった。 途中教会で雨宿りするが、靴は水をたっぷりすって気持ちが悪い事この上ない。家内はサンダルだが、これはこれで歩きにくそうである。 雨で薄暗く、明るく陽気なナポリというイメージからはほど遠い。雰囲気的には中世の北ヨーロッパのようである。観光コースでは絶対に歩かないようなところを歩き回って、駅に戻る。ピザとワインを買い込んで、13時のローマ行きに乗る。もうナポリはいいというのが家内の感想だが、私は、今度は晴れた日にまた来たいと思った。*雨の中スカッパナポリを歩いている人はほとんどいません。 こんな日はスリもひったくりもあがったりです。 ソレント同様、雨でも洗濯物はそのまま。 ナポリの庶民的な日常生活が見えました。*テイクアウトしたピザは、もちろんナポリの定番マルゲリータです。 イタリア王妃マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァが、「バジリコの緑、モッツァレラチーズの白、トマトソースの赤がまるでイタリアの国旗を表しているようだ」として気に入り、自らの名を冠したと言われる。1880年に創業したナポリのピッツェリア「ピエトロ…エ・バスタ・コジ」(Pietro... e basta così、現ピッツェリア・ブランディ Pizzeria Brandi)のピッツァ職人であったラファエレ・エスポジト (Rafaele Esposito) が、1898年にウンベルト1世とマルゲリータ王妃夫妻を迎えるため、イタリア国旗の緑・白・赤を表現したこのピザを作ったといわれる。この説に対して同様にナポリの老舗ピッツェリア「ピッツェリア・アンティカ・ポルタルバ」 (Pizzeria Antica Port'Alba) では、店頭でも起源はもっと古いと公に反論し議論が絶えないなど、ナポリ文化に深く根ざしたピザでもある。以上ウィキからですが、美味しければ名前の由来はどうでもいいです。日本でマルゲリータを食べる度に、この大雨の中のナポリ散策を思い出します。うちでは、「雨の日のピザ」です。昨日のように台風で外に出られないときは宅配ピザ?配達の人のことを思うと、そんなことはできません。こんな時こそ「冷蔵庫の整理」ですね。
2016.08.23
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*カプリ島フェリーを降りたところでぽつり、ぽつりと雨が降り始める。青の洞窟行きのボート乗り場に行くがしまっているようで、勝手がわからない。だんだん本降りとなってきたので、とりあえず近くの土産物屋で雨宿りする。土産物屋の店内を見るが、これといってほしい物は見当たらない。小雨になったところで、カフェに移動してカプチーノで体を温める。やがて雨が止んだので、青の洞窟行きボート乗り場に行くと今日は悪天候で出港しないとのこと。ちょうど、朝一番で観光してきた人たちが戻ってきておりとても良かったと話している。ガイドブックでは船頭にぼられた話しが出ていたので、あまり気乗りしなかった洞窟見物だが、こういう話を聞くと不思議なものでちょっと残念な気がする。*伊豆堂ヶ島の遊覧船も冬場は白波で結構欠航します。 こちらは青というよりは少しみどりがかっています。とりあえずフニクラでカプリに登る。土産物屋やレストランでかなりにぎやかである。フェラガモのブティックがあるのは、カプリに別荘を持っているお金持ち御用達といったところであろうか。*広場にありました。更にバスでもっと高いところにあるアナカプリに行く。ミニバスで山道を登ってゆくのでかなりスリルがある。10分ほどで到着。あいにくまた雨が降り出して来る。案内所で地図を買い、名所をチェック。教会をみたり果樹園を散策したりする。果物屋があってバナナとオレンジを買ったが、お店のおじさんはとても親切で暖かい感じがした。リフトで山に登ってカプリ全体を眺めるのが最高とガイドにはあったが、残念ながら雨のためかなわなかった。*オレンジはそうでもなかったですが、バナナが高かったです。旅行者向けのショッピングセンターで、子どものお土産にカプリ島のTシャツを買う。この店はJCBカードが使えたので、日本人もよく訪れるのであろうか。バス停近くの店のTシャツに比べると、高いがものはしっかりしていた。帰国して家内がわたしの分も買っておくのであったと後悔していた。天気も回復しそうにないのとおなかもすいてきたので、早々にカプリに戻る。戻る途中で霧が晴れてきたところを見ると、アナカプリはかなり高いところにあるようである。迷路のような路地をさまよい、一軒の感じのよさそうな店を見つけてはいる。窓際の席から隣の家の花壇が見えるカサノバという店で、前菜に蛸のサラダをふたりでつまみ、家内はトマトソースのスパゲッティ、私は本日のスペシャルにあった海の幸のパスタを注文する。もちろんワインも注文する。この雨で時間がたっぷりできたので、ゆっくり食事を楽しむ。午後1時過ぎであったが、他の客も私たちと同じような状況のようであった。デザートとコーヒーをとって79,000Lを支払い出掛けに店の前で写真を撮っていると、店の絵葉書をプレゼントしてくれた。*いろいろな前菜が並んでいました。 イタリアでよく見る陶器製のワインピッチャーです。港でやや時間をもてあますものの、4時45分のフェリーでカプリをあとにする。みんな予定を切り上げてこの便に乗ったのと、雨でデッキに出られないのとで、船内はいっぱいであった。歌を歌うグループのせいで私はよく眠れなかったが、家内は船の揺れ(悪天候でかなり揺れた。)でよく眠っていた。 ソレント到着時も雨はひどく降っており、滝のようになっている坂を登り、途中でお土産にレモンリキュールを買って、ずぶねれでホテルに戻った。 雨は止まず、テレビの天気予報では明日も雨のようである。昼食が遅かったせいであまりおなかはすいていない。カップ麺がまだふたつ残っているので、今日の夕食はこれと果物ですます。ホテルからお湯代を請求(2,000L)されたが、こんなことは初めてである。(18,124歩)
2016.08.22
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*ソレント ⇒ カプリ島5月4日 (月)朝方降っていた雨も我々が朝食をとる8時頃にはやんで、やや曇りがちながらまずまずの天気である。我々の上の階が食堂で7時ごろからがさがさと音がして、今朝はそれで目が覚めた。窓際の席を希望すると、予約席とのことで中央の席に案内される。どうもこのホテルは2食つきの連泊パックが基本のようで部屋とテーブルがセットになっているようである。年配のドイツ人が多く何度も食事をしているのであろう、ウエイターと親しく会話を交わす人が多く見られる。見渡したところ東洋人は我々だけであった。*左は部屋のベランダから(ベスビオ山はこの右です。)、右は朝食風景です。 明るくて、お客はすべて西洋人です。 いかにも外国にいるという感じでいいです。 外国に行ったのに、日本人ばかりとか韓国人多数だとテンションが下がります。 関西人といっしょになると、最悪ですね。 これに名古屋人が加わると、もう・・・です。朝食の内容はオレンジジュースとハム、チーズ、パン類は丸パン(あまりおいしくない)とクラッカー、ケーキであったが、フランスのホテルに比べると随分貧弱な感じがした。フランスでは食べていたハムを口に合わないのか、家内はそれを口にしようとしなかった。卵料理も別料金で頼めるが注文している人は見かけなかった。隣はアメリカ人の家族連れ。おばあちゃんと母親と男の子と幼児であった。どんな旅なのか気になる。やはり観光旅行であろうか。*カプリ島へはナポリからも行けます。 VIPはヘリコプターでしょう。 ソレントから高速艇で行く予定でしたが、・・・。旧市街まで歩き、そこで3、40Mの坂を下ってカプリ島行きのフェリー乗り場に行く。フェリーはいくつかの会社が運行しておりどれにするか迷う。出航まであと5分しかなかったが、10時発の船に乗る。切符を買うと売り場の人がすぐに出るので急げという。久しぶりに走って乗り込む。高速艇かと思ったら、フェリーで片道50分ほどかかった。*その分料金は安くひとり往復1100Lでした。デッキはほぼ満席で家内とは近くではあったが別々に座った。しばらく、ソレント半島の別荘群を眺めた後、カプリ島が見えてきた。もっと平らなところかと想像していたが、海にいきなり突き出た山のようであった。(悪魔島といったイメージ?)続きます。*世界的な観光地なので割と大きな港です。 カプリの町は山の上で、フニクラ(ケーブルカー)で上ります。*観光案内所で地図をと言ったら有料でした。 1500Lでした。 港は、右上のマリーナグランデです。
2016.08.22
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*ポンペイ ⇒ ソレント半島先端のソレントへは切り立った断崖が幾重にも続いており、トンネルをいくつも抜けて行く。近づくにつれて、レモン園が多くなる。レモンは随分大きかったので、最初それとはわからなかった。こんなにたくさんレモン園があるとは。レモンはカリフォルニアというイメージが強いだけに意外であった。20分ほどで終点のソレント駅につく。土地勘がないので、タクシーで予約していたグランドホテルフローラに向かう。海岸と平行に走っている道がメイン道路で、ホテルは旧市街から300Mほど離れたところにあった。建物は近代的な感じで、海に向ってコの字になっている。海岸から少し離れているものの、部屋からは海とべスビオ山が見える。中庭にはプールがあって中年のおばさん達が日光浴を楽しんでいた。隣にはレモン園が見える。テラスのチェアーに座っていると、下の階の女性が赤ワインのボトルをもってテラスに出てきて雑誌を読み始めた。まさにリゾート地のホテルといったところである。あまり期待していなかっただけに満足、満足。近くのスタジアムでサッカーの試合をやっているようで、「ソレント!ソレント!」と声援する声が聞こえる。ポンペイ観光で疲れたとみえて家内はベッドでひと眠り。私はひと風呂浴びて散歩に出かける。我々が泊っているホテルは新市街で、近くには新しいショッピングモールがあった。レモンリキュール(大小さまざまいろいろな形のガラスビンにはいっている。)や寄せ木の壁飾りなどが特産品のようである。*リモンチェッロ(Limoncello): レモンの果皮をアルコール度数の高い蒸留酒に一定期間浸漬した後取り出し、 砂糖水を加えて1週間〜1ヶ月ほど置く製法が一般的である。 レモンの香りがし、甘味もあるので口当たりは良いが、アルコール度数は30%以上ある。 よく冷やし、食後酒としてストレートで飲むのが一般的な飲み方。 吉祥寺ではKALDIで1本1000円くらいで売っています。 旧市街に入るとバイクの一団がクラクションを鳴らして走ってくる。イタリア版暴走族かと思ったら、さきほど声援していたサッカーチームのサポーターの一団である。勝利の行進といったところか、旗を振りかざして声をあげて突っ走っていった。さすがサッカー大国イタリア。ここソレントも例外ではないようである。(ホテルにカメラを置いてきたので撮影できず残念)旧市街の通りには商店街とレストランがならぶ。観光地らしく両替店もあり、日本円も扱っている。しかもレートはナポリのホテルよりもずっと良いので驚いた。*ホテルが100L9円で、ここは8円でした。海岸には歴史のある高級ホテルがならび、なかでもエクセルシオールは広大な敷地をもつ老舗ホテルである。通りに面したホテルの入り口には門番がいて、なんとなく入りにくい雰囲気を漂わせていた。午後7時過ぎ家内の体調も回復したので、ふたりで散策に出る。旧市街ではお祭りのパレードがあるようで通りに人が出ていた。好奇心旺盛な我々は見逃すまいと、待ったがなかなか始まらないので見切りをつけて夕食をとる。さきほどの散歩で見つけた店で、ひとり19,000Lのツーリストメニューを注文する。旅行に来て随分飲んでいるので今日は休肝日とする。地下1階の部屋は落ち着いた感じで、お客を見渡すとほとんど我々と同類の旅行者であった。隣のテーブルの先客もツーリストメニューをベースにもう一皿注文しており、結局量が多すぎて食べ残していた。メインは家内がムール貝、私がなすのミラノ風で、味の方は可もなく、不可もなくといったところであった。デザートはメニューではフルーツとなっていたが、品切れらしくドルチェが出てきた。これが、たいそう甘く私も家内も少し口をつけて残してしまう代物であった。お勘定はしめて50,000L。この値段なので多くは期待しまい。*ツーリストメニューは、さしずめおすすめ定食、いやサービス定食ですね。レストランを出たのが9時半。街はまだにぎやかで、たいがいの店が開いていた。寄せ木の額縁の店を覗いてみたり(意外と安いので驚く)、両替をしたり、レモンリキュールの試飲をしたり、薬局で買い物をしたりして、11時にホテルに戻る。ソレントはこじんまりして治安も良いようなので、ナポリではなくここを宿泊場所にしたのは正解であった。今日は朝からたくさん歩いた一日であった。(31,392歩)*3万歩とは、ポンペイ恐るべしです。*ソレントでレンタカーを借りてアマルフィーへなんていいですね。
2016.08.21
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ルノアール展の後は坂を下って六本木方面へ。交差点に近づくにつれて飲食店が目につきます。そういえば夜の六本木は久しく行っていません。最後に行ったのは、「瀬里奈」という焼肉屋さんだったでしょうか。初めて行ったのは、4回生で銀行の面接試験に呼ばれて行った時です。ホテルを取ってくれるというので、「ホテルアイビス」に泊めていただきました。同ホテルは昨年クローズして来年阪急阪神ホテルズが運営する「レム六本木」として開業するそうです。そのあと社会人になってからは、業界の若手同士の懇親の場としてよく遊ばせていただきました。銀座に比べると安くてフレッシュでした。もちろん、外国料理店が多いエリアでしたので、プライベートでも利用させていただきました。そういえばナルボンヌという名前のフランス料理屋さんがありましたね。後年南フランスのナルボンヌし出張するとは、その時は夢にも思いませんでした。朝方アパートのエレベータで会った知り合いの母娘さんが、これからテレ朝夏祭りに行くと言っていたので、私も立ち寄ってみました。広場には蜘蛛のオブジェが、気持ち悪いですね。でもその周辺には、ドラえもんがいっぱいです。おとな?もはじけていますね。こちらはテレビ番組関連のフードコートです。でも、テレ朝と言っても「報道ステーション」と「相棒」を見るくらいなので、他の番組はなじみがありません。やっぱり家族連れが多いですね。夏のいい思い出でしょう。今でも絵日記の宿題なんてあるのでしょうか?こちらは石川県の「ひゃくまんさん」です。浦安のネズミと違って盛んに愛嬌をふりまいていました。暑い中お疲れ様です。後ろのふるさとコレクションは、ふるさと納税の勧誘ブースでした。宮崎のブースでマンゴージュースをいただきましたが、とても甘かったです。尋ねたらお砂糖が入っているとのことです。なるほど、お手軽な糖度アップです。マンゴーは高価なので、地元のひともなかなか食べられないそうです。東京では1~2万円、地元でもその半額くらいだそうです。我が家で食べるマンゴーはタイ産で395円です。夫婦でひとつ(真ん中は家内です。)ですね。ふるさと納税でもらっても、・・・。やっぱり三鷹市に納税ですね。今月は44,000円です。地元食材の丼ぶりなどがありましたが、暑さと人の多さに辟易して早々に退散しました。結局お昼は、自宅に帰ってシャワーを浴びてエアコンのきいた部屋で吉祥寺のロンロンで買い求めたおつまみとビールで遅めのランチです。お代も1000円以下でした。ひとりだと気楽なものです。六本木からです。でもその左側は、建設ラッシュです。東京はオリンピック目指して、アベノミクスのアクセル全開です。いびつな姿ですが、地方の人はいつかはうちもと思っているのでしょう。でもせいぜい原発再稼働=核のゴミ作りが関の山ですね。それとリニア新幹線もありますね。でも、名古屋までではどうしようもありませんね。箱ものだけではだめです。もっと知恵を出せ!ひゃくまんさんです。
2016.08.21
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*ポンペイ 各駅停車なので随分時間がかかったように感じたが、40分ほどでポンペイに到着する。荷物の一時預かりはどこかとバールをのぞくと、こっちだと案内してくれる人がいて預けることができた。(旅立つ前の旅行記に同じ事が書いてあり、著者は一時預かりを探すのに苦労したようだが、私たちはその本のおかげで苦も無く預けることができた。) おなかがすいてきたので、バールでピザを食べてから遺跡に向かう。オレンジを売っている果物屋?やジュース屋?がならんでいた。日本にはない店構えなので、店の人に店をバックに記念写真をとってもらう。さすがはイタリア、フランスと違って気さくで写真撮影も頼みやすい。 さて、遺跡の入り口に着くと切符売り場はとても混雑していた。日曜日のせいであろうか、それともいつもこんな状態なのであろうか。この程度の行列でいらいらするのは日本人である証か。とにかく、列の切れ目をみつけて入場券を買って中にはいる。*この時の料金は、ひとり12000L、約1000円でした。なにせひとつの町全体が遺跡になっているのだから、なかは相当広い。ガイドブックで見所を確認しながら見学するが、日本語はもちろんのこと英語の表記がないので苦労する。おまけに天気が良く気温も上昇してきている。人が多いメインストリートはやや埃っぽい。もっと壮大な遺跡を想像していたが、意外とこじんまりしていて(一般の人の住居が大半なので当たり前といえばそれまでだが)少し拍子抜けした。*もちろん大邸宅もあります。大劇場でひとやすみする。内側の座席部分は今や野原となっており小さな赤い花がたくさんさいていた。ここは風の通り道で涼しい。団体客が次から次へと訪れる。もちろん日本人もいる。ここは映画「チップス先生さようなら」で、ペトラ・クラークが歌った場所で、この映画を見た高校生の時は、この地に来るとは夢にも思わなかった。*火砕流に巻き込まれた人の石膏模型です。 石膏とはいえ生々しいですね。*重要な壁画やモザイク画は、ナポリの博物館にあります。 体力も回復して、遺跡のはずれに行くと闘技場が見えてきた。ガイドブックに載っているので知っていたが、実物はローマのそれほどではないにしてもかなり大きく威圧感がある。中に入るとコンサートの用意がしてあり現在も使用されているようである。ローマのように見学だけというのは例外で、アルルやベローナ、ポンペイのように現在も使用されているのが一般的なのであろうか。*この外側もまだ発掘調査中だそうです。 家内は疲れたようなので、最後にひとりで秘儀荘を見て、3時40分ポンペイを後にしてソレントに向かう。(続きます。)*パンフレットからですが、こんなに赤くはありません。 印刷のせいですね。 ポンペイ・レッドといわれる顔料を使った壁画です。*実際はこんな感じですね。 当時流行していたディオニソス(バッカス)を信仰する宗教の秘儀を行う部屋ですね。*ポンペイ観光はオール徒歩です。 石畳のところも多いです。 歴史を知らない人や興味がない人にとっては、ちょっと厳しいかもしれません。 私にとっては「チップス先生さようなら」の思い出の地でした。 家内も見たと言っていました。 文部省特選映画だったかもしれません。 世界遺産登録は1997年ですが、この頃は今ほど話題になっていませんでした。
2016.08.20
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8月11日に#15をブログアップして以来です。ここからは「南イタリア編」です。*ニース ⇒ ポンペイ 夫婦でヨーロッパ PART 2 (南イタリア編) 5月3日(日) 6時48分ローマ到着。私は途中何度か目が覚めたが、家内はぐっすり眠れたとのこと。どこでも眠れる妻は偉いと思う。日曜日にもかかわらずローマ駅はいつものにぎわいである。 両替をしようと銀行に行ったら、オープンは8時からとのこと。ナポリで両替できるか不安であったが、1時間も待つ気になれず、7時半のナポリ行きに乗る。 ローマから南に行くのは初めてなので、どんな風景が展開するのか期待が大きい。まずは古代ローマ時代の水道橋の跡が続く。やはり南は農業地帯である。農地が続いて池や林があって牧歌的な風景である。約2時間でナポリに着く。家内はその間ほとんど眠っていた。*前日午後8時35分ニースを出てローマまで約10時間です。 列車は洗面台が付いた2段ベッドのコンパートメントでした。 日が落ちたら真っ暗で景色は見えません。 9時半なので銀行も開いており両替できるであろうと思って駅の構内を探すが、残念ながら銀行はクローズしていた。ポンペイ行きの電車に乗るためにもリラがほしかったので何とかしなければと思う。駅の外を見ると大きなホテルが何軒か有る。ここなら両替可能と思い、一番近くの一軒に入り両替を申し出ると替えてくれるという。とりあえず3万円分両替してもらったが、レートは9円/100リラと驚くような悪いレートであった。ポンペイやソレントで替えられないと困るので保険と思い納得する。*今はユーロなので便利になりました。 昔は国境を超える度に紙幣を両替し、旅の最後は いろんな国のコインがいっぱいです。 ポンペイまでは私鉄で、プラットホームはかなり混み合っている。ベンチがあいたので座ると、正体不明の青年に話しかけられる。話を聞くと、パキスタンから出稼ぎで来たがナポリで職が無くなったのでソレントの手前のマットに働きに行くとのことであった。イタリア人が出稼ぎに行くという話しは聞いたことがあるが、イタリアのなかでも貧しいとされる南イタリアへ働きに行くというのは意外であった。話しの端々にお金が無いという言葉が出てきてなんだか気味悪く、付きまとわれそうであったので、電車に乗り込むときにあえて別の乗り口から乗っておさらばした。今思うと、異国の地でアジア人の我々に親近感を抱いたのかもしれない。 車内は結構混雑しており、しばらく着席できなかった。途中で若いカップル(高校生?)が乗ってきて、デートであろうか。とても楽しそうな雰囲気を振りまいていたのがとても印象的だった。 *2人ともとても美形でした。 若さはいいですね。続きます。
2016.08.20
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幸福の画家ルノワールはたくさんの肖像画を描いていますが、その最高傑作がフランスで最も権威のある劇団コメディ=フランセーズの若手人気女優を描いたこの「ジャンヌ・サマリーの肖像」(1877年)です。モスクワのプーシキン美術館の所蔵です。福島の原発事故で延期された「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」(2013年夏 横浜美術館で開催)で観ました。見ていてうれしくなるような絵でした。原発事故でだめかと思いましたが、見ることができて本当に良かったです。喫茶店のせいではないでしょうが、ルノアールは日本で人気の画家です。大きな美術館ならどこでもひとつやふたつ所蔵しているのではないでしょうか。「作家名でわかる 逆引き美術館手帖」という本が発刊されています。作家(アーティスト)名を基に、その作家の見るべき作品が日本のどこの美術館にあるかを知ることのできる美術館ガイドです。 『家庭画報』が厳選した79美術館・53アーティストの情報が、西洋美術、日本美術、現代美術の項目に沿って、コンパクトに まとめられています。「横になった婦人」(1912年)伊豆下田の山の中の小さな美術館に所蔵されています。上原美術館といって、あの大正製薬の社長が創設した美術館です。仏教美術館もあって、意外感(とんでも感?)のあるところです。(以前ブログアップ済?)金にあかせて買ったという気もしないわけではありませんが、訪れる人が少ないので、ゆっくりするにはいいところです。世界一の債権大国日本ですから、印象派を目玉にした美術館は国内にいくつもあります。All About では、「印象派のある美術館」を紹介していました。1.国立西洋美術館(東京) 建物が世界遺産になってしまって今は混んでいるみたいです。 精養軒がやっている「すいれん」でランチするのもいいですね。 ただし、平日です。土日は時間をずらしたほうがいいです。2.ブリヂストン美術館(東京) 現在建て替え中で休館しています。 作品は、貸し出し中のようで地方で見られるかもしれません。 都心のデートにはよいところです。 近く(京橋・銀座)にはフレンチレストランが多いですね。3.大原美術館(岡山) 修学旅行で行ったという人も多いかもしれません。 松方コレクション同様、昔の日本人は絵を見る目があったことに感動する美術館ですね。 それに比べて金儲け目当てでネットオークションだなんて。 政治資金で買った絵の情報公開はどうなったのでしょう。 後任の知事は今リオだそうです。 付き人4人で総額1千万円の大名旅行だそうです。 本人はビジネス、ホテルはIOCが手配したものだそうです。 この際民泊をしてみたら素晴らしいですが、この人も当選したら別人みたいです。 税金ですから費用公開と出張報告はちゃんとしてほしいですね。4.松岡美術館(東京) 白金にある小粋な美術館です。 すいていてゆっくりできるし、近くに女性好みのレストランが多いところです。5.笠間日動美術館(茨城) 日動画廊関連の美術館です。 笠間稲荷、陶芸美術館とセットで、東京から美術巡りのドライブです。6.地中美術館(香川) 島全体が美術館の直島にあります。 安藤忠雄さんの現代美術館や草間彌生さんのオブジェも必見ですね。 金や銅製錬所の島が、今や世界的な観光地です。7.DIC川村記念美術館(千葉) フランク・ステラやマーク・ロスコで有名な美術館です。 桜の時期がきれいですが、観光バスもやってきて賑わいます。 9万坪広い敷地で散策です。8.ポーラ美術館(神奈川) 充実したとてもよい美術館です。 ここのレストランは土日は非常に混み合うので避けたほうが無難です。 駐車場もいっぱいです。 平日、温泉につかってゆっくり見るのがベストです。9.アサヒビール大山崎山荘美術館(京都) 関西に3度住みましたが行ったことがありません。 ここも安藤忠雄さんです。ふたつ(損保ジャパン東郷青児美術館 (東京)、横浜美術館(神奈川)とばして最後は、10.ひろしま美術館(広島)です。 広島というと、原爆ドームや縮景園ですが、ここもいいです。 出張のついでにあまり期待しないで訪れました。印象派の父エドゥアール・マネの 「灰色の羽根帽子の婦人」(1882年)です。絵葉書を買い求めたら、もみじマークのはいった封筒に入れてくれました。おしまいです。PS:「横になった婦人」はヤフーオークションで現在15000円です。
2016.08.20
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幸せの画家ルノワール展を見に行きましたが、どの絵も保存状態が良く驚きました。会場はよく冷房がきいていて、軽装だったので1時間もいると寒いくらいでした。2007年1月にオープンした新国立美術館は、以前都知事選に立候補した黒川紀章さんの設計です。「森の中の美術館」というのがコンセプトだそうです。英語名は収蔵品を持つのが通常であるミュージーアムではなくアートセンターを用い、「ナショナルアートセンター・トウキョウ THE NATIONAL ART CENTER-TOKYO」だそうです。会場貸し屋さんですね。このガラスの壁の内側です。こちらは、カフェです。おいしいケーキがいっぱい?ひと回り大きなこちらはポール・ボキューズのレストランです。ランチは、3000円前後。お昼前でしたのでまだ席がありましたが、ひとりだったのでパスしました。お昼にワインをいただくのは悪くないですが、この暑さではやめたほうがいいですね。開催の美術展に合わせてスペシャルメニューが用意されています。厨房はこのコンクリートの円錐形の中だと思うのですが、見たところ窓がないようで大変そうですね。なお、地階には庶民的なカフェテリアもあります。会場貸し屋さんのここは、他にもいくつか展覧会が開催されていました。中はこんな感じで、とても写真が撮りやすかったです。フランスチームです。こちらは、日本チームです。こちらも無料でした。公募とありますが、今回は発起人の個展とのことです。もちろんガラガラでした。これも水墨画なのですね。「ベイブリッジ」という題がついていました。ルノアールもいいですが、こういうのも嫌いじゃないです。おしまいです。PS:六本木方面に向かいましたが、暑かったです。
2016.08.19
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天皇のビデオメッセージに先立って、報道機関は生前退位に関して世論調査を行っています。ビデオの後のほうがいいと思いますが、世論調査自体は前から決まっていてそうも行かないのでしょうね。朝日新聞は6、7両日に世論調査を実施し、9日朝刊に掲載しました。「生前退位」をできるようにすることへの賛否を聞いたところ、「賛成」が84%で、「反対」が5%でした。国事行為を代行する「摂政」を置くことについても、「認めてよい」が73%で、「そうは思わない」が15%でした。産経もこんな感じです。6、7両日に実施した産経新聞社とFNNの合同世論調査で、天皇陛下が天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」について、政府がどう対応すべきか尋ねたところ、「生前退位が可能となるように制度改正を急ぐべきだ」と答えた人が70・7%に達し、「慎重に対応すべきだ」の27・0%を大きく上回った。また、「生前退位」が可能となるように「憲法を改正してもよい」と思う人は84・7%に達した。「思わない」と答えた人は11・0%にとどまった。憲法を変えなくても皇室典範=法律を改正したら、生前退位は可能なのですが、改憲とはどういうことなのでしょうか。設問も答えたほうも?です。もしかして自民党の改憲草案で生前退位に関する規定があるのかと思って見ましたが、 (皇位の継承)第二条皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。と、現行憲法と同じです。主な変更点は、元首、国旗・国歌の明記、元号、公的行為の追加、そして尊重順守義務の免除などです。まあ、 天皇を「国家元首」に戻し、その神性を国民支配のイデオロギーとして復活させたい保守勢力にとって、天皇は「終身制」が必須であり、「生前退位」は認められるものではないですから、改憲草案にそんなことを盛り込むはずはありませんね。生前退位と改憲を結び付けようとした産経のたくらみは、贔屓の引き倒しになったようです。ウルトラ保守の安倍首相もこの世論調査結果に戸惑っているいることでしょう。有識者会議を作って女帝問題の時のようにだらだらやるのでしょうね。ねらいは、天皇が・・・・・ですね。私としては、天皇がお困りのことは明らかですから、平成天皇一代限りの特別法で与野党議員による議員立法で生前退位を認めるというのが良いと思います。全会一致で賛同できる法案を作ってほしいですね。
2016.08.18
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夏の台風でどうかなと思いましたが、こちらは大して雨も降らず肩すかしでした。雨が少なくて水不足と先月まで騒いでいましたが、今は話題にもなっていません。翌朝は、久しぶりに富士山がくっきりと見えました。でも昨日は快晴となって38度です。お盆が過ぎれば涼しくなるのが関東ですが、この日は例外となりました。今日は朝から雷が鳴って雨です。湿気があってうっとうしい一日でした。涼しくてもエアコンが必要な一日でした。電力供給は70~80%台で、全然問題ありません。最高は8月5日の89%です。
2016.08.18
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「夫婦でヨーロッパ」のブログを書いていたら、ルノワール展を見たくなり8月上旬の日曜日に行ってきました。展覧会の期間終了間際はとても混み合います。すいてるあさイチをねらって、オープン15分前乃木坂駅到着の地下鉄で行きました。地下鉄出口で臨時券売所がでていたので、ここで買ったら並ばずに済みました。上に上がると、券売所も会場入り口も行列ができていて、少し入場を早めていました。「日伊国交樹立150周年特別展 アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」も開催されていました。目玉はティツィアーノが晩年に手がけた祭壇画の大作、《受胎告知》(サン・サルヴァドール聖堂)で、こちらは10月10日までです。オルセーとオランジュリー美術館の所蔵品から100点以上の作品が勢ぞろいです。主要作品は、次のものですがそれ以外にも興味深いものがありました。初期の「猫と少年」(1868年)は、珍しい少年のヌードです。目玉の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876年)は大きな作品でスペースをとって展示されていました。入館時は余裕でしたが、11時を過ぎると黒山の人だかり状態でした。後半の作品は、印象派の影が薄れたルノワールらしい独自のものです。「ピアノを弾く少女たち」は6バージョンあり、これはオルセーのものです。「道化師 ココの肖像」は、3男クロードがモデルです。会場には次男のジャン・ルノワール監督の「ナナ」や「フレンチ・カンカン」、「恋多き女」のさわりが上映されていました。私がルノワールを知ったのは、彼が映画監督ジャンの父親だということからでした。大学生になって京都で過ごすまでは、美術には興味がありませんでした。《田舎のダンス》1883年と《都会のダンス》1883年、そして今名古屋で公開中の《ブージヴァルのダンス》1883年 ボストン美術館蔵が、ダンス3部作ですね。 モデルは田舎のダンスほうがアリーヌ・シャリゴ(ルノワール夫人で彼女の胸像も展示されていました)で、あと二つはシュザンヌ・ヴァラドン(モーリス・ユトリロの母)です。男性は同一人物です。どの絵も保存状態が良くて、「本物?」と思うほどです。会場では、ゴッホやベルト・モリゾ、ピカソ、マティス、マイヨールなどの作品が何点か合わせて展示されていました。晩年のルノワールです。1892年以降。会場の休憩室では、アトリエでのフィルムが2本上映されていました。一通り見て1時間。この頃にはだいぶ混み合っていて、警備員に聞いたら休日は終日こんな状態だそうです。平日は日によりですが、夕方が比較すいているとか。関連商品の売り場も混み合っていました。続きます。
2016.08.17
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TBSの番組では、生前退位に関して次のように紹介していました。美智子様と親交のある末盛千枝子さんと中継。末盛さんは天皇陛下のお言葉について、「歩いてこられた長い道、今はじめて象徴というのはこういうことだったと私達が思うことができる、そういった言葉だと思った」などと話した。天皇陛下のお気持ちについて、「年齢も年齢で何度もご病気されているのでゆっくり休んでいただきたい」、「やめたいと思われているならその気持を尊重してあげるのが大事」などの国民の思いを伝えた。きょう発表された世論調査では、天皇陛下の退位について「制度を改正すべき」が84%、「制度を改正する必要ない」が10%となっている。牧嶋博子は「政府は世論の動きを気にしている。他の世論調査でも7~9割が制度改正を望んでいる。この意見を政府がどう受け止めどう動くのか、国民は注視する必要がある」などと話した。生前退位に関しては制度改正が必要ですが、今回のビデオメッセージでかえって政府は動きにくくなりましたね。天皇は人権を制限された特別な存在とはいえ、生身の人間、それも老人が悲鳴を上げているのを見るのは忍びないことで、何とかしてあげたいと思うのは人情でしょう。そもそも、今どきこんな制度が必要なのか根本的に検討したほうがよいと思います。数年前には女帝問題が話題になりましたが、議論はうやむやのまま終わってしまいました。天皇には昔のように妾をなんて主張していた人もいたように思いましたが、どうでしょうか。皇統なるものをつなぐために、個人を犠牲にすることは許されないでしょう。世界最長の王朝なんて誇らしげにいう人もいますが、どんな意味があるのでしょうか。元首が必要なら選挙で選べばいいと思います。天皇の象徴天皇としての活動には敬意を表しますが、これからも象徴天皇制が必要かどうか皇位継承者に聞いてみたいものです。法改正にあたっては、参考人として国会に招致してほしいですね。また、元号も煩わしいですね。「平成」というと小渕首相の顔が浮かぶとともに、政治資金問題を起こして世間を騒がせた娘の優子の顔が思い浮かびます。次は何という呼称でいつまで?、その次は?弟さんなら短いかもしれませんね。更にその次は?・・・。
2016.08.16
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平成天皇と言えば、慰霊の旅を思い浮かべます。NHKもTBSの番組をこのことを取り上げていました。昭和50年、皇太子時代の天皇陛下は皇室の一員として初めて沖縄をご訪問。両陛下はどこよりも先に島の南部にある戦地跡へ向かわれた。沖縄学を研究する外間守善さんは、「天皇陛下は散華した方々への御霊鎮めの香華を手向けたいと思われていた」などと話している。沖縄では皇室の来訪に反対する運動もあった。しかし「何があっても私は受けます」との決意の下、両陛下はひめゆりの塔を訪れ献花した。両陛下の慰霊と鎮魂は、平和への祈りに他ならなかった。平成6年、雪降りしきる中で自衛隊機に乗り込み、両陛下は羽田空港から硫黄島へと向かわれた。戦後50年の慰霊の旅として、両陛下は初めて硫黄島に降り立った。戦後60年の慰霊はサイパン島。初めて慰霊のために一泊二日で海外に出向かれた。去年4月にはパラオ共和国へ。両陛下の宿泊先は海上保安庁の巡視船だった。両陛下は昨年4月、太平洋戦争の激戦地、パラオ・ペリリュー島の西大西洋戦没者の碑を訪問された。美智子様は「今年陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオご訪問が実現し、日本の委任統治下で1万余りの将兵が散華したペリリュー島で日米戦死者の霊に祈りをささげることができたことは忘れられない思い出」と語られた。天皇陛下は「戦闘に携わった人、携わらなかった人々も国や国民のことを思い力を尽くして戦い、亡くなった人々であり今日の日本がその人々の犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはならないと思います。過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう、戦争を知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています」と述べられた。ひめゆりの塔の事件は当時大きく報じられました。それから40年以上たって、今や天皇が沖縄を訪れることに対する違和感はないでしょう。硫黄島、サイパン、フィリピン、パラオと慰霊の旅が紹介されていましたが、「散華」という言葉に違和感を感じました。また、日本兵やその遺族に対しての気遣いはあっても、日本軍に殺されたり辱めを受けた人たちやその遺族に対してはどうなのかと思います。TBSの番組で陛下のご学友・ジャーナリスト・橋本明さんが、突然最後に韓国訪問をと言っていたのに驚きました。多くの被害を与えた中国や韓国に行ってほしいと思いますが、無理な話なのでしょうか。*終戦の日の式典で、安倍首相がまたしても「アジアへの加害」に言及しなかった事が 今年も指摘されていました。また、天皇の慰霊の旅で多くの日本人報道陣が同行するので、現地の被害状況が日本に伝わると、フィリピンの例(日本兵に死者は50万人なのに、フィリピン人が100万人も殺されたことは知らない)をあげて、TBS解説室長宮内庁担当・牧嶋博子さんがその「意義」を強調していました。毎朝のニュース番組で見るおばさまですが、これはひどいと思いました。これが「報道のTBS」でしょうか。天皇の慰霊の旅なんかに頼らず、報道すべきことは報道してほしいと思います。それを大名旅行、いや天皇旅行に便乗するなんてという気持ちです。最後に、(昭和)天皇はA級戦犯の合祀後、靖国神社を参拝していないそうです。それ以前は行っていたということでしょうが、それは「公務」だったのでしょうか。やめたのは天皇の意向だそうですが、代が変われば、あるいは事情が変わればまた参拝するのでしょうか。主権者たる国民は、「公務」によるイメージ操作に惑わされてはいけませんね。マスコミもお先棒を担いではいけませんね。それにしても皇室や宮内庁担当の記者というのは、ジャーナリストなのでしょうか。問題点を指摘したり、批判の記事を見ません。報道の視点も天皇中心に見えます。
2016.08.16
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天皇の国事行為については、憲法で10行事規定されています。それ以外に「公務」というのがあるそうです。TBSの特番では、天皇の公務について次のように紹介していました。天皇は国会の開会式に参加する他、年間1000件を越える閣議決定の書類に目を通し、ご署名・ご押印をされるのも大切なご公務となっている。古来受け継がれてきた宮中祭祀もご公務の一つで、中には深夜に及ぶ儀式もある。国内外へのご訪問は年間70回以上。ご面会は年間230回を超えている。天皇は、どのご公務も分け隔てなくこなされている。式典では手順一つも間違いないよう丁寧にされてきた。しかし去年、黙祷を捧げるタイミングでお言葉を発せられた。些細な間違いだったが、前侍従次長である佐藤正宏さんは、「人間は自然と年を取り心身ともに衰えるものであるから、退位して次の世代にゆだねるということをお考えになるとしても不思議ではない」と話した。皇后に関しても、宮内庁は、頚椎症性神経根症によるお痛みの他に胸痛のご症状があり、冠動脈の狭窄が生じている可能性を発表した。皇后も去年338件公務を行ったことを報じていました。年齢を考えると異常な状態ですが、NHKもTBSもこのような事態に陥った原因については何も言及していませんでした。「NHKの独自取材から、天皇陛下の考えられる「象徴のあるべき姿」をめぐり、皇居のなかで緊迫したやりとりが行われていたことが明らかになってきた。」とするNHKでは、宮内庁はセーブを申し入れたが、天皇は受け入れないというような報道でした。両番組とも被災地の避難所で床にひざまずく天皇の姿を流していましたが、美談のにおいを感じました。天皇は、行事で動員されたり、長時間待機させられている人たちのことをどう思っているのでしょう。いつも、ありがたい、もったいないという声一色の、よいしょ報道です。(英国とは大違いでしょうね。)ここ数年国内の温泉地を旅していますが、天皇や皇太子が「公務」で訪れた宿のなんと多いことでしょうか。ロビーに飾られた日に焼けた写真を見るたびに、複雑な気持ちになります。今年の「山の日」に、上高地に行こうと思ったら宿が取れなかった人も多いでしょう。「公務」もいいですが、国民のことも考えてほしいものです。主権者は国民です。権威付けや皇室ビジネスがらみのものは、ばっさり切って可能な限り所管の役所に任せたらよいでしょう。人寄せパンダになる必要もないでしょう。また、天皇家の私的な宮中祭祀を公務とするのはどうでしょう。この際公務の見直しをお願いしたいものです。(続きます。)
2016.08.14
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今の制度は象徴天皇制と言われ、天皇は君主や元首であるとする学説やそうでないとする説があります。GHQの草案には「シンボル symbol」とあり、それを単純に象徴と訳しただけのようです。深い意味や考察があってのことではないようです。国民主権ですから天皇制などは必要でなく、共和制というのがすっきりします。天皇を利用したほうが占領政策に役立つので、提案したということでしょう。その後の占領は失敗続きですが、日本占領はとてもうまく行きました。今もいちの子分です。米国の日本研究の賜物です。そして当時の支配層にとっても、これによって侵略戦争の最高責任者が、戦犯として訴追されず、責任も負うことなく戦後その命を永らえました。更に、かつての臣民を息子の嫁にしてイメージアップを図り、「天皇」の名前を残しました。オリンピックのシンボルマークのように、シンボルとはある理念を具現化したものでしょう。この場合は、人間ですから文字通りの体現化ですね。日本国憲法の3原則は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義ですから天皇の行動は、これらを体現化したものでなければなりません。今回のメッセージでは、「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを 大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、 時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも 大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、 天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、 天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、 常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」と、天皇の考えを聞けたのは良かったと思います。即位してからの一連の天皇の行動は、戦後民主主義の成果だと思います。海外からも平和愛好者と評価されているようです。だから、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を 限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。」という発言が出てきたのでしょう。これからも象徴天皇として頑張ることに敬意を表しますが、たかが「象徴」なのですから、自然体でいいのではないでしょうか。もう十分にその役割は果たしたのではないかと思います。(続きます。)
2016.08.13
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日本国憲法の天皇に関する条文です。第一章 天皇 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。 二 国会を召集すること。三 衆議院を解散すること。四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状 及び大使及び公使の信任状を認証すること。 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。七 栄典を授与すること。 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。九 外国の大使及び公使を接受すること。 十 儀式を行ふこと。第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。 (最後に) 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 メッセージの中で天皇は、「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」と、高齢で職務困難のおそれがあることを述べています。事実昨年8月15日の戦没者慰霊式典では、式次第を間違えて挨拶しようとしました。その後の記者会見で、本人もこのことに言及していましたから、相当気にしているようです。(NHK、TBSとも映像を流して紹介していました。) 国事行為に関しては、委任や摂政に任せることができます。なのに今回のビデオで天皇は、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。 しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」と、否定的な見解を表明しています。天皇が憲法や法律(皇室典範)に関して、公に意見を述べることは許されないでしょう。ビデオを見ていて、これは踏み込み過ぎだと思いました。 現行法は生前退位を認めていませんから、亡くなるまで天皇の地位にあるというのが天皇の勤めでしょう。 これに関連して、NHKでは宮内庁が天皇に行事をセーブすることを申し入れたが、拒んだことを紹介していました。また、生前退位の問題点を、1. 退位した天皇(上皇?)と天皇の関係、特に確執2. 政治権力者が、気に入らないと言って退位に追い込む危険性3. 本人が嫌気がさして、恣意的にやめてしまうおそれを指摘していました。だから、生前退位はNGということなのでしょう。平成天皇は、戦後50年や60年、70年の節目に慰霊の旅に出かけています。世界的にもその行為は高く評価され、昭和天皇とは違って平和愛好者と見られています。他国の脅威をしきりに煽り立てる好戦的な政治家にとっては目の上のたん瘤みたいなものでしょうか。そんな政治的意図で「生前退位」させてはいけませんね。(続きます。)
2016.08.12
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メッセージ全文:戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。 伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。 その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 国民の理解を得られることを、切に願っています。半月ほど前、突然NHKで天皇が「生前退位」を望んでいるとの報道がなされ、月曜日にビデオメッセージという形で報じられました。「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したい」とは言うものの、政治的なにおいがする発言だと思いました。また、「国民の理解を得られることを、切に願っています。」と、これは、かなり明確な主張の表明だと思います。同日午後7時のNHKニュースでは、このビデオメッセージをノーカットで放送し、8時からはNHKスペシャルで関連番組「象徴天皇 模索の歳月」 が放送されました。オリンピックハイライトは、急きょ中止です。また、TBSは午後7時から「生放送・皇室特別番組陛下82歳『お気持ち』美智子さまと寄り添い共に拓く未来への窓」というタイトルの2時間番組を放送しました。NHKとTBSしか見ていませんが、10分間以上のメッセージをノーカットでニュース番組で放送したり、ふたつの特番の内容が似通っていたので驚きました。番組制作にあたってガイドラインでもあったのでしょうか。奇異な感じがしました。生放送は、不測の事態に備えて臨機応変に対応するためでしょう。(続きます。)
2016.08.11
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*モナコモナコのモンテカルロ駅までは電車で30分ちょっと。駅舎を出て、まずは王宮へ向かう。上り坂で振り替えると、その景色が香港の高層住宅街とあまりに似ているのでびっくりした。写真を撮って香港といっても、みんな信じてくれるくらい似ている。*人口は3万5千人、国土は2.02キロ平米ですから、 人口密度は高いですね。海側をみると豪華客船が停泊しており、地中海の金持ち国家の景色が展開しており、モナコを実感する。*モナコはタックス・ヘイヴンのひとつとして知られており、(租税条約が結ばれている)他国からの移住者の多くは 億万長者だそうです。気持ち良く写真を撮っていると突然シャッターが下りなくなった。なんとバッテリー切れである。そういえば、数日前カメラのバッテリーマークが点滅していたことを思い出した。その後順調であったのでたかをくくっていたのがいけなかった。悪いことに予備バッテリーはホテルに預けたスーツケースの中である。王宮前の土産物屋で置いてあるかどうか聞いてみるとあるという。65F。日本のデスカウントストアの3倍に近い。仕方なく買い求めるが、大変な出費となった。市街をひとまわりして、王宮前のレストラン「カステルロック」で昼食をとる。JCBのガイドでは土曜日は休みとなっていたが、しっかり営業していた。コースのランチとハーフボトルの白ワインで369F、もちろん支払いはJCBで行う。昼からワインを飲みウエイターに写真を撮ってもらってすっかりいい気分になる。レストランを出てしばらくしてウエイターが追いかけてきた。店に忘れたガイドブックを届けに来てくれたのである。さすがは観光立国モナコ。親切な国です。*眺望の良いテラス席でいただきました。食事の後はグレース・ケリー王妃が眠るカテドラルを訪れたり、海洋博物館下の公園を散策して駅近くの広場に戻った。広場は果物屋が店を開いているだけで、子供の遊び場となっていた。ベンチの裏ではぺタンク場があり競技をしていた。ころころ転がすのだと思っていたら砲丸投げみたいに鉄の球を投げるので、結構迫力があった。20分ほどして駅に向かう。カジノを訪れる予定にしていたが、疲れもあってニースに戻ることにした。6時過ぎニース着。今日のローマ行き寝台車内で食べる果物やジュースを仕入れる。夕食は昨日に引き続き中華のテイクアウトとする。ホテルに戻って荷物を持ってタクシーで駅へ。8時35分定刻にローマ行きは出発した。外はまだ明るい。コートダジュールの海や街を見ながらビールを飲み、チャーハンをいただく。いよいよ、明日はナポリ、ポンペイ、ソレント。未知の地南イタリアに期待と不安を抱きながら寝台車に揺られる。(23,054歩)*コートダジュール編は、これでおしまいです。モナコ公国(ウィキより):モナコという地名は、現在のモナコの近隣に6世紀にあったポカイア人の入植地の名に由来する。その地はギリシャ語で「一軒家」を意味する Monoikos の名で呼ばれていた。ギリシア神話では、ヘラクレスが現在のモナコの地を通りかかり土地の神々を退散させたとあり、それにちなんで1つの神殿が作られた。その1つの神殿が「一軒家」に転じ、地名が生じた。2009年のGDPは69億1900万ドルで、チャドやベナンなどアフリカの人口1000万人程度の中規模国に匹敵する。また鳥取県の県内総生産の30%程の経済規模である。2008年または2009年の1人当たり国民総所得は18万3150ドル。主要な産業は観光。特にカジノは、19世紀の一時期は国家収入の9割を占めていたこともある。なお、現在では5%以下であり、経営も半官半民の企業「ソシエテ・デ・バン・ド・メール」(海水浴公社)へ移管されている。住民は外国籍者(フランス国籍47%、イタリア国籍16%、その他21%)84%である。モナコ国籍者は16%である。モナコ国籍の人は、カジノを禁止されている。モナコ市街区(宮殿・政府のある中心地区)モンテカルロ区(カジノ・リゾート地区)ラ・コンダミーヌ区(港湾地区)フォンヴェイユ区(新興地区)
2016.08.11
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*ニース5月2日 (土)6時起床。6時40分に自宅に電話をする。留守番の母と子どもが出るが、特に変わったことはなく元気とのことであった。朝食はホテル近くの海岸通りのカフェ・プロムナードでとる。明るい雰囲気の店である。ボリュームあるサンドイッチと紅茶(大きなバスケットにいろいろなティーバッグが詰まっていて自分の好みで選ぶ。ミルクティーが好みのわたしはイングリシュブラックフェスト、家内はダージリンを選ぶ。)でおなかがいっぱいになる。お値段も87Fとやや高め。もっともホテルで食べる半額であるが。白人のカップルや女性が食事しており、リゾート地らしくゆったりとした朝食風景である。しばらくすると、日本人が4人入ってきた。様子をみていると、親子連れで日本から来た老親をフランスに住んでいる若夫婦が案内していると見受けられた。私たちと同じようなメニュー注文しその量の多さに驚いていた。今夜はニース発20時35分のローマ行きの電車に乗る予定。時間はたっぷりあるので、ゆっくり食事してホテルに戻る。荷物をまとめてチェックアウトして、まずはタクシーでマチス美術館に向かう。シィミエ地区(ローマ時代は街の中心)を通り公園前でおろされる。美術館は生前のマチスの住居を利用したもので、作品だけでなく当時使用していた調度類や家具が展示されていた。作品の中にはへのへのもへじをモチーフにしているものがあり面白かった。漢字の額が飾られており東洋文化に関心を持っていたとは意外であった。外の公園にはオリーブの木が植えてあり、美術館をバックに写真を撮る。とても良いというよりは良すぎる天気で暑いくらいである。公園内にはローマ時代の遺跡があり、野外コンサート場として利用されていた。*日本語のリーフレットが用意されています。*「ジャズ」も展示されていました。 早かったので人は少なかったです。*壁の窓は、だまし絵です。次にシャガール美術館を訪問する。徒歩で15分くらい。途中は山の手の高級住宅街といった風情。曲がり角を確認するためガイドブックを見ていたら、男の人がその道でオーケーというしぐさで教えてくれた。シャガール美術館の前には観光バスが何台か停まっており、見学者で賑わっていた。館内は当たり前だがシャガールの作品一色。以前どこかで見た作品もあれば初めて見るものもある。シャガールの作品はあまり大きなものがないと思っていたが、館内には大きなサイズの作品が多数色調別に展示されており認識を新たにした。また、ミュージアムショツプには日本語のガイドブックも売っており人気の高さを示していた。館内には日本人の団体客がおり解説の一部を聞かせてもらった。フラッシュをたかなければ撮影可なので写真をとったが、日本人の中年女性ふたり連れは写真を撮るとシャッターが光ってしまい係員に注意されていた。いわゆるバカチョンカメラなので、家内がノーフラシュマークに合わせて写せば大丈夫と教えたにもかかわらず、光ってしまい係員にたっぷりと絞られていた。自分のカメラの操作くらい覚えて写してもらいたいものである。見学を終えて美術館の庭にあるカフェのテラスでひとやすみする。次から次へと入館者がやってくる。12時をまわっているがあまりおなかはすかない。ゆったりとしたひとときを過ごして、モナコに行くため駅に向かう。(続きます。)*赤、青、緑の別でした。*こちらはNYの国連本部ビル内にある作品です。 日付けからすると、国連総会が終わったころですね。 開会中は見学不可ですので、要注意です。 NYには、マチスの「ダンス」が近代美術館にあります。
2016.08.10
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続きです。クリックで拡大します。強烈な個性の人ですね。身体的なハンディを乗り越えて生きた人。自画像が印象的です。余談です。お昼は銀座本通り(2丁目?)の吉野家で牛丼並をいただきました。銀座でもお値段は380円でした。吉祥寺との違いは、店員さんのほとんどが外国人(チャイナさん?)で、お客さんも9割方は外国人で、中国語で注文していました。すごい活気でここはどこ?という感じです。牛丼よりもカルビ丼、プラス肉皿をスマホで撮影していました。ロンドンの「シンプソン」で、ローストビーフをいただくように、銀座ですから外国のお客様には、「らん月」あたりでゆっくりすきやきでもいただいてほしいですね。
2016.08.10
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Sony Aquarium の次に資生堂ギャラリーに向かいました。銀座8丁目の資生堂パーラーが入っているビルですね。*クリックで拡大します。フリーダ・カーロの遺品を写した写真展です。原色の壁に掲げられたパネルに囲まれると、不思議な感じです。語りかけられるというよりは、迫ってくるような感覚です。続きます。
2016.08.09
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*エズ ⇒ ニースホテルに着くと昼がサンドイッチだけだったので空腹をおぼえた。夕食まで時間があったので、日本の味カップうどんを間食がわりに食べた。その後家内は休憩、わたしは海岸通りを散歩に出かけた。名門ホテルネグレスコの見学がお目当てである。フランス国王ルイ14世の肖像画を飾った部屋と、大きなまるい天井のホール(昔はボールルーム)には驚いた。トイレも一風変わっていて少しびっくりするが、楽しい。*美術品も多いホテルです。次に今晩のレストランを物色したが、これといった中華料理店は見つからなかった。*ニースのランドマークですね。結局「亜細亜快餐」というデリカテッセンで中華料理の惣菜をテイクアウトして、ホテルで食べることにする。夕方、家内を起こし散歩がてら買い物に行く。モナコグランプリの絵がついた息子へのお土産のTシャツ(1枚59Fを2枚110Fに値切る。)を買い。デリカで夕食を仕込んでホテルに戻る。ワインとビール(ハイネッケン)も買って、しめて159F。旅に出て初めてのオリエンタル料理をおいしい、おいしいといって、やや多いかと思ったがすべて食べつくす家内でありました。天使の湾を眺めながら食べる中華はたとえテイクアウトであろうと、とても美味しく感じられた。事実、中国人がつくっていたので本当においしかったのです。ごちそうさま。(28,745歩 山登りでたくさん歩きました。)*ベランダからの夜景です。 右手にネグレスコが見えます。*こちらは天使の湾の絵葉書です。 砂浜ではなく、小石の海岸です。*我々が見たコートダジュール(紺碧の海岸)は、もっと濃い色でした。 季節や天候で違うそうです。
2016.08.09
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*ニース ⇔ エズ5月1日 (金) メーデー6時に目を覚ます。今日はとても良い天気で暑くなりそうである。果物とお茶で簡単に朝食をとって、エズ行きのバスに乗るためターミナルに向かう。ターミナルに着くと、何故か非常に閑散としていて様子がおかしい。バスが発着する気配が全く無いのである。家内が聞いたところでは、今日はメーデーで休日のためバスは運休とのことであった。ショック。前回の旅でオルセー美術館が休日のため夜間開館中止となった様に、旅では予期しないことがしばしばおきるとはいえ、大変ショックである。市内の美術館も閉まっているとのことなので、気を取り直して電車でエズに行くことにする。ただし、電車はエズ・シュメールという海岸近くの駅に停車するので、鷲ノ巣村のエズまでは通称ニーチェの道と呼ばれる山道を徒歩で1時間くらい登らなければならない。駅までの道には花を売る人が目だった。若い人が多く、メーデーの習慣であろうか。日本には見られない光景である。メーデーが労働者の祭典である以前に、メイポールで祭りを祝ったことに由来するのであろうか。駅に着くと切符売場はたいそう混雑していた。急ぐ旅でもないし、結構本数もあったので、10時半の電車に乗る。15分ほどで到着。*駅のホームですが、目指すエズ村はこの岩山の上です。 何も知らない家内は、まだ余裕です。 トルコやアラブ人からの攻撃を逃れるため、外から見えない場所に作った鷲ノ巣村は、 旅行者にとっては罪な村です。 エズの海抜は420m。看板の地図を見て行くものの登り口がわからず苦労する。一人旅の日本人女性(福岡の人でニースを中心に観光で来ているとのこと)も同様で、駅から登り口にたどり着くまでなんと20分もかかってしまった。*道路わきの小道を入ってこの標識を確認した時は、ホットしました。村をぬけると本格的な山道となる。家内は普段の運動不足がたたってか、5分ほど歩いたところで苦しそうな表情を示す。けがをしないよう、また下りもあるのであまり疲れないように休み休み行く。上を見上げると大きな岩がのしかかっており、下を見ると素晴らしいコートダジュールの海が広がっている。少ししんどかったが、素敵な汗を流したハイキングだった。*あまり整備されていなくて、民家のお庭に入り込むこともありました。夏は原宿顔負けの混雑となるというエズ村も、メーデーのせいかそんなに混んではいなかった。迷路のような村の道のあちこちには土産物屋が店を開いている。*ツアーのバスは何台か駐車していました。村の道の終点にあるホテルシャトーエザでひとやすみする。最初はここのレストランで昼食をとる予定であったが、家内があまり乗り気でなかったのと、下山のことを考えるとほろ酔い気分にはなれないので、テラスでお茶することにした。メニューを見るがクープとグラスの違いがわからず難儀する。結局クープを注文したが、日本で言うパフェでとてもリキュールがきいていて美味しかった。ガイドブックに載っているそのままの景色で、紺碧の地中海といま登ってきた海の村や駅舎が見えた。アメリカ人の女性にスナップ写真を頼むと、快くシャッターを押してくれた。(来年の年賀状はこれで決まりか。)レストランをのぞくと日本人の家族連れが食事をしていた。*ホテル前のテラスでお茶をしました。 ここのほうが見晴らしは断然良いです。*よく登ってきました。 達成感がありました。*石造りのこじんまりしたホテルです。テラスからの景色を十分堪能して、村の教会を見たりフラナゴールの香水工場に立ち寄ったりして下山の途についた。ひざが少しがくがくしたものの楽に降りられた。南フランスに来てまで山登りをすると思わなかったが、気持ちの良い汗を流すことができ良い思い出となった。(続きます。)*工場に入ると花の香りがいっぱいです。
2016.08.09
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*ニースひとやすみして、海岸を散策する。雲が重たくのしかかっていることもあり、風がやや冷たい。浜辺に出ている人はいても、泳いでいるひとは皆無である。*4月ですからトップレスの女性はいません。 6月ごろからですかね。海岸通りから迷路のような旧市街に入る。途中おやつにピザを食べたり、教会前の広場でアイスクリームをいただく。このあたりは土産物屋も多い。何軒か覗きながら、製造販売店でプロバンス調生地のトイレットペーパーホルダーを買う。(30F)いったんホテルに戻り、午後8時に食事に出かける。ニースといえばシーフード。先ほどの街歩きであたりをつけておいた海岸通りから少しはいった Le Grand Bleuに行く。明るいときに見た感じはぱっとしない様子であったが、日が落ちて暗くなると灯かりがムードを醸し出し、店の前には牡蠣やえび、魚がならべられてそれなりの雰囲気を出していた。五、六軒並んでいる店の中では最も高級そうな店であった。店の前ではドイツ人の年配のカップルがメニューを見ており、我々とともに店にはいった。1階はすでに満席(団体客が占領していた。)で、2階に案内された。2階は三分の一程度の入りだったが、すぐ隣にアメリカ人のカップルが着席し、30分もすると満席になった。席につくやいなや、今日のスペシャルといって持ってきたのは魚介類のグリル(450F)。なかなか美味しそうであったが、量が多すぎてパス。私はセットメニューで前菜は牡蠣、メインは魚介類のフリッタ(小魚沢山、カルシウム沢山で、なかなかボリュームがあり食べきれなかった。)。家内はアラカルトで海の幸のサラダとえびのグリル。それにふたりでハーフボトルの白ワイン。大変な混みようで料理が出てくるのに時間がかかったことを除けば文句無しであった。お勘定のほうも450Fとまあまあの御値段。10時半に店を出たが、店内にはまだ客がおおぜいいて賑わっていた。海岸通りは何と臨時の駐車場と化し、たくさんの車がならんでいた。ホテルの1階のカラオケも結構な賑わいであったが、歩き疲れて早めに(といっても12時近くだが)寝る。(28,405歩)*よく歩いた一日でした余談:『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)で想起するのは、リュック・ベッソン監督の映画です。1988年に公開。フランスとイタリアの合作。フリーダイビングの世界記録に挑む2人のダイバーの友情と軋轢、そして海に生きる男を愛してしまった女性の心の葛藤を描く海洋ロマン。10代からダイビングに親しんできたベッソン監督が、長年の夢だった“イルカに魅せられた潜水夫の物語”を、実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨールの協力を得て映画化。撮影は1987年6月から約9ヵ月に渡り、フランス、ニューヨーク、パリなどで行われた。公開後、ハイティーンの若者達の絶大な支持を集め、映画館前は長蛇の列。上映前と終わりには、割れんばかりの拍手が映画館を埋めるような狂騒となった。フランス国内の観客動員数は1000万人、パリでは187週連続上映という記録を打ちたてた。彼らは「Grand Bleu Generation」と呼ばれ、社会現象にまでなった。イタリア人フリーダイバー、エンゾはある男を捜していた。ギリシアの海辺の町で育ったエンゾはガキ大将で、誰よりも素潜りが得意だったが、彼が唯一認めていたのが、潜水夫の息子である一人の気弱そうな少年だった。ニューヨークで働く保険調査員ジョアンナは、自動車事故の調査でペルー・アンデス山脈の高地にいた。そこで彼女は、氷結した湖に酸素ボンベもなしに潜水していく1人のダイバーに出会う。ジャック・マイヨール。彼こそがエンゾが捜していた少年の成長した姿だった。シチリア島タオルミナで開催されるフリーダイビング競技会。エンゾ、ジャック、そしてジャックを追ってやってきたジョアンナの3人が出会い、運命の物語が始まる。何人もの挑戦者たちが、まずはエンゾの記録に挑むが、あえなく敗れる。そしてエンゾの記録を破るのは、当然ながらマイヨールだった。だが、この勝敗の後に寄せてきた荒波とは…。(ウィキより)タオルミナに行きたくなりますね。
2016.08.08
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夫婦でヨーロッパ PART2(コートダジュール編)*エクス・アン・プロバンス ⇒ ニース4月30日(木)13時過ぎ相変わらずきたないマルセイユ駅で、ニース行きに乗りかえる。駅の自動販売機でコーヒーを買って、エクスで買ったサンドイッチで昼食をとる。電車は空いており、1時間ほど走ると海岸が見えてきた。途中石油化学工場があり、リゾート地がずっと続いていると思っていたので意外な感じがした。*コートダジュールはお金持ちのリゾート地です。カンヌを過ぎるとリゾートぽくなってきて、3時半過ぎニース駅に到着する。随分大きな駅舎である。タクシーを拾ってホテルメリディアン・ニースに向かう。メーターを倒さなかったのでやや不安であったが、料金は60Fであった。市街は予想していたよりも大きく、デパートなどの商業施設や金融機関が林立しており、観光都市というよりは商業都市といった方が似つかわしいような雰囲気である。さて、ホテルの部屋は希望通りの、天使の海岸を望む高層階オーシャンビュー。ただし、改装したばかりのようで塗料のにおいがややきつく感じられた。最上階はまだ改装中であった。古い建物が並ぶ中でメリディアンホテルは近代的な造りで、設備も新しく新装開店といったところ。(続きます。)*テラスが付いたお部屋は608号室でした。*テロで血に染まるのはあってはならないことですが、夕日に染まるのは大歓迎です。*日本語の案内です。
2016.08.08
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ようやく暑くなり夏本番です。東大の構内も夏休みでひとが少ないようです。木々が日差しをさえぎってくれます。東大病院に行く途中に、犬の散歩に出くわしました。服を着せたり、雨の日はレインコートを着せたりしているのは井の頭公園でも見ますが、さすがにこれは初めてです。当然ワンセットは4足なのでしょう。散歩中に前足の靴のテープが外れて、飼い主が直していました。PS:海ほたるPAでは、紙おむつをした犬を見たことがあります。
2016.08.07
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夫婦でヨーロッパ PART2 プロバンス編1998年4月28日(火)-5月7日(木)フランス-イタリア*エクス・アン・プロバンス4月30日(木)6時起床。家内の健康は回復したものの、空模様はいまひとつぱっとしない。7時朝食。卵料理はないものの、ハムや乳製品は充実している。しっかり食べて、8時に散策に出かける。曇り空だが、朝早いので気持ちがいい。すでに露店の土産物屋が準備を始めている。家内が買いたそうな素振りを見せたが、無視してまず朝市をのぞく。日本では見慣れない野菜があったり、人参などはずいぶん細くて小ぶりである。しかも大きさがバラバラなものが多い。しかしながら、どれもみずみずしくいかにも今朝畑から収穫してきたという感じのする野菜がならんでいた。これに比べると我々が日本で買っている野菜は工業製品のようである。次に市庁舎に行くと、そこの広場では花市が開かれていた。価格は日本に比べるとずいぶん安いようである。サン・ソベール大聖堂を訪れると、パイプオルガンの練習を聴くことができた。タピストリー美術館は、改装中で閉館。雨脚がひどくなったので、ミラボー通りのスーパーに入って雨宿りする。野菜も肉も総じて安い。*フィルムカメラではこんなものです。*街なかのお店です。セザンヌの生家に立ち寄り、そこから通りを見ると遠近法の風景が展開しており、まさしく旅行前に読んだ「印象派の旅」の通りであった。時間があったのでグラネ美術館を見学する。同館所蔵の数少ないセザンヌの作品の何点かは残念ながら貸し出し中であった。こじんまりした美術館で、ここで初めてグラネという画家を知った。大噴水ロトンド(残念ながら水は出ていなかった)で記念写真を撮り、近くのお菓子屋さんに入る。名物にカリソンは見るだけにして、おいしそうなサンドイッチがあったので、今日のお昼に買い求める。ひとつ15Fで二人分30F。雨はあがっていたが、天気はもうひとつ。ひととおりエクスを見たので、予定より早めにニースに向かうことにする。(プロバンス編 おわり)*フランソワ・マリウス・グラネ(François Marius Granet、1777年12月17日-1849年11月21日) フランスの新古典主義の画家。 エクス=アン=プロヴァンス出身。*旅した日はこんな感じでした。 ベルサイユ宮殿の噴水も普段は止まっています。カリソン:プロヴァンス産のアーモンドと、メロンやオレンジのコンフィ(保存するため砂漬けにしたもの)が主な原料。細かく砕いたアーモンドとメロンの砂糖漬けをペースト状にして練り合わせて、表面にグラスロワイヤル(粉砂糖を卵白とレモン汁で混ぜ合わせたもの)で覆ったお菓子です。13世紀中頃に、エクス・アン・プロバンスのルネ王とジャンヌ王妃の結婚をお祝いしてつくられたと言われています。3か月くらい持つそうです。おまけです。サントン人形もともとは、イエス生誕にまつわる宗教的な人形でしたが、現在では、プリントコットンの衣装といきいきとした表情のお年寄りを中心に、プロヴァンスの風俗・生活習慣を反映した独特な人形です。天然素材の石鹸街なかの彫像です。
2016.08.07
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東急プラザから中央通りに向かうと、Sony Aquariumに遭遇しました。毎年開催しているそうですが、見るのは初めてでした。後ろ側から撮影してみました。餌やりは毎日2回、水槽解説は5回です。スタンプラリーをやっていて、うまくソニーショップに誘導されます。中央通りはこれから歩行者天国を始めるとのことで、車が締め出されていました。中国人を乗せた観光バスも見当たりません。ブランドショップにまじって、目を引いた巨大広告です。厚さ1mm。時計は、人間の皮膚に近づく?最近は携帯電話で済ませて、時計をしない人のほうが多いでしょう。私の時計の厚さは6mmです。祖父の形見の時計です。40年くらい前のものでしょう。その前は取引先からもらったシチズンのソーラーウオッチを使っていました。それ以前は卒業祝いに親戚からいただいた当時流行のデジタル時計でした。時計を買ったことがない?親にオメガのペア時計と家内に貴金属の時計を買ったくらいです。確かに自分用はないことに気づきました。興味がない?その反動か、昨年社会人になった息子は、今年ロレックスの時計をしていました。50万円だったそうですが、安いほうなのでしょう。彼は在学中からいくつか持っていました。Gショックというのでしょうか。なお余談ですが、いわゆるクォーツ時計のムーブメントは3~5ドルくらいでした。香港や中国で作っていましたね。免税店での酒たばこの景品の時計は、500円もしなかったと思います。香港のにせ時計売りの殺し文句は、「ムーブメントはセイコー製だから大丈夫」というものでした。原価は1000円以下です。
2016.08.06
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*エクス・アン・プロバンス到着マルセイユからエクス・アン・プロバンス行きの電車は、二等車のみのローカル線。山が見えてきてだんだん内陸部に入ってゆくのを感じる。家内は疲れたとみえよく眠っていた。30分ちょっとでエクスに到着する。*ポール・セザンヌ「赤い屋根のある風景 あるいはレスタックの松」 Paysage au toit rouge ou Le Pin à l'Estaque 1875-76年 オランジュリー美術館ホテルメルキュール・ポール・セザンヌは駅から20mくらいのところで、あまり近いので最初はうっかり通り過ぎてしまった。チュックインしようとすると、なんと予約がないといわれて断られる始末。今日は満室ではほかのホテルを紹介すると言われる。代金は前払い済である。ホテルバウチャーを見せてネゴするが埒があかない。結局、予約業者と連絡が取れたようで部屋の鍵をもらったが、お詫びの言葉がなかったのは遺憾。*エクスはポール・セザンヌ Paul Cézanne(1839-1906年)の町でもあります。どっと疲れて部屋に入る。部屋は二階の角部屋でかなり広かった。バスルームも広く、さっそくひと風呂浴びる。家内は部屋に入るなり元気がない。どうもお腹の調子が悪く、トイレの後ベッドに直行する。そうこうするうちに雨が降ってきて、暗くなるころには本降りとなる。ひとりで食事に出かける気にならず、簡単にすませて早めにベッドに入る。家内はオレンジのみ。昼食がいけなかったのか、それとも旅の疲れか。家内と天候の回復を祈る。(19,760歩)(続きます。)*今日は満室のはずなのに、与えられた部屋はスペシャルルーム?
2016.08.06
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*アルルの続きです。古代劇場や市内(12時から2時くらいまでは閉めている店が多い)をぶらつき、フォーラム広場にたどり着く。今日の昼食はゴッホの「夜のカフェテラス」(1888年)で有名なLe Cafe La Nuitでとる。店内には日本人客もいた。外は雨がぱらついてきて雨宿りにはグッドタイッミング。モッツァレッラチーズと野菜たっぷりのサラダはいかにも健康的。家内は魚、私はハーブがたくさんのった肉のステーキ(いわゆる香草焼きというものです。)がメインのランチコースと赤ワインを注文して200Fであった。朝からあわただしかったので、昼食は1時間半ほどかけてゆっくりと過ごす。これで天気は良ければ文句無しである。*絵画(クレラー・ミュラー美術館蔵)とそっくりなので感激です。帰り道お土産屋をのぞくが、布製のバッグやポーチは結構いい値段であった。朝からプロバンス柄の布地を買いたいと言っていたので、街の生地屋さんに入って布地を2m買い求める。いろいろな柄があって家内は目移りしていたが、青を基調とした黄色のまじった柄のものにした。一番高いメーター55Fの記事で110F。帰国後、吉祥寺でフランスからの輸入品の同じような柄の生地の価格を調べたらメーター1800~2500円であったので随分とお買い得であった。(2倍!ですね。)ベネチアングラスといいこの布地といい、吉祥寺にはたいがいのものが売っている。来た時にはあんなににぎわっていた市は、跡形もなくなっていた。近くのスーパーで水を買って、3時半のマルセイユ行きの電車に乗る。いまひとつぱっとしないお天気。山を越えたエクス・アン・プロバンスが良い天気であることを期待する。*プロバンス柄のトイレットペーパーホルダーも買いました。 5年くらい使っていましたね。約50分でマルセイユに到着する。駅舎に着くと妙な雰囲気である。というのはプラットホームや構内がゴミだらけでとても荒れた感じなのである。清掃の人がストライキでもしているのであろうか。とにかく汚く、ホームレスっぽい人が目につく。フランス第二の都市の玄関駅にしてはひどすぎる。当初は途中下車して観光しようという気もあったが、早々にエクス行きの電車に乗り込む。*旅番組でマルセイユが紹介されるたびに、この光景を思い出していまいます。 待っている人たちにも注目です。 どこから来た人たちでしょう。 場違いで危険なにおいがします。*汚い駅と言えばインドのニューデリーだそうです。 飛行機で入るか、列車で入るか、バスで入るかによって大きく印象が異なります。 飛行機で入って、観光地を回りバスで戻りましたが 郊外に大きなスラムが広がっていました。
2016.08.06
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有楽町のガードを抜けると東急プラザが見えてきました。オープン当時は大変な賑わいでしたが、今はどうでしょう。近づくと1階はBALLYです。婦人靴のフェラガモ、男性靴のバリーです。私は履いたことがことはないですが、履き心地は最高だそうです。宴席で脱いだ靴を見たら半分以上が、バリーだったことがあって笑ってしまいました。エレベーターを上がると最初のお店がここです。TWG とは、 "The Wellness Group" という企業名の頭文字だったのですね。Twiningsとは別物なんですね。紙袋には関係ない都市名が印刷されていたり、訴訟を起こされたりしてるみたいです。更にネットにはこんな記事が、「TWGのパッケージや食器を見て、「マリアージュ・フレール?」とフランスの紅茶を思い出す人も多いはず。で、TWGはマリアージュフレールのそっくりさんどころか、香港生まれで紅茶と関係ないファミリービジネスをしていたインド系TWG創業オーナーが「2004年にパリのマリアージュ・フレールで惚れこんだ」とマリアージュ・フレールに影響を受けて紅茶ビジネスを始めたことを、堂々とForbesで語っています(笑)。しかも、その時に挨拶したマリアージュ・フレールの店舗責任者を引きぬいて社長に据え、TWGを立ち上げ。・・・」さすがインド系、商売上手です。やり手の人物を引き抜いたようですから、品質は問題ないのでしょう。 (2015.08.31 17:02:24) ジゼルさんのブログに私が書いたコメントです。http://plaza.rakuten.co.jp/1993giselle/diary/201508310000/comment/write/#comment店員さんは中国人ぽかったです。シンガポール人?同じフロアにはこんなものが、ただいまサマーセール中です。その上の6階はこんなです。オープン当時評判になった切子ラウンジですね。27mの吹き抜けです。ここは夜のほうがいいみたいですよ。こちらは東京オリンピックのオフィシャルショップです。今は並ばなくとも大丈夫です。食堂街を抜けて屋上に上がりました。植物の壁は最近の流行ですね。吉祥寺の駅やユニクロでも見られます。都知事選の日ですから人出は少ないです。東京駅方面もがらがらです。ひとり用だと思うのですが、おばさん二人が利用していました。プールかと思ったら深さは20cmほど。お店は夜なので、昼間は一般開放中です。物販店については関心がありませんが、面白いと思ったのはこれです。シルバーのマネキンです。生々しさがないので、裸?でもOKです。話題のスポットなので、取りあえずのぞいてみました。
2016.08.05
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続きです。呼んだタクシーが来るのが遅くて焦ったが何とか間に合い電車に乗り込む。車内にはアメリカ人の年配グループがいっぱい。最近あまり見なかったが、景気が良くなったのか幾分増えてきたような気がする。それにしてもほかの国の人たちに比べると賑やかなのであまり歓迎できない。ひとりひとりならとてもフレンドリーで良い人がおおいのだが。*今はチャイナさん、昔は日本人、その前はアメリカ人でした。 30年前に家族旅行でタイに行った時も、買春観光のおじさん団体客には閉口しました。 農協ツアーは下火の時期でしたが、同国人としては恥ずかしかったですね。 韓国人に比べて金払いが良い?のが、取り柄とか。30分でアルルに到着する。さっそく荷物をコインロッカーに預けようとするがどれも故障しているようである。ツーリストインフォーメーションで尋ねると駅に行けとのことである。結局駅で預かってくれたが、言葉が通じないので結構骨が折れた。なまじコインロッカーなんかがあるから余計苦労したともいえる。アルルの街はアビニヨンと同じ大きさで、歩いて回るにはちょうど良い大きさである。駅から200mほど歩くと城壁の跡があり、その前の広場では朝市がたっていた。ガイドブックに載っていたが、想像していたよりはひと回り小さい規模だった。でも、八百屋あり花屋あり雑貨屋ありで見ていて楽しかった。魚屋まであったのには驚いてしまった。*雑貨店と花屋です。 帰りには跡形もなくなっていましたので、お昼頃までだったのでしょう。*こちらがその魚屋さんです。 お魚は地中海でとれた生まぐろでしょう。 日本なら試食があるのでしょうが、生は食べないのでお醤油もわさびもありません。 旅の途中でなければ、大トロをいただくところです。朝市を覗いて城内に入ったところで、家内に思わぬアクシデントが起こった。家内が、歩道にあった犬の落とし物を踏んでしまったのである。相当気持ちが悪かったのか、その感触に絶句していた。とりあえず水溜りで洗って大方きれいになったが、闘技場の水道で完全に洗い落すまで気にしていた。それにしてもアルルだけでなくエクスやニースも事情は同じで、どうも南フランスでは日本のように飼い主が始末する習慣はないようである。では誰がするのだろうか。アルルでは駅の帰り道、歩道に面した家の住人が洗い流していた。ところ変われば品変わるですね。朝市の後は円形闘技場を訪れる。前回ローマのコロッセオを見ているのでそれほどの感激はないが、ほぼ完全な形で残っており現在も闘牛やコンサートで使われているというのは驚きだった。また電車で遭遇したアメリカ人の団体さんもいた。塔の上に登るとアルルの街並みが一望でき、くすんだオレンジ色の屋根が歴史を感じさせる。気になっていた汚物を闘技場の水道で洗い流して気を取り直した家内は、昔見た映画「フレンズ」の舞台の地アルルに来ることができ、しかも映画に出てきた闘技場に立つことができて感無量のようであった。(続きます。)*円形闘技場=アンフィテアトルム(ラテン語:amphitheatrum、英語:amphitheatre)は 紀元前80年頃から3世紀まで古代ローマの各都市に建設され、現存する最古のものは ポンペイですね。*『フレンズ〜ポールとミシェル』(Friends):1971年のイギリス映画14歳の少女と15歳の少年の恋愛と出産、現実の過酷さを描き、当時は珍しかった10代の少年少女の恋愛、妊娠と出産が話題を呼び、世界的にヒットした作品となった。父娘家庭の14歳のミシェルはアルルで画家の父親と住んでいたが、その父親が死亡したことで孤児となり、従姉妹のアニーを頼ってパリに来た。しかし、アニーはピエールと言う男と同棲を始めており、居心地は良くなかった。ミシェルはアルルに戻りたいという想いが募っていた。一方、パリに在住している英国人の15歳のポールは父親の後妻とその連れ子に対して反感を抱いていた。動物園で知り合った二人は、やがてお互いの家庭の不満から家出して、ミシェルの父親の別荘があるアルルに行く事にした。アルルの美しい自然の中で二人の気持ちは急速に接近していった。しかし生活という現実から二人は逃れる事は出来ず、ポールは仕事を探し、見つからないときは猟師が捨てた雑魚を拾って持ち帰るという貧困生活に明け暮れていた。そんな中でも二人は結ばれ、やがて妊娠し、医者に頼らず二人で出産した。赤ん坊は順調に育ち、ポールの仕事もようやく軌道に乗ってきていたが、ポールには捜索願が出されていて地元の警察がポールの存在を知ることになった…(ウィキより)公開当時は、ショッキングな映画でした。私は、白い馬と出産シーンしか覚えていません。
2016.08.04
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さて、この催しものでは、テディベアのコンテストもやっていました。会場の一画に参加作品が展示されていましたが、こちらはなぜか撮影禁止でした。会場でいただいたチラシをアップします。全部で100点近くです。クリックで拡大します。作り方の学校や教室もあるようで、ブースが出ていました。何でもあるのですね。かわいい作品がいっぱいです。大きさやタイプごとに授賞するようです。家内が行けなくなったのでひとりでさらりと見させていただき、次の展覧会に向かいました。あまったチケットは会場前で持っていない人にプレゼントしました。ひとり1000円だそうです。有楽町にはこんなブースが、銀座の売り場が有名ですがこちらはどうでしょう。当たるといいですね。でも、交通事故に遭うよりも厳しい確率だそうです。ちなみに、私は2度当たっています。3万円?と10万円です。もちろん交通事故のほうです。
2016.08.04
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東京国際フォーラムに行ってきました。東京駅から歩いて入ると大田道灌さんが迎えてくれました。有楽町に東京都庁があったころに、開都五百年記念として1956年に製作されました。朝倉文夫さんの作品で1958年2月除幕。都庁移転に伴い東京国際フォーラムガラス棟に移設されました。新聞屋さんからチケットをいただいたので、のぞいてきました。会場にはブースがいっぱいです。入り口にはグロテスクなぬいぐるみが。何か関係があるのでしょうか。もしかしてこれがお友達?こちらは熊つながりですね。英国からの参加ですね。昔ロンドンに出張するたびに、リージェント通りのテディベアハウスというお店で娘たちのお土産に縫いぐるみを買っていました。こちらは、ニュージーランドです。どこも快く写真撮影をOKしてくれました。となりには、マツコさんと写っている大きな縫いぐるみが展示されていました。こちらはダッフィーちゃんでしょうか。我が家にも何体かあります。ディズニーランドで都度新作が出るそうです。テディベアの由来について(ウィキから)1902年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出掛けたが、獲物をしとめることができなかった。そこで同行していたハンターが年老いた雌熊(一説には傷を負った子熊)のアメリカグマを追いつめて最後の一発を大統領に頼んだが、ルーズベルト大統領は「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかった。このことが同行していた新聞記者のクリフォード・ベリーマンによって挿絵入りでワシントンポスト紙に掲載され、この挿絵のベアは、「ベリーマンベア」とよばれる。このエピソードにちなんでロシア移民モリス・ミットムがアイデアル社(Ideal Novelty & Toy)をおこし最初からルーズベルトの逸話に触発されて熊の縫いぐるみを製造したのが、アメリカ国内初のテディベアメーカーといわれている。一方、同じ頃ドイツのマルガレーテ・シュタイフのおこしたシュタイフ社(Steiff firm)によって、元々はルーズベルトの逸話と無関係に1902年に作られた熊の縫いぐるみが大量にアメリカに輸入されており、その発注が1903年3月のライプチヒのトイフェアへの出展に端を発するなど公的記録が残されている事から、世界初のテディベアメーカーとしてはシュタイフ社とする説もある。いずれにしても、テディベアという呼称は新聞記事が最初であり独占的な商標でない事に変わりはない。セオドア・ルーズベルトの誕生日である10月27日が「テディベアの日」と言われているのは、世界的な記念日ではないが、愛好家たちが設定している記念日である。日本では日本テディベア協会がルーズベルトの逸話にちなみ「相手の事を思いやる気持ち」をベアを通して伝える日にしようと提唱している。
2016.08.03
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4月29日(水)7時起床。昨夜寝たのが2時頃だったので5時間くらいしか眠っていない。飛行機や電車の中で眠っていたので、そう眠くはない。お腹のほうも昨夜はほとんど食べていないので、空腹状態である。家内が支度している間にシャワーを浴びて、食堂に行く。朝食付きなのでコンチネンタルかなと思いきや、ブッフェスタイルの豪華な朝食であった。明るいテラス席で朝食をとるのは気持ちが良い。いつもはハムを食べない家内だが、おいしいとみえて結構食べていた。(お腹をこわさなければいいのだが)*プロバンスの代表的な3都市です。*いずれも電車で行けるところです。 「フレンチコネクション」のマルセイユにも立ち寄りたかったのですが、・・・。10時50分発のアルル行に乗る予定なので、アビニヨンを観光する時間は残念ながらあまりない。9時にホテルを出て、まずはすぐ裏のサン・ベネゼ橋に行く。橋の中ほどにはチャペルがあったりしてただの橋でないことをうかがわせる。ローヌ河の中ほどで途切れている橋の先端に立つと、城壁で囲まれた教皇庁の建物が一望できる。灰色の壁が威厳をもってそそり立ち中世の城を思わせる。外国人のカップルと互いにスナップ写真を撮りあった。*橋は川の中ほどまでです。*橋の端からの写真はアップできませんので、イラストです。 記念撮影スポットです。*朝一番はすいていましたが、観光客が増えています。次に毎年夏に演劇祭が行われる教皇庁前の広場を通り、街の中心部に出る。広場は昨夜誤って連れていかれたホテルや市庁舎に囲まれて、一画にはメリーゴーランドが設置されていた。10分も歩くともう街はずれに出るといった具合で、教会をのぞいたり眺望によい公園に上ったりして、一通り街なかを歩いてホテルに戻った。本来ならカフェでくつろいで、もっとこの街の雰囲気を味わいたいところだが、今日はこれからアルルに立ち寄って、エクス・アン・プロバンスに行くという盛りだくさんなプランなので致し方ない。アビニヨンが予想以上に良かっただけに少し未練が残る。(続きます。)*広場に立つと教皇庁の建物に圧倒されます。 想像以上に大きな建物でした。*公園からですが、なぜパンフレットは冬景色なのでしょう。サン・ベネゼ橋(仏:Pont Saint-Bénézet):(ウィキより)建設されたのは1177年から1185年にかけてである。22連のアーチ橋であり長さは920m、幅は4mあった。1226年、ルイ8世がアヴィニョンに攻めてきたときに、橋の4分の3が破壊された。数年後、禁止されていたにもかかわらず、アヴィニョンの人たちは橋を再建し始めた。以前の橋は下のサン・ベネゼ礼拝堂と呼ばれるチャペルしか残っていない。次の橋の橋床はかさ上げされ、その上にサン・ニコラ礼拝堂が建てられたからである。歩行者と騎馬通行者のために作られたものなので、橋の幅が非常に狭く、また老朽化も著しいので、歌にあるように橋の上でみんなで輪になって踊るのは不可能である。実際に歌ったり踊ったりしていた場所は橋の下の島であった
2016.08.03
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今朝は雷の音で目が覚めました。雷は都心からこちらのほうに近づいて、10分ほど雨が降りました。しばらくして窓を見ると、西側の空に虹が見えました。一部雲にさえぎられていますが、180度近い大きな虹でした。アップです。
2016.08.02
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続きです。12時アビニヨン到着。ここで結構乗客が降りる。深夜到着で心配していたタクシーも駅前に数台停まっていて、メルキュールホテルと言ったら4軒あると言われた。Palais Des Papesと書いた紙を渡したらOKと言って連れて行ってくれた。アビニヨンの街は城郭に囲まれていて、深夜のせいで人影はなくこじんまりした街並みであった。家内は期待通りのプロバンスの街で感激しているようであった。*TGVの駅から中心部までは、南に2.3kmです。*Palais des Papes とは、教皇庁ですね。 *地図の上のほうにローヌ河が流れています。ホテルにチェックインしようとしたら、フロントの人がここは私たちが予約したホテルでないと誤りを指摘してくれて、タクシーの運転手を呼び戻してくれた。タクシーが連れて行ってくれたのはCite de Papesであった。こちらは予約したホテルよりワンランク下のホテルだが、広場に近い事や外観からするとここでも良いかなと思った。予約したホテルに着くとフロントが私たちを待っていてくれて、面倒な手続きなしで部屋の鍵を渡してくれた。(たぶん連絡がいったのでしょう。)部屋はプロバンス調のカーテンで、壁にはゴッホの絵がかかっていた。いかにも南フランスに来たという感じがわいてくる。ひと風呂浴びて長い旅の第一日目を終えた。(14,003歩)*今回は万歩計持参です。この日は自宅からですね。*予約したホテルはバスタブのある4つ星でした。*プロバンス調はこんな感じです。 生地は吉祥寺の手芸店でも手に入ります。
2016.08.02
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