離人症の器

離人症の器

PR

プロフィール

凪2401

凪2401

カレンダー

2013年06月16日
XML
カテゴリ: 読書メモ。
梅雨入りを前にして、こちらも大分暑くなってきました。
とはいっても、25度に達さない程度ですから、
南の土地に比べたら暑いうちにも入らないかもしれませんね。

<概要>
数学は、ヒトの脳が作り出した文化的な産物であるはずなのに、
これまで実に美しく自然現象を説明し、実に精密に物事の動きを予測してきた。
また、流行り廃りのある科学理論一般に比べ、
数学の成果は紀元前の昔から一貫しており、
科学上ある難題が生まれる100年以上も前にそれを解く「ツール」が、
そのつもりもない数学者によって用意されていた、といった例も少なくない。
あたかも万能の存在であるかのように、なぜ数学はこんなに一貫していて、
こんなに現実の役に立つのか。
数学者たちが冗談交じりに言うように、
創造主=神に数学の知識があったなのだろうか。
『黄金比はすべてを美しくするか?』などで、
その説明のわかりやすさととっつきやすさに定評のある著者、最新の数学解説。



最新の数学解説、という風な紹介になっていますが、
数学の知識が中学高校レベルでほぼ止まっている私でも十分に楽しめました。
特に数学の専門的知識が必要とされるものでもなく、非常に面白かったです。
数学、というより数学史や科学史を通して、テーマについて語られている印象です。

帯に「だって数学って、非力な人間の産物にしては全能すぎるじゃないか」
「数学はなぜ、ありえないほど役に立つのか」とあるとおり、
数学が何故現実世界の法則を―科学だけでなく社会学や神経生理学にいたるまで―
説明できてしまうのかについて、ひとつの問いをたてて考察を進めています。

その問いが、「数学は発見か、発明か」。

この世界は数学で記述される自然法則に貫かれて成立していて、
数学者はその法則を自然の中から発見しているのか。

それとも、数学は人間の思考の中でのみ成立し発展していく人間が発明した学問であり、
それが自然法則に当てはまるのは単なる偶然なのか。

ピタゴラスやプラトンに始まり、アルキメデスやガリレオ、ニュートン、
そして近現代の数学者がその問いについてどういう立場をとってきたのかを紹介しながら、
数学というものが普遍の真理としてこの世界にあるものなのか、
それとも「言語」のような人間の発明なのか、考察が進みます。

結論はおいておきまして、
その時代時代の数学に対する考え方ひとつとっても面白いですし、
数学者たちが数学と世界との関係をどうとらえていたのか、
ということに関しても興味深く読みました。

しかし、本当に不思議ですよね。

人間の作り出した言語のひとつである「数学」が、
どうしてかくも自然法則を説明し、かつ予言することまでできてしまうのか。

今まで考えたこともなかったですが、とても興味深い問いです。


読むのに時間はかかりましたが面白かったので、
前作『黄金比はすべてを美しくするか?』も買いました。
読み終わるのはいつになることやら。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013年06月16日 19時47分19秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: