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私は生来の花粉症持ちだが、花粉の時期以外にも時々発作のようにくしゃみと鼻水が連発することがあり、悩まされている。ただその状況は花粉症の時のそれとは全く異なる。花粉症の時はまず鼻詰まりが起こり、粘り気のある鼻水が出てくるのだが、今くらいの(ある意味シーズンオフ)時期に出てくる鼻水は、あたかも水のようにサラサラで、意識しているいないとは無関係にタラタラと流れてくるのである。実はそういった症状が出る時には、少々思い当たる節がある。例えば前夜、テレビを見ながら寝落ちした、とかいう時だ。カラダが冷えて風邪っぽい症状にでもなったかな、という状況だ。しかしここ最近そういった「寝落ち」をした記憶はなく、あれこれ考えた結果、風呂上りにカラダが冷えるのではないか、という結論に達した。私は昔から汗っかきで、その上なかなか汗が引かない体質だ。だから特に夏場、風呂から上がってカラダをよく拭いても、後から後から汗が噴き出してくる。そんな状態でTシャツなど着てもびしょびしょになるだけだから、汗が引くまで結構長時間、上半身は裸でエアコンの効いた部屋にいることが多い。きっとそれが良くないのだろう。そう思って先日から、どんなに汗をかこうとも風呂から上がってすぐにTシャツを着るようにした。不快感は致し方ないが、それが良かったのだろう、それ以来発作は起こっていない。汗をかくのは体の表面の体温調節のためであると認識している。ただ体質的にそのあたりを司る自律神経がうまく機能していないのかもしれない。年齢によるものなのかどうかわからないが、自分でコントロールできない部分というのはやっかいなものだ。
2024年07月26日
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今年、ひょんなことで総合病院の緊急外来に担ぎ込まれたことがあった。まあそれに関しては結果的に大したことではなかったが、担当した医師から、毎日血圧を測るようにというお達しがあった。血圧というと、私は自信をもって「低血圧人間」であると言えるくらい、今まで血圧を測って高かったためしがない。しかし年齢も年齢だし、気を付けるに越したことはないということで、近所のドラッグストアで6,500円位の血圧計を購入した。それから毎日、朝と晩、一日2回ずつ定期的に図る日々を続けているが、そうやって続けているとなかなか興味深いことが見えてくる。私は今まで血圧を測っても、上が110を超えることが無かったが、最近毎日測っていると、上は常に120台で、ときどき130台なんて値も見られるのだ。これについては加齢によるものと理解するしかない。あと面白いのは、酒を飲んで酔っ払っている時に測ると比較的低い値になる、ということだ。これは今まで知らなかった真実だ。血圧って、結構奥が深い。
2023年12月04日
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今年の夏くらいから水泳を始めた。日頃の運動不足を痛感し、何か始めなきゃ、と思っていたのだった。最初に考えたのはランニングだったが、これは私の持病(「ざ」と「ず」の間)に直接的に響いてくると思われたので却下。水泳ならほとんどカラダに負荷が掛からないからいいだろう、ということで始めた。始めたといっても、もう何十年もまともに泳いでないので、今のところは可愛いものだ。25mプールを行きは泳いで帰りは歩いて、それを20往復位、月に数回のペースでやっている。仕事の都合で行ける日や時間が限られているので、その程度ではある。そこでタイトルにも書いた「楽しくなってきた」の真意だが、上達したということでは無い。ハナシは前後するが、私はこの春から30年以上使い続けたハードコンタクトレンズをやめて、使い捨てタイプのソフトコンタクトレンズに切り替えた。ハードコンタクトレンズは高価なので、今まで水泳の時には外していた。ソフトに切り替えてからも、それまでの流れで装着せずに泳いでいた。しかしある時、コンタクトレンズを装着したままで泳いでみようと思った。泳ぐときはゴーグルをしているので、そもそもコンタクトレンズが外れる心配は無いのだが、万が一外れることがあっても、使い捨てなら気にもならないだろう、と思ったからだ。そういうわけで先日、初めてコンタクトレンズを装着したまま泳いでみた。するとどうだろう、「水の中の世界が変わった!」まるでハズキルーペを掛けた渡辺謙さながらにつぶやいた。今までド近眼の私にとって、プールの中の世界はぼやけたままだったが、それが今や皆クリアに見える。プール底に引かれたラインもくっきり見える。なので、私がひと泳ぎで進んだ距離も具体的によく分かる。ちょっと泳ぎ方を変えると、それが目に見えて理解できる。これは今までになかった感覚だ。視界がクリアになったことで、泳ぎに対するモチベーションがこれほどまでに変わるとは、全く思いもよらなかった。しかしそれだけではもったいない。今まではレジャープールに行っても、裸眼で視界がぼやけたままだったが、今度そういうところに行く機会があればコンタクトレンズを装着して、水着ギャルを心ゆくまで拝ませてもらうとしよう。
2018年12月24日
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先日、定期健診を受診した。カラダが資本の自営業者には欠かせないミッションだ。そのメニューの中に、「胃がん検診」がある。そう、バリウムを飲んでクルクル回らされる、あれだ。あれが好き、という人はおそらくほとんどいないだろう。私も嫌いだ。ただあれが嫌いなのは、バリウムを飲むことによる膨満感だとか、クルクル回らされることのしんどさとか、そういうことでは無い。検診が終わった後は、速やかにバリウムを体外に排出する必要があることから、例外なく下剤を飲まされる。ただ私は慢性的に腸が弱いせいか、日頃からよく下痢気味になる。そんな私が下剤を飲もうものなら、もうあとは推して知るべしだ。そんなことなら飲まなきゃいいじゃないか、とも思うこともあるが、万が一のことを考えると、指示に従わざるを得ない、と思ってしまう。検診そのものよりも、終えて帰った後の方が、私には地獄なのだ。汚い話ですみません。
2018年06月28日
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先日訳あって、行きつけとは別の歯医者に行ったときのこと。 医「歯ぎしりが結構ひどいでしょう。」 私「いや、歯ぎしりなんて全くしませんけど。」 医「でも寝てる間で気付かないんでしょう。ご家族の方から言われませんか?」 私「いや、まったく聞いたことが無いんですよ」 医「でもこの歯のすり減り具合は....」ここまできて「あっ!」っと思った。歯ぎしりしてるわ....。ただこれは、世間一般で言う「歯ぎしり」と同一のものではない。前に何度か書いたことがあるが、私はドラマーだ(やくざなドラマーではないが)。ドラマーというのはその習性として、音が鳴っていればどこでもリズムを取りたがる。いや音が鳴っていなくても、脳内で音を鳴らせながらリズムを取る。もっともそれは他人から見たら「貧乏ゆすり」でしかないかもしれないが。リズムを取る時は、手が空いてれば手を動かす。手が空いてなければ、足を動かす(これが貧乏ゆすりと間違えられる)。そして両手両足がふさがっている時、あるいは歩いてる時はどうするか。そう、歯をこすり合わせながら、無意識のうちにリズムを刻んでいるのだ。これが「歯ぎしり」の真相だったのだ。しかしこれによって歯がすり減っているとは、全く思いもよらなかった。これを機に止めるようにしよう。
2017年12月04日
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ちょっとしたきっかけでよく「しゃっくり」をする。そう頻繁にというわけではないが、私の家族も含め、私の周りでしゃっくりをしている人をあまり見ることが無いので、ひょっとしたら病的なものではないか、という不安を抱いたりもする。一応止め方も心得ているので、それほど問題は無いのだが、とにかく鬱陶しくて仕方がない。世の中から「しゃっくり」など追放できればいいのに、といつも思う。そもそも人体に「しゃっくり」が存在する必要性って、あるんだろうか?
2017年05月23日
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私の自慢は、体重の増減があまりないことだ。短期的にはもちろんのこと、長期的にもたいして変動が無い。私の記憶に間違いがなければ、ここ10年間くらいはずっと67kg前後を維持していた。「維持していた」と過去形になっているのは、このところちょっと怪しくなっているからだ。今年の正月に70kgの大台に乗った。まあ正月は何かと食べる量も増えるので、例年体重も増えるものだが、いつもならしばらくすると、元の水準に戻るものだ。ただ今年に限っては今のこの時期にいたるまで、ずっと69kg前後で推移している。原因は全く不明だ。考えられる要因としては、昨年5月を最後にジムトレをしていないということが挙げられる。つまりまったく運動をしていないわけだ。ただジムトレと言ったって、週1回行くか行かないかというレベルだっただけに、それが無くなったところで、さして影響はないのでは、と思わなくもない。もうひとつ考えられるのは、単なる「食い過ぎ」だ。「主婦か!?」「全部食べちゃったの!?」このふたつのエントリーにあるように、私は「そこにあるもの」を全部食べようとする、困った性質がある。それでも一時は体重の増加を懸念して、意識的に食べないように気を遣ったこともあったが、困ったことに正月を過ぎると、そんな感覚もキレイサッパリ無くなってしまう。ただ唯一の救いは、これだけ無節操に食べても、体重増加が2kgで収まっていることだ。たまに他の人の話で、体重が10kg単位で増減したりする人がいるが、自分の体が短期間にそれだけ変わってしまうとはどういう感覚なんだろう、と思ってしまうのだ。
2017年04月13日
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まったく我ながら、自分の馬鹿さ加減にも呆れてしまう。昨夜、多少酔っぱらった状態でダイニングチェアーに腰掛け、テレビを観ていた。こういう時よくうたた寝をするのだが、普通は後ろにもたれかかって眠る。ところが昨夜は、たぶん身を乗り出すようにしてテレビを観てたんだろう。ちょっと意識が遠のいたな、と思ったら次の瞬間、全身に強い衝撃を感じた。どうやらうたた寝したまま、前に倒れてしまったようだ。しかも倒れたところはフローリング(泣)。まったく無防備の状態で固い壁に激突したようなものだ。とりあえず冷静になって、傷んでいるところをチェックした。まず右こめかみあたりにたんこぶが出来ていて、顎を動かすと痛い。右肩の骨の出っ張ったところが痛い。そして右ひざに擦り傷。とりあえずそのまま布団に入って寝て、翌朝再度確認するとした。で、今朝起きてみると、右ひざは大丈夫、こめかみもまだ腫れているが大したことはない。しかし右肩の痛みがハンパない。一見腫れてはいないので、骨が折れているわけではないと思うが、大事を取って今日の午前中に整形外科を受診した。レントゲンを撮ってもらったが、とりあえず骨に異常はなし。ただの打ち身なので、日が経てば痛みは治まるよ、と、貼り薬のみもらって帰ってきた。まあ大事に至らなくて良かったが、ちょっと考えなくてはいけないな。だいたい酔っぱらってうたた寝するとロクなことが無い。うたた寝している間に腕の神経を挟んでしまい、「橈骨神経麻痺」というのにもなったし、うたた寝している足にファンヒーターの熱風が直撃して、脛に潰瘍ができたこともある。妻には「酔って帰ってきたらさっさと寝なさい!」と叱られてしまったが、何だかすぐに寝るのがもったいなくて、ついテレビを観たり本を読んだりしてしまう。貧乏性なんだろうな、きっと。でももっと深刻な事態になっても困るので、あえて文章にして戒めとせねばと思ったのだ。こういうことは実名が判るSNSでは到底書けないので、あえてここに書かせてもらった。
2016年09月27日
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「リカーマンさんはいつも元気ですね~」と、よく言われる。特にウチは休みも少ないうえに、朝から夜遅くまで長時間営業だから、そのあたりも踏まえて「よくカラダがもつなあ」と言われることも多い。確かに考えてみれば、ここ数年風邪をひいたこともない。もっとも正確に言えば、風邪くらいひくことはあるが、寝込むほどのことはまったくない。かといって、これといった健康法があるわけでもない。でも自分の生活を改めて振り返ると、反対に不摂生をしているということもない。特別な運動はしてないが、日々の仕事の中で適度にカラダは動かしている。食事の時間はほぼ一定していて、メニューも特に偏ったりはしていない(と思う)。酒はほぼ毎日適量をたしなむ(休肝日は週1回あるかないか)。そういえば食生活ということで言えば、思い当たるフシが無いでもない。カップめんやスナック菓子などのジャンクフードの類や、炭酸飲料などのような、一般的にカラダにあまり良くないとされるものを摂取することが、パタリと無くなったのだ。こういうのはあまり書きたてると偏見になってしまいかねないが、あくまでひとつの見解として、記しておこうと思う。
2016年01月27日
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世はマラソンブームである。私の友人にも、フルマラソンはおろか、100km超のウルトラマラソンに挑戦している者もいて、まあ恐れ入るばかりである。私はといえば、時々ジムのマシンで走ることがある程度で、本格的にロードに出て長い距離を走るなどということは、ほとんどない。もっとも私も、走る気が全くないわけでもない。むしろチャンスがあれば、いろんなところを気持ちよく走ってみたいと思う。しかしそれがなかなか実現できない。まあ、それはオマエの怠慢だ、と言われれば、返す言葉はない。ただ、言い訳にしかならないが、走りたくても走れない事情もある。ひとつには仕事の拘束時間が世間一般に比べて異常に長く、走る時間が取りづらいということだ。そしてもうひとつが決定的な原因なのだが、以前にも話題にした「『ざ』と『ず』の間」なのだ。この「『ざ』と『ず』の間」を患う原因は人によってさまざまかと思うが、私の場合は下半身に力が入ることで悪化する。意識的に下半身に力を入れるのでなくても、例えば普通に歩いたり走ったり、あるいは長時間立ちっ放しになったりすることでも、その症状は出て来る。例えば仕事でよく出かける展示会や試飲会、ああいった場でも数時間立ちっ放しになることで、やはり帰ってからが辛くなったりする。ジムトレで走るときも、調子に乗ってあまり長い時間走っていると、てきめんに効いてくる。そういったわけで、私はなかなか走れないでいる。だからどうなんだ、と言われればそれだけの話なんだが.....。
2015年06月03日
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私の周りに、鬱で悩んだことのある人が少なからずいる。でも私自身はそういうのとは無縁だろう、と思っていた。ところがそうでもないようだ。先日、あることがキッカケで、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまった。いつもなら翌日になるとケロッと忘れてしまうのだが、この時は違った。そのことを皮切りに、私の中のネガティブな部分が次から次へと顔を出し、それは「もう止めよう」と思う私の意識とは裏腹に、どんどん増殖し、もはや歯止めが利かなくなってしまうのだった。半月ぐらい、そんな鬱々とした気分が続いただろうか。いつどんなキッカケで元に戻ったのか、今ではよく思い出せないのだが、あれは一種の「鬱」体験のようなものだったんだろうか?どんな人にも「鬱」は起こりうる.....いつか聞いたそういう言葉が、今の私には他人事には聞こえなくなってきた。
2015年05月16日
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私と花粉症との付き合いは、今年でかれこれ23年目となった。もうすっかりベテランの域である。そんな私の、今年の状況だが、例年に比べて比較的ラクである。昨夏が冷夏で、杉の生育が良くなかったせいもあるのかもしれない。いずれにしてもウレシイことだ。ただよく分からないのが、普段ずっと調子が良くても、不意にどうにもならないくらい調子が最悪な日があることだ。それはだいたい週に1回くらい、天気などには関係なくやって来る。そんな日はもう鼻の中のダムが決壊したかの如く、鼻水垂れ流し状態である。ところがそれが翌日になると、ケロッと治ってたりするから、ますますよく分からない。花粉の特性なのか、あるいは私の体が気まぐれになってきているのか....。
2015年04月23日
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以前よく通ってたスポーツジムに行かなくなってから、もうかれこれ1年以上になる。それにつれて体型の方も、かなり怪しくなってきている。今まで通っていたところになぜ行かなくなったのかというと、何とも単純な理由なのだが、私が行ってたジムの閉館時間が早くなったために、私の仕事が退ける時間からでは間に合わないのだ。もちろんこれが最大の理由ではあるが、運動なんてその気になればできるものだ。そこでもうひとつの理由が顔を出す。いわゆる「『ざ』と『ず』の間」だ。ひところに比べれば随分マシにはなってきたものの、まだまだ油断はできない。とにかく「アレ」は、下半身に力を入れることで一気に悪化するからだ。今まででも、例えば長い時間立ちっ放しでいたり、長い距離を歩いたり走ったりするたびに、いったん治まってたものが急激に悪化する、といったことが何度もあったのだ。そういう意味で言うと、ジムのマシンで筋トレしたり、マシンに乗ってランニングしたりすることは、アレを悪化させるには十分すぎる行動なのである。そんなことをたまたま妻と話していたある日、妻からこんな提案があった。「水泳ならいいんじゃない!?」なるほど、確かに水の中なら下半身に過剰に力が入ることも無かろう。何より水泳は全身運動だから、バランスよく体を鍛えることができるだろう。その手があったか、と、ぽ~んとひざを打ったはいいが、ここへきて新たな問題に遭遇する。その数日後、左足の脛の「潰瘍」が勃発したのだった。こいつができて以来、私は風呂ですら左脚を湯船に浸けられない生活を送っている。もっとも、浸けたら直ちにどう、ということではないのだが、それだけ治りは遅れるという。発症してからもうかれこれ2か月半経つが、「長く掛かるよ」という医師の言葉は嘘ではなかった。そんな状態で水泳などしようものなら、なおさら治りが遅れるのは必定だ。そんなこんなで、今のところどうしようもない私なのであった。
2014年06月23日
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慢性的に鼻炎を患っている私は、現在毎日市販の鼻炎薬を服用している。年ごとにばらつきはあるが、毎年だいたい春先から始まって、7~8月くらいまでは飲んでいる。もちろんこんなもの飲まないに越したことはない。一刻も早く止めたい。一説には薬も飲み続けていると、カラダが“薬慣れ”してしまうという話も聞いたことがあるので、ここらで「脱薬」をしようと考えている。まずは「毎日」の服用を、「1日おき」に減らすということで、さっそく昨日抜いてみた。すると昨日1日、さしたる支障もなく過ぎていった。これはいけるぞ、と思った矢先、今日になってみると、朝からひどいクシャミと鼻水に襲われた。すぐに薬を飲んだものの、これがなかなか効いてこない。結局今日1日、仕事が手につかないほどに苦しめられた。自然の摂理に逆らったがために、「倍返し」を食らってしまったのか?そんなバカバカしいことすら考えてしまうほどに、脱薬の難しさを改めて痛感した。
2014年05月12日
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「潰瘍」というから「胃潰瘍」のことかと思ったら、「潰瘍」=「胃潰瘍」ではなく、あくまでも胃で起こる「潰瘍」だから「胃潰瘍」であって、必ずしも「潰瘍」が胃のみで起こるわけではない.....。とまあ、ワケの分からないことを書いているが、早いハナシが私が現在、潰瘍を患ってるということだ。で、その場所というのが、左足の脛なのである。先日風呂で湯船に浸かっている時、何気なく脛のあたりに手を滑らせていたら、唐突にそこの皮が剥けるような感触があった。ちょうど日焼けした肌が剥けるような、そんな感じだった。で、何となくそのままの流れで剥いてみたら(そもそもそれがいけないのだ)、しばらくして湯が沁みてきた。湯から上がってよく見ると、10cm×7cm位の範囲で真っ赤な肉が露出しているではないか!?訳が分からないまま、その晩は患部にアロエ軟膏を塗って寝た。翌日になっても治ってなく、患部はヒリヒリするし、汁が出てガーゼをぐしょぐしょに濡らすし、さらには患部の周りも腫れている。その晩は、今度はオロナイン軟膏を塗って寝た。その翌日もまだ治らないので、思い切って近所の皮膚科を受診した。医師は私の脛を見るなり、「あ~、こりゃ、潰瘍だな!」と言った。そこで冒頭のワケの分からない説明が、医師によってなされたのだ。しばらくは処方された抗生物質で腫れを抑えつつ、患部を元通りにしていくことになるが、これが結構時間が掛かるらしい。まあ、なってしまったものはしょうがないので、気長に直してくほかないのだが、今もって謎なのが、どうしてこういう潰瘍になってしまったのか、ということだ。医師の説明によると、いわゆる「低温やけど」がこれを引き起こすケースが多いらしいが、私には全く身に覚えがないのだ。もしあるとすれば、酔っぱらって帰ってきた後、ファンヒーターの真ん前で不用意にうたた寝した、ということぐらいだが....。
2014年03月25日
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今年の正月は、1日に初詣に行ったついでに映画鑑賞。2日には家族そろっての食事会と、夜は同窓会。そして3日は特に何も予定がなく、観たいテレビなんかもあったので、一歩も外に出なかった。着替えるのも面倒なので、パジャマ代わりにしているスエットで一日中過ごした。しかし基本的に「出たがり」の私は、日がな一日家の中で過ごすということがまず無い。ずっと記憶を辿ってみても、風邪をひいて寝込んだ時くらいだ。しかし不思議なもので、カラダがそれを記憶しているのかどうか知らないが、一日中スエットを着てると、何だか病人みたいな気分になってきた。もちろん体に異常はないのだが、「病は気から」っていうのは侮れないな。
2014年01月08日
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朝8時起床、夜2時就寝.....これが私の基本的な生活パターンだ。特別な用事がない限り、ほとんど変わることはない。見ての通り、睡眠時間は6時間とるようにしている。もっとも最近は夜寝る時間が少しずつずれこんできて、5時間半とか5時間になったりすることが多くなってきたが、逆に6時間から増えることはまずない。例えば用事があって早起きしなければいけないとき、あるいは休日でちょっと遅くまで寝ていたいとき、こういう時はまず起きる時間を決めて、そこから逆算して6時間前に寝るようにしているのだ。ちなみに、私が仕事から帰ってきて寝るまでの時間は何をしているかと言えば、まず風呂に入り、その後はたいていは本を読むか、録っておいたテレビ番組を見るか、あるいはスマートフォンでツイッターやフェイスブックの閲覧、そのどれかで時間を過ごす(酒はその前に店で注入してきているので、家ではほとんど飲まない)。いずれも、全く無意味ということでもないが、逆にどうしてもしなければいけない、というほどのことでもない。そこでここからが本題なのだが、そうやって時間を過ごしていると、時に眠くなってくることがある。普通の人なら、眠くなってきた時点で、やっていることを切り上げて、そのままベッドに直行することだろう。ところが偏屈者の私は、そういうことはしない。2時になるまでは何が何でも寝たくないのだ。だからたとえば本を読んでいる時なら、うたた寝しないように立ったまま読むとか、テレビを見ている時ならガムを噛みながら見るとか、とにかく眠気を追いやることに全力を注いでいる。それでも努力の甲斐むなしく、ついつい力尽きてうたた寝をしてしまうことも少なくはない。傍で見ていたら、さぞ滑稽に映ることだろう。何故そこまでして起きていたいのか?それは、2時まで保証されている私の自由時間を睡眠に振り替えてしまうのは、あまりにももったいない、と思ってしまうからだ。要は「貧乏性」なのだろう。あるいは日常的に自由に使える時間が少ないから、ということもあるのかもしれない。どちらにしても、悲しい性であることには変わりない。それでいて、朝にはめっぽう弱い。毎朝私を起こすのに多大な労力を費やしている妻からすれば、「もっと早く寝ればいいのに」という恨み言が出てくるのも道理だろう。ただ、何時間寝ようが朝の目覚めの悪さは変わらない、という、私自身の治験データもあるので、それはあまり意味のないことだとは思う。よく、年寄りになると朝型になる、と言われるが、私に限っては、そんな日が来るとは到底思えないのである。
2013年03月05日
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最近、といってもここ数年のことだが、私の体に深刻な変化が生じてきている。昔ほど食べられなくなったのだ。いや、正確に言うと、食べられるが後の苦しさが以前とはケタ違いだ、ということだ。若い頃から私は、体のスタイルに比べて比較的大食漢であった。ランチにいけば「ライス大盛り」はもはや条件反射で、自宅での食事でもひとりだけドンブリで食べていたものだ。もっとも若い頃の食欲がついこの間まで続いていたわけではないが、それでも同年代の男性の平均よりはよく食べていたと思う。それが最近では、トンとダメなのである。ただ、食欲が無いということではない。食欲自体はあるし、食べている間は食が細くなったことなど気にならない。しかしこれが逆にいけないのだろう。要は満腹中枢が脳に至る頃にはすっかり食べ過ぎているわけで、その前に自制をかけなければいけない。それを意識しながら食べないと、後が大変なのだ。具体的には食べてから2~3時間後、急激に疲れが出て、体の節々が言い様のない脱力感に襲われ、そして猛烈な眠気が襲ってくるのだ。食べた後に眠くなるというのは、ある意味自然の摂理なのだが、最近の私の眠気はちょっと度を越していると思う。もうホントに仕事なんかしてる場合じゃない、というくらい眠くなるのだ。まあそれだけ、食べ物を消化する為に余計にエネルギーが必要になってきている、ということなのだろう。自分で意識していなくても、こういうところで歳をとってきたことを実感させられるのだ。もっともこうやって体から黄信号のサインが出ているだけ、まだ良しとしなければいけないのだろうが。
2012年10月07日
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もうかれこれ4ヶ月くらい経つのだが、春頃から声が出ないのだ。出ないと言うと大袈裟だが、声が妙にかすれるのだ。さらに正確に言うと、大声を出したりくしゃみをしたりすると、余計にひどくなる。他人には風邪を引いているかのような印象を与えているようだが、かといってノドが痛かったり苦しかったりということはまったくない。しかしこんなガラガラのハスキーボイスは、歌を歌うにはいいかもしれないが、私のような接客業にはマイナスだ。そういうわけでしばらく前に、耳鼻咽喉科の町医者を受診した。その結果、「声帯結節」との診断を下された。「声帯結節」....聞きなれない名前だが、要は声帯にちょこんとしたイボのようなものができていて、本来声帯が締まるべきときに隙間が空いてしまうので、それが原因で声がかすれる、というのだ。ちなみにこれがもっとひどくなった状態が、いわゆる「ポリープ」なのだそうだ。さてその町医者の診断によると、これはそう深刻なものではなく、無理をしなければ自然と無くなっていくものだ、ということで、飲み薬とうがい薬、そしてトローチを処方された。しばらくそれを使っていたわけだが、ところがこれが一向に改善しない。無理をしないように、と思っても、仕事柄お客さんと話はしなきゃいけないし、どうしてもお客さんを前にするとテンションが上がってしまうのだ。しかも持病の鼻炎も治りきってないから、くしゃみも頻繁に出てしまう。何とか改善策はないものか、ということで昨日、市内にある総合病院の門を叩いた。鼻の穴から内視鏡を通され、ゲホゲホと苦しい思いをさせられながらも、結局は同じく「声帯結節」との診断だった。完全に取ろうと思うと手術しか方法がないが、そうなると術後1~2週間はノドを安静にしていないといけないらしい。しゃべってはいけないとなると、「筆談ホステス」ならぬ、「筆談リカーマン」だ(笑)。もっともイボ自体は悪性のモノでもないし、日常生活に支障をきたすというレベルでもないから、手術するくらいならこのまま様子を見よう、ということに落ち着いた。たとえ一時的とはいえ、筆談リカーマンなんてまっぴらゴメンだからね。そういうわけで昨日から、意識してヒソヒソ声で話している。
2011年08月04日
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足にひどいヤケドを負ってしまった。こう書くと誤解を招いてしまいかねないが、でも実際のところ、ヤケドといってもいいくらいの症状なのだ。早い話が「日焼け」である。昨日高校野球の観戦に行った際、何を思ったかハーフパンツで行ってしまった。何故ハーフパンツか、と訊かれても、別に夏のこの時期の外出時には普通に穿いているから、としか答えようがない。日焼けのことが頭になかったわけではないが、それでもさほど深刻に考えてはいなかったのも確かだ。妻には「ちゃんと日焼け止めを塗っとかなきゃダメよ」と言われていたが、球場に着いてあれやこれやと慌しく時間が過ぎていくうちに、何となく塗りそびれてしまっていた。ところがこれが間違いの元だった。ひざを中心とする、太ももからすねにかけての部分が、真赤に腫れ上がったようになり、しかも触るとかなり熱い。同じように腕や顔、首筋などにも太陽光線を受けたが、特に足がひどいのだ。おそらく普段から露出してない部分なだけに、急激に焼いたことで肌が耐え切れなかったのだろう。あるいは年齢とともに私の肌も、やわになってきているのかもしれない。とりあえずヒリヒリ感が治まらないので、帰宅してからすぐに水を浴びて、さらにクールダウンさせるための薬用のなんやらスプレーを振り掛けた。それでもなかなか火照りは治まらない。その日はそのまま寝たのだが、一夜明けた今朝になってもヒリヒリ感は持続している。いや、ヒリヒリ感だけではなく、痛みも伴っている。陽に焼けてこんなに痛みを感じるなんて、初めてのことだ。これはもう皮膚がただ火照っているというよりは、何らかの異常を来たしているのは明白だ。ズボンを穿くと、動くだけで擦れて痛い。しかしハーフパンツで仕事に行くわけにもいかないから、ここはグッとガマンして仕事をしている。とりあえずアロエ軟膏を塗っておいたが、明日になっても状態が改善しなければ、皮膚科の医師に見せることも考えたほうがいいかも知れない。まったく自分の面倒臭がりさと無鉄砲さが、こんなところで高い代償を払う羽目になるとは。
2011年07月18日
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先日、メガネとコンタクトレンズのことについて書いたが、最近メガネを装用する時間が増えたのには、もうひとつ理由がある。老眼が進行しているのだ。今使っているメガネは3年ほど前に購入したものだが、その折に、「これからおそらく老眼が進行してくるよ」というメガネ屋の主人の進言に従って、度数をかなり弱めに設定した。確かに掛けてみたところ、遠くはちょっと見にくいかな、という気がする。だから今でも、クルマで長時間のドライブに出る時などは必ずコンタクトレンズにしている。しかしその代わり、コンタクトレンズでは近くのものが見えなくなってきているのだ。これにはちょっと愕然としてしまった。メガネであっても、間近のものは見えにくいから、例えば細かい文字などを見る時には、メガネを外して字を眼にかなり接近させなければいけない。でもこの姿って、まさに老人のステレオタイプ的な描写ではないか!?そんな状況に自分が陥ってしまったことが、なんだかとてもイヤなのだ。しかしそんなことも言っておれない、実用性、しかも読み書きやPCを使うときなどは、圧倒的にメガネの方がラクなのだ。というわけで、あえてコンタクトレンズにする機会も減りつつあるのだ。そのメガネにしても、そろそろ「遠近両用」を考えないといけない段階のようだ。行きつけのメガネ屋ではしきりに勧められるのだが、私自身は出来うる限り先延ばしにしたいと思っている。
2011年02月10日
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私は小さい頃から近眼で、小5のときからメガネのお世話になっている。そして21歳の時にはコンタクトレンズに切り替え、以来ずっとコンタクトレンズで生活をしていた。「していた」と過去形になっているのは、今はちょっと状況が変わってきたからだ。数年前に目に違和感を感じて眼科を受診した際、眼の負担を軽減するために、コンタクトレンズの装用時間を減らすよう、医師の指示を受けた。それまでの私は、1日15時間を毎日、という使いっぷりだったので、さすがにこれが堪えたようだった。しかし元々メガネがイヤでコンタクトレンズに切り替えたクチなので、メガネでいる時間を増やすというのは、あまり気が進まなかった。とりあえず1日「15時間」を、なんとか「8時間」までに減らした。それでも違和感が消え去ることが無かったので、3日に1日は「休肝日」ならぬ「休眼日」にして、その日は1日中メガネで過ごすことにした。そうしたところ、何とか眼の方は落ち着いた。ところが不思議なことに、あんなにイヤだったメガネを使用する時間が、その後加速度的に増えてきているのだ。今現在だと、コンタクトレンズを使うのが週に2日ぐらいになってしまった。毎日のようにコンタクトレンズを装用していたときはなんとも思わなかったのだが、コンタクトレンズをしたりしなかったリだと、逆にコンタクトレンズをするのが面倒臭く感じるのだ。ただそれでも100%メガネではなく、あえてコンタクトレンズを使い続けるのには、それなりの理由がある。いや、そんなたいそうなことではない、私の顔はメガネのときの方が老けて見えるのだ(笑)。
2011年02月02日
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昨年受信した胃ガン検診で、「要精密検査」という結果が出たことを受けて、先日胃腸科の病院に行ってきた。で、今度胃カメラを飲むことになった。もちろん初めての経験だ。その受付のとき、看護士さんからいろいろと問診を受けた。「今までに大きな病気になったことは?」 「ありません」「手術を受けたことは?」 「ありません」私としてはいつもごく当たり前に感じている受け答えのはずだが、「精密検査」を受けるという精神的不安感、胃カメラを飲むことに対するある種の恐怖感、これらが重なった精神状態の中では、逆に今まで何も無かったことに対する「ありがたみ」として、いつも以上に自分自身の胸に響いてくる。私だけではない、私の家族全員ひっくるめても、おかげさまで誰一人として、大病を患ったり長期入院したりしてる者はいない。周囲にはそういった境遇に苛まれている方もいらっしゃるから、余計にそう思える。本当にありがたいことだ。というわけで、胸を張ってカメラを飲んでこよう。
2011年01月20日
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以前からコトあるごとに書いているが、私は鼻炎持ちだ。ただ花粉症ではないように思う、というのも、花粉の時期とはあまり一致してないみたいだからだ。ただ何らかのアレルゲンが、鼻腔の粘膜を刺激しているのは間違いない。そこで私は鼻炎薬と並行して、いまだにマスクを頼っている。とりあえず外気が鼻の粘膜を刺激することさえ避ければ、鼻炎薬も最小限にとどめることができる。私の飲んでる薬は、通常は1日2回、2錠ずつだから、普通なら1日4錠必要なところを、今のところはマスクのおかげで1日1錠で済ませている。ところがマスクも今くらいの時期になると、どうにも厄介だ。蒸れるのである。特に私が汗っかきだからかどうか、ちょっと動くと口の周りが汗でびっしょりになってしまう。しかもこれからもっと湿度も高くなるから、事態は深刻だ。これからのマスクは、通気性にも気を配って欲しい(それじゃ、何にもならないだろうがっ!)
2010年05月14日
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ツイッター上のある人の話の中に、腹筋を鍛えるときは、同時に背筋もやらないとバランスが悪い、というのがあった。ふ~ん、そんなものなのか、と思ったものだが、実は最近それを実感している。もう5ヶ月ほど、ジムでトレーニングをしている。5ヶ月といっても週に一度程度のペースだし、それほど過酷なことをしているわけではない。しかしジムでトレーニングするようになってから、私の中でちょっと変わってきたことがある。以前から患っていた腰と背中の張りが、さほど苦にならなくなってきたのだ。考えてみれば私の日常の仕事といえば、特定の箇所に過剰に負担を強いるものだ。だから、日常的に体を動かしてるつもりでも、実際のところは全体的にバランスの良い運動ではない。だから腰や背中などにそのシワ寄せが来るとも言えるだろう。そこへ行くとジムでのトレーニングというのは、一定のメニューに沿って忠実に行うもので、それは専門家が練りに練ったものだろうから、理に適ってるはずなのだ。そうやって体中の筋肉のバランスを保つことで、今までシワ寄せがいっていた腰や背中が、気にならなくなってきたのかもしれない。私にとってこれは嬉しい誤算だった。で、ここまで書いて思い出した。私が2年半ほど前に急に腰痛を患い出したのは、ある日ふと思い立って毎日腹筋をするようになったことがキッカケだったのだ。「だった」と断定口調で言い切るにはその根拠がいささか乏しいが、あの時も背筋はやらずに腹筋だけだったから、冒頭の話に当てはめると合点がいくのだ。
2010年03月24日
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中2の真ん中のムスメが、一昨日から発熱し、新型インフルエンザの検査で「陽性」が出た。我が家では長男に次いで2例目だ。もっとも本人、長男のときと同じように熱は早々に下がり、傍目には特に具合が悪そうに見えるわけでもないので、まあ一安心だ。ところがムスメの発熱に呼応するかのように、学校でもまた感染者が増えたらしく、今日から今週末まで学年閉鎖になった。実はそのムスメの学年というのが、先月から今月にかけて実に3回も学年閉鎖しており、今回で4回目なのだ。長男や末娘も学年・学級閉鎖は経験しているが、1シーズンに4回というのは極めて異例だ。よほどこの学年の子供たちは感染力が強いとみえる。しかも今のこの時期は、2学期の期末テストの真っ只中なのだが、まだ行なわれていないテストは打ち切られ、閉鎖明けに順延となった。教員も5名ほど感染して休んでいるらしく、学校現場もよほど大変みたいだ。
2009年11月25日
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先週、胃ガン健診を受けた際に飲まされたバリウムが原因で、腹具合をおかしくしたことを書いたが、その時以来、私のある持病が再び悪化し出した。それは「[ざ]と[ず]の間」というもので、「花粉症」や「腰痛」と並ぶ、私の「三大疾病」のひとつだ。かれこれ15年ほど前から患っていて、ここ数年はずっと調子がよかったのだが、コイツはちょっとしたキッカケで顔を出すのだ。今日もその専門医のところで診てもらったのだが、まあ手術するほどでもないし、時間をかけて少しずつ治めていくしかないな。とりあえず担当医からは、酒は少々控えるよう、お達しがあった。う~ん、辛いな~。
2009年11月18日
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今日は妻と一緒に、毎年恒例の定期健診に行ってきた。基本健診は後日、近所の医療機関で受けることになっており、今日は主に「ガン検診」だ。ということは「胃ガン健診」のときに、バリウムを飲むわけだ。私はあのバリウムというのが、嫌いだ(もっともあれが好きだという人にお目に掛かったこともないが)。いや、バリウムそのものよりも、あれを飲んだ後がイヤなのだ。バリウムを飲んで診断が終わると、バリウムを早く排出させるために、下剤を飲まされる。もともとデリケートな内臓を持つ私には、あの下剤がどうも相性が悪いようで、きまってその後ほぼ一日中、腹具合がおかしくなるのだ(汚いハナシで申し訳無いが)。だから私の場合、腹具合の悪いままで仕事をせずに済むよう、胃ガン健診は必ず休日に受けるようにしている。実は今日行ってきた健診会場も、私の自宅からはちょっと遠いのだが、自宅から近い会場は平日の開催だったので、そのためにわざわざ遠くまで足を運ばねばならなかった。バリウムを使っての内科検診というもの自体、ひところから見たら偉大な医学の進歩だとは思うが、個人的にはバリウムを飲まずに済むような、他の検査方法が開発されることを望みたい。
2009年11月08日
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インフルエンザに罹ってしまった我が長男だが、お蔭様で大したこと無く、すっかり元気になった。医者に診察を受けたのが先週土曜日だったが、38度台の熱があったのはその時だけ。夕方には37度ちょっとまで下がっていた。その後も熱は上がらないし、まったく辛そうではないしで、これはインフルエンザじゃないのかも、と疑ったくらいだ。もっとも昨日の火曜日に再び医者に行ったところ、検査の結果インフル陽性反応がしっかり出ていたそうだから、やっぱりインフルエンザには違いなかった。一応木曜日(明日)までは学校に行かないように、とのお達しだったが(もっとも今は学級閉鎖中)、昨日あたりからは外に出ないだけで、あとはもう普通の生活をしている。それにしても人騒がせなインフルで、いい意味での「肩透かし」を食らったような気分だ。医者によれば、今回のインフルエンザもピンからキリまであって、悪質なものだと報道されているように、死に至るようなものまであるものの、ムスコのように極めて軽く済むものもあるらしい。もちろん安易な油断は禁物だが、それでも過度に神経質になることも無いな、と思った。思えば新型インフルエンザが日本で話題に上り始めた頃、国内初の感染者が出たと言っては、成田で長期間缶詰めにされ、各都道府県で初の感染例が出るたびに、「これで何県目」みたいな報道が連日繰り返され、マスクは入荷するそばから途端に売り切れた。その頃は、いずれ巷で大流行にでもなったら“この世の終わり”か........みたいなムードも確かにあった。今思えば、なんて大げさな、という気もするが、これがわずか5ヶ月ほど前の話なのだ。確かにあの時点で今の状況を予想するのは難しいことだったとは思うが、それでも不用意に振り回されたことに対するやるせない思いは、心の片隅にくすぶっている。といって、誰かを恨んだり、ということでも無いのだが.........。
2009年10月14日
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社会人になってから運動らしい運動をしていない私だが、今の仕事も結構重労働なので、それで充分運動代わりになっていると思っていた。しかし四十路も半ばをすぎ、体の筋肉も落ち、ウエストに余分な肉がつき、腰や背中が悲鳴を上げるようになったこの頃では、何とかしなきゃいけないかな、と漠然と思っていた。しかしキッカケが無いまま、今日まで何もせずに来ていた。そんな折、先日私のブロ友であるyana1951さんのブログで、私の家から2kmほどの近所にある、とあるスポーツジムのことを知った。ただそこに興味はあったものの、やはりキッカケが無いまま、しばらく頭から離れていた。ところが今日、そこで無料の体脂肪・体力測定が行なわれるということを聞いて、これも何かの縁かなと思い、妻を伴って行ってきた。手順としては10分間ほどエアロバイクを漕いで、心拍数の上がり具合と年齢との相関関係で、年齢なりの体力を保持しているかどうかを判定するものだ。結果としては、私はほぼ年齢どおりの数値が出たものの、妻がそれよりも2ランクも上の「すぐれている」という評価だったのが、たまらなく悔しかった(笑)。しかしここのスポーツジムは日曜日のわりに空いている。どうも話によると、相対的に土曜日の方が混んでるらしい。そういうわけで測定が終わってから1時間ほど、マシンを使ってカラダを動かしてきた。私は今までスポーツジムなどという所にはトンと縁がないので、こういったマシンを使うのもまったく初めてだ。というか、こういうところを端から毛嫌いしていたようなところがある。こんなところに大金を使うくらいなら、ウチの近所を走っている方がカネも掛からなくて、ずっと良いではないか、という考えの持ち主だった。しかしこのスポーツジムというのが、半ば公的な施設ということもあって、入会金・年会費などは一切ナシ、利用するたびに1回600円ずつ払うだけでいいのだ。そういうことなら話は別だ、カラダを動かす必要性を痛感している今となっては、これを利用しない手は無い。これから週1回はここへ来てトレーニングすることに決めた。やっぱり私の場合、不定期に近所でジョギングするとかいうよりも、定期的にどこそこへ行く、というように行動予定をハッキリさせた方が、よりモチベーションを上げられるような気がするのだ(しかもローコストで)。
2009年10月04日
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現在、左の目じりが擦れて、痛んでいる。原因はよく分からないが、おおかた目のこすり過ぎではないかと思う。ところがこれが、意外と厄介だ。場所が場所だけに、薬を塗ろうにも、あまり刺激の強いものだと目に沁みて大変だ。いろいろ検討した結果、「アロエ軟膏」を塗ることにした。しかしなにぶん一日に何回するかわからない「まばたき」のために、なかなか傷がふさがらない。仕方がないので昼間は諦め、夜寝る前に塗ってみた。朝起きたら、かさぶたになっていた。しかしまたまばたきをしたり、顔を洗ったりしているうちに、かさぶたはどんどん剥がれてくる。そんなこんなで、もうかれこれ半月以上経つものの、未だに治らない。もうこのまま治らないものだろうか、などという悲観的な気分にもなってしまう。まあ、それほど重大なことではないのだが.........。
2009年02月11日
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前回の記事に書いた「橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)」の続きである。前回、サポーターを装着した手の画像を載せたが、実はこれは四六時中装着しなければいけないものではない。ただ手に力が入らないだけに、放っておくと自然と手首は曲がったままになってしまう。完治する前にそのままの状態で固まってしまうとマズイので、強制的に手首を伸ばしておくために装着するのだ。だからこれが邪魔になるような場合――――例えば配達時に運転したり荷物を持ったり――――には外している。この橈骨神経麻痺の症状を他人に説明すると、たいていは「それじゃ仕事ができないんじゃない?」という反応が返ってくる。ただ意外とそうでもないのだ。例えばビールケースのようなものを運ぶのは、基本的に手で「吊る」ようなものだから、指が引っ掛かってさえいれば問題は無い。厄介なのはボトル1本1本を手で「握って」持つ場合で、これは下手をすると落としてしまいかねないから、右手のみでやらなければいけない。そしてクルマの運転については、私が乗っているのはミッション車だが、ギアは手のひらで動かせるし、ハンドルも右手主体で操作するので、まったく問題ない。つまり、確かに「面倒」ではあるけれど、決して仕事が出来ない状態ではないのだ。どちらかというと日常生活の上で不便を感じることが多い。例えば衣服の脱ぎ着、これが思うようにいかない。ボタンすら、はめるのにひと苦労だ。さらに細かいことを言うと、お菓子の袋の上部を開けるのに、両手で持ってベリッと引っ張るが、それもまったく出来ない。その他、目薬を差したり、コンタクトレンズを装着したりするのも、なかなかうまくいかない(目を開かせる方の指が言うことを利かないからだ)。要は指先に微妙な力加減を必要とすることが、ことごとくダメなのだ。また食事時もちょっと制約がある。左手だけで茶碗を持つことが出来ないので、例えば丼モノ・お茶漬けのような「かき込む」ものは基本的に無理がある。また味噌汁を飲むのも要注意だ。実際に私は痺れを発症した翌朝に、味噌汁を飲もうとお椀を持ち上げたときに、うっかりお椀ごとひっくり返してしまった。こうしてみると、普段の生活の何気ない動作の中で、考えもしないような手の力が複合的に作用しているということに気付かされる。なにはともあれ、とにかく早く治ってほしいものだ。
2009年01月19日
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昨晩寝る前に本を読みながらうたた寝してしまい、気がつくと何だか左手が痺れている。そのまますぐ床についたが、翌朝になってもまだ痺れている。手足の痺れというと、つい「脳」の影響を疑うことが多いが、実は私自身こういう経験は2度目なのだ。もうかれこれ10年以上前のことだが、やはりうたた寝している間に手に痺れを感じたことがあった。その時は何も分からなかったので、翌日近所のかかりつけの内科医に出向いたが、「脳梗塞の疑いもあるかも......」などという不気味な宣告をされたため、そこの紹介状を持って、市立病院の「脳外科」を受診した。ちなみにそこでは「CTスキャン」や「MRI」などを初めて体験し、不謹慎ながらも今となっては良い経験が出来たと思っている。で、結局脳の方には異常は見られなかったのが、次に回された整形外科であっさりと、「橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)」という診断が下された。どういうことかと言うと、要はうたた寝している時に何か硬いもの(たぶん椅子の背だろう)に腕が当たり、押さえ付けられることで、手に通じる神経が圧迫されて機能しなくなる、ということだ。そういう経験があったので、昨晩の痺れについては、「あ、マズイ!またやっちゃった」と、ある程度余裕を持って状況判断が出来た。そして今日になって整形外科を受診したところ、やはり予想どおり、「橈骨神経麻痺」と診断された。とりあえずやってしまったものは仕方がない、仕事を休むわけにも行かないので、さしあたって病院でサポーター(写真↓)をもらって、あとは普段どおりの生活を送った。これは基本的に「自然治癒」に任せる(ビタミンなどの多少の補助剤はあるが)ものだが、完全に治るまでには2~3週間という期間を要する。その間のことを考えると、結構ユウウツなのである。(翌日以降に続く→)
2009年01月17日
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先日「ガマンの法則」と題したブログの中で、私が長く患っている鼻炎アレルギーを止めるには、ガマンすることで自然とやり過ごすことが有効ではないか、という仮説を立てた。そしてそれを実行に移してから、その後の顛末である。飲み薬を断って2日目に早速最初の発作が来たが、そのままガマンするとすぐ治まった。ヨシヨシ、これはいいぞと思っていたら、その翌日にもまたやって来て、これも我慢してやり過ごした。しかしこれがそのうち無くなっていくどころか、慢性的な発作になってきたのだ。堪りかねて4日目ぐらいについに飲み薬を服用した。これで計画は元の木阿弥に終わってしまった。何かいい方法はないかと思案していると、飲み薬を常用していた間、すっかりその存在を忘れていた「点鼻薬」のことを思い出した。これで発作を鎮めつつ飲み薬を遠ざけることが出来れば、ということで、早速実行に移した。ところがこれが意外に効果を発揮する。点鼻薬を使用し始めてから、飲み薬を飲む回数を意識的に減らしていったのだが、約1週間後にはほとんど不要になったのだ。この点鼻薬にしても、あまりこれに頼りすぎると本末転倒なので、とりあえず使用回数を徐々に減らしていくことにした。ただ飲み薬のときと違って、今度はスムーズに進んだ。そして飲み薬を断ってから1週間ぐらいで、発作が起こることもかなり少なくなり、点鼻薬の使用も1日1~2回で済むようになってきた。そして今は、時折クシャミが出たり、鼻水が溜まることはあっても、もう「鼻炎」というレベルではなくなり、点鼻薬もほとんど使っていない。何とか成功に終わったようだ。でもまた来年の2~3月になれば、おそらく「お約束」のようにまた鼻炎に悩まされる日々が訪れることだろう。「鼻炎」とのあくなき闘いは、まだまだ果てしなく続くのだ。
2008年07月27日
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今から10年ほど前のこと、その数年前から私は原因不明の「じんましん」を患っていた。体中のあちこちがいきなり痒くなるのだ。複数の皮膚科医にかかったものの、結局具体的な原因は明らかにならずじまいだった。仕方がないので、その皮膚科で処方してもらった薬を服用することでずっと凌いできた。これがちょっと飲むのを忘れたりすると、たちまち痒みが出てくるので、非常に厄介だったのだが、あるとき、薬を切らしてしまった。しかも迂闊なことにお盆休みか何かのときで、その皮膚科医は1週間近く休みなのだ。これはもうガマンするしかない、と覚悟を決めた。ところが、である、最初の1~2日は痒くて痒くてたまらなかったが、何とかガマンしつつそれを過ぎると、なぜか痒みが引いていったのである。そして皮膚科医の休みが明ける頃には、じんましん自体がまったく出ないカラダになっていた。もちろんその後今に至るまで、それらしき症状はまったく出ていない。なぜだかそうなったのか、さっぱり分からない。考えられるとすれば、薬を定期的に服用していたときには、カラダがいわゆる「クスリ慣れ」とでも言うような状態になっていたのではないだろうか。あるいは単純に、「無けりゃ無いで、カラダが順応していく」というものなのかもしれない。そのことを思い出して、この「ガマンの法則」がひょっとしたら、現在の私が直面している課題に応用できないだろうか、と考えた。何のことは無い、私が永年患っている「鼻炎アレルギー」だ。私のそれは、他人よりも遅い時期まで続くというのが特徴で、現にいまだに薬を服用している。もっとも規定量よりもはるかに少ないが、それでも忘れたりするとクシャミと鼻水の発作が容赦なく私を襲ってくる。まあ毎年のパターンで見る限り、この夏のどこかで間違いなく治まるはずなのだが、1日でも早く治まったほうが良いに越したことは無い。そういうわけで昨日の朝、最後の薬を服用して以来、今まで薬を断っている。ちょっと鼻水の出る回数が多くなっているような気はするが、今のところまだ何とかなっている。成果はまた後日、ご報告します。
2008年07月04日
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もう今くらいの時期になると、世間ではスギ花粉情報などもあまり耳にしなくなってくる。一般的にはもう花粉症の季節も峠を越えたようだ。ただ私はといえば、例年発作の始まりも終わりも遅い方(要は他人よりもワンテンポずれてる)なので、今なお発作は続いている。ほぼ一日中マスクをしているので、周りの人たちからは「大変だね~」という同情を集めてしまう。他にマスク姿の人をあまり見掛けなくなってきたから、余計に目立ってしまうのだ。ただ私がマスクをしているのは、よほど花粉症の症状がひどいから、というわけではない。それどころか、どちらかと言えば今年はラクな方だ。今年の花粉飛散量はかなり多くなる、というシーズン前の予測にもかかわらず、だ。マスクを着用する代わりに、薬をあまり飲まないようにしている。ちなみに今年は耳鼻科の医者には掛かっておらず、市販薬で間に合わせている。その市販薬も、通常なら1日3回×1回2錠=計6錠飲まなければいけないところを、朝たったの1錠飲むだけで、後はまったく飲まないのである。規定量の6分の1、これは今までの私から見れば、快挙と言っていいくらいのことだ。そして薬を減らした分、マスクで補っているようなものだ。それでも、花粉飛散量がかなり多いぞ、と言われた今シーズンを、何とか軽く乗り切れそうなのだ。マスクの効用については、かなり前の日記で書いたことがあるが、そして今年、私は新たな悟りを開いたような気になった。「ヘタな薬よりも、マスクの方が効果絶大!」眠くなることも無いしね。しかし今日くらい気温が上がる日は、外で動いているとマスクの中が汗で蒸れてくるのが、少々不快だ。
2008年04月05日
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先日来、花粉症による眼のかゆみに加え、何となく眼に異物感が感じられていた。先日新しく買い替えたコンタクトレンズの不具合かな、とも思い、眼科に行って診てもらったところ、左眼に傷がついているのが見つかり、コンタクトレンズはドクターストップが掛かってしまった。これでしばらくはメガネの生活となってしまった。元々メガネがイヤでコンタクトレンズに切り替えたので、日がな一日メガネ、というのは苦痛だが、まあ致し方ない。ただいくつか困ることもある。元々眼に負担を掛けないようにということで、メガネの方が相対的にゆるい度で作ってある。だから運転するときなど、慣れないとちょっとコワイ。また最近、花粉症用にマスクを着用することが多くなってきたが、メガネを掛けた上にマスクをすると、吐く息がメガネを曇らせてしまうのだ。同じような境遇の方ならきっと分かっていただけると思うが、まことに厄介なものである。とりあえず息は、意識的に下の方に吐くようにするほか無さそうだ(笑)。
2008年03月26日
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先日割ってしまったコンタクトレンズの替わりが出来たので、早速昨日取りに行った。先日の検診の結果、視力自体は以前と変わっていないのだが、昨年からの懸案だった「遠視」に対応するために、今までのものよりも度数を少し落としてある(1.5→1.0)。いざはめてみると、なるほど確かに近くのモノはずいぶん見易くなった。以前は本を読むのでも、ちょっとだけ目から離して読まなければいけなかったが、これからはそういう必要も無さそうだ。しかしいざ外に出てみると、やはり「0.5」度数が下がった分、遠くのモノはぼやけて見える。まあもっとも日常生活やクルマの運転には支障がないレベルだし、この度数にも徐々に慣れてくるだろうからいいのだろうが、今までよりも見難くなっているという厳然たる事実は、ちょっとショックだったりする。一応1年間は無料で交換できるシステムだから、よほどイヤならもうちょっと度数のきつい物に交換することも出来るのだが、そこまでするほどのことでもないかな。
2008年03月04日
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以前患った腰痛の治療をすべく、この夏から接骨院通いをしている。今まではだいたい週に1~2回のペースで通っていて、完治とまではいかないまでも、最初の頃と比べると見違えるほどの回復ぶりになっている。しかしこの12月に入るとさすがに仕事が忙しくなって、まだ1回も行くことが出来ないでいる(インフルエンザもあったしね)。せっかくいい調子で腰の状態が改善されつつあったのに、ここへ来て立ち往生、というか下手すると「逆行」することになりそうで怖いのだが、物理的に時間が取れないから致し方ない。ただ自覚する限りにおいては、特に腰が痛むとかそういうことはないのだが、こういうのは突然やって来るから気をつけなきゃ......。
2007年12月11日
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前回の更新からずいぶんと間が開いてしまった。仕事がメチャクチャ忙しかった.........からではない。実を言うと、インフルエンザに罹っていたのだ(涙)。火曜日から体の異常に気付き、夜帰宅して体温を測ったら、38.6℃!たまたま早番の日だったので、そのまま速攻で寝た。翌日になっても熱は高いままだ。しかしどうしても行かなければいけない得意先が何軒かあったので、必至の形相で何とかそれをこなし、その後で近所の医者に転がり込んだ。実はちょうど2週間前にインフルエンザの予防接種を済ませていたので、当初「インフルエンザ」というのは頭になかった。ただ予防接種をしたからといって100%防げるものではない、ということも聞いていたし、だいたい“2週間”という「期間」が微妙だ。一応それなりの覚悟はした上で、医師の診断を待った。結果、やっぱり「インフルエンザ」だった。やっぱり予防接種から2週間では、ウィルスに対する抗体が完全には出来ていないそうだ。しかしまったく出来ていないわけではないので、比較的軽く済んでいるのも確かだ。もし予防接種をしてなかったら、今頃こうしてパソコンのキーボードを叩いていることもないだろう。で、とりあえず処方されたのが「タミフル」。ほう、これがあの噂の「タミフル」かー、と思いながら手にとってしげしげと見つめた。しかしさすがは特効薬だ、1回飲んだだけでみるみる熱は下がり、ずいぶんと体も楽になった。これだけのパワーを持つ薬だ、そりゃ子供には劇薬だろうな、と改めて感じた。とにかくその日一日は、ひたすら寝て過ごした。寝付いてしばらくすると、子供たちが帰ってくる音が夢うつつに聞こえる。 子供 「ただいま~」 妻 「あ、お父さん寝てるから、静かにしなきゃダメよ!」 子供 「エッ、お父さんどうしたの?」 妻 「インフルエンザなの。それで今、タミフル飲んで寝てるのよ。」 子供 「大変だ!お母さん、窓ちゃんとカギ掛けてある!?」「コイツはまさか俺が窓から飛び降りると、本気で思ってるんだろうか?」と、夢うつつの頭で考えて、呆れてしまった(笑)。木曜日には大分症状も軽くなってはきたが、大事をとってこの日も自宅静養することにした。配達のアルバイト君には、予定外の時間に出てもらったりして、ずいぶんと迷惑を掛けてしまった。で、結局丸2日、仕事から離れ、家族からも隔離され、ネット環境からも遠ざかった日々を過ごしたのだった。私もこの12月に病気になるということなど、いまだかつてまったくなかったので、このクソ忙しい時期に戦線離脱するということの重大さが、ウチの店にどのような影響を及ぼすか、まったく気が気ではなかったのだが...........これが拍子抜けするほどに、何事もなく回っているのだ。もちろんよほど重要なことは逐一私の携帯に連絡が寄せられて、その都度私の方から指示を出したりするが、それ以外はさして困った様子も無さそうなのだ。まあそれはそれで良いことには違いないのだが、この時期になってもそんなにウチはヒマなのかい!?、と妙な失望感を抱いたのもまた事実なのだ。そして今日からは、晴れて現場復帰だ。まあこの程度で済んで、本当によかった。
2007年12月07日
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今年の夏から痛めている私の腰痛だが、マメに接骨院に通った甲斐もあってか、今ではもうさほど気にならなくなってきた。しかし接骨院でマッサージをしてもらっている限りでは、まだまだ張りが残っていると言う。とりあえず先生に指示されていることとしては、荷物を運んだりするときには出来るだけコルセットをする、ということがあって、私もそう心掛けてはいるのだが、実際の感覚からすると、コルセットをしていてもしてなくても、腰への負担が目に見えて変わるというほどでもないような気がするのだ。それよりも私としてはその他に、前からちょっと気になっていたことがあったので、先日接骨院に行ったときにその疑問をぶつけてみた。私 「そういえば、腰を折って前かがみの姿勢になったときに、腰にずいぶん負担を感じるんですが......」先生 「あ、それは腰にはよくないですよ!出来るだけ膝をついて、腰を落とすようにしなきゃ」実は私の腰痛が本格的に発症する以前から、そういう姿勢を長時間とったときの腰の違和感というのがあって、腰痛はそれが引き金になっていたようにも思っていたのだ。原因がハッキリしてきた以上、対策を講じなければいけない。ただしかし私の日常業務から、そういう姿勢になることを排除するということは、思ったほど簡単ではない。主に床に置いてあったり、棚の低いところに収納されている商品を出し入れする際に、そういう姿勢になることが多いが、中には腰を落とすことが出来ないような狭い場所もあったりする。それに急いでいるときなど、どうしてもアタマより先に体が反応してしまうから、腰を落とすことなど忘れてしまっている。それにこれは仕事上のことだけではなく日常生活においても、例えば洗面所で顔を洗ったりするなど、そういう姿勢をとらざるを得ないシーンは多々ある。座って顔を洗うわけにもいかないしね。まあとにかく、何かと一筋縄ではいかないっていうことだ、腰痛ってのは。
2007年11月07日
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ずいぶん前のことになるが、私の右足の親指が「陥入爪(かんにゅうそう)」というのになっている、ということを書いた。この治療のためには爪の裏側にワイヤーを入れて、丸まって食い込んでいる爪を持ち上げる作業をしなくてはいけない、そのためには爪をうんと伸ばさなければいけない、そう医師に言われてしばらくの間、爪が伸びてくるのをひたすら待った。そしてその間、爪が食い込んだためにその上に乗っかってしまっている肉がジャマになるということで、液体チッソで焼き切る作業が何回か行なわれた。これがまた痛かった。簡単に言えばドライアイスで「低温やけど」の状態にするのと同じ原理なのだ。ドライアイスを押し付けるわけだから瞬間的に皮膚の感覚が麻痺するのだが、しばらくすると何とも言えない“じんじん”した鈍い痛みが襲ってくる。で、この痛みがその日1日中は残るのだ。そしてある程度爪が伸びた段階で、例のワイヤーを使った治療となるはずだったが、過日医師に見せた段階では、患部が予想以上にきれいになっているし、爪自体も思ったほど丸まっていないから、ワイヤーを使った治療は見送り、このまま様子を見ようということになった。もとより私自身もその数日前くらいから、まったく痛みを感じることは無くなっていたから、もう勝手に「全快宣言」をしていた。おそらくこれ以降、悪化することは無いだろう。とりあえず医師から以前聞かされていた、「正しい爪の切り方」だけは実践するようにしている。「正しい爪の切り方」とはどういうものかというと、爪のサイド部分を切らずに出来るだけ残しておくというものだ。爪のサイド部分を残しておくことで、爪がカールしようとする圧力が掛かっても、それを支えることが出来るからだ。ただこれはあくまでも「陥入爪」にならないための、足の親指の切り方であるから、その他の爪はこの限りではないと思う、念のために。
2007年09月27日
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今週の月曜日あたりから、何となくみぞおちの辺りが痛む。常時ではないが、30分くらいのインターバルを置いて思い出したように、「キュゥゥゥゥゥゥン」と痛んで、ほんの数十秒で消えていく。今まで腹痛なら、もう記憶に残らないほど経験してきたが、それらはすべて「下腹部」の痛みであって、今回のような「みぞおち」の痛みというのは、初めて経験するものだ。月曜日にはひどい下痢も伴っていた。水曜日に医者に診てもらったが、ただの胃炎ではないか、ということで、薬を処方してもらった。とりあえず今それを飲んでいるが、下痢の方は治まったものの、みぞおちの痛みはまだ完全には治まっていない(少しインターバルは長くはなったが)。何だろうなー.......。
2007年09月21日
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今日参加した、とある研修で聞いた話。「病は自然からの躾」東洋医学の考え方によれば、もとより人間はその気候風土に根ざした食生活を永年続けており、それを間違うと病気になりやすい。近年増加している生活習慣病なんて、まさにそれだ。ただその病気は、正しい日々の食生活を取り戻すことで治癒するチャンスもあり、病の苦痛はそれを知らしめるためのサインだということだ。この100年ほどのあいだに激変した日本人の食生活。最早もとの時代もそれに戻すことは不可能だけども、今の我々の食生活を見ても改善する余地はかなりある。病気にならないうちに考えないとね。
2007年08月28日
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私の住んでいるこのあたりでは、私が小学生くらいの頃には、真夏のよく晴れた日になると、『光化学スモッグ注意報』というのがしばしば発令されたものだ。今でこそまったく無くなったが、何せ石油コンビナートによる公害で一躍有名になった町である、当時は結構頻繁にそういうことがあった。光化学スモッグが起こると目がチカチカしてくることから、この『光化学スモッグ注意報』を知らせるサイレンが鳴ると、市営プールや小学校のプールで泳いでいたら、直ちに出なければいけないことになっていた。そういう意味で、私は「サイレン」というものに対して、「遊泳禁止令」とでも言うような短絡的な連想をしてしまうのだ。話は変わるが、このところの日本列島は記録的な猛暑で、気温も観測史上最高記録を更新しているほどだ。いろんな見解はあるだろうが、私はこのようなとんでもない状況は、とても人間が屋外で活動する範疇を超えていると思っている。まあこれが仕事ならそんなことも言っていられないが、例えばスポーツなど、必ずしも必要に迫られないことであれば、柔軟に対応すべきだと思う。例えば気温が38℃を超えたら、すべての屋外スポーツを取りやめなければいけない、そんな条例があってもいいんじゃないだろうか。「異常高温警戒注意報」というサイレンを鳴らして、警戒を呼びかけるのだ。余談になるが、地球温暖化について警鐘を鳴らして大いに話題になった、ドキュメンタリー映画『不都合な真実』、この映画は今のこの時期にこそ、公開するべきだったのではないだろうか、と今更ながらに思う。
2007年08月17日
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私はどうも、深爪を切ってしまうクセがあり、それがために時々痛い目に遭うことがある。手の指はそうでも無いが、足の指を切るときに思いのほか深爪を切ってしまい、そこからバイキンが入って膿んでくるのだ。でもたいていは2~3日位で治まってくるので、私もさほど気にはしないのだが、今回のは4~5日くらい続いてるだろうか?しかも傷面の様子がいつもとちょっと違う。さすがにちょっとおかしいと思い、今日皮膚科に行って診てもらった。傷面を見た先生は開口一番、「あ~、こりゃ『さし爪』だな~」。初めて聞く言葉にポカンとしている私に、先生は解説してくれた。『さし爪』とは正しくは『陥入爪(かんにゅうそう)』といい、簡単に言えば爪の切断面が足先に力を入れたときなどに皮膚に食い込んで、そこが炎症を起こしたり化膿したりする、というものらしい。ただ痛いといっても、仕事にならないようなひどい痛みではなく、日常生活にもほとんど差し支えが無いようなものだからまだいいが、とりあえず軟膏と、化膿止めの飲み薬をもらって帰ってきた。本格的な治療はもっと爪を伸ばさないと出来ないらしいので、ともかくしばらくは様子見ということになった。しかし診察するまでは普通に歩行していたものが、診察後は痛みもあまり無いのに何となく無意識のうちに、右足が親指をかばうような歩き方になってしまう。そうなるとかえって他の部位を痛めてしまいそうでイヤなのだが、どうしても人間の深層心理がそうさせてしまうものらしい。
2007年08月07日
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先日来の私の腰痛も、接骨院での治療の甲斐あって、徐々に快方に向かっているようではあるが、まだまだ完調とは言えない。特に厄介なのは、腰痛そのものよりむしろ、それに付随する筋肉痛の方かもしれない。腰が痛むとどうしても腰をかばうような動作になり、その結果普段とは違う筋肉を使ってしまうようだ。またこのところ、腰の負担を減らすためにコルセットを着用することが多いのだが、それで体を締め付けることによって腰周り全体が圧迫されて、どうしても痛みを覚えてしまうのだ。そういうわけで本来の腰痛以外に、下腹部や腰骨の出っ張る辺りに何とも言えない違和感、時に鈍い痛みを感じることしばしばなのである。そんな中でも当然仕事はしなければいけない。ただ荷物を持って運ぶこと自体には、さほど苦痛は感じない。むしろ最も辛いのは、荷物を「持ち上げる時」と、荷物を「降ろす時」だ。ただこの他にも、意外なところに苦痛のタネは転がっている。一般的に飲食店への配達の場合、相手先によって事情は大きく異なるが、荷物を所定の場所にキチンと収めるまでがわれわれの仕事だ。例えばビールなら冷蔵庫に補充したりとか、そういうこともやらなければいけない。で、これが広々としたところであれば問題ないのだが、得てして市街地の飲み屋さんというのは、店舗面積の狭いところが多く、冷蔵庫やその他の収納場所というのが、結構余裕の無い造りの中に押し込められていたりもする。そういうところで商品の収納作業をしようとすると、どうしてもアクロバティックに体をよじっての作業となってしまうのだが、腰痛の身の今の私にとって、これが何よりもキツイのだ。あまりに辛くて呻き声を出してしまいそうになることもあるが、ここはお店の方に聞こえてはいけないので、何とかガマンしている。しかしお店の方が不在のときに、預かった合鍵で入って納品する場合、こういうときは周りに誰もいないので、遠慮なく呻き声を高らかに上げたりして、バランスを取って(?)いるのだ。
2007年08月03日
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先日来の腰痛だが、とりあえず一昨日の金曜日は出来る限り静養に努めた。現在昼間の数時間だけ来てもらっている配達のアルバイト君に無理を言ってフルタイムで出てもらい、店番の方は妻と両親が交代で補ってくれ、私は最後の2時間だけ店に出たのだが、ただ2時間だけでも非常に辛いものがあった。ともあれそうやって周りの協力で何とかしのげたことは有り難いことだ。本当に感謝、である。昨日の土曜日になると幾分ラクになり、店番はちょっと控えめにさせてもらったものの、配達はほぼ通常通りこなすことが出来た。配達の合間に時間が出来ると、チョコチョコと自宅に戻って腰を休めることが出来たのも大きい。今日になるとほとんど痛みらしい痛みは感じなくはなってきたが、とにかく静養に努めることにした。なんてったって無理は禁物だ。実は今日の日曜日は、以前から子供たちを海水浴に連れて行く約束になっていたのだが、私がこんな状態ではとてもじゃないが行くことは出来ず、せっかくの絶好の晴天の下、日がな1日家の中で過ごす羽目になってしまった(外に出たのは選挙だけだ)。家族全員の予定を勘案しても、海水浴に行くには今日だけしかチャンスは無かったのに.........子供たちには本当に悪いことをしてしまった。
2007年07月29日
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先日の日記に、ちょっと腰に違和感を感じているということを書いたが、昨日あたりから私の腰が悲鳴を上げ始めた。座っていても寝ていても、服を着替えるときもお辞儀をするときでさえも、腰に痛みがビンビンと響いてくるのだ。いつもは店番の時間も、何やかやとやるべきことがいろいろとあるものだが、昨日はすっかり仕事の意欲が失せてしまって、何にもする気にならなかった。もうお客さん来なくていいから、早く閉店時間になって欲しい、空ろなアタマで座りながら、真剣にそう思った。今日も朝から絶不調。しかしこんなときでも休むわけにはいかないし、しかもタイミングの悪いことに、こういう日に限ってビールその他で合計60ケースほどのまとまった配達がある。その配達をもう必至の形相で何とかこなし、午後になってから、先日の日記のコメントでyana1951さんに教えていただいた接骨院へ行ってきた。診ていただいた先生もビックリするほど、私の背中から腰にかけての筋肉は硬くなってしまっているようで、これがどうも原因らしい。それがなにかの拍子に表面化したのだろう。とにかく長い時間をかけて全身の筋肉をほぐしていかなければいけないとのことだが、「あなたの場合だと半年やそこいらではちょっと無理ですね~」だって。確かに私は自他共に認める「硬いカラダ」の持ち主だ。しかし別に自慢するわけではないが、それでも今まで何の不自由なく生活できていたし、傍目からは一見キツそうに見えるこの仕事も、何の問題も無くこなしてきた。ただそのツケがここへ来て一気に出た格好だ。これからは心を入れ替えて、カラダの手入れを念入りにしよう。昨日のように、仕事に対するモチベーションがガクンと低下する様を体感すると、健康に仕事ができるということがなんと幸せなことか、ということを否が応にも痛感するのだ。
2007年07月26日
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腰痛なんて、自分にはまったく無縁のものだと思っていた。よく他人から、「リカーマンさんのようなお仕事してると、腰を痛めるでしょう?」と心配していただくことが多いが、実際他人が思うほど腰を患うことなどまったく無かったし、これは同業者仲間を見ても概ねそう言える。たぶん昔からずっとやってきている「慣れ」と、体がコツを覚えているからだと思う。おそらくこういう仕事をまったくやったことの無い人がいきなり始めると、たちまち腰を痛めてしまうことだろう。しかしそれはさておき、「無かった」と過去形になっているのは、このところちょっと腰の状態がよろしくないからなのだ。今まで40年以上生きてきて、初めてのことだ。ただ日常的に常時痛んでいるというわけではない。それにたとえば荷物を持ち上げるのにグッと力を入れたときにギクッ、というのではなく、普通に長時間立っているときとか、朝目覚めて起き上がるときなどに、ドーンといった鈍重感(?)としてやってくるのだ。その程度のことなので別に仕事に差し支えるわけではなく、よって医者に診てもらうほどでは無いからまだいいのだが、今まで絶対の自信を持っていたことが、自分の中で崩れてしまうというのは、やはりちょっとショックだったりする。
2007年07月02日
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